ずっと、見えてた。 足元の見えないような暗闇の中でも、フルのことだけは。
いつの間にかそれが当たり前になってて、ちょっとした違和感としてしか残ってなかったけど、やっぱり、変。 普通エーフィは光ったりしないもの。
目の前で静かな顔をして驚いた私を見ている彼は、そのエーフィが話をはぐらかすときによくやるように少しだけ顔を背けてどこか遠くを見るような瞳をする。
ベルが1つ鳴って、返事を聞くことのないままエレベーターの扉は開かれた。
扉の隙間から入り込んで背中の方から迫ってきた強烈な悪寒と黒いオーラに飲み込まれる。 怖くなって思わず逃げようとすると、厳しい目をしたシルバに突き飛ばされてエレベーターの外に放り出された。
黒いオーラに頬をなでられる。 やだ、入り込まないで・・・! 私は・・・!
「ミレイ、恐れるな!!」
フルともシルバともつかない声に頬を打たれ、目を開く。
「この中にレオがいるんだ、助けられるのはミレイしかいない!」
声のした方に顔を向けると、シルバの周りにも黒いオーラはまとわりついて中に入り込もうとしてる。
飲み込まれそうなのは、シルバの方。 頬をなでた『何か』へと目を向けると、かすかにだけど、それが人の手の形をしていることに気付く。
そっか・・・『そういう』ことなんだ。
立ち上がると、動けなくなってるシルバの手を取って立ち上がらせた。 少しずつだけど、黒いオーラは消えていく。
「一緒に行こ? 『あなた』も、レオを助けたいから来たんだよね。」
自分の周りから逃げていくオーラを驚いたような目で見つめると、シルバは小さく肯定の返事をする。
ポケモンたちのボールを手に取り、体の大きさが小さい方から1つずつ解放していった。
怒っちゃダメだよ、みんな。 自分の心が感じる通りに足を進めていくと、霧みたいに黒いオーラで覆われた闘技場と、その中心にいる人を焦点の真ん中に捉えた。
レオじゃない、けど覚えてる。 ・・・そう、あの人だ。 フェナスで会ったあの人が最初、黒いオーラを放ってた。
ゆっくりと闘技場の中心に歩いていくうちに、シルバは自然と私の手を離れてどこかへと走っていった。
このオーラがそのまま形になったような、薄暗い色をした髪、土色の肌、狂気に満ちた瞳。 あの日、私はそれが怖くて逃げ出したんだ。
けど、もう逃げない。 きっとこの向こうにレオがいる。 だから何とかして超えていかなきゃ。
「レオはどこ?」
きっと来てるはず。 尋ねると、目の前にいる人はこっちの方を見て、肩を震わせはじめた。
「驚イた・・・数日も経タナいうちにこチラの言葉を覚エテクるとハ・・・」
・・・笑ってる。
周りを警戒したクレスやイザヨイがこっちへ近づいてきて戦闘体勢へと移り始める。
「お前たチノ存在は証明にナッた・・・ドこから来タカも知れナいポケモンたちと違イ、このオーレの外に別ノ世界・・・ユートピアがあルコとを確信出来た。」
『ユートピアは場所じゃないわ、そこに生きる人たちの心が理想郷を作るのよ!』
ハベの言葉に、目の前の人は驚いた顔を見せた。
そっか、今ハベの言葉も伝わるんだ。 旅してる間、伝わるはずもないポケモン同士ですら、当たり前のように話してて気付かなかった。
『どんな場所でも、争いは起こります。 ですが、相手を思いやる心1つで、それを静めることも出来るのです。』
『聞いたことあるよ、『仲直り』っていうんだよね!』
ハンターの言葉に反応したイザヨイは明るかった。
それは、今、嬉しいかも。 気分が沈みそうな時に近くに明るい人がいるって、すごく励みになる。
『子供でも出来んだよ、それ。 何でお前らは全部奪おうとか、そういう方に考えがいっちゃうわけ?』
