いつのまにか、足は街外れの遊園地へと向いていた。
茜色に染まりながら回る観覧車を見上げ、誰もいなくなった冷たいベンチにミルホッグとふたり腰掛ける。
風は冷たく、遠くから響く笑い声はトウヤに夏の終わりを感じさせた。
傍らで鼻をヒクヒクさせるミルホッグを横目で見ると、トウヤは本日何度目かもわからないため息をそっと肺の中から追い出していく。
「……役者さんだってさ。 すごいね、ミルホッグ。」
「ぎゅ？」
怪訝そうに首をかしげるミルホッグの頭をトウヤはなでる。
今考えていること、言わなければいけないこと、どちらも絡まりあった糸のようで、トウヤは口を半開きにしたままチクチクする毛並みの頭をなで続けた。
そうこうしているうちに遊園地の閉園を告げるチャイムが流れる。
一旦ポケモンセンターに戻ろうかとトウヤが固いベンチから立ち上がると、ジェットコースターの方から不機嫌な顔をした黒髪の少年がこちらへと近づいてきた。
「……トウヤ？」
肩から提げたバッグにモンスターボールをしまいながら、チェレンは夕焼けに染まったトウヤの顔を見て眉を上げた。
ミルホッグとトウヤを見比べ、少し首をかしげるといつもより早めの足取りで近づき、話しかけてくる。
「……トウヤ、顔が暗いけど……ベルとケンカでも？」
「えっ？ 違うよ、無事にベルと合流できたし、ミュージカルも楽しかったよ！」
「……なら、いいけど。」
メガネを上げるとチェレンはトウヤに歩き出すよう促し、遊園地の出口へと向かう。
恐らくジム戦をしていたのだろうが、結果が芳しくないのはトウヤにも想像がついた。
いつもどおりを装ってはいるが、少しイライラしているとき耳の横をかくのは、チェレンの昔からのクセだ。
言うかどうか少し迷ったが、トウヤはチョコチョコと後ろを歩くミルホッグに目を向けると、チェレンの背中に向けて少し遠慮がちに口を開く。
「ポケモンミュージカルで、オーナーって人からミルホッグがスカウトされたんだ。
ミルホッグはあんまりバトルが好きじゃないみたいだし、すごくいい話だと思うんだけど……ここで別れていいものなのかどうか、かなり迷ってて……」
「……ふーん。」
少しだけ振り返ると、チェレンは変わらぬ速度で歩き続ける。
トウヤとて、話して何が変わると思ったわけでもなかった。 決めるのはチェレンでも当のミルホッグでもない、トレーナーであるトウヤの責任なのだから。
ため息をついてキラキラと光り始めた街の光景に目を向けると、ふと人々の視線に違和感を覚え、トウヤはその場で立ち止まった。
ハイヒールの足音がぐんぐん近づいてくる。
何事かと足を止めたチェレンとトウヤの目に飛び込んできたのは、走りにくそうな高いヒールのまま息を切らせてこちらへと近づいてくるライモンシティジムリーダー、カミツレの姿だった。
驚いて固まっているトウヤたちの前で止まると、カミツレは大きく息を吐いてからトウヤの方へと視線を向ける。
「弟君、これ……」
そう言ってカミツレはピンク色のメモ用紙をトウヤの手に握らせる。
他の人からは見えないよう小さな手の中にしっかりと握りこませると、カミツレは大きく息を吸い、まっすぐ立ち上がった。
「騒がせてごめんなさい、どうしても話したいことがあって……」
「トウコちゃんのことですよね？」
「えぇ。」
ピンクの紙切れをポケットの中にしまうと、トウヤはまだ少し息を切らせるカミツレに弱々しいが精一杯の笑みを向けた。
チェレンが集まってきた人の視線を気にしだす。
あまり立ち話もしていられない、と、トウヤがカミツレに別れを告げようとしたとき、風に乗って覚えのある炎の匂い、それと聞き覚えのある甲高い声が別の人だかりから聞こえてきた。
「どーしてパパの言うことが聞けないんだ！」
吹き飛ばされそうなほど激しい『ほえる』攻撃に、トウヤは思わず両手で耳をふさぐ。
ズボンにしがみつくミルホッグをなだめながら人だかりを見ると、中心では見知った顔が２人、ジムバトルにも負けないほどの白熱したバトルを繰り広げている。
「あたしだって、もう子供じゃないもん！
博士にもらったポカブだってすっごく強くなって、進化だってしたんだから！」
街灯の光を味方に相手の目を眩ませたヤナップが、大きな犬のようなポケモンへと飛び掛かる。
トウヤがポケモン図鑑を開くと、画面には『ムーランド』と表示された。
鼻っ面を引っかかれるとムーランドは牙をむき出しにして吠え掛かり、ヤナップを太い足の下に組み伏せた。
