「まぁーお」
もうすぐ2番道路に差し掛かろうかというところで、聞き慣れない鳴き声にチェレンは辺りを見回した。
先にその存在に気付いたのは、アララギ博士からもらったポケモン、くさへびポケモンのツタージャ。
足元で唸りをあげたパートナーの視線を追うと、屋根を身軽に飛び越えてこちらへとやってくる紫色の猫の姿があった。
「……お前、Nのチョロネコ!?」
「にぃ」
小さくひと鳴きすると、チョロネコはじりじりとにじり寄ってくる。
Nの姿こそなかったが……いや、なかったからこそ、気味が悪くなってチェレンは逃げ出した。
だが、その後も食事中に、バトル中に、休憩中に、就寝前にまで、そのポケモンは姿を現した。
監視されているのではないかと気が気ではなかったが、2番道路を越え、サンヨウシティに足を踏み入れる直前になり、チェレンはようやく振り向く。
「……お前、まさか捨てられたのか?」
「まぁお」
尻尾をくねらせ、前足を舐める仕草からはとても捨てられた悲壮感というものは感じられない。
だがここ数日、このチョロネコがNそっちのけで自分たちをつけ回していたのは紛れもない真実だ。
試しに空のモンスターボールを転がしてみると、チョロネコは毛糸玉でもいじるかのようにボールを転がして、あっさりとその赤白の球体へと収まってしまう。
拾い上げたチェレンの全身に、ぴりりとした緊張が走った。
言葉で表すならそう……殺気だ。
「コートカ『ひっかく』!」
「ヨーテリー、『たいあたり』だ!」
技と技がぶつかり合い、火花を散らす。
身を翻し丸い身体をくねらせると、チョロネコはヨーテリーに向かってまぉ、と挑発的に声を上げた。
足をふらつかせながらもヨーテリーは立ち上がり、トレーナーの指示を待たずにチョロネコへと突進する。
長い尻尾を軸にくるりと回転してかわすと、チョロネコは背中を見せたヨーテリーに『おいうち』をかけた。
「ヨーテリー!」
「コートカ、ストップ!」
さらに攻撃を加えようとしたチョロネコをチェレンが制す。
「……勝負はついている、これ以上は無意味だ。」
不満そうに「まーお」と鳴き声をあげると、チョロネコは渋々といった感じでチェレンの足元に腰を置く。
審判の旗が振られ、チェレンの勝ちが決定しても、チョロネコだけは物足りなさそうな顔をしてバトルフィールドを見つめていた。
「ちょっとだけ分かったことがあるんだ。
ボクのミネズミがバトルが嫌いなように、Nのチョロネコは心の底からバトルを楽しんでいたんだって。」
ふわっふわのベッドにミネズミを寝かしつけながらトウヤはカラクサタウンで起きたことを、そうベルに話した。
嫌な顔もせずすんなりと眠りについたミネズミを見て、布団を用意したショウロがガッツポーズを作る。
ピンク色の煙が閉じ込められたガラス瓶の中に、ぼんやりとしたポケモンの姿が浮かび上がった。
「ミネズミが夢を見始めたわ。」
小声でマコモがそう言うと、ミネズミの形をした煙の奥に、人の影のようなものが浮かび上がった。
トウヤとベルは「えっ」と小さく声を上げる。
銀色のフードを被った人間の影は、ミネズミの仲間たちを次々と捕まえると、トウヤのミネズミへとその攻撃の牙を向ける。
毛を逆立ててすくみ上がり、ミネズミは一目散に逃げ出した。 銀色フードの集団が、そのあとを追いかけてくる。
「み……みぃっ、みじゅまーっ!!」
突然の甲高い鳴き声にトウヤが振り向くと、飛び上がったミジュマルがホタチを振り上げて夢の入ったガラス瓶に思い切り叩き付けた。
割れたガラスが光を反射し、ピンク色の煙が部屋中に立ち込める。
眠っていたミネズミが飛び起き、トウヤの胸にしがみついた。
完全に実験失敗の様相を呈している煙った室内で、ベルの咳き込むケホケホという声だけが静かに響いている。
真っ白になったメガネを直しながら、マコモはあらあら、あらあらあら……と、困った声を出し続けていた。
われに返ったトウヤは急いでミジュマルの頭を押し付けると、
