Chapter21:sender−Mirei
=黒い雨=




倒れた・・・レオが。
体にのしかかった重みに耐え切れなくて尻もちをついてから、改めてその意味に気付いて背筋が凍った。
「レオ、レオ!? しっかりして! ね、目覚ましてよ!!」
声をかけても背中を叩いても反応がない。 ていうか、こういう時叩いたりとかしちゃいけないんだっけ・・・でも、それは溺れたときの救助で・・・あれ?
とにかく、ヤバイ。 スナッチマシンのせい? ううん、多分だけど・・・違う。
きっと、この黒い雨のせいだ。 放っておいたらレオがおかしくなっちゃう気がする。
助けなきゃ・・・私が助けなきゃ!


「ん・・・んっ!」
肩貸して持ち上げてみたけど、重い。 バランスも取れないし・・・恨むよ、厚底ブーツ。
足、引きずるよね。 起きたとき靴見たらレオ怒るかな?
とにかく、屋根のあるところへ。 救命救急とかだと動かさないのが基本だけど、いつまでもここにいちゃいけない。
『ミレイ!』
「ニュウ! 大丈夫なの?」
『オレはヘーキ! それよりレオどうしちゃったんだよ!』
雨・・・ニュウは気付いてないんだ。 じゃあ、『これ』はダークオーラの塊かなんかかもしれない。
急がなきゃ、レオだけじゃなくてみんなやられちゃう。
「ニュウ、私の体の下に隠れて! そしたらクレスを呼んで!
 急いで屋根のあるとこに連れてかないとレオが危ないの!」
どういうこと? とか聞かないで。 集中してないと私のチカラじゃレオを支えきれない。
戻ったところにも屋根はあったけど、それじゃヤバイはず。 出てきた途端にレオが倒したトレーナーがまた復活しないとも限らないし。
進まなきゃ、それで、出来るだけ広くレオの体を覆えるものがあるとこ・・・
少しだけ軽くなったと思ったら、クレスが引きずった足を支えてくれていた。 勢いのまま「呼んで」とか言っちゃったけど、この雨に打たれてたらクレスもヤバイんじゃ?
「かもしれない」じゃないよ、この雨、絶対ヤバイ。
急がなきゃならないのに・・・
「・・・ウソでしょぉ?」
角を曲がった途端現れた長い下り階段。 これ、レオを抱えたまま降りなきゃなんないの?
あ、でも下ったとこに町があるし、ベランダみたいなのがついた家もある。 下まで行けば、どうにかなるかも。
「クレス、階段下ってるよ。」
『・・・はい。』
行かなきゃ、行かなきゃ。 そっと足を踏み出したら、やっぱりグラグラする。
いつもなら上り階段でうんざりするのに、下りで進みたくなくなったのなんて初めてかも。
重い・・・ 男の人なんだから、当たり前か。 スナッチマシンの左手、必要な時以外ほとんど動かさないし。
手を離したらレオは落ちていく。 だから、絶対離しちゃダメ、ミレイ。 集中して・・・
『ミレイさん、もしかして、ここってダーク・・・』



「きゃっ!?」
足が・・・外れた、まだ半分くらいしか降りてなかったのに! 目が追いつかない・・・ダメ、立て直せない。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
落ちる、落ちてく。 近づいてくる斜面に目をつぶったら、体中に衝撃が走る。
上と下がわからない。 揺さぶられて、打ち付けられて。
動きが止まった後も、しばらく何がなんだか分からなかった。
何か・・・思ったより痛くない? 手の甲打ちつけて、それがズキズキ痛いけど・・・逆にそれがわかるくらい、他の部分は無事っていうか・・・
『レオ!!』
「え?」
顔を上げて、どうして自分が無事だったのか解った。
いつの間にかレオを下敷きにしてて、体を守られてるみたいに肩の上から腕が覆いかぶさってて、そのせいで身動きが取れなくなってた。
レオが苦しそうに息を吐く。 その額に黒い雨粒が落ちて、染み込んでいく。

