「ズルッグ、『かわらわり』!!」
「ワルビル、潜れ!」
当たると思って突き出された拳は、いとも簡単に宙を切った。
トウヤは穴1つ空いたフィールドにポケモン図鑑を向ける。
赤いワニのようなポケモン、さばくワニポケモン、ワルビルは以前見たメグロコと番号が1つ違いだ。
恐らくは進化系だろう。 トウヤは軽く唇を噛むと攻撃してやろうと息巻くズルッグに手のひらを向ける。
「戻れ、ズルッグ!」
「ほぅ……?」
舌打ちしてボールへと戻ったズルッグの代わりに新しくポケモンを繰り出すトウヤを見て、ヤーコンは軽く息を漏らした。
フタチマルは地面から飛び出してきたワルビルの攻撃を受け止めると、言われるまでも、といった様子で『シェルブレード』を構える。
「それなりに場数は踏んでるようだな。」
「分かるんですか?」
目を瞬かせながら聞いたトウヤに、ヤーコンは「ふん!」と鼻息を荒げる。
「ワルビルを出した瞬間、お前は図鑑を開いた。 ワルビルを見たことがなかったんだろう。
にもかかわらず、1発目の技が外れたとみるやいなや、お前はポケモンを交代。
ワルビルがメグロコの進化系だと見抜いた証拠だ。 ズルッグじゃ攻撃を受け切れねぇと踏んだんだろう?」
見事に言い当てられ、トウヤは苦笑いしながら唇を噛む。
「……だが、相性で押し切れるほど俺様のポケモンは甘くないぞ!
ワルビル、『かみなりのきば』!!」
のけ反るようにして大きく吠えると、ワルビルは低い態勢からフタチマルへと突っ込んできた。
口を開くと、ナイフのように鋭い歯と歯の間にバチバチとスパークする電流が走る。
予想もしていなかった『でんき』技に、フタチマルは甲高い鳴き声をあげた。
「フタチマル!」
足元をふらつかせるフタチマルにトウヤは手のひらを向ける。
指示に気付いたフタチマルはホタチをしまうと毛深い両腕をワルビルへと向けた。
「1、2、3! 『みずのはどう』!!」
「たあぁ!」
フタチマルは大きく息を吸い込むと、突き出した両手の先から渦を巻く水流を吐き出した。
激しい水流に体を貫かれ、ワルビルは低く鳴き声をあげてモンスターボールへと戻っていった。
口元を緩ませるヤーコンに、トウヤはちょっとだけ眉を上げた。
不思議そうに自分の顔を見つめる少年に再び仏頂面になると、ヤーコンは戦闘不能になった自分のワルビルを拾い上げる。
「……なんだ?」
「あ、えっと……あの、その……ヤーコンさんは、笑うんだな、と思って……」
「あ?」
低くふるえた声でヤーコンが聞き返すと、トウヤはビクリと肩をすくませる。
「いや、あの……みんな、自分のポケモンを倒されると、眉潜めたり、奥歯噛み締めたり、すごく嫌そうな顔するから……」
「そりゃそうだ。 誰だって自分のポケモンがやられりゃ悔しいだろうさ。」
「でも、ヤーコンさんは……」
「悔しくない……とでも思うのか?」
ヤーコンは爪がギザギザになった親指を唇に当て、咳払い1つ吐いた。
「そりゃあ、ワルビルがやられて、悔しい気持ちもムカつく気持ちもあるさ。
だがな、俺様が育てたワルビルの一撃を耐えて反撃どころか逆転勝ちしやがった奴がいる……
まだまだ世の中には掘り起こされていない宝石があるんだ。 ……こんなに面白いこともねぇだろう?」
不敵な笑みを浮かべ、ヤーコンは見えない煙草を吸った。
トウヤが唇を噛むと、ハッと気付いたように顔を上げ、ぷいとそっぽを向いてワルビルのボールをしまう。
「……ふん、話し過ぎたな。次のポケモン行くぞ!」
大きく振りかぶって投げられたボールから飛び出してきたのは、またもトウヤの知らないポケモンだった。
ぶよぶよとした青いポケモンに図鑑を向けようとトウヤはバッグの中に手を突っ込む。
だがしかし、飛び出してきたのはトウヤの予想に反してなぜかオタマロさんだった。
オタマロさんはフラフラのフタチマルを押しのけると、ぽよぽよとフィールドの中央まで跳ねていって「まーろまろまろまろ!」と、いつも通りの甲高い鳴き声をあげる。
「な、なんで……?」
トウヤ自身訳が分からず、ただただ目をパチパチさせる。
