街外れまでくると店や人家も少なくなり、代わりに景色には少し色あせたコンテナのビルが増え始めてきた。
ジムリーダーのヤーコンが捜索場所に指定したのがうなずける。 確かにここなら隠れ場所にはぴったりだ。
時折車の通る道路を外れ、まるで迷路のような倉庫街へとトウヤが足を踏み入れたとき、肩から提げていた保冷箱の中がゴソゴソと動き、フタの隙間からバニプッチが顔を覗かせた。
「ちり?」
「やば……」
あまりに大人しいのですっかり忘れていた。 今からポケモンセンターに預けにいくわけにもいかず、かといって連れて行くのもそれはそれで危ない。
保冷箱を置いてしばらく考え、やっぱり危ないからヤーコンに言って、どこかに預けさせてもらおうかと結論付ける。
来た道を引き返そうとトウヤが立ち上がったとき、背後に殺気を感じトウヤはモンスターボールを開いた。
飛び出したイシズマイが相手のヤブクロンの攻撃を受け止める。
トレーナーの顔を見ると、案の定プラズマ団だった。 スキをついて盗られないようバニプッチを保冷箱の中にしまうと、トウヤは周囲を見渡して他に相手が隠れていないかどうか確認する。



ナイフのような鋭い目つきでトウヤを睨むと、プラズマ団は白い歯をむき出しにしてボールを投げつけてきた。
ヒステリーでも起こしたのかという勢いに多少怯むが、トウヤは1歩下がって相手の攻撃をかわすと、イシズマイに『うちおとす』の指示を出す。
「貴様……! 王のポケモンをそんな小さな箱に押し込めて……!
 絶対に許さない、二度とその手がモンスターボールを握れないようにしてやる!!」
「え、え、え!?」
訳も分からないままトウヤはイシズマイで反撃する。
まるで親の仇かのような言われようだが、ポケモントレーナーであるということくらいしか思い当たる節なんてないのだ。
勘違いで攻撃されちゃたまらない。 小さな攻撃でヤブクロンを追い返すと、トウヤはバニプッチの入った保冷箱を抱え、睨み付けてくる女性プラズマ団から1歩離れる。
「あの、あの……」
「うるさい! 王のポケモンを返せ!!」
「まーろまろまろまー!」
ヤブクロンが放ってきた黒っぽい液体の攻撃を、飛び出してきたオタマロさんが『バブルこうせん』で受け止める。
打ち落とされて黒く濁った地面が溶けていくのを見て、トウヤは背筋が冷たくなった。
オタマロさんはアスファルトの上でプラズマ団のことをじっと見つめると、大きく息を吸い込んでこれでもかというほどの大声を上げる。

 『マロロロロロロロロロ!!!!』

「うわあぁっ!?」
あまりの音量にトウヤは保冷箱を落とし耳を塞ぐ。
うるさい。 いやもううるさいとかいうレベルでは収まらない、明らかに音波による攻撃だ。
ビリビリとした振動にヤブクロンとイシズマイがモンスターボールの中へと戻っていく。 トウヤは『ほえる』攻撃かと思ったが、音が収まった後で図鑑を確認すると『さわぐ』という技だということが判明した。
「こ、の……!」
拳を振り上げたプラズマ団にオタマロさんはビシリと尻尾で音を鳴らす。
動きもせず目の前に迫ってくる拳を見据えると、プラズマ団の動きがピタリと止まり、背後を振り返ってから突然逃げ出した。
少しだけ時間を置いて、先ほどプラズマ団を追いかけていた男と同じ服を着た2人組の男がこちらへと駆け寄ってくる。
「大丈夫か、キミ!?」
「あ、あっちです! プラズマ団、青色のコンテナの方に!!」
トウヤが指差すと作業着の2人はお互いに視線を交わし、トウヤが指差した方向へと駆けて行く。
オタマロさんの様子を見ようとバッグに手を突っ込んだとき、立ち並んだコンテナの影からチェレンの姿が見えた。
慌てたようにこちらに駆け寄ってくると、チェレンはトウヤに回復薬一式を渡す。
ありがたく使わせてもらうと、チェレンは少し荒れた息を整えて、先ほどトウヤが指差した、プラズマ団が逃げていった方向に視線を向けた。

