『やめて! マキシマム仮面、あなたのHPはもうゼロよ!』
『ぬうぅ、まだ……まだ!
 負けられん、私は、全てのトレーナー……全てのポケモンのためにも、負けるわけにはいかないのだ!!』
『立ったァ! なんと、マキシマム仮面9カウントで立ちました!
 なんということだァ! これが、ジムリーダー! これが、ノモセを背負って立つ男の背中なのかァ!! セコンドのヌオーの目にッ、涙が浮かんでいます!!』
『マキシ!マキシ!マキシ!マキシ!!』
『フルブシャァーッ!!!』
『あァッ!! しかし、フローゼルも負けてはいない!! 強烈な『こおりのキバ』!! これはさすがのマキシマム仮面もダウンかーッ!!?』
『なん……のッ!! ノモセの男の底力、受けてみよフローゼルーッ!!』
『ああっと! マキシマム仮面、フローゼルを抱え上げ……投げたーッ!!!
 投げたッ! 出たッ! 必殺、スリー・シックスティ!! フローゼルたまらずダウーン!!
 カウントが入ります! 1、2、……テーン!! フローゼルダウン、ダウーン!!』
『これがッ! ジムリーダーのッ! 実力だァーッ!!』


マキシマム仮面はリングサイドのロープに登って高々と拳を突き上げる。
ワアアァッ!!という、会場をはち切れんばかりの歓声が……鳴らなかった。
というか、観客がいなかった。
2000人収容のスタジアムの中に、本式のがっしりしたリングが1つ、実況席に司会がひとり、フローゼルと、セコンドのヌオーと、あとは審判。
大音量のBGMが、壁に当たってよく響き渡っている。
「……空しい。」







そのポケモンの名前はマナフィ。 蒼海の王子とも呼ばれる北の海の王者。
2本の触覚が光るとき、どんなポケモンとでも心を通じ合わせることが出来るという。
それはすなわち、どんなポケモンでも自分の意のままに操れるということ……

「つまり、つま……り……! マナフィを手にしたものこそが、世界の王者に……なれ……ごほっ!」
「へーえ。 マナフィ、あなたそんなこと出来たんだ。」
「タンダー!」
「それよりさー、トキン。 もっと早く進めねーのか? さっきから全然進んでないぞ!」
「うるさーいッ! 大体ッ! なんでッ! 私がッ……!」
プラチナとマナフィとパール、それに白髪の老人を乗せた小舟を引きながら、ギンガ団のネプチューンことトキンは泥水の上をおぼれるような動きでもがいていた。
一応トキンには『なみのり』の技を覚えさせてみたのだが、定員オーバーの小さな船と泥のあちこちから生えている腐りかけた枝のせいで、船は一向に進む気配がない。
「そもそもッ! なんで、水ポケモンでもないゴンベが『なみのり』を覚えるのだッ!」
「ガルーラもラムパルドも覚えるんだし、世界の王者になるよりは簡単でしょ?」
「小賢しいッ、涼しい顔をしていられるのも今のうちだぞ、小娘ェ!!」
「いーから、早くノモセに行こうぜー。」
そうは言うが、ゴンベの引く船は一向に進まない。
パールは仕方なくリュウを呼び出すと、船を後方から押してトキンの仕事を手伝わせる。
結局、一行がノモセシティに着いたのはプラチナが出発時に予想していた時間よりも4時間ほど遅れてからだった。





