未完成な希望の詩
空真さんに感想を送る
「優しいね」
彼女が笑った。
未完成な希望の詩
彼は、ヒンバス。
滝つぼに住むポケモンたちと、程よい距離を置いて日々を過ごしている。
彼と話すものはほとんどいない。
彼は、弱く、みすぼらしいものだから。
彼と親しくしているものは、《変わり者》だから。
滝つぼは一つの集落で、仲間意識が強い代わりに、一度その輪から外れたものは、二度と入ることはなかった。
それでも彼は、滝つぼの仲間に恨みを持つことはなかった。
なぜなら生まれたその瞬間から、彼は《変わり者》だったからだ。
彼の一生はこのままずっと変わることなく続いていくと、彼は思っていた。周りも皆なんとなく考えていた。
滝つぼの上からは色々な物が落ちてくる。
滝の上の川に落ちるのだ、四季を彩る美しい紅の葉、秋はとりわけ美味しい木の実、時折、お金。
救助隊が使うスカーフ、薬の類、そして、時折、ポケモン。
今日も少し響く音とともに、黄緑色のポケモンが落ちてきた。
滝つぼのポケモンたちは殆ど気が付かないが、彼は違った。
彼は滝つぼの音をいつも一匹で聞いていた。今日も、ひとり。
彼はそのポケモンを滝つぼの縁に押し上げた。
黄緑色の体に種を背負っている。
彼と同じくらい小さな身体は、流される途中で打ちつけたのだろうか、大小の傷が刻み付けられている。
痛そうだ、と彼は感じた。いつも、落ちてくるポケモンたちは何かしら怪我を負っているけれど、この怪我が一番ひどいと、感じた。
小さく、ぼろぼろのヒレで、そっとケガを撫でると、黄緑色のポケモンは小さく呻いた。
そのまま、ゆっくりと瞼を開けようとしているのを見て、彼はあわてて身を翻し、滝つぼの池に逃げ込んだ。
落ちてきたポケモンは、時折滝つぼの仲間より、彼を傷つける。
逃げるのが一番だと、彼は身をもって知っていた。
+ + + + +
彼が、落ちてきたさまざまな物をあげるため水面に顔を出したとき、黄緑色のポケモンはまだそこに居た。
赤い瞳と、視線がかち合う。
あわてて逃げようとした彼に、小さな声が「待って」と言った。
その言葉に従って、動きを止める。
待てと言われれば待つし、どこかに行けと言われればどこかに行く。・・・彼は、従うだけだ。
「助けてくれたのは、・・・君?」
声は、優しかった。
コクリ、とうなずく。
赤い瞳も、優しく瞬き、緩やかな弧を描いた。
遠くから見たことがある。これは、笑顔、だ。
「ありがとう・・・」
初めての微笑みは、彼をその場に小1時間縫い付けておくぐらい、優しく、柔らかい、
・・・・・本物、だった。
+ + + + +
笑顔のまま眠りに付いた彼女の傍に、そっとオレンの実を置く。
身体が冷えたら大変だから、天日干しにしたスカーフを何枚も重ねる。
小さな水音をたててしまい、彼女がふと瞼を開けた。
「掛けてくれたの?」
うなずく。
「ありがとう。あったかいや」
ふわり、また、笑顔。
けれど彼は、気づいていた。
彼女の瞳は、まだ朦朧としていることに。
自分の姿が見えないから、彼女は笑いかけてくれるのだ。
それでもよかった。彼は、それでもよかった。
「・・・ね、名前は?」
ふと何気なく、彼女が問い掛けてきた言葉に戸惑った。
ナマエ、それは、呼んでくれる誰かがいなければ、意味を成さないものだから。
彼は、名前を呼ばれたことも、それを持ったことすら、なかった。
「あ、・・・そっか、ごめん。自分は、リトって言うんだ」
リト
それが、この黄緑色のポケモンの名前。
やさしく微笑むこの人には、名前を呼ぶ誰かがいるのだ。
彼女が、ずっとここにいられるわけではないと気づく。
けれど、彼は、それでも。
「リ、・・・・・リト、さ、ん」
絞り出した声は、思ったより高かった。
自分の声じゃないみたいだった。
彼は、自分の声を、“はじめて”の声を聞きながら、嬉しそうに微笑む彼女を見ていた。
・・・・・あぁ、なんて。
