「コートカ、『みだれひっかき』!!」
無数の斬撃が湿っぽい洞窟の空気を切り裂いた。
プラズマ団の出したミネズミは避ける様子もなく攻撃を受け止めると、チョロネコに向かって「ギィ」と鳴き声をあげる。
「コートカ、ストップ! 攻撃するな、『すなかけ』だ!」
「ぬ?」
チッと舌打ちしてチョロネコはミネズミの代わりに地面へと爪を立てる。
視界を奪うほどではなかったが、それでも細かい砂や小石や泥が、ミネズミの顔へとぶつかっていく。
「構えろ、コートカ!」
今度はプラズマ団が歯噛みした。 ミネズミの動きが防御から攻撃に転じる瞬間が、チェレンからも見える。
「……『がまん』が解放されるぞ!」
ミネズミの前足が、強くチョロネコを打った。
自分が受けたダメージを倍返しする技だ。 途中で攻撃を止めたこともありチョロネコは小さく悲鳴をあげたが、ダウンするには至っていない。
尻尾をピンと立てると、チョロネコは「まー!」と鳴き声をあげる。
「コートカ、ゴー!!」
地面を強く蹴り、チョロネコはミネズミを組み伏せた。
攻撃が弾け、ミネズミがモンスターボールへと吸い込まれる。
チェレンはちらりとトウヤの方へと振り返った。
プラズマ団はまだ何人もいる。 さすがに1人でさばくには、この人数は辛すぎる。
「……とれたっ!」
右足に絡む複雑な網目が噛み切られると、トウヤは切れ間からミジュマルを引っ張り出した。
相当暴れたらしく白い毛並の隙間から血がにじんでいるが、両手、両足ともにすぐにでも動かせそうだ。
「あっ……」
ミネズミを抱えると、トウヤはミジュマルと視線を合わせ立ち上がった。
トラックから飛び降り、脇からツタージャに攻撃を加えるプラズマ団に『シェルブレード』を放つ。
ミジュマルが着地すると、トウヤはチェレンに駆け寄った。 今一度、彼の知識を頼るために。
「……トウヤ!」
「チェレンッ、ミネズミが!」
チェレンがトウヤの腕の中を覗き込むと、彼のミネズミが目をつぶってぐったりしている。
「ミジュマルの網を切った後、急に倒れて……!」
「……息はしているんだな?」
「うん……!」
「なら、気絶しただけだ、問題ない。 モンスターボールに戻しておいてあげなよ。」
もう1度「うん」とうなずいて、トウヤはミネズミをモンスターボールに戻す。
ぐるっと見回す。 チェレンが2人、プラズマ団を倒してくれたが、まだ2人、それに隠れたところにもう1人残っている。
心臓が強く、脈打った。 いろんなことが頭の中を駆け巡り、思考がスパークする。
「助かるよ。 奴ら話も通じないし、2対1じゃ、さすがにきつくてね……」
「うん。」
「……トウヤ?」
「大丈夫。」
ボールを握ると、ミジュマルがホタチを強く握りなおした。
「任せて。」
少しどよめくプラズマ団に向き合うと、トウヤは自分の胸に手を当て、息を吸い込んだ。
「ミジュマル、『みずでっぽう』!!」
小さく息を吸い込むと、ミジュマルは相手のポケモンへと向かって細かい水流を吐き出した。
それほど威力はないが、降りかかってきた冷たい水に、プラズマ団のミネズミたちは思わず目をつぶる。
そのスキをつき、ミジュマルはホタチを構え、切りかかった。 ミジュマルの真上へとホタチが振り上げられた瞬間を狙い、トウヤは強く声をあげる。
「『シェルブレード』!!」
ホタチが胴に当たるとミネズミは吹き飛ばされ、赤と白のモンスターボールへと姿を変えた。
背後から迫ったもう1匹のミネズミをツタージャがツルのムチで叩き落とすと、身体をひねり、全身を使って押し潰す。
モンスターボールの転がる奥で、子供2人に完敗したプラズマ団が顔を歪ませていた。
捕らえようと前へ出るチェレンの腕を引くと、トウヤとミジュマルは、プラズマ団とポケモンの間に立つ。
苦し紛れに投げられた小石が、トウヤの頬に傷を作る。
ミジュマルがホタチを構えたが、それを制してもう1歩前に進むと、トウヤはまるで無防備な体勢でプラズマ団に向かって口を開いた。
「どうしてあんなこと……ポケモンを奪ったりなんかするんですか?」
「ポケモンを苦しめているのはお前たち、愚かなトレーナーだ!
プラズマ団は愚かなトレーナーからポケモンを解放してやっているのだ、いわば我々は救世主だ!」
「……また、訳の分からないことを……!」
チェレン、と軽く声をかけ、何も言わないよう促すと、トウヤは殺気立つミジュマルに少し足を近づける。
「どうして、僕たちトレーナーが愚かだと思うんですか?」
「お前たちトレーナーはポケモンを狭いモンスターボールに閉じ込め!バトルなどと称してポケモンを傷つけることを楽しみ!ポケモンたちの言い分も聞かず好き勝手に連れ回し、あまつさえこき使う!