ヤーコンの出したガマガルというポケモンは心底バカにした表情でオタマロさんを見下すと、「がーまがまがま!」と、なんだかオタマロさんに似たような笑い方をしてこちらへとにじり寄ってきた。
「まーろまろまろまろまろまろ!」
「がーまがまがまがま!」
「まろまろまーろまろまろまろ!」
「がまがまがまがまがまがまがーま!」
「まろまろま!」
「がまがるが!」
「な、なんだ……?」
「分からん……」
さすがのヤーコンもお手上げといった感じで広い帽子のツバを引く。
オタマロとガマガルは何が嬉しいのか悲しいのか、切れ間なくマロマロガマガマ鳴きあっていたが、ふと動きを止めると、目一杯の勢いでお互いに向かって『マッドショット』を発射した。
このままでは、文字通りの泥試合確定だ。
トウヤとヤーコンは仕方なく態勢を立て直すと、自分のポケモンに向けて指示を出す。
「オタマロさん『バブルこうせん』!!」
「ガマガル、『じならし』だ!!」
「まーろまろまろ……まっ!?」
大きく息を吸い込んだオタマロの周りから突き出した地面が飛び出し、押しつぶすようにぬるぬるした身体を叩きつける。
ぺったんこにされたオタマロさんは潰れた声でマロマロいいながらボールへと戻っていった。
本当に何しに出てきたんだかわからない。 頭をボリボリとかきながら転がったボールをバッグの中へと戻すと、トウヤは残り3つのボールから慎重にポケモンを選ぶ。
「イシズマイ!」
少し得意そうな顔をしたイシズマイはカサカサと前へ進み出ると、オレンジ色のハサミを大きく振り上げた。
アーティにもらった宿と比べ、新しく手に入れた宿は少しだけ重そうだ。
トウヤが人差し指を向けると、ヤーコンはにやりと笑い、トウヤの挑戦を受けて立つ。
ヤーコンの手が上がると、2匹はお互いに向かって走り出した。 イシズマイのオレンジ色のハサミが虫色に光る。
「イシズマイ、『シザー……」
「ガマガル、『バブルこうせん』だ!!」
ガマガルは頭についた袋をふるわせると、分厚い膜で覆われた泡をイシズマイへ向けて発射する。
水の苦手なイシズマイは一瞬立ち止まった。 宿岩の上でバチバチと弾ける泡を見て、トウヤは目を見開かせる。
「水タイプ……!?」
「そうだ、ガマガルは『みず』『じめん』の2タイプ!
ついでだ。 お前の持っているそのオモチャで確認してみろ!」
オモチャと言われ少しカチンときながらも、トウヤはポケモン図鑑をガマガルへと向け、番号を確認する。
うっすらと浮かんでいた読みは当たっていた。 オタマロと番号が1番違い。 間違いなく進化形だ。
トウヤは唇を噛むと、岩の隙間から顔を出したイシズマイに指示を出す。
「イシズマイ、『シザークロス』!!」
「勝てないと知ってなお向かってくるか……面白れぇ!
ガマガル、『バブルこうせん』だ!!」
ブルブルと頬の袋をふるわせ、ガマガルは技を発射する。
イシズマイが交差させたハサミを振り下ろすと、ガマガルの身体に大きなバツ印が刻まれた。
直後、弾かれてフィールドの上を跳ねたイシズマイをボールへと戻すと、トウヤは間髪入れず次のポケモンを繰り出す。
「フタチマル、『アクアジェット』だ!!」
飛び出したフタチマルの影が、バトルフィールドにまっすぐな軌跡を描く。
貫くようにフタチマルの身体がガマガルへとぶつかると、ガマガルは「ぐええぇ」と低い声を上げてボールの中へと戻っていった。
「イシズマイはどれだけ強い攻撃でも、どれだけ相性が悪くても、1発だけなら、耐えられる!」
「……次へ繋ぐバトルか、悪くねぇ! だが、これはどうだ?」
ヤーコンがボールを投げると、全身鎧で覆われたモグラのようなポケモンが姿を現す。
小さく息を吐いて、トウヤは息を吸い込んだ。
さすがに今度は図鑑を見なくても分かる。 間違いなくモグリューの進化形だ。
「フタチマル、『アクアジェット』!」
「たぁっ!」
水の力をまとい、フタチマルはヤーコンのポケモンへと突進する。
チッと舌打ちすると、鎧モグラはヤーコンがそうするようにニヤリと笑い、針のような両腕を突き出して攻撃を受け止めた。
「……耐えた!?」
「諦めるのは簡単、いつだって出来ることよ!
