いつだって、パールの物語のきっかけは彼女だ。
『見た、見た!? 今のすごいよジュンちゃん!!』
テレビ画面越しに観戦したポケモンリーグ。
興奮する彼女が隣に座るパールを揺さぶりながら赤いポケモンを指差した直後、対戦相手のポケモンが倒れ、会場がどよめきに包まれた。
あのとき、画面の向こうで何が起こったのか、パールはまだ知らない。
『じゃじゃーん! えへへ、パパからポケモンもらったんだ。
 ハートっていうの、可愛いでしょ? 尻尾の先がハート型なんだよ!』
同じようにポケモントレーナーを目指していたつもりだったのに、ポケモンを手に入れることに関しては先を越されてしまった。
負けまいと、パールもパールなりにポケモンバトルの記録を見て研究してきたつもりだったが、どうしてもポケモン博士のもとで手伝いをしている彼女に知識では勝つことが出来ない。
『聞いてよジュンちゃーん……ナナカマド博士ってば、まーたあたしに用事押し付けてきたのよ?』
そう言って膝の上に乗せたピカチュウをこねまわす彼女を、少しだけうらやましく思ったりもした。
ポケモンを連れて出かけていく彼女が、そのまま帰ってこないような気さえして。

「……オレ、ずっと……あいつに、言いたかったんだ。」

「『行くな』……って。」



呼吸をするたび、白い天井が視界の中でゆっくりと上下に揺れていた。
瞳にかけられたノイズは晴れてきたが、頭の中に霧がかかったようで意識はあまりはっきりしない。
「目が、覚めたか?」
少し低いプラチナの声で呼びかけられ、パールは視線だけを自分の左側へと動かした。 吸い込まれそう黒い瞳が2つ、不安そうにパールのことを覗き込んでいる。
「……まだ、悪夢の中だよ。」
喉の奥がヒリヒリと痛む。
かすれた声でパールが答えると、ダイヤは何かを言いかけ、うつむき、再び口をつぐんだ。

「……俺のことを助けた直後、街の入り口で倒れたんだ。 ここはトバリシティのポケモンセンターだよ。」
少し間があった後、ダイヤはパールに向かってそう切り出した。
答えようとしたがうまく声が出ず、パールは軽くうなずく。
薄ぼんやりとだが、思い出してきた。 冷たい雨の中、倉庫街で誰かと睨み合うダイヤと、それを守ろうとしているキング。
「ギンガ団……!」
「確かに気がかりだが、今はパールを回復させる方が先だ。」
起き上がろうとするパールの肩をダイヤが細い指先で押し返す。 それだけで、パールの身体はあっという間に枕の上に倒れこんだ。
「もう少し寝ていろ。」
悔しそうにダイヤを睨むパールの手を、ダイヤは自分の小さな2つの手で握り込んだ。
ダイヤは、背中まである長い髪を丁寧にまとめ、赤いハンチングの中にしまっていた。
確か、倉庫街で見つけたときは、帽子から髪がはみ出していたはずだ。
「……ありがとう。 倉庫街にいたとき、俺は脅されていたんだ。 ひとりでいたら恐らく何も出来なかっただろう。
 パールが助けにきてくれて、本当に、助かった。」
「んだよ。」
気恥ずかしくなってパールはそっぽを向く。
繋がれた手が熱を持ち、手のひらにじっとりと汗をかいていくのがわかった。
その指先の感覚は、プラチナのようであり、全く違った誰かのようでもある。
「……変なの。 中身がダイヤでも、身体は間違いなくプラチナなんだよな。
 でもさ、プラチナの手って、いっつもちょっと冷たいんだよ。」
大きさは全然変わっていないのに。 そう心の中で付け足したパールに、ダイヤはパールすら気づかないほど、かすかに目を細める。
「交感神経が強く働くと身体の中心部に血液が集中し、手足などの末端部分に血液が行き届かなくなるんだ。」
「……?」
意味が解らず、パールは眉を潜める。 指先を握る力が強くなり、視線が自然とダイヤの方へと向いた。
プラチナが笑っている。 高鳴った心臓がドクンと、痛いほどにパールの胸骨を叩いた。
発せられた声がどちらのものなのか、わからない。
「彼女も緊張しているんだ。 パールと一緒にいるときには、な。」


