〜最終決戦・三十〜


 「ブイ、大恩の報いだ!」

 
 ・・・・・・










 「ぶはっ、ぁ」

 そう言って息を吐き、ゴールドは呼吸する
 一瞬なのか数分なのかわからないが、意識がとんでいたのはわかった

 「おー」

 い、みんな大丈夫かーなんて声を出そうとしたら呼吸が止まった
 周囲に見える、先程の合成技と合体技とのぶつかり合いの末に出来あがった惨状に息を呑んだのだ

 起伏の無い更地になっていた

 キューブの壁は砕け、分厚い壁が何重にもなっている構造なのが剥き出しになって見えている
 これだけの規模の破壊をしたのだから、土煙などで空気が淀んでいるかと思えば妙に清冽な感じがする
 確かにある意味清々しいのだが、まるで森のなかにある神社や仏閣にいるような感覚がするくらいだ

 「・・・・・・ちゃー」

 ゴールドがとてもまずいことに気づいた
 それを確認しようと立ち上がろうとした時、周りから遅れて皆も顔を上げ始めた
 
 「おぉ・・・?」

 「なんだ、どうなったんだ」

 「みんな、無事か」

 グリーンがそう声をかけると自分の傍らにいる仲間やポケモンの無事を確認し、ふぅっと息をついた
 周囲はすっきりとした更地となっており、なんだか清々しい空気もあって、いい心持ちだった
 まだ衝撃で寝ぼけているのか、とそこにゴールドがつっこみを入れる

 「ちゃーう! もう! 忘れてんじゃねーッスか、ダイゴさんのこと!」

 
 「あっ」

 「あーっ」

 「そーいえば!」

 一様に皆声を上げ、あたふたと周囲を見回してみる
 何度見ても更地が広がっていて、このキューブに設定されていた崖などは見る影もない
 それどころか崖の向こうにあった、キューブの壁そのものを破壊する手前だったのだ
 何らかの防御手段がなければ、間違いなく吹っ飛んでいることだろう

 「まもるとかなら、防げてる・・・か?」

 「多分。でも」

 生きているなら、返事が欲しいところだ
 探そうにも、あまりにもさっぱりしすぎて希望すら見いだせない

 「ちょっと待て、てことは玄武もまだ戦える状況にあるってことか・・・?」

 「だな。どちらでもいい、早く見つけないと・・・」

 「ダイゴさーん、シショー、返事してくださーい」

 イエローが裏声にならない程度に大声を上げ、呼びかける
 呼びかけたところで隠れるところもない今の状況で、突然返事がくる方がおかしい気もする


 『生きてるよ』

 それはどこか軽い、少しほっとする聞き馴染んだ声だった
 この清々しい空気が、いつもの空気に戻ったような気がした

 ざくざくと土を踏みしめ、歩く音が聞こえる
 誰も向いていない方から、彼が歩いてくる
 振り返る前に、向こうからもうひと声かけてきた

 『玄武なら、「また会おう」なんて捨て台詞を吐いて出ていったよ』

 「・・・・・・」

 聞き馴染んだ羽ばたく音にその声、それはシショーのものでありダイゴの声であるはずだった
 それなのに、少しずつ違和感が足元から這いずって来たような感覚にとらわれる

 『どうしたんだい? みんな』

 振り返るのが怖い
 軒並み対峙してきた幹部候補や幹部達よりも、自分達の知己の顔を見るのが何よりも恐ろしく思えた

 歩いてくる、その背中で距離を感じる
 肉薄しているのがわかる

 じゃり、と彼が足を止めたところで皆が一斉に振り返った

 
 『・・・・・・なにいきなり。どうしたの?』

 そこに立っていたのはダイゴと、シショーのヨルノズクだった
 ダイゴの手には小さなマイクがあり、茶目っけある表情に少し驚きを混じらせている

 「いや・・・はははは」

 そう言って、レッドは誤魔化すように笑った
 それにしても、どうしてまた急にマイクを使ったのかと思い首を傾げるとダイゴがそれに答えた

 『ようやく旅の終わりがきたから、始めた声で労おうと思ったんだ」

 マイクを口から遠ざけると、ダイゴの声に戻ってきた
 彼が笑うと、皆もそれにつられる

 ああ、終わったのか
 そういう安堵感に似たものが、今度は喉元までこみあげてきた
 
 
 ただ1人、そうではなかった
 ゴールドだけが、その表情が強張っている

 「ダイゴ、さん・・・・・・」

 足元から這いずってきていた恐怖が、安堵感を塗りつぶしていく
 そうして喉元を過ぎ、脳天まで到達して、ようやくそれは声になった


 「あんた、腹の傷どうした」

 あまりにも自然だった
 だから、忘れてしまいそうだった

 否。誰も見ようとはしなかった
 意識を、無意識にそらしていたのだ

 玄武に貫かれたはずのお腹を、誰も見ようとはしなかった


 そこには血は無かった
 赤くなかった、黒かった

 黒いのは上から見えているからであって、それが影であること
 ぽっかりと、普通の人間にはない穴が空いていた

 恐怖が、レッド達皆の爪先から脳天までを支配した
 叫びたくなるのをこらえた
 
 動かなくなったグリーン、ブルー、レッド、ゴールド、イエロー、シルバー、クリスと順に顔を見ながら、ダイゴがゆっくりと眼を伏せる
 そして顔を上げ、爽やかな笑顔を見せてくれた

 「戻れ、シショー」

 ダイゴがそう声をかけると、ヨルノズクがボールのなかに吸い込まれていった
 しゅんと軽い音を立て、ボールのなかに仕舞われてから再び彼はもうひとつのボールを取り出して言った


 「戻れ、ダイゴ」

 その声で、ダイゴの身体が淡い光に包まれ、身体を粘土のように歪ませながらボールへと吸い込まれていった
 ああ、その光景は声にすることが出来なかった
 拷問のような苦痛に吐き出しそうになるのをこらえ、今の状況を自問自答する

 「なんだ、これは」―――それが全員の叫びだった





 「ガイド。Guide、G・u・i・d・e」

 「それは案内するもの」

 「それは導くもの」

 「それは監督するもの」

 「それは支配するもの」

 「それは指標となるもの」

 「それは指針となるもの」


 声がつらなり、重なり合い、レッド達の頭のなかに滑り込んでくるようだった
 反芻される言葉のなかで、引っかかったとある言葉をすくいあげると、それは意味合いの深い漢字へ変わった