ドリュウズ、『つのドリル』だ!!」
逃げ場のないフタチマルの身体に、ドリュウズの鎧が突き刺さる。
トウヤの耳に小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
球体の跳ねる音が響くフィールドの上には、真新しい血の痕が細かく散っている。
「……あと1体、だったな。」
ヤーコンはひげそりあとをボリボリとかくと、低い声をトウヤへと向けた。
唇を噛むトウヤに、ヤーコンはフンと悪態をつくと、ポケットに手を突っ込みかけ、イライラした様子で尻をかく。
「いいこと教えてやろうか、小僧。」
「?」
トウヤが首をかしげると、ヤーコンはゴツゴツとしたドリュウズの鎧に手を置き、ゴシゴシと乱暴になで回した。
「ドリュウズのタイプは『はがね』『じめん』。 ポケモンの中には進化するときにタイプが増えるやつがいる。
ん、なんだその顔? 『はがね』相手ならタイプ相性で勝てるとでも思ったか?
だが、ズルッグの攻撃が届く前に、ドリュウズの『つのドリル』がお前のポケモンを貫くぞ。」
小さく首を横に振ると、トウヤはモンスターボールからズルッグを呼び出した。
帽子の下の顔がキラキラしている。
「えっと……なんて言ったらいいか……」
照れたような顔をして帽子のツバを引くと、トウヤは不機嫌そうなズルッグの顔に人差し指をむけた。
「ズルッグ、さっき新しい技覚えたよね。」
ズルッグは少しうつむくと、「ケッ」と肯定だか否定だかわからない舌打ちをする。
「試してみよう。 ライモンの練習を思い出して。」
パチンと音を立ててポケモン図鑑を閉めると、トウヤはドリュウズの動きに注目する。
先手を取るのは無理だ。 相手の攻撃を待ち構えると、ヤーコンは誘いに乗ったのか、右手をズルッグのほうへと向けた。
「ドリュウズ、『つのドリル』だ!!」
にやっと笑いながら突っ込んできたドリュウズをズルッグは睨みつける。
だが、正面から来ると思っていたドリュウズはくるりと向きを変え、硬くならされた地面の下へと潜っていく。
明らかにズルッグは動揺していた。 キョロキョロと足元を探るズルッグに睨むような視線を送ると、トウヤは体の横で小さく拳を作る。
「落ち着いて、ズルッグ! 相手の技はもう分かってるんだ。
タイミングはボクが伝える、キミは技を当てることに集中して!」
「ぐ……」
少し驚いたような顔をすると、ズルッグはトウヤに背を向け、足に力を込めた。
ズルッグの足元の地面が膨らみを見せる。 トウヤはピクリと指先を動かすと、視線を一点に集中させたまま唇を動かした。
「今だ、飛べ!!」
トウヤが叫ぶと、ズルッグはダン!と大きな音を立て地面を蹴る。
飛び上がって出来た空間の中にドリュウズが飛び込んできた。
手ごたえのなさに動揺した顔を見せるドリュウズの横っ面に、ズルッグの小さな足が迫る。
「『とびひざげり』ッ!!」
くるりと身体を一回転させ、ズルッグはドリュウズをバトルフィールドに叩きつけた。
空気がふるえ、何かの破裂したような音がジム中に響き渡る。
気がついたら、ドリュウズは倒れていた。 一瞬前の記憶がなくぽかんとするトウヤのひざを、ズルッグが軽く小突く。
「ちりりりりりっ!」
空気がひんやりしてきたと思ったら、真上からアイスのような小さなポケモンが降ってきてトウヤの帽子にぶつかった。
「バニプッチ!?」
「あ! あーっ、あーっ、あーっ! すみません社長……じゃなかった、ジムリーダー!
止めたんですけど、このバニプッチ強くて……!」
「問題ない、たった今ジムバトルは終わったところだ。」
ドリュウズをボールへと戻しながら、ヤーコンは変わらぬ低い声で作業員へと答える。
地下の熱気でバニプッチが溶けそうになっていて、トウヤはちょっと焦った。
オロオロするトウヤを指先でチョイチョイと呼ぶと、ヤーコンは鈍く金色に光るバッジをトウヤの手に押し付ける。
「参ったね……言っておくが、俺様手加減はしてないぞ。」
「え、社長負けちゃったんですか?」
ぎょっとした顔をして尋ねてきた作業員を、無言のままヤーコンは殴った。
ビクビクするトウヤを仏頂面をして睨みつけると、倒れたドリュウズのボールをホルダーへとしまい、トウヤを作業員用のエレベーターに案内する。
「フン、気に入らないな!