ニュウの声に笑うと、黒いオーラを纏った人は私の方へと手を向けてきた。
『・・・ミレイさんっ!!』
一瞬の金縛りの後、体が浮き上がって出入り口のほうに吹き飛ばされる。
クレスが受け止めてくれなかったら、きっと壁に叩きつけられてた。 殺気立つポケモンたちの視線の先で、黒いオーラを放ったメタグロスがうなりを上げている。
『ヘーキ?』
「ヘーキ! 気をつけて、そのメタグロス、ダークポケモンだよ!」
ふらついたクレスを支えながら背中から炎を噴き出したイザヨイへと向かって叫ぶ。
闘技場を囲うスポットライトが一斉に点灯し、まぶしさに目がくらんだ。 ヤバイ、戦いが避けられない雰囲気になってる。
「お前たチポケモンも、生きるたメニは他の生き物を殺すノダロう。 他のモノタちかラ奪うことノ何が悪い?」
迫ってきたメタグロスをイザヨイが炎で押し退け、闇から迫ってきた腕にニュウが噛み付いてハベを守る。
やっぱり1匹だけじゃないんだ。 『ひんし』寸前のクレスが何とか頑張れるように励ましながら、逃げ出したくなる心を必死で抑えこむ。
「あなたたちは知らないのよ! 生きてく命の尊さ、消えてく命の大切さ。
奪うことが悪いんじゃない、でも、本当の心を知らないあなたたちが、それに消されていくポケモンたちの心が、可哀想すぎる!!」
ニュウを狙って攻撃を繰り出してきたバシャーモを、ハンターの『すなじごく』で足止めさせる。 動きが止まったところをクレスの『サイコキネシス』で攻撃させるけど、威力が全然足りない。
悲鳴が上がったほうへと目を向けると、薄黄色い光がハベの体にまとわりついていた。
彼女の睨みつけた方向へと視線を動かすと、指先から同じ色の光を放ったサーナイトが薄く笑いを浮かべている。
「どうしよう・・・」
フルの抜けてる穴が大きい。 フルの『サイコキネシス』ならあのバシャーモも倒せるのに、『てだすけ』で技を強化すれば押し返せる量も変わってくるのに。
迷ってるとクレスに睨まれる。 わかってる、わかってるけど・・・
「イザヨイ、『かえんぐるま』でサーナイトに攻撃して! ニュウは『あやしいひかり』、ハベは『ねむりごな』でバシャーモを!
クレス、行って! 向こうからトドゼルガが攻撃しようとしてる!!」
『でも、自分が行ったらミレイさんが・・・!』
「いいから、行って!」
そうでもしないと、空いた穴が塞ぎきれない。
少しでも邪魔にならないよう、戦いの全体が見られるよう少し後ろに下がると、後ろに回した足が何かにすべって思い切り尻餅をついた。
頭が壁にぶつかってチカチカする視界を確かめようと自分の手を見つめると、何か、赤いべっとりしたものがこびりついてる。
体中が凍りつきそう。 血・・・だよね、これ。
誰の? ・・・レオしかいない。
近くにいるのかと辺りを見渡してみるけど姿は見えなくて、乾ききらない赤い液体だけが水溜りになって広がってる。
気がつかないうちに震えだしていた体が、細い腕に持ち上げられていく。
苦しい・・・ 締まりかけた気道を広げようと腕を伸ばすけど、上手くいかない。
「答エろ。 お前はどウヤッてコのオーレに入り込んデキた?」
「し、知らない・・・!」
いきなりだった。 気がついたら自分を囲う世界が変わってて、気がついたら・・・レオに恋してた。
喉元を掴む指先が冷たい。 まるで・・・死人みたいで、怖い。
「お前ノ持つチカラ・・・ユートピアでハ誰デも持ッテイるもノナのカ?」
腕から、体から、湧き出してくる黒いオーラがからまりついてキモチワルイ。
泣き声が聞こえる。 誰? 私? それとも他の誰か・・・?