 「四神」

 
 突然響く声、今目の前であったこともあって頭がおかしくなりそうだった
 そして、地面に落ちたボール2つを誰かが拾い上げるのが見えた

 「ガイドはダイゴに続き、つまらないシャレで申し訳ない」

 含みのある、それでいて静かに広がっていくような声
 何の抵抗もなくすっと耳のなかに受け入れられ、胸の内を透過していくようだった

 知っている

 知らないはずなのに


 「お前は、誰だ」

 ようやく出た言葉は、酷く間抜けなものに思えた
 それだけの言葉なのに、酷く心が重かった
 
 「君達の知る、ガイドさ」

 さも当然、という微笑をたたえて彼は続ける

 「クリス。お湯恐怖症になって、捕獲という特技を活かせなくても、真夜中に1人ボールを蹴り続けていたね。お風呂に入れないのに汗まみれになるのも構わず」

 「シルバー。ジンに敗れ、1人離れ、出ていく時にどうして他の仲間の誰も気づかなかったか。そして何かにその様子を見守られていることに気づいていたんだろう?」

 「ゴールド。能力者として成長しない苛立ちを、海に向かって叫んでいたことがあったね。その後にガラでもないって笑っていたけど、結構いい表情してたよ」

 「イエロー。旅が始まってから、たまに眠れないと僕につぶやいていたね。能力で眠るのは睡眠欲には影響しないのだが、心というものは不思議なものだ」

 「ブルー。初めから僕のことを警戒し、仲間にさえ自身を演じてみせた。どこまでが本気なのか、逃げでもあり攻めてもいた。それでも時折見せる素顔は可愛かったかな」

 「グリーン。もう少し素直になった方がいい。吐き出さなければ、身体だけでなく心にも毒だ。傍から見ればやきもきしてしまうくらいで、そういう視線に応えるべきだ」

 「レッド。皆を引っ張るリーダーとして、能力者として、よくここまで来た。あの夜に吐き出せた弱音があったから、かもしれないね」

 それはガイド、シショーにしか見えなかった・見せていなかった一面
 大切に思う仲間だからこそ、見せられないこともある

 そのすべてを、ガイドは把握している
 シショーとして、もしくはシショーとして隠れ見聞きされていた事実


 「お前は・・・・・・」

 「君達のガイド」

 「そうじゃない。敵なのか」

 振り払うように、手をふりかぶりレッドはたまらず聞いた
 そう、この場にいる以上、敵か味方かは明確にしなければならない

 彼は少し面食らったようだ
 まるで、そんな質問をされるとは思ってもいなかったというような表情だ

 「君達の最後の敵は、玄武だろう? そう、最初からそう言っているじゃないか」

 「じゃあ、お前は・・・・・・シショーを名乗るお前は、今更、なんで出てきた!」

 「それも、喋れるポケモンになりすまし、他地方の御曹司のダイゴになりすまし、そうして正体を隠していたのは何故だ」

 敵でないのなら、どうしてこのタイミングで出てきたのか
 わからない、わからない

 「お前は、誰だ」

 「ガイド。そして、『黄帝・ファウル』」

 勿体ぶることなく、そうしてあっさりと返した
 まるで敵側の、四大幹部のような名前をつけて

 「東西南北という方位、春夏秋冬という季節を司る四神。それらの中央を司る、彼らの指針となる存在」

 「・・・中央・・・」

 完全に、組織側の人間だ
 それも、その口ぶり、称号、方角を決めるという立ち位置から・・・・・・


 「組織の、本当の・・・・・・真のリーダー」

 「嘘だろ・・・シショーが、ダイゴさんが・・・・・・!?」

 「ちが、ダイゴさんはメタモンのへんしんで??」

 「マイクも機械もなしにポケモンが人語をまともに喋る事例なんて・・・何かの能力なの!?」

 完全に場が混乱している
 無理も無い

 しかし、突きつけられていることはすべて真実だった
 今まで信じてきたことが、瓦解した

 
 「玄武が最後の敵で、僕は君達の敵じゃない。この言葉に偽りはない」

 ファウルと名乗る青年がレッド達に淡々と、諭すように言う

 「どうしたら理解してくれる?」

 その身を差し出すように、両手を拡げて見せる

 「ポケモンバトルでもするかい」

 それはごく普通のお誘いだった
 とんでもないフィールドや条件が付きつけられるわけでもない、街の子供達が友達に笑って野球しようぜと声かけるような自然さがあった

 だが、その言葉ひとつ単語ひとつがまるで弾丸のようにレッド達を貫いた
 例えるなら強者が放つプレッシャー
 しかし全身を縛り動けなくするような風圧の類ではなく、的確に急所を撃ち抜く大砲のようだった

 戦意を、確実にそいでしまう
 無闇矢鱈と吹きつける台風にも耐えるしなやかな草花を、指でつまんで折るような繊細で圧倒的な力の使い方

 「ぐ・・・ぅ」

 他人の指が自分の喉をかきむしるような不快感と容赦の無さ

 この男も、危険だ
 四大幹部や四高将、十二使徒や幹部候補達・・・強力なトレーナー能力を持つ人間をひとつの組織に収めておける器と力
 頂点に立つ者としての資質が、確かにある


 「どうしたの? ポケモンバトル、するのしないの?」

 ファウルと名乗る青年はボールからメタモンを出した
 相手がポケモンを出した、つまりはポケモンバトルが成立する

 「っくぞ、ごらぁあああ!」

 ゴールドが力み、キマたろうを出した
 メタモンの戦法は基本的に後出し、へんしんというワンクッションを置かなければ他の行動に移れない
 そして、へんしんさせてしまえば、ボールに戻さない限りへんしんは使えない
 後出しの上に応用が利かない、だから耐久性が低かったりタイプ弱点の多いポケモンと対峙させるのがセオリーなのだ
 
 「キマたろう、ヴァリオスロウ!」

 びしっと指差し、ゴールドは自身の特能技を指示する
 相手がどんな能力を持っているかわからない以上、少しでもダメージを与えるか出方をうかがえる技がいい
 ヴァリオスロウなら速さも威力も申し分ない

 
 「・・・・・・」

 ゴールドの動きが止まった
 キマたろうの攻撃も止まっている

 「・・・・・・」

 彼らの挙動を見守っていたレッド達は、何が起きたのかわからず固まっていた

 互いにポケモンを出しあった、この時点でポケモンバトルは始まっている
 それから技の指示をした、ポケモンはそれを聞いて出す

 はずなのに、キマたろうは動かない

 「ゴールド、気をつけろ! メタモンによる攻撃はもう始まっているのかもしれん!」

 「っ! メタモンの身体は柔軟性と伸縮性のある、軟体! キマたろうの足元とかにも注意して!」

 ジムリーダーとして鍛えてきたグリーンと、経験あるクリスの助言が飛んだ
 それを聞いてゴールドがおう、と応えるが、それでもさっぱりだった

 レッドは、今のキマたろうの挙動に見覚えがあった
 そして、それはブルーも同じだった

 あれはそうだ、シルフカンパニーの時と同じ

 ブルーが、メタモンでナツメに変装していて
 レッドは、それに気づかずピカで攻撃しようとして


 ピカは匂いで、その事実に気づき、攻撃をやめてしまった

 
 今のキマたろうは、その状態によく似ていた
 相手を敵と認識出来ていないから、攻撃することを躊躇しているのだ

 だが、どうしてそんなことになるのかがわからない
 もしもガイドことシショー、ヨルノズクの匂いをおぼえているのなら、今のメタモンには関係ない話
 キマたろうはボールのなかにいたから途中参戦したダイゴや、彼に変身していたらしいメタモンの匂いを知らないはず
 
 なのに、キマたろうは攻撃をすることをしない

 「―――それが、あなたのトレーナー能力なんですか」

 イエローがぼそりとつぶやく
 ポケモンの意思疎通をすることが出来る彼女には、何か感じ取れることがあったようだ

 そして、口をするのも厭そうに彼女は声を振り絞った





 「キマたろうを、返して下さい」

 彼女はそうはっきり言った

 皆がその言葉の意味を呑みこむまで、数秒要した

 
 意味を呑みこんだ時、ゴールドの表情が激昂のものとなった

 「テメェ・・・・・・! 泥棒野郎がっ!」

 「誤解だよ」

 あっさりと、まるで台風一過の涼やかな風のようにファウルと名乗る青年は返した
 掌を見せるように、ポケモンバトルの枠をはみ出して飛びかかろうとするゴールドに制止するように求める

 「僕の能力は『超シンクロ』。ポケモンと心をひとつにし、身体を共有することも出来る能力だ。逆も出来る」

 ポケモンと心を通わせ、ひとつとなるというのがポケモンバトルの極意と言われている
 ファウルの能力は、まさにその究極形といえよう

 「それが、相手のポケモンであっても・・・・・・か?」

 「そう。ポケモンが、機械もなしに喋るのもこの能力によるもの。舌の構造が違うから、ちょっと荒業なのは違いないけど」

 ことなげにも言うが、その能力は恐ろしかった
 言いかえればポケモンの心と身体を奪う能力

 ファウルと名乗る青年は言い続けていた

 『君達の敵じゃない』

 ああ、そうだ
 確かにその通りだ
 この能力の前には、敵も味方も関係ない

 全てのポケモンにとって、敵とも味方ともなれる
 勝ちも負けも、あってないようなものだ

 「最悪だ・・・!」

 シルバーがそう吐き出した

 レベルも信頼も世代も、何もかも無意味だ
 敵や仲間どころか主人公自身さえ危うい、こんなラスボスが出るゲームは即ワゴン行きに違いない


 「嘘・・・・・・」

 クリスが一歩、右足を下げた

 「本当に、そうなんですか」

 何かに気づいたのか、いやこの口ぶりはまるでファウルと名乗る青年のことを知っているかのようだ
 表情は驚愕と怯えが入り混じっている

 「どうしたの、クリス」

 優しくブルーが肩に手を添え、声をかけ、落ち着くように言う
 クリスは我に返り、ゆっくりと呼吸を整え、改めてファウルと名乗る青年の顔を見た
 
 「・・・・・・オーキド博士が言っていました。この組織を作った、中心人物に心当たりがあると」

 また組織の人間が所有するポケモン図鑑を作る為に、オーキド博士とウツギ博士はその知識をコピーされたりしたそうだ
 そういう機械によるもの・・・ではなく、とあるポケモンによるものだったと言った

 「レベル100のポケモンを持つトレーナーは、歴史上でも、世界に3人程度しかいないと言われています」

 狂っていまいそうな現実とオーキド博士の話が縺れあう記憶を、ゆっくりと静かにほどきながら言葉にして紡いでいく

 トレーナーなら誰もが夢見る最強のレベル100のポケモン

 「そのなかに、レベル100のメタモンを持つ研究者がいると・・・・・・」

 その言葉で、レッド達の視線は否応でも目の前の現実に注視されていく


 「昔、能力者の家族がいたオーキド博士と共に能力者迫害に反対し、立ち向かったこともある、と・・・・・・」

 確か、キワメ婆さんの話であった
 能力者にトレーナー人権を与えようとし、そして掌を返した時には世論と戦ったという・・・考古学を始めとするある高名な学者のグループがいたと・・・


 目に見える能力者の迫害があったのは、少なくとも20年も前の話だ
 オーキド博士と共に立ち向かったこともあるのなら、少なくとも目の前にいる現実と年齢が合わない

 「オーキド博士から聞いたのか。それも特に隠しているつもりはないよ」
 
 ファウルと名乗る青年は肯定した
 
 「考古学者という一面も確かに持っているし、僕のメタモンのレベルも100だ。
 記憶の読み取りは僕のメタモンの特殊能力でね。変身のメカニズムを使って対象の、脳の電気信号まで読み取れる。
 あとは僕がメタモンと超シンクロすれば、ほぼ同じ記憶・知識を得ることが出来る。完全ではないから、足りないところは自力で学んで補完するのだけれど」

