Chapter24:sender−Reo
=Tears of desert




顔に当たる砂の量が増えるにつれ、目的の場所が近くなっていることを感じられた。
痛みなどない。 風の音、喉の渇き、腕の痛み、それらがどこか遠くにあるようで。
・・・速い。 100は超える距離を走っても、1度もタイヤが砂に埋まることはない。
ずっとだ・・・そう、ずっと。 ミレイに会ってから、バイクがスタックしたことは1度もなかったんだ。


「あ・・・」


見えてきた。
砂漠の中に不自然に建つ、白い建物。 その中心を取り囲むように砂嵐が吹き荒れている。
圧倒された。 空を支える柱のような、黄金色の竜巻に。
ミレイの中に、どれだけ大きなチカラが眠っているのだろう。
このままじゃ近づけない。
「・・・ミレイ、俺だ!! 助けに来た!!」
ふらつく足を押さえながら叫ぶ。 途端、目眩がして気がついたら砂の上に横たわっていた。
風の音が止んでいく。 乾ききった口の中に、誰かが水を数滴流し入れた。
‘水を一杯、飲む時間くらいはあるよ。’
「誰だ・・・?」
起き上がるが、周囲に人の気配は感じない。 数メートル先で砂に埋まりかけているバイクへと近づくと、サイドカーに積んだ水のタンクが開いていた。
中身をひとすくいして口に含むと、すぐにキャップを閉める。
もう歩いた方が早い。 バイクのキーだけ抜き、荷物をまとめることもせず建物へと向かう。
砂の中に足を埋めながら、逆さになった車や横たわったトラックを横目に見た。
この嵐で、車が出られずにいる。 ミレイがここに連れてこられたのならば、まだどこへも行っていないはずだ。





目の前にモンスターボールを構えると、強い光で球体は宝石のように輝いた。
「‘クレセント’扉を破れ!」
吹き付ける風から視界を守りながら、チャーレムは閉め切られた銀の扉を睨み、小さく息を吐いた。 回転から繰り出された蹴りがその板を弾き飛ばし、小さな入り口を作り出す。
踏み込むと赤い光が顔を照らす。 それが血を連想させて、怖くなった。
シャドーの戦闘員が駆けつけてくる。 「わかる」 踏み込むには、勢いも必要なんだ。
「‘フル’!!」
向かってくるオオタチを『サイケこうせん』で牽制する。 その脇をエイパムが駆けて、その長い尾で俺は横っ面を殴られる。
体が上手く動かない。 意識してその原因はすぐにはっきりしたが、今さら水を取りに戻る気にはなれなかった。
蹴り飛ばされたまま伸びているエイパムをそのままに、シャドーは次のポケモンを繰り出してきた。
放たれたテッポウオの『オーロラビーム』をニュウに受けさせ、少しでも前に進もうと床を蹴る。
そうして前のめりに倒れ掛かった体を、クレセントに支えられた。
クレセント・・・そうだ、クレセントなら、もしかしたらミレイの居場所を知っているかもしれない。

「クレセント・・・お前、ミレイの場所・・・判るか?」
肩を支えたまま歩き出そうとしたチャーレムに声を掛けると、一瞬驚いたような顔をしてからクレセントは視線を俺の目へと移す。
「アンダーでお前は・・・ミレイが無事だと言い切った。
 何か、知っていることがあるのか? ・・・いや・・・」
段々自分でも誰に話しているのか分からなくなってきた。
助けを求めてきたニュウに『あやしいひかり』の指示を出すと、自力で立ち上がれるよう、足にチカラを込める。
「俺は・・・ミレイに、無事でいて欲しいんだ。」
そのための情報以外は、必要がない。 支えられていた手を離すと、クレセントは少しの間静まり始めた砂漠を見つめ、わずかにうつむいた。
遠くはない位置にあったエレベーターの扉がひとりでに開く。 攻撃に移ろうとしていたフルとニュウを抱えると、クレセントはその中に2匹を投げ入れ、まだ完全ではない俺の体を引きずった。
扉の閉まりかけたエレベーターに俺の体を押し込み、飛び掛ってきたオオタチを蹴り返す。 ひと鳴きしたのを聞くのと同時に扉が閉まり、一瞬体が浮遊した。