その街は、パールが今までに見たどの街とも様子が違っていた。
ここはコトブキやヨスガのような建物があるわけでもないし、ソノオのような目立った名物もない。
のどかそのものといったノモセシティの看板を通り過ぎると、プラチナは周囲をぐるりと見渡して、小さく「あれ?」という疑問の声をあげた。
シャッターの閉まった商店の脇をちょいちょいと指して大きな瞳を瞬かせて見せる。
「パール、ここにあった顔出し看板は?」
「何のこと?」
「コトー?」という、マナフィの鳴き声に合わせ、プラチナは首を傾げる。
「あたしが前に来たときは、ここの土産物屋さんの前にグレッグルの顔出し看板があって、観光客の人とかが写真を撮ってたりしたんだけど……」
「つーかさ、土産物屋なのか、そこ?」
「ハッ! 大方、ろくでもない営業をして潰れてしまったのだろう。 このさびれた街にはお似合いだな!」
「ちょっと黙ってろよ、トキン。」
ポン、と軽快な音が響き、小型のポケモン1匹分の空間がパールとプラチナの間に空けられる。
高笑いが聞こえなくなったらなったで寂しいような気がしないでもないが、パールの後ろにはウラヤマさんからもらった弁当をむさぼる白髪の老人がいた。
少しだけ広くなった空間を見つめると、プラチナは改めてシャッターの閉まった建物に視線を向ける。
パールもつられてそちらに目を向けるが、定休日にしては閑散としすぎていた。 店構えにこれといった特徴もなく、白色無地のシャッターには次の営業日すら書いていない。

「おっかしいなぁ? 前来た時は、街中グレッグルのグッズであふれかえってたのに……」
「グレッグル?」
「ええっと……あ、あったあった。 こういうポケモン。」
プラチナが開いたポケモン図鑑を覗き込むと、画面には頬袋を膨らませた青いカエルのようなポケモンが表示されていた。
やはりシンオウ固有のポケモンらしく、書かれているデータは少ない。
パールはまじまじと図鑑を見たが、この目つきの悪い、図鑑の中ですらふてくされたようなポーズのポケモンがマスコットと言われてもイマイチピンとこなかった。
マスコットって、こう、ピカチュウみたいなもっと可愛らしいポケモンが選ばれるものじゃないのか。
「なあ……」
パールが尋ねようとしたとき、自分の……いや、ダイヤのモンスターボールをいじっていたプラチナの髪が大きく揺れた。
睨むような視線の先にあるのは地図上ではノモセシティの3分の1ほどの大きさもある大きな沼。
しんと静まり返った水面をじっと見つめると、プラチナは口をへの字に曲げ手を自分の腰元に移動させた。
「どうしたんだ?」
「うーん…… 誰かに、こっそり見られてたような気がしたんだけど……」
「フィー?」
プラチナの顔を見上げたまま、マナフィが触覚を右に傾ける。
パールもプラチナの見ていた方向へと目を向けるが、平坦な地面にだだっ広い水面が広がるばかりで人やポケモンが隠れるスペースなどこれっぽっちもありはしない。
「気のせいじゃね?」
「かもね。」
「それよりさ、プラチナ! ポケモンジムの前にここ行ってみねーか?」
パールはガイドブックの北一面に広がっている緑と灰色が入り混じった空間を指差した。
それを覗き込んだプラチナが「あぁ」と声をあげる。
そこは、このさびれきったノモセシティを盛り上げようとかつて巨額の資金を費やして完成された、この街唯一の観光地だ。


「……グレッグル? このサファリゾーンにはいねぇよ。」
見渡す限りの大湿原を走るトロッコ列車の運転手は、プラチナの問いにぶっきらぼうに答えた。
態度の悪さにマナフィが「プゥ」とふくれっ面をする。
それほどスピードが出ない割に、トロッコ列車の乗り心地はあまりよくなかった。
「あいつら、ゲコゲコうるせぇから追い払ってんだけど毎日毎日しつこくやってくんだ。」
「じゃあ、湿原の中にはいるんじゃん。」
「いないってことになってんの!
 ……ったく、昔からのポケモンしかいない世界を楽しんでもらうための大湿原なのにとんだ邪魔者だよ、あいつらは。
 今どき、あんなポケモンありがたがってるのなんて土産物屋のばあさんくらいなもんだぜ。」
悪態をつく運転手に、パールとプラチナは顔を見合わせた。
「おい、プラチナ? おまえのノモセでもグレッグルってこんなに嫌われてたのか?」
「まさか! イタズラしても街の人たち笑ってスルーしてたのに。」
しっとりとした空気にどこまでも続く静かな湿原。 トロッコ列車はカゴの木が生える小さな駅で停車した。
「はい、500円。 それじゃサファリゲーム楽しんできてね。」
ぶっきらぼうに差し出した手に小銭を乗せると、プラチナとパールは運転手からモンスターボール入りのバスケットを受け取る。
湿原のゲートに手書きされた文字によると『自然のままのポケモンと触れ合える!ノモセ大湿原サファリゲーム』とのことだったが、見つかるのはどこにでもいるようなビーダル、ムクバード、ウパーばかり。
結局プラチナが発した「つまんない」の一言で、2人は制限時間を過ぎる前にノモセ大湿原を引き上げることになった。



