【タマゴが生まれるまで】
外で行動できるための身体を作るため、タマゴは少々の時間を置いてから孵化する。
その時間は種類によって多少の差があり、一部では強いポケモンほど
孵化に時間がかかるとの噂が立っている。
しかし、その真実の程は定かではない。


PAGE62.雨降り円舞曲


かなり乱暴に川を進むボートは対岸へと叩き付けられた。
その上に乗っていたルビーは ショックに耐えるためヘリを抱きしめるようにしてしがみつく。
無事にひとまずの目標としていた場所・・・118番道路を横断する川の対岸に着いたことを確認すると、
彼女はほっと一息ついて同乗していた大きな男に軽く会釈した。
「ありがと、おっちゃん!!
 ホント、連絡船に乗り遅れちまって、困ってたとこだったからさ。」
「いいってことよ、困った時はお互い様・・・だろ?
 俺のポケモンも有り余った力を持て余してたところだ、丁度いいってもんだ。」
40も半ばに行っているだろう中年の男は豪快に笑い飛ばすとマリルリと一緒になって乗ってきたボートを反転させ始めた。
すっかり旅なじんで来たウエストポシェットを締め直すと、ルビーはボートから飛び降りる。


「じゃ、俺はキンセツに戻るからよ。 女1人なら身体だけは大事にしろよ、嬢ちゃん?」
「・・・それはいいんだけど、ボート・・・底に穴開いてないかい・・・?」
「なぁに、これくらいどうってことねぇよ!
 どうせ俺のボートじゃねぇし、リマリのパワーなら船が沈む前に向こう岸までたどり着ける!!」
針のような割れ穴を足でどんどんと叩くと、男は船を自分のマリルリに抱えさせ、ルビーに簡単な挨拶だけしてさっさと戻っていった。
しばらくルビーは呆然と流れの上を進む白波を見つめているが、
やがて、気を持ち直したように川に背中を向け、少し早足で歩き出す。





「・・・出てきな、ワカシャモ、D(ディー)。」
ウエストポシェットのジッパーを軽く開くと、歩きながらモンスターボールを2つ地面の上に落とし、ルビーはそのまま歩き続ける。
寝ぼけているのか、D(ディー)はモンスターボールを開いて出てくるものの、ワカシャモが出てこないまま。
構ってくれないご主人様の代わりに慌ててD(ディー)拾い上げてもう1度投げ直し、小春日和にボーっとしたワカシャモを叩き起こす。
「らいー、らいらぁちゅー?」
「くえぇー?」
「ヒワマキ超えてミナモ行くんだよっ、いいからあんたはタマゴ持ってな!」
機嫌が良いのかと思いきや、出るなり声を上げるなり怒鳴られてD(ディー)は耳をたれ下げてガラス色のタマゴを受け取る。
まだ意識のはっきりしないワカシャモをガードマンに草むらを歩くこと20分。
ふとルビーは高めの草むらで立ち止まり、腰に手を当てる。
幾度となく首をかしげて靴をトントンと鳴らして直したり、辺りを見渡したりして。
しばらくするとポシェットのベルトに取り付けたポケギアを手に取り、コツコツと指の先で叩いた。
ほとんど使ってもいないポケギアは旅の影響で表面がボロボロだ。

「・・・・・・参ったね・・・」
聞き慣れない主人の言葉に、ワカシャモが首をかしげる。
何度か付いた泥はこすり落としたが、それでも黒ずんだポケギア本体の真ん中のボタンを叩くと、小さな機械は上下に割れて液晶画面を表示した。
「・・・迷った。」
「らあぁっ!?」
「くえ?」
額に手を当て 呆れたようにため息をつくと、ルビーは軽く頭を横に振る。
いまだ慣れぬポケギアと格闘しながら、新しい芽を守るためどんどん固くなる草の上、小さな腰をすとんと降ろした。
説明書なんてボロボロでとても読めたものではない、困り果てて頭を柔らかい手でコツコツと叩くと、
不意に、季節感のない果物のような酸っぱい匂いが ぷぅんと鼻をつく。
ルビーは立ち上がって匂いの元はどこだ、と辺りを見回し、方向が特定出来るやいなや、走り出した。
今度は置いて行かれまい、とワカシャモはライチュウのD(ディー)を抱えて慌ててルビーの後を追いかける。


