「……まずひとつ、アタシは人間だ。」
あくびするゾロアの前に立ち上がったままで、トウコはＮを睨んだまま、そう切り出した。
ゴンドラはゆっくりと下降を始める。 その時間は長いようにも短いようにも感じられた。
「アタシの声がオマエとトウヤにしか届いてないってのは本当。
幽霊ってやつだよ。 自分でもビックリしてっけどさ。」
Ｎからの返事はない。 ただ呆然と目の前のトウコに目を向けたまま、口元を押さえているだけだ。
「「なんで？」かなんて、アタシも知らない。
ただ気がついたら自分が幽霊になって、こいつ以外のポケモンたちがいなくなってた。
どっかでくたばってんのかもしれないけど、それすら自力じゃわかんねえ。
しょうがないから来た道引き返したら、自分の家まで帰ってきてたんだ。」
座り直したトウコの隣で、ゾロアがイシシッと笑い声をあげる。
トウコは自分のひざの上に頬杖をつくと、段々と迫る造られた街並みに横目を向けた。
ため息がひとつ漏れる。 ここにＮがいることがプラズマ団に気付かれたようだ。
ふわり、と、吹くはずのない風が吹くとトウコの影が薄くなった。 本体が入れ替わった、そう感じながらＮは胸元に手を当てる。
「……あとさ、あんまりトウヤのこと甘くみんな。
アイツは気付いてるよ。 それを口にしたら、ここにいるアタシを否定することになるから言わないだけで。
トウヤだけじゃない。 チェレンも……ベルも……」
２人乗りであるはずのゴンドラから小さなポケモンが飛び出して、扉を開けた係員は驚いて小さく悲鳴をあげた。
ポケモンの行く先を目で追うと、入れ違いにヘンテコな服を着た銀色フードの集団がどかどかと押し寄せてきて、ゴンドラの中から若い青年を引きずり出す。
「Ｎ様！！」
「Ｎ様、ご無事ですか！？」
引きずり出された青年は足元をふらつかせると、シワが残るのではないかというほど強く胸元を握り締めた。
プラズマ団の１人がクスクスと笑うゾロアを睨み、奥歯を軋ませる。
「貴様……Ｎ様に何を！」
「やめろ！ プラズマ団の理想は人とポケモンを切り離すことだ、ポケモンといがみ合うことではない！」
「しかし……」
振り返るプラズマ団に強い目を向けると、Ｎは支えられた手を断って立ち上がる。
「……ボクなら問題ない。 キミたちは下がっていたまえ。」
螺旋階段の下に心配そうに見上げるトウヤの顔があった。
Ｎはトウコを先に行かせると、隠し持っていたモンスターボールを手に取る。
階段を降り切れば、予想通りトウヤは自分の背後にいるプラズマ団たちへと吠え掛かった。
「プラズマ団！ トウコちゃんとＮから、は、離れろ！」
恐らく回復したのだろうモンスターボールを手に、トウヤは舌を噛みそうな奥歯に力を入れて叫ぶ。
その顔を見て悲しそうな顔をすると、Ｎはトウコをトウヤのもとへ向かわせ、モンスターボールから一つ目の大きな鳥を呼び出した。
「シンボラー、『エアカッター』。」
「わ！？」
自分の足元を狙う斬撃に思わず目をつぶったトウヤの前にイシズマイが飛び出し、地面から飛び出す小さなトゲで相手の攻撃を迎え撃った。
ケガこそなかったが、あまりに突然のことにトウヤは固まり、呆然とＮを見つめ返す。
声の出ないトウヤに自分の下唇を噛むと、Ｎは背後のプラズマ団たちに小さな声で指示をだした。
「……彼の相手はボクがする。
キミたちは街にいる他のプラズマ団を連れて先に戻っていてくれ。」
「しかし、王様……」
「心配ない、あとでボクも合流する。」
強い口調でそう言うと、階段の昇り降りで少し息を切らせたプラズマ団たちは納得しない表情で走り出した。
