みをつくし

著者:龍石茜さん
「ぷはーっ、皆ただいまー!今日も戦利品がごろごろだよー!」

化石掘りを終えて地上に戻ってきた私の一声で、待たせていたポケモン達が駆け寄ってきた。ニット帽越しに甘噛みしてくるフカマル、ほかほかの焼き芋を手渡してくれるヒートロトム、地下作業で煤けた顔を舐めてくれるフローゼル他数体。そして一番古株のパートナーであるドダイトス。皆トレーナーとしての私の戦友で、種族を超えた友でもある。
そんな私はせっかちな幼なじみに引きずられる形で、生まれ育ったシンオウ地方の事をよく知らぬまま旅に出てしまった。成り行きでギンガ団とかいう悪の組織や若手考古学者にしてポケモンリーグチャンピオンでもあるシロナさんをも倒すと、私には目標が無くなってしまった。バトルフロンティアにも行ってはみたものの、あいにくバトルを極めるという性分でも無い為一回行ってそれっきりである。このまま何もしないとアイデンティティ崩壊を引き起こしかねなかったので「やりたい事が見つからないなら手を動かして見つければ良い」という、ミオシティジムリーダー・トウガンさんの計らいで今はミオシティに滞在させてもらっている。ここ数日はひたすらシンオウ地方の地下に広がる通路を調査している。掘り当てた戦利品の種類をトウガンさんに報告して、今日はもう休みにしよう。
と、思っていたのであるが……

「……『はとばのやど メンバーズカード』?」

戦利品の入った麻袋から何気なく取り出した手のひらサイズの物体。私はいつの間にかそれを食い入る様に見ていた。いくら目を凝らしてみても、そこに書かれている日付が五十年前の物であった事がやけに気になって仕方無かった。
時刻は夜八時。ミオシティジムでジムトレーナーさん達に夕食をごちそうになった後、今日の化石掘りで見つけた例のメンバーズカードとやらを調べる為に私は夜のミオシティに繰り出した。傍らにはよちよち歩きのフカマル、ポケットの中には親愛なる魔物達がいてくれる。「はとばのやど」がこの街の海沿いにあるのはここで日を過ごす様になってから知ったが、今まではいつ行っても鍵が掛かっていた。けれどメンバーズカードを持っているなら今日こそは入れるかも知れない。根拠の無い自信が私の体を支配していた。
「船乗り達の止まり木 ふかふかベッドで楽しい夢を!」と書かれた看板と窓から仄かに漏れる明かりを横目に、私は一応ノックをしてからドアノブを回した。
扉が奥へ開く。初めてその先へ進める。ここまで来たらもう、入る他ありえなかった。
一歩足を踏み入れてまもなく感じた室内の異様に鬱屈とした雰囲気で、私はここに足を踏み入れた事を一瞬にして後悔した。しかし私は「ひひひ」と不気味に笑う胡散臭いサングラス男の誘いに乗る様にして、言われるがままベッドに入ってしまった……
次にまぶたが上がった時には何故か、先程とは全く別の場所で倒れ込んでいた。ベッドに潜った瞬間意識レベルが落ちてしまったらしい。無人のフェリーを後にして歩き回ってみたものの「はとばのやど」にいた男性はおろか、周囲に見知った景色はどこにも見当たらなかった。ポケッチの時刻は既に深夜を示していた。いよいよ不安が増してきた私は手持ちのモンスターボールを全て開き、腹式呼吸の出来ないか細い声でポケモン達に絶えず声を掛けながら目の前の森へ分け入った。
上空が見える所まで出ると、正面には黒いポケモンが大きな水たまりの上に浮かんでいた。その姿を視界に捉えた瞬間、特性が「危険予知」でも無いのにヒートロトムがドダイトスの背中に生える大樹の陰にさっと隠れた。その震え方が尋常では無かった。どうしたの、とロトムに声を掛けようとした隙に黒いポケモンがコンマ一秒で距離を詰めてきて、何をされたかも分からない内に私は再び気を失って仰向けに倒れた。次にポケモン達の喧噪が聞こえるまでに、私は走馬燈を見ていた。

――やさしかった おうさまは  いかりと さみしさと くやしさで
   やがては その すがたまで  かわってしまったそうな。――

――ずっとここにいて良いよ。ここは皆の庭だから。――

――いつまでも まっくろのゆめ……どこまでも まっくろのゆめ……
おとうさん おかあさん ケーシィ どこなの……?
まっくろな ゆめのなか おとうさんの こえが きこえた……
みかづきの はね……それよりも ここにいて……――

