「……それじゃ、さよなら。」
リゾートデザートの入り口で立ち止まると、トウヤはNから預かったメグロコとダルマッカをモンスターボールから解放し、見上げる2匹に小さく手を振った。
一夜明けると昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、2匹ともまぶしそうに目を瞬かせている。
視界が開け、少し困惑したような顔をトウヤへと向けると、メグロコは湿った砂の中へ潜り、ダルマッカはリゾートデザートの奥のほうへと向かってせかせかと走り出した。
せわしなく上下する赤い背中をため息交じりに見送ると、トウヤはゆらゆらと景色の揺れるリゾートデザートに背を向けた。
太陽も昇り、風が強くなってくる。
この分だと昼頃にはまた、砂嵐になるだろう。 帰り道を急ぐトウヤがふと顔を上げると、砂漠の金色に混じりそうな髪色をした女の子が、こちらに向かって千切れんばかりに腕を振り回していた。
「とーやぁ!! ト・ウ・ヤーッ!!」
「ベル!!」
長いスカートで走りづらそうに駆け寄ってくると、ベルはトウヤの鼻先3センチのところにホコリまみれのバッジケースを突きつけた。
そんな近くに寄られたって見られるわけがない。 2歩下がってトウヤは、ベルのバッジケースに目の焦点を合わせる。
かわいそうにくすんでサビだらけになったバッジたちの中で、1つだけ光り輝くバッジ。 それはトウヤがヒウンシティのアーティからもらったものと同じ、ビートルバッジ。
「ビートルバッジ!」
「えへへ、すごいでしょー! あたしだって、やればできるんだよ!」
パッと顔を輝かせると、トウヤはベルと一緒になって女の子のようにきゃあきゃあと騒ぎ出した。
まだ朝も早い砂漠の中、寝ぼけ眼のポケモンたちがのそのそと巣穴から這い出してくる。





「今朝、ライモンに到着したんだあ。
 それでチェレンに聞いたら、トウヤこっちにいるっていうから。」
ちょっと照れたようにはにかみながら、ベルはそう言ってバッジケースをバッグの中へと突っ込んだ。
「それで、わざわざリゾートデザートまで?」
「うん、ライモンのポケモンミュージカル、トウヤと一緒に見ようと思って。
 チェレンはポケモンジムに挑戦しに行っちゃったし、こういうのは誰かと一緒の方が絶対楽しいもんね!」
「……ポケモンミュージカル?」
目をパチリと瞬かせ、トウヤが首を傾げると、ベルは大げさすぎるほどに大きく首をうなずかせる。
彼女はくしゃくしゃでところどころ文字の読めなくなったパンフレットをバッグの中から引っ張り出すと、それをトウヤの胸元に突きつけた。
折り目がいくらか白くなっているが、紙の上ではかわいらしく飾り付けられたポケモンたちが舞台の上で仁王立ちしている。
「あのね、ポケモンたちがかわいくおしゃれして、音楽に合わせて歌って踊るの!
 飛び込み参加もアリなんだよ、きっと楽しいよお!」
「ぎゅぎゅーっ!」
「ふえ!?」
返事よりも先に飛び出してきたミルホッグに、トウヤとベルは肩を跳ね上げて後ずさる。
「ご、ごめん……なんかモンスターボールのしまりが悪いみたいで……」
鼻をヒクヒクさせるミルホッグを自分の方に寄せると、トウヤは片手にパンフレットを持ったまま歩き出した。
「オタマロさんとかも、よく勝手に出てきちゃうんだ。
 変なとこで出ちゃうと危ないし……博士に相談しといた方がいいかな?」
「んー……」
唇に指を当て、憎々しいほど青い空を見上げ、ベルは少しだけ考える。
「もしかしたら、トウヤのポケモンは、トウヤが好きだから勝手に出てきちゃうんじゃないかなあ?」
「へ?」
予想もしなかった言葉にトウヤの口から変な音が漏れる。
「だってほら、トウヤのポケモンたちってみんな楽しそうだし!
 トウヤと一緒に楽しいことを楽しみたくて、勝手に出てきちゃうんじゃないかなあ? ねー、ミルホッグ?」
ぴんっと尻尾を立ててベルに顔を向けると、ミルホッグはチラチラとトウヤの持つパンフレットを気にしながら2人の後をつけた。
ミルホッグの視線を気にしながら振り返り振り返りベルは歩くと、じっとパンフレットに視線を落とすトウヤに人差し指を振る。
「ね、ミルホッグも行きたいみたいだし! 行こうよ、ポケモンミュージカル!」
街の入り口が近づく。 トウヤとて考えることはあったが、どれもこれもうまく言葉に出来ない。
振り返れば、ミルホッグがものすごく期待した眼差しでトウヤのことを見つめている。
キラキラした目に押されると、トウヤは仕方なくうん、とうなずいた。