年齢の割に、堂々たる戦いっぷり。 お前に才能を見出す人間がいるのもわかるってもんだ。」
「あ、えっと……ごめんなさい。」
「トウヤ君、褒めてるんだよ、今のは……」
作業員は苦笑いをしてエレベーターを動かす。
動き始めの小さな揺れにトウヤが驚いて壁を掴んだとき、赤いランプが点滅を始め、けたたましいサイレンがジムの中に響き渡った。
「え、え、え……!?」
「社長、これは……」
パネルに手を置いたまま作業員が視線を向けると、ヤーコンは小さくうなずいた。
「……来やがったな。」
「来たって、何が……?」
「プラズマ団だ。」
高い高いオフィスフロアに目を向けながら、作業員はトウヤの問いに答える。
数日前の事件を思い出し、トウヤはバニプッチに視線を向ける。
今、動けるのはズルッグとバニプッチしかいない。 危険な状況を察知し力のこもる肩に、ヤーコンの手が置かれた。
振り返ると、青く光るランプを点した小さな機械を持っている。
「簡易回復機だ、お前のポケモンを貸せ。」
「あ、はい……!」
ヤーコンが機械の中にポケモンを放り込むと、青いランプが点滅し、数秒で回復は終了した。
エレベーターがオフィスフロアへと到着する。
状況は想像以上に悪かった。 フロアを占拠するプラズマ団に、倒れて動けなくなったポケモンを抱えるスタッフ。
すがるような視線を向けるOLに横目を向けると、ヤーコンは集団の中心にいたゲーチスにずかずかと歩み寄っていった。
「お前が親玉か。」
「これはこれは……ヤーコンさん、初めまして。 私、プラズマ団のゲーチスと申します。
お世話になった同志を引き取りに参りました。」
深々と頭を下げるゲーチスに、ヤーコンはうさんくさいものでも見るかのような視線を向ける。
「いやいや、礼はいらんよ。 あんたのお仲間がポケモンを奪おうとしていたんでね。」
「おや、誤解があるようで。
私どもはポケモンを悪い人間たちから解放しているだけですよ。」
「そうだといいがね。
ワシは正直者ゆえ、言葉遣いが悪い。 それに反してあんたの言葉はきれいだが……
どうも、きなくさくてな。」
ヤーコンはひげそりあとをボリボリとかくと、つまらなそうな……それでいて油断のない顔で吐き捨てるように言葉をぶつける。
「で、なんだというんだ?」
「いえ、どうということはありません。
プラズマ団としてもホドモエシティに興味がありまして、ここにいる以外にも、たくさんの部下がいるのですよ……」
「……ッ!」
「社長!」
ポケモンを倒されたスーツの男性が叫ぶ。
OLは気絶したモグリューを抱えたまま、ふるえていた。 トウヤは不思議そうに辺りを眺めるバニプッチを背中に隠し、フタチマルのボールを強く握り締める。
「だ、だまされないぞ! 社長、きっとここにいる奴らで全員でしょう、我々全員で戦って警察送りにしましょう!」
「黙ってろ、カンキチ。」
ヤーコンが低い声を出すと、ゲーチスは長いマントから白い手を出し、クックックと不気味に笑ってみせる。
「なかなか解ってはいただけないようで……もしかすれば、あなたの隣にいらっしゃる女の方が我々の仲間かもしれないというのに……」
作業員が振り向くと、モグリューを抱いたOLはビクッと体を跳ね上げた。
口を挟むスキすら与えず、ゲーチスは次から次へと言葉を伝える。
「あるいは……貴方が毎日行くポケモンセンターの店員が?
コンテナで働くお仲間の誰かが?
マーケットですれ違う誰かが?
