【自転車】
旅の手段は歩きだけとは限らない。
ごくごく少数ではあるが、自転車など乗り物を使って旅をする者もいる。
その人数が少ない理由を挙げれば、トレーナーとしての体力をつけるため、
また、移動手段となる乗り物が非常に高価なことが挙げられるだろう。


PAGE49.小さな迷子


開けた十字路へと到着すると、3人と4匹はそれぞれ足を止めた。
左には金色(こんじき)に輝く砂漠、右には池やら草むらやらのある小さな道が見える。
近道とはいえ、吹きすさぶ砂の中を進むのはやはり気乗りしないのか、砂漠を見て少女ルビーはため息1つついた。
その後ろで彼女の肩ほどしかないポケモンワカシャモが首をかしげ、腰ほどしかないポケモンライチュウのD(ディー)が目を瞬かせる。
「それじゃあ、ここからしばらくお別れね。」
先頭を歩いていたポニーテール(前に向けて跳ねているため、とても馬の尻尾には見えないのだが)の少女が
ルビーともう1人の少年、サファイアへと向けて声をかけた。
彼女・・・スザクは自分のポケモン、2人分の荷物を運んできた銀色の鳥ポケモンにも声を掛けると、
そのポケモン『エアームド』のシグレの背中から1人分の重い荷物を降ろし、ルビーへと渡す。
ついでに、と自分の荷物からモンスターボールのようなものを取り出すと、それを彼女へと手渡した。
「アイテムボール、中身は『マッハじてんしゃ』よ。 急ぐんなら砂漠を抜けたあと、使うといいわ。」

「あ、ありがと・・・」
うつむいたまま礼を言うと、別れの挨拶もそこそこに、ルビーは金色の風へと向かって歩き出した。
後からついてきたワカシャモとD(ディー)を、モンスターボールへと戻るよう言い、腰から下がるポシェットの中にしまい込む。
その背中が完全に見えなくなると、サファイアはぶぅっと 風船のように口をふくらませた。





「えーな、えぇな! ルビーばっかり色んな物もろて・・・」
自分のポケモン、ヌマクローのカナになだめられつつ 後ろをのろのろとついてくるサファイアを見て、スザクはクスクスと笑う。
「ぶーぶー言わない!
 キンセツシティについたら、カゼノさんに交渉してあげるわよ。」
「ホンマか!?」
ゲンキンなもので、先ほどまでの表情はどこへやら、サファイアはすっかり笑顔になってぴょんぴょんと跳ね回り始めた。
背中のリュックに放り込まれた青色のタマゴが驚いて きゃあきゃあと騒ぎ出す(ようにサファイアは聞こえている)。

『ゆれるぅっ!! こわいよ〜こわいよ〜こわいよ〜!!』
「あわったったった、スマンスマン・・・って・・・・・・どわぁっ!?」
急ブレーキをかけようとした弾みでランニングシューズのスイッチが入り、サファイアは勢い余って後ろ向きにバランスを崩す。
「危ない!」とスザクが駆け寄り、サファイアのひざの裏を高く蹴り上げて体を回転させる。
おかげで、サファイアは顔面から地面に激突することになるわけだが。
『サファイア転んだ〜。』
シューズの効果でバタバタと足を動かしながら、サファイアはすりむいた顔を痛そうに押さえる。
スザクはあまり多くはない荷物の中から救急箱を引っ張り出し、ガーゼに消毒液を染み込ませつつ苦笑した。
「くるりん出来るんやったら、受け止めてくれりゃええやんか〜・・・」
「ゴメン、考えつかなかった。
 はい、消毒するからじっとしてなさいよ〜、痛いよ〜、死ぬほどしみるからね〜。」
「なんじゃてぇっ!?」
ぎゃーっという叫び声がエントツやまに木霊(こだま)する。
スザクの『その言葉』は、痛みを和らげる(やわらげる)ためのものでも、冗談ですらない。
本当に死ぬほど痛い(サファイア談)のだ。
その証拠に 5分後の111番道路では気絶したサファイアがスザクに抱えられ、何事もなかったかのように運ばれている。