 そう軽く笑うように言う
 このファウルと名乗る青年の言うことはどこまでが本気、いや真実なのだろうか

 容姿、声、表情、口調、雰囲気と好青年の条件は全て兼ね備えている
 話していることも、1+1=2になるというごく当たり前のことを話しているように錯覚する
 
 そうそう、と思い出したようにファウルと名乗る青年は付け加えた


 「ポケモンと心をひとつに出来るのなら、人間相手でも出来ると思わないかい」

 レディをエスコートするような優しい仕草で掌を差し出し、クリスの方を見た

 「やってみよう。さぁ目をつむって」

 クリスが固まり、目を見開いて動かない
 彼女の肩をつかむブルーの腕のなかで微かに震えている

 「まばたきでもいい。つむって。次に目を開いた時、キミは、」


 ファウルと名乗る青年はダンスを踊りきれず、彼の足を踏んでしまったレディに微笑みかけるように、穏やかにつぶやく


 「キミ自身を見つめているだろう」


 「「「クリス!」」」

 聞く耳を持つな、そういう意味で叫んだブルー、グリーン、シルバー
 そして、キマたろうを差し置いてゴールドが素手で殴りにかかるのはほぼ同時だった

 「おっと。危ないな」

 嫌みの無い笑顔でファウルと名乗る青年はゴールドの拳を避ける
 
 ブルーはクリスを強く抱きしめ、落ち着くように囁き続ける
 その様子をイエローはおろおろしつつ、非難する目でファウルと名乗る青年をねめつけている

 「大丈夫だ、クリス。もし、あいつがそんなこと出来てるのならとっくにやってるって」

 レッドがそう言いきった

 トレーナー能力は、あくまでポケモンに対する何でもありな能力
 対人間、それもポケモンも介さずにトレーナー自身で出来るはずがない

 「あいつは俺達の心を折りにきてる。怖いんだ。俺達がポケモントレーナーだから」

 ポケモンと人間の絆が起こす奇跡、そういう不確定要素
 万が一、そういう可能性がこれまで多くの事象をひっくり返してきた

 雲の上の実力に感じられた四大幹部達も、曲がりなりにも肉薄し、退け、今レッド達はここにいる
 ポケモン達がたとえファウルと名乗る青年のことを敵と認識出来なくても、トレーナーであるレッド達は間違えない


 ここにいるのは、まぎれもない敵だ

 これまで出会ったなかでも、とびきり最悪な能力者

 「心を折る? どうして、その必要がある」

 間入れずにレッドの答えを否定する
 ファウルと名乗る青年は聞いて、答えた

 「ポケモンバトルにもならない相手、ましてやキミ達は必要な人財なのだから」

 ファウルと名乗る青年とは、決してポケモンバトルが成立しない
 一方的な権利を持っている
 
 「キミ達は、大事な人財だ。今は1人として欠かしてはいけない」

 レッド達を1人1人を右から順に見ていき、ファウルと名乗る青年がそのまま身体を回し、ぐるりと視線を一周させた
 その行動に意味を見出せなかった、ピンとこなかった

 ファウルと名乗る青年とレッド達以外、ここには他に誰もいないというのに


 ここには


 「・・・!」

 ファウルと名乗る青年の視線の意味、それはこのキューブの外
 これまで戦ってきた組織の人間に向けられているものと、わかった

 「誰1人、欠かしてはいけない」

 ファウルと名乗る青年は遠くへ囁くように、近くへ語りかけた

 「それが、この最終決戦のあるべき結末」

 この戦争の結末は既に決まっている
 ただ、個人の勝敗が決まっていないだけで

 「キューブ、捕虜、主」

 戦いの土俵を作った時点で、気づくべきだった
 これは、だから、『ゲーム』なのだと

 「すべて、」

 グリーンが気づき、そしてファウルと名乗る青年はそれを遮って言ってのけた


 「この戦いの目的こそ、キミ達の覚醒が最終段階、そしてこの組織にいる人財と引き合わせる為だ」

 顔合わせ

 「『組織』という形にしたのも、敵をひとつにまとめることで出会いをスムーズにする為だ」

 「玄武を退け、最終決戦が終わった今、でかく大雑把にまとめあげられた組織はいらない」

 「現時点を以て『The army of an ashes cross』は解散。カントー地方やジョウト地方、オーレ地方は救われる」

 「キミ達は旅の目的を果たしたんだ」

 パチパチパチ、とファウルと名乗る青年はレッド達へ惜しみない賞賛の拍手を送る
 それから手を止め、小首を傾げてみせた

 「当然、キミ達の旅もそういうことだ」

 本当に潰す気なら、四大幹部に初めから命じればいい
 だが、そうしなかった

 初めから勇者に跳びかかる魔王、ゲームシステムとしてはありだろう
 だが、手垢がついている

 だからこそ、四大幹部を最初に出した

 要所要所で彼らを差し向け、印象付ける
 目標とし、倒すべき相手だと、痛感させる

 そして、最終決戦の地まで導く
 誰1人欠かすことなく、登場人物のレベルを上げて、全員出して、この戦いを終結させる

 その為に、あらゆるものを舞台装置に組み込んだ
 いや、巻き込んだ

 「その為だけに・・・・・・!」

 「カントーも、ジョウトもっ、街の人達も・・・・・・!」


 勝つことも負けることもどうでもいい、ただゲームをやる人間に全てを見せる
 コンテニューやセーブ、イベントをシステムに取り入れることで、途中で下りたりさせず、最後まで飽きさせることなく

 「ゲームだ。この戦いは最初から、キミ達に向けられたゲーム」

 『Gray War』というタイトルがついた、ゲームなのだ
 最初から、そう告げている

 「っざけんな・・・!」

 ファウルと名乗る青年に、ゴールドはつかみかかる
 しかし、それはあっさりと避けられた

 ゴールドは追いかける
 しかし、あと半歩ずつ足らない

 「こなくそっ」

 ゴールドが飛びかかったところで、ファウルと名乗る青年は後ろに一歩大きく跳んだ
 まるで読んでいたかのように
 
 「へっ」

 ずしゃ、と思い切り顔を地面にこすりつけて泥まみれになりながら、彼は笑った
 ファウルと名乗る青年の跳んだ先に、音もたてずにシルバーと彼を運んだニューラが回りこんでいる
 シルバーのひねった身体、止まっている拳から「勢い」を予感させる

 冷静な顔をしていて、実は大分キレていた
 ゴールドを利用しているようで、その実、お互いを信頼し合っていた

 絶対のタイミング

 こいつは、一度ぶん殴ってやらないと気が済まない

 そう同調していたのはブルーも同じ
 シルバーの身代わりに、自分のメタモンでシルバーの人形を作っていた
 超シンクロとやらで悟られる前であれば、一瞬でもいい、誤認させる為に


 「何をしているんだい」

 それは問いかけだった
 ファウルと名乗る青年はシルバーの拳を避け、そのまま横へ避けた
 まるで柳か紐を相手にしているように、拳の勢いを利用して避けたような感覚すらおぼえる

 「どこまで強くなれるか。プレイヤーが利用出来るシステムには限りがあり、僕がチートやバグを担っている」

 つまり、プレイヤーの強さも行動も全て想定の範囲内
 
 こんなコンボがある、こんなところに隠しアイテムがあった
 そうシステムしたゲームマスターを前に、はしゃぐプレイヤーを見ているかのようだ


 違う

 そこからだった

 「きゃっ」

 ブルーが、殴られた
 隣にいたシルバーに、殴られ、倒れた


 「・・・っ!」

 ゴールドは訳がわからなかった
 ファウルと名乗る青年に避けられたシルバーが、液体のように崩れ落ちていく

 
 ブルーを殴ったのは、本物のシルバーだった

 ファウルと名乗る青年に殴りかかったのが、メタモンだった


 いつから入れ替わっていた
 直接的な戦闘ではないとはいえ、ポケモンを作戦に絡めたのが失敗だったのか
 
 違う
 そこじゃない

 そもそも入れ替わったところで、シルバーがブルーを殴る理由がない
 彼の殴った頬が、わずかに赤くなる程度だったが、それ以上に衝撃が大きかったようだ

 ブルーに抱きしめられているクリスの視線が、シルバーに突き刺さる
 愛する姉を殴ってしまった彼の拳が震え、その努めて冷静な表情が崩れる
 
 「姉さんが、姉さんが、」

 頭を抱え、シルバーが膝から崩れ落ちた
 理解出来ていないのではなく、理解しているからこその挙動に見えた

 「ファウルに見えたのか?」

 レッドの優しい声が、シルバーに問いかける
 クリスにやろうとしたことは、ハッタリではなかったのだ

 「違う。俺は、俺の意思で・・・・・・姉さんを殴っていた」

 信じられなかった

 「―――」

 それ以上、シルバーは何も言わなかった
 口に出せないほど、彼は苦悩していた
 操られた、という自覚が本当にないのか必死で自分のなかを探っているようにも見えた

 ゴールドが突っ込んだのは何だったのか
 
 仲の良い姉弟のような2人ではないのか
 

 「そうだ。理由も形もどうであれ、行動として出された意志は尊重される」

 ファウルと名乗る青年はどこまでも穏やかなのに、目、耳、口元だけと一部分を切り抜いてみると、その実は無機質だった


 やってはいけないことをした時、魔が差すと言う
 ファウルと名乗る青年は、それを引き出してしまうのだろうか
 わからない、だからこそ聞きたい

 「お前は何なんだ」

 「黄帝ファウル。キミ達を導くものだ」

 哲学に似た問いかけに、ただ答える
 どこまでも淡々に、サクサクとテンポよく進んでいく

 当然だ
 それらはすべて、問いかける前から決まりきっているからだ
 Aボタンを押して、会話を進めるように

 「そして、シナリオを進める為には何にでもなる」

 「どんな境遇、立場にでも身を置こう」

 「悪事の元凶にもなろう。救済も行おう。マッチポンプにもなろう」

 「どんな境遇、立場に置かれよう」

 「味方にもなろう。敵にもなろう。中立にもなろう」

 「弱者に媚びよう。強者にへつらおう。我を捨てても、執着すべきはシナリオの遂行だけ」

 連なる黄帝の言葉

 ストイックな狂信者、そういう意味ではディックに近いかもしれない
 そうだディックが心酔していたのは玄武じゃない、ファウルと名乗る青年だ
 それは間違いない、確信出来る

