桜と狼

無々さんに感想を送る

 翌朝、まだ日が完全に昇ってない内に遠くから狼の遠吠えが響いた。
 ブルームは木の幹の、桜に隠れて他者からは見えないところに座し、ゆっくりと幹を撫でる。ああ、この木とも今日でお別れか、と思いながら。
 狼が押し寄せる。
 ……?様子がおかしい。
 ブルームは目をよく凝らして今は点のような彼らを見つめた。
 ……!!馬鹿な!!
 鉄の匂いはこんな遠くにいても感じる。
 戦っているのか?グロウ。
 花が柔らかに舞い落ちる。地についてそこでそれらの短い旅は終わりを迎える。そんな、儚いものなのだ。それは、自然の摂理だから仕方のないこと。どれだけ生きたいと願っても叶わないこと。………なのにそなたは…。

「ぐぅっ…」
「どけ!!邪魔だ!!」
 血まみれになったグロウを後ろ足で蹴り飛ばして一匹のグラエナが駆けていく。何とか阻止しようとしてそれに続く一匹の後ろ足をしっかりと握り、噛みついた。それは悲鳴を上げたが、すぐに他の仲間が近寄ってきてグロウを踏みつぶした。それによって、噛みついたグロウの牙は唾液を零しながら地に食い込む。
「やめっ………、桜に…ブル……ム、に…近寄る…なぁ…!!」
 必死で足掻くも、その体は既に噛みつかれた後と引っ掻かれた後で血まみれだった。………それでも、守ると言ったから。
 彼女にもらった花は一晩で枯れてしまった。違う。自分が欲しかったのはこんなのじゃない。木の幹にしがみついている花。力強い、冬を乗り越えて咲き誇った、淡紅色の…。

 ブルームが悲しげな目でそれを遠目に見つめていたその時、右腕に激痛が走った。
「っあぁっ…!!」
 思わず悲鳴を上げたが、狼たちが吠えているのでその声は聞こえない。
 木の幹にグラエナの牙が次々に食い込まれる。
「…うあぁ…っ」
 花弁が、花がぼたぼたと地に落ちた。…あんなに、しがみついていたのに、落ちた。一生懸命に咲いていたのに、もっと咲きたかっただろうに、……それなのに……。
 爪痕が深く温かい色の樹皮に刻まれる。
「ぐあぁっ…ひっ…」
 必死で苦痛を乗り切ろうとするも、駄目だ。藻掻いても、自分が藻掻いても、到底叶わない。
「止めろ!!」
「!!」
 グロウが叫んだ。
 一番幼いのだろう。甲高い声が彼らの吠え声の中で一際大きく響いた。
 しかし。
「邪魔だ!!まだ生きていたのか!!この裏切り者!!」
「ぐぅっ…」
 噛みつかれて、グロウは蹲った。
 どくん、どくんと心臓が脈を打つ。大きな、それこそ太鼓を叩くような、大きな音が体全体を駆けめぐる。
 一匹が木に頭突きを喰らわせた。木が音を立てて折れる。
「ああぁぁぁっっっ!!!!!!!」
 ブルームが悲鳴を上げて、木から落ちた。…地に着く寸前で、グロウが彼女の下敷きになった。
「ぐあぁっ」
 傷からじんわりと血が滲む。
 そしてブルームも苦痛に喘いだ。
「……なぜ…」
 苦しみの中で、未だにグラエナ達が木を痛めているのに、それを我慢してブルームは問うた。
「…なぜ、放っておいてくれなかった…。」
 苦しそうな声で、傷が痛むはずなのに、血を流しすぎているのに、グロウは真っ直ぐに瞳を見つめ返した。
「桜が、綺麗だった。ブルームが、嬉しそうだった。 …守りたかった。もっと、もっと、ずっと、ずっとずっと、見て……見ていたかった!!!」
 力を振り絞って、グロウが叫んだ。
 ブルームの瞳から、雫が零れた。…ただしそれは、朝露でも、雨粒でもない。彼女が生きている証、温かい水―――――涙。
 ブルームが笑った。無理に作った笑みだというのは一目瞭然だが、それは優しかった。温かかった。柔らかかった。
「そなたに愛されて……私達は幸せだよ…。」
 ブルームの体は桜の花びらとなって天空へと舞い上がった。
















 はっとグロウは目を覚ました。その瞳からは温かい雫が零れている。
 ……今のは、夢?……夢だろう。こんな寒い時期に、桜など咲くはずがない。大体、体に傷ひとつついてないし…。
「おお、目が覚めたか、グロウ。」
「おはよ。」
「はよーっす。」
 何より、仲間がいる。誰1人として、自分を裏切り者などと呼ばない。…優しい。優しいけど…、何かが違う。
 グロウはのろのろと立ち上がった。歩き出す。仲間の声など、耳に入らない。入っても、すり抜けていく。
「…ブルーム……。」

 夢で良かった。
 なぜなら、お前は死んでない。
 痛い思いをしていない。
 辛いと思っていない。

 …夢であって欲しくなかった。
 なぜなら、お前は俺を知らない。
 優しい声がない。
 温かい笑みがない。
 柔らかな色がない。
 そして、全てを忘れられる甘い香りがない―――――。










 木は、枯れていた。









 でも、その木の傍には一匹の“普通の”キレイハナが腰を下ろしていた。
 桜の甘さとはまた違う香りを漂わせながら、彼女は優しい声で、温かい笑みを浮かべて、頬を柔らかな色に染めながら。
「ああ、グロウ。 どうやら全て夢だったらしい。」
 それから少し、困った顔をして、悲しげに笑った。
「折角褒めてくれたのに、……悪いな、枯れてしまった。」








 それでも…あなたが生きているならば…










 グロウは、一輪の小さな桜の花のように笑った。その頬には涙が伝わっていた。























「大丈夫、覚えてる。」

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