キンセツシティでサイクリングショップを営んで(いとなんで)いる普通の男カゼノ氏は 今日も店の前を掃いて(はいて)いた。
商売下手ではないのだが、人が良過ぎて損ばかり、
そんなカゼノ氏は その日、突然北極点に立たされたような寒気に襲われる。
恐る恐る、辺りに目を配ると道の向こうから髪を1つにまとめた女が無邪気な笑顔でやってきた。
その後から青いポケモンを連れた黒いヘアバンドの男の子が のろのろとついてきている。
なぜか、ひどく疲れたような顔をして顔中にばんそうこうを張り付けている。
「こんにちは、その節(せつ)はどうも〜♪」
ニコニコ笑顔の女の方は、カゼノ氏の目の前で止まると にこやかに挨拶する。
一瞬、カゼノ氏は何のことだか理解しかねるが顔を見上げるやいなや、彼女の言った『その節』を思い出す。
8ヶ月前の悪夢。

「・・・あぁ! こんにちは、どうですか自転車の調子は?」
人の良過ぎるカゼノ氏。 今日も笑顔で返す。
「すっごく良いわ!! カゼノさん、今日はも1つお願いがあって来たんですけど・・・」
「はい、何でしょう?」
「もう1台自転車を買いたいの、ダメかしら?」
カゼノ氏の笑顔が凍り付く。 8ヶ月前に何があったというのか。
それでもそこはプロ、すぐに取り繕って笑顔を作ると、スザクを店の中へと招き入れた。
色とりどりの、能力も値段も様々の、所狭しと並べられた自転車を見て目を輝かせるスザク。
店屋としてはそんな表情をされて悪い気はしない。
少し暗い表情をした彼女を見て、眉が動く。 やはり人の良いカゼノ氏。
「どう、されました?」
「それが、自転車を買いたいのはあたしじゃなくて友人なんですけど、おこづかいが少なくて、あんまり質のいいのは買えそうにないんです。
 家の仕事も忙しいらしくて、それであたしが代わりに選びにきたんですけど・・・」
「出来れば性能のいい自転車に乗せてあげたい、と?」
「はい・・・」
店の外で様子をうかがっていたサファイアはぎょっとした。 スザクの顔が真っ赤だ。
何者だあの店主、女の子を泣かすほど極悪人には見えなかったが。
いや、むしろあの店主の方がオロオロしだした。
2言3言、店主が何か言うと、途端にスザクの顔がパッと陽が差したように輝く。 今度はカゼノ氏の顔が赤くなった。
何かを楽しそうに言い交わすと、自転車を買うにしては安過ぎる値段を置いて、スザクは店を後にする。
サファイアが乗るのにぴったりの、丈夫そうな自転車を引いて。
にこやかに手を振って別れている辺り、サファイアの予想とは違っていた。


人の良過ぎるカゼノ氏、今日も今日とて損ばかり。
スザクの交渉によってサファイアは『ダートじてんしゃ』とやらを手に入れる。
青色に光る折りたためる自転車はサファイアが持ち上げられるほど軽く、スプリングがよく効いてカシャカシャと音が鳴っている。
相性がよかったのか、30分ほど乗りまわすとすぐに自転車はサファイアになついた。



「ね? 世の中捨てたモンでもないでしょ?
 悪いことがあれば、いいことも必ずついてくるものなのよ!」
パチリとウインクしながら、スザクは自転車でピョンピョンと跳ねるサファイアへと話しかける。
あと3年か4年、サファイアが早く生まれていれば それはどきりとするようなものだったのだろう。
サファイアはゆっくりとペダルをこぐと、どこともつかない方向へと走る。
途端、目の前に大きな人影が現れ、ぶつかりはしなかったもののサファイア1人 派手に転倒した。
むくれながらサファイアは自転車をアイテムボールへと戻し、謝る代わりにぺこりと頭を下げる。