与えられたのは、一瞬の休息だった。
何故か、クレセントの身に対する心配は起こらず、自分が置かれた状況を把握することに全神経が消費される。
「この先・・・?」
つぶやくと、同じように呆然としていたフルとニュウが起き上がる。
恐らくクレセントが残ったのは、エレベーターを破壊させないためだ。 下に行けと、そう伝えるためにも、あそこまで強硬な手段に出たのだろう。
『水、飲んでおくべきだったな。』
フルに言われ、うなずいた。
体が思うように動かない。 どういう状態か、自分でも解っているつもりだ。
『無理すんなよ。』
「しないと・・・ミレイは取り戻せないだろう?」
自分が苦笑しているのが判る。 ミッションを始めたばかりの頃、ニュウに何度も言われたセリフだ。
「・・・昔はよく話したな。」
扉が開く。 歩き出しながらも、ニュウは怒鳴りかけてくる。
『そーだけど! 今そういうこと言うなよ! 死んじゃうみたいじゃんか!』
あまり騒ぎ立てないよう動きを手で制すが、必要のないほど場は静まり返っていた。
上と変わらず警報音と回転灯の光で室内は赤い。 道は分かれているが調べていられるほどの時間はなく、ひとまずまっすぐ進む。
その道を選んだのは、15メートルほど先の白い廊下に不自然な黒い紐のようなものが転がっていたからだった。
警戒しながら進み、ゆっくりと拾い上げる。 指の間から滑り落ちた月は、黒いリボンにぶら下がって細かく揺れた。
「ミレイのチョーカー・・・」
モチーフの先端に血のようなものがついている。 背後から襲い掛かってきたコノハナの『だましうち』を受け流すと、応戦するためイザヨイを繰り出しながら状況を見る。

「『かえんぐるま』!!」
落ち着け・・・チョーカーに付いている血の量はわずかだ。 極端に出血しているとは考えにくい。
コノハナを炎で追い返して戻ってきたイザヨイを足元に控えさせ、進もうとしている先を確認する。
戦闘員が走ってきているが、1人だ。 突破出来る。
「行け!」
声を上げると真っ先にイザヨイは飛び出し、シャドーの繰り出してきたフォレトスに赤い炎を浴びせかける。
そのまま転がり落ちたフォレトスの上を飛び越えると、足元に噛み付き、人間の方を直接引き倒した。 後から飛び掛ったニュウが腰元を後ろ足で弾き、戦闘員の持っているボールを遠くへと蹴り飛ばす。
「・・・それは思いつかなかったな。」
先行するイザヨイを追いかける形で進み、戦闘員の手に届きそうだったボールを廊下の反対側へと蹴った。
すぐには追いかけてこられない。 前方に見えるエレベーターに乗り込みボタンを叩く。
扉が閉まると、落ち着きのないイザヨイの仕草が目に付いた。 背中を叩くと額から小さな炎が上がる。
「落ち着け、イザヨイ。」
『何かを感じ取っているな。』
フルの考えに俺は納得した。 確かにイザヨイのことだ、ミレイの持つ『何か』に反応していたとしてもおかしくない。
1階分降りたエレベーターから出ると、上と同じように警報以外の音は聞こえなかった。
床に鼻をこすりつけながら進むイザヨイを追いかけつつ、状況を確認する。
研究所・・・だろうか? 見慣れない記号の書かれた張り紙や、空のままの試験管などが時々視界に入ってくる。
静か過ぎる。 警報が鳴っているにも関わらず、上の階では1人2人しか戦闘員はやってこなかった。
元々警備が手薄なのだろうか、そもそも、何で扉を開けた地点で警報が鳴っていた?
考えていると背後のエレベーターが音を上げる。 さっきの戦闘員たちが追いかけてきてのだろう。
変な消耗は避けたい。 イザヨイを抱えると隠れられる場所を探し、空の研究室に身を潜める。



「・・・ダークポケモンだった。」
動かない体を机に預け、戦闘員が別の方向へと移動するのを待つ。
エイパムは躊躇なく人間に攻撃を向けてきたし、イザヨイが攻撃したフォレトスも様子がおかしかったように思う。
恐らく、ダークポケモン。 スナッチしてきてもよかった。 だが、ミレイがいないと確証が持てないんだ。
『っとにさぁ、最近レオはミレイミレイミレイって・・・』
ニュウに見透かされる。 脆くなっていく自分、ヒトとしての自分。
『それをレオが望んでいるんだ。 従うのがオレたちの仕事だ。』
フルがそう言ったのと同時に、抱えていたイザヨイが腕から抜け出し、部屋の奥へと進んでいった。
小さく、何度も鳴き声を上げる。
あまり音を立てると戦闘員たちに見つかる。 止めようと何度も呼ぶマグマラシへと近づいた時、目の前に現れたホログラムに、足が止まった。