 だが、こいつはそれを否定したくなる
 こいつは、そういう生易しいものじゃない


 ポケモンバトルは成立させず、人間の拳も声も意に介さず届かない
 弱者の境遇を装い矛として、平和的な立場をさらけ出して盾にする

 ファウルと名乗る青年に対し無理を通せば、その人は望まない自分を得る
 愛するものを守る為に斬りかかれば、ファウルと名乗る青年はその人の愛する人の盾になるだろう
 憎むべき敵と斬りかかれば、ファウルと名乗る青年の窮地を救うこととなるだろう

 行動に移した時点で、理由は後からその自分のなかで作れる
 超シンクロという存在に限らず、かもしれないという0.000001%の疑惑が「そんな自分」を作ってしまう
 そうでなくとも、周囲の疑念が「そんな自分」の枠を作りだしてはめてくる

 しがらみがある限り、繋がりがある限り
 人は逃れられない


 人間社会に身を置く限り、ファウルと名乗る青年は無敵だ

 倫理、社会、思想、ポケモン
 人間が作り、たどってきた道そのものを武器とする

 それでいて自己の地位だけは確立させる
 皇帝なのだ、紛れもなく強者の立場にいる


 このファウルと名乗る青年は、いやこいつは、人間じゃない

 ましてや神でもない


 人ニアラズ

 神ニアラズ


 『非じん』
 それが不測、未踏、無尽に続くファウルと名乗る青年の持つ二つ名

 
 掛け値なしの、とびきりの最悪
 
 「そろそろ時間になる。逃げるんだ」

 ファウルと名乗る青年は、レッド達に話しかけた
 
 「誰1人として欠かすわけにはいかない」

 「お前は何をい」

 ファウルと名乗る青年が手を拡げると、レッド達の足元が揺れた
 ごがん、と掛け金がはずれるような大きな音と共にキューブの壁が凹んでいるのが見える

 「あれだけの攻防があって、何も起きないと思ったのかい」

 「!」

 ここは海底
 キューブの内部を破壊すれば、外圧に耐え切れず崩壊する
 
 「壊れることを想定して作ったんですか」

 玄武との攻防に耐え、なおかつ壊れる程度に

 「キミ達と話す時間を作るためだ」
 
 予め想定されていたことに、ファウルと名乗る青年は顔色ひとつ変えない
 ここがどれほどの深海かわからないが、ポケモンか何かで切り抜けられる故の余裕だろうか

 「・・・・・・」

 グリーンが踵を返し、ファウルと名乗る青年に背を向けた

 「行くぞ、皆」

 「えっ」

 その鋭い目で、皆を見てから彼がそう言う
 この状況で、あのファウルと名乗る青年に背を向けられるのは相当な勇気がいるだろう

 「あいつは俺達を逃がすと言った。誰1人欠かすことはしない、と。
 なら、そうさせてもらうだけだ」

 「あいつは敵ッスよ!」

 ゴールドが起き上がり、ファイヤーの入ったボールを握りしめる
 伝説のポケモンなら、あるいは超シンクロを跳ね返せるかもしれない

 「だが、今は確実に戦って倒す手段が思いつかない」

 それに、とグリーンが間を入れず続ける

 「水圧は侮らない方がいい。下手をすれば、このキューブごと一瞬でぺしゃんこになる。
 それに、もしかしたら崩壊はここだけではないかもしれない」

 「!」

 あらゆるものを巻き込んだファウルと名乗る青年が、最終決戦の〆としてここを放棄し、破壊する演出も充分に考えられる
 そういう可能性を提示することで、まだ残されているオーキド博士やカントーやジョウト地方の住人を救い出す必要が出てくる

 ジョウトジムリーダーが見たという、空っぽの地方
 
 何百、何千万人もの人間をどこかに閉じ込めている―――という悪夢のような話が現実にあるのだから

 望まないのに、望みたくないのに理由が生まれる
 
 どこまでもままならない

 
 「・・・俺はここに残るよ」

 そうつぶやくように、はっきり言ったのはレッドだった
 グリーンはゆっくりと、その鋭い目で振り返り見る

 「いや、残ったところでどうなるってもなじゃないけど」

 レッドは笑うような朗らかな表情で言った後、眼差しは力強く口元を引き締めた


 「俺は戦う者だから」

 その言葉に、グリーンは再び前を向いた
 レッドに背を向け、彼はこのキューブのワープ装置へ向かう

 「問題無くそれは作動している。行先はカントー、そしてジョウト地方の人達がいる収容キューブだから」

 収容
 わかりやすく、それでいて聞きたくない響きだ

 グリーンの後にブルーが、クリスが続く
 立ち上がったゴールドがシルバーを引き起こし、その挙動に怒りをにじませているのを隠さない
 そして、イエローは続こうと振り返ろうとして、くるりと身体を一回りさせる


 「ボクも残りますね」

 レッドは何か言いたそうな表情をして、それから息をひとつついた
 言っても言わなくても、残ると思った


 グリーン達はそうして、ファウルと名乗る青年と玄武のキューブを後にした

 
 「四大幹部/玄武、無尽グライドの渓谷キューブ」
 侵入者チーム、勝利


 ・・・


 グリーン達が跳んできた先は、エレベータの扉の前だった
 クリスもシルバーも肉体より精神にダメージはあるものの、自力で立ち上がっていられるくらいには回復していた
 ブルーもゴールドも、グリーンも2人に対して慰めも叱咤もしない
 信頼しているから、声をかけないのだ

 「目の前に扉があるんだ。開いて、進むほかないだろう」

 カチッとエレベータの▽ボタンを押すと、すぐに扉が開いた
 目の前の箱は格子網になっていて、向こう側の景色がすぐに見える

 「おいおい」

 金網の向こうに見えるのは、灰色を帯びた白く巨大な箱
 違う、あれは・・・・・・超高層ビルの群れだ


 「海底にこんなもん作るなよ・・・」

 大規模かつ大がかりなキューブの数々、そのなかでもこれは極め付けだった
 静かに下りていくエレベータからのぞく光景は、どんな大都市だって見ることの出来ない壮観さ
 少しばかり近未来を思わせる、現実味のない超空間

 「地方2つをまるごと、何千万という人間を閉じ込めておくんだ。・・・これくらいはあるだろう」

 シルバーが冷めた目で、未だ底に着かないエレベータの壁にもたれかかりながら言った
 大地と海の割合は3:7、更に大地のなかにある人間が住める場所は半分いくかどうか
 それだけで考えれば、海底という大地には地上には作れないどんな巨大なものでも作れる


 この数ヶ月間、カントーとジョウトの人間は、組織にとらわれ、ここでの生活を強いられていた
 反乱など起こさせず、逃がすこともなく

 「早く、解放してあげましょう」

 クリスは胸の前でぐっと握りこぶしを作り、頷いた
 これで戦争は終わりなのだから

 エレベータが下に行くにつれ、皆は押し黙った
 何か思いついても、口にしなかった
 折角見える金網の向こうの景色を、見たくないように目をつむった


 チン、といつもの音がして、エレベータが下に着く
 エレベータのなかにいても、外の景色は変わらない

 意を決し、その箱から皆が下りる


 「・・・・・・」

 そして、人の気配がまるでないことを実感する
 道路に塵ひとつ落ちていない、街路樹だって一本もない

 グリーン達が何かを言う前に、その答えはきた

 「察しの通り、これは街ではない」
 
 高いところから、まるで雷のように響く声がグリーン達の耳に届く

 「収容キューブだ」

 そこにいたのは幹部・十二使徒が長、ドダイだった
 人ならざる巨大さに知らないグリーン達は身構え、知るゴールドは棒立ちのままだが少しびびっていた

 「まさか―――」

 予感していた、ここの眺めをエスカレータで見て気づいてしまった


 何千万と言う人間をひとつのところへ閉じ込めておいて、何も起きないわけがない
 反乱も暴動も、脱出を試みるものだって必ず現れる
 いくら強大な暴力を持っていようと、それ以上に数が圧倒的過ぎる
 