寒気がした瞬間、耳の後ろを思いっきり引っ張られた。
結んだ髪の片方をレオの左手に鷲づかみされてる。
「痛い痛い痛い痛いッ!!」
『ミレイさん!』
クレスが飛び込んできたのを、レオは払いのけるようにしてスナッチマシンの表面で打った。 その間に空いた右腕に突き飛ばされて、私は地面の上を転がる。
起き上がった時に、クレスはいなかった。 ニュウの視線を追って崩れたゴミの山みたいな一角に目を向けると、霧みたいなオーラに視界をふさがれる。
スナッチマシンから『それ』は湧き上がっていた。
パイラのコロシアムで見た人たちと同じだ。 操られてる、あのオーラに。
『レオ、どうしたんだよ!? お前、仲間のポケモン傷つけるような奴じゃないだろ!?
 ミレイのこと守るんだろ! 目ェ覚ませよ!!』
「ニュウ、刺激しちゃ・・・!」
ダメ、と言う時間もなく向けられたレオの拳をニュウは間一髪のところでかわした。
すぐに次の攻撃がくる。 また、左腕。 振り回されたスナッチマシンの背をアゴに受けると、ニュウの小さな体は高く飛ばされていく。
「ニュウ!?」
『だ、いじょうぶ・・・オレ、丈夫だから。 けど・・・』
次の言葉を待たずレオの攻撃は容赦なくニュウを襲っていく。 反射的に立ち上がったまま、私は凍りついた。
どうしたらいいの? ポケモンならボールに入れられるし、パイラにいたみたいな人だったら気絶させれば大人しくもなるはず。
けど、あれ、レオなんだよ? チカラじゃ敵うはずもないし、それに、ケガしてほしくない。
ぐちゃぐちゃの頭で周囲を見渡すと、子供が1人、こっちのことを見てる。
「助けて!! お願い、助けて!!」
わらにもすがる思いって、こういうこと言うのかも。 思い切り叫んだら、男の子は一瞬大きく目を見開いた後、背を向けて逃げ出した。
絶望的な気分になる。 涙でぼやけた視界を拭おうと手を上げたら、黒い雨が落ちてきて手の甲に当たった。
・・・そっか、全部この雨が悪いんだ。


運び込もうと思ってたベランダの下に立つと、未だニュウと格闘を続けてるレオを見て大きく息を吸い込んだ。
クレスのボールはニュウに持ってきてもらおう。 怖いけど大丈夫、さっき助けてくれたもん。 レオを、信じよう。
「・・・レオ!!」
張り上げた声は薄暗い路地によく響いた。 気付いてくれた。 2つの金色の瞳がこっちを向いてる。
「レオ、こっち!」
言ったはいいけど、唇は震えてた。
暗いオーラを放っていた左腕は止まり、幽霊みたいな足取りでレオが近づいてくる。 それでいい、それ以上黒い雨の中にいちゃいけない。
吹き上がった黒いオーラにニュウが何か言おうとした瞬間、レオは走り出し、私の天地がひっくり返っていた。
喉が締め付けれられる。 かすかに見える暗い瞳、私のこと忘れちゃったの?
「・・・・・・・・・ォ・・・!」
声にならない声をあげながら肩を押さえつける手を外そうとしたとき、白い閃光と共に耳元に稲妻が走った。
「ああああっ!!」
痛い! 肩が張り裂けそう
思わず当てた左手と一緒に、口は苦い空気を吸い込んだ。
締め付けられてた手が解けてる。 レオの方を見ると、黒いオーラが出る左手を押さえつけながらレオはまだ戦っていた。
手を伸ばして、レオの左ひじを掴むとまとわりついたオーラが吹き飛んでいった。
レオの目つきが変わる。 痛かったかな、ここ、ケガしてたはずだし。 そっと手を離そうとすると、右腕にすがるように抱きしめられた。
SOSだ。 レオはずっと、助けてほしかったんだ。
「ごめん、ごめんねレオ。 気付くの遅くて・・・」
指先で傷口をなでていくと、黒いオーラが消えてく。 代わりにコードの熱で私の指や手とかにヤケドが出来たけど、ヘーキ、このくらいならガマンできる。
急に肩にかかるチカラが強くなったと思ったら、気絶したのか、レオは眠っちゃってた。
でも、さっきほど顔色は悪くない。 額にまとわりつく黒いオーラを払いのけると、ニュウがクレスのモンスターボールを転がしながら戻ってくる。



