Chapter20:sender−Reo
=One gamble




エレベーターが地面の底に着くと、足の裏には荒れた大地の感触がした。
完全な岩地だ。 小石と砂が薄暗いトンネルに砂埃を上げ、進もうとする先にはわずかだが明かりが見える。
右手でミレイの手を握り、左手にポケモンの入ったボールを取ろうとした。
しかし、取り落とす。 既に左手の感覚はなく、しびれたように動かないそれをニュウが睨むように見上げた。
明かりの見えるほうに向かって歩く。
もうごまかしは効かないだろう。 ミレイにもポケモンたちにも、恐らくシャドーにもこのことは伝わっているかもしれない。
閉じられた扉を開くと、眼下に灰色の街が広がっていた。
臭気にミレイが口を覆う。 完全なスラムだ、切り立った崖に埋め込まれた巨大なモニターを除いては。
「アンダーパイラ・・・」
再びミレイの手を引き進もうとすると、ガレキの影から飛び出してきた赤いポケモンに攻撃を受けた。
直接足で反撃し、逃げるトレーナーを追おうとしたニュウを呼び止める。
顔を見られただろうか。 シャドーに? いや、断定は出来ない。
人の気配がなくなった路地に襲い掛かってきたレディアンだけが残されていた。
様子がおかしい。 懐に飛び込まれないよう1歩下がって様子を観察していると、少しずつ気分が悪くなってくる。



「ミレイ、ダークポケモンか?」
振り返って尋ねるとミレイは震えていた。
YesともNoとも言わない。 口は動いているが声は出ず、レディアンと俺を見比べながら逃げるように後ろに下がろうとしている。
「ミレイ!」
呼ぶと彼女の指先が動き、泣きそうな瞳が揺れた。
指先が離れるとミレイはうなりを上げるレディアンの元へと走り、抱きとめる。 一瞬動きが止まるが、すぐにまた嫌な感じが強くなる。
攻撃の前触れだ。 舌打ちすると俺はスタンドの親父に押し付けられたネットボールをスナッチマシンにセットし、ミレイの腕の中にいるレディアンへと向けて投げた。
激痛がする、腕が焼き切られそうだ。
「何してるんだ、ミレイ! 死ぬ気か!?」
怒鳴りつけるとミレイの目から涙が落ちる。
吐き気がしてきた。 彼女を泣かせるためにこんなところまで来たわけではないのに。
「b@/yuxe
小さな声で喋ると、ミレイは転がったレディアンのボールを拾いに行った。 謝りたい、彼女が悪いわけではないから。
「‘ニュウ’戻って来い。
 この先何があるか判らないから、慎重に・・・‘ニュウ’?」
返事がない。
姿も見えず探していると、突然ミレイが走り出し、ニュウを抱えて戻ってきた。
様子がおかしい。 口を開け、何かを吐き出そうとするような動作。 1度流行病にかかったときの症状にも似ているが、これほど早く進行するものだろうか?
とにかく様子を見ようと近づこうとしたとき、吐き気とともに左腕が強く痛んだ。
ミレイの姿が歪む。 ・・・俺は、いつ地面にひざを突いた?
気絶しそうだ。 うつろな意識の中で、細い腕が背中に回されるのを感じた。
出会ったときと逆だな。
あたたかい。













・・・明るい。


確か、ビルに入ったのは昼だったな。 それほど時間が経っていないのだろうか、それとも一晩、眠ってしまったのか?