『それはミレイが優しいからよ!』
ハベの叫ぶ声が遠くに聞こえる。 あれ、気絶しそうなのかな、私・・・
指示、出さなきゃ・・・ハンターにも・・・
息の止まりかけた喉を押さえる指が、何か、硬いものとぶつかる。
『泣くな・・・』
指先から黒いオーラが吹き飛んでいくのと同時に、失いかけた視界の端で赤い炎が上がっていくのが見えた。
腕の束縛が解け、再び血の上に落っこちる。 空気を吸い込むのに精一杯で逃げるどこじゃなかったけど、目を開けると倒れている相手の体から黒いオーラが消えていて、その必要もないことに気がついた。
「・・・あ・・・れ?」
『ミライ!』
地面に空いた穴からイザヨイが飛び出してきて、鼻先を顔にこすりつけてくる。
『あなをほる』の指示なんて出したっけ? まだ戦ってるかと思ったポケモンたちの様子を見てみると、真っ黒に焦げたメタグロスが倒れてて、その隣でフライゴンへと進化したハンターが驚いたような顔をこっちへと向けていた。
どういうこと? 酸欠の頭でフラフラしながら立ち上がると、倒れたバシャーモの近くにいたニュウが近寄ってくる。
『・・・なぁ、今『ちょうはつ』の指示出したの、ミレイ?』
「指示・・・?」
そんなの、出来るわけ、ない。 ついさっきまで、自分のことで精一杯だったわけだし。
フラフラ近寄ってくと、心配してくれたのか他のポケモンたちも駆け寄ってきてくれる。
『あの・・・今どうして『かえんほうしゃ』の指示を?』
『ミレイさん、『サイコキネシス』撃ちましたけど・・・』
『ねぇ、どうして分かったの? 『れいとうビーム』が飛んでくるって・・・』
いつの間にか、バトルが終わってる。 けど、私じゃない。 みんなハンターが進化することを予測してないと、明らかに成功しない指示をされてる。
レオ? じゃあどうして出てきてくれないの?
・・・やば、また泣きそう。 様子がおかしいことに気付いたみんなが不思議そうな顔をしてると、突然足元が揺れて強い風が吹き抜ける。
頬を切るような痛みに思わず顔をしかめると、ずっと戦っててたクレスが倒れてモンスターボールの中へと戻っていった。
ただの風じゃない。 まだ消えない黒いオーラの向こうへと目を向けると、舞い上がる砂と一緒に緑色の鎧を着たような・・・大きなポケモンが迫ってくる。
『避けろッ!!』
ニュウの声と共に飛び出したイザヨイに抱えられ飛び退いた直後、それまで私たちがいた場所に薄黒い岩が降り注いで積み重なった。
振り返ってゾッとする。 イザヨイが助けてくれなかったら、きっと今頃、あの山の下にいたはず。
「バンギラス・・・」
思い出した、あのポケモン。 暴れだしたら山1個潰れちゃうって、何かで見たことある。
うなるようなイザヨイの息遣いを聞きながら、もうこれ以上倒れる子が出ないよう相手の様子を注意深く観察してると、突然ハンターが怒ったような顔をして別の方向を睨み始めた。
誰か・・・近づいてくる。 『すなあらし』に阻まれる視界を腕で守って何とかその方向へと目を向けると、かすかにだけど、覚えてる人だった。
「フェナスシティの・・・」
「バックレーですよ、こうしてまたお会い出来るとは思いませんでしたな。
レオ君からは・・・帰ったと聞かされていたもので。」
レオ・・・もう何度も呼んだそのフレーズに、心臓の音が高く鳴る。
丸く太った手の上には、見慣れないボールが収まっていた。 紫色のボール・・・見たことも聞いたこともない。 それに、何か明らかに後から改造を加えたような、黒い線みたいなものも引かれてるし。
なぜか、そのモンスターボールの存在が市長さんが現れたこと以上に気になってた。
黙ったまま手の中を何度も転がるそのボールを見つめていると、市長さんは少しだけ首をかしげて笑ってみせる。
「私がポケモンを持っていたら、おかしいですかな?」
「あ、そういうわけじゃないけど・・・何か、そのボール・・・」
そう・・・私を呼んでる気がするんだ。 ずっと感じてた、懐かしい何かがそこにある気がして。
「・・・やれやれ、あなたの勘の良さには恐れ入りますな。
何も知らないまま私たちに協力さえしていれば、生かしておく方法も考えていたというのに・・・」
何・・・言ってるの? そう思った瞬間、イザヨイに後ろから強く抱かれ、熱い炎が頭の上を飛んでいった。
何か爆発したような音がした。 足元で音がしてそっちに視線を移すと、小さな溶けた金属のようなものが地面を焦がしてる。
『『
イザヨイとハンターに守られる。
頭がついていかない。 今、殺されそうになった?
