「あ、」
「ふあ?」
「……ん。」

その日の夕方、3人はポケモンセンターの前で鉢合わせた。
トウヤとベルの目が、大きな荷物を持ったチェレンへと向く。
「チェレン、もう出発するの?」
「……ああ、ジムバッジは手に入れたからね。
 あまり長居もしていられないさ。」
クールに受け答えするチェレンにほんのちょっとだけ気後れし、トウヤはうつむいて自分の前髪に触れた。
「そっか……すごいね、チェレン。」
「……トウコほどじゃないさ。」
右手でメガネを上げると、チェレンはトウヤから顔を背ける。
「あたしは……コーンさんに負けちゃったあ。」
苦笑いでごまかしながら、そう言ってベルはポカブを抱え直した。
なんと言ったらいいかも分からず、トウヤとチェレンが難しい顔をしていると、空気の変化に気付いたベルはまっすぐな瞳で、今度はトウヤに視線を向ける。
「トウヤは?」
「ボクは……デントさんにアドバイスを受けて、ミジュマルとジム戦の練習をしてたよ。」
「ジム戦の……練習!」
ベルは目から鱗が落ちたような顔でトウヤの顔を見直していた。
「……それで、成果は?」
「うん、相性をひっくり返すとまではいかないけど……ヤナップ1匹だったら、ギリギリなんとかなるくらいには……」
照れたような笑い方でチェレンに言葉を返すトウヤを見て、ベルは明日『ジム戦の練習』をしようとこっそり心に決めた。
「頑張れよ」と声援を受けて、トウヤとチェレンが拳をぶつけあう。
「お互いにね」トウヤがそう言うと、チェレンは大きな荷物を背負い直して3番道路の方向へと向かっていった。
なんだか取り残されたような気がしてベルがポカブをぎゅっと抱きしめると、ポカブの鼻の先から小さな炎が舞った。



陽が沈んで、月が巡って、朝になって、鳥たちが羽ばたき始める頃、デントは少し早起きをして戸棚の奥からアルバムを引っ張り出していた。
ジムリーダーになりたてで右も左も分からなかった頃、仲良くなった挑戦者たちと一緒に撮ったスナップを集めたものだ。
パラパラとページをめくると、一様に笑顔のデントと、訪れたトレーナーたちの顔が並ぶ。
胸にこみ上げる懐かしさに頬をゆるませながらアルバムをめくり続けると、本の丁度真ん中あたりでデントの指が止まった。
「……あった。」
日付は1年と少し前。 自分とポッドの間で、長い髪をポニーテールにした女の子がこちらに向かってVサインを向けていた。
……忘れられない顔だった。 用意していたしおりをアルバムに挟むと、今、目覚めたのかコーンが開け放していた扉から顔を覗かせる。
「デント? あなたにしては、ずいぶん早いですね。」
「去年の春に来た挑戦者、コーンも覚えてるよね?
 彼女の弟らしいトレーナーと、昨日会ったんだ。」
ほう、と、息を呑み、コーンはデントに「いかがですか」と、期待に満ちた眼差しを向けた。
デントはレストランの飲み物を、そしてトレーナーを見極めるソムリエだ。
机にアルバムを置き、制服のエプロンに染みがないことを確かめながら、コルクの匂いをかぐような仕草でデントは昨日会ったトウヤに思いを馳せた。
「……まだまだ未熟なフレーバー。 深い色合いを持ちながら、グラスの中で無限の可能性を思わせるフルーティさ……」
「つまり、初心者すぎて方向性の見当もつかないと。」
肩をすくめ、コーンは今日の当番表へと視線を移動させた。
全く期待していないわけではなかったが、デントの反応を見る限りでは望みは薄そうだ。
今日の担当を告げようとデントの方に顔を向けたとき、コーンの眉が少し上がった。
ワクワクしている。 のんびり屋のデントにしては、珍しい顔だった。
「今日、彼は来るはずさ。 どうやってタイプの相性を乗り越えるのか……僕には想像つかないよ。」





扉が開かれ、紅茶を淹れていたデントの手が止まる。
10時03分。 確かに彼は来た。
馴染みの客に断りを入れるとデントは強く足音を立てぬよう、トウヤのもとへと向かう。
「来ましたね。」
「はい! ジムバトリュ?を、 ……ぉ……お願いシマス……」
「そんなに緊張しないで。」
声のひっくり返ったトウヤに笑みを向けながら、デントは用意していた自分のポケモンを受け取った。
バトルフィールドは用意してある。 シンプルかつ広く設計された公式のフィールドに目を丸くするトウヤをスタンバイさせると、デントは最初のポケモンが入ったボールをゆっくりと取り出した。

