【サファイア】
7〜8年ほど前からジョウト地方を中心に活躍していた行商人。
主力商品は主に玩具と食品、ポケモン用品だったらしい。
幅広く活躍していたのだが顧客以外の人に素性はあまり知られていない。
現在行方不明。


PAGE76.やさしいひと


 迫ってくるドンファンの群れを、あたしはただ呆然と見てるしかなかった。
 どうして向かってくるのか理解も出来ず、戦う術も持たず、逃げ道も見つけられない。
 気が付いたときには、あたしは誰かに抱え上げられ、空の上に避難させられていた。
 ・・・母ちゃんを、その場に残したままで。


カナは『おくりびやま』のふもとまで泳ぎ切るとすっかり弱ったゴマゾウと気絶しっぱなしのサファイアを地面の上へと降ろした。
大きなヒレをピクピクと動かし、辺りの様子をうかがうと よろよろと近づいてきたポケモンへと唸り声を上げ威嚇する。
「止め、‘カナ’。」
背後から自分の主人に声をかけられ、ラグラージのカナは動きを止めて彼へとすり寄った。
ボーっと夢見がちに青い瞳を半分だけ開いていたサファイアはふらふらと回るポケモンへと手招きしてから、自分の横にいるゴマゾウを揺さぶり起こす。
図鑑を開き、このクルクル回るポケモンが『ヤジロン』という学名だということを確認すると、
ルビーがいつもやっているようにひたいに手をついて大きなあくびを1つついた。
ふと横目でクルクル回るポケモンを見ると、左の腕にずり落ちそうな黒い髪留めのゴムがついている。

「ルビーのポケモンやな?」
半分寝ているような目をしながらサファイアはくるくる回るポケモンへと尋ねる。
ヤジロンはクルクル回りを少し早くすると、自分の1本足で地面の上に○印を描いた。
座ったままの体勢であごに手を当てるとサファイアはぬれた髪をがしがしとかきむしる。
「あーっ、何言ったったらええんや? さっぱり思い付かへんやないか!!」
「?」な顔をしてサファイアをのぞき込むカナに サファイアは青色の瞳をうるませた。
「山の上にな、ルビーがおんねん。 せやけど、行っても何話したらええか、何も考えられへんねん。
 カナ・・・女の子ってどうしたら喜ぶんやろ? こんな酷いことにあった子って・・・どないしたら立ち直れるんやろか?」
小さくうなると、カナはサファイアの胸に顔をうずめて 服を軽くくわえて引っ張った。
サファイアは立ち上がるとゴマゾウとヤジロンについてくるよううながし、カナの後について歩き出す。
ぼそりと一言、らしくもなくうつむいてサファイアは口の先からつぶやいた。
「・・・今なら、『忘れた方がええ』言うた奴の気持ちも判る気がするわ。」




襲いかかってくるマグマ団のポケモンをかわしながら、ブルーはルビーから目を離すことが出来なかった。
あれだけ威勢よくやって来たのにも関わらず、今はたった2匹のポケモンに対しうずくまり、遠目に見えるほどに激しく震えている。

「どうしたの、あの子・・・?」
「あら、何も知らないのね。 ジョウトのポケモン界じゃちょっとした有名人よ、あの子。」
2人組みのドンファン使いのマグマ団は疑問の表情を浮かべながらもルビーへと向けて攻撃を始める。
片方のドンファンが強い鼻でルビーを投げ飛ばした後、もう片方のドンファンが本格的にダメージを与えようと体を丸め転がった。
赤い服の集団に向けられていた視線を一段と強いものにすると、ルビーは1度体を反転させて転がってくるドンファンへと向けて人差し指を向ける。
「近寄るなッ!!!」
転がってくる灰色のポケモンの真横から消防車から発せられたような強い水流が飛んできた。
驚いた男がルビーのことを見ると、彼女は指示のために上げた手をそのままにして、赤い瞳から光を放っている。
「〜〜ひゅう♪」
集団の中にいた髪をボロボロになるまで染めた女が口笛を吹くと、ルビーはそれに過剰なまでに反応する。
ほとんど方向も判らないまま攻撃しようとマグマ団の集団の方を指差すが、そのスキを突かれ小さなポケモンに肩を思いきり攻撃された。
幸か不幸か頭は冷える。 打たれた場所を反対側の手でかばい、反撃しようとルビーはマグマ団のカナを思いきり睨み付けた。
反射的に反応したコダックのスコアが 平べったいクチバシを大きく開く。
「『ハイドロポンプ』ッ!!」
大砲のような水流をコダックが吐き出し、危険を感じて避けたマグマ団員たちの間をすり抜けて祭壇の角を破壊した。
寒気を覚えるブルーと大半のマグマ団たちをよそに、上部の指示を出す人間たちは顔に笑みすら浮かべている。
ルビーは続けざまに同じ技を2連射して5匹のポケモンを巻き添いに数メートル離れた岩を打ち崩した。


