「あ」
小さな声をあげ、彼は盗られた帽子の行方を目で追った。
黒いポケモンが青年のキャップをくわえたまま、人々の足の間をすり抜けていく。
盗んだ帽子を消防栓の上に置くと、ポケモンは食料品店の外階段を駆け上がり紙袋を抱えた少年にひと鳴きした。
少年がポケモンに笑いかけると、彼の連れらしい眼鏡の少年が少し遠くを指し示す。
2人の視線の先にある人だかりを見て、帽子の青年は少し眉を潜めた。



腕と足に負担をかける大荷物に、トウヤは2つの意味で汗をかいていた。
「ヤバイ、買いすぎた……トウコちゃんに怒られる……」
次の街までどのくらいかかるか分からないからと、次から次へとカートに乗せたのがマズかった。 カートというものは自分の持てる量をはるかに超えてもすいすいと動く。 限界以上に買ってしまう危険が高いのだ。
両手で抱えてやっと……といった重さの紙袋を抱え、背中で扉を押し開ける。
扉の外では、先に買い物を終えていたチェレン、それに買い食いしたがために外で待つことになっていたミジュマルが最後の一口をほおばっているところだった。
「おまたせ。」
あぁ、と小さく返事するとチェレンはバルコニーから少し離れたところを指差した。
目抜き通りの真ん中に人だかりが出来ている。 大きな紙袋を抱えたまま手すりに近寄って目の焦点を合わせていると、スピーカーがハウリングするキィンという音がトウヤの耳を刺した。



『“お初にお目にかかります、カラクサタウンの皆様。
  私の名前はゲーチス……プラズマ団のゲーチスです。
  本日は聡明なる皆々様に、私の話を聞いていただくべく、こうして参上致しました。
  今日皆様にお聞き願いたいのは……ポケモンの解放についてのお話です。”』

「……なんだ、あいつ?」
口をとがらせながら階下から上がってきたトウコに、トウヤはおはよう、と挨拶する。
人だかりの真ん中ではマントを羽織った男が、大きな身振り手振りで饒舌に話を続けていた。
見せて、と言わんばかりにトウコのゾロアによじ登られ、トウヤは肩が外れそうになる。
『“我々人間は、ポケモンとともに暮らしてきました。
  お互いを求め合い、必要としあうパートナー……そう思っておられる方が 多いでしょう。
  ですが……本当にそうなのでしょうか?
  我々人間がそう思いこんでいるだけ……そんな風に考えたことは ありませんか?
  トレーナーはポケモンに好き勝手命令している……仕事のパートナーとしても、こき使っている……
  そんなことはないと、だれがはっきりと言い切れるのでしょうか。”』
トウヤの手から袋が滑り落ち、床に叩きつけられた缶詰が大きな音をあげた。
「トウヤ?」
「おい、トウヤ! まさか真に受けてんじゃねーだろうな!」
小さく震えたまま、トウヤはトウコに肩を引かれ、細かく首を横に振る。
「違う。 違うよ……だけど……」

『“いいですかみなさん!
  ポケモンは 人間とは 異なり、未知の可能性を秘めた生き物なのです。
  我々が学ぶべきところを数多く持つ存在なのです。
  そんなポケモンたちに対し、私たち人間がすべきことはなんでしょうか?”』
声は聞こえなくとも、聴衆の1人が「カイホウ」と口にするのが見えた。
トウコが舌打ちするのと同じタイミングで、ゲーチスと名乗った男がより高らかに声を張り上げる。
『“そうです! ポケモンを解放することです! そうしてこそ人間とポケモンは初めて対等になれるのです!!
  皆さん、ポケモンと正しく付き合うためにどうすべきか、よく考えてください。
  というところで、
  私、ゲーチスの話を終わらせていただきます。”』


『“……ご静聴、感謝いたします。”』


「ン野郎……! ちょっと行ってくる!」
「トウコちゃん!?」
「大丈夫、手荒なことはしない!」
ゾロアと共に階段を駆け下りていったトウコを目で追い、トウヤはざわつく観衆たちに視線を動かした。
よどみのない動きで引き上げていく『プラズマ団』をよそに、人々はそれぞれ自分のポケモンに、モンスターボールに視線を落とし、難しい顔をしている。
「お、おい……トウヤ、どうしたんだ?」
「『真に受けてる』人たちがいるんだ……!」
旅に出たといっても、まだ隣町だ。 ここにいる人がいかにポケモンと共生しているか、トウヤはよく知っている。
悲しい顔をして自分のモンスターボールを握り締めた女性を見て、トウヤは自分も駆け出した……いや、駆け出そうとした。
いつの間に長身の青年が階段の前を塞ぎ、ポケットに方手を突っ込んだままトウヤのことを見下ろしている。
「どいて」と言おうとしたとき、青年の指がトウヤへと向き、澄んだ低い声が鼓膜を揺さぶった。


