連日お祭り騒ぎだったライモンシティとはうってかわって、ホドモエの跳ね橋は不気味なほどの静けさを保っていた。
結局アデクや子供たちと遊びまわり、トウヤが5番道路を出発したのは空が黄色くなってから。
太陽はあっという間に地平線の下に沈み、チラチラと輝く電灯はなんとも頼りない。
帰りの遅くなった水色の鳥ポケモンが不思議そうな顔で見送るなか、トウヤはため息混じりにとぼとぼと歩きながらホドモエの跳ね橋を渡りきった。
大きな船の形をしたオブジェが旅人の来訪を迎え、潮風は少しふるえるほどに体を冷やす。
逃げ込むようにポケモンセンターの中へと入ると、先に到着していたチェレンと目が合った。
声をかけようと口を開いたとき、ふいと視線をそらされ伸ばした指先が固まる。
チェックインを済ませ夕食も食べずに部屋の中に逃げ込むと、トウヤは布団を頭から被って「あああああ」と訳の分からない声を発した。
「どうしよう……絶対チェレンに嫌われたぁ……
こないだだってベルとバトルして変な空気になったのに……!」
「まーろまろまろまろまろ!」
耳障りな声をあげるオタマロさんにホタチを投げつけながら、フタチマルは布団の上からトウヤの頭を叩く。
イシズマイかクルマユのようにトウヤが布団の中から顔だけ出すと、何かキューキュー鳴きながらフタチマルは体を大の字にしてホタチを片手に手をパタパタさせ謎のジェスチャーをしてみせた。
さっぱり意味がわからないが、トウヤはとりあえず布団から抜け出すとどこかへと消えてしまった帽子を目で探しながら唇を噛む。
帽子はズルッグの頭の上に。 そしてイシズマイが部屋の中からいなくなっていた。
困り果てた上にさらにややこしくなる状況に慌てて立ち上がると、キィッと錆びた扉の蝶番を鳴らし、イシズマイは自分から部屋に戻ってきた。
その手には落っこちて誰かの足跡がついたホドモエの観光パンフレットが挟まれている。
はしっこがチョキチョキ切られたそれを受け取ると、トウヤは内容を流し読みして「これだ!」と声をあげた。
迷惑そうに耳をふさぐズルッグをよそに、トウヤはさっさと寝巻きに着替え、布団の中に潜り込む。
目覚ましのタイマーを入れると、気合いの入った「おやすみ」の声とともにトウヤは早々と眠りについた。
明日は早起きだ。
翌日、扉が開く前にこっそりトウヤがポケモンセンターを抜け出すと、ホドモエの街はミルク色の霧に包まれていた。
ホドモエマーケットの開店は早朝5時。 扉が開くのを待っていたのでは欲しいものを買うのには間に合わないかもしれない。
不慣れな街を地図を片手に進んでいくと、ひんやりした空気に混じって早朝からにぎやかな声のするテントの街が薄ぼんやりと見えてきた。
「あ、あれかも……」
足を早めようとしたとき、霧の中から小さなものが飛び出してトウヤの横っ面に思い切りぶつかった。
めまいがしてトウヤはアスファルトの地面に思い切り尻餅を突く。
チカチカする視界に目を瞬かせ、ヒリヒリする頬をさすっていると、まっしろでぽわぽわした生き物がトウヤの顔を覗きこみ、凍えそうなほど冷たい息を吹きかけた。
「ちりり?」
「ポケモン……?」
トウヤはバッグから図鑑を取り出し、ふわふわと浮いているポケモンに向ける。
しんせつポケモン、バニプッチ。 小さなポケモンはトウヤの取り出したポケモン図鑑に興味を持つと、水色をした手でちょんと突っついた。
途端、図鑑のプラスチックからつららが生える。 トウヤが驚いて悲鳴をあげると、バニプッチは面白そうにキャッキャとトウヤの周りを飛び回った。
「あー、びっくりした。 物を凍らせるポケモンとかいるんだ。
キミ、なんなの? 野生のポケモン? 街に住んでるの?」
「ちりりりり?」
小さなポケモンがくるくると回ると、トウヤの周りだけ気温が真冬並みに冷え込んでくる。
思わず二の腕をさすると、トウヤは小さくくしゃみした。
ゲットした方がいいような気もするが、こんな街中だし、誰かのポケモンなのかもしれない。
捕まえるのは今度でいいや、と、ズボンの泥を払ってトウヤが立ち上がると、歩き始めたトウヤの背中にバニプッチは抱きついた。
思わずすっとんきょうな悲鳴が上がる。 思わずバニプッチを引き離すとトウヤはしもやけの手をこすりながら不思議そうな顔ををするバニプッチに顔を向けた。
「いや冷たい! 冷たいって!」
「ぷー?」
首をかしげるバニプッチに上ずった声をあげると、トウヤはアイスクリームのようなポケモンをその場に置いてホドモエマーケットに向かって歩き出した。
ところが、地面すれすれをぴょこぴょこ飛びながらバニプッチはついてくる。
危うく蹴り飛ばしそうになり、トウヤはバニプッチを抱え上げた。
トレーナーの姿も見えないし、こんな道路の真ん中に放置して車に轢かれても寝覚めが悪い。
