輝きの町キンセツシティからバスを使って1時間半。 決して便利とは言えないような場所にそれはぽつんと建っています。
シダケ総合病院。 ここに来るのはリハビリテーション目的の人や、『ぜんそく』や『がん』で長期治療が必要になった人たちばかりです。
私のお父さんはそこの医院長さんで、お母さんは婦長さん。
両親ともに医療系の家に生まれた私は自然と同じ道を辿り、カントーの学校へと進学したのも何となく、それ以外の理由はありませんでした。
「ススキだぁ・・・・・・」
「どれ?」
揺れるバスの奥から身を乗り出してきたレオに、私は窓の下に続く金色の綿毛を指差して見せる。
「このずーっと広がっているふわふわの枯れ草みたいなの。」
「植物か?」
「うん・・・・・・ていうか、そういうこと言いたかったんじゃないんだけどな。」
きっと初めてだらけなんだと思う。 子供みたいに次から次へと質問を浴びせるレオにそっぽ向くと、私は彼に聞こえないよう小さな声でぼやいた。
ススキって9月以降の植物。 私がオーレに行ったのって入学式の記憶も新しい4月上旬。
そこから3ヶ月経ってなかったように思うのに、窓の外にあるのは紛れもない天然のススキ。
「・・・ねぇ、本当に1年も経っちゃってんの?」
「あぁ、1年かかった。」
「実感ないなぁ・・・・・・」
そうは言ってもバスを降りた時に見上げたレオの背はオーレで見たそれよりもずっと高くて、私の知らない時間が流れていることに気付くのには十分すぎるものだった。
優しくなった目つきに、売り払われたコートとバイク。
ポケモンたちも、みんな一回り大きくなってたくましくなっていた。
変わらないのは私と、一緒にジョウトへと送られてきたイザヨイだけ。
病院前でモンスターボールを開くと、イザヨイは変わらない目つきで周りを見回し・・・・・・薬の匂いでも気になるのかな、病院の入り口へと向かって声を上げ始めた。
「ねぇ、本当にイザヨイもらっちゃっていいの?」
唐突についたポケモントレーナーの称号と、ただ渡されただけだと思っていたバクフーンの意味を知らされて私はちょっと戸惑っていた。
見上げると鳴き声でも気になったのか、3階の窓が開いて、また閉まる。
「イザヨイはミレイのポケモンだ。 オーレにいた時から、必要な時以外は俺の指示すら聞かなかったからな。
後から知ったんだが、俺はずっとイザヨイのことを『イサヤイ』と呼んでたらしい。」
「あ、それ私も気になってた。」
少し気まずそうにするレオに少し笑うと、今度はイザヨイが病院の玄関口へと向かって走り出した。
病院の中に入れちゃったらお父さんに怒られる、そう思って追いかけようとすると出入口の自動ドアの向こうから、白衣を着た誰かがこちらへと向かって走ってきているのが見える。
「・・・・・・ヒノッ!!」
飛び出していったイザヨイを受け止めると飛び出してきた人はイザヨイのアゴの付け根・・・・・・マグマラシだった時に抱き上げるといつもすりつけてきたそこを何度もなで回した。
男の子みたい・・・・・・だけど、白衣を着てるから一応お医者さんなのかな?