追いかけようとトウヤの足が動くが、行き先をシンボラーに阻まれる。
振り返ると、Ｎは哀しそうな瞳でトウヤを睨んでいた。
声も出せずトウヤは飛び出したイシズマイに守られる。 息苦しそうに口をパクパクさせると、トウヤは戸惑った表情をＮに向け、搾り出すように声を出した。
「Ｎ……？」
「トウヤ、逃げるプラズマ団のため……ボクの相手をしてもらうよ。」
「どういう……」
言い切る前に足元に攻撃され、トウヤは悲鳴をあげた。
何かのイベントかと人が集まってくる。 Ｎは人があまり近づきすぎないよう、ぐるりとシンボラーを周回させるとトウヤの足元でＮを睨むトウコにチラリと視線を向けた。
「……Ｎがプラズマ団の『王様』だってよ。」
チ、と舌打ちして、トウコがトウヤに説明する。
信じられない、といった顔をしてトウヤの瞳が揺れた。
唇を尖らせるとトウコは自分たちの周りに触れない柵を作る。 置かれた環境こそ似ていたが、先に聞かされた分だけトウコの方が冷静だった。
「戦えよ、トウヤ。」
「でも……！」
「Ｎとバトルするだけで、プラズマ団が誰も傷つけずに退散してくれるっつーんだぜ？ こんなイイ話もないだろ？」
トウコとＮの顔を見比べると、トウヤは頭を抱え込むようにした後、出すはずだったフタチマルのボールをしまった。
何かに納得するように小さくうなずくと、トウヤはバッグから図鑑を取り出しＮの呼び出したポケモンへと向けた。
とりもどきポケモン、シンボラー。 鳥どころかそもそも生き物にすら見えなかったが、上空でゆっくりと羽ばたくそのポケモンは確かにトウヤのことを１つの目で見つめている。
トウヤが息を吸い込むと、かすかに雨の匂いがした。
「イシズマイ、『ロックブラスト』！！」
上を見上げるとイシズマイはふわふわと宙に浮くシンボラー目掛け、細かい岩を無数に発射する。
狙いもなにもあったものではなく、打ち上げられた岩は空中で失速するとパラパラと細かい粒になって落ちてきた。
おびえた目でシンボラーを見上げるトウヤに、Ｎは薄く笑みを浮かべて肩をすくめる。
「恐れることはないだろう、キミがいつもやってきたことだ。
ボクもキミもお互いに守るべきものがある、決して理解しあうことはない。 戦ってねじ伏せる他、道はない！」
シンボラーの大きな目玉が光ると、虹色の光線がトウヤの足元を削り取った。
慌てて戻ろうとするイシズマイにトウヤは人差し指を向ける。
「『むしのていこう』！」
イシズマイは身を翻すと、攻撃というにはあまりに小さなトゲを無数に発射する。
宙に浮かぶシンボラーの体からは小さな鱗のようなものがはがれ落ちただけだったが、初めてされた反撃らしい反撃にＮの口元が歪む。
「え、ぬ」
宙に突き出した手もそのままに、トウヤは血のにじむ唇をかすかに動かした。
何か言おうとして、止まり、小さく首を横に振る。
上げっぱなしだった手を下ろしぎゅっと握ると、トウヤは帽子のツバを上げ宙に浮かぶシンボラーを睨みつけた。
「イシズマイ、『むしのていこう』！」
一瞬だけトウヤの方を振り返ると、イシズマイはぐっとオレンジ色のハサミに力を入れ、小さなトゲをシンボラーに飛ばす。
Ｎが指示を出すとシンボラーはそれを避け、羽ばたきもせずイシズマイへと突っ込んできた。
大きな体の真ん中にある一つ目が虹色に光るのを見て、トウヤは曇り始めた空に手を突き上げる。
「『うちおとす』んだ、イシズマイ！」
「シンボラー！」
大きな羽音が響き、イシズマイの打ち上げた岩がシンボラーの羽根を掠める。
薄く笑うと、Ｎはシンボラーの背中に向け人差し指を突きたてた。