「ぴきゅぴきゅ」などと、のんきに入っていける空気ではなくて、キングは薄い扉を背にしたまま、深くため息を吐いた。
確かにパールが動けない以上、ダイヤの動ける範囲は非常に限られてくる。
だけど現実問題、今しがた自分たちは襲われて、社長から預かったポケッチを奪われてしまっているのだ。

ギンガ団が要求するものは、ポケッチ、ポケモン図鑑、プラチナ自身と、遭うたびにコロコロ変わっている。
一旦退いたとはいえ、いつまた矛先を変えて襲い掛かってくるかわかったものではない。
そのためにも対策を考え、奪われたポケッチを取り戻しておきたいのだが……ポケモン1匹の力や考えなんてたかが知れているということを、キングはプラチナと旅した半年ちょっとで痛いほどに理解していた。
ならば、せめてポケモン同士で対策会議出来ないだろうか。
そう思って仲間たちが集まるポケモンセンターの回復ルームまで戻ってみたのはいいのだが……
ハートは……尻尾の手入れをしながら、思い切り睨みつけられた。 人間には媚びを売るのに、ポケモン同士だとやたら容赦がない。
クローバーは……他のポケモンの食事に手を出して、センターの職員につまみ出されている。 まあ、いつものことだが、あの小さい身体のどこにそんなに食べ物が入るのだろうと、たまに疑問に思う。
ジャックは……部屋の隅で黒焦げになって転がっていた。 何があったのかは大体、想像がつく。
スペードは……いない。
「……きぴゅ?」
いない? いつもならスペードの場合、食後はプラチナの目につく範囲でのんびりしているか、そうでなければ『どくづき』の練習をしているのに。
何か気になるものでもあったのかと部屋の中を探してみるが、見つからない。 廊下も、ダイヤとパールのいる宿泊室にも。
「きゅ……」
再び回復ルームに向かう道すがら、キングはロビーで足を止める。
ガラス越しの街灯りが雨で輪郭をぼかされ、頼りなくトバリの街を照らしていた。
まさか。 一瞬浮かび上がった考えを、キングは頭を振って否定する。
ガラスに羽をつけると、白く濁った水滴が小さな三角の形に溶けていった。
……そんなはずはない。 スペードのことだから、きっと、どこか目につかないところでひとりでくつろいでいるんだろう。
だって外は、雨が降っているんだから。





キングがガラス越しに見つめているのと同じ、粘りつくような雨はその日、トバリシティ一帯に降り注いでいた。
ダイヤと別れ……正確には、パールに引きずられていくダイヤに声をかけることが出来ないまま取り残されたスモモは、濡れたズボンのポケットを握りしめたまま、水たまりに浮いては消える小さな波紋を見つめていた。
何度か、パートナーのルカリオに声をかけられた。 だけど、何と返していいのかも解らず、ただ冷たくなった唇をぎゅっとつぶる。
ルカリオは倉庫の片隅に立てかけられた傘に目をつけると手を伸ばし、それに触れる前にまた手を引っ込めると、足元を見つめるスモモに駆け寄って身体をぴったりとくっつけた。
「ルカリオさん……」
「わう」
濡れた毛並みの感触に獣が身震いする。
「もう……冷たいですよ、ルカリオさん。」
跳ね上がったしぶきが、冷え切ったスモモの頬を刺すように貼りついた。
文句を言いながらも口元を緩めたトレーナーの腕を軽く引きながら、ルカリオはふと、ぼんやりとした光を放っている坂の上へと視線を上げた。
階段ではないところを伝ってやってきたポケモンが、ぱしゃんと水しぶきをあげてスモモたちの前へと現れる。
「グレッグル……?」
頬の毒袋を膨らませたポケモンを見て、スモモは不思議そうにつぶやいた。
珍しくはないポケモンだ。 だけど、生息地である大湿原との間に海風の吹くナギサシティを挟んでいる関係上、このトバリシティで野生のグレッグルを見かけることはまずない。