それは、リアルと言うにはあまりに曖昧過ぎる画像だった。
巨大な赤茶けた生物。 ポケモンなのかもしれないが、全く見覚えはなく、しかし『それ』から妙な威圧感と恐怖、同時に安堵のようなものが感じられる。
何かが懐かしい。 ・・・懐かしい?
いつから俺は懐かしいと感じるようになった? スナッチ団のアジトに戻った時でさえ、そうは思わなかったのに。
『レオ、イザヨイが!』
ニュウの声に振り向くと、開け放たれたガラス戸から出て行くイザヨイの背中に気が焦った。
急いで後を追いかける。 シャドーと鉢合わせる可能性を心配していたが、警報音だけの静まりかえった廊下に、集中力を欠いていたのは自分だということを気付かされた。
少し戻ったところにある別のエレベーターへと走ると、イザヨイはその扉を爪でかき、開けるよう催促する。
フルとニュウを呼び、開閉ボタンを叩く。
真っ先に乗り込んで床の匂いをかぐイザヨイの仕草は、もうダークポケモンのものとは違う。
『オレさ、怖いよ。』
ニュウがつぶやく。
『レオ、勘違いしてねーよな? ミレイ助けてもレオが死んじゃったらミレイ生きてけないんだぞ?』
「解っている。」
かつて、ニュウがそうだったように。
いつの間にか出来上がっている共存関係。 それが・・・『スキ』ということかもしれない。
ミレイに対する『スキ』、ニュウに対する『スキ』、フルに対する『スキ』。 全て、形が違う。






扉が開くと、イザヨイは指示を待たずに走り出していった。
後を追いかけるため膝を伸ばした時、真横から迫ってきた物体に肋骨を叩きつけられ、床の上に体が跳ねる。
『レオ!』
『レオッ!?』
一瞬意識が飛んだ。 冷たい床の感触を頬に感じ起き上がると、既に戦いは始まっている。
グランブル・・・後ろにはアリアドスを構えた別の戦闘員が構えている。
「‘ニュウ’イザヨイを追え! ‘フル’『リフレクター』!!」
『でも・・・!』
「行け!!」
入れ違いにハーベストを呼びながら、イザヨイとニュウが向かっていった方向へと向かって後ろ向きに足を進めていく。
相性が悪い。 一応防御壁リフレクターは張ったが、フルもハーベストも相手の攻撃を受けられる方じゃない。
「‘フル’アリアドスに『サイケこうせん』!! ‘ハ・・・!!」
喉の渇きから声が出なくなる。 砂にむせた俺を見ると、ハーベストは指示を待たずに『ねむりごな』を振り撒いた。
それで、正解だ。 様子を気にしてきたハーベストに小さくうなずくと、向かっていこうとした彼女に指先で「戻れ」と指示を出す。
床を蹴ったワタッコを腕に掴まらせて走った。 目的はバトルでもスナッチでもない、余計な戦闘は時間を消費するだけだ。
フルに指示を出し、追ってきたマッスグマに『スピードスター』を命中させる。
動きながらの方が効率がいい。 走りながらハーベストに『ソーラービーム』の充填をさせていると、前方からポケモン同士が戦っている音が聞こえてくる。

『レオ!!』
『ソーラービーム』の発射と同時にオオスバメと向かい合っていたニュウが呼びかけてくる。
前方にいるシャドー戦闘員が攻撃の意思をこちらへと向ける。 それと同時に動き出したビブラーバは、無防備だったイザヨイへと突進し、命中の直前で動きを止めた。
逆に炎で威嚇され、ビブラーバは引き下がっていく。 何か、様子がおかしい。
「何してる! せっかくダークポケモンにしてもらったっていうのに、使えない奴だね!!」
『レオ、あいつ! パイラでレオが最後にスナッチした奴!』
指示に逆らい続けるビブラーバに戦闘員の平手が飛んだ。
壁際まで飛んだビブラーバは高度を落とし、それでもなお指示に逆らい続ける。
左手が空のモンスターボールへと伸びる。 かすかに、声が聞こえた気がした。


