太陽に届くほど高く飛び上がったヤナップに、ミルホッグは細い両腕を突き出して身構える。
「『つるのムチ』!!」
「『いあいぎり』!!」
バアン、と大きな音が響き、不安定な空中にいたヤナップが弾かれる。
くるくると落ちてきたヤナップは噴水のヘリを跳ね回ると、大きく突き出されたダンサーの腕を木の枝代わりに1回転して華麗に着地を決めた。
おぉっとギャラリーから拍手が溢れ出す。 確かに敵ながら、あっぱれとしか言いようのない身のこなしだ。
ふんっと鼻息を荒くするミルホッグに、トウヤは内心戸惑っていた。
バトルともなれば真っ先に逃げ出し、いつもビクビクしていた「あの」ミルホッグが。 先頭立って戦いに参加してくるなんて。
あちこちに視線をさ迷わせ少しだけトウヤは考えたが、ひとまずやれるとこまでやらせてみようと決め、ぐっとアゴを引いて身構えた。
「ミルホッグ、『さいみんじゅつ』!!」
「きゅっ!!」
大きく息を吸い込むとミルホッグは体を大の字に広げ、シートベルトのような体の模様をチカチカと光らせた。
カンジュセイユタカだったのか、ギャラリーの何人かがバタバタと倒れだす。
戦っていたヤナップも、目の大きさを半分にしてぐらぐらと頭を振る。
今にもひざを突きそうだったが、ダンサーが大きな音で手を叩くとぱちりと目を見開いてキィッと高い鳴き声をあげた。
白い歯を見せてダンサーが笑う。 突き出された指はまっすぐにミルホッグの方を向いていた。
「オーケイ、魅せるぜヤナップ!! 『タネばくだん』!!」
「キッ!」と大きく両手を空へ掲げると、ヤナップは頭の葉っぱの中から握りこぶしほどの大きなタネのようなものを取り出してミルホッグの足元へと投げつけた。
コンクリートの地面に激突したタネは小さく爆発すると白い煙のようなものを噴き上げる。
視界が奪われ、ミルホッグはむせこんでケホケホとセキをする。 ダンサーがくるくると指を回すとヤナップはツルを伸ばし、ミルホッグの体を絡め取った。
ヤナップより大きな体が浮き上がり、ぐるぐると振り回される。
巻き込まれた『タネ』の粉が白い竜巻を作る。 高く高く投げ飛ばされたミルホッグを目で追いながら、トウヤの心はしびれていた。
ミルホッグはまだ戦えそうだ。 手足をジタバタさせながら落ちてくる自分のポケモンを見つめると、トウヤは大きく息を吸い込んだ。
「ミルホッグ!! 大きく息を吸うんだ!!」
吸い込んだ息を思い切り吐き出してトウヤは叫ぶ。
落ちたミルホッグを追撃しようとヤナップは、そこまで迫っている。 着地する足を決めると、ミルホッグはトウヤの指示通り空気を肺に取り込んだ。
ヤナップの『つるのムチ』が振り上げられる。 ミルホッグの鼻先に汗が1滴伝ったとき、トウヤの指示が飛んだ。
「今だ、ミルホッグ光れッ!!」
技以外の指示に疑問の表情を浮かべながらも、ミルホッグは体の模様を光らせる。
すると、自分でも驚くほどの光が放たれた。 一瞬目のくらんだヤナップの攻撃が外れ、『つるのムチ』がコンクリートを打つ大きな音が響き渡る。
「足元から、打ち上げて!」
無防備になったヤナップの足元を狙うと、ミルホッグは前歯で引っ掛けて出来る限り高く放り投げた。
フラッシュから回復したダンサーが目を見開く。 指示を出す前にはもう、ミルホッグは飛び上がっていた。
トウヤの指が、上から下へと振り下ろされる。
「『いあいぎり』!!」
空気を切り裂く音とともに、ヤナップが大地へと叩きつけられた。
ポケモンがモンスターボールへと戻る軽い音が鳴り渡ったあと、辺りは静寂に包まれる。
だが、それも一瞬のこと。 1人の拍手が鳴り始めると、歓声、指笛、果ては誰のだか分からない帽子までもトウヤのところに飛んでくる。
我に返ってフタチマルの毛並みを握り締めると、トウヤは顔を真っ赤にして固まった。
クルクルと目を回すヤナップをしまうダンサーが、そんな彼の様子を見て笑っておやおや、と肩をすくめる。
「しまらねーな、トレーナー。 そういうときは、こうするのさ!」
そう言ってダンサーは親指を上に向け、それ以外の指をぎゅっと握り締めた。
トウヤも恐る恐る真似してみる。 そのポーズは、サムズアップという。
「!!!!!」
突然目の前に現れた自分の顔に、女の子は驚いて1センチほどその場で飛び上がった。
手にした本を抱えたまま、鏡のような自分の顔に顔を近づけてみると、目の前に現れた『自分』はイシシッと笑って小さな黒いポケモンに化けてみせた。
「ゾロア!」
抱えた絵本の中で、目の前にいるのと同じゾロアが上を見上げて笑っていた。
「久しぶり、元気そうね! トウコお姉さんとは仲良くやっている?」
矢継ぎ早にまくしたてる女の子に、ゾロアはイシシッと笑って返事をする。
背中にぶつかられ、ヒウンストリートの人通りの多さに悪態をつくと、女の子はゾロアに手招きし、トウコと出会ったビルのエントランスに小さなポケモンを招きいれた。
「まさか、またあんたに会えるなんて思ってなかったわ。
トウコお姉さんは元気? ……って、あんたに聞いてわかるわけないか。
あんた、人に化けることは出来ても人の言葉は喋れないもんね。」
黒くてふさふさの尻尾を振り、ゾロアはイシシッと笑い声をあげた。
「今日ね、あんたのこと思い出してたのよ。 ほら、前に会ったとき読んであげた絵本! そうだ、またこの本、読んであげようか?」
フフン、と鼻を鳴らし、ゾロアはちょっと見下すような目で女の子を見上げる。
むっと口をつぐんで眉をつりあげると、女の子は片手を腰に当ててホール中に響くような声でそれを否定した。
「ちっがーう! あたしはもう迷子じゃないもん!