『助かったの?』
「そうだと・・・いいな。 おいで、ニュウ。」
上から降り注いでくるオーラは少なからずニュウにもくっついてる。
傷口から入り込もうとする黒いオーラを手で払うと、ニュウは不思議そうな顔をした。
『何か、ラクになったカンジする。 ミレイ何やったんだ?』
「触ると消えてくの、黒いオーラ。」
『いつから?』
「・・・わからない。 けど、この黒い雨、私の上には降ってきてないみたい。」
『じゃさ、やっぱレオはミレイが助けてくれたんだな。』
優しい目をして笑ったニュウに、レオと出会ったときと同じ心臓の高鳴りを感じた。
スナッチマシンに焦がされた右の肩に大きな手が乗り、痛みと驚きで小さく悲鳴を上げる。
レオだった。 眉根を寄せたまま、子供みたいな顔をして眠ってる。
悪い夢でも見てるのかな? 腕にすがったままの手を取ると、硬くなっていた表情がふっと緩んでいった。
大丈夫だよ、私がいるから。 そう、心の中で語りかけてニュウの方に顔を向ける。
「そういうもんかな?」
『オーレに来る前だけど、街の物知りジーサンから聞いたことがあるんだ。
 世の中には不思議なチカラを持ってる人がいて、そういう人たちはオレたちポケモンにも優しいんだってさ。
 ミレイがそうなんじゃないかって、オレ思ってる。』
「レオも優しいよ。」
寝言でも言ったのか小さく動いた唇に、かすかに震える指先。
ニュウを呼んでるんだ。 ニュウが顔をすり寄せたら、腕の痛みなんか忘れちゃったみたいにすやすや、眠りだす。

不思議なチカラ・・・そんなの、あるのかな。
私、取り柄なんてなかった。 いつも人に頼ってばっかりで・・・今だってそう、レオにくっつきっぱなし。
泣き虫で、怖がりで、友達みんな、困ったような顔してたっけ・・・
『ミレイ、黒いオーラ。』
「えっ!?」
『出てると思うぜ、背中から。』
首をかしげながらイジワルっぽく言うニュウの体の模様が、いつもより強く光って見えた。
『オアシスと、アジトと、ここ。 ミレイが助けてくんなかったらさ、レオ3回も死んでたんだぜ。
 だからもっと胸張って、笑ってろよ。 その方がレオも喜ぶしさ。』
「オアシス・・・ね。 何か、思ってみればあそこから色々変わってったよね。 レオもそうだし・・・ダークポケモンだったポケモンたちも。」
『そうかな? オレはもっと前だと思うんだ。 もしかしたらオレたちが生まれるずーっと前から・・・』
もし・・・レオがスナッチ団に入ってなくて、普通の家の中で普通の生活してたら、こんな感じなのかな。
ニュウはそんな雰囲気を持ってた。 どっか自信ありげで、けどずっと見ててくれるんだ。
『なんて、オレがそんなこと言ったらキザ?』
冗談めかした言葉と一緒にニュウがペロッと舌を出して、思わず笑った。
レオのまぶたが開く。 ゆっくりと起き上がるレオの仕草を見て、鼻の奥がツンと痛くなった。
本当にダメなミレイ、言われたそばから泣くとか、あり得ないし。



「レオ・・・」
「ミレイ? Why do you weep?
軽く顔をしかめてから、大きな金色の目は私の顔、体、全身に視線を降り注いできた。
それが右肩の部分で、さっきスナッチマシンに焦がされたところで止まっていることがわかる。
「Did I do...it?
そう言ったレオの顔はとても痛くて、痛くて・・・私よりも、泣きそう。 そんな気さえした。
「Why...why?
・・・解るよ。 自分がケガするのより、自分が大切な誰かがケガすることの方が痛いもんね。
でも私は大丈夫・・・大丈夫なんだよ、レオ。
肩に添えられた手を取って握ると、レオの目が緩んでいくのを感じた。
その後すぐに、大きな肩に守られる。
・・・気がつかなかった。 いつの間にか、知らない人たちに囲まれてる。