――……あんた みたかい? ワンダーブリッジが できるまえだよ
この近所で いつも ケーシィと 遊ぶ 女の子が いてねえ
…… …… …… …… ……あんなに 元気だったのにねぇ――

走馬燈は突然途切れて、意識が現世に放り出された。あの黒いポケモンは、元いた水たまりの所へ戻っていた。但し今度は浮遊不可能な程傷ついていた。その攻撃は、私が失神している間に手持ちのポケモン達が自発的に発した技の数々によってであった。そして黒いポケモンは、一撃の抵抗も行わずに体を縮ませてひたすら堪え忍んでいた。走馬燈と同じ。あのポケモンは、どこに行っても迫害されていたのである。思わず私はポケモン達に対して「やめて!」と叫ぶ。
暫くは何か言おうとして言いよどんでいたが、私は思い出した様にポケモン図鑑を起動すると黒いポケモンにセンサーを向けた。画面に目の前の生き物を内蔵カメラでスキャンした画像が表示され、ポケモンの名前・分類・身体的能力的特徴を分析した音声が流れる。

『ダークライ あんこくポケモン。ひとびとを ふかい ねむりに さそい ゆめを みせる のうりょくを もつ。しんげつの よるに かつどうする。つきが でていない よるには ダークライが おそろしい ゆめを みせるという はなしが つたわる。ふかい ねむりに さそう ちからで ひとや ポケモンに あくむを みせて じぶんの なわばりから おいだす。じぶんを まもるために まわりの ひとや ポケモンに あくむをみせるが ダークライに わるぎは ないのだ。』

図鑑の説明文によって私が見せられたのは走馬燈では無く、悪夢である事が示された。ただ先程見た内容では、私にとっての悪夢とは到底思えなかった。
最初は老人の語りをバックに繰り広げられる、「おうさま」と呼ばれる高貴そうな男性の死の場面と亡骸からの怨霊誕生。ふらふらと導かれる様に辿り着いた洞窟の奥地で黒光りする大結晶に魅せられ、心身共に拠り所にする姿。
次は全身ボロボロの怨霊とそれを取り囲む敵意むき出しの野生ポケモン達、そして傷ついた怨霊を庇う少女の場面。少女の奏でる草笛の音色を、誰にも悟られぬ様に木陰で楽しむ影。
三つ目の悪夢には暗闇の中でさまよい両親とケーシィを探す、先程とは別の少女が。最後には誰かと話している老婆の姿が遠巻きに見え、そのお婆さんがため息を長くつく所で途切れた。
悪夢は覚めた全ての場面に共通するのは、悪夢に出てきた黒い怨霊――ダークライが悲しそうな視線を下に向けていた事であった。私が見せられた悪夢とは、むしろあのポケモンにとっての物であった。言い方を変えれば、ダークライにとっての走馬燈なのであった。ダークライの意図を察した所で、どこからか声が聞こえる。

――ダークライ……きみの ちからは つよい
   きみが のぞまなくても まわりの ひとに ポケモンに
おそろしい ゆめを みせてしまう
だから ここに きた……
しんげつじま……ここには きみいがい だれも いない
おそろしい ゆめを みる ものは いない
みたとしても すぐ そばに まんげつじまが ある……――

不思議な声であった。走馬燈の様な悪夢で聞いた少女や老人の声に聞こえ、常に変化していた。ダークライに語りかけていたと思われたが、私自身にも語りかけられた気がして、照れくささを隠す様にドダイトスの元へ駆け寄って、背中をなでた。ヒートロトムが木の陰からそっと出てきて、ダークライにムーンボールを恐る恐る差し出した。心なしか、ポケモン達の表情が柔らかくなっていた。

「……ダークライ、って名前なのかぁ。ポケモン達がいきなり攻撃しちゃってごめんなさい。さっき私に見せた走馬燈?あれは要するにあなたなりのコミュニケーションの手段……きっとそうだよね?初めて会ったから知らなかったの。信じてくれるか分からないけれど、私達は敵じゃないよ。
……ねぇ、良かったらそのボールに入ってみない?ジョウト地方から観光に来た人からもらった、三日月模様のボール。お似合いだと思うの!」