「シンボラー、『サイケこうせ……」
「『からにこもる』！！」
攻撃よりも大きな声を出すトウヤにＮが目を丸くした直後、イシズマイを見下ろすように浮き上がっていたシンボラーの背中に米袋ほどの大きな岩が落下する。
宿の中に身を隠したイシズマイの上に、シンボラーは墜落する。
はぁっと荒く息を吐くと、トウヤは汗まみれの顔を袖でゴシゴシと拭い、ぎゅっと唇を固く結んだ。
動かないシンボラーの下からゴソゴソとイシズマイが這い出すと、トウヤは恐る恐るといった感じでイシズマイにサムズアップのポーズを向けた。
イシズマイがオレンジ色のハサミをカサカサ動かすと、ようやくトウヤの顔に笑みが少し戻る。
「……なにがおかしい？」
倒れたシンボラーをボールに戻すＮが、低い声をあげる。
トウヤの茶色い瞳はまだおびえていたが、少し考えるようにすると顔を上げて相手の眉間のしわに目を向けた。
「楽しいんだ、バトルが。」
「何が？」と言わんばかりのＮの視線から、トウヤは目をそらさなかった。
「うまくは……いえない。
けど、なんていうか、心の底がこう……ウズウズして、ワクワクして、技を出したくってしょうがないんだ！
えっと……」
「もういい、やはりキミとは理解しあえない。」
手元のモンスターボールを入れ替えると、Ｎは冷めた目をしてアスファルトの地面から立ち上がった。
湿った風が吹く。 嵐のような強い風は、彼の若草色した髪をバサバサと振り回した。
潰れそうなほどに強く『それ』を握ると、Ｎはモンスターボールを焼けた地面へと放つ。
中から出てきたのは、トウヤもよく知っているポケモンだった。
「ズルッグ……！」
「先制しろ！ 『だましうち』攻撃！！」
Ｎからの指示が出され、ひょいと飛び上がったかと思うとズルッグの姿が見えなくなった。
驚く間もなくイシズマイの背後に強い殺気。 Ｎのズルッグの攻撃はイシズマイが気付くよりも先にその体をアスファルトの上へと叩きつけていた。
「イシズマイッ！？」
ごろりと転がった岩の隙間から、ピクピクと痙攣するイシズマイの細い足が見える。
もう戦えそうにない。 トウヤはイシズマイをモンスターボールへと戻すと、Ｎとそのポケモンとを見比べた。
「だったら、こっちも……ズルッグ！」
ボールから飛び出すなり指示もなく突っ込んでいったズルッグは拳を振り上げ、Ｎのズルッグへと鈍いパンチを振り降ろす。
Ｎからの軽い指示があると、Ｎのズルッグはずり下がっていた腰の皮を引っ張り上げ、その皮で相手の攻撃を受け止めた。
続けざまに攻撃しようとするズルッグに、トウヤが「さがれ！」と短く指示を出す。 すると一瞬止まったズルッグの目の前を、相手の振り回した尻尾が横切っていった。
「ボクには理解出来ないよ、トウヤ！」
ズルッグの出した『けたぐり』が空を切り裂く。
「なぜキミたち人間は自分勝手に傲慢に、ポケモンたちを傷つける！？」
次々と繰り出される蹴りを、トウヤのズルッグは踊るように避け続けた。
「キミはポケモンに優しい。 だからこそ解らなくなる！
なぜ、ポケモンバトルなんてポケモンを傷つけることを遊びとしておきながらキミは楽しそうに笑っていられるんだ！？
それとも、ボクの思い違いなのか？ やはりキミも他の人間たちと同じ傲慢なニンゲンなのか！？」
「……ズルッグ、『かわらわり』！！」
「ッ！」
突然目の前に突き出された拳に、Ｎのズルッグは腰の皮を引っ張り上げて防御の態勢をとる。
弾力のある皮に弾かれて、トウヤの攻撃は跳ね返された。
それでも相手の攻撃は止まる。 少しおびえたような目をしながらトウヤは視線をポケモンからＮに向け、血の味がする唇を少しなめた。
