待ち人来たりて
飛烏さんに感想を送る
私は、待っていた。
長い間―――この世界に比べれば一刹那にしか過ぎないのであろうが、私にとってはとても長い間―――私は、そこに存在し続けた。
暗い洞窟の中に太陽の光など差し込まない。聞こえるのは水音と、遠く響く共存者達の声。
もっと耳を澄ませば“感じる”ことも出来るだろう。もっと多くのことを。
だがそれをすることは無い。それをする必要が無い。
私は、待っていた。
―――「私を救うヒト」を。
『待ち人来たりて』
私は生まれてすぐに、この世に「人間」と呼ばれる私と違う種族と、人間が「ポケモン」と呼ぶ私と違う種族がいることを知った。
とは言っても、「人間」は個体間でほとんど差異など見受けられないが、「ポケモン」は厳密に言うともっと多くの種に分けられ、その外見、或いは能力の差は計り知れない。
火を噴く者もいれば、水を泳ぐ者もいる。空を舞う者もいれば、雷を纏う者もいる。
彼らは人間の手により分類され、名を付けられる。世界には数多くのポケモンがいるが、未知の種族も少なくないという。
それらを発見し、「モンスターボール」と呼ばれる物で捕獲し、戦わせ、旅を続ける者がいる。「ポケモントレーナー」と呼ばれる者だ。彼らの活動は、ポケモンの調査の上で非常に重要である。
ポケモントレーナーは時折、ポケモンを種族としての名ではなく、個体名を付け、そちらで呼ぶこともあるらしい。
例を教わることは無かった。私もそれを求めなかった。
何故ならそれは、無意味だ。
世界に一個体しかいない種族が、種族の名でしか呼ばれないのは、当然なのだから。
私の種族名は、「ミュウツー」と言った。それ以外の名は、実験用のナンバーのみだった。
私は研究所と呼ばれる人間の建物にある、試験管というガラス容器の中で生まれた。私が自我と思考能力を持つ頃には、それは最初よりはやや大きな、緑色の液体で満たされた別の装置へと変わっていた。
幾人かの人間達が絶えず私の傍で作業をし、また幾人かの人間が部屋の中と外を行き来していた。
その顔触れはほとんど変わらず、私はそれを全て記憶した。外見、動作の癖、声、思考パターン。
だが時折呼び交わされる彼らの名は憶えていない。記憶しようとしなかったからだ。それを知ってどうなる。どうでもよい。
実験動物【オモチャ】は、人間【カミ】の名など知る必要は無い。
私は、生まれながらにそれを知っていた。
憧れも希望も期待も存在しなかった。
その反対もまた存在しないのと、引き換えに。
だがある日、私は一つの名を聞いた。
それはポケモンの種族名であり、やはり私と同じように一個体しか存在しないと思われていた種族だった。
その名を「ミュウ」と言う。一人の研究者が、ガラスの向こうから私に語りかけた。
私は、そのミュウの遺伝子を元に再生―――と言うには語弊がある。「改めて生み出された」のだから、強いて言うならば改生―――せられた種族であるらしい。
ポケモンが覚えられる技をその特性に限らず全て記憶することが出来、神出鬼没で現在までの捕獲データは一切無し。伝説だけが一人歩きした彼、或いは彼女から得られたのは、ほんの僅かな遺伝子情報だった。
それを膨らませ、無理矢理引き延ばし、足りない所を継ぎ足し、生み出されたのが私だった。
だからこその「ミュウツー」―――「2番目のミュウ」という名だった。
その研究者は、深い意味を考えずに私にその話をしたのだろう。が、私は知ってしまった。
私は、ミュウの、コピーだ。
否、正確なコピーですらない。遺伝子情報が一部しか無く、完全な複製が無理だと分かった人間達は、その方向性を改めた。
「ミュウの復元」から、「ミュウを元にした、史上最強のポケモン」へ。
つまり私は、人間が興味本位に作り上げた兵器の一つでしかなかった。
その力を振るう敵もいない、ただの兵器だ。
私は、ある晩研究所から逃亡した。完全な体を作り終え、いよいよ私を装置の外に出し、その力を試すという実験の日だった。
私は研究者達の命令通りに、広い広いグラウンドに用意されていた木造の、或いは石造の、或いは鉄造のオブジェを砕き、捻り、破壊した。それに一切手を触れることは無かった。
私のエスパー能力に、研究者達は感心し、歓喜していた。同じように、今度は打撃でオブジェを破壊するよう命令が下った。私はその通りにした。その威力もまた、研究者を喜ばせた。
最後のテストは、実際のポケモンと対峙して行われた。ありとあらゆる種類の者達が、研究者、或いは雇われトレーナーの命令により私に向かって来た。
私にとってそれは、オブジェを相手にしているよりはよほど快いものだった。だがそのどれもが私を倒す力など無いと分かると、それは退屈なものになった。
相手が何体いようと、変わりはしない。私は最強のポケモンだった。誰も私に並ぶことさえ出来ない。最後の一体、それなりに鍛えられていたはずのギャロップが倒れる間際に私に向けた眼は、畏怖に染まっていた。
私は、生まれながらにして恐れられる存在だった。
それは即ち、生まれながらにして、たった一人だった。
「素晴らしい」「大成功だ」「歴史に残る偉業になる」―――研究者達は口々にそう言い、肩を叩き合い、喜んでいた。
