目を開いたとき、トウヤはなぜ自分が無傷でいるのか理解できなかった。
肩の高さまで降り積もった捨石は、自分の重さに耐えられなくなったのか、時折カラカラと音を立ててはズボンの裾を汚す。
凍りつきそうなほどに、辺りの空気は冷え切っていた。
トウヤが顔を上げると、まだ崩れ落ちそうなクズ石の山に向かい合ったままのバニプッチが、トウヤとシキジカを背にした状態で口から白い息を漏らしている。
「あ、ありがとう……バニプッチ……」
「ぷ……」
トウヤはシキジカの腰を抱えると、つぶされないよう林の奥の方まで避難してからバニプッチに呼びかけた。
バニプッチが全身から白い煙をあげると、白く凍り付いていたズタ山の石がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
ゾッとする状況にトウヤが目を見開かせると、視界の端で何か黒く動くものが見えた。
ヘソの下辺りで嫌な感じが渦巻いている。 軽く唇を噛むとトウヤはシキジカを抱え直し、ふわふわ浮いているバニプッチへと視線を向けた。

「何か変だよ。 バニプッチ、時間はかかるけど一旦ホドモエに戻ろう。
 シキジカの手当てもしなきゃだし、ヤーコンさんに……あ……」
言いながらトウヤは違和感の一片に気付いた。 トウヤをここへと導いたヤーコンは仮にもこの場所の最高責任者で、人をまとめることに長けたジムリーダーでもある。
トウヤは石が欲しいと言っただけだ。 トレーナーとはいえ、子供にここまで危険な崩落が起こるズタ山を紹介するわけがない。
絶対に何かある。 五感の精度を上げるとトウヤは崩れたズタ山の向こうに目を向けた。
まずはフタチマルたちと合流しなければならない。





「フタチマル! オタマロさん! ズル……ッ!」
視界の端で光るものに気付き、トウヤはシキジカを抱えたまま飛び退く。
黄色い光が靴のすぐ横をかすめると、ようやく相手の姿を目で確認することが出来た。
忍者のような黒い服に、口元を隠すマスク。 見覚えのある顔にトウヤは目を見開いた。 ヤグルマの森で襲い掛かってきたプラズマ団の一員だ。

黒いプラズマ団がこちらを指差すと、彼の足元にいた黄色い虫っぽいポケモンがモソモソと動き口の間から白い液体のようなものを吐き出した。
「バニプッチ、避けて!!」
「ちりりり!」
とっさにトウヤが叫ぶと、バニプッチは口から白い息を吐き出し黄色いポケモンが吐き出したクモの巣を吹き飛ばした。
吹き返されたクモの巣はズタ山にべたりと張り付くと、チリチリと電気の流れる音を立てる。
「『でんき』タイプ……!」
カラ……と小さく音が鳴り、トウヤが振り向くと、困ったような顔をしたイシズマイが崩れかけのズタ山の上からトウヤのことを見上げていた。
まだ自分の石は見つけられていないようだが、少し心強くなる。
「イシズマイ! よかった、無事だったんだね。」
ホッとしたような顔の主人を見上げると、イシズマイはオレンジ色のハサミを振り上げた。 トウヤは黄色いポケモンに人差し指を突きつける。
「イシズマイ、あの黄色いポケモンに向かって『むしのていこう』!!」
無数のトゲがプラズマ団のポケモンに襲い掛かり、わずかながら、黄色いポケモンはひるんだ様子を見せる。
トウヤはバニプッチの方をチラリと見ると、シキジカを抱える手に力を入れイシズマイに視線を向けた。


「みんな、逃げろ!」
足をよろめかせると、トウヤは林の方向を確認し、来た道をどてどてと引き返し始める。
ふよふよと浮かんだバニプッチがトウヤを追い越すと、黒服のプラズマ団がこちらへと指を向けてくる。
「……逃がさない!」
黄色いポケモンが口から白い粘液のようなものを吐き出す。
バニプッチが振り返ると、シキジカを抱えたまま、トウヤが粘液に足を絡めとられ動けなくなっていた。
膝をつくことも出来ず、ジタバタともがくことすらかなわない。
ギュッと唇を強く噛むと、トウヤはオロオロするイシズマイに目を向け、抱えていたシキジカを投げるようにして放した。
「イシズマイ、シキジカを連れて先に逃げるんだ!
 フタチマルたちと合流して……」
「合流して、どうする。」
視線を向けた先に、黒服のプラズマ団が向けた白いナイフの切っ先がこちらを向いていた。
耳の横をすり抜けて飛んできた氷のつぶてが白いナイフを弾き飛ばす。
目を細めるとプラズマ団は攻撃の合図か指をまっすぐにトウヤの方へと振りかざした。