人っていうか・・・子供? 青年っぽい顔つきの人もいるけど、みんな幼くて、なんか、怖くない。
端っこから順に顔を見ていくと、さっき私たちのことを見て逃げてった子が混じってる。
そっか、人呼んできてくれたんだ。 ホッとしかけたときレオの手がモンスターボールに伸びて、慌てて抱きかかえるようにしてその手を止めた。
「待って!!
 あなた、さっきの人でしょう? レオが酷いケガなの、手当てする場所貸して、お願い!」
ヤバイ、レオの目が血走ってる。 ゴロツキか何かと勘違いしてるんだ。
これどうやって伝えればいいんだろう、「No」は違う、「angry」は怒ってる、そうじゃなくて、え〜っと・・・!
「Are you レオ?
誰かがレオの名前を呼んだら、レオの目から殺気が消えた。 よかった、ケンカにならずに済んで。
顔を上げると、私たちより少し下くらいの男の子が楽しそうな笑みを浮かべてレオへと話しかけている。
「Aha! I heard you by an email from Ren!
 I'm Thread. Did you hear us from Ren?
「Your スレッド?
「Yes,I'm スレッド.
スレッド・・・あの男の子の名前かな? この子たち、助けて・・・くれるんだよね。
少し気が抜けてきたところで誰かに肩を叩かれて、心臓が止まりそうになる。
意識なかったけど、悲鳴とか上げちゃったのかな。 振り返ると黒髪のおさげが可愛い子がニコニコ笑ってた。
「だいじょーぶ、スレッドはあなたたちの味方よ!」
「わ、わ、私の言葉わかるの!?」
「うん、わかるよ。」
ビックリし通しで本当に心臓が止まりそう。 けど、その子の笑顔を見てたら急に緊張の糸が切れて、今度は泣きそうになる。
あ、やっぱりレオに気付かれてる。 でも知らないフリしてるんだろうな、きっと。
そのまま、抱えられるようにしてスレッドの家に通されると、奥の部屋にその女の子と一緒にいることになった。
ニュウもモンスターボールに入れられてレオのホルダーの上。 ホントに『大丈夫』なんだ。


「びーっくりしたぁ! クロから聞いてたけど、ホントに話せるんだもん。
 アンダーはオーレの言葉しか使えない人ばっかだし、そろそろ忘れようかと思ってたけど、忘れてなくてホントよかった〜!」
少し黄ばんだ扉を閉めると、女の子は私の知ってる言葉ですらすらと話し出した。
どうすればいいんだろ・・・意味は解るのに、いざ話すとなると言葉が見つからない。
「あ、私、小山七穂。 シホって呼んで。」
「わ、私はミレイ!」
「ミレイさん?」
小首をかしげるシホちゃんの足元に、部屋の隅にあったぬいぐるみが寄ってくる。
キノココだ。 1匹だけ、本物が混ざってたんだ。
「そう・・・あれ?」
「そう」じゃ、ないよね。 何で今、自分のこと『ミレイ』って言ったんだろ?
違うのに。 私の名前、『みれい』じゃなくて『みらい』なのに。
ニュウがいたら「どうしたんだよ、ミレイ?」とか、聞いてくるよね。 あれ、でも私は未来で・・・あれ?
どうして? 「どうして?」が私の中でグルグル回る。
どうして私、自分の名前を間違えたの?
どうして私、黒いオーラが見えるの?
どうして私、あのつり橋から見える景色が怖かったんだっけ?

