1番道路の空を覆うように、桜が舞っていた。
花冠から落ち、ゆらゆらと木々の根元へ降りていく花びらを風がさらっていく。 いたずらに廻ってゆく風を追いかけるように、少年の声が響いていた。
「トウコちゃん……トウコちゃん!! ちょっと待ってよぉ!!」
長いポニーテールをなびかせながら『トウコチャン』は声の方へと視線を向ける。
まつげの長い、勿忘草の色をした瞳には、体に対して大きな荷物を抱え息を切らせながらついてくる、12、3の若い男の子が映っていた。
伸び始めた淡い緑の草の間からは、人のひざほどのポケモンが顔を出し、すっかり乱れてしまった毛並みを整える。
未だのろのろとついてくる連れを少し不機嫌そうに見ると、トウコチャンは彼の方へと近づき、小さく細い手でその尻を思い切り叩いた。
「痛いよ、トウコちゃん……」
「だから荷物詰めすぎだって言ったんだよ、トウヤ!
 日が暮れるまでに次の街に着けなかったら今日オマエ飯抜きだからな!」
「そんなぁ……」
早くも罰を受けたような声を出すトウヤを見てトウコの足元にいるポケモンがイシシッ、と笑い声を上げる。
まるで人の不幸を喜ぶように黒い尻尾を振り回すポケモンを見て、トウヤは悔しそうにため息をついた。

「トウコちゃんはいいよ、アララギ博士からポケモンをもらう前からトレーナーだからさぁ。
 ボクなんて、今日旅始めたばっかりだし。 ミジュマルだってまだ1レベルも上がってないしさぁ……」
眉尻を下げるトウヤの視線の先で、青い生き物がおなかに引っかかった貝のようなものの角度を神経質に直していた。
後ろ向きにぶつぶつと呟くトウヤを優しい顔で見ると、トウコは彼の胸倉を掴み自分の方へと引き寄せる。
「だから、アタシが鍛えてやるって言ってんだろ?
 オマエ……夏になっても負け続けだったらヤナカンジーの刑だからな?」
「あぅ、ヤメテクダサイお姉さま……」
手をパタパタと振り抵抗すると、トウコは手を離し、自分の背中越しに草むらを睨み付けた。
草むらが小さく揺れ、前歯のとがった茶色いポケモンが姿を現す。
トウコの目が怪しく光り、トウヤのエリを掴む。 そのまま投げ出され、自分の前に転げ現れた人間に茶色いポケモンの尻尾がピンと立ち上がった。
「よっしゃあ、ミネズミ発見!
 捕獲してポケモン図鑑の足しにしてやれ、トウヤ!!」
「ちょちょっ……! そんな急に……無茶だよぉ、トウコちゃん!!」



 そんな悲鳴を上げるのは、今日カノコタウンを出発したばかりの新米トレーナー、トウヤ。
 見ての通り子犬系で、あまり旅をするのに向いている性格とは言えない。
 パートナーはミジュマル。 ヒレのような尻尾と後ろ足を持つ水タイプのポケモンで、いつもおなかに装備している貝がらのような武器、ホタチを使って攻撃するのだが……

「じゅま?」
「……あ、またホタチ落とした。」

 この通り、かなりのうっかりやである。
 そんな2人を頭を抱えて見ているのが、トウヤの姉、トウコ。
 トウヤよりも年上の彼女はいち早くトレーナーの仲間入りをし、つい先日ふらっと帰ってきたかと思えばアララギ博士から図鑑の完成を頼まれたトウヤについていくと、一方的に宣言して本当についてきてしまった。
 男勝りで勝気で強気。 ついでに掴めない性格は彼女のパートナーのゾロアにも受け継がれていた。



太陽も西に傾きコロモリも飛び始める頃、アララギ博士はオレンジ色の光の中をよろよろと歩いてくるトレーナーの姿を見つけると、もうほとんど残っていないコーヒーを飲み干して立ち上がった。
慣れない旅にすっかりへばっているトウヤの姿を見てあらら、と、苦笑いし彼のもとへと向かう。
「遅かったじゃない、チェレンとベルはもう自分の部屋を取って休んでるわよ。」
「す、スミマセン……」
「あらら、謝らせるつもりで言ったんじゃないのよ。
 ただ、夜になれば獰猛なポケモンが出てくることもあるから、慣れないうちは早めに宿を取っておいたほうがいいわね。」
「は〜い……」
あまり軽くはない足取りで建物の中へと進むミジュマルは、階段の上から駆け下りてきたポケモンとぶつかりホタチを落とした。
慌ててトウヤが抱え上げると、こけたミジュマルの前で見覚えのあるポケモンが「ぷきっ」と鼻声を上げている。
そのトレーナーにも覚えがあった。 今まさに見知った顔を見つけ、きゃあきゃあ騒ぎながら階段を駆け下りてくる緑の帽子の少女、ベルだ。
「あー、やっぱりミジュマルにトウヤ! チェレンチェレンッ、みんなそろったよぉ!!」
「そんなに大声出さなくたって聞こえるよ、ベル……」
メガネの奥で目を細めると、チェレンは階下にいるトウヤとミジュマルが無事に着いているのを確認し、少し息を吐く。