月が、見える。 昼なのに、月が見える。


手を伸ばしても・・・届かない。


『あーもー! オアシス出たら干からびちゃうって!
 オレの仲間たち、みんなそれで死んじゃったって何度も言ったじゃんか!』
「昼なのに、月がある。」
『え? あぁ、そういえば今日は砂嵐ないな。 昼でも夜でも、月は同じに見えるんだな。』
『どうした?』
『あ、エーフィ! またレオが砂漠行こうとしてたんだ。
 ここんとこずっと月見てんだぜ、そのうちかぐや姫にでもなっちゃうんじゃないかと思うよ。』
「カグヤヒメ?」
『聞きたい? なら家に戻ろうぜ。』
「うん。」
『レオ、月もいいがそろそろ街に下りることを考えないか?
 ヒトの世界を見ることは、レオにとって必要なことだろう。』
「ここでいい。 新入りの話、面白いから。」
『おっ、嬉しいこと言ってくれんじゃん!
 なら張り切って話すよ。 行こうぜレオ!』
『待てレオ! こっちの話も・・・!』
『早く、レオ!』
『レオ!』



「レオ!」
手が暖かい。 ミレイが泣いてる。
「どうした、ミレイ?」
起き上がると左腕が、スナッチマシンが強く痛んだ。 そうか、俺は気絶していたんだ。
ミレイを見る。 右側の髪だけ解けていて、服の右肩には焦げたような跡がある。 肩をめくると、紫色に手形のようなものが残っていた。
誰に・・・? そう聞こうとしたとき、再び強く左腕が痛む。 自分の腕を見下ろすと、見慣れた青いゴムがからまりついていた。
同じだ。 ゴムの色も、肩についた手形の大きさも。
「俺が・・・やったのか?」
ところどころ切れた髪、おびえの混じったミレイの目。 間違いない、俺がやったんだ。
「どうして・・・」
俺が守らなければならないのに、守ると決めたのに。 何故、どうしてミレイが傷つく?
指先の温かさに顔を上げると祈るような仕草で俺の手が持ち上げられていく。 ミレイは無警戒だ。
だからこそ・・・何だろう、この感情。 とにかく、守らなければいけないんだ。 俺は、彼女を。

扉が開き、ミレイを体の後ろに隠す。
1人の子供が寄ってきたのを皮切りに、10人近い子供たちが周囲に集まってくる。 浮浪者というほど汚れてはいないが、強盗だろうか。
身構えるのと同時にまた左腕の痛みが戻ってくる。 意識してはいけない、俺が倒れたら確実にミレイが連れ去られる。
モンスターボールに手をかけると、その腕にミレイがからまりついてきた。
「jZw! ,5、3uqxZgkvsw@d94?
 レオt@vs@e:t@uk! w3wr.f@d)tdw、6,t@e!
人波がざわめく。 今ので、間違いなくミレイの言葉のことは気付かれた。
何故・・・いや、責めている場合じゃない。 振り切ってでも戦おうとしたとき、人の間を縫って背の高い少年が近づいてきた。
リーダーだろうか、あまり体格が良くはないようだが。
「もしかして・・・『レオ』さん?」
「!?」
「やっぱり! レン君からのメールの通りだ!
 僕はコドモネットワークのスレッドです、レンからコドモネットワークのこと、聞いてますよね?」
「お前が、スレッド?」
「はい。」
うなずくとスレッドは周囲を取り囲んでいた子供たちに声をかけ、話しやすいようスペースを作った。
「q@ed@)42、スレッドf3uqqakntq9
「0qdkbsf@t@0t.k!?
近づいてきた少女にミレイが驚いた顔を見せる。
「彼女の言葉が解るのか?」
「シホの両親はカントーの出なんです。
 入って下さい。 聞きたいことも話したいこともたくさんあるんです。」
そう言ってスレッドは家の中に俺たちを招き入れる。
完全に信用したわけではないが、ミレイの、それに自分の状態を考えると疑ってかかれる状況ではない。
そう思っていたのだが、扉を潜った途端、自分の警戒心が薄れていくのが分かった。 何故だかはよく分からないが。
横では、ミレイが苦笑いしている。


