7歩目:お月見山前にて【遭遇】

 陽が沈む。それでも空は明るさを保っている。
 しかし、それもほんの少しの間だけ。
 空は次第に、青と黒の混合色に染まっていった。
 ヴォレットは道から少しはずれた草陰に身を潜めていた。
 かなり前から微動だにしない彼の視線。
 それはお月見山洞窟の入り口と、そこに立つ2人の警官を捕らえていた。
 ふと、1人が時計を確認し、もう1人に話し掛ける。
 そうして2人の警官は去って行った。

「……よし。ヒトカゲ、行くぞ」

 警官が完全に見えなくなったのを確認してから、ヴォレットはボールからヒトカゲを出す。
 1人と1匹はダッと隠れていた草陰から飛び出して、暗い洞窟の中に入っていった。



 しばらく真っすぐ走っていたが、息が上がってきたので立ち止まることにした。
 警備員が追ってくる気配はない。

「ふぅ……。よし、何とかなったな」
 
 ヴォレットはそう言ってすぐニッと笑うつもりだったが、反響する自分の声に驚いて顔をこわばらせる事しかできなかった。
 何もいるはずがないのだが、それが人間の心理というものなのか、つい辺りを見渡してしまう。
 この不気味なまでの静けさの中では、自分の鼓動でさえ聞き取ることができそうだ。
 ふと近くの壁に寄りかかると、頭に何かがあたった。
 いて、と小さく呟きながらそれが何か確認しようとしたが、ヒトカゲが少し離れた処にいるので尻尾の炎の灯りがここまで届かない。
 硬く丸っこい物とつるつるした紐状の物があるらしい。

「ヒトカゲ、ちょっとこっちに来いよ。……? ヒトカゲ?」

 そこで初めて、ヒトカゲの様子がおかしいことに気付いた。
 さっき通ってきた道の先を見つめたまま動かないのだ。
 ヴォレットはよく呆けた人にやるように掌をヒトカゲの目の前でヒラヒラ上下に振ったが、うるさいと言わんばかりに乱暴に払われるだけだった。

「おまっ……。そりゃないだろ。あっちになにがあるって――」
「ピィィィィィイイィィ!」
「っ……何だ!?」

 突然、洞窟内に響く叫び声。
 ウォレットはヒトカゲと目を合わせると、悲鳴の主がいるであろう方向
 ――さっきまでヒトカゲが向いていたのとは逆方向の先の暗闇に目を向ける。

「……行ってみよう」

 困惑の色を含んだ、しかし真剣な顔のヴォレットの声を合図に彼らは駆け出した。



 洞窟の両サイドに設置されているランプの灯りのおかげで、さっきよりも楽に、そして速く走ることができた。
 さっき頭に当たったものは、ランプと電気ケーブルだったのかとヴォレットは一人納得していた。

「ボウズ、止まれ!」

 突然ウォレットの耳に届く、小さい、しかしはっきりとした中年男性の声。
 素直に振り返り、なんだよと言おうとしたが、男の姿を見て慌ててその言葉を飲み込む。
 青を基調に動きやすくデザインされた制服。
 洞窟に入る前に嫌というほど見つめていた姿だ。

「け、警備員……」 
「ボウズ、お前、こんな所で、何してんだ」 

 警備員は額に青筋を浮かべながら、まるで幼い子供に言い聞かせるように一言づつ言葉をつむいだ。

「あ〜……。いや、えっと……」

 ヴォレットは目を四方八方におよがした。
 警備員の青筋がもう一つ増える。
 彼はドカドカとリングマのようにヴォレットに近づいて行った。

「お前がここにいるとオレが怒られるんだ」

 そしてヴォレットの腕を力いっぱい掴むと、唾がかかりそうなほど顔を近付けてまくし立てる。
 あくまで小声で、だ。
 ヴォレットが警備員の剣幕におされて唾を飲み込んだ瞬間、ヒトカゲが男の左腕に噛みついた。

「っ!」

警備員はヒトカゲを振り払うように腕をひき、噛まれた部分を庇い数歩さがった。
ヴォレットの顔が一瞬で真っ青に変色する。
ポケモンが他人を傷つけた場合、最悪そのポケモン自体が処分されることは、旅立つ前にオーキド博士に散々聞かされていた。

「なっ、なななな………! ご、ごごごめんなさい!! ヒトカゲ、何やって――」

慌ててヒトカゲを見ると、低い唸り声あげながら少し開いた口の中で炎を育んでいる所だった。
 これ以上何かするといけないと、ヒトカゲをボールに戻す。

「何をやっているんだ」
「……へ?」

 すぐ後ろで、警備員とはまた違う声が聞こえた。
 ヒトカゲのことで相当焦っていたのだろう。
 背後に人が迫っていたことに全く気づかなかった。
 体を反転させて背後の男と向き合う。

「チッ……」

 後ろの警備員の舌打ちがやけに大きく聞こえた。
レアコイルをつれたその男は、胸の辺りにでかでかと『R』の赤いロゴの入った黒服を着ていた。
ここではポケットモンスターの単語と同じくらい知れ渡っている、カントー地方一巨大で凶悪な犯罪組織、ロケット団。
 その一人がいまヴォレットの目の前にいる。

「おい!」

 何の前触れもなく、ロケット団が口を開いた。
 いきなりの事にヴォレットは驚き、数歩後ずさる。
 すると、突然強く肩を捕まれた。
 顔を上げると、すぐ近くに警備員の顔がある。
 彼はバツの悪そうな顔をして、ロケット団を睨んでいた。
 ロケット団の視線がヴォレットに向いて、そして警備員に移る。

