【―――】
ポケットモンスター・・・・すなわちポケモン
この世界にはポケモンと呼ばれる生き物たちが至るところに住んでいる。
人間はポケモンと仲良く遊んだり助け合って仕事をしたり
時には力を合わせて戦ったりしながら一緒に暮らしている。
・・・・しかし我々はポケモンの全てを知っている訳ではない。
ポケモンの秘密はまだまだいっぱいある。
その秘密を解き明かすため、私は研究を続けているというわけなんだ―――
―オダマキ博士著・ポケモンの生態論文序章より抜粋―
PAGE97.最後の魔法
「・・・・・・あー・・・何か・・・しぶとく、生き残ったみたい・・・デス。」
ゴールドは意識を取り戻し、シルバーの顔を見ると気まずそうに顔をうつむけながら開口一番そう言った。
まだ少しぼんやりしているらしく、焦点が少しはっきりしない金色の瞳を見ると、シルバーは はーっと息を吐いてゴールドの肩に寄りかかる。
かなり痛そうにしたのを見てシルバーが慌てて離れると、ゴールドは肩を押さえながら苦笑した。
その頭に軽く手を置くと、クリスはゴールドを自分の方へと向かせ、つり上げた眉毛をしっかりと見せる。
「・・・このっ、バカバカバカバカバカバカバカバカバカァッ!!!
ホントに死んじゃってたらどーするつもりだったのよ!」
警察関係者っぽい男(実際には1度会ってる中年男)に連れられて病院へ向かおうとしていたサファイアが 大声に驚いて振り向く。
同じように驚いて振り向いたルビーがクリスの顔を見てみると、ずっと泣いていたらしく目ははれ、頬のそこかしこに涙をふいたような跡が残っている。
見ているそばからポロポロ涙を流し始めたクリスを見て少しだけうろたえると、ゴールドは首を軽く傾けてからまた笑い、
砂の上にひざをついたクリスの頭をなでた。
「うん、ホントに死ぬんだって思った。
洞くつの壁が崩れてきてさ、何か覚悟する時間もなく真っ暗になって・・・後は気絶したのかな。
・・・・・・・・・よかった。」
「何が『よかった』なのよっ! どれだけ心配したのかゴールドわかってんの!?」
ボロボロボロボロ涙を流しながらもクリスは大きな目でキッと睨んで反論した。
ルビーがもう1度振り向いて様子を見てみると、真剣そのもののクリスに対し、ゴールドは今まさに生死のはざまにいたというのにも関わらず、笑っている。
「だって死んでたらこんなもんじゃなかったと思うしさ。
生きてたから、またクリスの笑った顔見られる。」
呆れ果てたような顔をして クリスは大きなため息をついた。
散々苦労して1年以上かけて、やっと見つけたと思った途端、片方が生死も危うい状態だと聞いて。
ようやく再会して話した言葉が『これ』だ。
嬉しそうに笑うゴールドを見上げると、彼女はなぜだか悔しそうにきゅっと口をゆがめる。
それを見てまた笑うと、ゴールドは少し離れたところにいるルビーとサファイアを見てから少し哀しそうな顔になった。
「・・・だけど、『上手くいった』とかは考えたくないな。
あの2人、仮に完治したとしても・・・今年のポケモンリーグには・・・・・・」
「・・・・・・『セータイ』? それがルビーがケガした場所なんか?」
病院のベッドに座りながら、サファイアは医師へと聞き返した。
彼自身も用意が整い次第大きな病院へ移される予定なのだが、
意識はしっかりしているし医師もしっかり付き添っているということで現在のところ問題視されていない。
今の病院では減圧症の処置を出来る設備がない、というのが最も大きな原因でもあるのだが。
親切なトクサネの医者は彼の隣にルビーが座っていることを確認してから、もう1度病状を繰り返す。
「えー、そうですねぇ・・・人間の喉の奥には2つの弁(べん・管の途中にある開閉する器官)がありまして
声帯(せいたい)はそれを震わせて声を出しているんですが、
瑠璃さん(ルビーのこと)の場合、その部分が・・・まー、簡単に言えば火傷してしまっているんですね。
まー、炎が肺に届かなかっただけ良かったとも言えるんじゃないでしょうか?」
「それって・・・治るんか?」
