画面の向こうの皆様、初めまして。
私は皇帝ポケモンのエンペルト。主人からは「ワタリ」と呼ばれている。由来は某俳優と某ミュージシャンと某バンドのアルバム曲から来ていると聞いた。
ゲームの世界にいない人間の事はよく知らない。ゲーム機の電源が点いている間しか現実世界と接触できぬからだろうか。
残念だが私達は所詮デジタルデータでしか存在できぬ架空の生物。ゲームの世界では一応普通の生物として扱われているが、人工ポケモンもいればパソコンの中に預けられるし無線インターネット経由で交換される事もあるのでやはりデジタルデータの域を出られぬのが現実だろう。
悲観するとキリが無いが、それでも私達は「おや」の為に尽くす。現実世界のプレイヤーを楽しませるべく、子供達に笑顔を与えるべく、この世界を創り上げた開発者様から言いつかった使命を果たすべく…その様な堅苦しい目的なぞ本当はどうでも良い。デジタルデータだと分かっていても尚、愛情を注いでくれる主人=「おや」の側にいたい、ただそれだけで足りるのだ。
私の主人もその一人だった。主人はこちらの世界でも現実世界でも、毎日何かしらのポケモンに向かい「可愛い!」を連発して周りの一般人から引かれるわ、受験生なのにテクノ依存症で将来は心配だが、「夢は株式会社ポケモンに就職する事」だと呟かれた時には呆れを通り越して感動した。余りにも多くのポケモンを育てるのに夢中で一年間に一個しかバッジが増えない、即ち用意されたシナリオが進まぬのは困り者だけれど。それでも私は重度のポケモン愛に満ち溢れたお人好しな少女が私の主人で良かったと思っている。逃がされる心配は無いから。
そんな親バカ主人が変わってしまったのは晩秋の事だった。
あれは私がまだポッタイシの頃のことであった。
突然ゲーム機の電源が入った。内蔵時計によると、今は夜中の四時か五時位だからいつもなら主人はぐっすり眠っている時間だ。デジタルデータであるが故私達は電源さえ入れば昼行性も夜行性も関係なく活動可能で俊敏性等に無駄が出る事も無い。また、ポケモンセンターで回復すれば一瞬で体力・PPが全回復する等々現実世界の生物には無い利点も多かった。
私は模試続きの主人の健康以外は特に気にせずモンスターボールの中で控えていた。
主人は私を含む手持ち六匹の体調を確認してハクタイシティのポケモンセンターを出た。
今日はハクタイの森でジム戦の練習(ハクタイジムは草タイプを扱う為、森での特訓は効果がある)でもするのかと思っていたら、何故かハクタイマンションへ走った。前に行った時は悪者にポケモンを取られた人が住んでいた事を思い出す。早く取り返してあげたいのはやまやまだが主人は今現実世界の勉強で手一杯だ。先月は三週連続で模試があった位で、ゲームもめったに起動しなかった。最低三ヶ月は待たせるだろう…と心の中で住人に謝っている間に私は「ワタリ」から「ポッタイシ」に名前が戻っていた。おや?
主人は無言で手持ちポケモンのニックネームを全て取っ払った。
捕まえたポケモンには必ずソフトごとに一定の法則を以てニックネームを付けていた主人が急にどうしたのだ…?一体何故?
行動の変化はそれだけでは無かった。余計なトレーナー戦を避け、インターネットで調べてきたらしい「努力値」に少しは気をつけ相手を選んで戦っていた主人が、いきなり周囲のトレーナーを根こそぎ倒し一日でハクタイジムをクリアしてしまったのだ。マンションの住人のポケモンを取り返す日が早くなったのは私も嬉しかったが、それ以上に不安が大きかった。
まるで主人が別人に変わってしまったかの様だった。それからも主人はゲーム機の内蔵時計で言う所の朝三時四時に始めて二時間位でひとつの街を越える勢いで駆け足の旅を繰り広げていた。
育てるポケモンを私とムクバード(元は「カワサキ」と言うニックネームで、野球選手から取られた)とルクシオ(コリンク時代の顔つきから「テヅカ」と命名されていた)の三匹に絞った主人は道ばたに落ちているアイテムには目もくれずひたすらレベル上げだけの為に戦う日々が続き、気が付けば一ヶ月弱で残りのジムバッジがあと一個と言う所まで来た。
受験勉強は厳しさを増して朝五時半に起きる日が度々あったが主人は年内にシナリオを片付けてしまいたいのだろうか。シンオウ地方の東側を旅する間にエンペルトに進化した私はモンスターボールの中で出番待ちの最中、暇さえあれば硬質化した翼で形にならない腕組みをして無い頭を捻っていた。
現在地はナギサシティ、このままのペースでいけば明日はジム戦だ。
私達三匹はジムリーダーの専門タイプ・電気に対して水・飛行・電気と皆相性が今ひとつで決定的な攻撃を加えられないので、鎗の柱で前述の悪者に無理矢理呼び出され、暴れていたのを鎮めるつもりがうっかり捕まえてしまった時間の神「ディアルガ」様が代わりにあしらってくれるのだろうな。もしくはアルミアと言う遠い土地から彷徨ってきた「ダークライ」が眠らせて終わらせるだろう。この頃の悩みはダークライが来てから心なしか睡眠不足がちだった事位か。