「……大丈夫?」
「うん、多分……バニプッチ?」
ジンジンする耳に手を当てながらトウヤが保冷箱を開けると、バニプッチは青色のコブっぽいものを作ってうずくまっていた。
クリームのはげたところにきずぐすりを吹きかけると、チェレンは手の上でボールをコロコロ転がしながらトウヤの方に視線を向ける。
「……トウヤ。 トウヤのところにプラズマ団集中してないか?」
「え、そう?」
「他の作業員の人たちにも聞いたけど、誰もプラズマ団を見ていなかったんだ。」
「そういえば、マーケットを出たときも向こうから襲い掛かってきた感じだったね。」
ひやっとする保冷箱の空気をかき混ぜてから、トウヤは粘膜の乾き始めたオタマロさんをボールに戻して立ち上がった。
少し考えるようにしてから、再び保冷箱にバニプッチをしまう。
「とりあえず、僕たちも探そう。 ……プラズマ団が街中に散らばったりしたら、それこそメンドーなことになる。」
「う、うん。」
保冷箱のフタを閉めると、トウヤはプラズマ団の逃げた方向に足を向ける。
行く先には巨大な倉庫がそびえたっていた。 鉄板張りの窓の内側には、びっしりと生えた白い霜が貼りついている。





ホドモエの街外れには、コンテナに積み込まれた冷凍品を保存しておくための巨大な冷凍倉庫がある。
中で取引されるのは外国から届けられた肉、隣町から届けられた輸出用の野菜、たまにおいしいアイスクリーム。
カッチカチに凍ったそれらは、作業員やポケモンたちの手によって倉庫の中を右へ左へ。
ツルツルに凍った床の上をヒウンアイスのロゴが書かれたダンボールが滑っていく。
さて次へ行くか、と、防寒具を着込んだ作業員が自分の連れているポケモンに声をかけようとしたとき、少し遠くから「うわっ」と子供の声が聞こえ、彼は少し気まずそうな顔で振り向いた。
「やべ……おーい、大丈夫かぁ?」
尻餅をついた腰をさすると、トウヤは声をかけてきた小太りの作業員に軽く手を振って答えた。
もうここしかないと思って入った冷凍倉庫だったが、零下20度の世界では足元が凍って滑ってツルツルだ。
冷え冷えした空気に外に出てきたバニプッチはトウヤの様子を見てケラケラと笑っていた。
白い顔をして両腕をさするチェレンははぁっと口から煙のような湯気を出すと、恨めしそうに詰み上げられた巨大なコンテナを見る。

「……トウヤ。 あと、いくつって言ってた?」
「3つ。 7番と8番と、15番。」
カチカチと歯鳴りするアゴに指先で触れると、チェレンはよろよろと起き上がるトウヤに横目を向けた。
1番近い7番通路でもかなりの距離がある。 彼を放って先に行くというのも気が引け、こうして待ってみてはいるが、なにしろ寒い。
ピリピリと肌の痛くなる冷たさに顔をしかめると、チェレンはふと顔を上げ、シャツの裾を掴んだまま小さく口を開いた。
「……それにしても、チャンピオンが言っていた、トレーナーにとって強い以外に大事なことってあるのかい?」
「へ?」
唐突なチェレンの言葉に気を取られ、トウヤは滑って転んで、また尻餅をつく。
これでまたタイムロスだ。 チェレンがため息をつくと、吐息は真っ白になって視界を1秒曇らせる。
「……ごめん、考えてもわかるわけないよね。
 メンドーだし、さっさと中を調べよう。」
そう言って先に進もうとして、チェレンも派手に滑って転ぶ。
笑うタイミングすら失い、トウヤは固まった。
ケラケラとバニプッチの笑い声だけが響くなか、チェレンは恥ずかしそうに氷の上にひざを突くと、立ち上がる為に一呼吸置いた。
「えっと……」
「……問題ない。 僕の頭脳とテクニックがあれば、こんな氷くらい」
「ぷー!」
間違いなく面白半分だろう。 バニプッチに体当たられたチェレンは6番通路に向けて真っ直ぐ進み、そのまま結構な勢いでコンテナへと激突した。
確かに移動時間の短縮にはなったかもしれないが、遠目にも手のひらが赤いし、何より探さなければいけないのは1つ隣の7番通路だ。
ここで下手に声をかけると、かえってチェレンのプライドが傷つくだろう。
ヒリヒリする尻を動かしながらトウヤが自分に出来る事を考えると、急にアイディアの神様が降りてきて、トウヤに知恵を授けた。
トウヤはズボンのベルトを外すとその真ん中をバニプッチに持たせ、自分は両端をしっかりと掴む。
転ばないようしっかりと膝を曲げてしゃがんだ態勢を作ると、キャッキャいっているバニプッチに弾んだ号令をかけた。
「行っけー、バニプッチ! 目指すは7番通路!」
「ちりりりり!」
バニプッチがベルトを引く力で、トウヤは目的地に向かってぐいぐい前へと進んでいく。
起き上がってその様子を見るチェレンのメガネが、少し割れた。