大きな足音に驚いて大抵のポケモンは近づいてこなくなるので、ほんの10メートルそこらならワカシャモがいなくてもルビー1人で走ることが出来た。
視界の利かない草むらをかき分け、最後に壁のようにそびえたっている葦(アシ)のような草を無理矢理引き倒す。
いつ切ったのか、頬(ほお)に赤い傷を1つ作ったルビーがやっと見つけた道に見たのは、
カゴいっぱいの『きのみ』を抱えた、こぢんまりとした1人の老人。
「・・・ひとぉ〜・・・・・・」
ほっと一息ついたルビーを見て、老人は首をかしげる。
高く足を上げて折った草を乗り越えると、ルビーはやたら草のシミのついたつなぎの老人へと少し近づいた。

「おんやぁ、珍しい〜。
 こんところ1ヶ月?1年?・・・ばぁさん以外の人を見てなかったような・・・」
「よかったぁ〜、じいちゃん、あたい、ここいら草むらだらけで場所が判らなくなっちまったんだ。
 ヒワマキシティに行きたいんだけどさ、道教えてくれないかい?」
珍しく笑顔で、勢い良く質問をポンポンと連発するが、目の前の老人からは返事はない。
後から追いかけてきたワカシャモたちも到着し、1分ほど待ってみるが それでも老人からの返事はない。
「じいちゃん、ヒワマキに行きたいんだけど・・・・・・」
「・・・・・・はい?」
「だからっ、ヒー!ワー!マー!キー!にぃーっ!!」
「・・・・・・・・・はい?」
ぜぇぜぇと息を切らし、ルビーは1度怒鳴るのを止めた。
どちらが話しても会話が一方通行で言葉のキャッチボールにならない。
「何か・・・前にこんな奴いたような・・・・・・」
「おや、こんな所に人が来るとは。 道に迷ったのかい?」
ルビーは『それ』を見てショックの余り、叫ぶだけ叫んでジョウトに逃げ帰りたい衝動にかられた。
以前『いしのどうくつ』で出会ったダイゴ(と判らないくらい『きのみ』の汁で汚れている)が、
まるでツチニンかディグダ(ポケモン名)のごとく地面から現れてくるのだから。







サファイア(たち)は転がるように高い草の生えている草むらを抜けると、その場にへたり込んで一息ついた。
じりじりと太陽が照り付けてくるのも辛いが、今日は今日で1時間近く走り続けたというのに体温がほとんど上がらない。
ほんの少しだけうなるようにすると、シルバーはサファイアに傷薬を投げてよこす。
シルバーの肩近くまである高くよく切れる草のせいで、サファイアの顔と指先、シルバーの肩とあごは小さな切り傷だらけだ。
もらった軟膏(なんこう)をチリチリと痛むほほや額に塗り付けると、サファイアはそれを持ち主の元へと返す。
「・・・思ったより苦戦したな。」
肩についた切り傷に薬をすり込みながら シルバーは苦笑気味に言った。
背中のリュックの中のタマゴを気にしながら、サファイアは無言のままうなずく。
見えないせいでサファイアが塗りそこなった耳の後ろの傷に軟膏をすり込みながら、シルバーは軽く首をかしげた。

「昨日から、ずいぶんと静かだな。
 いつもなら『うるさいっ!』って怒鳴り付けたくなるほどしゃべりまくるっつーのに・・・何かあったか?」
「タマゴ君がな、昨日から話してくれひんねん。
 全然動かへんし・・・なぁ、タマゴ君?」
心配事ついでに話しかけてみるが、返事は返ってこない。
ますますサファイアは不安になり、肩掛けリュックのホックをパチンと外し、両腕で抱きかかえた。
それを見るとシルバーは軽く笑って、薄っぺらなバッグの中から携帯食料を取り分ける。
「心配しなくていい。
 ポケモンのタマゴは、そのトレーナーが愛情を注いでやれば、必ず生まれてくる。」
乾いた肉をくちゃくちゃやりながらサファイアはう〜んとうなってコロコロと体を揺らしてみる。
「生まれて・・・くるんか?」
毎日のように話相手になっていただけに実感が沸かず、灰色の空に視線を動かそうとしたとき、不意にタマゴが強く揺れた。
内側から突き上げてくるような。 サファイアが驚いてバタバタとしているのをシルバーは笑ってみている。
少し休んだら出発する、とシルバーが言い、その言葉通り30分後には体を持ち上げて2人は歩き出す。
シルバーが空を少し見上げ、雨が降りそうだ、とつぶやいた。
彼の天気予報は、よく当たる。





