わずかばかりの石を採取すると、アララギ博士はそれをベルにはよくわからない機械にかけながら難しそうな顔をして考え込んだ。
光も入らないせいか、洞穴の中の空気はひんやりと冷え込んでいる。
ベルはボールの中からムンナを呼び出すと、ぬいぐるみのように抱えてアララギ博士の後を追いかけた。
ピンクのポケモンから漏れた夢の煙が、ぼんやりと光っているように見える。
「……うん、これで大体の調査は終わったかな。
 ベル、私はこれから研究所に戻って採取した資料を詳しく調べるつもりだけど、あなたはどうする?」
「うーん……あたしはもうちょっとトウヤを探してみようかなあって思います。
 もしトウヤがあたしのこと探してたら悪いし。」
「そう、それじゃ、一緒にフキヨセ側の出口まで行きましょうか?
 電気石の洞穴は入り組んでいるように見えるけど、実は1本道だからもしトウヤがまだ洞穴の中にいるならどこかで出会えるはずよ。」
顔を輝かせると、ベルはアララギ博士の提案に大きくうなずいた。
洞穴を半分ほどきたところだが、まだトウヤの姿は見えない。
アララギ博士は、ベルに見えないようにこっそりと、ほんの少しだけ眉を潜めていた。



その頃トウヤは、命の危険にさらされていた。
狭い通路で前と後ろから挟まれちゃ、逃げ道がないというものだ。
おろおろと視線を前後にさ迷わせ、仕方なくモンスターボールを地面に打ち付ける。
飛び出してきたイシズマイに威嚇され、大柄な山男2人はよろめいて後ろに下がる。
「おおぅ、手厳しいな少年!
 せっかくこの私、きんのたまおじさん兄が、弟よりも立派なきんのたまをキミにあげようというのに。」
「淋しいではないか、少年!
 この私、きんのたまおじさん弟が渡す、兄よりも立派なきんのたまを少年に使ってもらおうと思っていたのに。」
そんなこと言われたって、お断りといったらお断りだ。
カサカサ動くイシズマイに『いわなだれ』の指示を出すと、大男にしては甲高い悲鳴が聞こえてきた。
気にならないではないが、今は自分の安全確保が最優先だ。
後ろを振り返りもせず、脱兎の勢いで逃げ出すとトウヤはふと顔を上げ、今まで来た道へと目を向けた。
「おっかしいな……Nが言った感じだと、足の踏み場もないくらいプラズマ団がいそうな感じだったんだけど……」
Nの言葉の半分も聞き取ることは出来なかったが、ニュアンス的には警告に近いものを感じ取っていた。
だから、警戒して警戒して、こそこそ隠れながら電気石の洞穴を進んでいったはいいが、確かにチラホラとプラズマ団には遭遇したが、思っていたよりは戦う回数が少ない。
むしろ、元々洞穴にいたと思われる普通のトレーナーとのバトルの方が多かったくらいだ。
かすかに風の吹くほうへと歩いていくと、静かなはずの洞穴の中に話し声が響いてきた。
モンスターボールを手に取り、警戒して進む。
ポケモン図鑑に表示される経験値のメーターは、そろそろ振り切れようとしていた。





まるで水槽の中を泳ぐように宙にふわふわと浮かぶ魚のようなポケモンを見て、ベルは黄色い声をあげる。
「わあ、かわいい! 博士、このポケモンはなんですか?」
「シビシラスよ、魚みたいな見た目をしているけど電気タイプのポケモンなの。
 近くに群れがあるんじゃないかしら? 集団で移動するシビシラスはとってもキレイなのよ。」
「あ、博士! もしかしてあれじゃないですか?」
遠くに黄色い光を映す壁を見つけ、ベルはトコトコと走り寄る。
笑顔のまま薄暗い洞穴の角を曲がると、ベルは同じ顔をしたまま固まった。
ライトを持ったプラズマ団が数人。 どう見ても、ベル1人では対処出来そうにない。
動けずにいるベルに、アララギ博士が近づいてくる。
ひょいと曲がり角の先を見ると、アララギ博士は「あらら」と、小さく声をあげた。
「なんだか変わった服の人たちがいるわね?」
「ぷ、プラズマ団なんです! あたしのメニティ、あいつらに取られたんです! トウヤが取り返してくれたけど、悪いやつらなんです!!」