 クリスの見たオーキド博士達のように、アーシーの能力で逆らえないように洗脳めいたことする?
 ありえない
 それだけのことを何千万人に完全に行うのは、無理だ

 出来るようにする増幅装置があるなら、武力で制圧する必要はないのだから
 
 だから、あくまで彼女の能力は補助
 全体的な意味での、補助

 シナリオに必要と思われる人間を除いて、他の人間達は・・・・・・

 「眠らせているのか・・・!」

 「そうだ。ここにあるビルはカプセルホテルのような、個別の収容部屋となっている」

 近未来の技術で、挙げられるもののひとつ

 コールドスリープ

 しかし、ただ眠らせればいいわけではない
 眠っている間にもお腹は空くし、体力だって消耗するのだ


 「そんな技術、あるわけが・・・・・・!」

 「ある。ただし、不完全ものだ」

 ドダイは淡々と、轟々と声を響かせる

 「・・・まさか、それ」

 ブルーが、その考えを振り払うように首を振り、しかし厭そうに口にした
 

 「モンスターボールのこと?」

 「!」

 ポケモンを捕まえ、小さくしてしまう魔法のような道具
 そのなかでも確かにそのなかでポケモンは生きていて、暴れても滅多に壊れない
 
 もし、それを人間に利用出来るのなら・・・・・・

 「違う。冬眠を引き起こすようなものだ」

 明確に否定し、ドダイの口から簡単に説明される
 「点滴もしくは経口で栄養を与え、電気的な刺激を与えることで肉体の衰えを送らせる」と
 
 「理論的にゃ出来なくはねーかもしれねーけど、んでも滅茶苦茶過ぎるだろ!?」

 ゴールドの訴えもその通りだ

 「きちんと生かしてあるんだろうな?」

 グリーンの言葉は非情だが、正しい
 キューブ内、最終決戦でいえば捕虜に近い扱いだが期間が長すぎる
 何千万人を、ただ冬眠させるだけでどれほどかかるものか

 「―――数か月の内に老衰で死んでいったものは1087人、病気にかかったものは125人、生まれた赤子は782人」

 「・・・・・・っ」

 「なんだよそれ、なんだよそれっ」

 自分達の街を襲われ、追われ、眠らされた上に・・・・・・大事な一瞬を奪われた
 他にも、この数か月に出来ることしたいことが沢山あった人達がいるだろう
 結婚、大事な人との約束、お見舞い、デート、仕事の契約、期限・・・


 それらを、すべて、すべてが潰えてしまった

 たった1人の、ファウルと名乗る青年の掲げる『シナリオ』の、その都合の為だけに

 「・・・ッ、てめーら・・・てめーら・・・!」

 言いたいことが、口に、言葉にならない
 その代わりに震えてくる

 もっと早く、この最終決戦までやってこられたら・・・!

 「なんでっ、あんな奴の、あんな奴らの言うことを聞いてるんだっ!
 沢山の人達を不幸せにしてっ、戦争引き起こしてまでっ、シナリオにそんな価値なんてあんのか・・・っ!」

 未だにわからないままだ
 シナリオで、何をしようとしているのか
 この最終決戦すら、ただの顔合わせに過ぎないとまで言ったのだ

 問題は、まだこの後に控えているということではないのか


 「ならば、戦争など起こさせるな」

 ドダイが声を頭上から落とした

 「一部の権力者が、大勢の人生や時間を理不尽に奪う」

 「そういったことがあってはならないというのなら、お前達大勢の人間がそういう道を選び続けなければならない」

 「大多数の人間が我もなく、自らで選べないから、こうした事態が起きるのだ」


 戦争といった問題を引き起こさせない
 その為に真実を見極め、権力者が作った警察や消防といった組織・機構、選挙というような制度を最大限に活用し利用する

 いかに黄帝という存在でも本当の意味では無敵ではない、『個人』であるという限界がある

 顔合わせに必要なだけではない、そういうものを補う駒として組織は必要だったのだ
 

 シルバーが右手を横一戦に振り払い、巨人に対し一喝する

 「そんなのは詭弁でしかない。
 答えろ。俺達、いやお前達は、これからどうやって、ここにいる人達を解放するというんだっ」

 一斉に起こせばパニックは必至、しかし悠長な時間があるとは限らない
 ここは海底なのだから

 ドダイは、シルバーの問いにわずかに口の端をつり上げた
 あまりにも巨躯な上にあるその表情は4人には見えなかったが、ようやく本題に入れるといったものだ


 「このキューブを浮上させ、地上へ戻す」

 「浮かせる!?」

 斜め上の答えだ
 そういうことが出来る構造なのか、それともそういうつもりで作られていたのだろうか

 「どーやってっ! このばかでかいキューブを」

 「我らが幹部・十二使徒のチカラがある」

 人の気配が、倍以上に増えた

 グリーン達の背後に、これまで倒してきた幹部・十二使徒が勢揃いしていた
 これ程の接近に気配を悟らせず、しかし一同に揃うとそれがおかしいくらい相当濃い面子なのがわかる
 
 「12のエネルギーを増幅させて、このキューブを浮かせる」

 これまで見てきたエネルギーの合成は最大でも8種、単純に考えればその1.5倍は見込める
 そして、それを行うのは最高峰のトレーナー能力者達

 何千万もの命が収容されたキューブそのものを、海底から海上まで持ちあげる
 字面からすれば、まるでノアの箱舟のようだ

 可能、かもしれない
 
 少なくとも、これまでの戦いでそれくらいは出来てしまいそうな予感がある

 「足らなければ、四高将様方のおチカラも借りよう。だが、我らだけで為し得てみせる」

 そう言い切るドダイの背中は、まるで強固な崖のようだった
 広く、逞しく、意志に覆われている

 初めて会った人でも、これまで話しただけでもわかる
 見た目こそ人外だが、その内は確かな実力と人格があることに


 「あなた達は、本当に、どうしてあんな人についていってるんですか・・・?」

 それだけにわからない
 どうしてあの黄帝に、誰1人として逆らわないのか
 個人である限界を知りながら、誰1人として繋がらなかったのか

 ドダイはその背を向けたまま、クリスの言葉に応える

 「ここにいる我らと、1人でも戦ったのならばわかるはずだ。
 我らに迷いはない。それぞれに、この組織にかける想いがある」

 能力者の歴史、そうでなくてもここにいる人間達は一度以上、それ以外のことでもおぼえがあった
 そう、自分自身が『個人』や『少数』であったが故に―――


 「組織は解散する、そう黄帝が言っていたが」

 「ならばそれも受け入れるまで」

 あっさりと肯定した
 カントーやジョウト地方を制圧する程の組織という大多数を捨て、個々に戻されることを

 「―――だが、我々には絆という繋がりがある。お前達と同様に」

 黄帝の、本来の意志からは離れているのかそれとも狙い通りなのか
 もしかしたら黄帝ではなく自分達の意思とはかけ離れ・誘導されたものなのか・・・・・・すべて良い様に解釈させられる

 しかし、どんな解釈であれ、その意志は全員同じのようだ
 レッド達とはひと味もふた味も違うが、そこには強固な繋がりを感じられた
 
 「いずれまた、会うこととなるだろう」

 ここに集う強敵達が、再び現れる
 その言葉には予感、いや確信があった


 「ここは我々に任せるといい。お前達は、お前達の仲間の元へ行け。
 ワープパネルは、そこの角を左に曲がったところだ」

 ドダイ達、幹部・十二使徒はその場から立ち去っていく
 音もなく他の11人がここに現れたのは、消音術とか気配遮断のスキルではなくワープ装置の賜物だったようである

 同じ人間なのだから、どんなに強くても不思議であっても、タネも仕掛けもある
 そして、同じように肉体も精神も傷つくものなのだ


 「・・・・・・」

 まるでこの灰色のビル群は、墓標に見えた
 
 なかで眠っている人達、そしてその大多数に苛まれた人達両方の墓標
 
 「・・・四高将のチカラを借りる、と言った。つまり、ガイクやカンナ達との戦闘も終わっているということだな」

 これまでの話が真実なら、そういうことになる
 早く迎えに行き、そして・・・・・・レッド達をもう一度迎えに行こう





 「収納キューブ」
 侵入者チーム、退去


 ・・・・・・


 次に跳んできたのは、竹林キューブだった
 しかし、もはや元・と付きそうな程に凍てつき、力任せに叩き壊したようにボロボロになっている

 「・・・意味があるところに跳ばされている、ようだな」

 グリーンを先頭にふぅっと白い息を吐き、5人はざくざくと凍った竹の葉を踏み鳴らして奥へ進んでいく
 そして、不意にばったりとガイクと出くわす

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 あまりにも唐突で、何を言ったらいいのかわからない
 ガイクの頬に真新しい傷が出来ていて、わずかに血がにじんでいる

 「・・・勝ったのか?」

 「千日手になって、突然お開きになった」

 局面が一向に進行せず、シナリオ進行に必要なバトルでもなかった
 玄武の間に行くに必要なのは、他の四大幹部を倒すこと
 幹部・十二使徒や四高将はその前哨戦、侵入者のレベルアップ要素でしかない


 「お前らの方は、勝ったんだよな?」

 「そう言っていいものか・・・」


【レッド】
マストラル&ネオ(幹部候補) ○
クレト(幹部・十二使徒) ○
バンナイ(幹部・十二使徒) ○
カータ、ルネ(破壊&再生) ○
ディック(四大幹部) ×
玄武(四大幹部) ○

【イエロー】
マストラル&ネオ(幹部候補) ○
ポー(幹部・十二使徒) △(通行許可)
タケトリ&キョウジ(四高将) ×
オーキド博士&ウツギ博士&ナナミ ×
リサ(四大幹部) ○
玄武(四大幹部) ○