そうだ・・・そもそも市長さんが何でここにいるの? 混乱したまま目を向けると、黒光りする何かを握りながら、市長さんは変わらずこっちに笑みを向けている。
「思えば、あなたの周りでは不思議なことばかり起きていましたなぁ・・・
ポケモンと言葉を通じ合わせ、完璧と思われていたボルグのダークポケモン理論にリライブという、初めての計算違いが生じ始めた。
ずっと人間を憎んでいたホウオウが、あなただけは殺さずに、愛情すら持ち始めていた。
おかげでずいぶんと予定を繰り上げることになりましたよ。 ホウオウに人を愛されたのでは、こちらの計画が全て崩れてしまいますからなぁ。」
「どういうこと・・・?」
分からない。 でも何故かすごく・・・レオに会いたい。
「あなた方が今ここで・・・死ぬ必要があるということですよ!」
市長さんがボールを投げたのと同時に、バンギラスがこっちへと突進してくる。
ヤバイ、話に気を取られすぎてた。 指示しなきゃと思ってるうちに、イザヨイが『何か』に反応して『にほんばれ』を打ち出し、ハベの『ソーラービーム』が真横からバンギラスを吹き飛ばす。
今の・・・独断? ううん、そんなハズない。 少なくともイザヨイは誰かの指示がなくちゃほとんど動かないはずだし。
じゃあ、『誰か』って? 疑問を解決する間もなく、ハンターの吐き出した炎と一緒に流れ出てきた黒いオーラに抱きしめられた。
バンギラスじゃない。 ハンターの睨む方向に視線を向けると、『にほんばれ』の逆光を浴びて輝く、虹色の翼が見える。
「ホウオウ・・・!?」
綺麗なのに・・・すごく綺麗なのに、その翼から湧き出してきたものを見て、心臓が凍りつく。
何度も見てきた、黒いオーラ。 何でダークポケモンなんかに・・・考えるけど、答えは1個しか思い浮かばない。
「バックレー市長! あなたホウオウに何をしたの!?」
「見ての通りですよ。 オトリを使って捕獲し、ダークポケモンへと改造しました。
過去にあった戦いを繰り返せばまた・・・セレビィは現れるでしょうからな。 これも1つのオトリですよ。」
暴れだしそうになるイザヨイを押さえ、聞いたことを頭で整理する。
目的がセレビィ? ホウオウはそのためのオトリ? ユートピア・・・私たちの世界を求めてる?
やっぱり、わからない・・・!
「何で・・・何でそれだけのために、こんな酷いこと出来るの!?
イザヨイもハベもクレスもハンターもツキも・・・みんな苦しんでた!!」
今目の前にいるホウオウやバンギラスだって、ここに来るまで倒してきたポケモンたちだって・・・
凍えそうになる心を隠したくて首筋のチョーカーを握り締めていると、攻撃に向かおうとしていたハベが突然、凍り付いて倒れていく。
「何で? あなたには理解出来ないのでしょうな・・・このオーレの厳しさは。
取り尽くされた鉱山以外、何も残っていないのですよ、ここには。 他人から奪い、壊し、そうした犠牲なしには、生き延びることすら出来ない。」
・・・『ふぶき』、だ。 バンギラスが1歩動くごとに感じる地揺れに、恐怖からか足が動かなくなってくる。
オーレの気候が厳しいことには気付いてた。 けど、だからって・・・
『んなの、お前の偏見と思い込みだ! お前のいたフェナスみたいに、欲しい分は自分で生み出せばいいだろ!