ずいぶん若い人が入ってきたんだなとか考えてると、彼は病院の中から聞こえてきた小さな男の子のような声に振り返り、それからこちらへと目を向けて立ち上がった。
「おかえりなさい!」
「た・・・ただいま。」
「今、医院長先生呼んできますね!」
彼はずいぶん昔からここにいたみたいに笑いかけてくると、足元にいたイザヨイに「じゃあね」と言い残して病院の中へと駆けていった。
病院の中になぜかいたエーフィがその後を追いかけていく。
いろんな疑問がぐちゃぐちゃになって、うまく言葉が出てこない。
ただ山から吹き降ろされる風が、扉の間から流れてくるニオイが、肌に感じた光が懐かしくて、ぎゅっと目を瞑ってみる。
不安そうなレオの息づかいが聞こえてくる。 でも、泣きたいとか、悲しいとか、そういうのじゃないの。
「ただいま」って・・・・・・そう言いたいだけ。 うん、それだけなの。
普段あんなに走るなって言っていたお父さんが大きな足音を立ててこっちへと向かってくるのを見たらなんだかたまらなくなって、ドアのセンサーに左手で影を作ると細い隙間に滑り込んだ。
「未来っ!!」
「ただいま・・・お父さん、ただいま!!」
「未来・・・・・・よかった、無事で・・・」
「お母さん・・・・・・」
泣き虫なのはきっとお母さん譲り。 仕事の服そのままに泣き出したお母さんを見ていたら耐えられなくなってきて、いくつも涙が出てきているのがわかる。
背中があったかい。 レオが見守ってくれてるんだ。
「お父さん、お母さん、心配かけて・・・・・・ごめんなさい。」
話したいことがいっぱいある。 いろんなこと、いろんなこと。
全部吐き出せたらいいのに、昔からそうだった不器用な唇はやっぱり上手く言葉に出来なくて。
学校のこと? 違う。 健康のこと? ううん、やっぱり違う。
「あの、ね・・・・・・」
笑った。 きっとそれで伝わるんじゃないかと思った。
・・・・・・ダイジョウブダヨ、レオガキットタスケテクレルカラ
「助けてくれた人がいるの、だから私・・・・・・」
「解るよ。」
分厚いメガネの下で頬を緩ませて、お父さんは私の肩に手を置いた。
視線の先には、ガラス越しにずっと私たちを見守っているレオとイザヨイがいる。
「彼でしょ? あなたのこと心配する目つき、お父さんそっくりだもの。」
少し居心地悪そうにしているお父さんを見て、なんだかなるほど、と納得してしまった。
「外じゃあ暑いでしょう、中に入っていただきなさい。」
「母さんはリーブスを呼んできてくれ。
ここは病院だ、どんな雑菌がついているかわからないポケモンを入れるわけにはいかないからな。」
カントーに出る前と変わらない景色に、帰ってきたんだなぁって、やっと実感が湧いてきた。
視線を迷わせているレオの手を引いて病院の中に招き入れる。
今度は私が、彼を導く番。 ここは私の家みたいなものだから、オーレでずっとそうだったように私はレオの前を歩いていける。
院長室へと案内して、ふかふかのソファにレオを座らせて、誰かからもらった羊羹を切り分けてお茶を入れて。
レオをそこに残して私は部屋を出た。 だってお父さんの目が「出てけ」って言ってたから。
がんばれ、レオ。 がんばれ、がんばれ。
周りが知らないことばかりな不安は解るから、困っているときには手を差し伸べるから、きっと今は頑張りどころ。
白い扉を背にして握りこぶしを作っていると角から曲がってきたさっきの白衣の人が立ち止まって、なんだか変な顔をされた。
「何か・・・・・・想像もつかないくらい凄いところに行ってたみたいですね。
ちょっといいですか? イザの今後について、少しお話したいんです。」
「私、言いましたっけ? イザヨイのこと・・・・・・」
「いいえ?」
ちょっと不思議なこの先生は、裏の洗い場へと私を連れて行くと見ている前でイザヨイの体を洗い始めた。
いつもは水を嫌がるイザヨイがこの先生の手だけは嫌がらずに泡の中に埋もれている。
「イザもあなたと同じように、神隠しに遭って違う世界へと迷い込んだんですよ。」
そうだったんだ・・・・・・何となくそんな気はしてたけど、改めて言われると変な気分。
目の前にいるこの人は『その前』のイザヨイの飼い主だったのかな、どことなくセレビィに似てるな、色々考えて言葉に詰まっていると先に切り出した彼の言葉に、
「ミライ、ハベ、クレス、プラス、ハンタ、ツキ、オーレ、ダークポケモン、スナッチ、レオ。」
「どどっ・・・・・・! どーしてそれを!?」
「分かるでしょう? ミライなら。」
言葉や喋り方のクセに、笑い方の端々に。 ・・・・・・イザヨイを、感じた。
「あなたは、イザヨイの飼い主ですか?
ううん、そうじゃなくてもイザヨイに前の世界があったなら私・・・・・・」
「まさか! そんなこと酷なこと言いたいんだったらこんな回りくどいことしませんよ!」
振り向いた瞬間にシャワーの水滴が顔に当たり、驚いたイザヨイが暴れてなだめるのに少し時間がかかった。
濡れた体をタオルでよく拭いて、薬を飲ませてから彼は立ち上がり、誤解を警戒しているのか少しだけ厳しい目つきで言葉を切り出す。
「違う世界に「いくはず」だったんです。 ブリーダーからトレーナーの手に渡る前に、このヒノアラシは神隠しに遭った。
だからヒノがあなたと一緒に戻ってきたのは喜ばしいことで・・・・・・あぁもぅ、そういうことが言いたいんじゃなくて!
