それは、うららかな春の日のことだった。
まだ飛び立つ姿もおぼつかないマメパトが、カノコタウンの小さな家を覗きこんでいる。
幼さの抜け切らない子供部屋で、3人の少年少女がアララギ博士から届けられた小包を目を輝かせながら囲んでいた。
中心にいる茶色い髪の少年の手で緑色のリボンが解かれていく。
うずうずする気持ちを抑えることもなく金髪の女の子は、同じように箱を見つめている黒髪にメガネの少年へと話しかけた。
「はぁ、ドキドキするね、チェレン! トウヤの家に届いたんだし、選ぶのはトウヤからだよね!」
「もちろん。 僕はもらうのがどんなポケモンだろうと、立派に育て上げてみせるさ。」
いつもクールに決めているチェレンが、今日だけは口元を緩ませている。 そんな様子を横目で見ながら、トウヤは包装紙を結ぶテープを爪で引っかいた。
プレゼントボックスの中からは、カタカタと音が鳴っている。
きっとポケモンたちも早く会いたいのだろう。 そう思って少し強引に包み紙を破ろうとしたとき、カチリという音が聞こえ、プレゼントボックスが爆発した。
「じゅまーっ!!」
「ぷーっ!!」
「きゅーっ!!」
「……なっ」
「えっ、えっ、えっ……!?」
「わぁっ♪」
箱を破って飛び出してきたのは、3匹の見たこともない生き物……ポケモンたち。
青い身体でラッコのよう、ホタチを持った、水タイプのポケモン、ミジュマル。
赤い身体のくるくる巻いた尻尾を持ったブタのような炎タイプのポケモン、ポカブ。
緑色の身体、冷めた目で大きな葉の尻尾を他の2匹に向ける、草タイプのポケモン、ツタージャ。
部屋の3方で睨み合うと、突然ツタージャが大きな尻尾を振り回し、木の葉の嵐をポカブとミジュマルに向けて吹き付けた。
ピシピシと葉っぱに叩かれ怒ったポカブの鼻から、小さな火の固まりが吐き出される。
あっという間にお祭り騒ぎのトウヤの部屋の中で、ベルは3匹のポケモンを見回して嬉しそうに声をあげた。
「すごいすごーい、みんなかわいい! ねえ、トウヤはどのポケモンにするの?」
「それどころじゃないだろう! 早く止めないと、トウヤの部屋がぐちゃぐちゃだ!」
「あわわわ……」
ポカブにどつかれ、ミジュマルは持っていたホタチを振り回した。
壁際に陣取っていたポカブに向かって振り下ろすが、ちょっと鼻から火を吹き出したポカブにあっさりかわされ、ホタチは壁に突き刺さる。
割れた壁の隙間から見えていたものに、トウヤは驚く暇さえなかった。
ポカブの火に引火したガスが、トウヤの部屋を吹き飛ばす。
これで誰も大ケガしなかったというのだから、今考えれば奇跡というものだ。
「あれから3ヶ月かぁ……
……なんか、すごくいろいろありすぎて時間が経った気がしないなぁ。」
どこまでも、どこまでも続く長ーい橋の先を見つめながら、トウヤは独り言のようにそうつぶやいた。
舗装された『ヤグルマの森』の直線路を抜けると、道はヒウンシティへと続く、スカイアローブリッジへ続いていた。
対岸も見えぬ広い川に渡された橋は真っ直ぐに伸び、足の下では下段を走る車やトラックがごうごうと音を立てトウヤを追い越していく。
朝に出発して今は陽も高く昇り、振り返れば来るときに潜った、橋と森との境目をつなぐゲートは見えなくなっていた。
時折強く吹く風に帽子が飛ばされそうになったが、そこは頭の上に乗ったオタマロさんがしっかりとガード。
そのたびにマロマロマロマロ鳴かれるのもちょっとどうかとは思ったが、トウヤの分もフタチマルが怒ってくれるので、今はもうそれほど気にはならなくなってきた。
トウヤは大きく背伸びをすると、自分が行く先……ヒウンシティの方向へと目を向ける。
イッシュ一大きな都市、ヒウンシティの姿は、まだ、見えない。
ペダルを漕いで、風を切る。
スカイアローブリッジを中ほどまで進んだところでチェレンは足を止めて景色を振り返った。
「……ずいぶん進んだな、トレバ。」