「キミのポケモン、今話していたよね……」

「……え?」
顔を上げると、腰ほどもある長髪を後ろで束ねた男が、暗い笑い顔でトウヤのことを見ていた。
事態を把握できずにいると、チェレンが前に出て代わりに男のことを睨みつける。
「何なんだ、君は……ポケモンが話しただって? ずいぶんおかしなことを言うね。
 僕たちは急いでるんだ、そこをどいてくれないか?」
「ああ、話しているよ。 そうか、キミたちにも聞こえないのか……かわいそうに。 ボクの名前はN(エヌ)。」
「僕はチェレン、こちらはトウヤ。 頼まれてポケモン図鑑を完成させる旅に出たところ……もっとも僕の最終目標はチャンピオンだけど。」
バルコニーから見下ろすと、悲しい顔をした女性はいなくなっていた。
だが、他にも似たような考えの人はいるはずだ。 それを探そうと階下に視線を這わせると、ふと、視界の端から青いものが零れ落ちた。
「ミジュマルッ!!?」
その正体に気付いた瞬間、トウヤの身体に戦慄が走った。
何かに突き落とされ、ミジュマルは固いアスファルトの上へ叩きつけられる。
とっさにポケモン図鑑を取り出し、トウヤはNの横をすり抜け階段を駆け下りる。
「何をするんだ!!」
「ポケモン図鑑ね……そのために幾多のポケモンをモンスターボールに閉じ込めるんだ。 
 ボクもトレーナーだがいつも疑問でしかたない。
 ポケモンはそれでシアワセなのか……って。」
早口で一気にまくしたて、Nはトウヤと同じ階段を下りてくる。
「ちょっとキミ何言ってんのか分からない!」
「理解出来ないというキミが、ボクには理解できないよ。
 そうだね、トウヤだったか……キミのポケモンの声をもっと聴かせてもらおう!」
Nが黒いキャップ帽を目深にかぶり口笛を吹き鳴らすと、トウヤたちのいたバルコニーから紫色の小さなポケモンが飛び降りてきた。
しなやかな身体をくねらせ、翡翠の色をした目でトウヤの抱えているミジュマルのことを睨む。
みゃあ、と挑発的な鳴き声を耳にすると、ミジュマルの目が開き、トウヤの支えを断り立ち上がった。
ふらふらと、しかししっかり相手のポケモンを見据え、おなかについていたホタチを構える。


「ミジュマル!」
「じゅ……」
「そうだ……もっと! キミのポケモンの声を聴かせてくれ!」 
飛び掛ってきたポケモンの名前をポケモン図鑑は『チョロネコ』と表示した。
ミジュマルよりもはるかに早いスピードで跳びまわり、ミジュマルが振り回すホタチも難なくかわしてしまう。
「早くて攻撃が当たらない!?
 それなら……ミジュマル、昨日覚えた技を使おう! 『みずでっぽう』攻撃!!」
「みじゅ!!」
大きく息を吸い込んで、ミジュマルは技の名前通り『みずでっぽう』をチョロネコに向かって吐き出す。
だが、にやりと笑いチョロネコはぴょんと横に跳ねてその攻撃もかわしてしまう。
「……人間に支配される限り、モンスターボールに閉じ込められる限り、ポケモンは完全な存在になれない。
 抑圧されたままではポケモン本来の力を発揮することも出来ない。
 つまり、キミはボクたちに勝つことも出来ないというわけだ。」
チョロネコの爪が頬をかすり、避けようとした足がもつれてミジュマルは派手に転がった。
見かねてチェレンがバルコニーから駆け下りてくる。
荷物を降ろし、モンスターボールを構えるのが見えたがトウヤは大きく首を横に振ってそれを断った。
「トウヤ、代われ!」
「ダメだ! こいつは……このチョロネコは、ミジュマルが倒さなきゃダメなんだ!」
バランス悪そうに起き上がったミジュマルにホタチを渡すと、トウヤはチョロネコと、そのトレーナーへと向き直った。
「L!」
「Nだろ……」
「キミが何を言いたいのか……悪いけどボクにはさっぱり分からない!
 だけど、キミのチョロネコがボクのミジュマルにケンカ売った!
 売られたバトルは買ってやる! それで、勝つ!」
「……何を言い出すかと思えば。」
足音もなく走り出し、チョロネコはフラフラのミジュマルを突き飛ばした。
ミジュマルは慌てて起き上がるが、手にしていたホタチがない。 慌てて探そうとしたところを止められ、ミジュマルはトウヤの顔を見上げる。
「キミに一体何が出来る!?」
「ボクじゃない!」