「ご、ごめんなさいっ!!」
それだけ言って逃げ出した。
火事場のバカ力というものがある。 合わせて18キロのポケモンを両脇に抱え、トウヤは街外れの公園まで逃げる。
辿り着いた噴水で、トウヤは酸欠を起こして倒れた。
ひゅーひゅーと変な音のする息遣いに心配しているのか、ミジュマルとミネズミがトウヤの頭の上に小さな影を作る。
「……ミジュマル。」
ずいぶん時間が経ってから、トウヤはミジュマルの名前を呼んだ。
「キミが壊したのは……マコモさんが長い時間をかけて作った、あの人にとって……とっても大事なもの……
それを壊したのは、悪いことだ……」
「みじゅ……」
「だけど……ありがとう、ミジュマル。」
「じゅ?」
重そうに体を持ち上げると、トウヤはその場で座り直し、小さく震えていたミネズミの頭を叩く。
「ミネズミを助けてくれて、ありがとう。」
いつもみじゅみじゅ言っているミジュマルは、何も言わず前足を鼻の辺りでもじもじさせた。
ベルの足音が聞こえ、トウヤは立ち上がって服のホコリをはらう。
「トウヤー、マコモさん怒ってないって! 変なことになっちゃってゴメンねって言ってたよ!」
「ベル。」
目をつぶって立ちくらみを治し、足にまとわりつくミネズミを抱える。
「さっき、ミネズミの夢に出てたのって、トウヤたちがプラズマ団って言ってた人たちだよね?」
「そうだと思う……」
うろ覚えでこそあるが、演説する男の周りを取り囲む銀色のフードの集団というのはなかなか忘れられない光景であった。
「あのゲーチスって人……ポケモンのためって言ってたのに……」
「けど、あたし同じ人たちにソバカを取られそうになったよ。
トウコちゃんが来てくれなかったら、今頃……」
強くて明るい姉の姿が脳裏に浮かぶ。
ふわふわと浮かぶムンナを見上げると、トウヤは唇を震わせ、視線を定めるよう意識する。
「ボク、マコモさんにもう1回謝ってくる!」
「あ、待ってトウヤ! マコモさんね、機械の修理するからしばらく研究室にこもるって。
代わりにこれ渡すように頼まれてきたの。」
そう言ってベルは、トウヤのライブキャスターにケーブルをつなげ、ピピピ、と音を鳴らした。
黒一色だった画面が切り替わり、3色の光が蜂の巣のように画面に広がっていく。
「Cギアっていうんだって、よくわかんないけど、これで通信が出来るらしいよ。
ショウロさんのパソコンとも連動してるって!」
要領を得ない説明にトウヤが苦笑いすると、ベルはチェレンにも渡してくる、と、挨拶もせずジムの方角に走り出す。
その背中も見えなくなり、水の流れる音だけがざあざあと聞こえる中、トウヤはミジュマルと視線を合わせると、お互いに小さくうなずいた。
パチン、と指を鳴らすと赤いサルのようなポケモン、バオップは大きく腕を広げ、突っ込んできたツタージャと組み合った。
力では互いに譲らず、フィールドの中央でのにらみ合いが続く。
ポッドが大きく腕を振り、チェレンはハッと息を呑む。
「やきつくせ、バオップ!」
「トレバ、『つるのムチ』!」
組み合っていた手を振りほどくとツタージャは距離を取りながらも細いツルをしならせ、バオップの横っ面をひっぱたいた。
狙いが逸れ、炎がツタージャの尻尾をかすめテーブルクロスを焦がす。
「やるな、だったら……これでどうだ!?」
ポッドが叫ぶと、バオップは全身に力を入れて雄叫びを上げ、ツタージャへと突進する。
「気をつけろトレバ! 何か仕掛けてくるぞ!」
「ジャッ!」
尻尾をくねらせ、ツタージャは飛び上がる。
直進するバオップはツタージャの下を通過し、一応の難は逃れたかのように見えた。
しかし、ポッドは口元を緩ませると飛び上がったツタージャに人差し指を向ける。
「今だ、バオップ『やきつくす』攻撃!!」
真っ赤に毛並みが揺れたかと思うと、バオップは甲高く雄叫びをあげ全身から炎を噴き出した。