これを愚かと言わずして何と言おうか!? この世界で最も愚かな存在! それこそがポケモントレーナー!!」
「ボクのミジュマルは……あなたたちが投げた網に絡まって、ケガをしました。」
赤くにじむミジュマルの足をちらりと見やると、トウヤは先を続ける。
「ボクのミネズミは、すっごく怖がりで、バトルが大の苦手です。
1度は逃がすことも考えました。 だけど、ついてくるんです……」
「ついてくるんですよ……」
ミジュマルはホタチをおなかの上へとしまった。 しんと静まりかえる洞窟の中に、水の滴る音だけが響き渡る。
トウヤはプラズマ団から目をそらすと、自分の服の裾をぎゅっと握った。
誰かの視線が動いた瞬間、トウヤは強い殺気に当てられ横っ面を叩かれる。
チェレンの声が響き、目の前が赤くなる。 頭の後ろに痛みを感じたのは、少し時間が経ってからだった。
「トウヤ! 大丈夫か!?」
今度ははっきりと声が聞こえ、トウヤは目をしばたかせる。
「え……と……」
目の前の映像が、うまく像を結ばない。
何が起きたのか把握できず鉛のように重い思考に問いかけていると、右の手首と左の頬に触れる、ひんやりとした手の感触に気付く。
「ミジュマル……と、チェレン?」
「しっかりしろ、トウヤ! 僕の声が聞こえてるか?」
「頭に響くよ、チェレン……」
ようやく視界がはっきりしてきて、トウヤはしかめっつらをして頭を押さえる。
「何度も呼んだんだぞ。 大丈夫か、口の中とか切ってないか?」
「口より頭が痛い。」
「頭を打ったのか……」
「みじゅ……」
大きな鼻を湿らせ、ミジュマルはトウヤから顔をそらした。
起き上がってぐるぐるする頭を押さえる。 再びずれた焦点を合わせるのに、今度はそれほど時間はかからなかった。
「あぁ」少し飛んだ記憶を拾って、トウヤは少しずつ状況を把握する。
手のひらを見ると、かすれた血が広がっている。 完全に上体を起こすと、トウヤはチェレンの手を借りて立ち上がった。
「ありがとう、もう大丈夫。」
「……頭を打ったんだろう? 念のために病院で見てもらった方がいい。」
「そんな大げさな……」
苦笑いを見るとチェレンはメガネを光らせ、トウヤの額を思い切り突っついた。
「キミに!何かあったときに!トウコにどやされるのは!この僕なんだよ!」
「イタイ……」
石は投げられるわ殴られるわつつかれるわで、段々どこが痛いのかわからなくなってきた。
チェレンは半ば無理矢理に、薄暗い洞窟から明るい太陽の下へとトウヤを引っ張り出す。
まぶしさにトウヤとミジュマルは目を細めた。
チェレンは自分のライブキャスターを起動させ、ベルへと発信する。
『あ、チェレン!! あのね、ポケモンたちが帰ってきたんだよ!!』
「そうか、それは良かった。 それでベルに頼みたいことが……」
『トウヤとチェレンのおかげだよ、あたし2人と友達で本当によかった!!』
「……あのね、ベル。 聞いてほしいんだけど……」
『先生も2人に感謝しててね、さっき食べたクッキーささやかだけどもらってくださいって!』
「……ベル。」
『あのクッキー美味しかったよね! そう考えるとラッキーかな……あ、でもポケモン奪ったのは許せない!』
「トウヤがケガをしたんだ!」
能天気に騒いでいたベルの声が止み、ライブキャスターの向こうで何かの落ちる音が聞こえる。
「僕らはこのままシッポウシティに向かうから、悪いけどベル、僕とトウヤのバッグを……」
『トウヤが……』
「バッグを……」
『とーやが死んじゃうーッ!!!?』
一方的に通信が切られ、どこか遠くの方でバタバタという足音の空耳が聞こえた。
頭を抱え、ため息をついたチェレンにトウヤはアハハ、と苦笑いする。
仕方なし……といった感じで、チェレンはモンスターボールから3匹目のポケモンを呼び出した。
人間の子供くらいの大きさをした、ピンク色の可愛らしくてまるっこいポケモンだ。
「……仕方ない。 タブンネ、保育園から僕とトウヤのバッグを取ってきてくれ。」
「ブネ!ブネッ!」
「……いや、バトルとかしなくていいから。」
出てくるなりファイティングポーズをとるタブンネにチェレンはなだめの手を入れると、保育園の方角を教え、そのポケモンを向かわせる。
妙に血の気の多いタブンネが東の方角へ走るのを見ると、チェレンはさて、とつぶやいてトウヤの方へと向き直った。
「……行こうか。」
「うん……あ、ちょっと待って。」
トウヤは帽子を脱ぐと、足元でしょげているミジュマルの顔を隠すように、頭の上へと放り投げた。
突然目の前が見えなくなり、慌てた様子で帽子を持ち上げるミジュマルにトウヤはぽん、と、自分の頭を叩く。
「ミジュマル、それ少し預かっててよ。
大事な帽子だからね。 あんまり汚したくはないんだ。」
「みじゅ……」
全力の信頼を向けるトウヤを右目に、ぽかんとした顔のチェレンを左目に移すと、ミジュマルは本当にちょっとだけしっかりした顔になって「みじゅ!」と帽子を抱きしめた。
「じゃあ、行こうか!」
「……あぁ。」
不自然に明るいトウヤを、チェレンとミジュマルが追いかける。
ふと上を見ると、散っていく花の色が鈍く茶色が混じり始めていた。
雲の隙間から見える空の色が濃い。 春の終わりは、そろそろと音もなく近づきはじめていた。
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