「素晴らしいわね。」
パチ、パチ、パチと拍手の音が響き、全員の視線がそこへと集中した。
髪の短い方のマグマ団の女は口だけで笑い、黒いグローブのついた手でルビーへと向け拍手を送っている。
「たいした実力ね、マグマ団にスカウトしたいほどだわ。
 お嬢さん、1つ聞いてもいいかしら? それだけポケモンを操る実力があって、なぜ・・・・・・」



「・・・・・・なぜ、自分の母親も守れなかったの?」
「――――ッ!!」
声にならない叫びを上げるとルビーは血のように真っ赤な瞳でマグマ団の女を睨み、スコアの『ハイドロポンプ』で攻撃する。
軽くその攻撃をかわすと女は自らのモンスターボールを飛ばし、繰り出したドンファンで連続攻撃で動けなくなったスコアを投げ飛ばす。
瞳の赤色を強めたルビーをさげすむような視線で見ると、マグマ団の女は攻撃の対象をポケモンからルビー自身へと変えた。
今の今まで自分への攻撃をかわすだけだったブルーが眉根を寄せ、リーダー格らしき女を睨むルビーを見て小さく息を飲んだ。
このままの調子で攻撃を繰り返していては惨劇が起こりかねない。
「・・・ぷうちゃん『うたう』!!」
ブルーのプクリンが大きく息を吸い込んだのを見て、マツブサは団員の1人に目で合図を送る。
指示を受けた団員は嫌な笑いを浮かべると赤と白のモンスターボールを地面へと打ち付け、耳に詰め物をしながら命令を下した。

「ドゴーム、『さわぐ』!!」
ボールから出たばかりの青いポケモンは太い足を踏み鳴らしながら山が壊れるのではないかというほどの大声で騒ぎ出した。
澄んだ音色で唄っているプクリンの声はかき消され、トレーナーがポケモンに指示を出す声すらほとんど聞こえない。
大騒ぎするポケモンを何とか静めようと プクリンへと向かって口の動きだけで合図するのとほぼ同時に
地面・岩タイプの技を使う時独特の地表の揺れを感じ、ブルーはハッとルビーたちの方向へと銀色の瞳を向けた。
次のポケモンを出すのに手間取っているルビーに向けて黒みを帯びた岩が飛ばされている。
「―――――ッ、ルビー!!!」


―ルビーッ! ・・・・・・・・気持ちを、忘れないで!!

「・・・え?」
騒音の間から聞こえた声に、ルビーは一瞬反応する。 直後に自分へ『げんしのちから』が向けられていることに気付くが、避けられるほどの時間がない。
呆然と迫ってくる岩を見つめていると、不意にルビーは後ろから誰かに抱きかかえられた。
ガラスでも扱うかのように強く優しく抱きしめると、背後の誰かはぷっくりとした腕を前に突き出し甲高い声を上げる。
「『リフレクター』!!」
ルビーの視界が青く染まり、突如として現れた大きなポケモンは青い翼を動かし半透明の壁を作り出した。
飛んできた岩は青いポケモンが作り出した大きな壁に阻まれ、ルビーの元へとは届かず適当な方向へと墜落して行く。
全ての岩を阻んだのを確認すると、ルビーの背中にしがみついた子供は彼女から腕を離しゆっくりとした足取りでマグマ団の前へと進み出た。
口を開くことはせず、金色の瞳で周囲を囲むマグマ団を一瞥(いちべつ)する。

「わざわざやってきたのかね。」
沈黙を切り開くかのようにマツブサが青い大きなポケモンを引き連れてやってきた少女へと問いかけた。
「そうだよ」
短く一言で片付けると、ルビーの前にいる彼女は青いポケモンをルビーへと近づけさせてからマツブサのことを上目づかいに睨み付けた。
風もほとんどないのにざわざわと音が鳴り響き、少女の茶色い髪が揺れる。
「ルビーには ひどいことさせない」
少女が腕を横に突き出した瞬間、マグマ団のポケモンが2匹・・・
彼女が腕を伸ばした方向とルビーの真正面のリーダー格の女のドンファンがふわりと浮き上がり地面へと叩き付けられた。
攻撃されてなお動けずにいるマグマ団を見ると、少女は両手を体の前で組み合わせる。
白い球が形成され少女の指示で発射されるとそれは地面の上で破裂し、辺り1面を5メートル先も見えるかどうか怪しい霧を作り出した。
にこりとルビーへと振り返って1度笑うと、少女は大きな青いポケモンを引き連れマグマ団の中へと歩き出した。
ひゅっと風を切るような音が聞こえると少女へと飛びかかったマグマ団のポケモンが寸前で地面へと叩き付けられる。
自分と全く同じ種類のグラエナをけしかけたブルーへと向かって笑いかけると、
少女は青いポケモンに命じ彼女に攻撃を仕掛けるポケモンに向けて『サイコキネシス』の指示を出した。