チェレンも、ベルも、トウヤとは幼馴染で、共にカノコタウンから旅立った新米トレーナーだ。
年の分だけ高い背で見下ろすと、チェレンはトウヤの連れているミジュマルの頭をなで、ポケモンセンターの奥へと彼を導いた。
「……あんまり遅いから、何かあったんじゃないかと心配したよ。」
眉を潜めるチェレンにヘラヘラと笑いながらトウヤは、
「ゴメンゴメン、思ったより修行が厳しくってさぁ……」
「……修行? タブンネとでも戦ってたのか?」
「あのねトウヤッ、チェレンってばすごいんだよぉ! なんとあのタブンネを捕まえちゃったの!!」
チェレンを突き飛ばすようにベルは2人の話に割り込んできて、小さな手帳のような機械を突きつける。
ポケモン図鑑……トウヤたちが旅に出た理由でもある、出会ったり捕まえたポケモンの情報が記録されるハイテクツールだ。
小さな液晶の画面には、今、若いトレーナーたちの間で噂されているポケモン、タブンネの名前がばっちりと書いてあった。
ちなみにどんな噂かといえば、実力不足のトレーナーの前にふらりと現れ、そのポケモンが精根尽き果てるまで鍛錬に付き合った後、謎の光線で回復して去っていくという、どこまで信じればいいかよく分からない噂である。
「……よせよ、その1匹でモンスターボール全部使い切ったんだから。」
画面には、トウヤが思っていたよりも可愛らしいピンク色のポケモンの姿が映っていた。
ベルは自分のポーチから別のポケモン図鑑を取り出した。 どうやら先ほど見せた図鑑はチェレンから奪い取ったものだったらしい。
「あたしはヨーテリー捕まえたよ! トウヤは?」
「ボ、ボクは、ミネズミ……」
「すごいすごい、トウヤもあたしの知らないポケモン捕まえたんだ!
 それじゃ、ポケモン図鑑勝負はみんな2匹ずつで引き分けだねっ!」

「あらら、そんな勝負してたなんて博士全然知らなかったわ。
 向上心溢れる若者っていいわねぇ。」
ちょっとだけ離れたところから様子を見ていたアララギ博士はそれぞれから図鑑を受け取り、中を確認する。 まだ数は少ないが、3人とも違う旅の軌跡がそこには刻まれていた。
「……アララギ博士、そろそろトウヤにもポケモンセンターの説明をお願いします。」
「あらら、そうだったわね。
 えー、今日みんなに目指してもらったのがこのポケモンセンター。 ポケモントレーナーには欠かすことの出来ない重要な施設です。
 ポケモンバトルで傷ついたポケモンは基本的にこのポケモンセンターで治療します。
 トウヤ、長旅でミジュマルも疲れたでしょう? そこの受付に預けてきなさいな。」
「は、はい!」
疲れと眠気も手伝ってナースになすがままにされているミジュマルを見送り、トウヤはチェレンとベル、アララギ博士のところへと戻る。