あるもの全部を使いつぶそうとするからどんどんおかしくなってくんだよ、人の手って奪ったり壊したりするだけじゃなく、与えたり作ったりも出来るんだぞ!!』
至近距離で『あやしいひかり』を放ちながらそう叫んだニュウが、『かみなり』に打たれて倒れていく。
アンダーにいた子たちの顔が浮かんだ。 あんなに荒廃した世界にいながら、親に見捨てられたと言いながら、あの子たちは明るかった。
私を抱えてたイザヨイがまぶしそうに目を細める。
ホウオウから吐き出された炎を『かえんほうしゃ』で押し返すハンターに、小さく、友達に話しかけるような口調で言葉を出した。
『ハンタ、それいらない。』
何のことだか解らずに一瞬目を点にした私たちをよそに、イザヨイは私の側から離れてバンギラスの方へと歩き出した。
慌てて代わりにハンターが私のことを抱きかかえ、バンギラスとホウオウ、2匹のダークポケモンを睨みつける。
『イザヨイ・・・?』
『わかんない?』
自分が出した『にほんばれ』の向こうにある夜空を見つめながら、イザヨイは少しだけうなった。
『じゃあヒント! イザはミライが好きです。 レオもミライが好きです。 フルもニュウもクレもハベもハンタも、みんなミライが大好きです!』
みんなが押しつぶされそうなほどのプレッシャーを感じているのにも関わらず1人笑うと、イザヨイは黒いオーラを纏っているバンギラスへと向かって走り出した。
繰り出された『いわなだれ』を避けるとコロシアムに盛られた土の中へと潜り、真下からバンギラスを突き上げる。
再び打ち放たれた『いわなだれ』に押しつぶされながらも、イザヨイは睨むようにこちらへと振り向き、大きな、高い声で叫んだ。
『ハンタ!!』
気がついたようにハンターは私の肩を離すと、大きな2枚の翼で飛び出してバンギラスへと『りゅうのいぶき』を放った。
大きな体が、倒れていく。 バンギラスももう体力の限界だったんだ。
振り向きざまに小さな炎を吐くと、ハンターはそれと一緒に何かを訴えるような目でホウオウへと向かって声を上げる。
『お願い、思い出して!!』
炎が上がり、ハンターの体が小さなボールへと吸い込まれた。
力尽きた『にほんばれ』の光が消え、辺り一面、闇に包まれる。
いつの間にか、守るものが何もなくなっていた。 月明かりに照らされてキラキラ光るホウオウを見上げていると、市長さんの笑い声だけが、闇の中に響いてくる。
「ずいぶんと手間はかかったが・・・これで邪魔者は全て消えたな。
ホウオウ、そのお嬢さんが苦しまないよう、一撃で殺しておやりなさい。」
・・・また、独りぼっち。 孤独で、哀しくて。 まとわりついてくる黒いオーラに、飲み込まれていきそう。
あの日も、喉が渇いていた。 助けてもらいたかったのに、かすれた声しか出なかった。
「市長さん・・・レオは・・・レオは、どこなの・・・?」
「市長ではない。 本物のバックレーは、とうに死んでいる。
私の本当の名はワルダック。 あぁ、この名を人に教えるのも何年ぶりか・・・」
初めて、人の笑う姿に嫌悪感を覚えた。
すごく・・・悲しい。 溢れてくる気持ちに顔をゆがめてると、かすかな煙の香に乗せて市長さん・・・違う、ワルダックは言葉を発してくる。
「興味ない・・・か? 質問の答えにもなっていなかったからね。
「レオはどこか?」・・・か。」
喉元で笑いを漏らすと、低い声が耳を突いた。
「彼は死んだよ。」
「・・・ウソ・・・」
ホウオウから放たれていた黒いオーラが、全身を埋め尽くしていく。
そう、ウソだよミレイ。 だって、目の前にいるの、シャドーの人間なんだよ?
「自分の体についている血が誰のものか気付いていないわけではないだろう?