ヒノが帰還したことの博士への報告と、ミレイとレオの2人のトレーナー登録!
他にもいろんな・・・いろんなこと、2人ともこの世界で生きていくんだから、手伝わせてほしいんです!!」
あっけに取られ、次の瞬間には吹き出していた。
なんだ、ただの似たもの同士みたい。 言いたいことがうまく言えなくて、それでよく分からない言葉しか出てこなかっただけなんだ。
きっと近いもの、きっと同じもの。
「私、森岡未来!!」
「ゴールド・・・・・・ゴールド・Y・リーブスです。」
手をつなぐと、深い深い海の底の匂いがした。
ちょっと不思議な先生、ゴールド。 この先、少なからず付き合っていく予感をその時私は感じていた。
Help me...
Help me,Mirei・・・・・・
目の前にいる男を、俺は一体どうしたらいいのだろう。
机の上に置かれている緑色の液体と黒い陶磁器のような固形物。 それらの意味を聞くことも出来ず、膝に置いた拳と肩を縮め不必要なほどに相手の様子を伺っている。
鼻の下にたくわえたヒゲを1度なぞると男は灰色の瞳をこちらへと向けた。 うつむいていたが、視線が自分に向いたのがわかった。
「・・・まずは、礼を言わなくてはな。
娘をここまで無事に届けてくれて、ありがとう。 本当に・・・感謝している。」
「・・・・・・」
声が出なかった。
どういたしまして、と返すべきなのだろうか。 思考が働かず視線はひざの上にある拳に止まったままだ。
白いヒゲと唇が動くたびに戦慄し、同時に安堵もするといった奇妙な感覚が体の中を渦巻いている。
「名前は、なんというのだね?」
「レオ。」
「どこから来た?」
「・・・・・・オーレ地方。」
「知らない場所だ。」
「俺も・・・」
言いかけて、一瞬止まった。 敬語なんて解らない。
「・・・実際に見るまで、ホウエンは幻だと思っていた。」
独りなら辿りつけなかった。
カントーにいた頃の話をするニュウ、異国の風を知るハーベスト、それにミレイと同じように迷い込んだクレセントとハンターと共にいたからここまでやって来られたんだ。
「会いたかったから・・・ミレイ・・・・・・ずっと・・・」
どう言えば伝わるのだろう。 上手く言葉がまとまらない。
出来るだけ言いたいことの近くにある単語を拾い出そうと考え込んでいると、窓からの光に照らされたヒゲが小さく揺れる。
今度は視線がそちらへと動く。 ミレイに近い視線が、そこにはあった。
「君がどれだけ苦労してきたかは、言葉にせずとも判るよ。」
ローガンと同じようなことを言った。 初めて会った者同士だというのに、そう簡単に判るものなのだろうか。
視線を外せずにいると、相手の眉が少し潜んだ。
反射的に言葉が出る。
「また、会いたい。」
言葉に反応するように顔が険しくなり、ややあって返事がきた。
「こっちで生活する基盤は出来ているのかね?」
「キバン?」
「仕事や家、毎日を生きるために必要なものは揃っているのかと聞いているんだ。」
「いいや。」
返事をすると相手は白髪混じりの頭に手をあて、一層表情を険しくする。
なにか不快になることを言ってしまったのだろうか。
「何でもする。」
椅子から立ち上がった後に、自分がその行為をしたことに気付く。
座り直すか考えたが、今それをする気にはなれなかった。 慎重に相手の様子を探りながら姿勢を正し、相手の言葉を待っていた。
ミレイの父親は、目じりにしわを寄せると大きく息を吐いて、ゆっくりと切り出した。
「・・・ではまず、目上の者に対する言葉遣いを覚えるんだな。」
わかりました、が分からず、俺はミレイがそうしていたよう相手にはっきりと見えるようにうなずく。
「仕事も・・・家もだ。 私はその日暮らしのポケモントレーナーなど、仕事として認めておらん。」
「必ず。」
「それに・・・・・・大事な娘だ。
また、訳のわからん世界へ連れていかれるのでは困る。」
「ダイジョウブ。」
ミレイの何度も発していた言葉。