「侵入者を防ぐのが貴様等の仕事だろうが、ジャン」
「ジャン……?」

ロケット団員が自分の名前を言っているわけがない。
 それに、自分の名前はヴォレットであってジャンではない。
 ということは、とヴォレットが警備員に目をやると見事に彼と目があった。

「おっさんの……名前?」
「アンタが出てこなけりゃ、ちゃんと追い出せてましたよ」

 ジャンは棘を含んだ敬語をロケット団員に投げかける。

「って無視かよ。おい」
「侵入を許したことに変わりはないだろ」
「今回の場合、侵入されてもロケット団がここにいることをコイツ知られなきゃ正味問題なかったでしょうよ」
「おーい」
「なんだ、良い訳か? こんなガキにあっさり入られて……。なんの為のケイビインだ?」
「オレ等が警備員としてあんなトコに突っ立つはめになったのは、そもそもアンタ達が誰にも見つからないようにって守らなかったからでしょう」
「あれは不可抗力だ。それに俺達がミスしたらから、貴様等もミスしてもいいと言いたいのか」
「あのさ……」
「誰もそんなこと言ってませんって」
「そう言いたそうな口振りだがな」
「だ――!! もう、何でもいいから! 何かよくわかんないけど、どうでもいいから。腕離してくれよ。オレは早くこっから出たいんだよ!」

 半分本気、半分勢いでヴォレットが叫ぶと、言い争っていた二人は不快感を隠すぞぶりもせず、ヴォレットを睨んだ。

「隊長、コイツどうしますか?」
「妙な事をされたら困るからな。とりあえず……」

と、そこで言葉を切ってヴォレットを見下す。

「な、何だよ」
「ここは通行禁止になっていたはずだ。何故入った? 悪は許せないといったくだらない正義感からか?」
「そんなのお前等には関係な――って、どこ触ってんだよ!」

 噛みつくようにヴォレットは振り返った。
 といっても、肩を捕まれているので動かせたのは顔だけだか。

「どこってそりゃあ……」

ヴォレットを見下すジャンの手中には見慣れた二つのモンスターボール。
彼は大慌てで腰のベルトをまさぐった。

「……ない。ないないないない!」

ヒトカゲとニドラン♂が入ったボールがない。

「ド、ドロボー!!」

 叫ぶヴォレットを無視して、ジャンはボールを1個2個と前方に放り投げる。
 隊長はそれを器用に片手で取ってみせると、品定めするかのようにそれらをまじまじと見つめた。

「おい、返せよ!」
「……まぁ、一応何かには使えるか」
「またシカトかよ! って何ポッケにしまってんだよ! オレのだぞ!」

 腕を掴む手を振りほどこうと本格的に暴れだしたヴォレットを、ジャンはいとも容易く羽交い締めにしてみせた。
 ついでにうるさかったので、口も塞いだ。

「このっ、おとなしくしろ!」
「――! おい、今何か聞こえなかったか?」

 ジャンがヴォレットと格闘している間、隊長は片手を耳に近付けて、振り返った。
 それと同時に、小さなピンク色のポケモンが体調の足元を自身にとっての精一杯のスピードで通り抜けた。
 その形相は真剣そのもので、まるで何かから命からがら逃げてきたようだった。

「……ピィ!?」
「くそっ、何をしているんだ。アイツ等は」

 ジャンがピィを見て上げたスットンキョンな声を聞いて初めて、隊長はピィの存在に気付いたようだった。
 その時、ジャンの力が少しゆるんだ。
 ヴォレットはここぞとばかりに、口に当ててあった手に噛みつく。

「っ!」

 ジャンは思わずヴォレットを放し、また左かよ、とうめいた。
 ヒトカゲとニドランのことを忘れたわけではないが、ひとまず離れようと踵をかえそうとしたその時、
 レアコイルに攻撃されて宙に舞うピィが視界に入った。
 とっさにこちらに飛んでくるピィをキャッチする。
 が、勢いでバランスを崩して派手に転んでしまった。
 腕の中に収まったピィは、酷く震えていた。
 無意識のうちに、強くピィを抱きしめる。

「ガキ、ソイツをよこせ」

 その声に顔を上げると隊長はさっきまでとは違う冷たい目でヴォレットを睨み付けた。
豹変した隊長は、今すぐにでもピィを放り出して逃げ出したいほど恐かった。
 しかし、腕はきつくピィを抱き締めて離そうとしない。
 力が強すぎたのか、ピィが腕の中でもぞもぞ動くのを感じた。

「何か……何かよくわかんねぇけど、絶っっ対、イヤだ!」

ヴォレットがてこでも離さないのだと確信すると、隊長は声のトーンを落として呟いた。

「それは残念だ。レアコイル、10万ボルト」

 隊長が言い終えた瞬間、レアコイルが電撃を放つ。
 目が痛くなるほどの光の中、不思議な感覚がヴォレットを襲う。
 右も左も、自分がちゃんと立っているのかさえわからない。
 光が眩しいのと、その感覚が不快なので思わず目を閉じた。

「しまっ…。ゆ…をふ…………」

自分は動いてないのに、なぜか遠ざかる声。
ハッと目を開けると、そこにいたのはロケット団ではなく沢山のポケモン達だった。


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