「たぁちまッ!」

水しぶきが上がり、視界を塞がれた黄色いポケモンはキィと小さな声を上げながら毛の生えた足をよろめかせた。
足元の地面が膨れ上がり、飛び出してきたポケモンが吐き出された電撃を受け止める。
訳が分からずトウヤが目を瞬くと、破裂するようなバイクの音に乗って作業服姿の男が2人のトレーナーの間を切り裂くように割り込んできた。
「大丈夫か、トウヤ君!」
「あ、ホドモエジムの人……!」
爆音をあげるバイクを反転させると、作業員はプラズマ団になぜかレンチを向け飛び出してきたモグラポケモンを構えさせた。
「まーろまろまろ!」とオタマロさんの甲高い鳴き声も聞こえてくる。 どうやらここを見つけられたのは1匹だけじゃなさそうだ。
「ジムに連絡があって来てみれば、またプラズマ団か……!
 おいお前、覚悟しろ! ホドモエジムの専門は『じめん』、『でんき』タイプのデンチュラになんか……んぎょほへっ!?」
振り上げたレンチに雷を落とされ、作業員のギンジは変な声をあげて気絶した。
黒服のプラズマ団は再びトウヤに攻撃の矛先を向けようとするが、ピクリと何かに気付いた様子で視線の位置を変えると、風のように走り去る。
ぽかんとするトウヤの耳に、低い車のエンジン音が聞こえてきた。
むせ返りそうな黒い煙を噴きながら、古びたディーゼル車がズタ山から少し離れたところに止まる。
乱暴に扉を閉めてやってきたヤーコンは、『クモのす』に足をとられ動けなくなったトウヤと、電気でシビれて動けなくなっているギンジを見ると「ケッ!」と舌打ちしてトウヤを地面から引っぺがした。

「いきりたって先に行ったかと思えば……てめぇが先にやられてどうすんだ、ギンジ!!」
殴りつけるかのような怒声に、バニプッチが悲鳴をあげてトウヤの後ろに隠れ、トウヤが背中の冷たさに悲鳴をあげる。
なだめるようにバニプッチの頭に帽子を被せると、トウヤは車の荷台にバイクを放り込むヤーコンに視線を向ける。
「あの……助かりました。 だけど、ヤーコンさん、どうしてここに?」
「昨夜ジムに電話があったんだよ、電気石の洞窟にイタズラしやがったバカがいて、出入りが出来なくなってるってな。
 それで近くまで来てみりゃ、ヤベエ音が聞こえたんで駆けつけたってわけさ。 ……ったく! プラズマの野郎!」
悪態をつくとヤーコンは捨石を1つ拾い、ズタ山の上に向かって放り投げた。
石は山のてっぺんで跳ねて、「ぐっ!?」とカエルの潰れたような声が鳴った。
奇妙な鳴き声に、トウヤとヤーコン、それに起き上がったギンジが山のてっぺんに注目する。
捨石の山がガラガラと音を立てると、中からすすけたズルッグが顔を出した。
「ズルッグ!?」
そういえば、ずっと見ていなかった。 ズルッグは頭のに出来たコブを指差すと、大きな岩を抱えたままヤーコンへと直進し、向こうずねを何度も蹴りつける。
「でっ!? いてて、トウヤ、何だこのポケモンは?」
「あー……ごめんなさいとしかいえません。」
ヤーコンを追い掛け回すズルッグを眺めると、トウヤは彼がごつごつした岩を抱えていることに気付く。
硬さ、大きさ、色具合。 どれをとってもイシズマイの宿にぴったりだ。



