Chapter22:sender−Reo
=Honest voice




「・・・くそっ!」
机を叩くと、ミレイの肩がわずかに震えた。 1番おびえていたのは彼女だ、それは解っている。
だが、行き場のない焦りをどうすればいいのか分からなかった。
状況は最悪だ。 シャドーに見つかった。 逃げようにもこの封鎖されたアンダーでは、逃げ切りようがない。
沈黙した部屋の中で、シホだけが怪訝そうに眉を潜めていた。
「ねぇ、何があったの・・・?」
「ヴィーナスに・・・顔を見られた。」
スレッドが彼女の問いに答え、再び自室に引きこもった。
ほんの30分前の話だ。 奥の部屋へと担ぎ込まれるシルバを見ながら、何か解決の糸口はないかと記憶を辿る。





目の前に現れた着飾った女が『それ』だと判るまで、そう多くの時間は必要なかった。
同時に目の前にいる相手がフェナスで1度見た相手だと気付いた。
理屈ではない何かが全身を警戒態勢にしていく。 わずかに握るチカラが強くなった手に、ミレイがおびえていることを感じ取る。
「ごきげんよう。」
足は長いスカートの下だったが、1歩分こちらへと進み出ると相手・・・ヴィーナスは取り繕った挨拶をしてみせた。
恐怖からか、土に埋まったシルバを掘り出していたクロの手が止まる。
「動け。 こっちは任せろ。」
シルバが死んだら危険を冒してまで来た意味がなくなる。 小さな声で伝えるとクロは一瞬の後、慌てたように素手で土を掘り始めた。

「何の用だ?」
尋ねると、ヴィーナスはわずかに笑い、俺と、ミレイを順に指差した。
「戴きに参りましたの。」
「俺がそれに応じると思うのか?」
「いいえ?」
ヴィーナスの後ろで青いポケモンが動くと、控えさせていたイザヨイの息づかいが荒くなった。 ハイパー状態になる寸前だ。 すぐにでもなだめないとマズイ。
形状から考えると断定は出来ないが、相手は水ポケモンの可能性が高い。 すぐにでも戦えるようハーベストのモンスターボールを構え、イザヨイの様子を見張っているとヴィーナスはもう1度、俺と、ミレイの間を指差す。
「ミラーボやダキムの話を聞いていますもの、あなたのような野蛮な方に話が通じるとは思えない。
 それに、足りない。 今のあなたたちを捕らえても、わたくしたちは満足することが出来ない。
 あなたをアンダーコロシアムへと招待いたしますわ。 スナッチマシンを持って、そちらにいらっしゃい。
 正々堂々と、ポケモンバトルで決着をつけましょう。」
「バカ正直に出て行くと思っているのか? 俺はその申し出に応じるつもりはない。」
「いいえ、あなたはこの話を呑まなくてはならない。」
ミレイが空を見上げ、つないでいる手に反対側の手を添える。
それを見てまたわずかに笑うと、ヴィーナスは続きの言葉を口にした。
「わたくしの手元に、時の笛がある。」
「ッ!」
一瞬の動揺を隠しきれている自信はなかった。
そして、やはり気付かれていた。 先程より強い笑みを浮かべると、相手は服の長いすそを持ち上げ、青いポケモンの上に飛び乗る。
一段高くなった視線から俺たちのことを見下ろし、余裕ある動作で乱れかけた袖を直す。
「そう、もし・・・お逃げになりたければ、お好きにどうぞ。 誰でも自分の命の方が大切ですものね。」
青いポケモンの足が地面を蹴ったと思った瞬間には、もうヴィーナスの姿は見えなくなっていた。
一応辺りを警戒してから背後へと視線を向けると、死に掛けたシルバが掘り出されているところだった。
手伝うことは出来ない。 自分とミレイだけで精一杯だ。
誰かいないかと周囲に視線を動かしながら、クロとザックの肩に乗せられて引きずられていくシルバを追いかけた。