戸惑っていると、靴で水たまりを蹴りながら茶色いヨレヨレのコートを着た男がスモモたちのところへと近づいてきた。
「トバリシティジムリーダーの、スモモクンだね?」
「あなたは……?」
「国際……いや、旅のトレーナーのものだ。
 親しみを込めてハンサムおじさん、と、呼んでくれたまえ。」
トレーナー。 その単語を聞いた瞬間、それまでぼんやりとしていたスモモの顔が引き締まった。
「あっ、挑戦者の方ですか? ごめんなさい、すぐにジム開けますねっ!」
「いやいや、私はチャレンジャーではない。 ただ、ちょっとこの街のことが知りたくてね。」
身体の前でひらひらと手を横に振ると、コートの男は自分のこうもり傘をスモモの上へと差し出した。
「私も、あちこち旅をしてきたつもりだが、キミほど若いジムリーダーは初めてだ。
 それも、こんなに都会でやっているとは。 いろいろと苦労も多いのではないか?」
「そんなことないです!
 みなさん良くしてくれますし、ルカリオさんも一緒だし……ね、ルカリオさん!」
「ぶる!」
ルカリオが返事すると、水たまりの上で雨に打たれていたグレッグルがケッと舌打ちした。
チラリとそのグレッグルに横目を向けると、ハンサムと名乗った男は顔が赤くなってきたスモモに質問を続ける。
「みなさん、というのは?」
「ええと、確か……そう、ギンガ財閥ってとこの人たちです。
 まだジムリーダーになりたてで右も左も分からないあたしに、この街のあれこれを教えてくれますし、時々、食べ物も差し入れてくれるんですよ!」
そう笑顔で話すスモモの顔が、ほんのわずか、一瞬だけ曇った。
ダイヤのいるポケモンセンターの方角を気にするようなしぐさを見せると、開きかけていた口をつぐんで首を傾げるルカリオの手を引く。
「あたし……ジムに帰らなくちゃ。
 ハンサムさん。 すみませんが、これで失礼します。」
「傘を貸すかい?」
「い、いえっ! いりません、それじゃっ!」