ひとまず連れて行くか、と、トウヤはそのままホドモエマーケットに向かう。
まだ秋になり始めたばかりだというのに、しもやけした指先がチリチリと痛い。
「……それじゃ、ばんのうごなを4つ。 ふっかつそうはとりあえず2つで。」
焦げた草のような匂いのする漢方薬屋の前で、チェレンは草くずだらけの瓶を指差し、少し毛色の違う服を着た主人に淡々と注文した。
テカテカした絹の着物の裾をずるずるいわせながら、主人は瓶の中から刺激臭ただよう草を引っ張り出す。
「ハイヨ、お客さんいい買い物したネ。
これでアナタのポケモンバトルで活躍すること間違いなしヨ!」
ニコニコと袋を渡す店主に、チェレンは少し呆れたような顔をしながらメガネを押し上げた。
漢方薬の噂は聞いている。 普通に売っている薬より安くよく効くが……半面、その猛烈な苦さにどんなポケモンでもトレーナーに対して反抗的になってしまうと。
袋の上からでも臭うそれを受け取ると、チェレンは他に買うものはないかとマーケットを見回す。
すると、区画を1つ超えた向こう側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
時々ガラスを振るわせるような高音交じりになるこの声は、幼なじみで1番年下の、あのカノコいちの甘ったれだ。
「あ、チェレン!!」
通りの向こうからキンキンと頭に響く声で叫ぶと、トウヤは発泡スチロールの保冷箱を抱えたままこちらへ駆け寄ってきた。
ガチャガチャと音を鳴らすそれに一瞬驚いたように立ち止まると、おもむろにフタを開け、中から真っ白な液体の入ったガラス瓶を取り出してこちらへと突きつける。
「これ!」
「……モーモーミルク?」
チェレンが受け取ると、瓶は手が貼りつきそうなほど冷え切っていた。
「チェレン、仲直りしよう!」
唐突なトウヤの申し出に、チェレンは驚いた表情のまま固まった。
保冷箱の中から氷タイプのポケモン、バニプッチが顔を覗かせ、あぁ、瓶が冷たいのはこのせいかと妙に納得する。
「……トウヤ。 もしかして、昨日のこと気にして?」
「だって、ポケモンセンター着いたときも、声もかけてくれなかったしさ。」
「ポケモンセンター? いつの話?」
「えっと、昨夜の……9時ごろだったと思う。」
チェレンは少し考えるようにすると、「あぁ」と小さく声をあげてうなずいた。
「ジュースを買いに行ったときか。 メガネ外してて全然見えてなかったよ。」
「え」
口をぽかんと開けて、今度はトウヤが固まった。 保冷箱の中のバニプッチがケラケラと笑い声をあげる。
気まずそうにメガネを押し上げると、チェレンは少し頬を赤らめて、トウヤから顔をそらして先を続けた。
「……それでも正直、僕も昨日の態度は大人気なかったと思ってるよ。
トウヤ、悪かった。 真剣勝負に負けて機嫌を損ねるなんて、僕もまだまだ……ってことみたいだ。」
「チェレン……」
「これ、もらっていいんだよね?」
そう言ってチェレンは受け取ったモーモーミルクの瓶を差し出す。
頬に血の気の差したトウヤがうなずくと、チェレンはコインのような瓶のフタを爪で引っかき、牛乳瓶のフタを開けた。
中を見た瞬間、チェレンは無言で瓶の口をトウヤに向けた。
まるで、アイスクリーム。 新鮮だったはずのモーモーミルクはカッチカチに凍り付いて、もはや液体とは呼べない代物へと変化している。
あっけにとられた2人は牛乳瓶を挟んで苦笑いすると、ミルクの解凍がてらホドモエの街へと繰り出した。
大きなテントを抜けると、季節の上では秋だというのに、まだまだ日差しはじんわりと暑い。
保冷箱の中に引っ込むバニプッチを見ると、チェレンは発泡スチロール越しにポケモン図鑑を向けて軽くメガネを押し上げた。
「……そのバニプッチはキミの新しい手持ちかい?」
「ちり?」
「いや……なんかよくわからないけど、なつかれちゃって。
野生か、トレーナーのポケモンかも分からないからとりあえずこうやって」
「トウヤ、ストップ!」
チェレンに突き飛ばされトウヤが転げると、その真上から赤茶けた鉄骨が降ってきてアスファルトの地面に突き立った。
見上げると、テントの分厚い布を蹴飛ばして銀色フードの人間が落ちてくる。
「プラズマ団!?」
「……また、メンドーなのが!」
チェレンはバッグからモンスターボールを引き出してプラズマ団に対して投げつけた。
飛び出してきたハトーボーは大きく翼をはためかせると、落ちてきたプラズマ団の出したポケモンの周りに空気の渦を巻き起こす。
「なんでいきなりプラズマ団が……!?」
トウヤはバッグからポケモン図鑑を取り出してプラズマ団のポケモンに向ける。
「悪党に理由を求めるだけムダだろう?