そうだ、私・・・
「つり橋じゃなくて、つり橋から見える景色が怖かった・・・」
「どうしたの?」
一瞬ニュウに聞かれたのかと思ったけど、顔を上げるとシホちゃんの丸くて黒い瞳がじっとこっちを見てるだけだった。
黒い髪、黒い目。 こっちに来る前の私と同じ。
「シホちゃん、黒いオーラ・・・見たことある?」
「黒いオーラ? 何それ?」
シホちゃんも見えないんだ、黒いオーラ。
「ダークポケモンは、黒いオーラをまとってる。 私にはそれが見えるの。
 この町、すごく嫌な感じがする。 黒いオーラに包まれてる。
 ねぇ、気付いてる? この町、上から雨みたいに黒いオーラが降り注いでるんだよ!」
叫んだ瞬間、自分の体から黒いオーラが出たような気がして怖くなった。
一滴だけ手に落ちた黒い雨が全身に渡っていくようなイメージが脳裏をよぎって、身震いする。
「・・・ごめん。」
「ううん、いいの。 アンダーがおかしくなってるのは、みんな知ってることだから。」
扉の向こうから、玄関が閉められたような音が聞こえてきた。
小さく彼女の名前を呼んだキノココを抱き上げて、シホちゃんは続ける。
「シャドーが来てから、大人たちは少しずつおかしくなってった。
 最初は少しずつ、気がついたらみんな、あのダークポケモンっていうおかしなポケモンを持っていて、誰もお仕事なんかしない。 私たち子供のことに気付いてくれない。
 スレッド兄さんがコドモネットワークに誘ってくれなかったら、私だってどうなっていたか・・・!」
シャドー・・・確か、レオが戦ってる組織だ。 ・・・多分、私をさらった。
「コドモネットワークって?」
「え〜っと・・・上で、レン君には会った? 彼が始めたの。
 今、パイラは・・・ううん、オーレ全体が危険な状態だから、じっとしてちゃダメだって。
 各地の子供たちはつながってるの。 シャドーになんか、負けない。」
味方がまた、増えたんだ。 すごく頼もしい・・・頼もしい、けど、ダメ。 この子たちだけじゃ、私をさらった、あの組織には勝てない。
シャドーに勝つには・・・イザヨイやハベみたいな悲しいポケモンをもう出さないようにするためには、レオのチカラがいる。
もう解ってる。 シャドーがレオを脅威に感じてることも、私がいる限りレオが戦い続けなきゃならないってことも。
なんてわがままなんだろう、それでレオが傷ついてるのも、とっくに分かってるくせに。


そう思った瞬間小さな地震が起きて、シホちゃんが顔を上げた。
「また、地崩れ・・・」
「地崩れ?」
って、がけ崩れや土砂崩れとかの一種かな? 普通雨が降らないと起こらないんだけど。
こんな地下で地面が崩れたら、この町ごと壊れたりしないのかな。
不意に思った疑問は『全部当たっているような予感』に裏打ちされて、真実味を帯びてきた。 手首を掴んできたシホちゃんの指が冷たい。
「・・・怖いよ・・・」
怖いのは、みんな同じ。 私だって怖い、怖いけど・・・
「私にはチカラがあるから。」
「チカラ・・・?」
「ダークポケモンを見抜くチカラ、黒いオーラをはらうチカラ。」
だから、狙われてる。 だから、戦いに巻き込まれる。
なんか・・・急にレオに会いたくなってきた。 今行ったら迷惑かな? ちょっと覗くくらいならいいかな。
「私、ちょっとレオのこと見てくる。」
ドアノブを触ると水ぶくれした手のひらがヒリヒリ痛んだ。 左手に持ち替えて扉を開けると、気のせいかな、部屋の中に人の気配がない。
ゴチャゴチャして歩きにくい道をゆっくり進むと、家の入り口に小さな風を感じる。
何だろう、嫌な感じ。 自分の中にある衝動に動かされながら走って玄関のドアノブを握ると、手のひらがまた痛んだ。



