彼女が指差した月は、その細い爪先1つ分だけ欠けていた。
「あれが、
昔の人は失われてくものも、キレイって・・・きっとそう思ってたんだね。」
夜通し話しても聞きたいことは尽きず、一晩寝て、起きた時、太陽の位置を確認したら既に空の天辺を通り過ぎてしまっていた。
おかげで旅支度に手間取ってしまい焦る俺を見てミレイはまた笑っていた。
だが、時間が経つごとにその笑顔が悲しく見えてくるのはなぜだろう。
いや、悲しいのはきっと俺の方だ。 全てと通じ合っていたミレイの言葉が、時折だが理解できなくなっている。
彼女に与えられたチカラは、永遠のものではない。
だからこそ話しておきたいことがあって、俺はアゲトへと向かう途中、今はもう枯れ果てたオアシスでバイクを止めた。
それは今まで通ってきた中で一番古い記憶にある場所で、なぜか、その場所にいる自分が理由もなく哀しい。
何度もつけた足跡も、風に吹き散らされて消えていた。
いつか地球の底まで行けるかとニュウが掘った穴も、今はもうない。
枯渇した泉を覗き込むミレイの後ろを守りながら、ひとつ、話すのはとても勇気のいることだった。
「・・・ヘルゴンザに拾われるまで、ここで暮らしてた。」
少し驚いたような目をした後、彼女の表情は優しくなる。
きっとフルかニュウのどちらかから聞いていたのだろう、あまり驚いていない。 いや、それが彼女の優しさなのかもしれない。
「寂しくなかった?」
「フルがずっといたし、ニュウが来てから退屈することもなかった。
あの頃は笑ってた。 人間らしいポケモンだったんだ、ニュウは。」
地面をかきながら、ニュウは舌打ちする。
そのニュウにも、ずっと伝えていなかった。 言ったら、きっと止められていたのだろう。 そうしたら・・・ここまで大きな問題には、なっていなかったのかもしれない。
「ミレイ。」
「ん〜?」
「もう1回言ってくれ。」
「何を?」
「俺のこと、好きだって。」
軽く眉を上げると、ミレイはすぐ側まで寄ってきて目を見つめてくる。
好きになるという感覚は、嬉しいけど、苦しい。 自分が、壊れていきそうなんだ。
「好きだよ、レオ。 ミレイはレオのことが1番好き。」
もう充分。 大丈夫、言える。
「・・・俺が、人間じゃなくても?」
俺の目を見つめたまま、ミレイの目が少し見開く。
それでも、やはりミレイはミレイだと思ったのは彼女が1歩も引かずに放ってきた次の言葉。
「どういうことかによるかな。 1つの言葉でも、いろんな意味があるんだよ。」
話せって言ってる。 俺に人を傷つける意思がなければ、想いが変わらないとも、取れる。
負けだ。 体中のチカラが抜け、その場にしゃがみ込む。
使う必要もなくなったスナッチマシンのスイッチを切ったら、もう喋るしかなくなっていた。
「・・・ミレイが止めてくれなかったら、オーレ地方を・・・壊す気でいたんだ。
元々ホウオウはそのつもりだった。 けど、昔いた『誰か』との記憶がそれをためらわせていた。
だから俺が生まれたんだ、ヒトの世界を人間の目から見るために。 このオーレが、残しておくに相応しい世界なのか・・・確かめるために。」
ニュウが驚いているのが気配でわかる。
顔を上げられずにいる俺を細い腕で囲むと、ミレイは先を促す。
「大地は死に、人も・・・みんな希望なく暮らしてた。
空だけが綺麗だった。 そう思ってた、ニュウが来るまで。」
奇妙なくらい、静かだ。
風の音も聞こえない。 なぜだろう・・・とても眠い。
「ニュウが来てから、少し変わった。 ニュウはいろんなものに名前をつけて、何もしていなかった俺に遊ぶことを教えてくれた。
退屈することがなくなって、少し・・・自分の使命のこととか、忘れていた。
だけど、やっぱり信じられるのはフルとニュウだけで・・・そうだあの日、ミレイに会わなければ、ホウオウは俺に決断を下させるつもりでいたんだ。」
砂嵐の中で見た虹を思い出した。
あの日生まれた理由のつかない感情は、誰に与えられたものなのだろう。
些細な気まぐれに動かさなければ、俺もミレイもここにはいなかった。
細い指が首筋に触れる。 それだけで俺は救われた。
「大丈夫、過去は変わらない。
生きてるよ、みんな。 私も、レオも、フルやニュウ・・・ポケモンたちも、ホウオウも、空も、大地も・・・みんな。」
風の音が耳の奥で響いていた。
いつか、ここにもまた雨は降ってくるのだろうか。 降ってくるとすればきっと、それは彼女の涙にも似て、この場所に優しさをもたらすのだろう。
そうしたらいつか、この場所は生き返っていくのだろうか?
