「ふたたっ!」
フタチマルは腕を大きく広げると、2つのホタチの切先をNの出したズルッグへと向けた。
トウヤは帽子のツバの先っぽを軽く指で押し上げると、ちょっとスッキリした顔をしていつもよりも顔を上げる。
「うん、きっと、そういうことだと思う。
 それじゃ、N! バトルの続きをしようか。
 ボクちょっとNとのバトル楽しみにしてたんだよ、こないだはトウコちゃんに取られて出来なかったからさ。」
小さく丸まっていたゾロアがイシシッと笑い声をあげた。
Nは嬉々としてホタチを構えるフタチマルを見つめると、ふぅと息を吐いて指示の手をトウヤへと向ける。
小さいながらも食らったら痛い石頭を突き出して走るズルッグに、トウヤはフタチマルに指示を出し、自分の両手を前へと突き出した。

「行け、ズルッグ『ずつき』だ!」
「受け止めろ、フタチマル!!」
トウヤのマネをしてフタチマルが両腕を前へと突き出すと、腕と腕の丁度真ん中にズルッグの頭が押し込まれる。
一瞬押し負けそうになったが、悲鳴のような声をあげて足を踏ん張ると、アスファルトにわずかな爪あとを残しズルッグの勢いが止まる。
トウヤは足を踏ん張ると、ズルッグに向かって勢いよく拳を突き上げた。
威勢のいいトウヤからの命令に、フタチマルの技の勢いも一層強まる。
「今だ、『たいあたり』!!」
勢いをつけてズルッグの体を叩きつけると、Nのズルッグは後頭部を思い切り強打し、くるくると目を回す。
舌打ちすると、Nはズルッグをモンスターボールへと戻し、代わりのボールをホルダーから引きちぎった。
時計を見る。 とっくに街のプラズマ団たちは全て引き上げている頃合だ。
このまま勝負を止めて逃げてもよかったのかもしれない。 しかしNは交代させるポケモンを、フタチマルの目の前へと解放した。



「メグロコ、『どろかけ』だ!」
飛び出したメグロコは『シェルブレード』の直撃を食らわぬようほんのちょっとだけ距離をとると、口から黒い液体を吐き出し、フタチマルの顔に吹き付けた。
不意打ちにも近い攻撃にフタチマルも避けきれず、前が見えなくなって慌てて水色の毛の生えた腕をあわあわと振り回す。
これにはトウヤも面食らった。
反撃のこない早いタイミングを狙って、Nはメグロコに次の技の指示を出す。
「『かみつく』攻撃!!」
泥を落とそうとジタバタしているフタチマルの尻尾に、メグロコは噛み付く。
悲鳴があがり、とっさにフタチマルは腰に下げていたホタチをメグロコの頭にたたきつけた。
突然の攻撃にメグロコは驚いて離れるが、依然としてフタチマルの視界は奪われたままだ。
トウヤはしつこいほどに現状を確認すると、次の指示を出すため、腰の辺りで握りこぶしをつくる。

「メグロコ、『ダメおし』!!」
Nの指示を受けるとメグロコは飛びつくようにトウヤのフタチマルに襲い掛かった。
トウヤは指示の手を上に上げる。 自分でも突飛もないとしか言いようがなかったが、他に方法は思いつかなかった。
「フタチマル! 自分に『みずのはどう』!!」
「ッ!?」
トウヤの指示にフタチマルは一瞬惑ったが、「ふたっ!」と高い鳴き声をあげると焼けた地面に手を突き、放射状に水流を発生させた。
飛び込んできたメグロコともども、フタチマルは丸い水柱に打ち上げられ、アスファルトの上に叩きつけられる。
苦手の『みず』に押しやられたメグロコは「ぐぇ」とおかしな声をあげると、地面の上に伏せったままくるくると目を回して動かなくなった。
ホッとしたのもつかの間、トウヤの見ている前でフラフラとおかしなダンスを踊ると、フタチマルはその場でばったりと倒れて小さなボールへとその姿を変えた。
あちゃあ、とトウヤは額に手を当てる。 当たり前といえば当たり前だ。
そうそう成功しないからこそ、奇策というのだ。