ずっと耳に残っていた。 意味を知ったとき、伝わらない言葉をぶつけ続けてきたミレイの優しさを知った。
「俺が守る。」
真面目に答えたつもりだったが、ヒゲの男はなぜか呆れたような、大きな溜息をついてうつむいた。
再び声をかけるのも気がひけ相手の様子を伺っていると、相手の視線は窓の方を向き、俺の方へと戻った。
「もう、行きなさい。」
意味がわからず、一瞬思考が止まる。
あの言葉から俺の意思が伝わったのか、それとも嫌われたのか。
何か言おうかとも思ったが、言葉が見つからず部屋の戸へと向かって歩き出す。
そして思い出した。 こちらの人間は喋らずとも意志を伝える手段を持っているということに。
振り返って相手の目を見ると、そのまま人の顔が見えなくなるくらいまで頭を下げる。
人にものを頼むとき、感謝の気持ちを伝えるとき、こうするのだとシホやローガンが言っていた。
今はその両方だ。 わずかでも伝わればいいと願いを込め、強く目をつぶり、出来もしないテレパシーを送る。
やはり言葉は見つからない。 顔を上げてもう1度相手の顔を見ると、扉を抜けてミレイのもとへと向かう。
目的だったものの1つが終わったんだ。 いつまでも立ち止まってはいられない。
鳴り始めたポケギアのベルをお尻のポケットから取り出して止めると、ゴールドって人はそれを肩とあごで挟んでから少し変な顔をした。
左手についた泡をシャワーで流して軽く払い、その手に持ち替えてから受け答えする。
「はい、それは分かりますけど・・・」
シャワーを止め、私に3階の院長室を指して見せた。
お父さんから? なんでわざわざって思ったけど、イザヨイがシャンプーの泡を嫌がって催促を始めたから彼に代わって私が水を浴びせかける。
だけどどこか嫌がるポイントに当たったらしく、すぐに火を噴き出された。 トレーナーへの道はまだまだ遠いっぽい。
そんな無茶な、とか、気持ちは分からないでもないですけど、とか、変な言葉ばっかりが後ろから聞こえてくる。
何を話してるのか気になるけど電話中の人に聞くわけにもいかないし、悪戦苦闘しながら体の泡を落としていると話も終わったのかレオがやってくるのが見える。
話しかけようとしたとき、小さなため息と一緒に高い音が聞こえた。
「あなたの家と仕事を世話しなさいって。」
電話を切って開口一番そう言った少年に、レオはびっくりした顔をして立ち止まり、彼と私の顔を交互に見比べた。
「そんなこと言われてもって感じなんだけどなぁ・・・・・・
自分の身の回りだけでもいっぱいいっぱいなのに・・・・・・」
ぶつぶつと言いながらポケギアのボタンを次々と操作する彼を見つめ、驚いた顔をしたままレオは2歩3歩とこちらへと歩み寄り、ミレイ、と小さく名前を呼んできた。
「なに?」
「こういう時、何て言ったらいいのか教えてくれ。」
「・・・・・・ん〜、やっぱ『ありがとう』じゃないの?」
アリガトウ、私の言葉を反芻するように小さくつぶやくと、レオは何かを納得したように小さくうなずいた。
目に光が宿っていた。 私の方を1度向いてありがとう、と小さく言うとギアと格闘している少年へと、今度は少し大きな声で。
「ありがとう。」
唐突にかけられた声にゴールドは少し驚いたように顔を上げ、1度、目をぱちりと瞬かせる。
イザヨイが足元に駆け寄った。 その頭を撫でながら笑う表情は、まるで太陽みたいで。
「どういたしまして!」
ホウエンっていうこの場所に、新しいピースがはまる音が聞こえてきた。
小さな男の子の声に呼ばれ、ゴールド先生は慌てたように病院の中へと舞い戻っていく。
白衣のスソがバタバタと揺れる背中を見ながら、初めてオーレに来た日のようにいろんなことを考えていた。
違うのは、それが希望にあふれた事柄ばっかりだってこと。
きっと大丈夫。 レオだったら大丈夫。
ゆっくりと動き出した彼の後ろを歩き、これからのことを話す。 時折吹き降ろしては会話をさえぎる山風に舌を向けて。
透明なノートに書かれる言葉のように、歩き出した私たちの足跡を強い風が消していった。