桜 『後編』
無々さんに感想を送る
―――…ギシャさんは…桜に似てます…―――
―――…御前は…空に似てるよ…―――
桜 後編
あれから、何ヶ月かが経った。桜の花は散り、代わりに青々しい若葉が萌えている。相変わらず、ギシャは森では孤立していたが、独りではなかった。傍にはいつも、ロナがいる…。
種族が違うから、きっと結ばれない。だから、せめて同じ場所で同じ時を刻みたい…、二匹はそう思っていた。
ある日のことだ。ロナが倒れた。ただ疲れてるだけですよ、すぐ治ります、と本人は笑っていたが、ただただ心配なのはギシャだ。
「…食べたいもの…あるか?」
ロナは静かに首を振り、ありがと、と一応御礼を言った。
「ふふっ。そんなに心配そうな顔しないでください。過保護すぎ、です…。大丈夫ですよ、全然へーき。」
そうは言ったものの…彼女の容態は、日に日に悪くなっていった。初めは、時々倒れるくらい。しかし、やがてよく寝こむようになり、次第には起きれなくなった。けれども、彼女は精神的には至って元気で、冗談を言ったり、ギシャをからかったり、小突いたり…。それだけがギシャを安心させた。“まだ、一緒にいられる”と…。
やがて、季節は冬になった。寒いので、枝から落ちた葉を、大量に洞穴に詰め込んだ。ロナは、
「ちょっ…苦しいですよっ。入れすぎ入れすぎっ…」
と手足をじたばたさせ、声を上げて藻掻いていた。
ギシャが心配して、声を掛けると、
「大丈夫ですよ。…迷惑掛けてばっかですけど…、絶対良くなりますから。」
とガッツポーズをした。
それから何週間後に、初雪が降った。柔らかくて白いものは茶色い地や枯れ葉を隠す。
「わっ…雪ですよっ!綺麗ですねぇ…。」
とロナは笑って、おっきなピカだるま作ったら、この入り口に置いて、私が見えるようにして下さいね、とはしゃいでいる。
「ね、ギシャさ…」
ギシャは冷たい目をして、寝ているロナを見下ろしていた。思わず、ロナの体に力が入る。ギシャは重々しく、口を開いた。
「…あと…どれくらいだ…?」
え…とロナは言葉に詰まり、何のことですか、と尋ね返した。
「…っ……しらばっくれんなっ!…わざと明るく振る舞ったりして…。…御前のからだ…もうボロボロじゃねぇかよ…!」
ギシャは俯き、強く歯をかみしめた。ロナの表情も暗くなる。
「…気づいてたんですか…。私が…もう治らないこと…。」
ロナはゆっくり起きあがり、壁に体をゆだねた。ふー…と大きな溜息を吐く。
「…冬が終わる前には…逝くと思います…。」
分かっていたが…本人の言葉で聞くと、一気に哀しみが込み上げる。ギシャの表情が険しくなり、引きつり、もうロナを直視していない。
「…無理をしすぎたんです。羽根…一枚足らないのに…。」
ロナも、それ以上は何も言わなかった。
それからだ。二人の関係が崩れていった。楽しかったのに…。寝ていても楽しかったのに…安心したのに…。今は…傍にいるだけで、ただ哀しみが込み上げる。
冬も終わりに近づく…。相変わらず、雪は降っている。食べ物は、溜めておいた蜜があるから困らなかった。…はずなのに…。ロナはもう、何も食べれなかった。日に日に体力が落ちていく。
もう…駄目だ…。
ロナはゆっくり目を瞑った。
「…ギシャ…さん…。」
荒い息で、愛しいものを呼ぶ。ギシャの耳が少し揺れた。会話をするのは…久しぶりだった…。暫く聞いてなかった、彼女の声は、とても心地よく…そして、途轍もない恐怖が込み上げてくるものだった。
「今までありがとう。」
「…嗚呼。」
「楽しかったです。」
「…嗚呼。」
「また…会えるかなぁ…。」
最後の質問に、ギシャは返事を返せなかった。心がズキンと痛む。
もう…会えないから…。
願っても…もう会えないから…。
声が聞けないから…。
温もりを感じられないから…。
瞬間、ギシャは大きな後悔の念に押された。
どうして…、今まで話してあげなかったのだろう?
どうして…、触れてあげなかったのだろう?
どうして…どうして…
いつしか、ギシャは泣いていた。
「…っ…!」
ロナは重い体を、起きあがらせて、ギシャを傍に寄せ、か弱い腕力で、抱きしめる。あんまり弱々しいもんだから、ギシャは、ロナを抱きしめ返すことを躊躇った。
「…あのね、ギシャさん…。」
ギシャの返事は無かったが、ロナは続けた。
「…私ね、桜の花…好きなんです…。」
「…嗚呼…、知ってる…。」
ロナは微笑したが、ギシャの顔は、ロナの顔の後ろを向いているので、それは見えなかった。
「私は…ギシャさんも好きです…。」
「…嗚呼…、知ってる…。」
「…ギシャさんは…桜に似てます…。」
ギシャの目から、涙が落ちるのがとまった。
「綺麗です…。優しいです…。傍に居てくれます…。だから…大好きです…。」
二人は笑った。嬉しかった。ただそれだけ。
「…御前は…空に似てるよ…。」
と、今度はギシャが言った。
「空?」
「暖かい太陽も持ってるし、自分を隠すための雲も持ってる。月や星みたいな美しさも持ってる。…いつも…見上げると御前が見える。」
その時、初めてギシャはロナを抱きしめた。ロナの目はとろんと閉じかけていた。
「ありがとう…。」
その言葉を最後に、ロナは永遠に目覚めることのない眠りについた。ギシャは泣かなかった。流す涙は流しきった。だから…今は笑っていよう。
「…俺も…ありがとう…。」
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