私にはそれがとても愚かに思えた。それを作って何になる。もうミュウの遺伝子は無い。全て私に使われたはずだ。
今度は研究者達は、何をするのだろう。私を越える存在の作成だろうか。私の遺伝子情報を使って。それは「ミュウツーツー」だろうか。それとも「ミュウスリー」だろうか。
どちらにしろそれは、許されざることだ。
私は、私を装置に戻そうとした研究者を一撃の内に倒していた。「サイコキネシス」と人間が呼ぶこの技は、私にとって一番便利な技だった。
触れることも無い。その上強力だ。これさえあれば、人間が束になってかかって来ようと問題ではない。
そして私は、研究所から逃げ出した。
否、逃げたのではない。ミュウを捜しに出かけたのだ。
彼、或いは彼女ならば、私を救っているのではあるまいか。私の元となるポケモンであるのなら、私を倒してくれるのではないだろうか。
私は、淡い期待を持ち続けていた。
それは、ある日唐突に訪れた。
何処かの山奥に降り立った私の目の前に、それはいた。
淡い桃色の体は仄かな光を放ち、私と同じ形の尾は緩やかに揺れ、しかし私よりは遥かに無害そうなシンプルな体型を持ったポケモンは、その大きな瞳で私を見詰めた。
予想よりも美しかった。愛らしい、と言ってもいいかもしれない。これが幻? これが伝説? だとするならば、やはり私は醜い兵器だ。
「………………君がミュウツーだね?」
ミュウは私に言った。私は既に臨戦態勢に入っていた。だが彼、或いは彼女は動かない。
穏やかに、全く動じることもなかった。
「知ってるよ。僕を元に作られた、最強のポケモンだ。…全ての上に立つ気分はどう?」
煩い、と私は一喝した。ミュウの声音は私を哀れんでいるように聞こえた。
毒気を抜かれ、立ち尽くしていた私は一気にミュウとの間合いを詰めた。念波を放つ拳を向ける。
その刹那、ミュウは私の背後にいた。高速移動―――そして、笑った。
「僕と戦うの? 何の為に? 君にはトレーナーはいないはずなのに。
探し続けてたんでしょ? 僕のことを。倒す為に? それとも倒される為に?」
振り返りざまに広範囲のサイコウェーブを放つ。ミュウは吹き飛ばされ、地面に降り立った。
否、自分から後方に飛び、逃げたのだ。確かに強い、が、私の方が能力は上だ。
私が動揺さえしていなければ、サイコキネシス一撃で倒すことだって出来る。
「そう、倒される為に。僕を恨んでた? 僕がいなきゃ君も生まれなかったから?
君は生まれたくなかった? 最強など望まなかった? 誰もが求める最強を手にしているのに?
実験動物なんて嫌だった? 野生のまま、自分の思うがままに生きたかった? 今更無理な話だね。
だって君は、ここにいる」
煩い、煩い煩い煩い。
私は自分が実験動物であることなどどうでもいい。私は本物になりたいのだ。本物のミュウをコピーの私が倒せば、本物は私のはずだ。本物はコピーに負けないし、コピーは本物に敵うはずがない。
私はミュウに接近すると、撓る尾をその身に叩き付けた。地面が抉れ、ダメージを受けながらもミュウはまた上空へと飛ぶ。一方的だった。
そう、この先にあるのは、私の一方的な勝利だ!
「………君は、本物であることを望むんだね。でも君は僕とも違う。君は君だ。それ以外の何者でもなく、ここにいる。
君が僕に勝ったからって、それは君が本物である証拠にはならない。だって君と僕は、違う」
それでも構わない。私は勝たなければならない。私はコピーなどではない。
私は―――ミュウに、憧れていたのかもしれない。
「僕の言葉じゃ信用出来ないのなら、他の誰かに訊いてみるといい。
ポケモントレーナーならば誰だって歓迎するよ。君は強いから。持っていれば最強だ。
そして彼らは言うだろう。『ミュウツーをゲットした!』ってね。誰も『ミュウのコピーをゲットした!』とは言わない。
これは君が、もう既に本物である証拠じゃないの?」
違う、人間が求めているのは私の力だ。私ではない。
私は、ミュウのように、それそのものを求められるような存在ではないのだ。なぜなら私は、力を欲する者に創られたのだから。
私はミュウが憎い。伝説と謳われ、追い求められる存在が憎い。そして同時に憧れている。私もそのような存在になることを。
“私の力”でなく、“私”が必要だと言って欲しい。
―――だがそれは、一生叶えられることなど無い。人間は愚かで、貪欲で、汚れているのだから。
「そんなこと無いよ。僕だって、僕自身が追われているかと訊かれれば絶対そうとは言えないし。
追われるのも大変だよ? 君みたいなのまで来るしね? でもそれも楽しいんだ。研究者なんかもいるけど…
時々、いい眼をしたトレーナーに出会える。捕まってもいいかも、と思えるような眼をしていて、実際捕まえられる実力を持った人間にね。
でも僕は、そう簡単に捕まるつもりは無い。彼らが誠意をもって追いかけて来る限り、僕も誠意を持って逃げる。
伝説級のヤツらはみんなそうだよ? みんな、必死に抵抗して、振り切って、本当に自分を愛してくれるヒトを待っているんだ」
自分を愛してくれる人間【ヒト】?