Nがメグロコをモンスターボールにしまうのを見ると、トウヤはチラリと空を見上げた。
空はまだ昼だというのに薄暗く、低く雷鳴がとどろき始めている。
Nのことだ。 雨が降り出したらバトルを止めてしまうだろう。
焦る気持ちを静めようと深呼吸すると、トウヤは苦い顔をして小さなモンスターボールをぎゅっと握り締める。
「……本当はさ、Nに言いたいことが山ほどあるんだ。」
「へぇ……?」
Nはモンスターボールからダルマッカを呼び出す。 Nらしくない選択は、恐らく最後のポケモンということなのだろう。
トウヤは帽子を脱ぐと、高く真上へと放り投げたモンスターボールをふんわり受け止める。
ピチピチと跳ねるオタマロを見て、Nは仰天していた。 トウヤにだって、どうしてこうなったのかわからない。
「どうしてキミが……!?」
「こっちが聞きたいよ、はぐれたんなら何で探してあげなかったんだよ。
 オタマロさん、キミのこと探し回ってたよ。」
片手には重いオタマロさん入りの帽子を両手に持つと、トウヤはNへと近づき、自分の帽子ごとオタマロさんをNへと突き返す。
珍しく何も言わないオタマロを呆然とした表情でNが見つめていると、上空で割れるような雷鳴が響き、ダルマッカが悲鳴をあげた。

「降ってきた……」
アスファルトを黒く濡らすスコールに、Nはダルマッカをボールにしまう。
物珍しそうに見物していた遊園地の客たちも、各々建物の陰に逃げ込み、移ろいゆく空模様を見つめていた。
人気のなくなった観覧車の下で、Nは突きつけられたオタマロをじっと見つめると、滴の落ちる帽子のツバにそっと手をあてた。
「トウヤ」
名を呼ばれるとトウヤは顔を上げ、目に飛び込んできた雨粒にちょっとだけ顔をしかめる。
「オタマロはもうしばらく、キミのところに居させてくれ。
 ボクはもう戻らなくてはならない。 オタマロを連れていくわけにはいかないんだ。」
「戻るって……プラズマ団に?」
「そうだ。 ボクは王だからね、いつまでもフラフラと遊び歩いていたらゲーチスや七賢人たちに叱られてしまうよ。
 ボクには人間からポケモンたちを解放させるという役目がある。 そのために必要なポケモン以外を手元に置くわけにはいかないんだ。」
トウヤの指先にピクリと動くオタマロの振動が伝わった。
言葉が出ずトウヤがパチパチと目を瞬くと、Nは小さなモンスターボールを取り出し、トウヤの指の間に滑り込ませた。
「キミだから言うよ。 ダルマッカとメグロコをリゾートデザートに帰してやってくれ。
 薬はあるが、水に弱い彼らをこの雨の中帰すのは忍びないからね。」
「え」
「本当はこんなに長く戦うつもりはなかった……ボクの予測した未来と今の未来の姿は違っている。
 だが、ボクには変えるべき未来がある。 そのために……」
雷雨は激しくトウヤの頬を叩きつけた。
肩をすくませるほど激しく雷鳴がとどろくなか、Nはトウヤから手を離すと稲光に負けないほど強い目で、叫ぶような声でトウヤに宣言する。


「ボクはチャンピオンを超える!
 誰にも負けることのない唯一無二の存在となり、全てのトレーナーにポケモンを解放させる!」

トウヤの瞳は揺れる。
何かを言いたいのと、それが反論だということだけは分かったが、口を開いても雨粒が舌を打つばかりで言葉は出てこなかった。
指先から帽子が滑り落ち、アスファルトの地面の上をオタマロがビチビチと跳ねた。
雨に濡れた両手をさまよわせ、必死で何かを伝えようとするトウヤを見ると、Nは軽く下唇を噛み、うつむきがちにトウヤに視線を向ける。
すっかりずぶ濡れになったゾロアを見、オタマロを見、うつむいたトウヤに目を向けると、Nはトウヤに背中を向ける。
1歩、2歩と進んだところで、ようやくトウヤの口から声が飛び出した。
「……Nッ!!」
くしゃくしゃになった顔で見つめるトウヤにNはわずかに振り向いた。
「キミがポケモンといつまでも一緒……
 ……そう望むなら、各地のジムバッジを集め、ポケモンリーグへ向かえ。
 そこで、ボクを止めてみせるんだ。」
雨に濡れていたゾロアの耳がピクリと跳ねた。
かすかにうなるゾロアの隣で、トウヤはさまよわせていた視線をNの足元へと向ける。
「そうしたら、またNとバトルできる?」
「……それほどの強い気持ちでなければ、ボクは止められないよ。」
雨に消えていくNの背中を見送ると、トウヤはびしょ濡れのひざを地面に突き、ぴちぴちと跳ねるオタマロにぼんやりとした視線を向けた。
2つの手の中で、Nに渡されたモンスターボールがカタカタと揺れている。
ぴちゃぴちゃと水しぶきをあげるオタマロさんをボールへと戻すと、トウヤはゆっくりと、ずぶ濡れのスニーカーで立ち上がった。





