バニプッチの冷気ほどではなかったが、秋めいた空気は川辺をひんやりと冷やしていた。
おいしそうに水を飲むシキジカを横目に見ながら、トウヤは眠そうにあくびを1つつく。
「だいぶ生え変わってきたね、シキジカの春毛。」
シキジカは顔を上げるとキョン、と1つ鳴いてまた水を飲み始めた。
ふと、誰かに呼ばれたような気がしてトウヤは振り返った。 しかし、辺りを見渡しても人の影も形も見当たらない。
気のせいか、とトウヤが前を向いたとき、不意にシキジカが顔を上げてトウヤへと駆け寄った。
辺りに顔を向け、木の葉の舞い落ちる小さな木を睨み付ける。

高く鳴いてシキジカが木に向かって攻撃を放つと、悲鳴が上がり、ポトリと音を立てて小さなポケモンが落ちてきた。
「ふええ……びっくりした。 いっつもこんなことしてるなんて、ポケモンってすごいんだねえ。」
銀の毛をした大きな目のポケモンに、トウヤはギョッと目を見開いた。
ポケモンがしゃべった。それもかなり流暢に。
腰の抜けかけたトウヤにえへへっと笑いかけると、ポケモンは乱れたお尻の毛を叩く。
「びっくりした? あたしだよ、ベルだよお。」
「ベル!? え、え、なんで?」
警戒するシキジカからちょっと遠ざかると、灰色のポケモンは小首をかしげてから、人の親指ほどの手を使い、どこともつかない方向を指差した。
「あのね、ほら、マコモさんのところでシンクの実験したでしょ?
 あれの修理が終わったから、ハイリンクからトウヤをおっかけてワープしてきたんだよ。
 ほら、チラーミィになってみたの、かわいいでしょ!」
ふわふわの尻尾をパタパタと振るベル?に、トウヤは苦笑いしてうなずいた。
完全にシキジカがおびえてしまっている。 シキジカをボールの中へとしまいながら、そういえばそんなこと言ってたな、と、トウヤは納得する。


「じゃあ、ベルは今、夢を見てるの?」
「んー……そういうことに、なるのかなあ?
 ね、ね、トウヤ。 これって、トウヤが言うトウコちゃんの状況に似てない?
 もしかしてさ、トウコちゃんもハイリンクで夢見てるんじゃないかなあ?」
長い毛をふるわせて話すチラーミィに、トウヤはきょとんと目を瞬かせる。
「だけど、シンクシステムはずっと壊れてたって……」
「でも、ハイリンクって昔からあったんだよ。
 もしかしたらって思わない?」
「……考えてもみなかった。」
焦点の合わない瞳でそう答えると、トウヤは生暖かい息をゆっくりと吐いた。
「今度、トウコちゃんに聞いてみる。」
「今いないの?」
「うん。 遊園地を出てからずっと見てないんだ。
 ゾロアも……一体どうしてるんだろう……?」

尻尾をパタパタと振ると、チラーミィはちょっとうつむいてから、トウヤの肩に飛び乗った。
「わ! お、重いよ、ベル…」
「えへへ、1回やってみたかったんだあ!
 トウヤ、どっか行くつもりだったんでしょ? ついでついで! あたしも連れてってよ!」



困ったような顔をしつつも、トウヤはチラーミィを抱え直すと服を引っ張った。
これから向かうのは次の街……フキヨセシティと繋がる山の中のトンネル、電気石の洞穴。
いつかの山男が手を振る山道を通り抜けると、やがて、時折青白い光を放つ洞穴の入口が見えてきた。
「電気かー……電気はちょっと苦手だな。」
トウヤがつぶやくと、チラーミィは尻尾をパタッとふるわせ大きな目を瞬く。
「地面タイプ捕まえないの?」
「メグロコは見掛けたことあるけど、これ以上砂漠のポケモン増やすのはちょっと……すぐケンカするし。」
トウヤはズルッグの入ったボールをチラリと見る。
そうは言っても、ここのところずっと地面タイプのポケモンは見つからないし、オタマロさんはオタマロさんだし、最近は電気タイプのポケモンに苦しめられてばかりだ。 チラーミィは目をパチパチさせてトウヤを見ると、ちょっと偉ぶった顔をして鼻息をひとつ鳴らした。
「えーっと、そんなこと言っても、行くか戻るか、とりあえずやってみるしかないよ!
 それじゃトウヤ、電気石の洞穴にしゅっぱーつ!」
明るい声に押されるように、トウヤはのろのろと洞穴の中に足を踏み入れる。
中は明かりこそつけられていたが、足元もぼんやりするほどのの暗さで、時折野生のポケモンが動くのかカサカサという音が聞こえてくる。
暗いね、と、トウヤがベルに話しかけようとしたとき、不意に肩にかかる重さがなくなり、トウヤは立ち止まった。
「あれ……?」
チラーミィがいない。 肩を見ても、振り返っても。
まさか野生のポケモンにでも捕まってしまったのかと辺りを探そうとしたとき、背後に殺気を感じ、トウヤは振り返った。