そこから、先程の会話へと移り変わる。
スレッドはスナッチマシンを修理するため再び自室へと引きこもり、クロとザックはシルバの手当てをするため、奥の部屋へと進んでいった。
イザヨイはしばらく息を荒くしていたが、ミレイに抱えられると大人しくなった。
俺は・・・上手く気を落ち着けることが出来ずに苛立っている。 額を押さえて考え込んでいると、ミレイがぶら下がったままの左手を握り、すぐ側に座り込んだ。
疲れているのか、目が据わっている。
「・・・シホ、ミレイに眠っていていいと伝えてくれ。 目覚めるまで俺はどこへも行かない。」
「は、はい・・・」
小声で彼女がミレイに話しかけると、ミレイはイザヨイを抱えたまま机の角に頭を預けて目を閉じた。
寄りかかられた背中から、かすかに温度を感じる。
「・・・どこへも行かないというより、どこへも行けないんだがな。」
「何が、あったんですか?」
「恐らくアンダーの人間全員、人質にとられている。」
そう言うと、シホの顔が一瞬引きつった。
「ヴィーナスは逃げたければ逃げていいと言った。 それはつまり、シャドーには俺たちが逃げても追い詰めるだけの手段があるということだ。
 推測だが、今起こっている地崩れはシャドーが起こしているものではないかと思っている。」
「うそ!?」
「可能性の話だ、アンダーから出る手段は限られている。 俺たちがアンダーに入る時に使ったエレベーターは入り口を封鎖すればいいが、地面の裂け目は防ぎきれない。
 シャドーは俺の手持ちを全ては知らないはずだ。 飛行ポケモンがいる可能性を踏まえて言ったのだとすれば・・・」
「じゃあ、シルバさんも・・・?」
「恐らく。」
シホはシルバの担ぎこまれた奥の部屋へと目を向ける。 土を飲み込んではいないと思うが、骨が折れている可能性もある。
俺は治せないし、ここの子供たちも恐らくそうだろう。
上へ。 状況を打開するためには、少しでも早く上のパイラへと戻らなくてはならない。
「シホ、シルバが起きたらアンダーとの行き来している手段を聞きだせ。
 スナッチマシンの修理が終わり次第、それを使って全員でアンダーから逃げるんだ。」
潜めた眉が視界に入ったが、それほど気にならなかった。
落ち着いてきた。 まだ手段がなくなった訳じゃない。
「アンダーからは出られないんじゃなかったの?」
「シルバは頻繁にアンダーに来ていたのだろう? だとすれば、シャドーと同じエレベーターは使っていないはずだ。
 それが壊されていなければ、まだ可能性はある。」
「レオさんは・・・?」
「ミレイを連れて、ヴィーナスと戦いに行く。」
驚かれるのも、もう慣れてきた。 他に方法はないし、ひと塊になって逃げると何をされるか判らない。
それに、たとえハッタリだとしても時の笛は必要だ。
本当に逃げるのなら・・・ミレイは、自分の世界へ帰さなくてはならない。
「少し眠る。」
机に伏せ目を閉じると、いつもより意識して全身のチカラを抜いた。
道は1つだ。 シャドーを倒し、時の笛を手に入れ、ミレイを元の世界へ帰す。
決まっているのに、不安は心の中から消えなかった。
何が不安なのか・・・わからなかった。





 ―ずいぶん、眠っちゃったな。 ココは、どこ?
 ―ココは道。 もうすぐ着くよ。
 ―もうすぐ、もうすぐ! 楽しみ、楽しみ!

 ―ッ! みんな、ドコ!? 今の光なんだったの!?
  ココはどこ? 暑いよ、怖いよ! 神様は・・・どこに行ったの!?



 ―・・・助けて、○○○ッ!!



「ッ!!」
目を開いた時に見えてきた変わらない光景に、頭の中が混乱してきた。
・・・何だったんだ、今のは? 俺の記憶じゃない。 第一、夢なんて一生見ないものと思っていたのに。
知らない場所だった、知らない声だった、知らない人間の名前を呼んだ。 神様って誰のことだ? ホウオウやセレビィ以外に、頼るチカラがあるということなのか?