『・・・ダイジョウブダヨ、レオガキットタスケテクレルカラ・・・』


誰の声? ニュウ・・・いや、誰でも同じことだ。
スナッチマシンに装填されたモンスターボールが光を放つ。 道を開ける、やることは・・・それだけだ。
「・・・ああぁっ!!」
放たれたボールがビブラーバを捕らえ、壁に当たって前方にあった階段下へと転がっていった。
後はオオスバメを倒せば先に進める。 指示を出そうとイザヨイに手を向けたとき、背後から黒い風のようなものが吹いて、思い切り壁に叩きつけられた。
「がっ・・・!」
眠らせたはずのグランブルが視界の端に歪んで映る。
あいつもダークポケモンなのだろうか。 だとしたら・・・カワイソウ? カワイソウって、何だ?
階下に落ちたモンスターボールに、手を伸ばそうとした。
段差が近づいてくる。 ・・・何で?



 ・・・あ・・・


 ・・・・・・落ちてる。



転がりながら階下に落ちていく俺を、フルたちが驚いた顔をして見ていた。
体が動かない。 指示を出さなければ・・・ポケモンたちが俺を追って降りてきてしまったら、戦闘が不利になる。
せめて1匹・・・味方が増えれば、状況も変わるはずだ。 見えない場所にあるビブラーバのボールを捜して、腕を伸ばす。
その腕に鈍い痛みが走り、初めてその場にいる、自分以外の人間の存在に気付いた。
「コワップはどうした?」
「コワップ・・・?」
視線を動かすと、白いコートの向こうにグレーのサングラスをつけた細面の男の顔が見えた。
踏みつけた足にチカラを込められると、右腕の骨が軋む。
「お前が倒したのか?」
何を、言っている?
「・・・そういう感じではないな。 まあいい、探しに行く手間が省けた。」

腕の上に乗っていた足が退かされ、襟元をつかまれ持ち上げられる。
男の手元にあるナイフをどこか遠くにいるような気持ちで見ていると、突如男が俺の体を突き放し、目の前を虹色の光線が通り抜けた。
「チッ・・・!」
見上げると、フルがいた。 階段を駆け下りると、男と俺の間に立ち、強く吠えて威嚇する。
「上に・・・」
『ニュウに任せてきた。 レオを守るのが俺の仕事だ。』
言おうとしていることを先回りして答えると、フルは男へと向かって『サイコキネシス』を放つ。
自分に向けられた攻撃を繰り出したチルタリスに受けさせ、1歩足を後ろへと動かすと、男はフルのことを見て笑った。