「それじゃあ、説明を続けるわね。 みんな想像はついていると思うけど、ポケモンセンターはトレーナーの宿泊施設でもあります。
 チェックインするには旅立つときに渡したトレーナーカードを入り口のパソコンに通し、空き部屋を選択。 トレーナーカードがそのまま部屋のカードキーになります。」
「トウヤ。」
「あっ、うん……」
ガラスから差し込む西日に顔をしかめつつ真新しいトレーナーカードを機械に差し込むと、小さなスピーカーから音が流れ、沈黙していた画面が点灯する。
すぐに入室状況の画面が出ると思っていたトウヤは、人の顔と名前ばかりが並ぶメニュー画面に戸惑った。
様子に気付いたアララギ博士がさ迷っていた指を取り、モニターに映るトウヤの写真を2度ほどクリックすると、頭の痛くなりそうな3Dの後にここ、カラクサタウンポケモンセンターの見取り図が表示される。
「『自分』の項目を0.5秒以内に2回タッチで、今いるポケモンセンターの宿泊画面。
 普通にタッチすれば上から2番目のメニューで自分のパソコンの呼び出しと今いる場所以外のポケモンセンターの予約も出来るよ。」
「そうそう! チェレンは本当に勉強してきているわね。
 ちなみに最初の画面で他の人のカードを選ぶと、その人のパソコンにつなぐことが出来るのよ。」
「あのお……アララギ博士? ずっと気になってるんですけど、この『だれかのパソコン』って誰のパソコンなんですか?」
「ベル、すっごくいい質問よ!
 『だれかのパソコン』からは、ポケモンの通信預かりシステムに繋ぐことが出来るの。 『だれか』はそのシステムを作った人のことね。
 見てて気付いたかもしれないけど、このパソコンからは1度トレーナーカードに登録した人としか通信出来ないようになっているの。
 だから、あなたたちがまだ会っていない通信システムを作った人のパソコンは『だれかのパソコン』になっちゃうってわけ。」
「へぇー!」
普段はあまり聞かないチェレンの感心したようなため息をトウヤは横目で見ていた。
少し勝ち誇ったような顔でアララギ博士は唇に指をあて、そのまま指をチェレンとベルの間に向ける。
「他にも、ポケモントレーナー必須アイテム、モンスターボールや各種きずぐすりもここのショップで売っています。
 チェレン、ベル、さっきからトウヤに色々教えてあげてるけど、あなたたち買い忘れはないかしら?」
「えぇ……まぁ、モンスターボールを切らしたので補充が必要だとは思ってましたけど……」
「あ、あたし、きずぐすり買わなきゃ!」
少し顔を赤くした2人がショップへ駆けて行くのを見送ると、アララギ博士はトウヤの方を見て意地悪そうに笑った。

「さて、これで君たちにトレーナーとしての基礎の基礎は教えたわけだけど……
 ……トウヤ、1つ頼まれてくれないかしら?
 隣町のサンヨウシティにいる発明家のマコモに、この手紙を届けてほしいのよ。」
「え、伝えたいことがあるならパソコンを使えばいいんじゃ……?」
薄桃色の封筒を受け取りつつ首をかしげるトウヤに、博士は駄賃代わりのモンスターボールを軽く押し付ける。
「外部に漏らしたくない大事な話なの。 間違いなくマコモのところまで届けてちょうだいね?」
トウヤは腑に落ちない感情を口にしようとするが、その行動は買い物から帰ってきたチェレンとベルにさえぎられてしまった。
仲良さげな3人に微笑むと、アララギ博士は1歩下がって本人曰く『改まったポーズ』で彼らへと向き直る。
「それでは! 私はカノコタウンに戻ります。
 君たちの旅が、実り多いものでありますように!」



夕焼けの1番道路に手を振りながら消えていく博士を見送り、トウヤ、チェレン、ベルの3人はポケモンセンターの中へと戻っていった。
博士の前で気を張っていたせいか、全員どっと疲れが出る。
トウコ特製インソールのおかげで足にマメこそ出来なかったが、既にふくらはぎがパンパンだ。
チェレンはちょっとだけずれたメガネを直すと、同じようにへばっている2人に横目を向けた。
「……晩御飯にするか。」
「さんせー。」
「トウヤ、荷物置いてきなよ。 ボクとベルは待っているから。」
「あ! あたし案内するよ、204号室だよね?」
「あ、うん……」
少しだけ面白くなさそうなチェレンを尻目に、トウヤはぴょこぴょこと跳ねるベルに連れられ重い荷物を降ろすため自分の部屋へと向かっていった。
トウコの言うとおり、もっと荷物を少なくすればよかったと思うが、今となっては後の祭り。
疲労で遠い目をしているトウヤを覗き込むと、ベルは耳打ちするような小さい声で彼へと尋ねてきた。
「ねえ、トウコちゃんは?」
「んー……今日は野宿するって。」
「そっかぁ、ポケモントレーナーってたくましいんだねぇ。」
「いや、アレはもう先祖がえり起こしてると思う……」


くしゅん、という大きなくしゃみをして街路樹の根元で丸まっていたゾロアは薄目を開けた。
首をかしげ体を震わせ、歩き出す。
昼とは違うつんとした夜の匂いを歩きながら鼻で感じていると、ゾロアはふと足を止め、手近にあった建物の屋上へと駆け上がった。
なにか大きなものが、足音が、このカラクサタウンへと近づいてきている。
まだ見えぬそれを睨み、ゾロアは小さくうなり声をあげる。
夜風が、黒い毛並みをなびかせていた。


続きを読む
戻る