ミュージカルホールに着いた途端、2人は「わぁ」と小さく歓声をあげる。
ふっかふかの絨毯に、キラキラと光を反射するシャンデリア。 ロビーに飾られた花々からはいい匂いがするし、ゆったりと流れるクラシックは嫌が応にも心を落ち着かせる。
「ベル、や、やっぱやめとこうよ……なんかボクたち浮いてない?」
気後れしてトウヤは後ずさりする。
引き返そうとベルの手を引くが、彼女の足は全く動かず、その目はロビーに飾られた小さな写真へとじっと向けられていた。
「ベールー!」
「トウヤ、あれ……!」
細い指で1枚の写真を指差すと、ベルは戻ろうとするトウヤを振り切ってロビーの奥へと駆け込んだ。
慌てて追いかけるトウヤはソフト帽の紳士とぶつかりそうになり、慌てて頭を下げた。 半分見失いそうになりながら慌てて彼女を追いかけると、ベルは1年前の写真が並ぶ出演者たちのパネルを食い入るように見つめている。
「……やっぱり、トウコちゃん!」
「トウコちゃん?」
驚いた顔でトウヤがベルの指の先へ視線を向けると、何十枚と飾られた写真の中の1つに確かに自分の姉の姿を見つける。
写真の中でトウコは可愛らしく着飾ったポケモンとともに、カメラに向けて満面の笑みでサムズアップしていた。
ゾロアじゃない……ある種当たり前のことにトウヤは驚きながら写真の中の自分の姉をじっと見つめる。
背後から近づく人物の足音は柔らかい絨毯に包まれ、トウヤの耳には聞こえなかった。 そのせいで、肩を叩かれたときトウヤは驚いて3センチは跳ね上がったのではなかろうか。

心臓を押さえトウヤが振り返ると、さっきぶつかりかけたソフト帽の老紳士がにこにこと杖をついてトウヤたちのことを見下ろしていた。
おびえた目で見つめるトウヤとベルに少し照れたように自分の髭をなでると、老人はちょい、と写真の方を指差してトウヤたちに尋ねる。
「もし? キミたちは、彼女の知り合いかね?」
「トウコちゃんを知ってるんですか?」
「トウヤはトウコちゃんの弟なんですよ!」
ちょ、と、言葉を詰まらせトウヤはベルの方を見る。 なにもこんなところで、そんな個人情報をばらさなくても。
老人はふぁふぁふぁ、と上品そうに笑うと、しわくちゃの手でトウヤの肩を叩く。
「そうかそうか、彼女の弟か! 言われてみればどことなく彼女の面影がある。
 自己紹介がまだだったね、私はこのミュージカルのオーナー、コドウだ。
 キミたちもポケモンミュージカルに興味があるのかね?」
「はい! すっごく!」
答える暇もなくベルが弾んだ声をあげ、トウヤは置いてけぼりになる。
その足元で期待した眼差しを向けるミルホッグをミュージカル見ると、オーナーはにっこりと微笑んでミルホッグの頭にそっと手を置いた。
「このミルホッグはトウヤくんのポケモン……かな? このミュージカルホールを気に入ってくれたようで嬉しいよ。
 どうだい、君たち、自慢のポケモンと一緒にポケモンミュージカルに出てみないかい?」
「えっ?」
「わあ、いいんですか?」
ベルの弾んだ声にオーナーは満足そうにうなずいた。
いいとも悪いとも言わないまま、トウヤとベルにグッズのたっぷり入った可愛らしいケースが渡され、試着室に押し込められる。
トウヤは頭を抱えた。 一応男の身分として、こういったことは恥ずかしくて仕方ないのに。