トウヤはバルコニーの上を指差すとミジュマルに『みずでっぽう』の指示を出す。
「『ボクたち』だ!!」
『みずでっぽう』がバルコニーに当たると、トウヤが取り落とした紙袋が破れ、中に入っていた缶詰が転がり落ちてくる。
頭上から降ってくる缶にチョロネコは一瞬ひるんだが、すぐに態勢を持ち直すとその軽い足取りで次々と落ちてくる缶をかわしていった。
「その程度か? キミも結局、口ばかりのポケモンを傷つけるだけのトレーナーなのか!」
「確かにボクは弱いさ! こんな作戦くらいしか思いつかない。 だけど……」
「みいぃっ……じゅ!!」
走り出したミジュマルがチョロネコの上から覆いかぶさり、足を捕まえてマウントの姿勢をとる。
「まさか!?」
「これで、チョロネコの足は止まった!」
馬乗りになったまま、ミジュマルはチョロネコの頭に自分の頭を叩きつける。
ぎゃっと声をあげ、チョロネコは押さえつけられた体勢のままぐったりと動かなくなった。
トウヤとチェレンがホッとしたのもつかの間、攻撃したミジュマルもくるくると目を回し、あお向けに転がって動けなくなる。
一瞬ぽかんとした後、そりゃそうだと納得した。 昨日も今日も、頭突きの特訓なんてしていなかったのだから。

ふぅ、と息をつくとトウヤはミジュマルをモンスターボールへと戻す。
何か声をかけようとNの方へと視線を移すと、彼はその視界を横切り、自らのチョロネコへと歩み寄り、ひざまずき、その青白い手で自分のポケモンを抱きしめた。
あまりに苦しそうに抱くもので、トウヤはすっかり毒気を抜かれ、Nへと歩み寄る。
Nが顔を上げると、そこには無防備なトウヤの手が向けられていた。
「握手。 『ケンカみたいなバトルだって終わっちまえば相手とは友達だ』って、トウコちゃんが言ってたよ!」
「トモダチ……」
差し伸べられた手には触れずNは立ち上がると、そのままサンヨウシティの方角へと向かって歩き出した。
少し離れたところで立ち止まると、振り返ってトウヤへと視線を向ける。
「ポケモンバトルなどともっともらしい名をつけてトモダチを傷つけるキミの考えこそ、ボクには理解できない。
 とはいえ、キミのポケモンが言っていたことは興味深い。
 キミとはいずれまた出会うだろう。 その時まで……」



強い風が吹き、Nとそのポケモンの姿をかき消していった。
飛ばされてアスファルトの上を転がったトウヤの帽子を、小さな手が拾い上げる。
「ベル……」
「どしたの? なんか町の人が騒がしかったよ?」
ほんの小一時間でいろいろなことが起こりすぎて、トウヤの思考回路は既にパンクしていた。
人間、自分の頭で理解していない事柄を人に説明するのは不可能だ。
陸に上がった魚のように、口をパクパクさせ言葉を搾り出そうとするトウヤを見かねて、チェレンが眼鏡のつるを持ち上げた。
「……トウヤがバトルで初勝利したんだよ。」
「えぇっ、ホント!?
 トウヤすごーい、おめでとう!!」
「ちょっ、ちょちょちょっ、待ってよ! 勝ってない、ボク勝ってないって! 引き分けだったじゃん、アレ!」
「……トウヤ。 君の手元には……」
ずれた眼鏡を直した後、チェレンはその手でトウヤのポケットを指す。
「……まだ、ミネズミがいるだろ。」
「あ。」
慌てて引っ張り出してみれば、ミネズミは忘れてたのかよ!とでも言いたげにモンスターボールの中でガタガタと音を立てた。
ポケモンが話すと言ったNの言葉を思い出し、あながち間違いでもないのかな、と、思ったりする。
だが、ふわりと浮かんだ考えは目の前に突き出されたベルの顔で、風船が割れるように消え去った。
「ねえねえっ、どんな相手だった!?」
「えっ……あ……えと、緑色の長い髪で、背が高くて……」
横目でチェレンに助けを求める。 ベルのマイペースは今に始まったことではないが、トウヤのスキルでは『これ』には対処出来ないのだ。
「強かった? どんなポケモン使うの?」
「えっと……ポケモン図鑑にはチョロネコって」
「えー! あたしまだ、そのポケモン捕まえてない! ねぇ、どんな戦い方だった!?」
「あの……スピードでかく乱し」
「うっそー! チェレンのツタージャより速かったの!?」
「そ、そうだけど……あの……ボク……ボク…………!」



「…………ミジュマルの回復に行ってくる!!」
真っ白になった頭で精一杯の思考を回し、トウヤはベルから逃げるように駆け出した。
「逃げた。」
「……逃げたな。」
一部始終を見ていたゾロアがイシシッ、と笑い声を上げた。
誰もが気付かないうちに、町はいつもの光景を取り戻していた。
つまずきながら走る友人の後ろ姿にチェレンがため息をつき、ベルは笑いをもらす。
そして2人は、彼が忘れたままの散らばった缶詰を拾い始めた。


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