「出ておいで、テリー。」
デントがモンスターボールを放ると、中から茶色い毛むくじゃらのポケモンが飛び出した。
きゃん、と高く鳴き声をあげるそのポケモンは、ベルも持っているこいぬポケモンのヨーテリーだ。
「『ヨーテリー』って名前、長いよね。」
「……。」
完全に固まっているトウヤに打ち解けようと、デントは少し言葉を崩す。
「大丈夫、相手が誰だって関係ないよ。 今はポケモンバトルを楽しもう?」
モンスターボールを握り締めたまま動かないトウヤに、デントは続ける。
「これ、トウコさんが言っていた言葉ですよ。」
「……ッ!」
トウヤの表情筋が痙攣し、床の一点に固定されていた視線が動いた。
デントが促すと、汗でじっとりと濡れたモンスターボールを地に放る。
少し心配そうな顔をしたミジュマルに見守られながら、トウヤは顔を上げ、かすれた声をデントに向ける。
「あの……聞きたいことが……あるんです。」
「では、ジム戦が終わってからにしましょう。
 あなたの場合、その方がバトルに集中してくれそうだ。」
茶色い瞳が揺れ、生唾を呑む音がデントのところまで伝わってきた。
この少年が1日でどこまで仕上げてきたか……期待するデントの胸が強く脈打つ。


ミジュマルが走り出したのを合図に、トウヤ初のジム戦がスタートした。
「ミジュマル、『シェルブレード』!」
うなりをあげるヨーテリーにミジュマルはおなかのホタチを振り上げて叩き付ける。
かすっただけだったが、切り取られたもじゃもじゃの毛が床に散った。
「なるほど、新しい技を覚えたんですね。 ではこちらも……『ふるいたてる』!!」
ブランチを運んでいたコーンの手が一瞬だけ止まる。
そんな外野のことなど全く関係なしに、ヨーテリーは強く鳴き声をあげると全身の毛を逆立て体に力を込めた。
「テリー、『たいあたり』です!!」
「ミジュマルッ!」
トウヤが迫ってくるヨーテリーに指を向けると、ミジュマルは相手のポケモンをしっかりと見つめ足を踏みしめた。
「1、2、3、4、」
数が増えるごとにミジュマルのぽっこりしたおなかが膨らんでいく。
デントの口元に笑みが浮かんだ。 くる。 強い、攻撃が。
「『みずでっぽう』!!」
ギリギリまで引きつけ、ミジュマルは口から水流を吐き出した。
すぐそこまで迫っていたヨーテリーが吹き飛び、店の柱へと激突する。
崩れ落ちるように床に伏せたデントのヨーテリーを見ると、トウヤは「あっ」と声をあげ、困ったように両手を宙にさ迷わせる。

「ご、ご、ごめんなさい!! どこかケガとか……」
「大丈夫ですよ、テリーは強いですから。 ポケモンバトルは手加減なしです! ……お互いに。」
もう戦えないヨーテリーをモンスターボールへと戻し、ヤナップと交代させる。
相性の不利なポケモンに、トウヤの顔が厳しくなる。
「さ、どうしますか?」
答えを知りつつも、デントはトウヤへその問いを投げかけた。
肩もひざも震えている。 だが、何か考えがあるのだろう。 その目はまだ死んでいない。


「……このままで!」
その声にうなずくと、デントはヤナップへと指示を出す手を向けた。
「ヤナップ、『タネマシンガン』!!」
「ミジュマル!!」
膨らむヤナップの腹を見て、ミジュマルは先ほど攻撃に使ったホタチを体の前で構えた。
吐き出されたヤナップのタネは体全体を打ち付けたが、ギリギリのところで、まだミジュマルの体力は残っている。
トウヤがヤナップを指差し、デントは「え、」と小さな声をあげた。 草タイプのヤナップに『みずでっぽう』なんて、ほとんど効かないはずなのに。
「1、2! ミジュマル、『みずでっぽう』!!」
先ほどよりも少ない数でカウントを止めると、トウヤはミジュマルに『みずでっぽう』の指示を出す。
吐き出された水は広く拡散し、霧のようになってヤナップへと襲い掛かった。
「目隠し……!」
「ミジュマル、『シェルブレード』!!」
攻撃の指示に身構えたヤナップの額に、ホタチがぶち当たる。
まさか、投げつけてくるなんて思わなかった。
思わず額を押さえたヤナップを見てデントは焦った。 ここまで考え抜いたトレーナーが、ここで終わるはずがない。
「『たいあたり』!!」
霧の向こうから突っ込んできたミジュマルが、ヤナップを押さえつけた。
じたばたと暴れまわるヤナップに向かい、何度も頭と頭をぶつけ合う。
一連の連続技に見とれていたデントだったが、はっと気付き、ヤナップへと指示の手を伸ばした。