+ + + + +
彼がひそかに集めていた落し物は、彼女の傷を癒すことに役立った。
話す事に楽しみを覚えた彼は、高く小さな声で、顔を隠しながら、それでも彼女とずっとおしゃべりしていた。
彼女は陸のポケモンだから、滝つぼの仲間たちに変わり者と思われても、一向に気にすることはなかった。
彼女が落ちてきてから、3日のときが経った。
立ち上がれるほどに回復した彼女は、時折空を眺めていた。
「・・・リト、さん、どうし、た、の、です、か?」
彼が恐る恐る声を掛けると、彼女は赤い瞳を細めて、笑った。
初めて見たときとは違う、笑顔だった。
「心配、させてるんじゃないかなって、思って」
彼女の、大事なひと、の話だ。
話して聞かせてもらった、壮大な冒険、真実を探す旅、その間ずっと彼女を支えていた相棒。
「か、えりたい、ですか?」
小さな声は、あぶくになって弾けて消える。
聞こえなかったのか、彼女は彼から空へと視線を動かす。
彼女の口からわずかに零れた名前は、風に攫われて消えていった。
「無理しちゃ、だめです」
ぶくぶくとあわ立つ水面を見詰めて彼は必死に伝える。
待っている人がいるなら、帰るべきなのだ。
彼女は優しいから、傷が治りきっていない振りをしている。
それではだめだと、彼は知っていた。
「・・・・・・・・・・優しいね」
ふと、赤い瞳がまた、彼を向いていた。
自分の姿は見えていないはずだ、そう思いながらも、どぎまぎする。
彼女と触れ合って、彼は始めて、自分が赤面症だと気づいた。
ヒレを振る。
そんなことないのだと。
自分は優しくなんかないと。
「優しいのは、あなた、です」
「ううん、優しいのは君だよ」
気づけば声は、彼の真上に来ていた。
あぁ、赤い瞳が、自分を見下ろしている。
声に変わりはないけれど、この姿を見て、彼女はがっかりしているのではないだろうか。
自分の生まれついた姿を、このときばかりは少し、恨んだ。
「でも、あなたは、優しいです。現に、僕に、優しく、してくれ、ました・・・・僕は、優しさなんて、もって、ません」
「そんなことない。本当に優しいのは、君だよ。
・・・自分のね、優しさは、相棒から貰ったものなんだ。
あのひとに出会って、優しさに触れて、初めてひとに優しく在れたんだよ。
でも君は、誰からも教わることなく、優しい」
閉じていた、瞼を開けると、変わることなく微笑む赤い瞳。
やわらかくあたたかく、彼を映している。
彼は思う。
名前が、欲しい。
呼んで、欲しい。
優しいと言ってくれるのは初めてで。
微笑んでくれるのは初めてで。
名前を呼んだのも、話をしたのも、初めてで。
名前が、欲しい。
呼んで、欲しい。
あぁまた、“はじめて”。
初めて夢を持った彼は、彼女を見上げて、そっとぎこちなく、微笑んだ。
初めて、笑って見せた。
そしてそのまま、水の中に潜ろうと試みる。
彼女は自分が、滝つぼの仲間たちに疎外されていると気づいているから、ココから離れられない。
彼女は優しいから。たとえそれが、他の誰かに貰ったものだとしても。
彼にくれた優しさは、本物だった。
「待って!」
彼女が叫ぶ。
滝つぼの中、見えないところまで早く、早く行かなければ。
でも、それ以上進まない。
引き戻されて、水面から引き上げられて、初めて、彼女の蔓に背びれを掴まれていたことに気が付いた。
「お礼、言わせて?」
笑顔が、まぶしくて。
目に沁みた。
しずくが零れた。
ありがとうと笑った彼女の顔を、最後まで見ていられなかった。
ゆっくり、背を向けて歩いていく彼女の後ろで、彼はぼろぼろと泣いた。
“はじめて”泣いた。
“はじめて”寂しいと感じた。
“はじめて”“はじめて”“はじめて”“はじめて”・・・・・・・・
+ + + + +
「くっ・・・・」
相棒の名を呼びながら歩いていた彼女の前には、彼女を滝つぼに引き落としたニョロボンが立ちはだかっていた。
今もまた、川の淵に追い詰められている。