―知らなかったから・・・

「あたし、何やってるんだ・・・」
耳を塞ぐようにして頭を抱えると、ルビーはその場にうずくまった。
すぐ横でマグマ団とトレーナーたちが攻防を繰り広げていようとも微動だにせずぎゅっとまぶたを閉じる。
ひざの辺りに何かが触れるような感触があり、ルビーはたった今閉じたまぶたをうっすらと開いた。
宝石のルビーにも似た紅い瞳に、黒いてるてるボウズのようなポケモンが映る。


―その時期に食料を求めてドンファンが集団移動することを。

「くぅちゃん『かみくだく』、ズマきち『つのドリル』!!」
本格的に相手をせん滅させるため ブルーはポケモンを同時に4匹呼び出しそれぞれに指示を出す。
確実に1匹ずつ仕留めて行くクチートとグラエナ、何匹かまとめて同時に攻撃するアズマオウとプクリンでマグマ団のポケモンたちは半分近くまで減らされていた。
だが、戦っているブルーは相手のマグマ団たちから嫌な笑いが消えないことが気になって仕方がない。
多勢に無勢とはいえ明らかに実力の差は見え切っているというのに。
少しでも情報を得るために戦えなくなって退却するマグマ団を1人捕まえようと何とか追いかけようとしたとき、祭壇の上の変化に気付きブルーは身を凍らせる。
「・・・『宝珠(たま)』が!」
祭壇の上にあった青く光り輝く石が消え去り、無機質な石造りの台だけがそこに残っている。
これ以上進ませまいと攻撃を仕掛けてきたサイホーンをアズマオウの『たきのぼり』で押し返すとブルーは
かろうじてまだ姿の見えるマツブサを追いかけようと足に力を込めた。
途端、腹部に強い痛みを感じ、彼女はその場にひざをつく。 銀色の弾丸のような鋼の鳥エアームドが彼女の体のど真ん中へと突き刺さっている。
「お返しよ。」
エアームドをモンスターボールの中へとしまうと、マグマ団の女は口だけで笑いマツブサの後を追いかける。
いつの間に退却したのかほとんど誰もいなくなった山頂でブルーは1人、銀の瞳でマツブサと女が向かった方向を睨み付けた。
紅くにじんだ服を抱えハイヒールを脱ぎ捨てると、よろよろと立ち上がって1人祭壇の方向へと向かう。
少し前にそこに投げたキャスケットハットを拾い上げると、ブルーはそれを視界が見えるかどうか怪しいほどに深くかぶった。
「・・・甘いわよ、これくらい・・・で・・・!・・・」
今まで戦っていた4匹のポケモンたちをモンスターボールへと戻すと、ブルーは手早くホルダーへと戻し代わりに別のボールを手に取る。
自分の真下へとそれを投げ付ける。
中から呼び出された青いオオスバメの足をしっかりと掴むと、ブルーは裸足で地面を蹴って空へと飛び上がった。







―トレーナーだったら、誰でも知ってることだったのに。


「・・・・・・297、298、にひゃくきゅうじゅうきゅーぅ・・・っ、さんびゃーく!!」
サファイアはひざに手をついて空気をあえぐと 鼻先に浮いた汗を袖でぬぐった。
この『おくりびやま』の頂上にルビーがいることが判明し、山を登ってきたはいいが300段も続く階段登りはいくらなんでも体に悪い。
何てことない様子でここまでやってきたポケモンたちを少しうらめしく思いながら、サファイアはまだ少しある階段の先を見上げた。
誰がこんなにたくさんの階段を登るんだというほど延々と続く坂道は 残り100段とまではいかないまでも、
サファイアをあざ笑うかのように長い段々をまっすぐに伸ばしている。
「・・・まだある・・・まだあるわ・・・・・・」
はぁと1つため息をつくと、サファイアはふと階段の手すりの上でくるくる回るルビーのヤジロンに目をやりちょっとだけ眉を上げる。
のろのろとした足取りで茶色い物体へと近づき、指の先で片腕の回転を邪魔して動きを止めた。
「ゴム、取れかけとるわ。 結び直したるからちょっとじっとしーや。」
弾力もなければ折れ曲がった場所もないヤジロンの腕からずり落ちかけたルビーのゴムを サファイアはパチンという音を立てて彼(?)の腕から外す。
指3つほどの直径のそれをもう1度ヤジロンの腕に通して、くるっと半分ひねってからもう1度腕に・・・