「トウコちゃん!?」
遠くから聞こえる声にトウヤは顔を上げる。
まるで新品の靴で水たまりをはね上げて、金髪の女性は傘をさしたままトウヤへと近づいてきた。
「ジムリーダーさん……」
「弟君! 街のプラズマ団たちはいなくなったわ。 けど、トウコちゃんが……トウコちゃんが、街中、どこを探しても見つからないの。
 キミはずっと遊園地にいたのよね、トウコちゃんどこにいるか知らないかしら?」
むき出しの肩にじっとりと汗をかいたライモンのジムリーダーに尋ねられると、トウヤは言葉に詰まる。
ずぶ濡れのゾロアにチラリと視線を向けると、視線に気付いたジムリーダーは驚くほどのスピードでしゃがみこみ、肌に毛のはりついたゾロアにじっと目を向けた。
「……トウコちゃんのゾロア! だったら、近くにトウコちゃんもいるのよね!
 ねえ、教えて、弟君! トウコちゃんはどこにいるの、もう1年も連絡ついてないの、私心配で……!」
次から次へとまくしたてられて、トウヤはますます言葉に詰まる。
逃げることも出来ず、つまらなそうな顔をしている『トウコ』に視線を送ると、耳の後ろをポリポリとかいていたゾロアがくしゅん、と小さくくしゃみする。
ハッと気付いたように目を見開かせると、ジムリーダーはポケットからかわいらしいハンカチを取り出してトウヤの顔を拭った。
ずぶ濡れのトウヤに傘を差し出して申し訳なさそうに眉を潜めると、少し揺れる青白い瞳で、トウヤのことを見下ろす。
「ごめんなさい、私……気が動転してたみたい。 先にあなたを乾かさないと、風邪を引いてしまうわ。
 ジムにいらっしゃい。 スタッフルームにタオルがあったはずよ。」
服の貼り付く背中を押されると、ほとんどトウヤの意思とは関係なく足が動き出した。
遊園地のジェットコースターに併設されたジムに向かって歩くトウヤとジムリーダーカミツレの背中をトウコは見送る。
雨はトウコの長い髪も細い足も通り抜け、まっすぐに地面に向かって落ちていった。
きゅう、とゾロアが小さく鳴き声をあげる。 ちょっとバツの悪そうな顔でゾロアに笑いかけると、トウコはトウヤたちが向かったのと反対の方向に向かって歩き出した。


「ぴっ」と音な出そうな軽やかな仕草で大きな葉のついた枝を指差すと、トウコは片目をつぶって狙いを定める。
「ゾロア、『かえんほうしゃ』!」
狙いを絞り、ゾロアは小さく鳴き声をあげて細く赤い炎を吐く。
空へと向かう炎は雨粒に当たって白い煙があがり、それでもなお残った火は細い枝を焼き切り、大きな音を立ててそれを墜落させた。
「ほら、使いな。 ここんとこポケモンセンターにも行ってないし、いい加減風邪ひくぜ。」
トウコが焼き落とした枝をちょいちょいと指差すと、ゾロアは小さく首を横に振って黒い尻尾をパタパタと振った。
「アタシはいいんだよ、ホラ、濡れてないだろ?
 だけどオマエが風邪ひいたら、アタシが困る。 オマエが変身できないと、アタシがいなくなったも同然だからな。」
濡れた鼻先をごしごしと拭い、ひとしきり考えるようにすると、ゾロアはイシシッと笑ってトウコの姿に変身した。
追った枝先を軽々と持ち上げると、それを傘代わりに自分とトウコの雨避けにする。
「……やさしいナァ、オマエ。」
イシシッと笑い声をあげると、ゾロアはそのままテクテクと街の方へ歩き出した。
「よーし! それじゃ、2人でバスケでも見に行くかぁ!
 幽霊だしな、ズルっこしほうだいだ!」
太い枝を振り回してゾロアはケラケラと笑う。
風のように走る女の子の姿に、街の人たちはみな振り返った。
しかし、突然の雨の中、街角に通行人は少ない。
夕立のなか、巨大な枝を持ち上げて歩く女の子の姿も、都市伝説のまま終わりを迎えるだろう。


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