甲高く声をあげるベルの存在に気付き、プラズマ団の1人がこちらへと向かってポケモンをけしかけてくる。
慌ててベルはヤナップを出して応戦する。
唇をブルルとふるわせてヤナップは持っていたむしよけスプレーをプラズマ団に投げつけた。
スコーン!と小気味いい音が響いて、プラズマ団がうずくまる。
トレーナーを心配するプラズマ団のポケモンを見て、ベルは罪悪感に襲われた。
「あ、あのお……ごめんなさい。」
恐る恐る声をかけると、プラズマ団は頭を抱えた体勢のまま、ブルブルと小さくふるえていた。
そんなに痛むのか……と、手を差し伸べようとすると、プラズマ団はベルの手をはねのけ、キッと睨みつける。
「やはりそうだ……
 人がポケモンを使うことで強い弱いの競争が生まれてしまう……それでいいのか? ポケモンはトレーナーの道具か?」
「はう……どうしようアビジアナ? なんか、当たり所悪かったみたいだよお。」
「キキ?」
よく分からないといった顔をしたヤナップは仕方なしという感じで頭の葉っぱに手を突っ込むと、若葉を1枚摘み取ってぶちっと引き抜いた。
ヤナップがそれをベルに渡すと、ベルは「そっか!」と1人納得して、それをプラズマ団へと差し出す。
「はい、どうぞ! ヤナップの葉っぱは、すっごくよく効く薬草ですよ!」
「あら、ベルよく知ってるわね!」
「えへへー」
一連のやりとりを見ていたプラズマ団からどよめきが起こる。
戦うべきかどうか判断がつかず、したっぱたちが互いに互いの顔を見合わせていると、ひそやかな足音を響かせて誰かが近づいてきた。


「何をしている?」
帽子に手をあてこちらへとやってきた青年を見て、したっぱたちの背筋が伸びた。
長身の青年にアララギ博士が「あら」とちょっと嬉しそうな顔をすると、彼は露骨に嫌な顔をして博士のことを睨みつける。
「……アララギか。
 トレーナーとポケモンの関係に疑問ももたず、人間の勝手なルールでポケモンを分類しポケモンという存在を理解したつもりになる……
 そんなポケモン図鑑が許せないのだが、貴方はなにを考えているんだ?」
「あら……ずいぶんと嫌われているようね。
 だけど、あなたの意見もひとつの考え方なら、私の願うところも同じくひとつの考え方よ。
 ポケモンとどう付き合うべきか、それは1人1人が考え決めればいいんじゃない?」
Nの唇から血が流れるのをベルは見た。
ぎゅ、と自分の手のひらに爪を突きたてると、Nは憎しみのこもった瞳でアララギ博士を睨みつける。
「……それでは、間違った考えの人間がポケモンを苦しめる……
 そんな愚かな世界をボクは見過ごすわけにはいかない!」
「博士、危ない!!」
とっさに飛び出したヤナップが『つるのムチ』を使い、Nのポケモンへと反撃する。
なんとか人間の方に傷がつくことだけは避けられたが、ベルのヤナップはダメージに耐え切れず、モンスターボールとなってその場に転がった。
唇を噛み、Nはヤナップのトレーナーを睨みつける。
「キミでは話にならない。 無意味にポケモンを傷付けるだけのトレーナーは、この世界から消えるべきだ!」
「む、無意味なんかじゃないもん!」
ヤナップのボールを胸に抱え、ベルは声を張り上げる。
「だって、アビジアナはアララギ博士を守ってくれたもん!
 確かに……あたしは弱いけど、トレーナーになって、アビジアナや、フィレや、ソバカや、メニティと会えて良かったって、そう思うもん!」
触れてもいないはずのモンスターボールから、ハーデリアが飛び出し、ベルのことをかばうようにNとの間に立つ。
Nは眉を潜めると、うなりをあげるハーデリアに人差し指を向けた。



「シキジカ、エナジーボール!」
目をつぶったベルの前で、緑色の球が彼女に向けられた攻撃を相殺する。
わずかなホコリを被りながらベルが振り向くと、そこにはオレンジ色のシキジカを従えてNを睨むトウヤの姿があった。
Nは帽子のツバに手をあてると、口元に薄く笑みを浮かべトウヤの方に顔を向ける。
「来たね、トウヤ。 キミもポケモン勝負はお互いが理解するためと信じているかい?」
何も言わず、トウヤがシキジカの頭をなでると、オレンジ色のポケモンの尻尾はパタッと小さく揺れた。
トウヤはNに目を向け、大きなバッグを肩から降ろす。
「博士、ベル、安全なところへ。」
「でも、トウヤ……!」
「行きましょう、ベル。」
アララギ博士に腕を引かれ、ベルは何度もトウヤの方を振り返りながらフキヨセシティの方へと連れていかれる。
トウヤは小さく息を吐くと、残り4つのボールを取り出して足元へと打ち付けた。