鼻をひくひくさせてご機嫌なミルホッグをよそに、トウヤはグッズケースを開けてため息をつく。
予想はしていたが、フリルたっぷりのリボンやら、かわいらしい花飾りやら、中に入っているのは女の子の喜びそうなものばかりだ。
「どうしよう……」
プログラムを確認する。 演目は『情熱のライモン』、一昔前のライモンシティを舞台にしたポケモンたちによる西部劇だ。
なんとか四次元ポケットのようなグッズケースから使えそうな物を引っ張り出し、仕分けする。
さぁつけるか、とトウヤが半分諦めたような気持ちで茶色い帽子を手にしたとき「ポン」と音が響いてトウヤのモンスターボールが勝手に開いた。





自分のチャオブーを目いっぱいフリフリに飾り付けて、ベルはトウヤが出てくるのを待っていた。
ベルはトウヤの実力は知っているし、それにミルホッグのやる気。 期待に胸が膨らんで変な笑いがこみ上げてくる。
まるでデートの前のようにそわそわと落ち着かない様子でベルが待っていると、ドレスアップルームの扉を開けてトウヤが出てきた。
「おまたせ……」
「あ! トウ……ヤ……?」
とぼとぼと重い足取りでドレスアップルームから出てきたトウヤを見て、ベルも一緒に待っていたオーナーも固まった。
トウヤの足元には、これ以上ないほどにキレイに飾り付けられたオタマロさん。
なんでオタマロさん? この流れでオタマロさん?
疑問の尽きないベルの様子に気付いたのか気付かずか、はあ、と、大きなため息をつくとトウヤはつぶやくような小さな声を出す。
「試着室の中で勝手に出てきちゃって……戻そうと思ったけど『ちょうおんぱ』で反撃されて……」
「まーろまろまろまろまろ!」
満足そうに甲高い声で鳴くオタマロさんに、ベルはトウヤに同情した。
その後ろにはドレスアップが終わったらしいミルホッグが悲しそうな顔をしていじけているし。
なぐさめに行ったチャオブーの背中を見つめていると、ざわつく観客席の扉を一瞬開いて、丸めた台本を片手に演出家の人がやってきた。


「皆さん、ドレスアップは終わりましたでしょうかー?
 お配りした台本にもありますが、今日皆さんに演じてもらう題目は『情熱のライモン』。
 100年ほど前のイッシュ地方を舞台にした西部劇、男の子のお客様に人気がある演目ですね。
 役どころはベルさまのポケモンが保安官A、チカコさまのポケモンが保安官B、お尋ね者役Aがシズコさん、Bがトウヤさんのポケモンです。
 ポケモンミュージカルはポケモンたちの個性を大事にしております。
 ですので、上手に踊れる必要はありませんし、万一失敗しても舞台の袖で控えているポケモンたちがフォローに向かうのでご安心ください!
 それでは、皆様、準備はよろしいでしょうか?
 まもなく舞台の幕が上がりますよ!」

ぐずるミルホッグを抱きかかえ、トウヤはベルと顔を見合わせた。
演奏開始のベルが鳴る。 薄暗く照明を落とされた客席をチラリと見て、鼻息(?)を鳴らすオタマロさんに視線を向けた。
舞台の幕が上がり、ポケモンたちが一斉に飛び出していく。
楽しい楽しいポケモンミュージカルの始まりだ。


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