「・・・成る程な。 1人で生きていける訳がないと思ったが・・・そういうことか。」
不可解な言葉をつぶやき、男はこちらに背を向けて部屋の奥へと歩き出した。
聞きなれない革靴の音が空間に響く。 やがて、ゆっくりと歩いて戻ってきた男の手にあるものを見て、フルの顔つきが変わった。
モンスター・・・いや、ハイパーボール? 見慣れない封印がしてあるそれを持ち上げ、男は笑う。
「知っておくといい。 私はボルグ、ボルグ=シャドー。
 このラボの最高責任者であり、ダークポケモンの研究、開発に携わっている。
 お前たちは、ここに来るまでに戦闘員の数が少なかったことに驚いているのではないか?
 それはこの研究所が既に廃棄されているからだ。 そう、つまりこれ以上の生産の必要がなくなっているということ・・・ダークポケモン計画は最終段階へと移行している。」
男は手にしたモンスターボールを投げると、さらに言葉を続ける。
「これはダーク・ライコウ。 お前たちがスナッチしたエンテイ、スイクンと同じ、伝説のポケモンから作り出したものだ。
 今まで、伝説のポケモンのダーク化は困難とされてきた。 純粋すぎるチカラは、ダークエネルギーを跳ね返してしまうからだ。
 だが、お前たちの存在がそれを可能にした。 リライブしたポケモンを再びダーク化させることにより、通常より強力なダークポケモンを作り出し、このような・・・伝説のポケモンのダーク化すらも成功させたのだ。」
閃光と共に放たれた雷撃が真横にあった機械を焦がす。
遠くからニュウの声が聞こえる。 何と言っているかは判別がつかないが。
細く息を吐くと、それは自分でも熱く感じられた。
戦うことは怖くない。 自分が死ぬことについても同じ・・・それは、スナッチ団にいた頃と同じだ。
俺は、何を恐れている?
「・・・ボルグ・・・だったか?」
壁から背を離してみたが、やはりまっすぐ立つ・・・ということは叶わなかった。
まるで、風に流される看板だ。 おぼつかない足取りでフルのもとへと歩くと、目の前にいる相手へと、視線を向ける。
「お前は・・・カワイソウだな。」
サングラスの下の目が揺れるのが判った。 奴の指示で、ライコウが1歩、足をこちらへと進めてくる。
ミレイの顔が、一瞬脳裏をかすめる。 次の瞬間には、フルの『サイコキネシス』をくぐって突っ込んできたライコウの体当たりを受け、暗い紺色の機械へと体が飛び込んでいた。
視界が利かなくなる。 咳き込んだ喉元からは、血の味がする何かが粒となって飛び出してきた。
「半年前までスナッチ団にいた人間が、今更シャドーに同情か?」
起き上がるのが精一杯だった。 すぐ側にライコウの顔があり、1秒と立たずに殺される可能性も感じ取る。
「お前は・・・知らない・・・」
床に落ちたチョーカーを指先で手繰り寄せる。
溜め込まれた電撃が移り、体中の毛が逆立っているのが判った。
「・・・優しい人・・・他人のために生きること・・・周りを明るくする笑顔・・・ただそこにいるだけで、空気を変える・・・まっすぐなココロ・・・」
イザヨイが降りてくる。
願わずにいられない。 頼む、俺の代わりにミレイを見つけてくれ。 ・・・お前なら、出来るんだろう?

「・・・ヒトに、ポケモンが恋することもあるということ。」
やっとの思いで吐き出した言葉を、ボルグは一笑した。
イザヨイもフルも、奴のことを睨んでいる。 わかる、でも、今は『怒っている』場合じゃないだろう?
「ッ! ハハハハハハ!!! 恋か、それはいい!
 するとお前は、あの娘の利用価値などまるで知らずに、ただ愛しているという理由だけであの砂嵐の中走ってきたというのか?」
「・・・そういうことだ。」
口元を拭うとやはり血がついていた。
イザヨイが攻撃する体勢に入っている。 指示は、出さなければ。
「『好きにしろ』。」



目の前を通り過ぎた炎は、眼前まで迫っていたライコウを退けた。
すぐさま迫ってきたそれを、フルが『サイコキネシス』で追い払う。 驚いた、俺のことなど無視してミレイを探しにいくかと思っていたのに。
ライコウと俺との間に立つと、イザヨイの炎は膨れ上がる。
声を出さずとも、攻撃の方向を指すだけで十分だった。 放たれた炎はライコウの繰り出した『かみなり』と衝突し、閃光とともに暗い部屋に風を起こす。
フルが追撃を行おうと走り出すが、逆に巨大な足に踏み潰される。
『リフレクター』を張って凌いでいるが、攻撃には回れないし、今のイザヨイが助けに向かうことも無理だ。
何とかして起き上がろうと腕にチカラを込めると、ずっと黙っていたボルグの手が、かすかに動くのが見える。
「ハンテール、『あまごい』。」
危険に気づいた時にはオーレではあり得ない湿気が部屋中を包み込んでいた。
粒となった水蒸気がスプリンクラーのように天井から落下し、部屋の機械を漏電させる。
周囲を見渡すとイザヨイは直接攻撃を加えるためか、ライコウへと向かって走り出した。
だが、ボルグの手が向けられた方向を見て、一瞬目を見開かせる。 真上にある光には、気付いていた。
「元から狙いはお前だ。」
白い光と共に、雷鳴が部屋中を振動させる。
意識が遠のきかける。 だが、全身を駆ける痛みとスナッチ団にいた頃の経験がそれを許さなかった。
目の前で誰かが倒れていく。
俺・・・だろうか?
悲鳴。 あれは・・・ハーベストの声だ。
頼むから、怒り任せにライコウやボルグに襲い掛かることは止めてくれ。
俺たちは・・・ミレイを取り戻しに来たんだ。