逃げるように去っていったスモモの背中を見送ると、ハンサムは小さく息を吐きながら傘の柄で軽く自分の肩を叩いた。
「ギンガ財閥か……確か、ハクタイにもあったな。」
小さくつぶやくと、水たまりから見上げていたグレッグルがゴボゴボと毒袋を鳴らす。
記憶を辿る。 確かハクタイシティでは早々にプラチナを見失い、その追跡作業に追われてロクに街のことは調べられなかったのだった。
軽く自分を責めてはみるが、今さら、過去を悔やんだところで何も始まらない。
今、必要なのは情報と、もしかしたら、心の覚悟。
「やはり、ここはもう1度プラチナクンに接触する必要が……」
そうつぶやきかけたとき、膝の裏に『どすっ』と鈍い感触があり、ハンサムは足元からバランスを崩して水たまりに突っ込んだ。
振り返ると、腕を突き出した体勢のグレッグルがハンサムを睨むようにしながらゴボゴボと毒袋を膨らませている。
「な、なにをするのかね!
 ポケモンといえど、罪もない市民に手を出すのは……のわっ!?」
再度飛んできた『どくづき』の攻撃にハンサムはひっくり返った体勢のまま、ばしゃばしゃと水たまりの上を逃げ回った。
ケッと舌打ちするとグレッグルは、すっかりずぶ濡れになったハンサムに背を向ける。
そのままどこかへ行くのかと思いきや、不意に振り返ると、グレッグルはハンサムの懐から何かをひったくった。
「えっ? な、なにを!?」
コートの内ポケットを確認すると、命の次というほどではないが大切な警察手帳がなくなっている。
慌てて顔を上げると、ハンサムの革張りの黒い手帳は、グレッグルの口にくわえられていた。
グレッグルは鼻から押し出した空気で小さい水しぶきを造ると、そのまま街の入り口にある倉庫街へと走り出していってしまう。
「ちょっ、ま、待て!!」
ばしゃばしゃと水たまりを蹴ってハンサムから逃げ回ると、グレッグルはどん詰まりにある、古ぼけた倉庫の前で足を止めた。
追いかけてきたハンサムを横目で見ると、持ち逃げした警察手帳を半開きになった扉の中へ投げ入れる。
ハンサムがそれを追いかけて扉の向こう側へと飛び込むと、一気に開いた扉がガツンという音とともに衝撃で跳ね返された。
ギョッとしてハンサムは扉の向こう側を覗き込む。 内開きの扉の反対側で、銀色のツナギを脱ぎ掛けた男が額にタンコブを作った状態で、目を回ながら気絶している。
「む、すまん! まさか人がいるとは……おや?」
さびれた倉庫の扉をそろそろと開けながら、ハンサムは相手の体を見下ろした。
脱げかけて腹の辺りまでずり落ちてはいるが、男の服の胸に、見覚えのある『G』のマーク。 頭からは緑色のカツラがずれて、少々広すぎるおでこがむき出しになっている。
「これは……!」
間違いない、お着替え中のギンガ団だ。 しかし、なぜこんなところに?
ハンサムが中を覗き込むと、打ち捨てられた倉庫だと思っていた建物の内側はコンクリートで固められており、狭い物置に隠れるようにして地下への階段が続いていた。
グレッグルが毒袋を鳴らし、振り返ったハンサムを押しのけながら、古ぼけた倉庫に見せかけた建物の奥へと入り込んで行く。
「ま、待ちなさい!」
追いかけようとしたハンサムは床に茶色い水滴が落ちたのを見て、慌てて足を止めた。
一瞬考えた後、水に濡れた自分のコートを段ボールの裏に隠し、気絶したギンガ団のツナギとカツラを拝借する。 国際警察7つ道具その8、『即席侵入隠れ蓑』の術だ。



ギンガ団の制服のまま階段を駆け下りると、ハンサムは小さなアルミで出来た扉に手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
……というか、回した途端にドアノブが外れてしまった。
握りっぱなしのドアノブだったものを見つめると、ハンサムはそれを床に置いてそっと中の様子をうかがう。
人の気配はなく、銀色をした壁の向こうから何かの機械が動いていると思われる無機質なファンの音が聞こえてくる。
「やはり……ただの倉庫とは思えんな。」
そもそも倉庫というものは、物置として使うために柱も壁も最小限に抑えるものだ。
ハリボテに隠された小さな部屋の、階段の下にある狭い廊下であるこの場所をはたして倉庫と呼んでいいのかどうか、ハンサムには解りかねる。
辺りを見渡すと、長く続いている廊下の奥で、ハンサムの警察手帳を盗んだあのグレッグルがのしのしと階段を上っている。
一瞬考えを巡らせ、ハンサムはグレッグルを追いかけた。
階段に近づくにつれ、壁の向こう側から聞こえてくるファンの音に混じって甲高い音やビリビリと肌を震わせるような音が聞こえてきた。
ドン、というドラムの音が聞こえ、ハンサムは顔を上げる。
階段の上で、誰かがロックバンドの演奏をしているのだ。
足の止まっているグレッグルの横をすり抜けると、ハンサムは階段の陰からそっと音の出ている場所を覗き見る。