「どーでしょうなぁ・・・なにしろ損傷が激しいもんで・・・まー、五分五分ってとこじゃないでしょうか?」
看護師に大きく咳払いされ、年老いた医者は慌てて身振り手振りで自分の言ったことをフォローしようとした。
全くといっていいほどサファイアの目は見えていないので、完全に意味のない行動であるのだが。
「・・・知ってたんか? ルビー・・・」
ルビーはサファイアの手の平に『○』と書いて答えた。
ちらりと顔を見ると、ある程度取りつくろってはいるようだがサファイアは今にも泣き出しそうなほど悲しい顔をしている。
赤い瞳でじっとそれを見つめると、ルビーは手を触れようとしてそっと動く。
だが、次の瞬間ガラにもなくどったんばったんと響いた足音でルビーはパッと離れ、恐らく・・・心の中で毒づいていた。
「ジラーチ!」
『ミツル、無事だったのですね! あなたが空の王に連れ去られ、どれだけ心配したことか・・・』
看護師の制止もなんのその。 ミツルとジラーチは病院の廊下で11時間ぶりの再会を体全体を使って目一杯喜び合う。
怒りに震えているルビーのいる 診察室の真ん前でわぁわぁと騒ぐと、ミツルはルビーとサファイアがいつか出会った中年の男を引き連れて
(グリーンは呆れてどこかへ行ったらしい)入ってきた。
自分たちのケガはたいしたことはなかったらしく、彼ら自身は元気そのものだが、
後に響くと言われたルビーとサファイアの前に立つと、途端にミツルは気まずそうに押し黙り、大人しくなる。
「・・・・・・あ・・・あ、あの、サファイアさん、ルビーさんとサファイアさんの容態って・・・」
「ワシはヘーキや、設備の整った病院(とこ)で治療すりゃ10日くらいで治るんやて。
ルビーは・・・でっかい病院でもっぺん検査するそうや。 元通り声出るかどうかは五分五分らしい。」
「10日・・・!? ポケモンリーグまで後1週間ですよ!?」
「判っとる!!」
サファイアは声を荒げると自分のひざを叩いた。
「・・・せやけど、しゃあないやないか・・・・・・ッ!
ポケモンならセンターで1発やけど、人間は時間かけんと治らへんねやから・・・」
言ってからサファイアは八つ当たりになっていると気付いて、小さく謝ってから押し黙った。
「・・・そうだ、ジラーチ!
ジラーチ、『力の石』が戻ってきたんです! これを使って2人を治すことは出来ませんか?」
『まことに申し訳ないのですが・・・不可能です。
『力の石』は名の通り力を押し固めたものに過ぎませぬ、それに、治すには人間の体は複雑過ぎます。』
再び気まずい沈黙が流れ、サファイアが誰がどこにいるのか判らなくなってひたすらキョロキョロしている。
とにかくルビーの姿を探そうと手を伸ばしかけたとき、大きな腕が伸びてきてルビーとサファイアの首の横を通過した。
反射的に痛んだ場所を引っ込めようとしたルビーと、驚いて鼻をひくっと動かしたサファイアをそれぞれ片手に、
ミツルと一緒にやってきた男が黙って2人を抱き締めた。
しばらく3人は何が起こったのか判らず、ただただその場の空気に甘んじる。
やがていくらかの時間が経つと、サファイアは男の腕の中で身をよじらせて、ルビーの背中を探し当ててから ぱちりとまばたきをして口を開いた。
「・・・ゴールド? 苦しいわ・・・離してや。」
え? とルビーにミツル、中年の男が驚いた顔をしてサファイアへと振り向いた。
反論することも忘れ、見えない青い目をじっと見つめると中年の男は意味ありげな笑い方をしてサファイアの頭をぐしゃぐしゃとなでた。
さすがにおかしいと感じたらしく、サファイアが眉と眉をくっつけながら首をひねっている間に男は看護師らしい人に呼ばれ外へと退場していく。
残された3人の間にはずいぶんとおかしな空気が流れる。
ルビーもミツルもサファイアに聞きたいと思っているはずなのに、どうやって聞き出せばいいのかが判らなくなってしまっている。
「・・・ルビーさん。」
ただその場の空気を変えようとしただけのようなミツルの声に、ルビーは顔を上げた。
どんな顔をしていればいいのか決めかねている様子のジラーチを抱え、ミツルはぼそぼそと続きを話す。