数秒もしないうちに、何かが壁にたたきつけられるような音とフルの悲鳴が同時に聞こえてきた。
目に光のないライコウが、焼け焦げたコートを真ん中からくわえて持ち上げる。
「声も出ないか? あっけないな。」
床に出来た水溜りに、大きな波紋が広がっていく。
ニュウのうなり、ハーベストの叫び、イザヨイの声・・・聞こえてる・・・大丈夫。
「伝えておけ。 我々はラルガタワーにいる、お前たちの主と会える時を楽しみにして待っている・・・とな。」
封のされたハイパーボールにライコウを閉じ込めると、ボルグはポケモンたちに背を向けて部屋の奥に置かれていたエレベーターに乗り込んだ。
静まりきった部屋に、誰かのすすり泣く声が聞こえてくる。 それを小さな声で制すと、赤いポケモンは床に広がった水を蹴り飛ばしながら俺のところへと駆け寄ってきた。


「あーらら、見つかっちゃったよ。
 これだからエスパーポケモンって嫌なんだよねぇ・・・キミのフルみたいにはなかなか騙されてくれないんだもん。」
支えられた肩を突き飛ばされると、助け出したビブラーバにしがみつかれながら体は崩れ落ちた。
ほとんど利かない視界を上へとずらすと、自分と全く同じ姿をした人間が俺のことを見下ろしている。
クレセントが驚いた顔をして見つめる中、奴は精密機器を覆っていた金属板を1枚引き剥がすと、中に隠れていた人間の襟を掴み、目の前の床に転がす。
ずっと見たかった顔が、そこにあった。 手を伸ばすと、誰かに叩かれたのか赤くなったミレイの頬が、わずかに引きつる。
「フェイク・・・どうして・・・」
「何でキミを助けたかって?」
呆然と見守っているニュウを横目に、フェイクはボルグが向かったのと同じエレベータの方へと歩きながらわずかにこちらへと目を向けた。
「死ぬのが怖いからだよ。
 ヒトっておかしなモンでね、やがて訪れるものと分かっていながら死を恐れるものなのさ。」
上から時折降ってくる赤い光が、血を連想させた。
わずかに傷のついた鼻先をなでると、フェイクはエレベーターのボタンを軽く叩く。
「キミはボクのドッペルゲンガー、ボクはキミのドッペルゲンガー・・・ほっといたら、キミはボクを殺すんだろう?
 ボクは逃げるからね。 あぁ・・・そうそう。」
エレベーターが閉まる寸前、フェイクはミレイのことを指差した。
「その女、袖の中に何か隠してるみたいだよ。」
扉が閉まると、部屋にはわずかな機械の音しか聞こえなくなった。
しばらくは何もする気が起きなかったが、やがて、口の中に水を流し込まれるとわずかだがチカラが戻ってきて、のろのろと起き上がる。
水の入ったビーカーを片手に不安そうにしているクレセントの顔を見て、ようやく今、自分が安全な場所にいるのだと気付いた。
気絶してニュウに引きずられてきたフルをモンスターボールへと戻し、眠り続けるミレイへと顔を近づける。
かすかに、薬品の匂いがした。 恐らく薬で眠らされたのだろう。
抱き上げるように体を起こすと、手元から何か小さな筒のようなものが落ちる。
隠していた・・・モノ? 拾い上げたそれは日に透かした木の葉のような色をしていて、ずっと彼女が持っていたせいか、ミレイの体温が残っていた。

「・・・時の・・・笛?」

薄く切られたリードがなければ、そうだとは気付かなかっただろう。
だが、これが時の笛でなかったとしたら、ミレイが隠していた説明がつかなくなる。
「・・・・・・ッ、くそっ!!」
自分自身に腹が立って仕方がない。
結局、守らなければいけないのにも関わらず、彼女を1番傷つけていたのは俺自身だったんだ。
ミレイの顔に、幾筋もの涙の跡が残っている。
・・・待っていたんだ。 俺が助けにくると信じて・・・ずっと。

均衡の崩れた感情は、それだけで俺の体を壊していきそうだった。
いっそ、そうでありたかったが、まだ『仕事』は残っている。
また砂漠へとバイクを走らせなくてはならない、そのためには、体力が回復するのを待たなくてはならない。
待っている間、俺は、ミレイの体をずっと抱きしめているしかなかった。


次のページへ

目次へ戻る