バカにしないでよ、あれから1つ大人になったんだもん。 もう道に迷ったりしないわ!」
イシシッと笑うとゾロアはその場で1回転し、トウコの姿へと化けてみせる。
なつかしいなぁ、と、女の子がトウコに化けたゾロアの顔を見上げていると、ふと長い髪を揺らし、ゾロアがビルの自動ドアに視線を向けた。
忘れな草色の瞳に映ったのは、大きな歩幅でゆっくりとこちらへ歩いてくる、緑色の髪の青年の姿だった。
傍らにはトウコが連れているのと同じ、ゾロアを引き連れ、その暗い瞳は優しく微笑む。
トウコの顔をしたゾロアは眉を潜め、少し口をとがらせて青年……Nのことを睨みつけた。 そんなことお構いなしといった感じで、Nの方はトウコたちの方へと足を進めてくるのだが。
「あれからずっと探していたんだよ。 ボクはキミのことがとても気になっていたからね。
どうやらキミはボクの常識とは違うところにいる生き物らしい。 もっとキミのことを教えてほしいんだ。」
「……お兄さん誰? トウコお姉さんの知り合い?」
いぶかしげに首を傾げる女の子の横で、「ケッ」とトウコは舌打ちする。
少なくとも仲良しではなさそうだな、と、女の子は下唇で上の唇を噛んだ。
後ろで1つに束ねた長い髪を揺らし、青年Nは自分の傍らにいるゾロアを視線で指す。
「ボクのトモダチのゾロアも連れてきたんだ、キミとトモダチになれないかな?
キミたちを取り巻く環境の劣悪さを、ボクは良く知っているつもりだ。 キミたちを助け出すためにボクの力を使わせてほしい。」
何を言っているの、と、トウコの隣にいる女の子も眉を潜める。
軽く肩をすくめると、トウコは女の子の方を向き、自分で自分の耳をトントンと叩いてみせた。
女の子が自分の耳を塞ぐと、トウコはゾロアの姿に戻り、口を目いっぱい広げて衝撃波ともいえる大声を放つ。
突然の攻撃に、Nのゾロアが耳を塞ぎきれず、きゅうと目を回し転げ落ちた。
ゾロアは割れた花瓶の横を走り抜けると、Nの横をすり抜けメインストリートへと身を翻す。
「待って!?」
トウコの後を追ったNはヒウンストリートへと出ると目を疑った。
そこらじゅうゾロアだらけだ。 足元を走りぬける小さな黒い狐に、街の人も悲鳴を上げたり、嬌声を上げたり。
街中をぐるりと見渡すとNは服の端を握り締め、事態をぽかんと見つめているゾロアに視線を向けた。
「匂いで追ってくれないか、ボクの目ではどれが本物かわからない。」
「けんっ!」
大きく尻尾を振ると、Nのゾロアはアスファルトに鼻をこすりつけるようにして歩き出す。
通りをぐるぐると幾何学模様でも描くかのように走り回ると、ゾロアは車道の手前で困ったように上を見上げた。
コンクリートで固められた1本の細い棒の上には、『BUS STOP』と赤いペンキが塗りたくられている。
「お客さん……」
小さな蘭の花びらを鼻先に突きつけられ、トウコはくしゃみをする。
高速道まで乗り上げてしまったバスの車掌はトウコの膝元に花びらを落とすと、ため息をついてバスの出入り口を指差した。
「……金がないなら次のバス停で降りてもらいますからね。」
いたずらっぽい視線を向けると、トウコはイシシシシッと小さく笑った。
窓の外では、黄色い砂が吹き荒ぶ。
呆れ顔でイスへと戻っていく車掌の背中を見送ると、トウコの顔をしたゾロアは窓の外へと視線を向け、ひざに落ちた蘭の花をぱくりと食べた。
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