悪態をつくズルッグからイシズマイの宿を受け取ると、トウヤは辺りを見渡して自分のポケモンたちを呼び寄せた。
フタチマルが石に埋もれたオタマロさんを拾ってくる。
新しい宿に巡り会えてご機嫌なイシズマイをモンスターボールの中へと戻すと、トウヤは木陰からこちらをチラチラと見ているピンクに右手を差し向けた。
「シキジカ、もう大丈夫だよ、おいで。」
「ちりり……」
バニプッチが申し訳なさそうに頭を下げる。
ピンクのシキジカはパタッと小さく耳を動かすと、よろよろとトウヤのもとにやってきてひざを突いた。
「おいおい……そのシキジカ、春の姿のままじゃねえか。 何があった?」
「春の……?」
首をかしげながら、トウヤはシキジカのケガにきずぐすりを吹きかける。
思っていたよりもケガは軽かったみたいだが、ご飯をあまり食べていないのか、やはりあまり体調はよくなさそうだ。
「シキジカは季節によって姿の変わるポケモンなんだよ。
 今は秋だから、この時期はオレンジ色か……たまに毛変わりの遅い緑色のがいるくらいなんだけど、春のピンク色は珍しいじゃ済まされないな。」
「そうなん……ですか。」
おどおどしたシキジカに視線を合わせると、ピンクのシキジカは甘えるようにトウヤに顔をこすりつけてきた。
なんだかいとおしくなって、トウヤはシキジカを少しきつめに抱きしめる。

「ヤーコンさん。 このシキジカ、ボクの手持ちにします。」
「……そうしてやれ。 その方がシキジカのためだ。」
ヤーコンは大きな音を立てて車のトランクを閉めると、後部座席のドアを開けてトウヤを車の中に招き入れた。
また半日かけてホドモエに戻る気にもなれず、トウヤは素直にそれに応じる。
バニプッチの冷気で冬のように冷える車のなか、作業着のジッパーを1番上まで引き上げると助手席に乗ったギンジはヤーコンにそっと耳打ちした。
「あの……どういう?」
「推測でしかないが、あのシキジカはトレーナーに捨てられたポケモンだ。」
「えっ」と小さく声をあげて、ギンジは後部座席のトウヤを振り返る。
「ガキっつーのも意外と油断ならねえ。 恐らく、トレーナーとしての勘っつーのが働いたんだろうな。
 あのまま野生に返したところで、あのシキジカは野たれ死んでたろうさ。 群れることすら知らねぇ温室育ちだからな。
 逆に、トレーナーのところにいりゃ役に立つ可能性は高い。 何かしらの血統を受け継いでるだろうからな。」
バックミラー越しにトウヤのことを見ると、ヤーコンは「ふん!」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
「おい、小僧。 帰ったらジムバトルするぞ!
 お前も俺様のジムバッジが目当てなんだろう?」
「え、あ、はい!」
返事をしたの同じタイミングで車が大きく揺れ、トウヤは軽く舌を噛む。
口を押さえて痛そうにしているトウヤを、ケラケラとバニプッチが笑った。





「そうですか……ホドモエのジムリーダーが。」
片メガネの下の瞳を妖しく光らせると、プラズマ団のゲーチスはホコリ1つついていない車の座席に座ったまま、ふ、と息を漏らした。
同じ車の隣の席についたNは、地面にへばりついたような黒服のプラズマ団を横目でチラリと見やる。
「……申し訳ありません。」
「いいのです。 あなたは役割を果たしました。
 捕まったプラズマ団たちは、わたくしが何とかいたしましょう。
 それと、王よ。 あなたのポケモンのことも。」
Nは口を開きかけ、唇を強く噛んだ。
切れた唇から血が一筋流れ落ちる。
ゲーチスは立ち上がると、地に着くほど長いマントを翻し、差し出された赤い絨毯の上へと降り立った。
「車をもう1台回しなさい。 ホドモエのジムリーダーに話をつけにいきましょう。
 あなたはここで、N様のお相手をなさい。」
「はっ、ゲーチス様。」
Nは自分の血を少しなめ、窓の外の景色に目を向けた。
薄暗い森の中では、シキジカたちが先ほどの事故の噂話をしている。
Nはため息をつくと、黒服のプラズマ団の視線から逃げるように、静かなポケモンたちの声に集中するように、そっと目をつぶった。


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