すぐさまポケモンを交代するとベルは、ふわふわと浮き上がるムンナに『サイケこうせん』の指示を出す。
「あたしはまだ旅を続けたいの！ もっともっといろんなこと知りたいの！
パパは世間知らずだなんて言うけど、世間知らずなあたしだってカノコからここまで来れたんだよ？」
「こんな遠くまで来たんだ、それで充分だろう？
パパはお前が悪いやつに騙されるんじゃないかと心配で心配でしょうがないんだ、それがどうして分からないんだ！」
「……ベルだ。」
おびえるミルホッグを右手でなだめながら、トウヤはチェレンの言葉にうなずいた。
「それに、ベルのパパさん…… もしかして、カノコからベルを追いかけてきたのかな。」
「……ベル、父親に旅に出ることを伝えてなかったのか？」
「ベルは……」
「知ってたんだね、トウヤ。」
刺すような視線に、トウヤの息が詰まる。
旅立ちの日、逃げるように家から飛び出してきたベル。
トウヤと視線が合うと、少し悲しそうに笑ってからきつく口止めされた。
理由は、大体想像がつく。
「……ともかく、こんな狭い道路でバトルされちゃメーワクだ。 ２人を止めなきゃ。」
「でも、どうやって……？」
「普通に僕らが行けば止まるさ、顔見知りだもの。」
クールに受け答えすると、チェレンは人ごみを掻き分けスタスタとベル親子の方へと近づいていった。
ムーランドに避けられた『サイケこうせん』が足元をかすめ、チェレンは少し顔をしかめる。
嫌な予感がして、トウヤはミルホッグを抱えてチェレンの後を追いかけた。
そのままバトルに混じるのではないかというほどの距離まで近づくと、チェレンはメガネを上げてベルとその父親を睨みつける。
「……ベル、ストップ！」
ふわりとあくびするムンナを背に、ベルはバッグの肩紐を握り締めてチェレンの方を振り向いた。
１つ肩で息をすると、チェレンは親子の方に視線を向け呆れたような声でベルに話しかける。
「……あのね、ベル。
キミたちのバトルのせいで、この道を使う人が通れなくなって困ってるよ。」
「ふえ？ あ！ ご、ごめんなさい！！ バトルに夢中になってすっかり忘れてた！」
「……まったくキミは……まぁ、あの日みたいに家をメチャクチャにしなくなっただけ良かったようなものだけど……」
トウヤが人と人の間から顔を出すと、ため息をつくチェレンの前でベルが白い頬をピンク色に染めていた。
ベルのパパがチェレンとトウヤに気付き、色の薄い眉を上げる。
「おぉ、チェレン君にトウヤ君！ キミたちからも言ってくれないかね！
この世間知らずは私の言うことも聞かず、勝手に家を出てってこんなに危ないところまで……父親として心配で仕方ないんだよ、わかるだろう？」
「……ベル、親父さんにちゃんと話さず出てきたのか？」
呆れたように尋ねるチェレンに頬を膨らませ、ベルは涙ぐんだ緑色の目で睨む。
「言ったもん。 何度も言ったけど、パパ全然聞いてくれなかったんだもん。」
「話は終わったのかしら？」
細い指を肩に置かれ、トウヤの心臓がわずかに停止する。
カミツレはトウヤの頭越しに親子の様子を観察すると、ちょっとだけ厳しい顔をして自分の腕を抱きかかえた。
「いや……多分、泥沼だと。」
「あら。」
「ベルもパパさんも、結構頑固で言い出したら聞かないから……」
困ったように顔に手を当てるトウヤを見て、カミツレはベル親子に目を向けた。
バトルは終わり、人の往来こそ出来るようにはなったが、続けられるのは押し問答ばかりで全くラチがあかない。
「……ベル、幼なじみのキミにこう言うのはなんだけど、親父さんの理解を得られないまま旅に出るというのは、あまり関心できる行動じゃないよ。」
「でも、でも！ チェレンだって知ってるでしょ？
あたし、ちょっとは出来るようになったんだよ！ バッジだって３つもゲットしたし、ポケモンミュージカルにだって出たんだから！」
「そんなことを言っているんじゃない、ベル！
若い娘がこんなところまで１人で来て……もし悪い奴に連れ去られたら、どうするつもりなんだ！
ここをどこだと思ってるんだ、ライモンだぞ、ライモン！ こんなに遠くまで来たんだから、もう充分だろう！」
「ちょ、えっと……あのぉ……」
「若い若いってパパ、あたしもう１４だよ！ それに、トウコちゃんだってここに来たことあるんだから！」
「ダメだ！ 他所は他所、うちはうちだよ！」
「だったら、あたしはあたし、パパはパパだもん！」
「お嬢さん、旅を続けなさいな。」