ダークライの指先がムーンボールのスイッチに触れる。私は再び、意識が遠のくのを感じた。
埃を吸い込んでむせた事で目が覚めた私は、「はとばのやど」のベッドでびっしょり汗をかいていた。私を眠りの世界に落とした怪しいサングラスの男性は姿を消していた。人影を探していると、フローゼルが勝手にモンスターボールから出てきて、自らの体調不良を直接訴えかけてくる。フローゼルは喘息持ちである為、ボールの中にいてもハウスダストや煙等息苦しい環境は苦手らしい。確かに今の今まで眠っていたベッドは信じられない位に埃まみれである。慌てて床に足を付けた所で、ベッドに入る時はどうしてフローゼルが平気だったのか。ベッドはおろか部屋全体が先刻とは見違える程色褪せて、埃まみれの環境になっていた。天井の四隅にはシンオウ地方では生息していないと想われたイトマルの技で張られた「クモのす」さえ見られる。明らかに睡眠前と後で環境が違い過ぎている。
という事は先程のやりとりは全て夢、ダークライが見せた悪夢なのか?釈然としない思いを抱えて外へ出ると背後の扉がひとりでに閉まり、その衝撃で鍵が掛かってしまった。更に驚かされる言葉が続く。軽い散歩の筈がミオジムに戻らない私を探してくれた船乗りのナミキさんに「あんた……随分と眠っていたがどうしたんだ?そもそもそこは五十年前から空き家だぜ?」と声を掛けられる瞬間まで、私はずっと夢の中にいたのかも知れない。その後「はとばのやど」の看板はかすれて文字が読めなくなり、扉は二度と開く事が無かったという。
ナミキさんの姿が見えなくなった頃、左手に球形の物体を握りしめていた事に私は初めて気が付いた。ボールに収めたポケモンの状態異常と体力をその場で瞬時に回復する効果を持つムーンボール。球の中央にある開閉スイッチを押そうとした手はしかし、その手前で動きを躊躇った。中のポケモンが強すぎる力を持つのなら、ここでむやみに外へ出すのは良くないという、ポケモントレーナーとしての直感が働いたのであった。
訂正。もっともらしい理由を付けたが、実はもうひとつ理由がある。

彼の悪夢を見ても構わないのは、私の他にいてはならぬ。

どう考えても今まで出会ったポケモン達に対して抱く感情とは明らかに異なる邪念を覚えたのである。実際私が彼のポケモンへ向けていたのは、普通ならとりわけ気を許した人間の男性を身体のどこかで想う時に似ている身勝手な独占欲であった。
ポケモンに慕情を抱いた事それ自体は後悔していない。しかし戦友らはこんな私を見て如何なる印象を覚えるであろうか。人間社会に所属するポケモンはその期間が長ければ長いだけ人間の心を深く理解するものと想われるから、おそらく私のにやけ顔を見た瞬間一発で察してしまうであろう。それはそれで構わない。醜い嫉妬心まで覚えない事を祈る。
ようやく冷静になってみると、ダークライの処遇に関して全く考えていなかった。図鑑は認識したけれど、走馬燈の内容を見る限りあのポケモンは長年全ての生物から迫害され続けていたのであろう。自分が仮に誰かと仲良くしたいと願っても自らの意志とは無関係に発動する能力――悪夢を見せるのは特性なのかも知れない。私はこれを「ナイトメア」と名付ける事にする――が周囲からダークライの存在を孤立させ、周りの全てを遠ざける。孤独を強いられながらも堪え忍ぶしか無かったダークライの、何と悲しい運命であるか。
私は手持ちの子達や走馬燈で垣間見たポケモン達の気持ちも分かる。触れる事あるいは近くにいる事さえ、ダークライの能力は命に関わるとも思える恐怖を植え付けるのである。しかも本能で。ダークライの内面を知らなければ、出来る事なら私も関わり合いになりたくない。しかしながら私は知ってしまった。神と呼ばれし伝説のポケモンに匹敵する力を持っていたとしても、ポケモンはポケモンである事を。相手がポケモンならば、ポケモンと仲良く出来ないでポケモントレーナーを名乗れるものか。これはポケモントレーナーとしての私に与えられた試練なのかも知れない。
のけ者にされたポケモンとどうやって友達に、ゆくゆくは恋人ならぬ恋ポケになれるか。

長らく目標を見失っていた私は新しい課題を得た事を、急いでトウガンさんに報告せねばならない。左手にムーンボールを握りしめて、私はミオジムめがけミオシティの夜景を駆け抜けた。

後から聞いた話であるが、私がダークライを手持ちに加えたあの日以来私の人影は夜の間だけ異形の姿をとる様になったらしい。
私には見慣れた自分の影にしか見えていないのだけれど。




Fin


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