「すみません、散らかってて・・・」
スレッドの言葉を聞き、俺は自分の警戒心がなくなった理由とミレイの苦笑の正体を理解した。
拍子抜けしたんだ。 ゴミとしか思えないような遊具と、コードと、紙くずが散乱した子供部屋そのままの室内に。
「ミレイが呆れてる。」
「ごめんなさい。 奥の部屋でシホと話しててもらえますか?
 そっちの方がここの部屋よりは片付いてるので・・・あ、それとも僕たちと一緒じゃ危ないですか?」
「いや、隠れ場所が多い分、安全かもしれない。」
皮肉るとスレッドは笑い、ミレイとシホという少女を奥の部屋へと誘導した。
自分は戻ってくるとゴミに埋もれた手前の部屋の扉を開け、俺をその中へと案内する。
その部屋も全体的に散らかっていたが、ほとんどが機械のパーツなどの類だった。 椅子を引き出す余裕もないのか立ったままスレッドがパソコンのキーボードを叩くと、つけっぱなしのモニターにエラーメッセージのようなものが表示される。
「やっぱり、アクセスが遮断されてる。
 くそっ、ヴィーナスめ! 外部と連絡を取らせないつもりだな。」
「シャドーか?」
尋ねるとスレッドはキーボードを叩き、小さくうなずいた。

「そうです、ヴィーナス=シャドー。 アンダーTVの局長にして、アンダーコロシアムの全ての権利を握っています。
 アンダーの電気は照明から換気まで、全てコロシアムから配給される電力でまかなわれているんです。
 つまり・・・」
「コロシアムの制圧が、事実上の支配。」
「そういうことです。」
謎掛けのような口調に眉を潜めると、スレッドは慌てて取り繕ったような笑顔を作った。
「あ、試そうとしたわけじゃないんです! ただ、レン君からパイラでのことを聞いて、少し不安になってて・・・」
恐らく、ギンザルの家であった騒動のことを言っているのだろう。
確かにあの時の俺だったら、似たような理由で断っていたかもしれない。
今は違う、そう言おうとしたとき、スレッドは机の上にあるものをどかし緑色の作業台を開いた。
こちらに手を伸ばし、旅の間幾度と見てきたあの強い目で、俺のことを見る。
「とりあえずその肩についてる機械、こっちに渡して下さい。
 エンジニアとして、それだけ壊れてるものを使い続けてるっていうのは許せないです。」
「・・・お前、これがスナッチマシンだと判った上で言ってるのか?」
「いいえ、ずっと身に着けてるから何となくそんな気はしましたが。
 でもこの機械があり得ないくらい壊れてて、そのせいでレオさんの体を傷つけてることくらいは判りますよ。」
受け取ったスナッチマシンを作業台の上に置くと、スレッドはカバーのすり切れたコードの代わりを探して部屋中歩き回り出した。
恐らく見つからないだろう。 モンスターボールのリミッターを壊すエネルギーはパソコンの比ではない。
スレッドは絡まりあった細いコードを見て溜息をついてから気がついたかのように椅子をすすめ、部屋の扉を半分だけ開いた。
「ザーック! お前ん家にある1番太いケーブル持ってこられないか?」
「何だよ、こないだアンテナ交換したばっかだろ? まだ足んねぇの?」
「違う! レオさんの・・・」
そこで声を止めて口だけ動かすと、部屋の奥から「わかった」と返事が届き、家の扉が開く音がする。
唇を読める奴がいるらしい。 部屋の扉を閉めるとスレッドは再びパソコンの前でキーボードを打ち始めた。
「レオさん、シャドーの妨害を受けてここ半月ほどレン君たちと連絡が取れずにいたんですが、表のようすはどうでした?
 相変わらずミラーボとかいう奴が町をのさばっているんですか?」
「ミラーボはいなくなった。」