彼もキミ同様、抵抗したおかげでね・・・ずいぶんと損害を出してしまった・・・」
「・・・ウ、ウソ! そんなの信じない!! だってレオは強くて、優しくて・・・!」
自分がどれだけ怪我をしても、私のことを守ってくれた。
泣いてるときだって、困った顔しながらずっとそばにいてくれて・・・
「このオーレのことが好きで、いろんなこと知りたがってて・・・」
カントーやホウエンのことを知ってもらおうと描いた絵を、何度も見つめてた。
あの時からだよ、レオの目がどんどん優しくなってったのは・・・
「私が危ないとこを助けてくれた・・・王子様なんだもん・・・」
こぼれてきた気持ちが頬を伝って、薄っぺらな地面に吸い込まれていった。
オーラに包まれて、何も見えない。
闇の向こうからワルダックの、笑いの混じった声だけが響いてくる。
「殺せ。」
私、死ぬの? 顔を上げるとわずかに切れた黒いオーラの隙間から、丸く光る月と、その光を浴びるホウオウの顔が見えた。
キレイだな・・・ てんで見当違いのことばっかり考えてると周りを包み込んでいたオーラが動き、また、頬をなでられる。
不意に、闇が笑った気がした。
さぁ、早く。 低い声が聞こえても、今度は怖くない。
少しずつ、心の闇が晴れていく。 私・・・生きてる。
「・・・何をしている、殺せ!!」
『うるさい!!』
「レオ止めて!!」
ワルダックの真横で上がった炎と、咄嗟に自分の口から出た言葉とに驚いて時間が止まった。
見上げても、やっぱりホウオウしかいない。 けど・・・今、思ったんだ。
「・・・レオ?」
ホウオウの周りを囲っていたオーラが、その言葉に反応して少しだけ弱くなった。
そこに・・・いるの? 助けを待ってるの? だとしたら・・・また遅れちゃったね、本当にゴメン。
「レオ、今日は満月だよ。」
霧が晴れるように、少しずつ黒いオーラが消えていく。
「・・・きれいだね。」
なんでかなぁ・・・涙、止まんないよ。 許して、レオ。
好きなんだよね、月。 ニュウから聞いたとき、チョーカーくれたレオの気持ち分かって、嬉しかったんだよ?
イザヨイは未来が好きです。 フルもニュウもハベもクレスもハンターも未来が大好きです。
「ミレイは・・・レオが好きです。」
『・・・ミ・・・・・・レ・・・イ・・・?』
かすかに響いてきた言葉に、嬉しさといとしさで大きくうなずいた。
ここにいるよ。 何度も心の中で繰り返す言葉が、喉の辺りで詰まって出てこられない。
小さな嗚咽を1つ鳴らすと、暖かい手が、頬の涙を拭い取った。
『・・・また、泣いてる。』
「ゴ、ゴメン、ホント昔から泣き虫で・・・」
レオだ・・・レオの声だ。 少し呆れたようなその声も、今は嬉しかった。
少しは泣き止めるかな、頑張ってもう片方の頬を自分で拭おうとしたとき、ワルダックの舌打ちが聞こえ、あの紫色のモンスターボールがホウオウへと向けられる。
「戻れ、ホウオ・・・!」
声を荒げるワルダックの手からモンスターボールが弾け飛び、地面へと着く前に粉々に砕け散った。
驚いて顔を上げた視線の先に、コロシアムの観客席から睨むように構えるエーフィの姿がある。
フル・・・? 不思議に思う間もなく大きな鳥が降り立つような音が聞こえ、大きな背中に私は守られていた。
いつもの光景。 ずっと私、この背中に守られてきたんだ。
「OK,Full! Pass the "snatch machine"!」
観客席から飛んできたスナッチマシンを手早く左腕に巻きつけると、レオはフルから受け渡されたボールをセットし、ホウオウへと向き直る。
「下がれ、ミレイ。」
モンスターボールにエネルギーが蓄積される高い音が響く。
力強い光を放ったボールはすくい上げるようにして投げられたレオの手を離れ、未だ黒いオーラを放っていたホウオウの体へと接触した。
吸い込まれていく。 大きなチカラが、大きな心の中に。
地面に転がったボールの揺れが収まりきらないまま、レオはワルダックの方へ向くと、今までに見たこともないくらい眉根を寄せて口を開く。
「渡さない、誰も。 どんな世界でも。」
倒れていたと思っていたニュウが起き上がり、ワルダックへと向かってうなりを上げる。
一瞬、ワルダックはたじろいだ。 だけどすぐにあの嫌な笑い方をすると、背中から何かを取り出して勝ち誇ったような笑みを向ける。
「・・・確かに、あなたたちを捕まえておくのは難しいようですね。 しかし、セレビィならどうです?