「ボク・・・あなたが『誰』だか判ったような気がします。
・・・・・・・・・・・・・・・それだけに今日のこと、残念でなりません。」
事後処理のことなど、ほとんどどうでもいいような話を話していたとき、わずかだがゴールドが顔をしかめたのを見て、シルバーの顔がピクリと動いた。
「・・・ゴールド、無理するな。 おまえも洞くつの中で攻撃受けて、相当痛んでるんだろう。
ヘリが来たらルビーやサファイアと一緒に病院行って検査受けてこいよ。」
「ん・・・」
口では了解しつつも、ゴールドは首を小さく横に振ってそれを断る。
岩にでも当たったのか ひたいから流れる血を見てから怒鳴りつけそうになったクリスをそっと制すると、
シルバーはゴールドに自分の方を向かせ、何者をも貫くような 銀の瞳で睨み付けた。
「ゴールド・・・・・・・・・正義感結構、無茶も結構、何かに命かけようが秘密を作ろうが、おれは怒らねーよ。
だけど、もしおまえが死んだら、おれはおまえのことを許さない。
おれは・・・おれとクリスが、一生かけてでもおまえのことを恨み続けるぞ。」
静かな中にも重みのきいた声に耳をかたむけて、ゴールドは ぽかんとした顔でシルバーのことを見上げていた。
長い髪をうまく使って表情を隠すのはシルバーの得意技だが、小さく、肩が震えている。
「・・・それは、困るかな。」
いつもの顔をシルバーへと見せると、ゴールドはかなりボロボロの手で彼の手をにぎった。
まるで引き寄せられたかのようにシルバーがしゃがみ込むと、ゴールドは隣にいるクリス共々、細い腕をいっぱいに使って2人を抱き締める。
泣き足りていなかったのか、クリスが小さなしゃっくり1つもらすとゴールドは腕にほんの少しだけ、力を込めた。
「友達だしね、4年前に会ってから・・・・・・ずっと!」
「え?」
「ゴールド・・・記憶戻ったの!?」
顔を離すと、ゴールドは2人へと向かって小さく何度もうなずいて見せた。
こぼれるにこぼれ切れない瞳の端の涙が 朝陽に当たってキラキラと光る。
「シルバー・ウインドケープ。 ロケット団に忍び込むくらい無茶苦茶やっちゃうけど、優しくて、困ったときはいつも助けてくれる10年来の親友!」
赤い髪が、ゴールドのパーカーにかかる。
泣いて笑ってそれを見ていると、寄りかかられた肩が熱くなって彼がそれを隠しているのだと判った。
「それにクリス、クリスタル・イヴニング・グロウ・カラー。
明るくて、正義感が強くて、力持ちで、ちょっと・・・おっちょこちょいな、僕の大好きな女の子。」
「・・・ゴールドぉ・・・おっちょこちょいは余計だよ・・・」
彼女は泣いていることを隠さない。
ここまでにも散々泣いていたのだろうに、どこから沸いてくるのか不思議なほどの涙を、こぼしては拭き、拭いてはこぼしを繰り返している。
感情に耐え切れなくなってしがみついてきたクリスの頭を軽く叩きながら、ゴールドは小さく鼻を鳴らした。
「ホントごめん、結構前・・・てか、あの2人に会ったときにホントは全部思い出してたんだけど、
言うと気付かれてまた記憶を消されるかもしれないって思って、シルバーにも言い出せなかったんだ。
クリス、黙ってて本当にゴメン、シルバーまで連れ出して、もっとゴメン。
シルバー、泣いてんの隠さなくってもいいんだよ。 嬉しい涙はいいんだって、シルバーのお母さん前に言ってたじゃん。
僕は嬉しい。 2人に会えて嬉しい。 言いたいこと伝えられて嬉しい。 クリスもシルバーも喜んでくれて嬉しい。
・・・・・・それに・・・・・・・・・・・・・・・」
ふと、顔を上げて、ゴールドは金色の瞳を見開かせた。
様子がおかしいことに気付き、シルバーが顔を上げてゴールドを見ると、彼は突然目の前に伝説のポケモンが現れたかのような顔をしてじっと正面を見つめている。
そのまま固まったように動かないことに違和感を感じたらしく、クリスも軽く顔を上げたとき、ゴールドはぽつりとつぶやいた。
「・・・・・・・・・・・・レッド・・・・・・?」
何をいまさらといった感じでシルバーは振り向くと、