「まったく、最近の若いモンは……街の守り神をぞんざいに扱い過ぎじゃ!
 グレッグル様がいなければ今のノモセもなかったというのに……」
あった。 街で1番古いという土産物屋の店先に、木で出来たグレッグルの置物がちょこんと鎮座していた。
店主の老婆はプラチナたちが街で聞いた話を終えた途端、そう吐き捨てて乱暴にハタキを振り回す。
降りかかってくるホコリを手の甲で払いのけながら、プラチナは客用か売り物かわからない椅子に腰かけて小さな店の中を動き回る老婆に質問を続けた。
ちなみに、マナフィは店の前にあった小さな池の中だ。
「じゃあ、やっぱりグレッグルは街のマスコットなんだ?」
「グレッグルはこの街の救世主じゃよ!
 昔、何日も何日も雨が降らず、井戸も枯れ果てるような日照りが続いての、そんなときに1匹のグレッグルがあくびをしたら……」
「おばあちゃん。 それ、ジョウトのヤドンあまごい伝説。」
「冗談じゃ。
 まあ、ヤドン伝説のヒワダタウンほど、この街に歴史はないが、ワシが若いころ、畑の作物が全滅してしまうほどの大雨が降り続いた年があったんじゃ。
 わずかばかりのコメを抱えて、みな、途方に暮れてのう……」
「そこにグレッグルが現れて雨を降りやませたのか?」
「話は最後まで聞け。」
ホコリまみれのハタキでパールの頭を叩くと、老婆は店先にある木彫りのグレッグルに視線を向けた。
「食うに困るほどではなかったんじゃ。 実際、コメやレンコンは取れたしの。
 しかし、質の悪いコメとレンコンが売れるわけもなく、目立った名物もないノモセには金がなかった。
 そんなとき、街に1匹のグレッグルが現れたんじゃ。」
「街に現れたグレッグルが金銀財宝を掘り当てたのか!」
「話は最後まで聞けと言うておろう。」
茶々を入れるパールの口を、ボールから呼び出されたキングが後ろから塞ぐ。
「それを見た当時の市長は思いついた!
 このユーモアあふれる容姿をしたグレッグルを、街のマスコットにして大々的に売り出そうと!
 そうしてノモセの一世一代の大勝負とも言えるグレッグルのマスコットは売れに売れ、ついには巨大な市立公園としてノモセ大湿原を買い取れるほどとなったのじゃ!
 どうじゃ、すごいじゃろう? ちなみに、当時市長をしていた美しすぎる敏腕政治家が、このワシじゃ。」

結局自慢話か、と、パールは脱力した。
途中からモンスターボールをいじり始めたプラチナは話が一区切りしたタイミングで視線を動かすと、キングの手を指先でぺたぺた触りながら老婆に尋ねる。
「じゃあ、そのグレッグルが流行ったとき、この街にサファリゾーンはなかったんだ?」
「そうともさ! 今のノモセがあるのもこのワシのおかげだよ!」
「うーん……
 あたしが行ったときは、大湿原の中を埋め尽くすくらいグレッグルがいっぱい暮らしてたんだけどなぁ……」
「そ!」