ふわりといい匂いを漂わせて、カミツレはトウヤのところから１歩前へと進み出た。
最初の勢いのままベルのパパは怒鳴りかかろうとしたようだったが、口元に笑みを浮かべたカミツレの姿を見ると目を見開かせ、一瞬止まった。
「……どなたです？ 親子の話に。」
「カミツレと申します。 このライモンのジムリーダーやモデルをしています。
もちろん、世界にはいろんな人がいます。
自分とは考えがまったく異なる人もいて、ときには傷つくこともあるかも。」
「そうでしょうとも！ そうなんです！ わたしはそれが心配で……」
「ですが」
まくし立てようとしたベルのパパをさえぎり、カミツレは言葉を続ける。
「そうしたことを繰り返し、自分と他人は違うことを……そして違っていて当然だと知っていくのが大事ですよね。
それに心配しなくとも、トレーナーのそばにはいつもポケモンがいてくれます。
いつもはかわいいのに、いざとなればすごく頼れるすてきなポケモン……ご存知ですよね、お父様。」
む、と言葉に詰まってベルのパパがムーランドを見ると、先ほどまで戦っていたはずのムーランドは道の真ん中でぐっすりと眠ってしまっていた。
驚いてベルの方を見ると、彼女の傍らでぷかぷかと浮かぶムンナが、鼻の穴からふわふわとピンク色の煙を吐き出している。
「この技は……まさか、『あくび』？」
「おねがい！ パパが心配するように大変なことがあるのは知ってるよ……知ってるもん！
だけど！ いい人もいるし、ポケモンと一緒にあたしもちょっとは強くなったんだよ！ だから！」
気持ちよさそうに眠りこけているムーランドを見ると、ベルのパパは困ったような顔をして頭の上に手をやった。
ふと見れば自分の娘はいつ相手ポケモンが起きてもいいように、相性のいいチャオブーのボールを油断なく構えている。
なにかまずいものでも食べたかのような、それはそれは渋い顔をするとベルのパパは口をモゴモゴさせチラリと、なぜかトウヤの方を見た。
「ベル……パパはね、本当にお前のことが心配なんだ。
……でも……うーん……そうだよねえ……
旅を続けたいのがベルのワガママというなら、旅をやめさせたいのは私のワガママだ。
しかも、どう考えても私のほうが子供っぽい。」
ベルのパパが眠っているムーランドをボールに収めると、ベルはようやく構えていたモンスターボールを引っ込めた。
「そうだね、ベル……今は君がしたいことをした方がいいんだよ、きっと。
かつて私や、チェレン君やトウヤ君のご両親がそうだったように。
ぱぱはキミの旅が楽しいものであるよう、祈るさ。
チェレン君、トウヤ君、ベルを……よろしく頼むね。」
「あ……えっと、はい……」
「……えぇ。」
真剣な眼差しで言われ、トウヤは返事をするのに時間がかかった。
つのる話もせずに実の娘に背を向ける大きな背中を引き止めることも出来ず、ぽかんとした顔でベルのパパが立ち去っていくのを見つめる。
「パパ、あたし、やりたいことを見つけたら、ちゃんと家に帰るから！」
小さくなっていく背中にベルが叫ぶ。
ベルのパパは少しだけ振り向くと、ベルにか、誰にか、サムズアップのポーズを向けて見せた。
「あの人もきっと、昔はトレーナーとして旅をしてたはずなのに……親って大変なのね。
おせっかいだった？」
「い、いえっ！ そんなことないです！ すっごく嬉しかったです！」
慌てて手をバタバタ振るベルに、カミツレはクスリと笑う。
腕がしびれてきてチラチラとミルホッグに視線を向けるトウヤのことをチラリと見ると、カミツレはトウヤのポケットからさっき渡したピンク色のメモを取り出した。
「気が変わったわ。 トウヤ、明日のお昼ジムに来て。
彼女のことはそこで話しましょう。 ジムバトルでもしながら……ね。」
ヒールの音を響かせて遊園地の方へ戻っていくカミツレに、ベルがキラキラとした視線を向ける。
「かっこいい！ あたし、カミツレさんのようなステキな女性になりたい！」
出番を失ったチェレンが少しイライラした様子で頭をかいた。
トウヤはチェレンの方を少し気にしながら、自分の持つモンスターボールへと視線を向ける。
フタチマルはともかく、バトル嫌いのミルホッグにメチャクチャなオタマロ、捕まえたばかりのズルッグにイシズマイ。
ずいぶん長く経った気もするが、まだライモンに来て３日目。
正直、ジムバトルするのは不安だ。
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