逃げ場のなくなった空中でツタージャは炎の直撃を食らい、キィッと声をあげてモンスターボールへと姿を変える。
「……トレバ!」
床を跳ねたモンスターボールを拾い、チェレンは少しの間うつむいていた。
「どーした、そいつで終わりじゃねーだろ?」
「……あぁ。 僕にはまだ、コートカがいる。 だけど、トレバが倒されたのは初めてだ。」
「なんだよ、怖気づいたのか?」
「……いや?」
ツタージャの入ったボールをしまうと、チェレンはチョロネコを呼び出した。
低い態勢で喉を鳴らすチョロネコの指先から、よく研がれた爪が見え隠れする。
「……さすがはジムリーダーだ。 僕もコートカも、強い相手に出会えてわくわくしているよ。」
もちろんツタージャが倒されたことは悔しい。 しかし、それ以上に強さを求める『あく』タイプのチョロネコの欲望がチェレンにも伝染していた。
ぴんと伸びた指がバオップへと伸びる。
「……コートカ、レディ。」
「ッ!」
「おまえ……!」
何かに気付いたようにポッドと、観戦していたコーンの眉が上がった。
すぐに戦闘態勢に戻り、ポッドはバオップとともに身構える。
「……セット。」
細いチョロネコの息遣いが聞こえ、長い尻尾が揺れ動く。
「……ゴー!」
チョロネコの姿が消え、バオップの背後で黒い気配が揺れ動く。
ポッドが声を出す前に攻撃は終わっていた。 よろけた赤いサルが背中を睨むと、うつむいたチョロネコがにやりと笑い、ふわりと天井に向かって舞い上がった。
「くそっ、避けろバオップ!!」
「……『おいうち』。」
技の名を聞いてポッドは凍りついた。 黒い影が伸び、バオップの足を払う。
尻餅をついたバオップが起き上がりかけた矢先、低い猫の鳴き声がレストランの壁を伝い、大きな耳に届く。
「……コートカ『みだれひっかき』!」
悲鳴があがり、ポッドのバオップが赤白のモンスターボールに姿を変えた。
はぁっと息をつくと、チェレンはまだ戦い足りないといった顔をしたチョロネコをモンスターボールへと戻す。
審判の旗が振られると、食事をしていた観客から拍手があがりチェレンを包み込んだ。
勝負に勝ったことよりもそちらの方が少し意外だったが、悪い気もせずチェレンはその場で一礼する。
コーンがバッジの入ったケースを開き、キラキラと光るバッジをチェレンへと手渡した。
「初めてのジム制覇、おめでとうございます。」
「……ありがとうございます。」
言いながらもチェレンは少し疑問を覚える。
「あの、間違ってたらすみません。 カノコタウンの方……ですよね?」
「どうしてそれを?」
「1年前、まだジムリーダーになりたての私たちに圧倒的な差をつけて勝っていったトレーナーがいたんですよ。」
話に割り込みたがっているポッドをよそに、チェレンは「あぁ、やっぱりか」と妙な納得をしていた。
仕草も掛け声も、チェレンのバトルはトウコのそれを参考にしたものだ。
彼女がいまバッジをいくつ持っているかさえ知らないが、少し近づいたような気がしてチェレンは瞳の奥の炎を燃やす。
「……彼女が今、どうしているか知っていますか?」
チェレンの質問に、コーンは首をかしげて少し困ったような顔をした。
「いえ……いくつかのジムから連絡はあったんですが、最近はぱったりと……
もうポケモンリーグに着いていてもいい頃なんですが……」
「なんだよー! オレが戦ったんだぞ、オレに喋らせろっつーの!!」
「……にぎやかなジムリーダーだ。」
約1名を除いてね、と、コーンはチェレンの言葉に心の中で付け足した。
いつの間にやらデントがいない。
ランチタイムだからそれほどソムリエの存在は重要ではないが、こうもちょくちょく仕事中に抜け出されたのではたまったものではない。
ため息が出る。 ポッドもデントも血の繋がった兄弟、コーンの気苦労は一生続くわけなのだから。
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