「・・・降ってきたな。」
ゆがみのない窓ガラスに指紋を付けて、研修生のレサシは外の景色に目を向けた。
銀色の雨粒はほとんど時間を待たず 滝のように大きく太くなっていく。
ポケモンリーグの歓声にも似た、ざぁざぁと流れる雨のバックミュージック、その中を進む足音2つ。
その景色の見える窓際にしっかりと場所を確保している簡易ベッドの上に弾むように腰掛けると、一緒にいるヒイズは閉まりっぱなしの扉を見る。
雨音に混じって、子供のすすり泣く声。 ヒデピラにしがみついている、サファイアと同じ年頃の男の子の。
「・・・・・・で、どうすんだよ、この状況?」
ヒイズが喋ってみると、扉の前にたたずんでいるレインが深いため息をついた。
扉を開ければ、階段を見張っている人間に見つかるかもしれない。
大きな音を出せば、2階にいる人間たちに気付かれるかもしれない。
たまたま雨宿りのために入った『天気研究所』を占拠する謎の集団は、20人以上いるとレインは推測する。
偶然迷い込んで助けられた休憩室で、ここの研究員の子供と共に篭城戦(ろうじょうせん)。 見つかれば、勝ち目はない。


屋根のあるところまで駆け込むと、サファイアはポケモンのようにブルブルっと体を震わせた。
荒れた息を吐き出すと、それらは白い煙となって鼻先の辺りをまとわりつく。
「びっしょびしょや・・・寒うてしゃあないわ〜・・・」
「もうすぐヒワマキだってのに、ついてないな。」
固く絞ったタオルで赤い髪の水を拭きながら、シルバーが自嘲(じちょう)気味に苦笑した。
サファイアは自分の体より先にリュックの中のタマゴを取りだし、かろうじて乾いていたタオルで水分を丁寧にふき取ってやる。
ひととおりふき終えると『さむい〜!』とでも言いたげに タマゴは強くカラの内側から蹴飛ばしてきた。

「わぁったわぁった、ちょっと待ちいな。」
タマゴをひざで抱えると サファイアは上着を渾身(こんしん)の力を込めて絞り、体をタオルで拭いてタマゴを抱え直す。
ぬれた上着を着直すのも気持ち悪いが、この際仕方がないとサファイアはタマゴを腹に抱え、
まだ乾いていない上着を取り落とさないよう、支えにした。
微笑するシルバーに青い瞳を向けようとしたとき、前ぶれなく2人の背後にある小さな扉が開く。




扉のカギを開けたのはサファイアほどか、それよりも少し背の高いくらいの、小さな女性だった。
上目づかいに2人をおずおずと見比べると、ちょっとだけ下唇を噛んで話し出す。
「雨宿りしてるにゃ?
 2階にいたんだけど、何だか人の気配がしたからおりてきたにゃ。」
「にゃ?」
奇妙な語尾に首をかしげるサファイアをよそに、小さな女は扉を大きく開いて2人を中へと招き入れようとする。
サファイアは女の方に気付かれないように一瞬だけシルバーが眉を潜めたのを見るが、
彼は外をざぁざぁと流れる雨に銀色の瞳を向けると、開かれた扉をくぐって建物の中へと足を踏み入れた。
そうなるとサファイアもついていかないわけにはいかない。
蛍光灯の光で明るい部屋へと1歩2歩と踏み込むと、黒い服のすそをぎゅっと絞ってシルバーは女へと目を向ける。

「1人か?」
「え? あ、ううん、他にも研究者さんとか助手さんとかいるにゃ。
 ここは『おてんきけんきゅうじょ』なんだにゃ、いっぱいの学者さんたちがお天気のこと研究してるにゃ。」
「・・・そうか。」
他にも何か言いたそうなのを、サファイアのホエルオー級くしゃみが邪魔をする。
1人、部屋の隅の方で震えるサファイアへと女が近づくのを見て、シルバーの瞳がナイフのように鋭く光った。
「いきなり大雨になってあたしもびっくりしたにゃ、ボウヤ、大丈夫なのかにゃ?」
「めっちゃ寒いわ〜・・・姉ちゃん、タオルは・・・・・・」
「タオル? どこだったかにゃ。 え〜っと、確か・・・」