扉を開けた途端に見えたレオの背中に、怖くて、悲しい何かが浮かび上がってきた。
誰かがすれ違って家の中に入っていく。 首筋をなでる、冷たい、黒いオーラ。
「レオ!」
無我夢中で駆け寄ってレオの腕にしがみつく。 一瞬驚いたように痙攣した後、レオの周りから黒いオーラが消えていくのがわかった。
とにかく、この雨から遠ざけなきゃ。 家の方に誘導しようとして引っ張るけど、びくともしない。
レオが気付いてくれて、足を動かしてくれて、それでやっと。 少し離れたところにフルがいる、動かずに、見てる。 どうして?
「来ちゃダメ!」
駆け寄ってこようとしたシホちゃんとキノココに叫びながら、ようやくといった感じでレオを家の中に引きずり込んだ。
そこでやっとフルがこっちの方に走ってきて、私は薄紫の毛にまとわりつくような黒いオーラを指で払う。
さっき玄関先ですれ違った子にも、同じことを。 レオはもう暴れ出したりしないよう、念入りに。
視線が痛い。 手のひらに指を滑らせると、レオは私の手首を掴んで家の奥へと早足で進んでいく。
悲しそうな目をして振り向くと、赤く水ぶくれした手を私に見えるようにして聞いてきた。
「Did you touch "スナッチマシン"?
「い・・・Yes。」
Yesは「はい」、Noは「いいえ」。
言わんとしてることは、何となくだけど解った。 うなずいてそう答えるとレオの顔つきが厳しくなる。
「シホ! Please introduce it into ミレイ.
 When I acted violently again, ミレイ should escape earlier than anyone.
「ミレイさん、レオさんが今度自分が暴れたら、逃げろって。」
レオがシホちゃんに伝えて、シホちゃんが私に伝える。
解ってる、レオが私にケガしてほしくないんだってことくらい。 解ってるけど・・・

「・・・No!」
嫌だって、きっと伝わったと思う。 レオの眉がさっきよりも潜んだから。
「Why did you say "No"? Because you are weaker than me, you have to escape!
「レオは解ってないよ、傷つくのが嫌だったらとっくに帰ってる!
 私はレオと一緒にいたいからレオのところにいるんだよ!?」
「I can't understand your thinking. Why is there you together though you can't talk with me?
 I do not injure you. Do not you understand my thought?
「・・・バカ!!」
言っちゃった後、ひどく後悔した。 少し傷ついたような、レオの目。
通じないからって、何言ったっていいわけじゃない。 謝りたいのに、口の奥に何かが詰まったみたいに言葉が出てこない。
涙が落ちたことに気付いて、慌てて奥の部屋に逃げ込んだ。 扉を閉める直前、フルが滑り込んできて危うく尻尾を扉の間にはさみそうになる。

格好悪い。
何回も泣くなって言われてるのに、止められない。
『それで・・・いいと思うぞ。』
フルの声は、オルゴールが鳴るように少しだけ遠くに感じられた。
『ミレイは1度も自分のために泣かなかった、レオはそれが不安だったんだろう。
 今、レオはミレイのために生きている。 ミレイはもっと、思うままに動いていい。』
体にチカラが入らなかった。 しゃがみ込んで、泣いても、泣いても、気持ちはちっとも晴れなくて。
どうしたらいいのかわからない。
「だって・・・! あ・・・たしがっ、レオを・・・ケガさせてるの・・・!」
『レオがそれを望んでいるんだ。』
「・・・がうっ、私が・・・勝手に、ついて・・・って・・・邪魔っ、してるから・・・」
ため息みたいなものが、聞こえた気がした。
涙が止まらない。 こうやって泣き続けてたら、いつか涙も枯れちゃうのかな。
言葉が続かなくてうずくまってると不意に左の肩が重くなって、振り向くとフルが頬にキスしてきた。
息が止まる。 そこから体が温まったみたいになって、自然と涙も止まってきた。
『ミレイは優しい。』
少し冷たいフルの毛並みが、痛みを感じ始めた頬をこする。
「・・・優しくなんかない。」
『オレがそう思うだけだ。』
当方もなく淋しくなってきて、フルの体をぎゅっと抱きしめる。
シホちゃんが使ってるのか、部屋の隅に立てかけてあった鏡に、自分の姿が映っていた。
髪の根っこが黒く染まり始めてる。
私の色だ。 『ミレイ』から『未来』に、戻り始めてるんだ。
「・・・私、カントーに戻った方がいいのかな・・・」
『ミレイは、帰りたいのか?』
「ううん。 帰りたく・・・ない。」
指先から、何かがポロポロこぼれてく。
帰りたくない、レオと一緒にいたい。 たった、それだけのことなのに・・・どうして、こんなに難しいんだろう?
解けた髪が指の間から見える。 強く強く染められた、オレンジ色の髪。