【シルバー】
サイトウ・ガンマ(幹部候補) ○
ルシャク(幹部候補) ○
チトゥーラ(幹部・十二使徒) ○
ジン(元・幹部候補) ×
オーキド博士&ウツギ博士&ナナミ ○
サカキ(八角) △
玄武(四大幹部) ○

【クリス】
ウマカタ(一般) ○
メグミ(幹部・十二使徒) ○
アーシー(幹部候補) ○
タスカー(幹部・十二使徒) ×
オーキド博士&ウツギ博士&ナナミ ○
玄武(四大幹部) ○

【グリーン】
ウマカタ(一般) ○
ワグナ・レホウ(部隊長) ○
ジャチョ(幹部・十二使徒) ○
ブレイド(元・幹部候補) ○
リサ(四大幹部) ×
玄武(四大幹部) ○

【ゴールド】
クレア(四高将) ○
ドダイ(幹部・十二使徒) ○
ジーク(四大幹部) ×
玄武(四大幹部) ○

【ブルー】
トラップキューブ △
ロイヤル・イーティ(幹部・十二使徒) ○
トーヤ(部隊長) ○
ジャチョ(幹部・十二使徒) ○
フリッツ(四高将) ○
玄武(四大幹部) ○

 四大幹部のリサはグリーンが負け、イエローとサカキが勝って条件クリア
 ジークはゴールドの攻撃で、キューブ運営不可となったので条件クリア
 ディックはレッドの負けだが、通行許可が出たので条件クリア


 「ぶっちゃけ、他の幹部連中も助太刀とかで助かったこともあったし」

 「玄武だって、完全に勝ったとは言えない」

 ブルーを除いて、皆一度は敗北か途中でバトルをリタイアしている

 「その上の黄帝には、組織の解散を言わせましたけれど・・・」

 そうか、とガイクがつぶやく

 この『Gray War』という戦争で起きた悲劇などの補償は、誰もしてくれない
 住人の解放は当然のことであり、ただ元あったところへ戻してくれる、それだけだ

 元通りにはならない、絶対に

 竹林キューブの中央まで行くと、カンナとカリンが座って休んでいた
 元カントー四天王とジョウト四天王の紅一点が揃っているのは、なかなかに艶やかで華やかだ

 「しけたツラしてるねぇ」

 「終わったの?」

 「この戦いは、ひとまず終結しました。これから引き揚げます」

 事の顛末を、かいつまんでガイク達3人に話した
 そして、はずせないのが黄帝という存在だった

 「ふざけたやつがいたもんだ」

 「そういうのが一番厄介ね。また何か仕掛けてくるかもしれない」

 「とりあえず組織は解散。だけど、命を奪わない限り、向こうの幹部連中はまた・・・絆で繋がってくる」

 同情出来る敵方もいた、全然に出来ない敵方もいた
 言えるのは、本当の意味での勝者はただ1人、黄帝だけであるということ


 「・・・・・・組織に対して決着も、最後まで、灰色か」

 「黒に近い灰色だな」

 何ともすっきりしない結果となった
 それもシナリオ通りというのなら、腹に黒いものが溜まりそうだ

 「んで、とりあえず、地上に戻るのか?」

 「ああ、ワープパネルがあれば何とかなりそうだ」

 「もしくはテレポートでしょうか」

 組織の人間は、団服を持っていれば近くの支部までテレポートが出来る
 だが、反対のことが出来るとは限らない
 その上、ここまでテレポートで連れて来てくれたのはダイゴもとい黄帝のフーディンなのだから

 「ガイクの時は、こういう仕組みは無かったの?」

 「ああ。ワープパネル使って、普通に出口から外へ出たな」

 「となると、またワープパネルを使って跳ぶしかないが・・・」

 これまで順に跳ばしてくれているのだから、繰り返していれば出口まで連れて行ってくれそうだ
 確証はないし、黄帝の「誰も欠かさない」という言葉を信じるならそうなる

 ふと、ブルーがワープパネルの端末に手を触れる
 カチャカチャとキーを打ち鳴らし、う〜んと小さくうなって考えてみる

 「なんだ、どうしたんだい」

 「・・・・・・多分、これなら・・・」

 何か法則性を見つけたのか、と皆がパネルを覗き込む
 ブルーはそういうことじゃない、と返す

 「これ、前まで個別でランダムだったでしょ? でも、今はみんな同じ所へ跳んでくるようになってるじゃない?
 しかも、必要そうなキューブに」

 「そういえばそうだな」

 「それはこっちの都合じゃなくて、向こうの都合かなって思ったの」

 キューブ間のワープパネルも機械なのだから、複雑な命令より単純な命令である方がいい
 今までの個別で跳躍させるのは非効率で、すれ違いも生みやすい

 「なるほど。じゃあ、またワープパネル踏んで行けば」

 「まだ残っている侵入者のところへ跳ばされて、最後は出口まで戻れる」

 推測が確信めいたものに変わった
 しかし、こんな複雑なことをさせるなら、最初から出口へ一瞬で戻れるワープパネルがボス部屋の隅にあるのが親切設計というものだろう

 「おれ達、いやお前らに、見せておきたかったってことかね」

 ガイクが竹林キューブの惨状を見渡す
 百聞は一見にしかず

 四高将との戦いの傷跡、現状や空気と言った残滓を感じ取らせたかったのかもしれない

 「・・・・・・考えるだけ無駄だな」

 「そうですね。ここにいる間、強制的に付き合わされるんですから」

 とにかくワープパネルを踏んで、進んで行こう
 何があっても立ち止まれない

 カンナとカリンはグリーン達についていくことを拒んだ
 理由は『馴れ合いはここまで』というカリンの答えに、カンナが無言で同意した為だ
 ガイクだけが付き添い、先へ向かうこととした

 後で合流する、彼と彼女の為に


 ・・・・・・


 決着は未だにつかない

 拮抗状態が続いている


 「・・・・・・っ」

 黒い刃が猛る、嘶く、裂く

 ストライクの渾身の一撃、二撃、三撃、幾重にも折り重なる斬撃
 その一撃は必殺に値し、歴戦に裏打ちされたいかなる敵をも斬り裂く死神の鎌

 それを、災厄の獣・アブソルは逸らす
 湾曲した三日月のようなツノを使って、澄んだ鍔競りの音を鳴らしながら

 立ちふさがる『白髪の男』
 その姿にジークは被らないが、ジンは身体を大きく跳ねるように前進した

 「かげぶんしん」

 黒いストライクの残像がアブソルを囲む
 高速移動音と羽音が耳につんざめき、夜の闇で本体と偽者の影の濃さもわからない

 「・・・・・・」

 気を取られてはいけない
 襲ってくるのはストライクだけではない

 無言で隻腕の剣士が横一閃、災厄に斬りかかる
 
 疎かにしてはいけない
 斬りかかってくるのはジンだけではない

 2人が対峙してから、この拮抗状況はほとんど変わらなかった
 攻めて、逸らす
 互いが全力で以て、全力で敵の底を探り合っている

 ストライクもアブソルもジンも災厄も

 息をする間はある、しかし息つく間はない
 相手の間合いからわずかに外へ離れ、自分の間合いへ引き込む
 そして対峙する相手は同様に外へ離れ、引き込む
 がりがりと靴底を削り熱を持とうと、なおも2人はその眼を相手から離さない


 それは同時だった
 
 ジンと災厄は互いに、互いの間合いより一歩離れた地点まで引き、同様にポケモン達もそれぞれの主の下へ戻る
 この2人が対峙してから、初めて呼吸音が聞こえる程度の静寂がキューブに訪れた

 「その腕、何故捨てた」

 災厄が、戦いを及ぼす言葉以外を初めて敵に向けた
 ジンは返した

 「お前は何に未練がある」

 災厄に対するその問いは、彼の真実に貫いた

 斬撃と残響音で語り合い、名乗らぬまま互いの技量を認め合った
 だからこそ、その言葉が漏れた

 言葉にも心にもしない
 しかし、災厄はジンに語りかけるように視線を向ける

 ――・・・片腕と言うことは、その分だけ血液の保有量が少ないということ――

 体躯のバランスが悪くなることも然ることながら、血液の少なさは身体に負担をかける
 少ない血量で、運動によって消耗される酸素と栄養を運搬しなければならない
 理論的で暴力的な肉体の真理は、彼の不利を揺るがさない

 
 ジンは災厄を見下した

 ――・・・戦いのさなかに、お前は何を顧みている――

 時折、意識も視線も気迫もジンに向けていながら災厄は後ろを振り返る
 どれだけの達人だろうが天才だろうが、それはいただけない
 災厄の全身を覆うきつく締められた包帯、そして彼のなかに流れる濃い真紅の血はあまりに薄い
 
