辺り一面、薄暗い空間。時折ぴちょん、ぴちょんと水の滴る音が、岩々に反響する。
「ふう……。大分奥まで来た気がするなあ。」
アイナがイワヤマトンネルに入ってから、既に三日は経過していた。既に彼女のバッグの中は落とし物でいっぱいだった。中にはリストに入っていないものまである。
「ヤン、平気?」
「や〜ん」
ヤン、と呼ばれたヤンヤンマはふらふらした鳴き声を出した。
「リーも大丈夫?」
「チッコー」
リー、と呼ばれたチコリータも、前足を上げて頭の葉っぱをぴょこんとゆらした。
「……そっかあ。じゃあ私も頑張ろうっと・・・。」
この二匹の呼び方をアイナが変えたのは、カスミに言われたからである。
『あんた、自分のポケモンにマーキングとかしてないの?』
『えっ。しないとだめですか?』
『ヤンヤンマもチコリータも、珍しい方だから大丈夫だとは思うけど……よからぬ奴らがまた出てきた。そいつらはポケモンを奪うことが普通だと思ってる。……いったん野生にまぎれたら分からなくなってもおかしくないわよ?』
その言葉に、アイナは震えた。実際にロケット団の悪行をこの目で見ている。あいつらならきっと、ポケモンを奪うことになんの罪悪感も感じないだろう。
「……それにしても、落し物はたくさん集まったけど、ポケモンは襲ってくる子ばっかりで全然捕まらないし…。というか、ヤンもリーも捕まえたっていうと変だし…。」
そうなのだった。アイナは実は、今までポケモンを弱らせて捕まえたことがないのだ。
「そりゃあ捕獲実習はやったことはあるけど、あれって塾のポケモンだったし。ヤンはタマゴのときから私と一緒にいたし。リーはボールに入ってくれたって感じだし…。」
「チコ―?」
「……。」
ただ、二匹のレベルの方は、確実に上がっていると感じていた。
「リー、進化するの?」
「……チコ?」
「……わかんないよねえ。カスミさんがいたら、聞けたのになあ…。」
カスミがアイナの近くにいたのは、最初の一日だけで、あとはどこかに行ってしまった。
「進化の時が来たらわかるって言ってたのに……どこ行っちゃったんだろ…。」
はあ、とため息をつくアイナを、ヤンは羽を震わせて励ました。
しかし実際のところ、カスミはアイナのすぐ近くにいた。
「うーん、こんなところかしらね。あと少し。」
スターミーの”ほごしょく”と、”高速スピン”によって、カスミはアイナに気づかれることなく双眼鏡で彼女を見守ることに成功していた。
「何でもかんでもアタシに頼ってちゃ、強くなれないもんね。……手探りって大事なの。」
すると、スターミーの宝石がチカチカ点滅した。
「……ごめんって。大丈夫よ、あの子ならやれる。……きっと、経験の吸収に関しちゃ、十年に一度の逸材だと思うの。」
カスミは笑った。主人の眼のかがやきを感じ取ったスターミーは、ゆったりと点滅する。
「……ふふ。さて、アタシ達も本来の業務に戻りますか。」
彼女がアイナから離れて、探しているもの。それは、『敵』の痕跡だった。
「あんなに強い『どく』を使う人が何か残すとは考えにくいけど…。部下に使わせたんなら、話は別。」
通常、ポケモンは主人の言うことしか聞かない。それが普通なのだ。交換したポケモンもなつくのに時間がかかる。ただ一つの例外はジムバッジを持っている場合だ。しかし、ロケット団員はそれと知れた時点でジムへの挑戦権がはく奪され、ジムバッジは直ちに没収される。
「まあ、強いものにしか従わないってことよね。要するに。」
しかしあの時いたのはしたっぱだけだ。七年前の戦いでしたっぱがどの程度の実力かは既にカスミは知っていた。ただ今回はポケモンが違う。
「主人の言うことになら従う。けど、どこかで必ずぼろが出る。それさえ見つけられれば、後はセキチクに持っていけばいい。」
本当であれば別のジムリーダーがやるべき責務ではあるが、図鑑所有者と出会った以上、彼女には選択肢はなかった。
「……今度こそ、力になるから。」
そんなカスミの思惑も知らず、アイナは中心部へと進んでいた。
「ふう。今どのくらいなんだろう…?」
外から光が漏れる様子もなく、ひたすらに薄暗く冷たい岩の壁が続く空間に、彼女は途方に暮れていた。
けれど良いこともあった。薄暗い空間に目が慣れたことで、地場の特徴を掴めるようになってきたのだ。当初は足を取られていたはずの足場も、楽々と歩けるようになっていた。実はこれこそがカスミの狙いの一つでもあった。戦いにおいて地理条件は重要だ。トレーナーは地理を的確に掴み、正しい指示をポケモンにする必要がある。ポケモンを鍛えると同時にトレーナーの目をも鍛える。それは塾で座っているだけでは味わえない経験であった。
「ふう……。あ、階段がある!いこっ、ヤン、リー!」
また一つフロアをクリアした彼女を横目で見ながら、カスミは注意深く辺りを見張っていた。
――その時だった。
「スタちゃん?」
ぴこん、ぴこんと定期的に点滅するのは、危険が迫っていることを示すサインであった。
「何か…いる?」
そして彼女のその予感は限りなく正しかった。
カスミのいる場所より、遠く――洞窟の中腹入り口。
「さ・て・と。さっさとすませないといけないわねえ。……ほんとはこういう後始末みたいなの、趣味じゃないんだけど。ね、ニューラ。」
そう薄く微笑んだお下げ髪の女――ステラの肩には、鋭く爪をといだニューラがいた。
「まあ…かぎつけてるならかぎつけてるでいいんだけど。仮にもジムリーダー、頭の働く奴がいるわよねえ」
美女は艶やかな赤い唇にそっと手を添えて、そして、ぞっとするような笑みを浮かべた。
「行くわよ。ジムリーダー狩り」
ロケット団の新たな幹部の女は、かつんと銀のハイヒールを鳴らした。
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