「……え…………」
「………………来い。」
相手の顔を見てトウヤは戦慄する。
薄暗くてよく見えないが、黒ずくめの覆面姿は、先日トウヤが戦ったあのプラズマ団に間違ない。
モンスターボールを構えようとするトウヤに背を向けると、黒服のプラズマ団は時折青い光の走る洞穴の細道をぐんぐんと進んでいく。
トウヤが固まっていると不意に背中に刃物の刺さるようなチクリとした感触が走った。
目だけでそちらを見ると、先に行ったはずの黒服が小さなポケモンを従え、睨むような目をしてトウヤのことを見つめている。
全身刃物のような小さなポケモンにつつかれて、トウヤは先に行った黒服の方まで歩かされる。
灰色の岩々に囲まれたどん詰まりに追い込まれると、トウヤは「あっ」と声をあげた。

「…………N様、連れてきました。」
「ありがとう。」
深く被った帽子に手をかけながらNが言うと、黒服たちは掻き消えるようにどこかへと去って行った。
3人いた。 同じ顔をした黒服のプラズマが3人。 のんきにしていられる状況でもないはずなのだが、トウヤはなぜか、妙に納得する。
「今の連中はダークトリニティ、ゲーチスが集めたプラズマ団のメンバーだよ。
 ちなみに、この洞穴の入り口にデンチュラの巣を用意したのも彼ららしいね。」
「N、アイスおいしかった?」
「アイス?」
「あ、牛乳かな?」
珍しくトウヤから話しかけると、Nは本気で分からないといった顔をして目を瞬かせる。
どこから説明したものかとトウヤが難しい顔をすると、Nは小さく息を吐いてトウヤの方に顔を向けた。
「電気石の洞穴……ここ、いいよね。
 電気を表すのは数式、そしてポケモンとのつながり……
 ……人がいなければ、ボクの理想の場所だ。」
トウヤは少しだけ眉を潜める。
言葉も続けられずぽかんとしている相手に目を向けると、Nは帽子のツバに手をあて、口元をゆるませる。
「さて、キミは選ばれた……そう言うと驚くかい?」
「えらばれ……た?」
トウヤが首を傾げると、Nは唇を舐め、目を細める。
「……フウン、やはり意味が理解できないと驚くこともできないか。
 キミたちのことをゲーチスに話した。 するとダークトリニティを使い、キミたちのことを調べたらしいよ。
 チェレンは強さ、という甘い理想を求めている……
 ベルとやらは、だれもが強くなれるわけではないという悲しい真実を知っている。
 キミはどっちにも染まっていない、いわばニュートラルな存在……それがいいらしいんだ。」
トウヤは硬直したまま、目をパチパチと瞬いた。
薄く笑うと、Nはトウヤの横をすり抜け、細い道の中へと入っていった。


「……この先でプラズマ団がキミを待ち構えている。
 ゲーチスは、キミがどれほどのポケモントレーナーか試すそうだよ。」
そう言うとNは帽子のツバを引き、トウヤの前から姿を消す。
ぽかんとした表情でNを見送ると、トウヤは軽く唇を噛み、自分のモンスターボールに視線を落とした。