俺がそう伝えると、スレッドは意外そうな顔をした。
「へぇ〜、レオさんがやっつけてくれたんですか?」
「地面が揺れる現象が起きた後、町から逃げ出したらしい。
 アンダーとはいえここもパイラだろう。 こっちは揺れなかったのか?」
一瞬止まった手に目を落とし、スレッドは絡まったコードの1つを蹴飛ばした。
「いえ、こっちは・・・というより、その地面の揺れの原因、もしかしたらこのアンダーかもしれません。」
「どういうことだ?」
「あちこちで地崩れが起きてるんです。 シャドーが来るまでこんなことなかったんですけど、最近特に酷くなってきて・・・何人か埋まった人もいます。」
声に抑揚をつけずスレッドはそう言った。
使わなくなったのかパソコンをスリープ状態にすると、作業台へと移りスナッチマシンについたホコリを払い始める。
「逃げないのか?」
「逃げたいけど逃げられない・・・というのが本音ですね。 というより、好きでアンダーに住んでる人間はいません。
 上で生活できるほどの資金力もないし、表とつながっているエレベーターが封鎖されて、ほとんど牢獄で暮らしてるようなものですよ。」
目に見えないほどの小さな砂粒をピンセットでつまみ上げると、スナッチマシンから白い光が上がった。
マサも似たようなことを言っていた。 封鎖されたエレベーター、閉じ込められている人間たち。
何かがおかしい。 ローガンたちの話ではオーレにいるのはほとんどが外からの移民か、その子供のはずなのに、外からの情報が遮断されすぎている。
エレベーターが閉鎖されていると聞いてシャドーがやったものと思い込んでいたが、そもそも封鎖されたのは何のためだ?
それに、なぜパイラだけでなく、ほとんど存在も忘れられているようなアンダーにまでシャドーは手を出したんだ?
「もちろん、何も出来ないわけじゃないですよ。 こうやって、出来ることはやります。
 でも、それだけじゃ力不足なんです。 僕たちはヒーローを待ってるんですよ。」
「俺はヒーローじゃない。」
パイラでのやり取りは、思っていたより強く広がっていたらしい。
言い返すと、無性に1人になりたくなった。 考えがまとまらない。


「少し出てくる。 ミレイを見張っておいてくれ。」
立ち上がると、スレッドは作業の手を止めてこちらへと振り返る。
「あ、外に出るなら‘気をつけて’」
「わかった。」
「え?」
スナッチマシンがないことに不安がないわけではないが、ポケモンたちがいるから丸腰というわけでもない。
扉を抜け、床の上に積みあがったガラクタを避けながら玄関を開く。
上を見上げると、やはり地下なのだと感じた。 もう夜になっているはずなのに岩肌の天井からは星ひとつ見えないし、延々つき続ける街の灯りのせいで闇にもなりきれない。
空気は濁り、決して透明ではない水があちこちで水たまりを作っていた。
少し歩くと、さっき倒れたとき時ほどではないが、気分が悪くなってくる。
「‘フル’」
古くからいるそれをモンスターボールから呼び出すと、フルは水たまりを蹴って近くにあるアンテナの下へと駆け込んだ。
おかしい。 地下で雨が降るわけがないし、降ったとしてもそれを嫌がるような奴ではなかったはずだが。
早く来いと急かすフルに従いアンテナの下へと行くと、アンダーの岩肌に取り付けられた不自然なほどに大きなディスプレイが視界に入った。
「あまり長居したくはないな。」
無事に出られるかどうかも怪しい状況だが。 フルが小さく尻尾を揺らす。
『上に気をつけろ。 降ってくるぞ。』
「雨がか?」
『雨は命に歓びを与える。 この場所では憎しみと絶望が降ってくる。』
憎しみと絶望、その言葉に俺は何となく納得した。
アンダーの町並みはそんな感じなのだ。 人通りがなく、幽霊街ゴーストタウンにすら見える。
『時間がない。』
「もう、シャドーには囲まれている。」
『滅ぼすのか?』
「今は、ミレイのことが最優先だ。 滅ぼすことはいつでも出来る。」
『そうか・・・全てはミレイ次第、ということだな。』
「決めかねているわけじゃない。 それが俺の意思なんだ。」
皮肉めいた口調のフルを怒る気にはなれなかった。
行動の矛盾も、俺がミレイを危険に晒していることも解っているし、とても最善とは言えない判断をしているのも気付いている。
だけど、感情なんだ。 オーレにいる限りシャドーは俺とミレイを狙ってくる、ミレイを元の世界に帰す方法も見つからない。
「1分でも、1秒でも長く・・・」
『それを悪いとは言わないさ。 ヒトの心、ヒトの愛、ミレイはそれをレオに与えた。
 ミレイが与えた心は・・・ミレイにしか助けられない。』
フルらしい助言だ。 座り込むと俺はアンダーの町をもう1度眺望する。
「苦しい・・・」