「ヤナップ! 『ひっかく』!」
「……やああぁーッぷ!!」
振り回すようにして向けられたヤナップの攻撃が当たると、ミジュマルの攻撃が止まり、その場で倒れこんだ。
吸い込まれるように変化したミジュマルのモンスターボールが、ヤナップの腹の上で跳ねる。
ぜえぜえと息を荒げながらも、ヤナップは起き上がる。
ちょっとだけ悲しそうな顔をしてトウヤがモンスターボールを拾いに行こうとしたとき、足元を走り抜けた『なにか』がヤナップの顔の真ん中を叩き、わずかに残っていたHPを0にした。

「え……」
「……あれ。」

フィールドの真ん中で震えるミネズミに、トウヤもデントも目を丸くする。
ポン、と軽い音を鳴らしてヤナップはモンスターボールの中へと戻っていった。
静寂がバトルフィールドを包み、やや時間を置いて、審判の旗がトウヤへと振られる。
「ヤナップ戦闘不能! チャレンジャー、トウヤの勝利です!」
腰が抜けたのか、ミネズミはずるずると前足だけで床をひっかくように移動しながら、ぴぃぴぃと鼻息を鳴らしていた。
トウヤが駆け寄り抱き上げると、細い腕の中で細かい毛並みがブルブルと震えている。
ぎゅっと強く抱きしめてから、トウヤはミジュマルのボールを拾い上げた。
同じようにヤナップのボールを拾い上げるデントがトウヤへと視線を向け、手のひらと手のひらを叩き合わせる。
両手がふさがって握手することは叶わなかったが、トウヤは照れ笑いすると「ありがとう」と口を使ってその拍手へと応える。


「お見事でした、トウヤ君。」
上手く言葉が出ず、トウヤはぺこりと頭を下げて返事の代わりにした。
まだ少し緊張しているが、来た時ほど恐怖があるわけでもないのに、ひざが笑っている。
見て分からぬほどちょっとだけ、唇を固く結ぶと、デントはヤナップのモンスターボールを抱き、握手するようにトウヤに手のひらを向けた。
「……こちらへ。 お見せしたいものがあるんです。」
口を半開きにしたままトウヤは黙ってデントについていく。
デントの代わりに紅茶を淹れながら、コーンは深くため息をついた。
もうすぐかき入れ時のお昼だというのに。





アルバムに収められたトウコの笑顔を見つめながら、トウヤはデントがポケモンを回復するのを待っていた。
無邪気にこちらへと笑いかける姉の顔をなぞり、遠い目をして深く呼吸をする。
「……まずは、ひとつクリアかな。」
ぽつり、と、トウヤが言葉を漏らすと、ポケモンの回復を終えたデントがモンスターボールを乗せたトレーを持って部屋の扉を開けた。
ミジュマルとミネズミのボールをトウヤへと手渡し、緑色の宝石を入れるような頑丈な箱を、トウヤの前でうやうやしく開く。
「僕が言うのも変かもしれませんが、サンヨウジム制覇、おめでとうございます。
 こちらが勝利の証、トライバッジです。 どうぞお受け取り下さい。」
「あ、ありがとうございます。」
宝石箱の中から、トウヤは鋭く光るバッジを受け取った。
ひとしきり眺めてから、トウヤはそれを自分のバッグへと飾りつける。

「あの……それで、ボクが聞きたいことなんですけど……」
「トウコさんのことですよね。」
迷う様子もなくそう返され、トウヤは少し戸惑った後、小さくうなずいた。
「最初から分かってたみたいですけど、トウコは……ボクの姉です。
 1年前、突然「ポケモンマスターになる!」って言って、家を飛び出していきました。」
旅に出た経緯こそ聞いていなかったが、彼女らしいな、とデントは笑う。
トウヤは帽子を目深にかぶり、目元を隠した。 一呼吸置いて、少し低い声色でトウヤは先を続ける。
「……ボクはトウコちゃんみたいにはなれないけど、せめて、同じ道を歩いてみようと思って。
 デントさん、ここを出た後、トウコちゃん……姉が、どこに行ったか知りませんか?」
ふむ、と、口に手を当て考えるようにすると、デントは首を横に振った。
「連絡先を交換していないもので、今、どこにいるかまでは……
 ですが、トウヤ君。 彼女と同じ道を歩きたいというのでしたら、次はシッポウシティを目指すといいでしょう。
 「この調子で最強目指してやるぜ!」って、彼女言ってましたから。」
いかにもトウコが言いそうなセリフに、トウヤの頬に赤みが差した。
「そっか、ポケモンジムを目印にすればいいんですね!」
「えぇ、あれだけ目立つ人ですから、僕じゃないジムリーダーたちも、何か知っていると思いますよ。」


うん、とうなずき、トウヤは両手に力を入れた。
他愛のない話を2つ3つ交わしたあと、デントに礼を告げ、サンヨウジムを後にする。
出発するとき、デントはトウヤと一緒に写真を撮った。
デジカメの中で遠慮がちに笑うトウヤに、デントは微笑みかける。
現像して出来た写真は、トウコと一緒にとった写真の横に貼るつもりだ。


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