「レオさん?」
扉を開けたスレッドと目が合い、なぜか反射的に視線をそらしたくなった。
「スナッチマシンの修理、終わりました。 一応サイズを調整したいので、部屋に来てもらえますか?」
「あぁ・・・」
立ち上がりかけると、いつの間にか寄りかかられていたミレイが床に倒れそうになり、慌てて抱え直した。
よほど疲れていたらしい。 床に転がったぬいぐるみをクッション代わりに壁によりかけるが、まぶた1つ動かさない。
ふと抱えられたままのイザヨイに目をやると、わずかに顔をしかめ、うなされるように小さく鳴き声を上げている。
弾みで炎を出されてはたまらない。 ミレイの腕から取り上げ、抱き上げると、イザヨイは眠ったまま涙を流す。
「・・・イザヨイ?」
呼ぶと、イザヨイは目を開いて顔をこすりつけてきた。 甘えてる? それともおびえているのだろうか、ずっと戦闘マシンのようだったイザヨイに、ミレイによく似た心の片鱗を感じる。
「大丈夫だ、お前は生きてる。」
話しかけると、イザヨイはわずかに顔を上げ小さくうなずいた。
落ち切らない涙で目がうるんでいる、置いていくと、また泣き出しそうだ。
「スレッド、イザヨイを部屋に入れていいか?」
「いいですよ。 でも機械には気をつけてくださいね。」
「あぁ。」
イザヨイを抱えなおし、部屋の中へと入ると最初に来た時よりいくらかコードが片付けられていた。
眠る前にシホと交わしていた会話を聞いていたのだろう、点灯したままのパソコンの前に来た時にはなかった荷物がまとめられている。
コードの色が変わったスナッチマシンを見つけるとイザヨイを床に降ろし、いつものようにそれを左腕へと装着する。
腕に巻きつける分のコードが、いつもより余った。 使えるのか怪しいほど汚れたメジャーでその長さを測ると、スレッドは余った分のコードをナイフで切り、調節していく。


半田付けされていくコードの端を見ながら、俺はスナッチマシンが完全に直るのを待っていた。
わずかだが、足元でうごくイザヨイの瞬きの回数が多い。 邪魔をしないようスレッドから離れるよう促していると、そのスレッドが、小さな声で話しかけてくる。
「アンダー・・・潰されてしまうんでしょうか?」
「わからない。 ヴィーナスの出方次第だろうな。」
作業に戻りながらも、明らかにスレッドの表情は変わっていた。
「泣くな。」
「解っています、万一にでもこれを壊したら・・・シャドーと戦える人間がいなくなる。」
まだ理解できていない感情があるということを認識した。
スレッドがなぜ泣きそうなのかも、イザヨイが何を考えているのかも、ミレイがどういう考えでついてきているのかも解らない。
イザヨイの耳が動き、部屋の入り口へと早足で移動する。
ミレイが起きたらしい。 動きを目で追っていくと、開けたままだった扉の向こうで複数の足音が流れていく。
「レオさん!」
イザヨイと入れ違いに部屋に入ってきたザックに、スレッドは小さな手荷物を渡した。
「シルバさんが起きたんだ! レオさんのこと、呼んでる。」
「シルバが?」
呼ばれるほどの用事はなかったように思うが。 シルバも他の人間たちと同じように俺に頼ろうとするのだろうか。
そういう性質でも、なかったように思う。 修理されたスナッチマシンを装着しながら部屋と部屋の間の狭い隙間をすり抜けると、青白く変色したシルバの顔が、開け放たれた扉の向こうに見える。