「急いでいたって立ち止まれ!」「耳をそろえてこれを聞け!」「怒りのリズム土深く!」「野望のメロディ天高く!」

「知らなきゃ話して聞かせてやろう!
 ヤライ! ユウキ! ヨウジ! ミライ!
 ゴーゴー団の一押しバンドは いいとこどりのセレブリティ!
 誰が呼んだか、その名前……我ら、ゴーゴー4兄弟!!」

ギンガ団のツナギを改造して作ったらしき銀色のコートを身にまとった、自己主張の激しすぎる4人組を見てハンサムは思わず大きな声をあげかけた。
大きくない声はあがってしまったが、それよりも大きなギターの音が響いているせいで4人はハンサムの存在に気付いていない。
大きな声とあくびを放ちながら4人組のうちの1人が床の上にべたりと座ると、キシシ、と、歯の間から空気の抜けるような笑い方をする。
「……とはいえ、今やギンガ団に吸収されちまって、ゴーゴー団なんて名前どこにも残っちゃいねーんだけどな。」
胴の長い太鼓を叩いていた男がそう言うと、ベース弾きの少し背の低い男がムッと顔をしかめた。
「仕方がないでしょう。 憎きレンジャーのおかげでパワー・スタイラーは破壊され、今、現物が残っているのは我々の持っている4台だけ……
 それも、1匹のポケモンに対してしか使うことが出来ないという不完全な状態なのですから。」
少し背の低い男はそう言うと、今もギターを弾き鳴らしている1番背の高い男の方へと視線を向ける。
紅一点である釣り目の(というか、先ほど自称していたように4人は兄弟なのだろう、全員顔がよく似ている)女性が、キシキシと音の鳴るバイオリンを肩から離すと、乱暴に床に置いた。
「でもさぁ、あたしたちいつまで待つわけ?
 毎日コソコソコソコソさせられて、超ストレスたまりまくってんですけど!」

ギターの音が止んだ。
集団の中心にいる背の高い男が弦を弾くと、真っ赤なギターの先端に取り付けられたモンスターボールがぶるると震える。
「……だったら、発散しに行くか?」
4人の表情が一斉に変化する。
それは、笑うというよりは歪みに近い顔つきだった。
扉を開けてどこかへと出かけていく4人組を追いかけようとハンサムが階段の陰から飛び出すと、足元にいたグレッグルが服のスソを引っ張ってそれを制止する。
ハンサムが驚いているうちに、4人組は行ってしまった。
どういうことかと問いかけようとするが、ハンサムがそれをする前にグレッグルは足早に階段を駆け上がると不機嫌そうに毒袋を膨らませた。
一応、4人組が向かって行った方向を調べてみるが、どうやら鍵をかけられてしまったようで頑丈そうな扉はうんともすんともいわない。
「むむ……行き止まりか。
 おい、グレッグル。 これ以上は、あまり手がかりが得られそうにないぞ。
 ……グレッグル?」
ハンサムが振り返ると、さっきまでそこにいたはずのグレッグルの姿がなくなっていた。
驚いて辺りを見渡してみると、ギターケースの立てかけられた壁が溶け、ポケモン1匹分ほどの小さな穴が空いている。
その穴を覗き込んでみると、鼻をつく刺激臭でハンサムは軽く咳き込んだ。
向こう側には反対側の廊下と思わしき白い壁が見えるばかりで、この穴がどこにつながっているのか見当もつかない。
その穴を潜るには、ハンサムの体は大きすぎた。






「〜リングは俺の海♪ 荒れる海原、大波小波ぃ マックス! マックス! マキシマム!
 マックス! マックス! マキシマム! ウォーターストリーム……うおおーい、スモモ!
 みんなのヒーロー、マキシマム仮面が来てやったぞー!」