「……えっと、ごめん、Ｎ。
やっぱり早口すぎてキミの言ってる言葉、ちょっとしかわかんない。」
帽子を取って頭をポリポリかくと、トウヤはＮに心底申し訳なさそうな顔を向けた。
「きっとＮは……ボクよりずっと頭が良くって、だからボクが知らないことで怒ることもあるんだろうなぁ。
知ってると思うけど、ボク、バカだからさ。 旅に出てから色々教えてもらうんだ。
さっき攻撃を避けたステップは、ヒウンの噴水広場で踊ってる人に教えてもらったんだよ。
イシズマイの戦い方はアーティさんに。 だから、何か怒ってることがあるんだったら、分かるように教えてくれないかな？
じゃないと、なんか……ズルイじゃん。」
「ずるい？ ボクが？」
Ｎが首をかしげると、トウヤは照れたように帽子で口元を隠した。
「……だって、Ｎがボクのことを怒ってても、ボクには何を怒られてるかもわからないから、それを直すこともできないしさ。
そしたら、ずーっとＮは怒ったままで、どうしたらいいか考えることも出来ないままケンカして終わっちゃうよ。
それってなんか、ズルイじゃん。 お互いに仲良くしたいと思ってるのに、それが出来ないなんてさ。」
それとも……と、言いかけて、トウヤは口をつぐんだ。
代わりに顔を上げると、Ｎは帽子のツバを引き、トウヤへと強い視線を向けている。
鼓動が高まり、トウヤは大きく息を吸い込んだ。
湿った空気が痛いほど緊張する肺の中を満たしていく。
Ｎは赤く血のにじんだ唇を舐めると、トウヤが初めて聞くような大きな声を絞り出した。
「……ズルッグ！！ 『かわらわり』！！」
真正面からの攻撃にトウヤのズルッグは態勢を整えることが出来ず、首元で攻撃を受けると大きく吹き飛ばされてアスファルトの地面を跳ね回った。
ゲホゲホと苦しそうに咳き込む様子を見て、トウヤは慌ててズルッグをモンスターボールへと戻す。
「……『これ』の何が楽しいのか、ボクには理解出来ない。」
振り返るとＮは、トウヤ以上に苦しそうな顔をして足元のズルッグを身構えさせていた。
「戦わせればポケモンが傷つく。 そして、それは人間の身勝手な都合でしかない。
キミはおかしいと思ったことはないのか？ ポケモンを縛りつけ、傷つけてもなんとも思わないポケモントレーナーという在り方に。」
きょとん、と目を瞬かせると、トウヤは手に持ったモンスターボールに視線を落とし、地面の上へと解き放った。
ブンブンとホタチを振るフタチマルを制し、何か言おうとしてはまとまらずに口をつぐみ、すごく困った顔をして視線を下に落とす。
辛抱強くＮが待つと、やがてトウヤは顔を上げ、フタチマルの頭の毛をくしゃっとなでた。
「フタチマルは……そのときは、まだミジュマルだったけど、ボクの家で初めて出会ったとき、ボールから出た途端にツタージャやポカブと、バトルを始めたんだ。」
今度はＮが何かを言おうとして、止める。
「部屋がひっくり返るほど大騒ぎして、ミジュマル、１人負けしちゃったんだけど、楽しそうでさ。
ポケモントレーナーってよくわかんなかったけど、楽しそうだなって思ったんだ。
そう……思うんだ。 バトルしてるときのポケモンたちって、楽しそうって。
だから、楽しいんだ。 ポケモンバトルが。」
トウヤは小さくうなずくと、深呼吸して帽子を被り直した。
フタチマルが２つのホタチを両手に構える。 その様子を見るとＮは、自分の帽子のツバを深く引き下げた。
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