どこかと連絡を取っているらしく携帯電話を耳に当てて何か話し込んでいるレッドを銀色の瞳に映した。
海底洞くつで1度会っているにも関わらず、千年ぶりにでも会ったかのような反応を見せるゴールドに、2人の視線が注がれる。
じっと見つめる金色の瞳に光が増えていく。
驚いたように硬直したままの頬に、赤みが差していく。
電話を切ったときちらりとゴールドと目が合い、気まずそうに視線を反らしたレッドを見ると、ゴールドは何かを伝えるため2人の肩を抱いた腕を軽く揺すった。
「・・・もしかしたら、『上手くいく』かもしれない。」
本当にゆっくりした動きでゴールドはクリスとシルバーに巻き付けた腕を解いた。
きょとんとしながら理由を聞きたそうな顔をしているクリスの横で、彼の腕に軽く触れたシルバーが銀色の瞳を見開かせる。
ふらつきながらもゆっくりと立ち上がると、ゴールドは2人に「ちょっと行ってくる」と告げてレッドの元へと走り出した。
急に走ってきてかなり驚いた様子のレッドの前で立ち止まると、たった数メートルだというのに息を切らして
ゴールドはレッドへと向けて金色の瞳ですがるような視線を送った。
「えっ・・・! あ、ちょ・・・っ・・・ゴー・・・!?」
「レッド!!」
はっきりとした声で名前を呼ばれると、レッドはさらに驚いて赤い瞳を大きくした。
一瞬完全に固まるが、レッドが肩に乗せたピカチュウに髪を引っ張られたのと 無理し過ぎたゴールドがせき込むのとが同時で、
声の代わりに指を向けたレッドに対し、ゴールドは激しく何度もうなずいて見せる。
「あ、あのさゴールド・・・3年前のこと、マジでオレが悪かった・・・」
「レッド!」
腕をつかまれると、レッドは驚いて身を震わせ、その反動で危うく肩のピカチュウが落ちかけた。
辛そうながらも息を吸い込むと、ゴールドはレッドの鮮やかな赤い瞳から目を反らさずに一気にまくし立てる。
「ルビーとサファイアのケガを治して!! お願い!!
来てるんだよね、僕と一緒に『あのポケモン』が! あの子ならそれが出来るはずだよ!
あの子が言うこと聞くのはレッドだけだから、だから、お願い!!」
レッドは言っている意味が判らなかったらしく、しばらくぽかんとゴールドのことを見ていた。
やがて、肩に乗ったピカチュウの尻尾からパチンと音がなると、止まっていた時間が動き出したかのように動き出す。
「・・・もしかして、4年前の?」
ゴールドはうんうん、と激しくうなずく。
「タンバと、チョウジの時のアレか?」
「そう!」
大きくうなずくと、ゴールドは相手の腕を握った手に力を込めた。
「ずっと考えてた。 僕自身の力じゃない、僕のポケモンたちでもない、全然別の場所で2回起きたとなったら、場所が関係してたわけでもない。
1度他の場所でも大ケガしたんだけど、その時は僕が逃げたから失敗してた。
あの時見たのと同じピンク色の光、旅してる途中何度か見てるんだ。
まだあのポケモンは僕の近くにいる、だったらレッドが言ってくれればルビーとサファイアのことも治せるはず!
1週間後にはポケモンリーグがあるんだ! 僕はあの2人を送り出したい!!」
驚いた顔をしたまましばらく考え込むと、レッドはゴールドの腕を振り払って逆にゴールドの肩を叩いた。
既に迷った顔は消え失せ、何かを確信したような表情へと変わっている。
ポケットから携帯電話を取り出すと短縮番号を確認しながらレッドはゴールドに赤い瞳を向けた。
「少し時間がかかるかもしんね。
その間にあの女の子が手術でもされたら終わりだぞ?」
「判った!!」
大きくうなずくと、ゴールドは何かに弾かれたかのようにクリスとシルバーの元へと走っていった。
相当身体は辛いらしく、痛みに耐えるように奥歯を噛み締め、また息を切らしている。
体を気づかいながら何を言い合っていたのか聞こうとするシルバーの腕をぐっとつかむと、ゴールドは金色の瞳で2人に光のある視線を向けた。
「シルバー! ルビーとサファイアが病院に行く日取りを1日以上ずらして! 治療を検査に変えるだけでもいい!!