 次の一撃で、この戦いに幕を下ろす


 ジンが大きく息を吐き出し、身体の外を内へと絞っていく
 彼の相方も同様に、それに同調し呼応するように両腕の刃を鋭く漲らせていく

 ジンが片腕を落としたのは叱責や陶酔からではない

 機能美

 ただ斬るものだからこそ、刀は美しい
 
 ただその在り様に近づく為に、ジンは片腕を落とした
 
 ただ相手を斬る、その機能の為に

 例えば愛する人を抱きしめるような、片手間が出来る両腕はいらない

 刀を握るだけ、刀そのものという一本でいい


 災厄は大きく息を吸い込み、身体の内を外へ向けていく
 自らの筋肉の隆起で、彼を縛る薄汚れた包帯の一部がちぎれた

 血流を阻害していた干渉が途切れ、吸い込んだ酸素が今までよりも早く細胞へ供給されていく

 道筋を縛り上げられ、それでも負けることなくゆっくりと血液を押し流していた拍動がその勢いのまま彼の身体を奮い立たせていく

 押さえ込んでいた堰を抑え込む、開放するのはこの一瞬だけでいい





 2人が、ただ一撃の為に、静かにつぶやいた


 「レヴェル7」
 「『災厄』第二開放―――『災禍』」


 「キリサク」
 「ヤクチョウノウタ」





 ・・・・・・


 突然、レッドとイエローの頭上で何かが轟く音が響いた
 まるで雷か火山の噴火のような、巨大なエネルギーのぶつかり合いのような

 思わず上を見上げると、そこにあったはずの天井がなくなり、海水がなだれ込んでくるのが見えた

 「っは」

 息が詰まった、何万トンというレベルじゃない
 突然の事態に、理解が追い付かない
 まだこのキューブの横の壁はどこも壊れていない、決壊はまだしていないはずなのに


 「スペードの11とハートの12の戦いに決着がついたということだ」

 何のことなしに黄帝がレッドに答える

 「スペードの11は自身を一刀とし、その境地となったストライクと共に触れた壁も床をすべて一閃に斬り裂き、ハートの12は全方位の壁を砂のように破砕した。
 結果、このキューブの天井がなくなり、海水が雪崩込んできたわけだ」

 つまりこのキューブは2階建てであり、上での戦いで2階の床=1階の天井を先に壊してしまったらしい
 このままではこの場にいる全員が紙のように潰され、身体は引き千切れて海の藻屑となる

 大量という言葉では生温い、容赦のない冷たい海水が塊になって落ちてくる
 あの塊が一定ラインまで落ちてくれば、もはや1階部分の壁は一気に限界を超えるだろう

 ポケモンを出し、技で吹き飛ばす
 間に合わない、否、間に合っても圧倒的に確定的にエネルギー量が足りない
 
 海水よりも早く、足場を失ったことで2つの影が落ちてくる
 上で戦っていた2人だろう、ポケモンはボールに戻したかきぜつしたのだろう
 
 このキューブはレッド達の合体技と玄武の合成技で、やっと壁の何枚かを破壊したのに対し・・・・・・2人だけでそれをしてのけたのだ
 間違いなく、その実力はレッド達を遥かに上回る
 それとも何か仕掛けがあったのか、もしくは・・・・・・


 (「こうなるように、2階と1階でその構造を変えてあるか」)

 レッドが思ったことをそのまま黄帝は口にした、いや逆だったのかもしれないが今はどうでもいい

 1階の障壁を厚く多く、2階は薄く少なくしておく
 玄武との戦いである程度の壁を破壊した上でレッドとイエローが居残ることを想定し、そのにらみ合いを程良いところで区切らせるべく2階部分を壊してもらう為に
 2人の決着がつかなくても、1階はその壁ごとは崩壊する運命にあり───2階はどのみち終わりを迎える

 黄帝はレッドとイエローを見て、口の端を上げた
 いやその男は彼と彼女を通り越した、その遥か先を見据えているようだった

 上から落ちてくる2つの影を一瞬見上げた隙に、レットとイエローの足元が20pも浸水した
 しかし、それは上から落ちてきた海水ではないし、1階部分の壁が崩壊したわけでもない


 「お迎えにあがりました、黄帝ファウル様」

 足元が浸水されるよりも速く、黄帝の傍らにディックがいた
 どちらが先だったのか、因果律の逆転を見るような動き

 そう浸水は牽制を込めたクレアのポケモンによるなみのり、それに合わせてディックは先制することで時空を歪めた
 嬉しそうに、ディックは黄帝に極上の笑みを向けている
 親にも誰にも見せたことのないような、別人格を思わせるような表情にレッドが戸惑いをおぼえるくらい

 黄帝はそれを無視して、レッドとイエローに囁きかける

 「今なら、わかるだろう」

 その言葉を黄帝が言い終えた時、足元から世界が変わった
 
 白地の丘に黒色のまだらが這ったような、無機質な世界
 どこまでもどこまでもなだらかな白い丘、そしてどこか見覚えのある黒いまだら

 「ここは」

 「ここはシナリオの上だよ、レッド、イエロー」

 それはナナシマの時、描かれていた描写と同じ光景
 文字通り、それは白い紙に印刷された黒い文字が続く世界

 イエロー、とつぶやき終えた時、レッド達の足元はまた浸水されているキューブのなかへと戻っていた
 目がくらむ、足元がすくみそうだ
 白昼夢、そうとしか言いようがない

 言葉通り、黄帝のシナリオの上に立っているのだ

 淡々と唐突に、理解など不要と言わしめんばかりに事態は進行していく
 レッド達の思考を侵攻していく

 
 背後からレッドの頭を飛び越え、クレアが高い高い上空で落下してきた黒い袴の男を肩で受け止めた
 常人を遥かに上回る跳躍、それは足元で作ったひも状の海流によるものだ
 クレアが肩に担いだ男は動かない、意識を失っているようだった

 そのまま黄帝とディックの傍に降り立ち、レッドとイエローを一瞥してから踵を返した

 「さて帰ろうか」

 やるべきことを終えた、そういう面持ちで黄帝は傍らにいる2人に告げた
 
 このまま行かせていいわけがない
 そう頭で理解していても、イエローの足は動かなかった

 ポケモンを出しても黄帝の前では無力化されるだけ
 何も出来ない

 
 ばしゃっ、と水が跳ねる音がした
 
 レッドが、前に飛び出していた

 目の前にいるのは組織の頂点、四大幹部とその従者
 単騎でかなう相手ではないのは明白だ

 それでも、戦う者だから

 この戦いで泣いた人、嘆いた人、抗えなかった人達

 「レ、」

 そんなような為とか、大義名分を抱えているからでもない───


 頂点に無断で近づくものに対し、ディックもクレアも即座に臨戦態勢に入る
 そもそも足場が浸水されている時点で、ここは既に四高将・巽の領域だ
 何の策も、ポケモンも出さないままのレッドに万一の勝ち目もない

 「レッドさんっ」

 イエローの言葉は、どんな意味合いを持った叫びだったのか


 「―――」

 気づいた時には遅かった


 「っ、ぁあああああ」

 レッドの身体に衝撃が走り、うめき声が漏れた
 当然の結末だった





 ぱしっ


 電撃の鞭が、水上を跳ね、黄帝の頬をかすめる

 「黄帝っ」

 ディックがブチ切れるのを、黄帝は掌で制した
 何をしたのかは明白だった

 絶縁グローブをはずして、ピカの入ったボールを握り、充電させたのだ

 数万ボルトの電流がレッドの身体を走り、漏れた余波が黄帝を襲った
 
 それは無謀無茶を通り越した、失策でしかなかった
 数万ボルトの電流をその身に受けて無事でいられるわけがなく、身体を伝って足元の水に到達しても余波がどこに向かうかもわからない


 黄帝は理解する

 戦う者としての、挑戦


 だからこそ、届いたのか

 それとも、これもシナリオの内なのか


 「・・・・・・レッド。楽園で待つ」

 確かに、受け取った

 水に伏し、動かなくなったレッドに黄帝が声をかける
 ──まるでクールビューティな図書委員の女子が、意中の相手からラブレターを貰ったような静かなはしゃぎっぷり──
 そんな解をしたように、ディックはその表情を歪めて、手を出せないままレッドのことをいつまでもにらんでいた

 絶対的強者3人を目の前にしても、たまらずイエローが彼に駆け寄るのと同時に、後ろの方で大きな水音がしたので振り返ってしまう

 落ちてきたのは白い大男
 イエローが素早く、また前の方を向くと黄帝達の姿はどこにもなかった

 この多くの出来事が、あの海水の塊が落ちてくるまでに起きたことだと説明して、誰が信じるだろうか
 圧縮された時間のなかで、確かにレッド達は演じていたのだ


 海水の塊がキューブを震わせ、しぶきが雨のように床の水面に到達しだす
 イエローがレッドを抱き起しながら、後ろに落ちてきた白い大男の方を顧みる
 白というより薄汚れた灰色という服か、そして銀ではない色が抜けたというより染めたというに近い程の白髪

 その大男は膝立ちになり、もう起き上がっていた
 ふとその白髪から、どこかでおぼえのあるような瞳が見えた

 赤
 いや黄色の、左目

 黒の右目

 左右で色の違う目、いや左目は赤から黄色へと変わらなかったか
 見間違いかと思ったが、はっきりとそうであると直感的に分かった
 変わるのだ、本当に、瞳の色が

 思えばディックのブラッキーのように能力の影響を受け、体色を変えるポケモンはいた
 人間の瞳くらい、変わってもおかしくはない、のかもしれないと納得してしまった

 その大男の瞳が黄色は満月のような色合いで、どことなく自分の髪の色にも似ているとイエローは思った

 無言で、圧縮された1秒が過ぎた


 「あなたの・・・お名前は何ですか?」

 生死を分かつような時に、イエローの口から出てきた言葉はあまりに場違いなものだった
 それでも、今聞いておかなければならない気がしたのだ

 無言で、彼女の目が大男に対してつぶやく

 ―――あなたは、『災厄』の人ですよね。と

 自分の対となる能力者
 これまでに何度もこのことに触れる機会はあったのに、ただの一度も聞いたことがなく知らないままだった
 更に言えば身長差、状況、まともに顔を見たこともない