目が合うと、シルバは顔をゆがめながら軽くだが笑った。
「手酷くやられたな。」
「ハハ・・・酷い顔してるんでしょう? 参ったな、1度ぐらい可愛い女の子と付き合っときたかったのに・・・」
「傷は深くない。 生きてパイラに戻れば元通りになるさ。」
部屋を出て行くクロと入れ違いに踏み込んでいくと、シルバの視線はずっと俺に向けられていた。
スナッチマシンかもしれない。 どちらでも、それほど変わりはない。
「何があった? どうしてここに来た?」
「どうもしてないですよ。 ずいぶん・・・ミラーボが来てから、アンダーには来ていなかったから、様子を見るつもりで降りてみたら・・・」
シルバの顔から血の気が引いていく。 額に触れると、体温がかなり下がっているのが分かった。
「でも、良かった・・・ここでレオさんに会えて・・・」
「あまり喋るな。」
フルを呼ぶが、大きな効果はなさそうだ。
近くに寄ったフルを抱き寄せ、汚れた指先で毛をすきながらシルバはかすれた声で続ける。
「ミラーボが去った後の洞窟で、奴等が残していったと思われる・・・ファイルを見つけたんです。
 そのファイルによると・・・ダークポケモンは、人と触れ合うことによって・・・少しずつ元に戻っていくと。」
震えるように声を出すシルバを、見ていられなかった。
「ファイルには・・・『リライブ』と書かれていました・・・
 ・・・レオさんとポケモンたちが共に戦っているように、遠い土地の人たちが仲良く暮らせているように、人とポケモンは必ず通じあえるんです。 暗く閉ざされたダークポケモンたちの心も、いつかきっと開く。
 レオさん・・・頑張りましょう。 その遠く離れた土地と同じように、オーレも・・・人とポケモンが共に暮らせるような世界に・・・」
「・・・シルバ?」
掴まれた腕からチカラが抜けていく。 動かなくなっていくシルバを見ていると、気温が一気に冷え込んでいった。
肩を揺すり名を呼ぶが、脱力した身体からは何の声も返ってこない。
その意味に気付くと、自分の意思とは裏腹に身体が震え出した。 自分の知らない感情に、俺が支配されていく。
「・・・くそっ!」
何なんだ、この感情は。 コントロールが効かない、思考が鈍る。
必要のないチカラが何かを傷つけようとしている。 苦しい・・・苦しい・・・



 ―仕方ないよ、それが人間だもの。


「ッ!?」
気配を感じ振り返ったが、誰もいなかった。
しばらく虚空に視線をさ迷わせていると、扉の向こうからミレイが顔を覗かせる。
振り返ると、シルバは眠っていた。 ・・・そうだ、先に行けと言われていたんだった。
「レオ?」
ミレイの声で俺は立ち上がった。 急かされる。 早く行かなければ。





「行こう、ミレイ。」
出発の準備を終えるのには1分とかからなかった。 来た時と同じように散らかったものを踏み越えるように進む。
遅れているミレイを待つ間部屋を振り返ると、時間にして半日もいなかったその場所は妙に懐かしく感じられた。
視線を気にして足を急がせたフルを体の後ろに隠すと、子供たちの中心で眉を潜めているスレッドに向かって話しかける。
「5分経ったらシルバを連れてアンダーから逃げろ。
 ギンザルに合流したら見てきたことを全て話せ。 お前たちの持っている情報は武器になる。」
「・・・はい。 レオさんも危なくなったらすぐ逃げて下さい。」
「決着はつける。」
扉を出るとすぐにヴィーナスたちの居場所はわかった。 来たときには見えなかった地面の裂け目に、小さな光が集まっているのが見える。
絡めるように繋いできたミレイの指先は震えていて、彼女の恐怖をはっきりと感じられた。
それでも、進む。 歩き、自分たちを囲む視線が増えていくのを感じながら。
近づいてくる谷間につないだ手が強く震えたとき、シャドーの戦闘服を身にまとった男女が前に立ちふさがった。
目を向けると、谷に設置された半球状の台を指し示す。


「アンダー・フローティング・オペレーションシステム、通称UFO。
 それに乗ってコロシアムに行くようにと、ヴィーナスさまからの伝言だ。 ただし・・・」
ポケモンの気配がする。 ミレイを自分の後ろに隠すと、すぐに身構える。
「その前にお前を倒したら褒美を出すとも言われているがな!」
「‘ハーベスト’『メガドレイン』!!」
飛び掛ってきたキバニアから体力を根こそぎ吸い取るとハーベストは暗い空気を蹴ってミレイの頭にとまった。
不意打ちが通用しなかっことを見て、シャドーは沈黙する。
あまり時間はかけられない。 時間が経てば経つほど、恐怖も、不安も、大きくなっていきそうだ。
襲い掛かってきた戦闘員からカードキーを受け取り、UFOに乗り込む。
イザヨイだけは少し嫌がっていた。 小さな体を抱えたままキーを差し込むと、UFOは谷底へと向かってゆっくりと下降を始めていく。