クリスはグリーンさんと連絡取って、トクサネの中の警察を誘導、病院から遠ざけてほしい。
僕はミツル君に事情話して、2人で病院内の人を眠らせておくから!」
「ちょっ、ちょっとゴールド!? いきなり何言い出すの!?」
言っている意味が判らず目を白黒させるクリスに、ゴールドは笑みを浮かべる。
シルバーの手をぎゅっとつかむと、すっかり追い越した高い背でクリスを見下ろし、クリスへと向かって太陽のように微笑みかけた。
「ルビーとサファイアのケガを治せるかもしれないんだ。
あの子たちがいたから、僕たちは生き延びた。 今度は僕たちがあの子たちに、魔法をかけよう!」
唐突に全てを理解したようにシルバーは動き出すと、1度振り返ってゴールドへ銀色の瞳を向けた。
「大病院の方は?」
「そっちは多分ブルーさんがうまくやってくれる。 シルバーはこっち側とコールセンター・・・ヘリ無線の方を頼む。」
「りょーかい!」
イタズラを計画している子供のように楽しそうな笑みを浮かべるとシルバーはどこかへと向かってさっさと走り出す。
未だ状況を理解出来ていないクリスへと向かってシルバーが少し笑うと、クリスは首をかしげながらもゴールドへと黒い瞳を向けて聞いてきた。
「それをすれば、あの子たちのあの大ケガが治るの?」
「きっとね。」
「・・・あの子たちがいたから、今あたしたちが生きてるの?
ルビーが妨害してマグマ団と本格的に戦いになる前にあたしが気絶させられたから?
ミツル君がレックウザであたしたちを海底洞くつから追い出したから?
サファイアがあたしの代わりに・・・カイオーガを捕まえたから?」
ゴールドは何も言わず、クリス以外には全く判らないほど小さくだったが、うなずいた。
それを見ると、クリスはうつむいて何かを考えるようにしてから、ゆっくりと顔を上げる。
視線と視線が合うと、2人はどちらからともなく笑った。
ポケモンバトルの直前のような、ピリピリした空気が一瞬流れる。
「わかった、あたしやってみる!」
「ありがとう! 健闘を祈る。 『ツー・クンフル』」
「?」
「合言葉。 どこかの国の言葉で、『未来』って意味。」
「・・・うんっ!」
笑顔をいっぱいに浮かべるとクリスはまずはグリーンを見付けるため走り出した。
その背中を見送ると、ゴールドは頭をぽりぽりかいてから自分も病院へと向かって走り出す。
「あー、落ち付かない。
やっぱり後でシルバーに帽子返してもらお。」
独り言をつぶやくと走る速度を速める。
彼自身、身体が限界に近づいていることに気付き始めていたのだが、走る速度を緩めることはしなかった。
小さな島で、午前中、5つの影が走る。
突然場所の移動を言い渡されて警察が混乱したり、特に理由も言われないままヘリを引き返すよう指示が出たり、確かにあったはずのカルテが消えていたり、
大事の前の小事というのか、大事の後の小事というのか、海を隔てて(へだてて)各種機関が混乱するなか、ゴールドは病院の中へとたどり着いた。
ロビーにいたミツルはこの話に快く乗ってくれ、早速ポケモンセンターへと向かうと、
進化したばかりのクサイハナを引き連れあっという間に戻ってきて、意気揚々と患者、医師、看護師に構わず『ねむりごな』をまき散らす。
幸い、小さな島の小さな医療施設だったこともあり、患者はちょっとした風邪やひざ痛の老人程度で急に診療が必要な人間はいない。