「おぉ……お前たち、もっと私を包め……
 寒くてかなわんぞ……」
冷凍コンテナの中は寒くて暗く、自分たちを探すトレーナーたちの声以外は、ごうごうと響く冷風機の音しか聞こえない。
七賢人のヴィオは羽織っているマントをぎゅっと自分の方へ引き寄せると、バタバタと走り回るジムトレーナーの足音に耳を傾ける。
時折近づいてくる足音はあるが、それもすぐに通り過ぎ、今は遠い。
ほっとするような寂しいような。 寄せ集まってふるえる自分の部下たちにもっと近くに来るよう、指示を出そうとしたとき、がちゃん!という音が鳴り、重く分厚いコンテナの扉が揺れた。
「あれ、開いちゃった……?」
恐る恐る扉を開いて顔を覗かせた子供に、ヴィオはなぜか、心底ホッとした。
赤い帽子の子供は寄り集まってふるえるプラズマ団のことを見ると、そっとコンテナの扉を閉める。

「チェレンーッ!! プラズマ団いたよー!!」

緊張の糸の緩みかけていたプラズマ団は、その一声で一斉にコンテナから飛び出した。
「これだから子供は嫌いなのよ!!」
「風呂が沸いたみたいなノリで俺たちのことを言うな!!」
「プラズマ団のことナメてるだろ、このクソガキャー!!」
「隠れんのも辛いんだぞ、このやろー!!」
やや理不尽な文句をつけられながらも、トウヤは掴みかかってきたプラズマ団の男のスネにズルッグの蹴りを入れさせた。
男は声も出せずのた打ち回るが、さすがに正当防衛だと思う。
どこからどう見ても怒っているプラズマ団に困ったような顔をすると、トウヤはコンテナの奥で1人震えている老人に不思議そうな目を向けた。


「えっと……」
トウヤが言いよどむと、老人は自嘲したようにフンと鼻から白い息を漏らした。
「なんだ? 怨嗟の言葉でもぶつけるつもりか?」
「えん……? えっと、あの……寒くないですか?」
たどたどしく放たれたトウヤの言葉に、ヴィオは片眉を上げると苦々しく口元を緩ませた。
「……なんだ、同情のつもりか? 生憎プラズマ団は同情で揺らぐほど安い思想は持ち合わせておらぬ。
 我らが王の理想を追求するため、日夜……」
喋っている途中で、ヴィオは止まった。
トウヤの後ろでケラケラ笑うバニプッチに目を向けると、大きく目を見開いて、顔の周りが曇るほどに白い息を漏らす。
「貴様……! どこでそのポケモンを……!?」
突然変わったヴィオの態度に、トウヤは頭が追いつかずオロオロと不審としかいいようのない挙動をする。
ただ、なんとなくプラズマ団がバニプッチを狙っているということだけは分かった。
かばうようにバニプッチを背にしてズルッグを構えさせると、飛び出してきたプラズマ団の1人がトウヤに向けモンスターボールを投げる。