吹き降ろしてくる風から守るように、ミレイはハーベストを抱え直した。
視界が狭まり、精度の上がった耳に機械音と風の音だけが響いてくる。 いや、ハーベストの鳴き声と、ミレイが何かを小声で話すのも聞こえていた。
置いてくるべきだったのだろうか。 明らかに罠だ、アンダーにいる人間がさらに地下にコロシアムを作るとは考えられない。
しかしこの2人の場合、仮に置いていったとしても・・・
『・・・私は、覚えてる。』
「・・・え?」
今、誰の声がしたんだ? わずかだが声を上げた俺に対して、視線が集まってくるのは必然だった。
ミレイではなかった。 だが、間違いなく女だったはずだ。 答えの出る時間もないまま、今度はミレイが頬をなでてくる。
視線は少し上にあった。 しばらくサングラスに映った自分の顔を見つめていると、彼女は自分の足元にいるフルへと視線を動かす。
「・・・フル? 3uqs@4dw、vtZw.k?」
気付かれたのだと直感した。 フルは返事をしないまま、黙ってミレイの方へと視線を向ける。
疑問を持ったまま俺の方に向けてくる青い瞳。 時間がない。 少しでも早く、時の笛を手に入れなければ。
地の底からわずかな明かりが見えてくる。
どうやら、律儀に相手をしてくれるらしい。



谷の壁面を蹴って飛び掛ってきたグライガーにミレイとハーベストが小さな悲鳴を上げた。
恐らくダークポケモンだ。 スナッチマシンにボールをチャージすると、フルを構えさせながらミレイの指示を待つ。
思ったとおり、すぐにゴーサインは出された。
「レオ! ‘スナッチ’!」
真上に向けられた手の動きに合わせるようにスナッチボールは高く飛び、グライガーの尾を捕らえる。
捕らえられたグライガーを受け取る間もなく、次はやってきた。 無防備なハーベストを狙って放たれたヒメグマの『つばめがえし』。
「‘フル’『サイケこうせん』だ!!
 イザヨイはミレイを守れ! 閉鎖された空間だ、炎は使うな!」
操作盤に飛び乗ったフルの足元でねじ曲げられた電流が音を上げた。 バランスを崩したUFOはやや乱暴に地面に着地する。
「『スピードスター』!!」
弾幕が一瞬の時間を作る。 閉じ込めていたクレセントを呼び出すと後方が安全なことを確認し、UFOから飛び降りる。
下からはノコッチ、上からはキルリア。 15匹ほどのポケモンたちの向こうには、ヴィーナスもいる。
「‘ハーベスト’残れ。 攻撃のタイミングは指示する!」
クレセントの足はキルリアの胴を捕らえ、鉛色した壁へとその相手を叩きつけた。
ノコッチに向け、地面すれすれに放たれた『サイケこうせん』の上を、緑色のポケモンが飛び越える。 ロゼリアだ。
「『どくどく』!」
「‘フル’『てだすけ』! 『サイコキネシス』!!」
後ろを向いたままクレセントが手を向け、自分に向けられた攻撃ごとロゼリアを押し返す。
そのまま向かってきたオドシシの角を押さえつけると、息の詰まるような地下のコロシアムから音が消えた。

首筋をなでられたエネコロロの鳴き声が響く。
「野蛮ですこと。 まだ開始のベルは鳴らされていなくてよ。」
「お互いにな。」
やっとUFOから降りてきたミレイがクレセントと組み合っているオドシシを指差していた。
ヴィーナスの隣で動かずに構えている4つ足のポケモンを指すと、彼女に小さくうなずいて合図を送る。
「何故、時の笛を知っている?」
「・・・答える必要があって?」
指先が向けられ身構えたが、すぐに攻撃が飛んでくることはなかった。
右手でニュウのボールを出すフリをしながら、スナッチマシンにボールをチャージする。
フルにそれを飛ばさせると、オドシシは青いボールの中に収まった。 押し合いから解放されたクレセントが、荒く息を吐く。
おかしい、『どくどく』は回避したはずなのに、消耗が激しすぎる。
わずかに動いた指先に注意をヴィーナスへと戻すと、相手は薄く笑い、指している方向を俺からミレイへと移した。
「私はヴィーナス、この腐った世界の女神。 あなたたちの知らない何もかもを手に入れるのよ。
 そしてそのためには、あなたたちの存在が邪魔。
 1つだけ教えて差し上げるわ。 後ろの彼女、生かしたまま連れて来いとは・・・言われてませんのよ?」
背筋に見えない電流が走る。
身を翻すが、ヴィーナスの指示はそれよりも早かった。
「スイクン!!」
高い咆哮が響く。 しかし、その声が反響するだけで、特に何も起こりはしない。
足が止まった。 スイクンというポケモンも今は完全に操られ、意志を持っているわけじゃない。
それ以外の何かがいる。 それがあの青いポケモンの攻撃からミレイを守り、ヴィーナスの表情を変え、俺の足を止めている。