急にホドモエの街外れに放り出されたベルは、尻餅を突いたまま目をパチパチさせていた。
明るさに目が慣れなくてシパシパする。 まぶたをこすっていると、ふと日差しが弱まり、ベルはなにか人の気配のような圧迫感を感じた。
顔を上げると、ブラウスの上から白衣を羽織った女性がベルのことを見下ろしている。
「アララギ博士!」
ベルはその人物の名前を呼んだ。
頬に落ちた髪をかき上げると、アララギ博士は少し驚いたような顔をしながら、ベルを見つめ直す。
「あらら、やっぱりベルよね?
 どうしたの、こんなところに座り込んだりして……」
「トウヤがいなくなっちゃったんです!」
なんの脈絡もなく話し始めたベルに、アララギ博士は目を瞬かせた。
「それって、つまり……ベルがトウヤに置いていかれちゃったってこと?」
「あーもう! ここホドモエシティじゃない、今から電気石の洞穴行ったら夜になっちゃうよお!」
「電気石の……?」
「どうしよう、もう1回ハイリンク行こうかなあ……でも、ポケモンの足でも今からじゃ時間かかっちゃうし……」
噛み合わない会話にアララギ博士は頭をひねり、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
車のキーを取り出し、指先でくるりと回す。
「事情はよく分からないけど、電気石の洞穴だったら、私もこれからちょうど向かおうと思ってたところなの。
 良かったら、乗ってく?」
チャリンと音を立てる鍵を見ると、ベルの頬に赤みが差した。
街中でもちょっと浮く真っ赤なミニバンに乗り込むと、博士がまいたのか、かすかに甘い香水の匂いがする。
車が走り出すと、狭い車内はよく揺れた。



「……なるほど、つまり、ハイリンク経由でトウヤのところに行ったはいいけど、電気石の洞穴に入った途端、ハイリンクが解除されて元々いたホドモエシティまで戻ってきちゃったのね?」
要領を得ないベルの説明を根気よく聞いて、アララギ博士は話の内容をそう要約した。
既に電気石の洞穴に到着しかけている。 木々の少なくなる山道を横目で見ると、博士はギアを低く切り替えながら口を開く。
「そういえば、マコモから聞いたことがあるわ。
 ハイリンクから出ている電波は洞穴や建物の中まで届かなかったって。」
「あー、そっかあ。 だから洞穴に入った途端はじき出されちゃったんだ。
 どうしよう、トウヤ、あたしのこと探してるかなあ……?」
「大丈夫よ、ベル。 あなたの話じゃ、トウヤだって強くなったんでしょう?」
薄く笑うと博士は車を山道の少し平らになったところに止めた。
少し前にトウヤと一緒に潜った入り口は、そのときと同じように時折青白い光を放っている。
重そうなカバンを肩から提げると、アララギ博士は車のドアを音を立てて閉める。
小さな携帯端末をチラリと見て、画面を指先で操作すると、博士はポケモンの写真を表示させ、それをベルに突きつけた。

「私はね、パパに頼まれてギアルって歯車みたいなポケモンのこと調べているの。
 私がポケモンの起源……誕生時期を調べているからって、人使いが荒いよね……
 もっとも、私も好きで調べているから楽しいんだけどね!」
ベルが端末を覗き込むと、なるほど画面の中では歯車のようなポケモンが2匹、組み合わさってくるくると回っていた。
じっと見ていれば、少しずつ目が回ってくる。
「はぅ」と頭に手を当てるベルを見てクスクスと笑うと、博士はベルから端末を受け取り、洞穴の中へと歩き出した。
後を追いかけるようにベルが入り口を潜ると、先ほどはよく見られなかった洞穴の様子がはっきりと見えてくる。


「相変わらず、ここはポケモン好みの電気をたっぷり帯びているわねー!
 だから、電気同士反発しあって浮かぶ石があるんだよね。」
「ふわあ……!」
目が慣れてくると薄暗い洞窟の中に浮かぶ大きな石が見えてきて、ベルは思わず感激の声をあげる。
多少服や髪の毛が浮き上がるが、そんな小さなこと、この景色を前にすればどうでもよくなってくる。
ベルの背よりも大きな岩が、上からも下からも、何の支えもなく浮いている。
「反発する磁力だけじゃなく引き合う磁力もあるから、触ったらベルでも動かせる岩があるのよ。
 見つけたら教えてあげるから、1度やってみたらいいんじゃない?」
「はーい!」
元気に返事をして、ベルは洞穴の中を見渡した。
トウヤは見えない。 先に行ったのか、それとも自分を探して引き返したのか。
考えて考えて、ベルはアララギ博士についていくことにした。
進んでいるにしろ、探しているにしろ、トウヤのことだ。 いつか、どこかで出会えるはずだ。


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