「ふるきをたずねて新しきを知る、すなわちこれ温故知新。
古いものでも見つかることはたくさんあるからね、いつでも調査と研究の毎日だよ。」
「バウッ!」
「おや、気に入ったかい? ハーデリア。」
天井まで続く高い本棚をやや豪快な感じで整理しながら、ジムリーダーのアロエは足元にいる犬っぽいポケモン、ハーデリアに横目を向けた。
ハーデリアは、こいぬポケモンヨーテリーの進化形だ。 ヨーテリーと同じように毛むくじゃらであるが、長くて黒い体毛はとても硬い。
床に敷き詰めたフローリングをチ、チ、チと爪を鳴らして歩き回ると、ハーデリアはアロエの足元に腰を落とし、ハタキのような尻尾を床の上で振り回した。
「さて、ここで問題です! 16時間で地球を1周する大きな翼を持つポケモンはなんでしょう?」
「わぅ?」
困った顔をして首をかしげたハーデリアを見ると、アロエはワハハと豪快に笑った。
「悪い悪い、あんたに分かるわけもなかったね! なぞなぞ遊びは挑戦者たちとやっとくよ!
……おや?」
重い扉にもたれかかるようにして入ってきた少年を見ると、アロエはパン!とエプロンのホコリを払った。
噂をすればお客様だ。
これはおもてなしをしなくては、とアロエはよく磨きこまれたモンスターボールを手に取った。
「頭が重い……」
「まーろまろまろまろ!」
目の下にクマを作りながら、なんだかんだでジムトレーナーたちとのバトルを済ませトウヤはジムリーダーのところまで辿り着いた。
プラズマ団にやられたコブはとっくに引っ込んだが、今度は寝不足と心労で頭が痛い。
昨日なんかオタマロが眠ったあともマロマロが耳について一睡もできなかったし、そもそもゲットした覚えがない。
ジムの最奥にいたジムリーダーも口を開けて唖然としていた。
なんでこのポケモンは当たり前のようにトウヤの頭に乗っかって、何するわけでもなくマロマロ言い続けるのか。
「あの……こんにちわ……」
「まーろまろまろまろ!」
「こ、こんにちは……元気なポケモンだね……」
「ソーデスネ……」
寝不足の噛み噛み舌でトウヤは返答する。
じっとりとした水タイプの湿り気のせいで初夏とはいえ頭も冷える。
正直もう倒れそうだったが、もはやルーチンワークのような状態でトウヤはアロエに向けてミジュマルのモンスターボールを構えた。
「えと……」
「あ、ルールはシングルバトル、こっちの使用ポケモンは2体。
挑戦者は使用ポケモンも道具も制限はないよ。 それじゃ、準備は……あんまり良くなさそうだけど。」
「だいじょぶです……いけます……」
ふぅ、と息をつくとアロエはエプロンのヒモを解き、ハーデリアをアゴで動かす。
トウヤがモンスターボールを投げると、出てきたミジュマルはバトルよりトウヤを気にして眉を潜めた。
マロマロ声が響くなかトウヤがハーデリアの方に指を向けると、仕方なしといった感じでおなかからホタチを取り外す。
「お先にどうぞ。」
「それじゃ……『シェルブレード』。」
「まーろまろまろまろ!」
トウヤの頭の上で高らかに鳴き声をあげるオタマロにチッと舌打ちすると、ミジュマルは飛び上がって横殴りにホタチの一撃を繰り出した。 ……オタマロに。
ゴムマリのように弾かれて本棚へと激突するオタマロにトウヤは目を見開く。 慌ててミジュマルを抱えると、クマのある目でミジュマルのことを睨み付けた。
「ケンカしちゃダメだって言ったじゃないか、ミジュマル! ボクは弱いものいじめするためにキミを鍛えてるんじゃないんだよ?」
「みじゅ! みじゅみーじゅ、みじゅまっ!!」
「まーろまろまろまろまろ!」
「話にならないね、こりゃ……」
はぁ、とため息をつくとアロエはハーデリアをモンスターボールに戻す。
少し困ったような顔をするトウヤの顔をぐいとあげ、少し眉を上げ口角を下げるとアロエは遠慮がちな力でトウヤの頭をぱしりと叩いた。
「ジム戦中止。 ポケモンのことを考えてないトレーナーは受け付けてやれないよ。」
思いもよらぬことを言われ、トウヤの目が丸くなる。
「で、でも……!」
「あんたのポケモンたちはあたしが預かる。 あんたはこの部屋の奥に仮眠室があるから、そこで寝ること! いいね?」
良くなんかない、と言おうとするが、トウヤはアロエに首根っこ掴まれ強引に仮眠室に放り込まれる。
散らかったベッドの上にトウヤを乗せると、アロエは事情も飲み込めないミジュマルと見知らぬミルホッグが抱えるオタマロをさしてトウヤへと尋ねる。
「ポケモンはこれだけかい?」
「博物館に……ミルホッグが……」
なんとか眠気に抗おうとするが、まぶたが鉛のように重い。