疑問を解決する前にクレセントが飛び出し、『とびひざげり』をスイクンの眉間へと命中させた。
本能か、怒ったように牙を向けてきたスイクンの顎を受け止めると、チャーレムは拳をもって反撃する。
指示なんてしなかったはずだ。 だが、独断にしては動きに迷いがなさすぎる。
「何しているのです! 早く・・・!!」
言葉の途中で地面が揺れ、スイクンの上から土砂が降り注いできた。
悲鳴が上がる。 今まで指示以外の言葉すら話さなかった他のトレーナーたちが、いまさら正気を取り戻したように声を上げ始めている。
逃げるトレーナーたちが詰め込まれた乗り込まれたUFOはぐらついていた。 そのまま俺たちを乗せてきたUFOは上昇していくが、自分たちの帰り道をどうするか、今は考えている時間はない。
「‘スナッチ’!」
悲鳴に混じったミレイの声に振り向くと、彼女は土に埋もれたスイクンを指差し、次いで置いていかれたイノムーを指す。
時間をかけぬよう転がすようにスナッチマシンにボールをセットすると、倒れたスイクンへと駆け寄っていく。
地面の揺れは未だ続いていた。 転びそうになりながらスイクンのスナッチを完了させたとき、呆然と固まっていたヴィーナスが青白いモンスターボールに手をかける。
「・・・ふざけるんじゃないわよォ!!」
鉛色のハガネールと痩せた花びらのラフレシアが狭い空間を一杯にした。
「認めませんわ、神だなんて! 私よ、わたくしこそがこのオーレの神となるのよ!」
錯乱したままの攻撃は宙を何度も切っていた。 いくつか当たりそうな攻撃も、フルとクレセントの手ですぐに止められる。
しかし、なぜ急に怒り出した? ヴィーナスは誰に向かって喋っている? ・・・ミレイ?
視線を向けるが、ミレイは特におびえた様子もなくその場に立ったままだ。
これ以上彼女に近づかれないよう、それに時の笛のことを訊きだそうとヴィーナスへと近づきかけたとき、彼女は自分のハガネールの尾を受け、鉛色の壁に叩きつけられた。
「‘スナッチ’。」
背後から襲い掛かってきたニューラをボールへと収めた瞬間、それまでミレイのいた方向で何かの倒れる音が聞こえてきた。
「・・・恐ろしい女。」
「ブレス!?」
気絶したミレイを抱え上げた女は俺の足が動く前にナイフを取り出し、ミレイの首に突きつける。
「死ぬよ。」
「・・・!」
どこまでも人質を作るのが好きな奴だ。 すぐ近くにいるイザヨイが睨むのも、楽しんでいるようにすら見える。
地面が強く揺れ、崩れた地面から逃げるようにフルとクレセントが駆け寄ってくる。
「ほらヴィーナス様、立って。 逃げますよ。」
「くっ・・・っ」
よろめきながらヴィーナスが立ち上がったのを見ると、2人は俺たちが来た方向とは違う、コロシアムの奥側へと走り出した。
ミレイを連れたまま。 追いかけようとするが、その度にブレスはナイフをミレイに向け、こちらの動きを止める。
コロシアムの様子は一変していた。 崩れ出した土砂は無差別に降り注ぎ、元あった地形すらも変え始めている。
それが、ヴィーナスたちと俺たちとの間を塞ぐのも、必然と言える事態だったのかもしれない。
だが、心は納得出来なかった。 どこへも行けなくなった感情が暴れ、思考を塞いだ。