Nの目が見開かれる。 ボールから飛び出したポケモンたちの半分は、Nが以前見た姿と違っていた。
「進化したのか……」
小さくうなずくと、トウヤは後ろにいるポケモンたちそれぞれに視線を向け、再びモンスターボールへとしまう。
「N、ボクと戦ってもらうよ。」
「ライモンでの戦いを再現しようというのか。 いいだろう、受けてあげるよ。」
Nが腕を振ると岩のようなポケモンがキラキラと輝く光線をトウヤへと向けて発射する。
間に入ったシキジカは光を睨むと、『エナジーボール』を相手の光線へと向けて撃ち返した。
押し負けこそしたが、『エナジーボール』は光線の軌道をそらし、シキジカの足元に穴を空ける。
軽く唇を噛み、トウヤはNのポケモンに指を向けた。
「シキジカ、『とびげり』!」
キョン、と高く鳴くと、シキジカは岩肌を削るように飛び出し、細いひづめで相手を叩く。
わずかよろめいたが、岩のようなポケモンは踏みとどまり、シキジカを睨み付けた。
「ガントル、『パワージェム』!」
Nが叫ぶと、ガントルと呼ばれたポケモンはエネルギーを身体の中心に集中させ、虹色に輝く光線を撃ち出した。
ピシピシと小さな音がシキジカの身体から鳴り、シキジカは片目をつぶって歯を強く食いしばる。
「シキジカ! もう1度『とびげり』だ!!」
「こちらももう1度だ、ガントル『パワージェム』!!」
ひづめの音を響かせ、シキジカは狭い岩肌を駆け上がる。
大きな岩のようなポケモンは身体の中心に光線をうつためのエネルギーを溜め込んでいた。
宝石のようにキラキラと光るエネルギーに、シキジカは一瞬目を細める。
それが命中の低下につながった。 わずかに外れた攻撃でシキジカは足元を踏み外し、岩と土にまみれた地面の上を転げる。
立ち上がって逃げるほどの猶予は残されていなかった。 やっと目を開いたシキジカに放たれた『パワージェム』は頭の花を散らし、わずかに残された体力を全て奪い去っていく。


「シキジカ!!」
トウヤが駆け寄ると、シキジカは薄目を開けて泳ぐように足を動かした。
立ち上がることも出来なさそうだ。 トウヤはシキジカの頭に触れると、ピクピクと動く耳の付け根を軽くくすぐる。
「いいバトルだったよ。 傷は痛む?」
パチリと目を瞬くと、シキジカはトウヤの胸に頭をこすりつけた。
くすぐったそうに笑うと、トウヤはシキジカの首筋をなで、前足の付け根を軽く叩く。
「大丈夫、次で取り返せるよ。 シキジカはゆっくり休んでて。」
ムッとしたようにNが眉根を寄せる。
トウヤはシキジカをモンスターボールへ戻すと、ポケモン図鑑を開き、次に出すポケモンのボールを手に取った。

「多くの価値観が交じり合い、世界は灰色になっていく……ボクにはそれが許せない。
 ポケモンと人間を区分し、白黒はっきり分ける。 そうしてこそ、ポケモンは完全な存在になれるんだ。
 ……そう! これこそがボクの夢! かなえるべき夢なんだ!
 トウヤ! キミにも夢はあるのか?」
モンスターボールを持ったまま、トウヤは固まる。
「キミにも聞き取れるよう喋ったつもりだが?」
「う、うん……」
ふるえるように、トウヤは小さくうなずく。
辛抱強く答えを待つNは、わずかに顔を上げると、トウヤの頬を伝う涙に目を見開いた。
頬からアゴへと落ちた雫が、傷だらけのモンスターボールを濡らす。
「ト……」
Nが話しかけようとすると、はっきりとした態度でトウヤはおびえた。
少し強めに鼻息を漏らし、Nは、両腕を広げ、微笑ながらも強い瞳をトウヤへと向ける。
「トウヤ、ポケモンを出したまえ。
 ボクの全身からあふれるトモダチへのラブ! みせてあげるよ。」
濡れたまつげがかすかにふれると、トウヤが手にしたモンスターボールは勝手に開き、ずっと控えていたオタマロがぽよぽよと跳ねた。
「まーろまろまろまろ!」とやかましいいつもの声が聞こえると、トウヤは袖で自分の顔を拭い、Nに向けて口角を上げる。
「……負けないよ!」
「あぁ、ボクとしてもキミという存在は実に興味深い。」
トウヤはオタマロさんと視線を合わせると、ガントルに指を向ける。
ポケモン図鑑から技を調べて選び出すと、大きく息を吸い込んだ。


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