坂の多いトバリシティでは、ときに見えている距離よりも遠回りしなければたどり着けない場所がいくつか存在する。
スモモの治めるトバリシティジムも、そんな場所のひとつ。 地図の上ではパールたちの歩いた215番道路のすぐ近くに見えるが、実際は高い坂とへんぴな場所にある階段のおかげで、街の南、ノモセシティへと続く214番道路側から歩いて行った方が早くたどり着ける。
その、ポケモンジムへと続くなだらかな坂をのぼってやってきたのが、隣のノモセシティジムリーダー、マキシだ。
太い腕が乱暴に扉を開けると、ジムの奥で頭からタオルを被っていたスモモは小動物のように跳ね上がった。
「あっ、マキシさん! ……どうして?」
「買い物のついでだ。 やはり探し物はトバリデパートに限るな!」
「びしょびしょじゃないですか! タオル……ッ!」
「いやいや構わん!」
マキシがオロオロするスモモに手を伸ばすと、外で走り回っていたオレンジ色のポケモンがマキシにじゃれつきながらトバリジムに顔を覗かせた。
うみイタチポケモンのフローゼルだ。 腰ほどの高さのポケモンによじ登られ苦笑いを浮かべながら、マキシは太く低い声で先を続ける。
「この雨で、俺様のポケモンたちははしゃぎ通しだからな。
 今さら少し乾かしたところで、帰るころにはまたびしょ濡れだ! ガッハッハ!」
豪快に笑うマキシにスモモはぎこちなく笑みを浮かべる。
笑い声が止まると、しんとした空間がトバリジムを支配した。
「……どうした、元気がないな?」
あからさまに表情を固くしたスモモに、マキシは肩に巻き付いていたフローゼルを外に放った。

スモモが何も話さなくても、パートナーの様子を見れば彼女に何かがあったことは簡単に察しがついた。
部屋の隅で小さくなって、尻尾を床につけたまま悲鳴のような鼻息を鳴らしているルカリオを見ると、マキシは天井から吊られているサンドバッグを押しのけてスモモのもとへと向かう。
「何があった? 言ってみろ、ん?」
「マキシさん……」
スモモの視線が外れた。 固い笑みさえ顔から消えて、とても半年前、『天才格闘少女』として鮮烈にジムリーダーデビューした人物とは思えないほど張り詰めている。
「あたし……大切な恩人の方に、ひどいことを……!」
要領を得ない懺悔にマキシが首を傾げていると、隅で丸まっていたルカリオが、突如跳ね上がってジムの入り口に向かってうなり声をあげた。
どうした、と、言う間もなく入り口が開け放たれ、そのまま扉が破壊される。
吹きさらしとなったトバリジムに容赦なく雨が降り注いだ。


「よぉ、ジムリーダー。 元気に稼いでるか?」
真っ赤なギターを抱えた男がジムに入ってくると、温まりかけていたスモモの肩がビクリと跳ね上がる。
「わたしたち、ちょーっと退屈してんだよねー。
 ジムリーダーってバトルするのがお仕事なんでしょ? ヒマつぶしに付き合ってくれない?」
「ダッ、ダメです! ダメ! ダメ!」
踏み込んできた4人組の中にいる女性に悲鳴のような声で言い返す様子に、マキシはスモモを自分の体の後ろに隠す。
「何なんだ、お前ら? 神聖なジムに大勢でゾロゾロと!
 事と次第によっちゃ、俺様と俺様のポケモンが相手になるぞ!」
「『俺様のポケモン』って……ヒヒッ、あれのこと?」
男が笑いながら指差す先を見て、マキシは小さく目を見開いた。
ジムの外で遊ばせていたはずのフローゼルとヌオーが、激しい攻撃にさらされ、雨の中震えながらうずくまっている。
仮にも、ジムリーダーのポケモンなのに。
「なっ……!?」
「……それとも、ポケモンジムというものは、いちいち訪れるたびに自己紹介することが習わしでしょうか?
 ハジメマシテ、ジムリーダー。
 私はギンガ団幹部ネプチューンの部下、プロテウス。」
「同じくネレイド。」
「わたしはラリッサ!」
「そして俺が、トリトンだ。 さぁ、ポケモンを出してもらおうか?」