「『そ』?」
どちらからともつかない方向から聞こえてきた声に、プラチナとパールは首を傾げた。
「そ……」
2回目のそれで音の方向が定まる。
土産物の中に埋もれていた等身大のヌオーの人形が揺れていた。 ……というか、土産物だと思っていたそれは、生きているヌオーそのものだった。
水色の中にてんてんの目が2つある生き物がぬおっとプラチナたちの方向に倒れこんでくると、後ろから現れた筋肉ダルマが天井に向かって高く拳を突き上げる。
「それだーッ!!!」
「ヘンターイッ!?」
上半身裸の男にプラチナが悲鳴をあげた。
全身の毛が逆立ったキングにプラチナが落ちた椅子を蹴飛ばしたパール、倒れてきたヌオーから慌てて商品を保護する店主の老婆。 てんやわんや。
ギャングのような目出し帽をつけたヘンタイ男に太い手を差し出され、プラチナはパールのズボンにしがみついた。
「お嬢さん、ありがとう! おかげでこのノモセシティも大きく成長することが出来そうだ!」
「おや、マキシじゃないかい。」
「マキシ?」
ずり落ちそうなズボンを押さえたパールが老婆に聞き返す。
なかなか離れないプラチナの頭に手が触れると、彼女は足にしがみついたままパールの顔を見上げてきた。 涙でうるんだ大きな2つの瞳がうるうるとパールのことを見つめている。
への字になった口元をパールが見つめていると、マスク男が「う、うん!」と大きな咳払いをしてとっさにパールはプラチナをかばった。
太ましい身体にポッタイシのマスク。 どこかで見たことがあるような姿にパールは「あれ?」と声をあげる。

「ム、気づいてしまったようだな……何を隠そう!」
「いや、隠してないよな。」
「むしろ露出狂?」
「俺様こそが!」
「『オレサマ』だって。」
「今どき漫画でだって使わねーよな。」
「ノモセシティの代表にしてジムリーダーの……」
「あ、大体わかった。」
「本当にさびれてるもんね、この街。」
「キミたち……お父さんお母さんに聞かなかったかね?
 聞かなかったのなら、私が教えてあげよう。 人の話はちゃんと聞きなさい。」
「なんだってんだよー、おっさん?」


適当におちょくっていたら落ち着いてきたらしく、床に座り込んでいたプラチナがスカートのスソを整えて体勢を正した。
その隙を見て、パールもパンツが見えそうになっていた自分のズボンを上げ直す。
「ていうか、シンオウポケモンプロレスのマキシマム仮面だよな?」
パールが尋ねると、マスク男はなぜか恥ずかしそうに頬をかいた。
「お、おお。 俺様のことを知っていたか。」
「親父がシンオウポケモンプロレスのファンだからさ。 んで、何やってんだよ、こんなところで?」
「う、うむ。 さっきも言ったように俺様はこの街の市長もしているのだが……ぶっちゃけたところ、財政難なのだ。
 観光の目玉であるはずの大湿原に人があまり来なくてな。」
「……まあ、あんなどこにでもいるポケモン、お金取って見せられてもねぇ。」
呆れた様子のプラチナに引き寄せられ、キングが慌ててお尻の火を消した。
市長だろうがマキシマム仮面だろうが上半身裸なことに変わりはない。
ゆっくりと後ずさるプラチナに少し悲しそうな顔をすると、マキシマム仮面は彼女から視線を外し、話を続ける。
「広大な湿原でのびのびと暮らすポケモンたちと触れ合えれば、トレーナーの心の癒しになると思ったが、思惑が外れたようだ。
 しかし、今日ここにきたお前たちの会話を聞いているうちに、このノモセに足りないものがわかった!
 これから俺様はノモセシティをナンバーワンでオンリーワンな都市にすべく、ノモセシティ全てを改革していく!
 シンオウポケモンプロレスも同じだ! ただ漫然とシナリオに沿った試合を進めて行くだけではダメなのだ!」
「シナリオって言っちゃった。」
「プロレスラーが1番言っちゃいけない言葉だよな。」
内緒話をするパールとプラチナにマキシマム仮面は傷ついた。
目の前でヒソヒソする子供たちに大きな体をしぼませると、マキシマム仮面は気を取り直して腰に手を当てる。
「そこで、だ! 2人とも今から俺様のジムに来てもらえないだろうか?
 街や大湿原はすぐに変えられないが、プロレスはすぐにでも変えられる! 試合を見て忌憚のない意見を聞かせてほしいのだ。
 もちろん、タダとは言わんぞ! お前たちがこのノモセにいる間、最高のもてなしを約束しよう!」
「えー? あたし、プロレスとかイヤ。 なんだか汗臭そうだし……」
「そこからか……」
マキシマム仮面は今度こそ大きなため息をついた。
ぐさぐさ刺さるが、「汗臭そう」もまた率直な意見だろう。 今、この段階で「ちゃんと掃除してあるからおいで」と言ったところで無理矢理連れて行ったことになってしまう。
少し考えると、マキシマム仮面は視線をパールの方に移した。
「お前はどうだ?」
「え、オレは別に……」
「じゃあ、俺様は先にこの金髪を連れて行くから、夕方になったら改めてジムに来てくれ。 それまでには、会場の方もなんとかしておく。」
面倒くさそうに口をとがらせながらも、プラチナはしぶしぶ了承した。
というのも、この街、ノモセには本当に見るところがないのだ。 このままでは、わざわざやってきたにも関わらず1日中ポケモンセンターの部屋でゴロゴロするだけで終わってしまう。
大きな身体に引きずられていくパールの背中に手を振るとプラチナは、さて、と、一呼吸置いた。
夕方まで、どうやって過ごそうか。