そうつぶやき、フルの尻尾がわずかに揺れた瞬間、岩肌に貼り付いていたディスプレイの色が変わった。
巨大な画面に女の顔がアップで映し出されている。
《ごきげんよう、神聖なるアンダー住民の皆さまがた。》
「・・・何が『神聖なる』だよ。 ゴミだめの中の女王様気取りのくせしてさ。」
紙袋を抱えて戻ってきた子供が光を放つディスプレイを睨みながら吐き捨てた。
袋から飛び出しているエンジ色のコードを見て、相手が『ザック』なのだと気付くの同時に近づいてきて、彼は話し出した。
「あれがヴィーナスだよ、このアンダーを取り仕切ってる諸悪の根源。」
目元を緩めるとヴィーナスと呼ばれた画面の中の女は長い袖のドレスを上げ、薄い布で覆われた口元をゆるませた。
《アンダーは今日も快晴ですわ。 これも皆様がたのご協力があってこそ、ヴィーナスは心から感謝いたします。
 ですが、悲しいお知らせがあるのもまた事実、わたくしはそれを皆様にお伝えしなくてはなりません。》
画面の中にいる女は、濃い色を塗りつけた爪をこちらへと向けてくる。
《このオーレは、まもなく滅びます。》

「・・・あんなことばっかり言ってるんだ。」
ザックは抱えた紙袋を持ち上げながらそう言う。
だが、ヴィーナスの言葉と同時に感じた空気の冷えは錯覚などではなさそうだった。
《愚かなる地上の民、欲深き地上の民・・・空を求めてホウオウに手を出したばかりに、神の怒りをかいました。
 神の怒りは止まりません。 まもなく地上は滅ぼされることでしょう。
 ですが、案ずることはありません。 このアンダーは地下の国、賢明な皆様がたは地上の民と切り離され生活していました。
 このアンダーまで、ホウオウが攻め入ってくることはありません。
 そう・・・欲深き地上の民が、アンダーに入り込まない限り。》
気がつかない間に、指先が手のひらに食い込んでいた。 俺は怒っているのだろうか、自分の感情がわからない。
《本当に悲しいお知らせです。 このアンダーに、地上からの侵入者がありました。
 放っておけば彼らはこのアンダーを掌握し、自分のものにしようとすることでしょう。 そうなれば、アンダーも地上同様、ホウオウの手によって滅ぼされてしまいます。
 アンダーの皆様! 何としても、侵入者を捕らえ死の裁きを! この聖域を守るために!》
ヒステリックな声に頭痛を感じ始めていた。 ザックがディスプレイを見上げたまま舌打ちする。
「家に戻ってた方がいいよ。 あんなのに洗脳されてる大人たちもいるんだ。」
「そうだな。 そうさせてもらう。」
理由のわからない怒りを悟られないよう、指先にだけ神経を集中させる。
1歩歩くごとにその感情は強くなり、何かを壊したくなった。
フルが先を行きながら、こちらに目を向ける。 解ってる、何かを壊そうとしたら壊れる『何か』はミレイになるんだ。
「ザック、その荷物スレッドに届けるんじゃないのか?」
「え? あぁ、そうだった。」
小走りに追い越していくザックと階段を上ってくる人影が見えるのは同時で、殺気に変わりかけた警戒心を自力では元に戻せなかった。
だが、左手が強く痛みそれは一瞬で消えた。 つかまれた腕の先を見ると、ミレイの、いつもの泣きそうな顔がそこにある。