うなりをあげるルカリオにスモモは後ろから抱き着いた。
「ダメです! 先日の戦いであたしのポケモンたち、みんな治療中で……!」
「つまり……トバリシティをの守護者にして長たるスモモさんは、街を守るチカラもなく、与えられた仕事も無責任に放り出す、と。」
「こりゃ傑作だ、ハーッハッハ!」
飛び出そうとするルカリオをスモモは必至で押しとどめる。
その様子を見てマキシは何が起きたのか大体理解したが、代わりに自分が戦おうとしても、モンスターボールに伸びる手は鈍っていた。
外で倒れているフローゼルはマキシのポケモンの中でも1番の古株、パートナーとも呼べるポケモンだ。
不意をつかれたとしても、一撃でやられるようなポケモンじゃない。 そんなフローゼルをあっさり倒してしまうポケモンを相手に他のポケモンで戦っても、自分が勝っているビジョンがマキシには思い浮かばなかった。
「お前たち……ジム破りが目的じゃないな。」
「無論だ。」
「えー? しいて言うならー、ウォーミングアップ?」
ケラケラと笑いながら銀色の服を着た女性がおもむろに取り出したバイオリンを奏で始める。
途端、湿っているはずの空気がざわつき、次の瞬間にはドン、と、目の前で何かが爆発した。
身構える間もなくやってきたそれは、床に空けた穴の上でゆっくりと立ち上がると、意思のない無機質な目でマキシとスモモを睨みつける。

「この新しいパートナー、デオキシスちゃんの。」
デオキシス。 マキシも、その名前くらいは聞いたことがある。
かつて宇宙より飛来し、そのどう猛さゆえに専用の討伐チームまで作られたという幻のポケモン。
「そんなポケモンが……なぜ……」
「『なぜ』『どうして』…… そんなの、どうだっていいことだろう。
 今必要なのは、この状況でどう生き残るか、必死に考えることじゃないのか?」
「ぐっ……!」
リーダー格らしき赤いギターの男に言われ、マキシは相手を睨みつける。
悔しいが、今は相手の言う通りだ。 ポケモンリーグ上層部の人間が束になってやっと倒したポケモンを、主力を欠いた自分たちのポケモンが相手できるとは思えない。
ふと、マキシは眉を潜める。
「スモモ……奴ら、何が目的だ?」
「それが……」
「おおっと! おしゃべりはそこまで。
 おっさん…… トバリの人間のいざこざに首突っ込んでると大ケガするぜ?」
リーダーの後ろに隠れていた男が胴の長い太鼓を打つと、タタン、と、軽快な音が鳴った。
同時にデオキシスの体からツノが突き出し、よどんだ空気が殺気へと変わる。
「マキシさんっ!」
悲鳴をあげるスモモをマキシはルカリオごと抱え込んだ。
同時に身体が浮き上がり、スモモとマキシとルカリオは3人そろってサンドバッグだらけのジムの隅っこへと放り投げられる。


「ポケアシスト! 『ほのお』!」

子供のような甲高い声が突き抜けるのと同時に、突然上がった火柱が雨とぶつかって辺りは水蒸気に包まれる。
直後にデオキシスが放った光線が、霧を突き抜け、つたない文字で書かれた額縁のサインに穴をあけた。
リーダー格の赤いギターの男が舌打ちする。
「……来てやがったのか。 三流レンジャー。」
「おかげさまでね。 あんたたち程度、リーダーが出るまでもないわ。」
ジャキン、と、金属同士がぶつかる音が響く。
マキシとスモモは霧の向こうに目を凝らした。
シンオウでは見ない、真っ赤な制服に身を包んだ女性。
「ポケモンレンジャー、ヒナタ! お仕事させていただきます!」


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