「そのポケモン! こっちに渡してもらうわよ!
 行け、エモンガ!!」
「えも……!」
出されたポケモンの相性の悪さにトウヤは唇を噛んだ。
ズルッグじゃまず無理だ。 トウヤが交代の準備をする間にも、エモンガは高速でこちらへと飛びかかってきている。
「も、戻れ、ズルッグ! ……イシズマイ!!」
「エモンガ、『アイアンテール』!!」
交代したばかりのイシズマイの背に、硬く強化されたエモンガの尻尾が振り下ろされる。
イシズマイは背負っている岩で防御した。 しかし、振り下ろされた尻尾の一撃はイシズマイの宿を砕くと凍っているはずの倉庫の床に深い傷をつける。
「!!」
「岩が……!!」
トウヤは慌てて宿のなくなったイシズマイをボールに戻すと、次のポケモンを出そうとバッグからモンスターボールを引き抜く。
しかし、状況はかなり悪い。 1番近いはずのチェレンすらまだ到着しておらず、今対峙している相手も1人ではない。
たじろいで1歩後ろへさがると、背中に何か冷たいものがぶつかった。
鳥肌が立つ。 ただでさえ寒い冷凍コンテナの中のはずなのに、身を切り裂きそうな寒波がトウヤたち……そしてプラズマ団のポケモンたちへと襲い掛かる。
「ちぃりりりりりー!」
「バニプッチ!?」
プラズマ団のポケモンたちがあっという間に凍りつき、勝負は一瞬にして決着がついた。
楽しそうにはしゃぐバニプッチの周りでは凍った空気がキラキラと反射して、ちょっとしたダイヤモンドダストを作り出す。
「『ぜったいれいど』……そんな……」
ヴィオがよろめくと、凍りついたマントの裾が音を立てて割れた。
ようやく応援の声が近づいてくる。 トウヤたちのもとへやってきたヤーコンは凍りついたプラズマ団たちを見ると何か喋る前に大きなくしゃみをした。



「畜生! なんて寒さだ! プラズマ団め、こんな寒いところに隠れていたとはな!
 お前たち、このポケモンドロボウを連れて行け!!」
ヤーコンの連れてきた作業員たちに連れられていくプラズマ団たちは、もはや心も凍ってしまったのか半ば諦めたような虚ろな顔をしていた。
最後に連れて行かれたヴィオが、トウヤの後ろでケラケラと笑うバニプッチに視線を向ける。
プラズマ団たちの後ろ姿も完全に見えなくなると、ヤーコンはひとつ咳払いをして、トウヤと、そしてやっと氷地獄から抜け出して追いついてきたチェレンに視線を向けた。
「お前たち、ちょっとはやるな。
 さて、約束だ! 俺様のジムに挑戦しにこい!」
チェレンは返事する気力もないのか、カチカチと歯を鳴らしながらふるえていた。
トウヤが生返事すると、ヤーコンは大きな足取りで倉庫を進み、あっという間にトウヤたちの前から姿を消す。
バニプッチだけが元気に飛び回るなか、早く帰ろうとトウヤがチェレンの腕を引くと、張り付いてしまったと思っていたチェレンの口が開き、ふるえる声で小さくトウヤに話しかけてきた。
「……聞こえていたよ。 キミとプラズマ団のやり取り。」
「え……」
トウヤは小さく声をあげた。 確かに、道1つ挟んだ反対側にいたチェレンなら、トウヤの声もプラズマ団の声もはっきりと聞こえただろう。
「プラズマ団の理想……それは人とポケモンが離れ離れになること……
 ……それって、この世界からポケモンがいなくなることと同じじゃないか……まったく……」
メンドーだ、と続けようとしたのだろう。 しかしチェレンは先を言わず口をつぐむと、少し遠くを見るような目をして立ち止まった。
だが、それも長くは続かない。
2人同時にしたくしゃみに、トウヤもチェレンも本格的に命の危険を感じ始める。
凍りつく前に外に出よう。 2人がそう結論付けるまで、全くといっていいほど時間はかからなかった。


続きを読む
戻る