「どいてよ・・・自分は、帰りたいんだ!」
両目に傷を負ったニョロボンは、右手に力を蓄え始めた。
爆裂パンチの前兆だ。
でも彼女にはもう、技を出せるだけの力が残っていない。
彼女は下がる。
ニョロボンは前に出る。
「っ」
キンッ・・・・・
・・・高い音がして、威圧は音もたてずに消えた。
彼女を庇うように立ち塞いだのはたった一匹のぼろぼろのヒンバス。
あの滝を越えてきたのだろう。
ぼろぼろの見た目はさらに傷だらけになっている。
「だい、じょうぶ?」
彼は頬を赤らめて、振り返った。
コクリと頷いたフシギダネに、彼は、意を決して、告げる。
「あなたに、ついて、行きた、い、です」
“はじめて”をたくさんくれたから。
暖かさも優しさも、涙も悲しみも寂しさも。
誰かを守りたいと強く願う心も。
彼女が全部くれた。
だから、彼女と一緒に、生きたい。
彼女が大切にするものを、彼女自身を、守れる自分になりたい。
あぁ、また、“はじめて”。
初めて、夢が、持てました。
「・・・・・あ」
しばらく黙っていた彼女が、ようやく言葉を発した。
驚いていた顔は、あの優しい笑顔に変わる。
「ありがと・・・」
彼の傷を包み込むように手持ちのリボンで応急処置を施して、彼女は彼を蔓で自分の背に乗せた。
彼が驚く間も与えず、走り出すと、後ろで、氷の割れる音がした。
「ニョロボン、さん、が」
冷凍ビーム、やはり水にはあまり効かないらしい。
「自分が技を使えたらいいんだけどね」
能天気に呟いて、彼女は足の回転を速める。
ニョロボンはといえば、氷のお陰で正常の頭に戻ったのか、そのまま川に帰っていった。
そんなことにも気づかずに、せっせと走る二匹は、滝つぼを囲んだ林から出るなり、青い光に包まれた。
+ + + + +
「帰ってこれたぁ・・・・」
「こ、こは・・・?」
「ココは救助隊リアノトア、基地前だよ!」
青い光を出し切って、割れて塵になった穴抜けの玉を見送りながら、フシギダネは、はしゃいで笑った。
彼は、基地の裏、小さな池にそっと降ろされ、透き通った水に浸る。
「本当にありがとう。君のおかげで、帰ってこれた」
ふわりと細められた赤い瞳は、まっすぐに彼を見ている。
それから少し空を見上げて、また彼に視線を戻した。
「名前・・・」
「なまえ?」
「教えて欲しいな、って思って」
なまえ。名前。そういえば、と彼は思い出す。
その事について触れるのを忘れていた。
呼んで欲しい。でも、彼の名前は、
「ない、ん、です」
「ない?」
「はい。僕の名前、誰も、呼ぶひと、いなかっ、た、から・・・」
ある意味がなかった。
「でも、これから、必要、に、なるなら」
“はじめて”意味を持つから。
「あなたに、つけて、欲し、い、です」
彼女は、きょとんと目を丸くして、そのまま黙り込んだ。
突然そんなことを言われて、困らないわけはない。
彼は沈黙に耐え切れず、うろうろと池に波紋を残す。
けれど彼女は一分も立たないうちに、決めた!と、口を開けて笑った。
「ソプラノ!」
「そぷ、らの?」
「うん」
しゅるりと延びた蔓が、彼の頭をゆっくり撫でる。
微笑む彼女を見上げて、彼は熱くなる頬を感じていた。
水に映る自分を見る余裕もないが、きっと今頃真っ赤になっていることだろう。
「君の声は、高くて綺麗だから。だから、ソプラノ」
よろしくね!微笑むフシギダネに尾ビレの先まで真っ赤になったヒンバスは、おずおずと微笑み返した。
+ + + + +
彼は、ヒンバス。
救助隊基地裏の小さな池に住んでいる。
毎日、誰かとおしゃべりしながら暮らしている。
彼女と一緒に、生きていくこと。
彼女が大切にするものを、彼女自身を、守れる自分になること。
はじめて持った夢を、ゆっくり、ゆっくり、育みながら、過ごしている。
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