うろうろとノモセの街を見て回った末、プラチナはポケモンセンターから鍋を借りてポケモンのおやつ、ポフィンを作ることにした。
『ダイヤ』のポケモンたちはビジュアル的には悪くないけれど、とにかく身体が締まりすぎなのだ。 特にルークなんて、女の子なのに筋肉がむき出しで、プラチナとしては見ていられない。
きのみをすりつぶして、鍋に入れる。
キングのお尻の炎を借りてひと煮立ちさせると、甘ったるい匂いが辺りに立ち込めた。
そうしたら今度は、モコシのみから取り出したポフィン専用のふくらし粉の出番だ。
焦げ付かないよう、一気にかき混ぜる。 そうして出来たモモンのみのポフィンをカゴに敷いたナプキンの上に落とすと、プラチナはマナーモード中の携帯電話のように体を震わせているナイトに向かって声をかけた。
「ほら、ナイト。 あなた放っておくと他の子の分まで食べちゃうんだから、先に食べなさい。
 ちゃんと味わって食べるのよ。」
「わ!」
小さな手足をいっぱいに広げると、ナイトは出来上がったばかりのポフィンにかぶりついた。
はふはふと口の間から息をもらすフカマルからそっと視線を外すと、プラチナはタライの中でプカプカしているマナフィに人差し指を向ける。
「次はマナフィね。 ブリーのみがあるから、これで作ったげる。」
「フィ!」
半透明な触手をピクピクさせるマナフィの前で、プラチナは真っ青なブリーのみをすりつぶす。
香ばしい匂いにつられたのか、野生のポケモンたちが集まってきた。
きのみの色で真っ青に染まった甘いポフィンをマナフィに渡すと、プラチナは次のきのみをすりつぶす。
「じゃあ、次はクローバーの分。」
「フィ?」
放り込まれたノメルのみにマナフィが首を傾げた。
キングもルークもナイトも、もちろんマナフィも、ノメルが好きなポケモンはいなかったはず。
不思議そうな目で見るポケモンたちをよそに、プラチナはすっぱい味のポフィンを作り上げると続けざまに渋い味で知られるウイのみでポフィンを作り始めた。
やっぱり、誰も好まない味付けだ。 そもそも、4匹しかいないダイヤのパーティに、こんなにたくさんのポフィンが必要なのだろうか?
すりつぶされたバンジのみを鍋の中に流し入れたとき、プラチナははたと顔を上げる。
いつの間にか、バスケットの中にはカラフルな5色のポフィンが山になって積まれている。