「・・・くそぉっ!!」
全く思考が巡らず、目の前の土砂を手でどかし始めたが、すぐにポケモンたちに止められた。
解っている、明らかに無駄なことだ。 なのに、そうせずにはいられなかった。
ここも危ない。 すぐにでも逃げる必要があるが・・・どうやって? ここに来るまでのUFOはここにいたトレーナーたちに持っていかれてしまっている。
何とかなると思っていたんだ。 あのUFOがなくなっても、ミレイがいれば何とかなると・・・
「イザヨイッ! 何でミレイを守っていなかった!?」
思わず上がった声に自分でも驚いた。
イザヨイの目が伏せる。 ダークポケモンといえど、辛いのは同じはずだ。
「・・・悪い、当たるつもりはなかった。」
あの時、ミレイは自分からポケモンたちと離れていた。
いつもなら絶対にそんなことしない。 様子がおかしいのには気付いていたのに、誰も動かなかったんだ。
俺が・・・離れずに守っていれば・・・!
「レオさんっ!」
細い手に引き上げられ、一瞬ミレイの姿が見えたような気になった。
「レイラ!? 何故?」
「シルバがUFOを貸してくれたの、アンダーにいるレオさんを助けてくれって!」
また1ヶ所地面が崩れたのを見ると、クレセントが手を引き、逃げるように促す。
「ミレイが捕まったんだ、早く追いかけないと・・・!」
「ミレイさんは無事ですたい!」
「!?」
自分の口を押さえたレイラと一緒に、睨むようにして指先を彼女に向けたチャーレムの姿が映った。
何かを伝えた。 それを受け取る心を見ている。
「とにかく来て! 上のパイラも大変なことになってるの!」
崩れる天井におびえる様子もなくレイラは地面の裂け目へと向かって走ると、自らが乗ってきたのであろうUFOに飛び乗る。
信じがたい気持ちではあったが、追わないわけにはいかなかった。
来た時よりもずっと早くUFOは上昇すると、アンダーを通り抜け日の光の当たるパイラへと2人を誘導する。
光に目が慣れずまったくと言っていいほど視界は取れなかったが、それでも耳につく風の音だけでレイラの言う『大変なこと』は理解出来た。
17年、オーレで生き、なお見た事のないほど巨大な砂嵐。 町の外が全く見えない。


「これは・・・?」
「シルバたちが戻ってきてすぐ、地面の揺れと一緒に起こったの。
 でもおかしいのよ、これだけの大嵐なのに、まだ誰もケガしてないの。」
「誰も?」
音を上げながら回る風車を見上げながら町へと降り、さらに驚いた。 嵐自体が意思を持っているかのように、パイラの町を避けている。
本当に誰も、傷を負っていない。 レンやスレッド、ギンザルたちも、アンダーから逃げてきたらしいシャドーたちも。
大騒ぎして嵐を見上げているだけだ。 これじゃ、まるで・・・
「あ、レオさん! 戻ってきた! ・・・ミレイさんは?」
レンの声に、喉が締め付けられる。
「ミレイは・・・捕まった。」
言うと、レンは少し驚いたような顔をしたがそれほど動揺は起こさなかった。
スレッドと顔を見合わせると、何度か小走りになりながら町の北東へと視線を向ける。
「おかしなことが起きてるんです、レオさんなら解るんじゃないかと思って。
 来ていただけますか?」
先導するレンの代わりにスレッドが喋ると、レイラに押されながらも町の北東へと走らされた。
丁度バイクを停めた辺りまで来ると、壁のようにパイラを取り巻く砂の嵐に圧倒される。
だが、視線を落としてさらに驚いたのは、その砂が北東の方角に向かって丁度1人分、バイク1台通れるか通れないかという大きさだけトンネルを作って避けていることだった。
疑いが確信に変わる。
「レオさん、こんなことって・・・」
「ミレイ・・・!」
この嵐はミレイそのものだ。 誰も傷つけようとせず、自分を隠そうともしない。
まだ生きている。 隠したバイクへと駆け込むと、急いでエンジンを噴かし砂の中に現れたトンネルへと進行方向を傾ける。

「行ってくる!」
誰の返事を聞くこともないまま無茶とも思える急発進でトンネルへと突っ込むと、フルスロットルで砂の道を駆け抜けた。
きっと今頃泣いている。 それとも、フェナスの時のように震えているだろうか。
無事でいてほしい。 また笑って、怒って、名前を呼んで・・・
・・・会いたい。


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