セレビィを近づけるとダーク化が解けてしまうため、今までは使えなかった。 しかし、この時の笛とマスターボールさえあれば・・・!」
『レオ!』
「もう遅いわ!」
レオが走り出すのよりも先に、ワルダックは取り出した薄緑色の管に思い切り息を吹き入れる。
背筋に寒気が走る。 セレビィまでダークポケモンにされちゃったら、どうなるの?
だけど、そんな心配とは裏腹に、息を吹き入れられた笛からはぴぃという音ひとつ鳴らず、私たちが見ている目の前でそれはただの土くれへと変化していった。
ワルダックが今まで見た人たちの中では1番驚いた顔をしているのが、妙に面白おかしく目に映る。
どゆこと? 止まっちゃった頭で目の前でワタワタしてるワルダックを見ていると、不意に彼の背中から淡い光が漏れ、小さな子供がワルダックの体を叩いた。
「な・・・!?」
声を上げる間もなく、振り向いたワルダックが緑色の光に包まれて消えていく。
あまりに突然のことに呆然としている私たちへと振り返ると、小さな子供は、覚えのある青い瞳で微笑みかけてきた。
「ワルダックをどうした?」
『望みどおり、ホウエンへ送ったよ。 いつの時代かは知らないけどね。』
レオの質問に黒くて長いまつげを瞬かせると、彼は澄んだ声で返答する。
そうだ、覚えてる。 こっちに来た日、初めてパイラで会った子。 コロシアムで、不思議そうな顔をして私のことを見てた子。
人の声じゃない。 こんなに頭の中に響いてくる声、聞いたことない。
「・・・セレビィ?」
尋ねると、彼はゆっくりとうなずく。
地面に転がったままのホウオウのモンスターボールを拾い上げると、優しそうな手つきでそれを抱きしめて、レオへと手渡した。
ボールの隙間から漏れていた黒いオーラが、今は消えている。 ホウオウ・・・思い出したんだね、楽しかった頃の記憶、優しい思い出。
薄い皮1枚の封印がされたそれをレオが大事そうに胸元に抱くと、セレビィは小さな手を振って、来たときと同じ緑色の光に包まれて消えていった。
レオは少し、ばつの悪そうな顔をして振り返る。
そのまま目の前が暗くなったのは、彼がずっと動けずにいた私の体を強く抱きしめてきたからだ。
「愛してる・・・!」
ストレートな感情表現に、顔が熱くなってくのを感じた。
あったかい。 やっと辿りついた、ずっと探してた『ここ』に。
「うん、大好き・・・」
積み重なって溢れていきそうな言葉のてっぺんからひとつだけ選んで伝えると、唐突に2つの視線に気付き、慌ててレオの元から離れる。
クスクスという笑い声。 ニュウ・・・それにフルまで一緒になって・・・! 絶対面白がってるでしょ、あんたたち・・・!
「見世物じゃなーい!!」
『やー、いいよ、気にしないで続けて続けて! やっぱアイだね、アイ!』
「ニュウッ!!」
追いかけていこうとすると、後ろから手を掴まれて足が止まった。
振り返ると、少し心配そうに見てるレオと目が合った。 変わったね、レオ。 会ったときのクールなのも格好良かったけど、やっぱり今の方がいいな。
「服に血がついてる。」
「え? あ、これ私のじゃないよ、さっきあっちで転んだの。」
ホント、ずっと守られっぱなし。 呆れるくらい非力で、泣き虫で、どうしようもない私。
怪我したのは私じゃなくて、レオと、ポケモンたちの方だもん。
「回復しに行こっか!」
むき出しの額を合わせて笑うと、少しだけ驚いた顔の後、レオの瞳が微笑んだ。
レオはどっか怪我してる? 左腕の傷、大丈夫? 少しくらいなら荷物持てるから、無理しないでね。
言いたいことが止めどなく溢れてきて、そのひとつひとつにちゃんと返事が返ってきて、それだけのことがどうしようもなく嬉しくって。
またフルとニュウが笑ってたけど、もう気にするもんか。
だって、繋いだ手がこんなにも、あったかい。
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