「ミレイ・・・今でも俺のこと好きか?」
「好きだよ。」
「お前が愛した男は人間ですらなくて、世界を滅ぼそうとしていたんだぞ?」
顔を上げた瞬間、ミレイが全てを悟っていることに気付いた。
苦しくなったんだ。 優しさに触れて。
何も言えなくなった俺に微笑みかけると、震える肩に触れ、ミレイはなだめるように言葉を渡してくる。
「だって、私のことを命がけで守ってくれたレオには変わりないもの。
それにね? 私どうしてもレオが本気でオーレを滅ぼそうとしてたようには思えないの。
レオ、出かける前ローガンおじいちゃんに話したでしょ? 止められるかもしれないのに、そんなこと話すわけないじゃない。」
「あ・・・」
「止めてほしかったんだよね、最初から。」
・・・ミレイの言う通りだ。 彼女に会った時から、俺は矛盾ばかりの行動を取っていた。
やることがなかった訳じゃない。 するべきことは生まれた時から・・・決まっていたはずなのに。
「レオはこれから、もっとたくさんの人を好きになるよ!
そしたら、その人たちが住む世界のこと・・・嫌ったり、壊したり出来るわけない。」
そう・・・だな。 きっと、その通りだ。
鳥の羽音が近づいてくる。
泣きそうな顔をこらえて笑いかけてくるミレイに軽く口付けると、少し、安心出来た。
「ミレイ。」
「ん?」
言ったら、泣くかな。 でも言わないと。
「アゲトに着いたら、さよならだ。」
思ったとおり、目を見開いた彼女の表情は凍り付いていった。
気付いてはいたのだろう、また・・・泣きそうだ。
「やだ・・・やだ!」
「このままミレイがいると、オーレは正常な状態に戻れない。」
解っているんだろう? 本来送られてくるはずのない人間がいることで、この場所全体が次元のゆがみにはまっているということ。
元々セレビィによって封鎖された場所だった。 だから最初に落ちてきたときも、この場所に辿り着くことが出来た。
だけどもう、オーレは変わらなくてはならない。
「オーレだけじゃない、ミレイの世界にも・・・異常が起きてるはずだ。
人間がいなくなるというリスクは、思っている以上に大きい。 ミレイは・・・自分の世界に帰る必要があるんだ。」
大きな風とともに、ホウオウが降りてくる。
納得しきっていない様子のミレイの前に緑色のそれを置くと、大きなくちばしを彼女の体に寄せた。
『昔セレビィが私の子供をさらっていったとき、代わりにと置いていったものです。
あの時私は我が子を失った悲しみからチカラを制御出来ず、次から次へと新しいものを生み出しては・・・壊していきました。
残ったのはレオと・・・そこにいるエーフィだけ・・・』
ミレイは驚いた顔をしてフルのことを見る。
何かを言っていたが、俺にはもう聞き取ることが出来なかった。
『ミレイ、自分の世界に帰るのでしょう?
もし向こうで私の子供に出会ったら、母は元気にしていると・・・伝えてくれませんか? もう、淋しがらないでと。』
「それでいいの? だって、もうずっと会ってないんでしょ!?」
言いたいことはわかる。
きっとミレイの『カワイソウ』の基準に合わせてたら、どこでも争いなど起こらないのだろう。
けど、それじゃ世界は回らない。
「ミレイ・・・お前、こっちに戻ってくるとき自分の周りにいる人たち、置き去りにしてきただろう?」
・・・だから、涙の跡も乾ききらないうちに俺のもとへと辿りついて。
それは俺たちを救ったけど、ミレイと同じだけ涙を流した人たちがミレイの世界にいるはずなんだ。
何より、ミレイは優しいから。
「ミレイにはミレイの世界がある。」
ホウオウや俺たちにこのオーレがあるように。 俺たちがセレビィを使ってミレイの世界に行かれないように。
「それを壊しちゃいけない。」
出来るなら、ずっと一緒にいたいのは同じだ。 だけど、ミレイには帰りを待っている人がいる。
それを放っておくなら、ミレイはいずれワルダックと同じことになってしまうんだ。
そうなって欲しくはない。
「だから、さよならだ。」
分かってる、泣くんだろう? 結局俺は、泣かないようにする方法も、泣き止ませる方法も分からないままだ。
だから、待ってる。 ミレイが泣くのに疲れて、飽きて、また笑い出すまで待ってる。
時間はかかるかもしれない。 でもミレイは出来るはずだ。
ミレイの背にキスしたホウオウが、大きな羽を広げ飛び去っていく。
その背中を見送っているうちに、ゆっくりと、彼女の嗚咽は止まっていった。
水に濡らしたタオルで彼女の頬を拭くと、ポケモンたちをモンスターボールへと戻してバイクにまたがる。
出発の時間だ。
アゲトに近づくと、村の入り口でローガンとセツマが待っていた。
そう遠くないところにバイクを止めると、駆け寄ってきてセツマがミレイを抱きしめる。
向こうの言葉で何か二言三言話し、こちらへと向かって頭を下げてくる。
「ミレイの世界で、感謝の気持ちを表す動作なんじゃよ。」
そう説明したローガンに簡単に挨拶をし、アゲトの中へと入っていくと、ほんの少しだが、村の様子が変わっている気がした。
暑さと寒さが、それぞれ少しずつ柔らかくなっている。
追いかけてきたミレイの手を引いて、少しずつ変わっていくアゲトビレッジの様子を確認しながら時の祠へと進んでいく。
以前来たときより、草が伸びている。
通り過ぎた花を振り返ると、ミレイの目が「帰りたくない」と訴えていた。
「ミレイ、お前が言ったとおりだな。 まだ大地が生きている。」
「・・・?」
もう言葉が伝わっていないのだろう、怪訝な顔をした彼女を抱えると一気に坂を駆け下り、祠へと続く洞窟に飛び込む。
湿った地面に彼女を立たせると、泣きそうな顔に強く口付けた。
ミレイがいなくなったら俺は泣くのだろうか?