ミツルの無茶さ加減に呆れつつ(だがゴールドは自分が同じことをやりそうだということに薄々気付いていた)新たに来た外来の老人を
ジーランスの『あくび』であくまで自然に眠らせると、ロビーの椅子に寝かせ毛布をかけて、ルビーとサファイアがいるはずの病室へと向かった。
「ルビー? サファイア?」
コンコン、と軽いノックの音が響き、ルビーとサファイアは同時に顔を上げた。
視力が戻らないのをもどかしく思いながらキョロキョロと顔を動かしてから、サファイアはルビーの喉のことに気付く。
「・・・ゴールドか?」
「そーだよ、入ってもいいよね?」
意見をあおごうと思う前にルビーがサファイアの手の平に丸印を書いて、サファイアは驚きながらも了承した。
カラカラ、と軽い音を立てて扉が開くと、ゴールドはベッドの上に座った2人へと笑顔を向ける。
ルビーは米俵のような灰色のポケモンを片手で持った(どう見ても20キロはある)ゴールドを見てぎょっとしていたが、
そんなことは気にせず、ゴールドは灰色のポケモンを部屋の隅に置いて椅子を引っ張り出すとルビーとサファイアの真ん前に腰掛けた。
信じられないといった表情をしているルビーへと向かって「ジーランスの『じじ』だよ」と、的外れな紹介をする。
「調子はどう?」
「・・・ぼちぼちやな。 時々頭は痛くなるんやけど、それ以外は大体普通や。
手も慣れてきおったからルビーの言葉(こと)も大体判るで。」
調子に乗るな、とばかりにルビーがサファイアの頬をかるぅ〜くつねる。
とはいえ、全く痛くはない。 意図していたわけではないが、3人は同時にクスクスケラケラと笑った。
「お礼ね、言いに来たんだ。」
耳が痛くなるほどの静けさをゴールドは小さな言葉でかき消した。
しっかり者のミツルのことだ、恐らく全員が眠った後も見張りと巡回を続けているに違いない。
「サファイア、ありがとう。
君が頑張ってカイオーガに立ち向かってくれたから、大事になる前に解決出来た。
サファイアがいなかったら、今ごろ僕たちこの世にいなかったかもしれない。 ありがとう。」
「何や、改まって・・・体かゆぅなるわ。」
ポリポリと首元をかくサファイアを見て、ゴールドはまた笑う。
金色の瞳がサファイアからルビーへと向けられたとき、暖かい日差しを受けてかジーランスが大口を開けてあくびをした。
「ルビー、ありがとう。
君は強いよ。 ルビーが立ち直っていく姿見ていたから、僕も頑張ろうって思えたんだ。
最後にグラードンを捕まえたのもルビーだしね。 それに・・・あぁ、これはいいかな。
とにかく、ありがとう!」
ルビーはサファイアの手を離すと、立ち上がって首を横に振る。
何かを叫ぼうとして口をパクパクと動かすが、痛めた喉からは音らしき音は全く出てこない。
それでも必死で口を動かしながら、ルビーはぽろぽろと涙を流し始めた。
流れた涙を拭こうともしないルビーに出会ったときと同じ、雲間から顔を覗かせた太陽のような笑みを見せるとゴールドは
片手で彼女の涙を拭いて、立ち上がるとルビーの小さな体を抱き締めた。
首を刺激しないよう気づかいながら頭をなでると、ルビーが上を向いてまた口を動かしたのを見て、小さくうなずく。
サファイアの方をちらりと見てから少し笑うと、赤い瞳の上、ひたいにかかった髪の上から軽く口付けて 驚いた彼女の顔を見ていたずらっぽく笑った。
「・・・こちらこそ!
産まれてくれてありがとう、生きててくれてありがとう、歌ってくれてありがとう、助けてくれてありがとう!