ぼやけた景色の中でミジュマルが必死に何かを叫んでいた。
それが何かもわからぬまま、トウヤはぐったりとベッドの中で眠りにつく。
「……やれやれ。 まったく、とんでもない挑戦者だね。」
呆れたように肩をすくめ、アロエは抱えたミジュマルを放し、自分のミルホッグにオタマロを持ってくるよう告げる。
ミジュマルが「フー!」とトウヤを背に威嚇するなか、棚にぶつかって出来た傷に薬をふりかけてやるとアロエはミルホッグの高さまで腰を落として、そのオタマジャクシへと話しかけた。
「あんただね? 原因は。」
「まーろまろまろまろまろまろまろ!」
なるほどうるさい。 アロエは内心納得する。
どれだけ一緒にいたのか知らないが、さっきの調子で四六時中、頭の上で鳴かれたのでは参ってしまうというものだろう。
アロエはオタマロを掴むと、ミジュマルを置いて博物館の方へと歩き出した。
ぐるっと見回せば、なるほど、気の弱そうなミルホッグが展示してある品々を見て目を輝かせている。
そちらに足をむけようとすると、見回りをしていた副館長で夫のキダチがあれ、と声をあげてアロエへと近寄ってきた。
「ママ! そっちにトウヤ君が向かったと思ったんだけど……会わなかったのかい?」
「あぁ、あたしんとこまで来たよ。
今休ませてるからさ、ちょっとそこのミルホッグ、仮眠室まで連れてってくれないかい?」
「はいはい」とキダチは従い、尻尾を立てるミルホッグへと話し掛ける。
その間に自分は台所へと向かうと、桶に入った水の中にオタマロを放り込んで、その前で腕組みしてみせた。
「オタマロ、あんたのせいであんたのトレーナーが大変だよ。」
「まろまろまろまろまろまろまろまろ」
「それだよ、その声。 その『ちょうおんぱ』であのボウヤは苦しんでるんだよ。」
「ま……」
オタマロの声が止まる。 軽く鼻息をするとアロエはオタマロを指し、腰に手を当て説教を続ける。
「いいかい? 子供ってのはあたしら大人よりも耳がいい。 普通の人間が気付かないような音でも拾い上げちまったりするもんだ。
確かにあんたらはその音でコミュニケーションをとっているかもしれない。 けど、人間にゃ無理だ。
あんたもあんたのトレーナーが好きなら、意思疎通は別の方法を考えるんだね。」
「まろまろまろまろまろ……」
桶の中で小さな泡を吐くと、オタマロは突然、水の中から飛び上がって窓の外へと飛び出した。
急なことに動けずにいるアロエには目もくれず、そのマロマロという甲高い声をあげながらオタマロはどこかへと走り(?)去る。
一瞬の沈黙から我に返ると、アロエは慌ててオタマロの後を追いかけた。
大事な預かりもの、もしいなくなってしまったら「ごめん」なんて言葉では許されない。
時計のなるコチコチという音に、トウヤはまぶたを動かした。
小さなうめき声に、そばにいたミジュマルとミルホッグが起き上がる。
「みじゅ!」
「ぎゅぎゅっ!!」
「ダ、ダメダメダメ! ふたりとも重いんだから!」
慌てたようなキダチの声にトウヤは覚醒する。
布団を跳ね除けると、探した瞳の中にミジュマルとミルホッグの姿を見つけ、ひとまずホッと息をつく。
「よく眠れたかい、トウヤ君?」
キダチの存在に気付き、慌てて目をゴシゴシこすると固まった目垢がごろりと落ちた。
眠る前の顛末を思い出し、思うように返事が出来ない。
いぶかしげに見守るキダチの前で、トウヤはひざに手を置き、きゅうと強く握り締めた。
涙こそ出ないが、なんだか鼻の奥がつんと痛い。
「トウヤ君?」
顔をうつむかせるトウヤに、キダチは不思議そうな目を向ける。
きゅ、と血が出そうなほど強く唇を噛むと、トウヤは誰にも視線を向けず、自分のひざをみつめたままキダチに尋ねた。
「キダチさん……ボクは、トレーナー失格ですか?」
「失格? なんで? そんなにこっぴどくママにやられたのかい?」
驚いたような顔をしてキダチは身を乗り出す。
小さく首を横に振ると、トウヤはかすれた声で言葉を続ける。
「戦ってすら、もらえなかったんです。 ボクは……ポケモンのことを考えてないって……」
オロオロしていたキダチが、「あ」と声をあげ、トウヤとポケモンたちを見比べる。
ひとしきり首を左右させると、キダチは優しい顔でトウヤの肩に手を置いた。
顔を上げられないトウヤを諭すように、ジムリーダーアロエの旦那は優しく声をかける。
「それは誤解だよ、トウヤ君。」
「でも……」
「アロエは僕の奥さんだからね、彼女の言いたかったことくらい分かるさ。」
キダチが少し誇らしげに胸を叩くと、トウヤは少しだけ顔を上げた。
「いいかい、トウヤ君?