わからない。 でもきっと、とても孤独で、淋しい思いをすることになるんだろう。
「さよなら、ミレイ。」
「7q@・・・ノー、ノー!」
腕を引かれながら、ミレイは何度も首を振ってその言葉を否定していた。
「解ってはいるんだろう? 自分が最初にここに来た経緯。」
「ノー!」
「ミレイは優しいから、ミレイの世界はすぐにお前を受け入れてくれるさ。」
「ノー!」
「そんな優しい世界に、ミレイは帰りたくないと思っている。」
「ノー!」
振り返って苦笑すると、ミレイははめられたことに気付いたようで、何度も首を横に振った。
それじゃ、この世界では否定にはならない。 ルールの中で生きられなければ、受け入れることは出来ないんだ。
「イザヨイは連れて行け。 ミレイのポケモンだ。」
ぐずる彼女に赤と白の球体を渡すと、時の祠へと向かって小さな笛を鳴らす。
以前と変わらない緑色の光を放ちながらやってくると、セレビィはなだめるようにしながら彼女の手を引いて、再び光の中へと消えていった。
俺は、泣いているのだろうか?
頬を押さえると、少しだけ濡れていた。
大丈夫、この程度ならすぐに収まるだろう。 引き返そうとすると、追いかけてきたローガンとセツマに鉢合わせる。
「まったく君は・・・孫の見送りもさせてくれんのかね?」
「そこまで気は回らなかった。」
ポケモンたちを呼び出しながら、来たときと変わらない柔らかな冷たさの洞窟を歩く。
バイクのキーが差しっぱなしだ。 アゲトでは考えにくいとは思うが、盗まれても困る。
「ここに来る途中、花が咲いていたな。」
セツマが小さくうなずくのが、気配でわかる。
「大地は・・・オーレは、まだ生きている。 オーレにいるものたちの手で、蘇らせるんだ。
それが、この世界を滅ぼす代わりに与えられた、お前たちへの罰だと・・・ホウオウから言付かっている。」
ホウオウはどこへ飛び立ったのだろう。 もうバトル山にはいない、どこにいるかも分からない。
出来るはず。 オーレにいるものたちの手で。
ローガンとセツマが何かを言っていたが、それには耳を貸さず俺はポケモンたちのところへと走った。
フルとニュウが、呼んでいる。
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「悪い、待たせたか?」
駆け寄るとニュウは落ち着きなく足を動かした。
『ちーがーう!』
『「待ちきれない」。』
フルがニュウの言葉を補足する。
何も言ってなどいなかったのに、どうしてこう、見透かされるのだろう。 もしかしたら『好き』の中には俺たちが想像し得ない、不思議なチカラが眠っているのかもしれない。
バイクへと走ると、既に他のポケモンたちは旅の準備を終え、俺たちが到着するのを待っていた。
ハンターの側に、見慣れないものが転がっている。 彼女に何度か突かれ転がっているそれを見ているうち、唐突にそれがポケモンなのだということに気付く。
種類が判らなかった。 近寄ってみるが、全く動かない。 息もしなければ鳴き声ひとつ上げることもない。 でも、生きている。
クレセントは砂から何かを拾い上げると、こっちへと持ってきた。
青と白・・・スーパーボールの破片だ。
理解する。 このポケモンにもトレーナーがいて、何かの理由でこちらへと飛ばされてきてしまったのだろう。
「同じ行き先か?」
ハンターに服を何度も引かれながらハーベストに尋ねると、彼女はうなずいた。
丁度メンバーに穴が空いたところだ。 ついでに送っていくのもいいかもしれない。
サイドカーに積んだ段ボールの中から落ちていたのとよく似たスーパーボールを取り出し、転がっていたポケモンへと向かって投げる。
すんなりとボールに収まったポケモンをホルダーへと付けると、旅の間、ずっと連れ添ってきた同胞たちへと向かって笑いかけた。
「帰ろう。」
5匹は一斉にうなずき、サイドカーへと乗り込んだ。 荷物の中からポケモン★デジタルアシスタントを取り出し、スタンドのマスターへとメールを打つ。
文面はもう決まっている。
心に書き留めるノートと同じだ。 3行あればいい。
To Master who is in the Phenac suburbs.
I want you to teach course to Kanto.
From Reo.
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