君たちに魔法をかけにきたんだ。 目が覚めたら、身体は元通り元気になってる。
あの時と同じように歌えるはずだから、いつかまた、ルビーの歌、聞かせて欲しいな。」
赤い服の端をつかんだルビーの手に、力がこもる。
足から段々と力が抜け、立っていることが出来なくなり彼女はゴールドに寄りかかるようにして倒れかかった。
床に激突しないよう抱きとめると、ゴールドは先に白いシーツの上に横たわって寝息を立てているサファイアを見て優しく笑う。
必死に眠気と戦い、赤い目を開こうとするルビーが力尽き、服の端をつかんでいた手がだらりと下がると、
ゴールドはポンポンと彼女の頭を叩いてから抱き上げ、サファイアの隣のベッドに彼女を横たえた。
ベッドから転がり落ちないよう、サファイアを抱えて体勢を直させると、2つのベッドの間に立ち2本の手でルビーとサファイアの頭を同時になでた。
「・・・ありがとう。 2人とも、大好きだよ。」
後ずさるようにしてゆっくりと遠ざかると、ゴールドは部屋の扉にぶつかるまで2人の姿を金色の瞳に映し、そっと病室の扉を開いた。
名残惜しそうに部屋を出ようとしたとき、瞳の端にぼんやりとしたピンク色の光が映った。
ちらりとそちらを見てから、ゴールドはもう1度2つのベッドに視線を戻しゆっくりと目を閉じる。
「ありがと、記憶は消さないようにね。」
クスリと笑うとゴールドはそっと病室の扉を閉め、ミツルに作戦成功を伝えてから病院を後にした。
道々倒れている人を片付けながら病院の門を抜けると、得意げな顔をしたクリスとシルバーと、3人で手を叩き合わせて成功を祝う。
何でもないような顔をして、2人を連れて出来るだけまっすぐ歩く。
どうも気付かれていたようだったが、クリスもシルバーも痛いところは突かず普通に話しかけてきてくれていた。
きっと誰の目にもつかないところに行ってからしっかり聞いてくるんだろう、だけど、今は感謝する。
普段よりも遅めの歩調で3人、歩いていると、少し遠くにレッドとグリーンの姿を発見した。
見ていると、レッドがちょいちょいと手を振って、明らかにゴールドのことを呼んでいる。
クリスとシルバーに二言三言話し、彼らのもとから離れてゴールドが向かうと、相手もグリーンから離れこちらへと向かってきた。
どうやら他人には聞かれたくない話らしく、レッドは何度かクリスたちの方を見てこちらの声が聞こえないかどうか確認している。
そんなに気になるなら離れたらどうか、とゴールドが提案すると、
レッドは今更気がついたかのように「あぁ」と声を上げて本当に少し離れた岩の近くまで移動した。
「上手くいったみたいだな。
不自然にならないようにヘリ完全にキャンセルしたってブルーが言ってたけど、お前は体大丈夫なのか?」
「うん、打撲は酷いけど骨折まではしなかったみたいだし、戻ってから病院行っても充分間に合うよ。」
そう言いつつ自分の体を叩く動作がずいぶんと柔らかかったことにレッドは苦笑した。
1度足元を見てからゴールドは顔を上げ、レッドへと太陽のような笑顔を向ける。
「『ありがとうございます』本当に嬉しかった。」
「旅してたんだってな、あの2人と。」
兄が弟に言うように、親が子に言うように、何気ない声でレッドが話しかけると、ゴールドは金色の目を少し見開かせた。
そのままレッドの顔を少し見てから視線をそらすと、水色に変わる空を見つめながらゴールドは話す。
「最初は利用するつもりだったんだけどね。 何でもないようなことに一生懸命になってるルビーとサファイアを見てたら、
「あぁ、昔の僕たちだ」って思って・・・グラードンとかカイオーガとか、そういうの抜きに純粋に旅を楽しみたくなったし、
あれだけ苦労してたのが何だったんだってくらいあっけなく記憶も戻ってきたんだ。
昼間旅して夜勉強って2重生活だったから、ぶっちゃけ最初はきつかったんだけど・・・でも、楽しかった。」
「そっか。 これからは、どうするんだ?」
「一旦帰って、PMD(ポケモンドクター)試験受けるよ。
1、2学期中に何とか単位取ったから、今から戻れば2回目の試験には間に合うと思うんだ。 レッドは?」
「ん、仕事。 お前TPじゃねーから細かいところまでは話せねーんだけどさ、まー何っつーか・・・知り合いが、やべーことに巻き込まれててさ、
そっちの応援に行くんだ。 今度はグリーンもブルーも、ハナやサンたちも・・・‘テン’も一緒だからな、大丈夫だ。 な、‘テン’?」
レッドがモンスターボールを宙に放ると、ピカチュウよりも更に小さな灰色の玉のようなポケモンがレッドの周りをくるくると回る。
『ポワルン』という種類のポケモンで、マグマ団、アクア団に捕まりそうになっていたところを保護したところ、懐かれてしまって
結局、研究所の人間に謝り倒して引き取ってきたのだとレッドは説明した。
「『仲間』?」
「そーだけど・・・『家族』、かな。 人にやるつもりなんだ、こいつ。
こいつあのしぶてーガキんちょと同じで、誰かを守りたくてウズウズしてんだけど、あいにくオレんとこにはそーいうのいないからさ。」
「人にあげるのに・・・『家族』?」
「納得いかねーことはあるさ。」
首をかしげたゴールドをレッドは笑う。
やや違和感を感じたらしく、少しだがゴールドが眉を潜めるとレッドは途端慌てたような顔をして、無理矢理話題を変えてきた。
「って! そーだそーだ、あのさっ!