「・・・大丈夫か?」
サファイアに危うくぶつかられそうになった男は、自分より先にサファイアの心配をしてくる。
服についた泥をパンパンと払うと、サファイアはもう1度ぺこりと頭を下げる。
『サファイア〜、どうしてしゃべんないの〜?』
「タマゴくんも無事みたいやな。」
背中のタマゴをぽんぽんと叩くと、サファイアは立ちあがって3度男に頭を下げた。
何事もなかったかのように立ち去ろうとすると、その男から声をかけられ、サファイアは立ち止まる。
「・・・何や?」
「悪い悪い、あんた旅のポケモントレーナーだろ?
 オレは医療研修生の粒針(つぶはり)っていうんだけど、人を探してんだ。 緑野ミツルっていう、あんたと同じ年頃の男なんだけどさ・・・」
思い当たる節はあるが、イマイチピンとこず、サファイアは首をかしげる。
それもそのはず、サファイアはただの1度もミツルを正しく呼べたためしがない。
しばらく考え込んでいると、粒針と名乗った男はそれを『知らない』という答えだと思ったらしく、手をひらひらと振ってそれを制した。

「いや、知らないならいいんだ。 ポケモントレーナーに憧れてて、病院から抜け出しちまったんだけど・・・」
「・・・あぁ、ミール君!!」
『だれ〜?』
ポンッと手を打つと、諦め気味だった粒針は表情を変えてサファイアへと振り返った。
肩をつかんで ゆっさゆっさと疲れ気味の10歳児を揺さぶる。
『ゆれるぅ〜!』
「知ってるのか!? いつ、どこで会ったんだ!?」
「はっ、ははは半年くらい前に、シダケっちゅう町で・・・・・・」
「・・・なんだ、オレたちが町に行く前か。」
パッと手を離され、また派手に転びそうになったサファイアを スザクがナイスに受け止めた。
ジムバトルの直後の出発のせいか、はたまた顔面を強打したショックか、
魂(たましい)の抜け切っているサファイアを洗濯物のようにぶらさげると彼女は話を引き継いでいく。
「ごめんなさい、お役に立てなくて・・・・・・」
相手の年齢によってここまで変えられるものなのか、全く気付かれないサファイアの首筋の鳥肌。
「ホウエン地方も広いんだ、名前を知ってる人に会えただけ奇跡だよ。
 それじゃ、オレの携帯番号メモしておくから何か判ったら教えてくれないか?」

アドレス張を破った紙に 走り書きされた数字を受けとって、スザクはにっこりと笑った。
「じゃあ、もし旅先で会ったら電話しますね。」
「ありがとう。 ついでに聞きたいんだけど、もし、あんたがミツル君だったら・・・どこへ行こうと思う?」
「ハジツゲタウン・・・辺りでしょうか? ポケモンコンテストの会場もありますし・・・
 あたし、どっちかっていうとコンテスト派なので。」
「・・・・・・どこかで会ったことないか?」
「気のせいですよ。」



誰か別の男に呼ばれて行った粒針に別れを告げ、簡単な買い物だけを済ませるとスザクはサファイアを呼んだ。
たまたま空いていたカフェのテーブルに買ったものを広げ、バッグへと詰め込みながら 彼の目を見ずに口だけを動かす。
隣には買ってきたのか、それとも先ほどサファイアの自転車をもらったときの要領か、シルバーブルーの自転車がちょこんと立っている。
他愛(たあい)もない身近な話をつらつらと並べると ふとスザクは手を止め、荷物の底から大きな地図を取り出しテーブルに広げた。
「サファイアは、確かポケモンジムに挑戦するのよね?」
『ジムってなにー?』
「ほいや、でも次どこ行きゃええんか さっぱりわからへんねん。」
不思議な笑い方をしてうなずくと、スザクは人差し指で地図の上をなぞった。
地図のまんなか、『キンセツシティ』の文字を軽く叩くと 先生が子供に言うかのような口調へと変化する。
「あたしたちが今いるのがここ、東西南北に道の通じてるホウエン地方の真ん中ね。
 ポケモンジムは各地方に8つあって、こことこことここと・・・サファイア、バッジはいくつ取ったの?」
ゆっくりとリュックを肩から外すと、サファイアはタマゴを落とさないようにそっと、4つのバッジが見えるようにテーブルの上に置く。