今の君のスタイルはポケモンを思いやった、とても素晴らしいものだ。
けど、それは自分を犠牲にしてのことだ。 たとえ自分が困っていたり、嫌なことをされてもそれが余程悪いことでない限り、トウヤ君1人ガマンして、強く言い出せない。 違うかい?」
トウヤは再びうつむく。
するとキダチは、今度はトウヤの顔を上げさせてにっこりと笑ってみせた。
「ここだけの話だけどね、昔、アロエと大喧嘩したことがあるんだ。 それも『トーストにピーナッツバターを塗った』なんて、くだらない理由でね。」
「……?」
「僕とアロエはそれぞれ全く違う地方の出身だ。 それに男女の違いだってある。
僕はトーストにピーナッツバターを塗るのが好きだった。 けど、アロエは木苺のジャムでないと受け付けないんだよ。
そんなこと知らず、僕は朝忙しそうだったアロエのトーストにピーナッツバターを塗ってしまった。 だから、大喧嘩さ。
アロエがジャムでなければダメだってことを伝えておけば、それに僕が塗る前にアロエに一言聞いておけば済んだだけの話なのにね。」
話の見えてこないたとえ話にトウヤは首をかしげる。
トウヤのミルホッグだけは少し分かったようで、なんとなくうなずいているように見えた。
不思議そうにトウヤの顔を覗きこむミジュマルに少し笑うと、キダチは話の先を続けた。
「気遣うのは大事だけど、言わなきゃわからないこともあるってことさ。
キミはバトル好きなミジュマルのために、このシッポウシティジムに挑戦しにきたんだろう?
だけど『僕の目から見て』、キミのミジュマルはバトル以上に具合の悪そうなトウヤ君を気にしているように見えた。 ミルホッグだって同じだ。
ポケモンたちはキミに、ガマンして欲しくなかったんじゃないかな?」
目から鱗が落ちたような顔で、トウヤはミジュマルたちのことを見る。
ミジュマルはなんだかよくわかっていないような顔をして、トウヤを見つめ返したまま尻尾をぱたっと振る。
ミジュマルとミルホッグの顔を何度も見比べると、トウヤはふと床に視線を移し、立ち上がった。
「キダチさん、今何時ですか?」
「えっと、もう16時過ぎてるね……10分くらいかな?」
そんなに眠ってたのかと、トウヤはまだ明るい窓の外をちらりと見た。
「それじゃ、また明日来ます。 ミジュマル、ミルホッグ、行くよ。」
「みじゅ!」
「……ぎゅっ!」
お世話になりました、と付き添ってくれていたキダチに礼を告げ、トウヤはシッポウシティジムの扉から外に出た。
ポケモン図鑑を開くと、ミジュマルの体調を確認する。
ふぅっと大きく息を吐くとトウヤはなんだかすっきりした顔をして、ヤグルマの森へと顔を向けた。
足元にいるポケモン2匹に声をかける。 ミジュマルとミルホッグはしばらくトウヤの話に聞き入っていたが、やがて内容を飲み込むと自らのトレーナーに向かい、大きく首を縦に振った。
3人の足は一路、ヤグルマの森へと向かう。
影は伸び始めていたが、辺りが見えなくなるほど暗くなるにはまだまだ早い。
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