あっと小さくつぶやくと、プラチナは恥ずかしそうに自分の頬に手をあてた。
「なにやってんだろ、あたし…… キング、もういいよ、火を消して。」
キングと呼ばれたヒコザルはキッと鳴き声をあげると借り物の鍋の下からのそのそと這い出した。
鍋の底を叩くと、ナプキンの上に少し焦げた、バンジのみで出来たポフィンが転がり出る。
浮かない顔のプラチナを気にしながらキングがそれを食べようと手を伸ばしたとき、横から伸びてきたゴムのような腕がキングのポフィンをさらっていった。
驚いて固まるキングの前で、青いカエルのようなポケモンが出来立てのポフィンを一口で飲み下す。
「……スッ……、!?」
荷物をひっくり返さんばかりの勢いでプラチナが立ち上がる。
転げたポケモン図鑑が、ピピッと音を鳴らした。 うつぶせに地面を照らす画面の中で、『グレッグル』の5文字が光っている。


立ちすくんだプラチナは、ルークが地面をひっかく音で我に返った。
改めて、まじまじとグレッグルを見る。
とても満足したとは思えない「ぐぇ〜」というゲップを鳴らすと、グレッグルは頬の毒袋を膨らませながらその場で尻をかいた。
プラチナの口から、乾いた笑いが漏れる。
「だ、だよね……スペードがここにいるわけないもんね。」
「ぐぇ〜」
「ホ、ホラ! キング、ルーク、ナイト、マナフィ! コンテストの練習しよっ!
 ヨスガのときみたいな失敗繰り返すなんてまっぴらごめんなんだから!」
甲高い声を出してプラチナは振り返る。 翻った長い髪に生臭いにおいがまとわりついた。
一面に広がるグレッグル。 視界が全てグレッグル。 青いグレッグルの大地に、プラチナの気が遠くなる。
「……ッ、にゃああぁっ!!?」
「フィーッ!?」
声に驚いたマナフィの触手が光りかけたのを見て、慌ててプラチナはマナフィを抱え上げた。
間一髪、心が入れ替えられるのは避けられたと思う。 周囲にいるグレッグル同士が入れ替えられたとしたら、もはや見分けがつかない。
マナフィを抱えたまま改めて周囲を見渡してみるが、見える範囲全てグレッグルだらけだ。
「……そういえば、スペードに会ったときもグレッグルの群れに囲まれたっけ。」
バッグから転がり落ちたポケモン図鑑を確認しながらプラチナはつぶやいた。
幸い、グレッグルの群れに敵意は見られない。 移動には事欠くが、この場でコンテストの練習をするくらいなら多分なんとかなる。
「それじゃあ、ルーク! まずは『スパーク』を……」
「ごぇ〜」
「……ルーク?」
「ニュー?」
「ごぇ〜」
プラチナとマナフィの問いかけに答えたのは嫌な顔をしたルーク……ではなく、その後ろにいるグレッグルだった。
いや、違う。 あんたはルークじゃないと首を横に振って、プラチナはナイトの方に身体の向きを変えた。
「そしたらナイト、『すなじごく』は……」
「げぇ〜」
「キング……」
「うぇ〜」
「マーナフィー?」
「どぅぇ〜」