自転車の前カゴで、緑色のトカゲのようなポケモンがきゅうと鳴き声をあげた。
くさへびポケモンジャノビー、博士からもらったツタージャの進化形だ。
自転車を停めるとチェレンは荷台に座り、シッポウから持ってきたサイコソーダをジャノビーと分けて飲む。
前後左右、どちらを見ても橋と水平線しか見えない景色はずっと見ていると色々な記憶がよみがえる。
「……あれから3ヶ月か。キミは変わらないな。」
そう言ってチェレンはジャノビーを見る。 姿形こそ変わったものの、気に入らないことがあればすぐに葉っぱを噴き出すことも、マイペースなところも変わらないままだ。
「……まぁ、三つ子の魂百まで、ってところか。 ……っと」
ふと視線を動かした先に不自然なものを見つけ、チェレンは目を細める。
スタンドを上げ、慎重にゆっくりとその「不自然なもの」へと近付く。
距離が縮まり、その全容が明らかになるとチェレンとジャノビーは自転車をひっくり返して駆け寄った。
「……トウヤ!?」
陸に上がったクラゲのようにぺっちゃんこになった幼馴染にチェレンは駆け寄る。
ポケモン3匹も従えてこんなになるなんて。抱き上げて揺さぶると、半開きになった口から「うぅ」と小さな声が漏れた。
「どうした、何があった!」
「お……お……」
「……お?」
まさかプラズマ団かとチェレンは注意深く聞き返す。
「おなか空いた……」
「ふた……」
「まろ」
「ぎゅ〜」
予想もしていなかった答えにチェレンはトウヤを落っことした。
「痛い……」とトウヤから文句があがるが、文句を言いたいのはこっちの方だ。 どこの世界に1日で行き倒れるトレーナーがいるのか。
「……トウヤ。自分の食料は?」
「すぐ着くと思ってお昼の分しか持ってこなかったら、空を飛んでたコアルヒーに持ってかれて……」
話を聞いているうちに、チェレンの肩から力が抜けてきた。
旅を続けている間の活躍でちょっとは見直していたというのに。
分け与えた食料をポケモンたちと一緒にパクついている姿は、いつも幼馴染たちの最後尾をちょこちょこついてきていた頃の姿そのものだ。
一通り食べ終えて満足そうに口元のソースを拭うトウヤに、チェレンは肩をすくめて見せる。
「……あのね、トウヤ。 出発前に荷物の内容は確認しろって散々トウコに言われたんじゃなかったのか?」
「言われた……けど、橋1本渡った先って言われてたから……まさかこんなに橋が長いとは思わなかったんだ。」
イッシュ一長いと言われる橋を横目で見てから、チェレンはため息をついた。
「……キミが初めて僕より先に行ったと思って、少しは嬉しく思ってたのに。」
心底呆れた声を出したチェレンに、トウヤは顔を向けて小さく目を瞬いた。
オタマロさんがぬるぬるしている。 いや、いつもぬるぬるしているが。
「そ……う?」
「……あぁ。 キミはいつも僕らの後ろにいたよ。
僕や、トウコやベルのやることを後ろでニコニコして見ているだけの、透明な子供だった。
トウヤが旅に出るって言い出したときは、心底びっくりしたよ。」
「それは……」
「『トウコちゃんに言われたから』……だろう? ……もう、聞き飽きたよ、その言い訳。
……トウヤ、僕はトウコほどじゃないけど、キミとは12年の付き合いだ。 だからわかる。
キミがキミの意思で旅に出ない限り、絶対こう言っていたはずだ。
……『旅になんて出たくなかった』って。」
自転車を起こすチェレンの足を視界に入れたまま、トウヤは押し黙った。
少しすました顔のジャノビーがトウヤのポケモンを見てクスクスと笑う。
チェレンが自転車を押して歩き出すと、トウヤはマロマロうるさいオタマロさんを抱え上げて、後ろをとぼとぼと歩き出した。
きゅ、と結ばれた唇を見ると、そばを歩き出したフタチマルの眉がもそもそと動く。
「ふたっ! ふたたーっ!!」
「……何?」
「ご、ごめんチェレン…… フタチマル、チェレンはボクをいじめてるわけじゃないんだよ。」