 ・・・膝立ちのまま、その―――災厄の男は


 災厄の視界が、世界が歪む

 深層意識からの警告

 喉元にこみ上げる不快感、その名前を口にすることを拒絶する

 一度は捨てたものだから、

 資格がないものだから・・・


 災厄の男の周囲の水が濁りだす
 海水の塊がキューブを揺らし、浸水した床を波立たせている

 「あ、あああ」

 塊で落ちてくる絶望

 ポケモンのまもるでも防ぎきれない
 ワープ装置まで、ドドすけやルーすけでレッドを乗せて運ぼうとするのももはや間に合わない

 災厄に名前を聞いた1秒が、命運を分った

 「ごめん、なさい」

 イエローが、きゅっと抱え込んだレッドを抱きしめる
 謝ったところで、許してはくれないだろう
 二度と会えなくなる、死は何よりも重い


 ・・・重なるような2人

 災厄の左目が、黄色から蒼色に変わっていく

 イエローのその姿に、何かを思い出す

 ―――
 「もう離れないように」
 「もう寂しくないように」
 「あなたを1人にしないように」
 ―――


 「・・・・・・」
 
 それは過去の約束

 災厄の左目の周りの血管が浮き出す様は、まさに彼自身を蝕んでいるようだ
 それを堪えるようにして災厄はイエローに向かい、掌を返し、差し出して見せる

 「来い」

 彼女の腰元にあるボールのひとつが、その突然の呼応にこたえた
 がたがたと震え、内部からひび割れ、ボールマーカーを破壊する


 飛び出したのはフリーザー

 舞う氷の翼が、周囲に水晶のような氷の欠片を落とす


 「あ・・・・・・・」

 この存在を、忘れていたわけではないけれど

 そうだ、このフリーザーは元々彼を選んだ彼のポケモンだった

 災厄が差し出して見せた掌を握ると、イエローとレッドの周囲に氷の壁が作られていく
 瞬く間にそれは出来上がる

 氷のバリアーボール
 2人を包み込むように、空気を含んだそれは深海でも押し潰されることなく海面まで浮上していくだろう
 
 「・・・・・・あ」

 海水の塊がキューブの殆どを蝕み、合成技と合体技で壊した壁ですら容易く砕いていく
 もう5秒も、保たない
 落ちてくる飛沫はもはや滝のようで、災厄はフリーザーと共に氷のバリアーボールを見下ろしていた

 「っ!」

 間に合わない、
 彼が、間に合わない

 イエローが氷の壁を叩くが、びくともしない
 それどころか冷たくもなく、氷というより水晶であり・・・・・・フリーザー渾身の力の結晶であることがわかる
 二つとして作れないだろうことも、わかった

 彼女がどれだけ叫んでも、外にいる彼には伝わらない
 無力だ

 あまりにも、無力だ


 氷の壁に額をぶつけ、イエローは彼を見上げる
 滝のような飛沫が外の様子を見えにくくし、またの彼の表情は見えなくなっていた


 それでも、彼が何を言おうとしているかわかった


 「ヤクウ」


 わかった途端、圧縮された時間は終わりを告げた

 海水がキューブの床まで到達し、氷のバリアーボールは海面へと浮上していく

 「っ! ッッ!!」

 キューブの壁面が壊された今、ここは光の届かない深海
 
 災厄の―――ヤクウがどうなったのか、見えなかったことだけが希望だった




 
 ・・・・・・


 玄武のキューブが消滅した同時刻、グリーン達は海上・・・島の、地面の上にいた

 ここは『すー島』、いろは48諸島最後の島

 シショーに導かれた、旅の終わり

 導いてくれたヒトは、もういない


 「・・・・・・大丈夫ッスかね」

 竹林キューブから跳んだ先がいきなりここで、いくらワープ装置を踏んでもあそこへは戻れなくなってしまった
 推測もしくは手順を間違えたのか、それとも導く意味も何もなくなって変更されたのか

 海底まで到達出来る技を誰も持ち合わせていない今は、レッドとイエローの無事を祈るしかない
 
 「大丈夫だ」

 「心配ないわよ、あの2人なら」

 グリーンとブルーが口を揃えて言う
 この2人がそう言うのだから、そうなのだろう
 シルバーもクリスもガイクも落ち着き払っているようだが、ゴールドだけはどうしても落ち着かない

 「!」

 クリスがすくっと立ち上がり、腰のボールを手に取った
 中身はネイティ、そのエスパーのチカラで何か感じ取ったらしい
 ボールの中から、ある一点を見つめて動かなくなった

 「・・・ここから南の方向に、何か・・・感じ取ったみたいです」

 グリーンがゴルダックを出し、ポケモン図鑑を開くが反応はない
 あくまでクリスのネイティの勘、そういうことなのだろう

 だが、行かないわけがない

 ゴルダックが海に飛び込むとグリーンはその背に乗り、ブルーも早々とカメちゃんを出した上にわずかな音も聞き逃さないピッくんを乗せる
 シルバーもオーダイル、ガイクもニョロボンの足をつかんで泳ぐ準備をしている

 「あーっ!?」

 早すぎる、まるで予め心構えをしていたように

 落ち着かないという様子は、目に見えるだけではなかったのだ
 ゴールドも負けじとマンたろうを出し、皆の後を追いかける


 ・・・


 その様子を、離れた海上から見る人影がひとつふたつみっつよっつ
 誰も気づけなかった

 「・・・・・・これで『The army of an ashes cross』という組織はひとつの終わりを迎えた」

 「あらあら、気が早いわよ。まずは『黄帝』の確保、そこから始まるってわけ」

 「・・・出来れば『災厄』も確保したいわねぇ。あの地方の伝説のポケモンの捕獲には、いた方がいいわん」

 会場を走る仲間思いの面々を見つめながら、茶筆のような男がつぶやいた

 「こっからは『裏四天』がお相手いたしやす」

 まるで気配を感じさせない4人が、その場から海風に流されるように掻き消えていく


 「すべては『ジョーカー』の下に」


 ・・・


 ブルーのピッくんが、島の影も何もないところから聞き覚えのある何かを聴き取ったようだ
 そこに進路を合わせると、ガイクがその眼で何かに気付いた

 「おい、あそこ、何か浮かんでるぞ」

 「見えないって!」

 小さな波の連続が、それよりも小さな漂流物など狭間に隠して見えなくしてしまう
 しかし、何かがあることだけははっきりした
 それも自力では動けない何かで、迎えに行ってやる必要がある何かだ


 「! おい、あれはなんだ」

 シルバーが指差したのは、迎えに行く何かよりも先に見える遥か巨大な何かだった
 海面からせり上がってくるそれは、ついさっき見たばかりのものだ

 「あれ、収容キューブじゃない!?」

 「・・・まずいっ」

 超高層ビルそのものをいくつも収容した、超弩級キューブ
 あんな巨大なものが浮上してくれば、その周囲には大津波が発生するのは当然のこと
 加えてナナシマ付近は海流が荒く、下手をすれば即席な渦潮のようなものが出来上がる
 
 そうすれば、グリーン達はともかく何か・・・漂流物は再び海底へと引き戻されてしまうだろう
 そういったものが出来上がる前に、大津波か渦潮が漂流物を呑み込む前に回収しなければならない
 

 「最後の最後まで迷惑な組織だなぁ!」

 「同感だ」

 大津波がグリーン達、漂流物めがけて襲ってくる
 あれを、さてどうするか


 「吹き飛ばすか」とリザードンを出し、

 「そうね」とピッくんに構えさせ、

 「うッス」とテッポウオ達の砲門の向きを変え、

 「ええ」と既にネイティの目が未来を捉え、

 「ああ」とキングドラが息を吸い込み、

 「やるか」とニョロボンが水面に手刀を叩きつけた


 すれば海を割るような勢いのもと、大津波は霧散と化した
 飛沫がグリーン達の視界を一瞬覆うが、それを突き抜けて何かのもとへ急ぐ





 「っぷ」

 漂流物、何かは途端に泡のようにはじけて消えた

 あまりにも唐突で、中身は大層驚いたようだ
 まぶしいくらいの白日の下、飛び込んでこようとする者達が見えて更に面食らう


 「・・・俺、どうしたんだっけ?」

 「おぼえてないんですか」

 呆れたように、何をしたのか説明すると間延びした声で返事が返ってきた

 あまりにも唐突が過ぎた
 結局、運命いやシナリオの奔流に呑まれ・・・速読させられたんだろうと思うしかないくらい

 「そっか。・・・そうか」

 どんな形であれ、一太刀は入れられたのか

 それだけでこの戦争の成果が、報われたとはとても言い難かった
 全身に感じるそれは、海水だけではない


 「でも、生きてます。みんな」

 「・・・・・・一番だな、それ」

 戦争で何よりの褒章、それは金でも武勲でもない


 「「「「「「「「―――っ!!」」」」」」」」

 何にも代え難い、声にならない喜びと祝福


 最高の絆

 仲間の命だ










 『Gray War』 〜第3章、最終決戦・終〜










 To be continued…?

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