「なんなのよッ、グレッグル!?」
プラチナはキレた。 キレることが予測出来たため、今度はマナフィも驚かなかった。
グレッグルは自分の方に指が向けられるたび、「ぐぇ〜」とか「うぇ〜」などといった奇妙な鳴き声をあげる。
あっち行けと湿原の方を指差しても「ぐぇ〜」。
技を出して追い払おうと自分のポケモンたちに指示を出しても「ぐぇ〜」。
「ああ、もうッ! ルーク!」
プラチナはキングとナイトをモンスターボールに戻すとルークに『ほうでん』の指示を出した。 光の柱が立つほどの電撃にグレッグルたちはカエルの子を散らすように逃げて行く。
ゴボゴボと毒袋を鳴らす不気味な音がプラチナの耳に届いた。 振り返ると最初に見つけたつまみ食いグレッグルがプラチナのことを見上げてニヤニヤと笑っている。
「『ほえる』!」
「ぐぇ〜」
「『スパーク』ッ!」
「ぐぇ〜」
「……ッ! ルークッ!!」
ぴょこぴょこと攻撃をかわすグレッグルにイライラしてきたプラチナは、もう1度『ほうでん』の指示を出そうと右手の指を高く空に掲げた。
丁寧にとかされたコリンクの薄青い体毛が逆立ち、青白い光を放って空へと電撃が飛ぶ。
一瞬真っ白になった視界を覆い隠す手をどけ、プラチナが戦況を確認すると、驚いたことにグレッグルはまだピンピンしていた。
どこから連れて来たのか、電気避けの盾にされたウパーが引きつった笑みでルークのことを見つめている。


予想もしていなかった戦い方にプラチナが次の手を探ろうと態勢を立て直したとき、パチパチという無数の音が周囲から聞こえてきた。
ピンと尻尾を突き立ててルークが周りの景色に注意を配ると、いつの間にか3分の1ほどに減ったグレッグルたちの間から、ラフな格好をした人間たちがプラチナに向かって拍手を送っている。
訳がわからず、プラチナは対戦中だということも忘れて目をパチパチさせる。
ルークと戦っていたグレッグルが「チッ」と舌打ちした。
まばらな人の中にいた女の人が立ちすくんでいるプラチナに、拍手の音ともに満面の笑みを向ける。
「ブラボー! すっごくいいバトルだったね。」
「へ? え?」
「グレッグルの鳴き声を歌にするところとか、すごくユニークな発想だよ。 トレーナー始めてどのくらいになるんだい?」
「あ……」
肩から落ちた長い茶髪に、プラチナは好奇心いっぱいの視線を向けてくる相手のことを思い出した。
確か、ヨスガのコンテスト会場で遅刻してきたホウエン地方のコーディネーターだ。
「あのグレッグルたち、お嬢ちゃんのポケモンなのかい? ずいぶんいっぱいいるみたいだけど……」
「ち、違います! あたしのポケモンたちは……えっと、その……」
「フィー?」
「どこにいるか分からない」と言うわけにもいかず、プラチナが答えに詰まっていると長い指が頬を両側から包み、うつむいていたプラチナの顔を持ち上げた。
眉間の真ん中に女性の唇が当たってプラチナは口をパクパクさせる。
「ねえ、ちょっと話せないかい? いろいろ聞きたいことがあるんだけど。」
一瞬、プラチナはマキシマム仮面と一緒に行ったパールのことを考えたが、相手の瞳を見ると口元に笑みを浮かべてうなずいた。
夕方までまだ時間はあるし、プラチナとしてもコーディネーターの彼女にいろいろと話を聞いてみたい気持ちもある。
小さくうなずくと女性はいたずらっぽい笑みを浮かべ「じゃあ、行こうか」とモンスターボールからポケモンを呼び出した。
透き通るような毛並みのギャロップがいななきをあげ、女性がその背中に飛び乗る。
「……ケイ、マ?」
「さあ、乗って。 ちょいと遠乗りするから、しっかりつかまっとくんだよ!」
「あっ、はい!」
馬上から伸ばされた手をつかむと、とてもポケモン1匹抱えているとは思えないほど軽々と身体は持ち上がり、すとんと女性の胸の間に収まった。
普段見慣れない景色に興奮したマナフィがパタパタとヒレをばたつかせる。
「ターカ! タカーイ!」
「あ、ちょっと!」
「アハハ、振り落とされないよう気をつけな! それじゃ、行くよ!」
女性が軽く横腹を蹴ると、ひづめで大地を蹴ってギャロップは走り出した。
湿原からくる冷たい風がプラチナの頬をなでる。
女性はプラチナが見知っている道を、東の方角へと向かってギャロップを走らせた。
記憶と道が同じなら、この先にあるのはシンオウ第2の湖、リッシ湖のはずだ。


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