私が求めているのは、それだと言うのか?
「その通り。別に人間でもポケモンでもいいけど…自分を愛してくれる人がいてくれるほど、幸せなことは無い。
………君にもきっと、そんなヒトがいるはずさ」
私はもう、ミュウに攻撃する気は全く無かった。自分の両手を見詰めてみる。破壊しか無い手だと思っていた。
ミュウは私を見て、クツクツと笑っていた。クルリと空中でターンする彼、或いは彼女ならば、きっとそんなヒトもいるであろう。
だがこの、私に? 本当に、信用していいのだろうか?
そのヒトならば、私を救ってくれるのだろうか―――?
「君が強ければ強いほど、伝説が大きければ大きいほど、別の意識を持って接近して来るヤツは増える。
どうしても抵抗しきれない場合だってあるし、その時は捕まっちゃうしか無いけど………また逃げればいい。
どれだけ裏切られても、どれだけ否定されても、どれだけ非難されても、どれだけ破壊しても…いつか必ず、巡り合える。
そう信じて、探して、待ってみてもいいんじゃないかな。時間はまだたくさんあるし。
安心しなよ。君は本物だ。コピーじゃない。君が君としてここに存在している限り、君は本物だと誇っていい。
作り物だとかはどうだっていい。………きっと出会えるよ、君も」
ミュウは最後にそう言うと、光の残影を残して夜空へ飛び去った。
私は暫くの間、そこに立ち尽くしていた。半信半疑だった。判断基準など皆無に等しい。
研究者達は、私を研究対象としてのみ見ていた。
テストに使われたポケモンは、私を倒すべき敵としてのみ見ていた。
ミュウは―――私を、何と見ていたのだろう。愚かなチャレンジャーだろうか。哀れな迷い子だろうか。
どちらにしろ、害意は感じられなかった。反撃も一切受けていない。そう思うと、負わせてしまったダメージが気にかかる。やろうと思えば自己再生だって使えるはずだが。
私は果たして、何を求めていたのだろう。きっぱりと本物だと認められてしまった以上、それを確かめるか、ミュウの言う「愛してくれるヒト」を探すしか無い。
どうやって? これ以上どうやって本物だと確かめる?
………分からない。けれど、もう1つの方ならば。
本当に、信じても良いのだろうか。
私を、救ってくれるヒトが現れると。私を愛してくれるヒトが現れると。
だとすれば、どこかの辺境に隠れ住むのがいい。私はもう、誰かを探すのは疲れた。
私を探して、そこまで会いに来てくれるヒト。私が認められるヒト。私のマスター。
それを、待つのだ。どこかで。
真っ暗な暗闇に、洞窟の天井から垂れた水滴が落ちるのではない、大きな遠い水音が響いた。
私はゆっくりと眼を開け、そちらを見る。幾度目の来訪者か、数えるのはもうやめた。
私が待つのは、ただ1人だ。
此度来たのは、そのヒトだろうか。
私を救う力と心を持った者なのだろうか。
手合わせをしてみなければ、それは分からない。今まで何人もの人間が、私に破れてここを去った。
その誰もが、あの夜戦ったポケモンよりも強い。それでなくともこの洞窟に住まう者は、外とは比べ物にならないほどの実力を持つ。
それを分け入り、倒し、最奥にいる私を倒しに来るヒトは長らくの間で僅か。しかし私の認めるモノはいず、ミュウを越えるポケモンもいない。
だがしかし、今やって来る彼がそうであるかは、分からない。
私は、久々に戦慄していた。何度目かの今度こそ、という思いが、私の感覚を研ぎ澄ませてゆく。
―――願わくば、我が待ち人来たらんことを。
私は小さく微笑むと、私を愛する者を、私を本物だと認める者を、私を救うヒトを待つ。
もう迷うことなど無い。私には、それだけがあればいい。
王者の誇りと、最強の力。
我が最愛のマスターに、この身全てを捧げよう。
Fin.
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