「ストーンバッジと、ナックルバッジと、ダイナモバッジと、ヒートバッジ・・・あれ、バランスバッジがない?
 じゃあサファイア、今度はトウカシティに行くといいんじゃない? あそこにもポケモンジムがあるのよ。
 なにより バランスバッジは海の上を進む技『なみのり』のライセンスになってるから、色々と移動も便利になるしね。」
「・・・・・・それは、わかとるんやけど・・・」
サファイアはうつむくと、リュックを元通り肩にかけながら口をもごもごさせる。
荷物をまとめ終えて大きな地図をたたむと、スザクはそれを自転車の前カゴに放り込み、ゆっくりと押しながら街の入り口へと歩き出した。
野宿してでも次へと行くということなのだろう。 サファイアもついていく。
「なぁに?」
「トウカシティのジムリーダー、ルビーのおやっさんやねん。
 やりづろうて しゃあないわ。」
他にも何か、ぼそぼそと何かを小声で話すが、小さ過ぎて聞こえない。
「行こう」と言っていたサイクリングロードが目の前へと迫り、構わずスザクが自転車にまたがると、サファイアも続く。
本当にゆっくりとこぎだすと、スザクは先を走りながら振り向かずにはっきりとした声を出した。
「・・・もし、あたしがあんたの立場だったら、すぐに勝ってしまうような相手でも、絶対に勝てない相手でも、死ぬ気になって戦うわ。
 真剣勝負で個人的な感情はさむなんて、それほど相手に失礼なこともないもの。」
「でも、ルビーのおやっさんやねんで?」
ペダルはほとんど動かさず、体の向きだけでゆっくりと自転車が右へと旋回(せんかい)する。
「今までサファイアが戦ってきた相手だって、誰かの親だったり、誰かの子供だったりするのよ。
 いつだって、2分の1の勝利と敗北と隣り合わせ、危険とも隣り合わせ、生命(いのち)と隣り合わせ・・・」

スピードを落とすと、スザクはサイクリングロードの真ん中で降り立った。
「それがポケモントレーナーよ。」
ブレーキをかけるサファイアの瞳には、今まで見たこともないような真剣な表情の女が映る。
何も言わないでいると、彼女は再び自転車に乗ってサイクリングロードを走り出した。 サファイアも黙って、それについていく。



方向音痴のため、どんな道を通っていったのか、サファイアには想像もつかない。
ただずっとスザクの後を追いかけていくと、サイクリングロードを超えた先で大きな川のようなものに直面した。
自転車をすっかり畳み、軽く息を切らしたサファイアを横目で見ると、スザクは見えない対岸を指差す。
「この向こうが103番道路、コトキタウン。 その向こうがトウカシティ。
 あんまり速く移動できないから 今日はコトキで休んでいくしかないんじゃない?」
「・・・・・・ん・・・」
いつもよりもずっと静かな、サファイアの声が川の音にかき消されると、その川の音をピリリ、と電子音がかき消していく。
サファイアが自転車をアイテムボールへとしまい、青い光をしまいこんだ瞳でスザクを見ると
彼女は小さな荷物の中から折りたたまれた携帯電話を取り出して耳に当てた。
1歩ずつ、サファイアからゆっくりと遠ざかりながら電話相手と何かを話すとスザクは不意に電源を切って、彼へと振り返った。
「・・・ゴメンッ、召集(しょうしゅう)かけられちゃった。
 あたしキンセツに戻らなきゃ。 サファイア、1人で行かれる? 迷子になったりしないよね?」
「大丈夫や大丈夫、もう子供やあらへんねんで?」
実際のところ、全然大丈夫などではない。
町まであと5メートルのところで遭難したり、木の上から降りられなくなっていることなど簡単に想像がつく。
ルビーがいれば、そんなことを注意したりしていたのかもしれない。
だがスザクはにっこりと笑うと、素直に言うことを聞いてひらひらと手を振った。