立ち上がる。 立ち上がれる。

大きく息を吸い込むと、服の袖で涙を拭って部屋の扉に手をかけた。
音に気付いたのかこっちを向いたレオと目が合う。 気まずいけど・・・逃げちゃダメ。
「レオは・・・私が守る!」
レオに聞かせるため、自分に聞かせるため、まだ痛みが残っているかもしれないレオの左腕をつかみながら、そう言った。
私が逃げてるから、レオが私をかばってケガしてるんだ。 だったら、私が変わらなくちゃ、戦わなくちゃ。
私の中に、まだ『ミレイ』は残ってる。 強くて、優しい女の子。 今は彼女の力を借りたいんだ。
「She is courageous! I want to become ミレイ.
「What?
震える腕を気にしながら振り向くと、シホちゃんが笑っていた。
ゆっくりこっちに近づいてくると、レオに向かって、低く頭を下げる。
「May I ask you a favor? Please help スレッド.
 We cannot fight against シャドー.
『おネガイしマス。』
シホちゃんの後をついてきたキノココが、彼女と一緒にちょこんと頭を下げた。
「Is it a pose to ask on in the world of ミレイ?
「・・・Yes,is it.

少しの間、気まずいような沈黙が流れる。
先に動き出したのはレオだった。 玄関に向かって歩いてく。
慌てて後を追いかけると、シホちゃんに何か言いながら伸ばした私の手を掴み、レオはまっすぐ外へと歩いていく。
暗い雨の降りしきる屋外へ引きずられるように出て行くと、レオは1度、私の方を振り向いた。
「ミレイ,keep close to me.
「離れるなってさ。」そう言ったニュウの声が頭の中でリピートされる。
ついてって・・・いいんだ。 ホッとしてうなずくと、つながった右手にチクリとした痛みが走った。
やんわりと、だけど強く左手を握り締めると、レオは町の入り口の方を睨んで歩き出した。
段々とスピードが上がって、そして走り出す。 解る、お互いを傷つけないためだ。
レオの右手がモンスターボールをつかむ。 フッと息を吐いてそれを投げると、薄暗いアンダーの道を四つ足のポケモンが駆け抜けていった。
階段の上、行く先で誰かが争ってる。 タイミングを計るとレオの指示が飛んだ。



「‘イザヨイ’『FLAME WHEEL』!!
赤い炎が上がり、飛び上がって攻撃を加えようとしていたアリアドスを焼いていった。
「『SHADOW RUSH』!
レオからの指示を受けてイザヨイは体の向きを変え、黒いオーラを噴き上げながらもう1匹・・・クサイハナの方へと突進する。
やっと階段を上がり切る。 1度こっちの方を振り向いてから、レオはトレーナーたちがいるのとは反対の方向に走り出した。
泥だらけで深い傷を負っている誰かと、その周りを取り囲んでいるスレッドたちをかばうように、トレーナーとの間に立つ。
「Why have you come?
「The reason is because I'm troubled when you are hurt. Did you understand?
服の袖に泥をいっぱいつけたスレッドに向かって何かを言うと、レオは彼らに攻撃しようとしているトレーナーたちに向かい合った。
トレーナー・・・違う、シャドーだ。 ダークポケモンこそ持ってないけど、何か、空気が違う。

イザヨイにアリアドスとクサイハナを焼かれたシャドーの一員が別のモンスターボールを構えると、横から何かが飛んできて彼女を吹き飛ばした。
驚いたのか、レオの指先が動く。 ぐったりとして動かなくなったシャドーの女の人を見ていると、パイラの橋からアンダーを見たときと同じ、猛烈に嫌な感じが背筋を凍らせた。
音もなく降りてくる。 青くて巨大で透明な、四つ足の・・・ダークポケモン。
他のダークポケモンたちとは違う感じに、怖くて声も出なくなった。 せめてレオに気付かれないよう、必死で足を踏ん張っていると、目の前に現れた青いポケモンの背中から、薄桃色のドレスを着た女の人が降りてくる。
その人を見た瞬間、アンダーの子どもたちの空気が凍りついた。
見覚えがある。 フェナスで最初にレオと会った日、建物の屋上にいた、あの人だ。
こんなところにいるってことは、間違いなくシャドーの仲間。
震える気持ちを抑えるように唇を噛み締めながら、私は細い指でゆっくりとかき上げられるブロンドの髪を睨み付けた。


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