トウヤが言うと、チェレンはちょっと不機嫌そうにメガネを直した。
プリプリ怒っているフタチマルを見ていると、トウヤの顔に少し笑顔が戻る。
右手で帽子を直して背筋を伸ばすと、ビクビクしているミルホッグに歩き出すよう促して先を行くチェレンに並んだ。
「確かに、あの日ゾロアが帰ってこなかったら……旅に出たいなんて言わなかったと思う。
だけど、今楽しいよ。 ポケモンのいる世界がこんなににぎやかで……うまく言えないけど、こんなにワクワクすること、カノコタウンにいた頃は考えてもみなかったから。」
「……そうか。」
自転車を押して歩きながらチェレンは答える。
足の下をぼうっと汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと遊覧船が潜り抜けていった。
オレンジの水面を進む船を見送るトウヤを横目で見ると、チェレンは1度自転車のハンドルを強く握ってから、尋ねる。
「……トウヤ。 ……トウコは、見つかったのか?」
トウヤの足が止まる。 目は瞬き、腕からオタマロが滑り落ちた。 トウヤの変化にフタチマルとミルホッグがハテナを浮かべ、顔を覗きこむ。
自転車を止めるとチェレンは振り返り、固まったトウヤをじっと見続けた。
ホタチに触れてフタチマルが小さく声をあげたとき、トウヤはバッグのヒモを握り、小さく首を横に振った。
「ううん……まだ。」
「……そう」
「でもサンヨウシティのデントさんが、トウコちゃんだったらチャンピオン目指してジム巡りしてるかもって!」
唐突なトウヤの明るさをいぶかしんでミルホッグが首をかしげる。
少しして、再び足を動かしながらチェレンが少し笑う。
「……確かに、リーグチャンピオンなんてトウコの好きそうな話だね。」
「うん。 だから、ボクもジムを巡って、ポケモンリーグ目指してみようと思って……」
「……言っておくけど、」
固い笑みを浮かべるトウヤに、チェレンは横目を向ける。
「僕の目標もチャンピオンだから、『その道』にトウヤが立ちふさがるなら、たとえ幼なじみが相手でも手加減しないよ。」
「う……」
笑みすら消えたトウヤをフタチマルが、ぶった。
人間には理解できない鳴き声で何かを叫ぶポケモンを見ると、チェレンは少し笑って1歩を強く踏みしめる。
「……まぁ、悪い話じゃないね。 僕らが強くなったその先にトウコがいるというのなら、たとえ嘘でも信じてみる価値はあるよ。
僕がやることは変わらない。 チャンピオンを目指して強くなるために、僕と、僕のポケモンを鍛えるだけさ。」
前を向いて喋るチェレンに、トウヤは少し置いていかれた。
フタチマルがホタチを振り回してチェレンを威嚇する。
うっとおしそうにフタチマルを見るジャノビーに攻撃しないようクギを刺すと、チェレンは少しだけ振り返り、ずっと握り締められたままのトウヤの手をチラリと見た。
考えすぎると何かを握り締めるクセはそのままだ。 緊張すると唇を噛むクセも。
「……トレバ、『グラスミキサー』。」
チェレンの視線に気付き、小さくうなずくとジャノビーはトウヤの帽子のツバめがけ葉っぱを1枚飛ばしてみせた。
帽子を弾き飛ばされ、目を白黒させるトウヤに、チェレンは笑みを浮かべる。
「……トウヤ、まだ『答え』は出ていないさ。 僕だってキミの全てを疑ってるわけじゃない、トウコを探すという点においては僕も……きっとベルも協力するさ。
まだ悲観するには早い……そうだろう?」
「うん……うん。」
バッグのヒモをぎゅっと握ると、トウヤはチェレンを見、フタチマルを見、ミルホッグを見、オタマロに目を向けた。
ヒウンの摩天楼はもうすぐそこに迫ってきている。
眉に力を入れ、チェレンの方に顔を向けるとトウヤは作った笑顔を彼に向けた。
2人の足が動く。
アスファルトをチリチリと焼く太陽は、沈んだ後になお、その光をうっすらと大地に残していた。
続きを読む
戻る