ぽとっ。

「・・・・・・・・・」
上手く留められず手すりの上に落ちたゴムをサファイアは拾い上げ、もう1度チャレンジする。
落っこちないよう、しっかりと脇の下まで通してから、半分ひねってこのカッチンカッチンの腕に・・・・・・
「って、だわったぁっ!!?」
手を滑らせ、手すりの向こう側にゴムを落としそうになってサファイアは世にも奇妙な悲鳴を上げる。
寸前でゴマゾウが長い鼻を伸ばしキャッチしたのでその場は事無きを得るが、さすがに危険を冒してまでもう1度チャレンジする気になれない。
ぽりぽりと頭をかくとサファイアはゴマゾウから受け取った黒いゴムを自分の手首にはめた。
「あかんわ・・・もーちょい上行きゃルビーおるから、そこでつけてもらおうや。
 もーちょいやから、頑張ろうな。 ・・・あと何段やろ?」
「82段だよ。」
「ひぃっ!?」
いつの間にいたのか、サファイアの背後に青い瞳に褐色の肌というアンバランスなイデタチをした女の人が立っている。
イタズラっぽい笑みを浮かべ、頭の両脇についた花をピンと指で弾くと彼女はその指で山頂の方を指差した。
「あの子の知り合い?」
色黒の女の指差した先を見つめるが、わずかにかかった霧以外、全くもって何も見えない。
女の言った『あの子』がルビーのことを指しているのだと勝手に推理し、「おぉ」と小さく声を上げながらうなずくと彼女は意味ありげにクスクスと笑った。
首をすくめ、サファイアとよく似た青い瞳を光らせるとぺろっと舌を出し唇をなめる。

「ごちそうさまでした。」
「・・・ルビーに何したんや!?」
今にも殴りかからんばかりの勢いで睨みつけるサファイアを見て女は再びクスクスと笑う。 その周りに、数十匹の黒く小さなゴーストポケモン。
もう1度女を睨むと、サファイアは構っていられないとばかりに疲れていたのも忘れ、全力疾走で階段を駆け上がり出した。
40段を越えた辺りから再び息が切れ、60段近くになると心臓が破裂しそうに痛むが気にせず同じスピードを保とうとじんじんする足にムチを打つ。




―そうだ、あたしがトレーナーになったのは・・・


「・・・・・・ッ・・・ルビーッ!!」
乾いた口の中を1度つばきで潤おす(うるおす)と、サファイアは残ったエネルギー全部を使ってその名を呼んだ。
名前を呼ばれビクッと反応したのがそうだと判り、石のように重い足を引きずりながら彼女の元へと向かうと、
しゃがみ込んでいるルビーの真正面でサファイアも地面の上にひざをついた。
かすかに鉄の匂いが鼻につき、顔を上げるとルビーのシャツのエリの下から見える鎖骨の辺りが黄緑色に変色している。
「・・・ケガしとるやないか!」
サファイアの声の大きさに反比例するように、ルビーは小さくうなずいた。
痛まないよう反対側の肩を押さえながら彼女の全身を見ると、信じられないほどあちこちにすり傷がついている。
無意識のうちに力のこもっている手に気付かれないよう、強く下唇を噛むとサファイアは無理矢理に笑顔を作って見せた。

「ア、アカンなぁ! ルビーは。 1人にしとくとすーぐどっか行ってもうて、迷子さんになってまうやないの。
 それに女の子がこんなキズキズしとったら、お嫁さんにもらってくれなくなるで?」
言い終えてからサファイアは身構える。 『はかいこうせん』だろうが『だいばくはつ』だろうが受け止める覚悟で。
痛めたルビーの利き腕がこれ以上ダメージを受けないよう気にしながら攻撃を待っていると、案の定『ずつき』がサファイアの胸目掛け飛んできた。
思ったより威力のない攻撃を黙って受け止めると、右の脇から背中にルビーの手が伸びサファイアの服の背中を掴む。
あごのすぐ下に見える赤いバンダナに サファイアは階段登りの直後だということも忘れ、
心臓の音が聞こえるんじゃないかと冷や汗をかきながら小さくつばきを飲み込んだ。
何が起こったのか理解しかね、動けずにいる少年の腰に 痛んでいるはずの彼女の右腕が回り、ゆっくりと力を込める。


―ひとを すきになる きもちを わすれないで・・・

やさしい人の言葉がルビーの耳に届く。
紅い瞳から零れ落ちる暖かさの欠片を見られないようサファイアの胸に顔を深くうずめると、
首の辺りまで押しあがっていた苦しさをこらえ切れず、小さなしゃっくりを1つ漏らした。
ほんの小さな音に2人とも驚き、身を震わせる。 だがしっかりと抱えるルビーの腕のせいで、離れることはない。
結局、彼女の鳴らす不安定なリズムが止まるまでの20分間、2人は同じ体勢で、時を止めていた。


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