「子供よ子供、いつまでたってもね。」
むくれるサファイアをよそに、スザクは自転車を出して驚きのスピードで行ってしまった。
背中が見えなくなるまで見送ると、サファイアは行く手をはばむ川に見向きもせず モンスターボールを4つ開く。
出てきたのはカナにチャチャ、ヌケニンの2号にクウ。
1通り彼ら彼女らの顔を見渡すと、サファイアはリュックを外し、その場にころんと横になる。
『サファイア、寒いよ〜。』
「あ、悪おしたな。」
タマゴにリュックの中から声をかけられ、今気がついたようにタマゴを抱え、また横になった。
ボーっと青い空を見上げていると、空に近い色をしたカナが顔をそっとのぞき込む。
ひたすらに蒼い(あおい)風景を瞳に映すと サファイアは服の中にしまったタマゴを直し、あくびを1つついた。
クウの羽根をゆさぶる風の上を 雲がゆっくりと流れていく。 流れる水の音が耳を叩いていく。
「・・・カナぁ、何すればええか判らへんねん。 何も、しとないんや・・・」







四方八方青い海の上で 1艘(いっそう)の小さな船は停止した。
右を見ても左を見ても波が高くうなっているが、その小さな空間だけは波間から突き出した岩によって凪(なぎ)を保っている。
実に4時間、絶えず高い波にゆさぶられる船に乗り込んでいたミツルは そこでようやく1息つくことが出来た。
すっかり疲れ果て、船の縁に頭をもたれかける。 特に時間を気にしていたわけではないが、今更ほとんど眠っていないことに気付く。
「・・・振り切れたんでしょうか?」
小さな虫の鳴くような細い声で操舵室から出てきたマオに尋ねる。
夜明け前の暗い海を ぐるりと1周見渡すと、彼女は腰ほどもある長い髪をゴムのようなもので1つに束ね、ミツルを見た。
立たせておけるほどの余力もないのか、ミツルはやはり横で疲れ果てているキルリアのあいに首をもたれかけた。
「この辺りの潮流(ちょうりゅう)は激しく、入り込むには大型船ほどの馬力を要する。
 今日明日についてこられる、ということはまずなかろう。」
「じゃあ、言い換えると・・・ボクたちがここまで来られたのって・・・」
「・・・・・・わらわの腕か、貴様の信ずる神にでも感謝しておくが良い。
 それよりも船を泊めるために手が必要じゃ、眠る前に手伝え。」

無造作にデッキの上にはいつくばっているロープを持ち上げると、マオはミツルにそれを投げ渡した。
止めていたエンジンを再び動かすと、手近な岩へとゆっくりと船を動かし、ぶつからない程度に接近させる。
彼女は驚くほど身軽な動作で岩へと飛び移ると、ミツルへと向かって手をひらひらさせた。
それが『ロープを渡せ』という合図だと判るのにずいぶんと時間を必要とする。 しばらく手を振り返したり首を傾げたりしたあと、
ようやく自分の持っているものに気づくと、ミツルは残っている力を目いっぱい使ってロープを先端から放り投げた。
ところが、力不足なのかなんなのか、太くて重いロープは途中で失速し、ぽちゃんという音を立てて海へと落ちる。
「・・・・・・ご、ごめんなさいごめんなさい!」
「謝るヒマがあるなら早く手繰らぬ(たぐらぬ)か。 珍しいことでもない・・・」
船に残っているロープを見れば、反対側の端はしっかりと船に取り付けられていてちょっとやそっとでは外れそうにない。
太くて潮の匂いのするそれを手にとり、びちょびちょの投げたロープを綱引きの要領で引き寄せると、
ミツルは今度はマオに指示され、ロープの先端数メートルを輪の形に変え、放り投げた。
今度はきちんと飛び、マオが高く突き出した岩にそれをしっかりとくくりつける。


「ご苦労であった、今宵はもう眠るが・・・・・・・・って・・・」
なんだかんだとマオが言う前に、ミツルはあいと2人してデッキの上でぐっすりと眠りについていた。
やれやれ、とため息をつくと、彼女は片腕で無防備に寝ている少年を担ぎ上げ、コクピットへと放り込んでケットをかぶせる。
高波を避けるあいだ、ずっと使われることもなかった時計をふと見ると、真夜中の1時半を指している。
ひたいに手をやって暗い海を見下ろすと、彼女は唇だけでうっすらと笑った。


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