ゴールド、お前自分の父さんのことって覚えてるか?」
切り替えの不自然さにゴールドは首を傾げる。
だが、納得したのか諦めたのかそれとも別の理由があったのか、少しすると彼は首を横に振った。
「僕のお父さんは、僕が『神眼』だって判った次の日に旅に出たって。 だから、顔も知らない。」
「もし・・・もし見つかったら、どうする?」
「とりあえず1発殴る。」
間髪入れずに返事を出してきたゴールドに、レッドの顔が引きつった。
それから少し時間を置いて、ゆっくりと背筋を伸ばすようにしてからゴールドはまた口を開く。
「『何で連絡の1つも入れなかったんだ!』ってさ。 それから家に連れ帰って・・・
・・・・・・お母さんと3人で、出来ればシルバーやクリスの家族も呼んで、一緒にご飯、食べたい。」
もはや質問の意図を推理することも忘れているようで、ゴールドは自分で言った言葉にうつむいてしまった。
少し顔をこわばらせるとレッドは頬をポリポリとかいて、痛みがない程度にゴールドの肩をポンポンと叩く。
顔を上げると、ルビーとは少し違う鮮やかな赤色の瞳を持った青年は金色の瞳の少年へと向かって励ます(はげます)ように笑いかけ、最後に一言こう言った。
「・・・もしかしたらさ、嬉しいこと、もう1個増えるかもしんねーぞ。」
その言葉を最後に、理由は色々あれどホウエン地方に来ていた6人のトレーナーたちの旅は終わりを告げた。
レッドが言ったことの意味を知るのは、それから3週間ほど経ってからのこと。
道中も船に乗り込んでからも何度となく聞いてはみたが、教えてもらえなかったからだ。
多分・・・いや、間違いなく、目が覚めたルビーとサファイアは『僕たち』が何も言わずに帰ったことをミツル君に聞いて怒るんだろう。
怒られる分には構わない、だけど『僕』は、どうしても泣いている顔をあの2人に見られたくなかった。
もしかしたら初めて出来た弟分妹分に対しての、意地みたいなものもあったのかもしれない。
この翌日、サファイアは改めてルネシティジムに挑戦し、5−3で勝利。 無事バッジを手に入れたそうだ。
カイオーガまで捕まえたというのに、ストレートで行かれなかった辺りがサファイアらしい。
ルビーの声が無事戻ったことに関しては、喜ぶ人が何人いたのか・・・数えるのも面倒になるくらいだ。
彼女はサファイアがジムバトルに勝ったのを見届けてから、『ポケモンリーグでまた会える』と言い残して2人と一旦別れた。
残されたのはサファイアと、ミツル君。 男同士2人仲良く(?)、サイユウシティへと向かうそうだ。
そうそう、グラードンとカイオーガだが、グラードンの方は結局、しばらくはルビーのボールに閉じ込めておくことになったらしい。
一体何がどうなってココロの持ち主が消え去ったのか、今でも原因ははっきりしていない。
ただ、現在のところはボールの中で大人しくしているので、当分の間はこのまま現状を維持するそうだ。
サファイアのカイオーガの方は、サファイア自身がモンスターボールの拘束範囲を無制限に変更して、放し飼い、という形にすることで決着した。
本人が(カイオーガに)何かあればすぐ判る、と断言したことと、何より意外にもカイオーガが人懐こい性格だったことが幸いし、
トクサネジムリーダーフウ、ラン、ルネジムリーダーミクリ、その他諸々の(もちろん僕たち6人も賛成した)推薦を得ての結果である。
今はどこか、海の深いところでのんびり気ままに泳いでいるらしい。
ミツル君は、グリーンさんに言われたとおり1度シダケ、トウカを回って今までのことを謝ってきていた。
シダケの親戚の方は少し怪しいが、トウカシティに住む両親からは許可をもらえたらしい。
怒涛(どとう)のスピードで(ミツル君の緑眼の力は半端じゃない)ルネを経由し(1度サファイアを拾うため)サイユウへと向かう。
彼はポケモンリーグが終わったら正式にTP(トレーナーポリス)の何かの機関に組み込まれるそうだ。
・・・そして、1週間後。
――ポケモンリーグが始まる―――――
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