「・・・サファイア、逃げろ!!」
疑問に思う暇もなく小さな体は大きな腕に突き飛ばされる。
床を体が引きずったせいで腰や尻が痛むが、すぐにサファイアは身を起こし状況を把握(はあく)しようとした。
2回も3回もアクア団やらマグマ団と戦ったせいでそういった判断は もう慣れたと自分では思っていた。
だが、サファイアは呆然とその場で凍り付く。
その目の前でぽたりと落ちたのは、赤くて鉄の臭いのする液体。
「つまんねー・・・頭からバグッてやってくれりゃ、ちっとは面白かったてのにさ〜。」
「『こういう』勘は働くもんで・・・・・・昔から。」
ポケモンに噛み付かれたままの右腕を引こうとはせず、シルバーはすっかり豹変(ひょうへん)した女へと嫌な笑いを向ける。
事態を飲み込むことも出来ず、青い瞳を見開いて『それ』を見ているサファイアを見ると、
シルバーは女を睨み、流れている血の量が信じられなくなるほどの冷静な声で話しかけてきた。
「あざむきポケモン『クチート』だ、マトモに噛み付かれると こんな傷じゃ済まされないぞ。
 出来るだけ、離れてろ。」
腰を抜かして奥歯をカチカチ鳴らしているサファイアを見て、シルバーは軽く舌打ちする。
ホルダーからモンスターボールを落とし、ポケモンが出るか出ないかのうちに足と残っている左腕を使って
二口女のようなクチートの顎(あご)を引き離しにかかる。 その直後に、修行中に幾度となく見た黄土色の粉が振りまかれた。
シルバーのロゼリア『カラー』の『しびれごな』、
驚いたクチートは慌てて頭を振り回し、しっかりと捕まえていたシルバーを『休憩室』と書かれた扉に叩き付ける。
ひとまず腕ごと食いちぎられそうな顎からは解放されたが、それでも流れる血は止まらない。
むしろ、流れを止めていたものがなくなり、とうとうとグローブの縫い目から流れ出して行く。

サファイアは訳も判らないままポケモンのように4つんばいでシルバーの元へと走り、カナのモンスターボールを開いた。
恐怖ばかりが先走り、戦う気も起こらずただガチガチと歯は鳴り、指先も震えている。
指示を出せない主人の代わりに向かっていったカラーを研究所の外まで放り出すと、
女はにやにやと笑ってマグマ団の証である 赤いフードのついたコートを羽織る。
細い指先がサファイアへと向けられた瞬間、カナの頭のヒレがピクリと動き、
そのまま180度回転、サファイアとシルバーを抱えて『休憩室』と書かれた部屋の中へと飛び込んだ。



「マリル、『ハイドロポンプ』だ!!」
顔も知らない男がサファイアたちが部屋へと飛び込んできた瞬間に扉近くにいるマリルへと指示を出す。
目標になっていたかどうかは定かではないが、
消防車の放水のような激しい水はクチートには当たらず女のはるか右を通って2階へと上がる階段の手すりを破壊した。
驚いている女の顔をかき消すように、別の背の高い男が扉を勢いよく閉め、
また別の長髪の男が簡易ベッドのようなものを押し付けてバリケードを張り始める。

「霧崎さん、向こうの様子は!?」
男たちはシルバーのケガに気付き、指示を出した男がナイフでグローブを切る間、扉を閉めた背の高い男が
退屈そうに部屋の隅に立っている黒ずくめの女へと問いかける。
「ずいぶんとご無理をなさっているようですね、酒とタバコで胃がん寸前・・・」
「そうじゃなくて・・・」
「ひとまず、こちらに向かってくる様子はありませんね。
 他の方々のいらっしゃる2階に戻るようです、ただ・・・・・・・・・」
「ただ?」
長いことこの部屋の中で泣きじゃくっていたのか、顔に涙のしみをつけた子供がサファイアのそでを引っ張って窓の外を指差した。
自分と同じか少し下か、ともかく年の近い子供を見て安心したのか、差されるまま窓の外を見てサファイアは再び絶句する。


「思っている以上に事態は悪いようです、外に・・・」
外を見ているサファイアは叫び出したい衝動を押さえるので精一杯で、全く思考を回せない。
近くを流れる川から よくアニメなどで見る潜水艦のハッチのようなものがのぞき、そこから続々と集団が押し寄せてくる。
見覚えのある、バンダナにボーダーの服を着た集団が。


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