それよりさっさと撃退するよ、街中をうろつかれちゃメンドーだ!」
小さな画面にはきんこつポケモン、ドテッコツと表示された。
太い筋肉から血管の浮き出たポケモンはアスファルトに突き刺さった鉄骨を軽々と引き抜くと、風を切るように振り回した。
慌ててチェレンの出したハトーボーは飛び退く。 軽く舌打ちするとチェレンはシャツの裾を握り締めてトウヤの方に視線を向けた。
「接近戦は無理だ、トウヤ、フタチマルかオタマロを!」
「う、うん……! 出てこい、オタマロさん!!」
トウヤがモンスターボールを投げると、中から出てきたオタマロさんが「まーろまろまろまろ!」と甲高い鳴き声をあげる。
耳を塞ぐと、オタマロさんは指示を出す前に頬の袋から『ちょうおんぱ』を発射した。
ハトーボーにも当たってしまったが、プラズマ団のドテッコツにもしっかりと効いている。
この隙に逃げるか戦うか考えようとした矢先、ドテッコツの足元のアスファルトが盛り上がり、小型ドリルのようなポケモンが飛び出してきた。
高台から駆けつけてくる男2人の姿を見ると、プラズマ団はあからさまに嫌な顔をして逃げ出していく。
ぽかんと口を開けるトウヤの前にガンマンと見紛うような服装をした小柄な男が駆け寄り、逃げたプラズマ団を怒鳴り声をあげて追いかけていった。
一緒に走ってきた作業着の男が地面から飛び出したポケモンをボールへとしまい、アスファルトに空いた穴を見てしょっぱそうな顔をする。
しばらくすると、ガンマン風の男はあからさまに分かるくらい大きな舌打ちをして戻ってきた。
隣にいるチェレンの顔を見ると、表情が「メンドーなことになりそうだ」と言っている。
「……ダメだ、取り逃した。 ギンジ、コンテナ置き場周辺に警戒網を張れ!
海側と、今停まってる船3艘の中もだ。 絶対取り逃すな!!」
「復唱! A、B、C班コンテナ置き場周辺を捜索! D、E、F班は現在停泊中のコンテナ船を捜索! G班は海上から港の監視に当たります!
あと、社長……申し訳ありません、道路……」
「気にするな、穴が空いたらまた埋めておけばいい。 さっさと行け!」
「はい!」
放たれた犬のように駆けて行く作業服を見送ると、ガンマンは一呼吸置いてトウヤとチェレンの方に向き直った。
どうでもいいが、オタマロさんがうるさい。
「お前たち、ポケモントレーナーだな?」
「まーろまろまろまろまろまろ!」
「……そうですが、何か?」
答えるチェレンの不機嫌そうな顔には目もくれず、男はトウヤたちのバッグについているジムバッジをチラリと見てから眉を潜める。
「ふん、一丁前にジムバッジを持っているのか……
お前たち、ワシはこの街のジムリーダー、ヤーコンだ!
さっき捕らえていたプラズマ団の連中が街中に逃げ出した。
お前たちも逃げたプラズマ団の捜索に当たれ! 逃げたのは15人だ、1人も逃すんじゃないぞ!」
「……理解出来ない。 なんで僕たちが……」
眉を潜めるチェレンに鼻息を強く鳴らすと、ヤーコンは周囲を確認しながら強い目をチェレンに向ける。
「なんとでもいえ。 大事なのはお前たちが来た……そしてプラズマ団が街中に逃げていったということだ。
自分でも強引だと思うが、お前らもプラズマ団を探せ。 凄腕のトレーナーなんだろ?
そうだな……プラズマ団を見つけ出したらジムで挑戦を受けてやるぞ!
人生はギブアンドテイク!」
「まーろまろまろまろ!」
うるさいオタマロさんをモンスターボールへしまうトウヤをよそに、チェレンはため息をついてメガネを少し持ち上げた。
「……わかりました。 プラズマ団は探しますよ、メンドーな連中を倒しつつ強くなれるからね……
トウヤ! 僕は先に行く。」
灰色の鳥を従えコンテナ乗り場へと乗り込んでいくチェレンの背中を見送ると、トウヤは目を瞬いて頭の中で状況を整理する。
なんだかすっかり置いていかれた気分だ。 イライラした様子のヤーコンの視線を感じながら、手元の地図とプラズマ団が逃げていった方向を見比べると、トウヤはのんびりした様子で、チェレンの行った方角へと歩き出した。
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