「ga'q@/!!
スレッドの家から飛び出そうとする少女に向かって何かを叫ぶと、ミレイは何かから逃げるように俺を家の中に引きずり込んでいく。
フルを呼び込むと指先で見えない『何か』を払う。 ザックにも同じことをすると、彼女は赤い手のひらで俺の左腕を丁寧になでた。
「何してる? その手はどうした?」
「黒い・・・オーラが見えるって。 それにレオさんが負けそうになってるから、払ってるんだって。」
ミレイと一緒に奥の部屋に行ったシホという少女が質問に答える。
もう触られてなどいないのに、左腕が強く痛んだ。 表情の変化を読んだのか動きかけたミレイを止めると、再びザックを追い越し玄関を抜ける。
案の定、ミレイはついてくる。 無防備な右手を上げると、ロクな治療もされていない手のひらを指差し無理を承知で尋ねる。
「スナッチマシンに・・・触ったのか?」
眉を潜め、1度シホに顔を向けてから答えを待たずミレイは小さくうなずいた。
Yesうん.」
泣きそうというほどではないが、表情から困っているのは明らかだった。
そうだ、俺が困らせているんだ。 傷も、俺がつけたものだろう。
「・・・シホ、伝えてくれ。 今度同じことがあったら真っ先に逃げろって。」
「え?」
スレッドの様子を見に行くため立ち上がる。 他に守れる奴がいない以上、ミレイを安全な状態にするなら逃がすしかない。
運が良ければ、イザヨイやニュウ、ハーベストくらいはついていくだろう。
ドアノブに手をかけた瞬間、チカラの入っていなかった左腕を思い切り引かれ、倒れそうになる。
No!」
「な!?」
吊り上げた眉を見ながら、驚きを隠せなかった。 本当にこれがいつも泣いていたミレイだろうか?
「何がNoなんだ、お前が俺に勝てるわけがないだろう!」
「レオf0tZwue9! gr@zhkt@e7q@ZqosZhit5Zw.! 0qdfレオseZd)ieqetoレオksbie.yq@9!?
「言葉もロクに通じないのに何で俺についてこようとするんだ!
 俺はお前に傷ついてほしくないんだ、それが解らないのか!?」
「バカ!!」
ミレイが叫んだのを最後に、部屋の中は静まりかえった。
頬に伝った涙をこすると、ミレイは黙って奥の部屋へと逃げ込み、その後をフルがついていく。
薄い扉にさえぎられた背中に歩き出すことさえ出来ずにいると、背後で別の扉が閉じた音が聞こえ、部屋の中にいた3人の注意はそちらへと向いた。
「えーっと・・・邪魔したか?」
「クロ! どうしたんだ?」
うつむきがちに玄関で足踏みする少年に声をかけると、スレッドは自分の部屋に鍵をかけてガラクタの山を踏み越えていく。





脱いだ帽子の裏をいじりながら、クロと呼ばれた少年は部屋の中へと入ってきた。
子どもたちの顔を交互に見比べながら少し高揚した表情でグラスに水を注ぐ。
それを一気に飲み干すと、クロは息を整えてから先ほどスレッドの出した問いに答えを返してきた。
「ヤベーよ! 町の入り口にある2番倉庫!」
「土砂崩れで立ち入り禁止になったばかりじゃないか! 何て無茶なところに出かけるんだ!」
クロを怒鳴りつけるスレッドの姿が、一瞬ミレイと重なった。
体の前で素早く手を振ると、クロは早い口調でスレッドの言ったことを否定する。
「わわっ、違う違う! ショップの上から覗いてただけだって!
 それにそれどこじゃないし、シャドーの奴らがその2番倉庫に『上』から来た誰かを閉じ込めてたんだ!
 遠くてよく見えなかったけど、あれギンザルさんのとこのシルバじゃないのか? そうだと思ったら居ても立ってもいられなくなって・・・!」
「走ってきたのか。」
「え? あぁ・・・そう、うん。」
足についた小さな傷をなでながらクロは曖昧な返事をした。
顔を上げ、閉め切られた奥の部屋を気にするクロに俺は質問を付け足す。
「シルバはアンダーに来たことがあるのか?」
「あ、あぁ。 どっかに秘密の抜け道があるらしくてさ、シャドーが来る前からちょくちょく食べ物とか服とかもらってたんだ。
 危ないからっつって、どこから来てるのかは1度も教えてくれなかったけど。」
妙に小奇麗だった彼らの服についての理由が、意外なところから説明されていた。
シルバらしいといえば、シルバらしい。 何も言わずずっと俺の顔を見続けるスレッドの意思も、今は理解出来ると思う。