…思い返せば私は全く知恵が足りていなかった。
最初の方に電源が点いている間しか世界は接触できぬとは書いたが、こちらの世界からあちらの世界が全く見えぬ訳では無い。見ようと思えば電源が点かずも上空に浮かんだゲーム画面と思しき黒い長方形を見上げて目を凝らせば現実世界を見られるのだ。
私はそれをフーディンの「ユアサ(主人曰く通称・弁護士)」に教えてもらったが、知能の高いエスパーポケモンのみ可能な特殊技能だと思い込んでいた。ユアサは学名に戻されたあげくボックス送りになってしまい、道中のハードな戦闘を重ねる内にその様な事は忘れていき、私は戦いに勝利する事だけを追い求めていた。進化して強くなると同時に態度も大きくなったせいで重大な事に気が付かなかったのだ。
…主人が本当に別人に変わっていた事に。
私はようやく悟って、直後に自分がプライドの高いポッチャマ一族である事を初めて疎ましく感じた。こちらの世界からプレイヤーの顔が見えにくい−私は見えないと思いこんでいた−のを利用し、本当の主人が爆睡中に主人の弟がこっそり主人の部屋のゲーム機と私達のデータが入ったソフトを自室に持って行き夜な夜な遊んでいたと言うのが事の次第だった。最も、その様な詳しい事情は後程手持ちに復活したユアサが教えてくれた事だったのだが。
ああ、あんなにも正反対の行動に出ていたのに私は何故気付かなかった?
内蔵時計は夕刻を指していた。不意にゲーム機の電源が点いた。私達はこれからポケモンリーグへ挑戦するべく、ひたすら海上を進んでいる所で前回のレポートが書かれた。
主人…私の「おや」トレーナー♀(現実世界のプレイヤーが変わってもやり直さない限りデータは変わらない)は並べ替えをしようと手持ちをチェックする。私達ポケモンと同じくトレーナーもゲームの世界の存在なのでドット職人が打った表情のバリエーションも単純だから、こういう時は案外無表情だったりするのだ。彼(彼女)の手は先日保護してそのまま手持ちに加わったユクシーのボールの位置でぴたりと止まった。
次の瞬間、私は信じられぬ光景と懐かしい言葉を聞いたのであった。
「…ワタリ……カワサキ…テヅカ………ダークライに、ロッククライム…!?
何考えてんのあいつ…………それより、皆ごめん。ごめん…ごめ、ぅう、ぐすっ…ふ、ふええええ!!!」
ボール越しに見えた桃色マフラー少女の大泣きは、声は、雰囲気は、紛れもなく主人の物だった。私こそ一番の古株なのに気づけず申し訳無い。そっと目を閉じたら、代わりに涙が一粒浮いてきた。
あの大泣きから一週間と経たずに、主人は弟の魔の手からゲームを一旦取り返した。
だがその際主人は弟に私達のデータ入りソフトを譲渡する方向に持って行かれたらしく、私達のいる世界を捨てねばならなくなった。つまりデータの消去並びにリセットだ。幸いすぐにでは無く主人のポケモン友達に頼み、その人のボックスが許す限り配信された限定ポケモンや、ニックネームを元に戻した私・カワサキ・テヅカ、他には正月に捕まえた色違いコリンクの「ハツハル」等、どうしても主人が捨て置けぬポケモンを預かってもらってから弟の手に渡る事になった。
私は現在そのご友人のソフトに用意された専用ボックスを借りて、.主人が新しく買ったゲームに私達を引き取ってくれるのを待ち続けている。
実際、無事第一志望の大学に合格した後主人はご友人が預かっているポケモンの内、例のアルミア地方出身の「ダークライ」や同じくアルミア地方から送られた卵、映画館で配信された「シェイミ」等を返還してもらった様だ。他は主人が交換用ポケモンをあまり用意できず次回にお預けとなった。
私はふと気になった事があってこれを書いている。ただし私の翼ではまともに筆を持てぬし電子文字も打てぬしそもそも人間の言葉が分からぬので自分の考えを届けられる手段を持たぬ。故に現時点では頭の中だけで、だが。主人の所へ戻った暁には、自称物書きの主人に頼んでこの文章を書いてもらうつもりだ。
そして本当に書きたかったのは以下の短い疑問文である。
スペースの関係でこちらに預けきれなかった同胞は今頃どうしているだろうか。ほとんどは別のゲーム機に設立された「ポケモン牧場」と言う仮想空間で元気に遊んで過ごしているらしい。
が、ごく一部は消されたデータと運命を共にしてしまったはずだ。私達の世界では、正式なトレーナーは最低一体ポケモンを所持するのが義務だからだ。
彼らは何も悪くないのだ。彼らは何も悪くないのに。
――――――消えたデータの行方は、今いずこ。
了
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