もしかすると、貴方の身内の方かも……」
「黙ってろつったろ、この派手マント!!」
ヤーコンは明らかにイライラした様子でゲーチスを怒鳴った。
チッとあからさまに嫌そうな顔をして舌打ちすると、エレベーターでオロオロしていた作業員に捕らえていたプラズマ団を連れてくるよう指示をだす。
「……その言葉、ウソかホントかわからんが、戦わずして勝つとはね、たいしたもんだよ。
フン! わかった、こいつらを連れて帰りな!!」
「さすが鉱山王と呼ばれる商売人……状況を見る目に優れておられる。」
作業員がパネルを操作すると、トウヤを残してエレベーターが動き出す。
何度も後ろを振り返るトウヤに、ゲーチスは視線を向けた。
何かを言い出そうとするヤーコンをさえぎり、マントを翻すとゲーチスはトウヤへと話しかける。
「それと……そこの少年。」
「……え?」
まさか話しかけられるとも思っていなかったトウヤは驚いて持っているモンスターボールを抱きしめた。
ゲーチスはゆっくりとうなずくと、マントの下から白い手を伸ばし、トウヤの後ろにいるバニプッチへと指を向ける。
「トウヤ様……でしたね。
貴方の後ろにいるそのポケモン……王のポケモンなのです、返していただきましょう。」
「Nの……?」
「ちりり?」
トウヤが聞き返すと、ゲーチスはその片メガネの下でニヤリと笑う。
首をかしげるバニプッチに視線を向けると、ゲーチスは再びマントの下に手を引っ込め、足を少しだけ動かした。
「えぇ、そうです。 なんなら貴方様の持つその機械で調べていただいて構いませんよ?」
あからさまに嫌そうな顔をするヤーコンを視界の端に入れながら、トウヤはポケモン図鑑をバニプッチに向ける。
登録者は全く知らない名前だった。
困ったようにトウヤがゲーチスに目を向けると、低い笑いを漏らし、ゲーチスは薄い唇を動かした。
「トレーナーID、86021……間違いありませんか?」
「あ……」
合っている。 今度はヤーコンに視線を向けると、ヤーコンは部屋中に聞こえるような大きな舌打ちをした。
「ご理解いただけたようで……
では、おいでなさい。 バニプッチ。」
「あ、待って!」
きょとんと不思議そうな顔をしたバニプッチに声をかけると、トウヤはバッグのなかからアイテムボールを引っ張り出し、白い保冷箱を取り出した。
少し甘いモーモーミルクの瓶を、小さな手に握らせる。
「これ、Nに持ってって。 またバトルしようって。」
バニプッチはにっこりと笑うと、牛乳瓶を抱えプラズマ団の中に飛び込んだ。
エレベーターが上がり、捕らえていた七賢人たちが一斉になだれ込んでくる。
ヴィオはゲーチスの前でひざまずくと、かしこまった様子で両手を組み合わせた。
「ゲーチス様……ありがとうございます……」
「よいのです。 共に王のため働く同志……同じ七賢人ではないですか。
それでは皆さん、また、いつの日かお会いすることもあるでしょう。」
大きな身体で深々と頭を下げると、ゲーチスはマントを翻し、プラズマ団に囲まれながら去っていった。
眉間にシワを寄せたヤーコンは横目でチラリとトウヤのことを見る。
なんでもないことのような顔をしていた彼の口元からは、血が一筋流れていた。
正午を回り、そろそろトウヤのジムバトルも終わった頃だろうとホドモエシティジムに足を向けたチェレンは、街中を集団で闊歩するプラズマ団たちに言葉を失った。
呼び止めることも出来ず、悠然と通り過ぎるプラズマ団たちに目を向けていると、ジャノビーに服の裾を引かれ、チェレンはハッと我に返る。
腰の辺りから自分を見上げる小さなポケモンと目を合わせ、チェレンは気配を殺し、黙々と歩くプラズマ団の後をつけた。
街の外れに大きなトラックが2台と、黒塗りのいかつい外国車が停止している。
したっぱたちがトラックに乗り込み、河辺には黒服の男が数人と、カラクサで見た大男、それにトウヤと一緒にいたはずのバニプッチが残された。
2人の黒服が車に乗り込むと、ゲーチスはバニプッチから何かを取り上げ、それを地面へと叩き付けた。
リアクションをとる間も無く、ガチャン、と甲高い音が響く。
嫌な予感がする。 ゲーチスを乗せて車が走り去ると、チェレンは投げられた何かへと駆け寄り、表情を曇らせた。
「これは……トウヤの……」
粉々になった牛乳瓶の破片に混じって、凍り付いて固まりになったモーモーミルクが転がっている。
小さく声をあげるジャノビーに視線を合わせると、チェレンは首を横に振り、割れて散らばった牛乳瓶を蹴り飛ばした。
「……トレバ、トウヤには黙っておこう。」
少し考えるようにすると、ジャノビーはうなずいて残った破片をグラスミキサーで吹き飛ばす。
後味の悪さだけが残った。
午後からのジム戦、自分もポケモンたちも完璧に調整したはずだったのに、なぜだろうか、全く勝てる気がしない。
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