スナッチマシンを取ろうと動き出すと、自分の部屋の前でスレッドは両腕を広げて見せた。
「ダメですよ、まだマシンもレオさんも直ってないんですから。」
「シルバは・・・」
「僕らが助けます。
 レオさんが倒れたら、シャドーと戦える人間がいなくなる。 それだけは防ぎたいんです。」
部屋の鍵をポケットに入れるとスレッドはザックに視線を送る。
「1時間下さい。 それまでにシルバさんを助け戻ってきますから。」
それ以上は何も言わず、スレッドは他の少年たち2人を連れてアンダーの町へと繰り出していった。
同じ部屋に残された少女が足元のキノココを抱き上げ、転がるように置かれていた椅子に腰掛ける。
「子供に何が出来る。」
怒りを感じる。 理由はわからない。
「怪我人に何が出来るの?」
うつむきがちに小さな声でしか言わなかったが、確かに少女は反論していた。
ミレイのいる奥の部屋に何度か顔を向けながら、細い声だが、言葉を続ける。
「大人たちは助けてくれないわ。 パパとママが死んで、1人ぼっちになったのを助けてくれたのもスレッドだった。
 怪我したり、病気になったり・・・弱った人たちはあっという間に死んでいく。 弱いと、生きていけないのよ。」
「お前は強いのか?」
「分からない・・・でも、強くはなりたくない。 強い人たちは私たちに気付いてくれないもの。
 真ん中がいい。 私は・・・真ん中がいい。」
沈黙したまま時計の針が一周すると、突然奥の扉が開きミレイが出てきた。
目が合うと一瞬顔の筋肉を引きつらせ顔をそらしたが、すぐにまた顔を上げると今度は全く視線をそらさずに、こちらへと近づいてくる。
手をつかまれるまで、息一つ出来なかった。 動けないことにすら、気付けなかった。
「レオf0qdt@jm.!
熱い手に気を取られていると、机を挟んだ向こうで女の笑い声が聞こえた。
「強いね、ミレイさん。 私、ミレイさんになりたい。」
意味がわからない。 ミレイは弱いし、今「強くなりたくない」と言ったばかりではなかったか?
少女は抱えていたキノココを降ろすと椅子から立ち上がり、俺とミレイの前まで寄ってきて深く頭を下げた。
「レオさんお願いします、スレッドたちを助けてあげてください。
 私たちのチカラだけじゃ、シャドーと戦うことは出来ないんです。」
何かの体操をしているようなポーズのまま、少女は固まっていた。
「それは、ミレイの世界で人に頼み事をするポーズなのか?」
「はい。」
頭を下げたまま、少女は答える。
あまり、格好のいいものではないだろう。 相手の顔も見えないし、動きの理にも適っていない。
動こうとしない彼女を見て、ミレイは困惑したような表情を浮かべていた。
「・・・ギブアンドテイクだ。 俺もスナッチマシンは直したいし、お前たちの持っている情報が欲しい。」
そう言うと、少女は顔を上げ頬を紅潮させるほどの笑みを作った。
部屋から出てきたフルをモンスターボールへ戻すと、玄関への道をガラクタを避けながら歩く。
ミレイは連れて行くしかないだろう。 同じ道を通ってついてきた彼女と共に、玄関を潜る。
まだ痛む左手でミレイの手を掴むと、アンダーに入ったときのような気分の悪さはなくなっていた。


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