アララギ博士(娘)がカノコタウンに帰ってから数日、トウヤとベル、それと後から追いついてきたチェレンはポケモンセンターのロビーにそろって呼び出された。
何があるんだろうとソワソワするベルと、なぜか面白くなさそうな顔をしたチェレン。
対照的な2人の顔をトウヤが見比べていると、大きなショルダーバッグを抱えたアララギパパがポケモンセンターのロビーへとやってきた。
「突然呼び出して何の用ですか、アララギ博士。」
「はっはっは、チェレンは堅いなぁ、アララギパパと呼んでくれたまえとキミにも言っただろう!」
「アララギパパ、それで、用事ってなんですか?」
ふわふわした口調でベルが尋ねると、アララギ博士は目尻を下げてちょいちょいと手招きする。
3人が耳を近付けると、アララギパパはヒソヒソ声でトウヤたちへと話を持ち掛けてきた。
「……実は、キミたちのポケモン図鑑をパワーアップしようと思ってな。」
「ポケモン図鑑のパワーアップ!?」
大きな声を出したベルに、トウヤとチェレンが慌てる。
しかしアララギパパは、それよりもさらに大きな声で彼女の言葉を繰り返す。
「そうとも、ポケモン図鑑のパワーアップ!!
今まで1種類しか記録出来なかったポケモンの姿の複数記録! 覚えられる技の検索機能! さらに立体表示機能つき!
……どうだ、ワクワクするだろう?」
「わぁ、ステキ!」
同調したベルに気をよくしたのか、アララギパパはふんぞりかえりながら右手をトウヤたちの方へと差し出す。
「そういうわけだ。 キミたちのポケモン図鑑を少し貸してくれたまえ。 すぐにバージョンアップしてあげよう。」
「はーい! バージョンアップだって! ワクワクするね、トウヤ!」
「う、うん……」
一抹の不安を感じながらも、トウヤはアララギパパにポケモン図鑑を差し出す。
使い込まれた3つの図鑑に、アララギパパはうんうんとうなずきながら、ショルダーバッグにしまっていた工具や部品を広げ始めた。
「それじゃあまず、ケースを新しいものに取り替えます。
やっぱり、女房と畳とケースは新しいものがいいってね! はっはっは!」
「チェレン、『タタミ』って何だか分かる?」
「いや?」
「ベルは?」
「しらなーい。」
「アララギパパ、『タタミ』って……」
「いや、いいんだ、気にしないでくれ。」
渾身のギャグが滑り、アララギパパは鼻の付け根に親指を当てた。
首をかしげる子供たちを尻目に、ショルダーバッグから銀色のケースを取り出すと、中から緑色の板とそれに繋がった少し分厚い板を取り出す。
「アララギパパ、それは?」
ベルが尋ねると、アララギパパは気を良くしたのか口元が緩んだ。
「基盤……図鑑の心臓部分と、それを表示するモニターだね。」
「……モニター2つありませんか?」
「ふっふっふ、それがダブルスクリーンというものなのだよ、チェレン君!
2つの画面で見やすさ2倍! しかも下画面はタッチスクリーンになっていて直感的な操作が可能!
オマケに上画面は3D表示! 今まで平面的なデータしか取れなかったポケモン図鑑が、より立体的に! ポケモンを認識出来るようになったのだよ!」
「……苦手なんだけどな、立体映像。」
ぼやくチェレンを尻目に、アララギ博士は図鑑の体を成してきた箱の裏側を開き、四角くてツルツルした何かをそこにはめこむ。
ベルが四角いツルツルした何かを指差すのを見て、チェレンのメガネが鋭く光った。
「アララギパパ、それは……」
「……電池、ですよね。」
「パパが答えようと思ってたのに……」
先取りされ、つまらなそうな顔をしながらアララギパパは裏ブタのネジを締める。
少し泣きそうなアララギパパに、チェレンは仕方なし……といった風に質問を投げかけた。
「……博士、新しい電池は何か今までのものと違うのですか?」
「おお、チェレン、よくぞ聞いてくれた!
この新型電池RCUM03はマルマインの構造を参考に、シビシラスの電力増幅システムを取り入れた……」
「……つまり、何も変わっていないんですね?」
「まぁ、そうなんだが……チェレンはノリが悪いなぁ……」
ぶつぶつ言いながらアララギパパは電池を取り替えると、裏蓋のネジを締めてぽんっとポケモン図鑑を叩いた。
「それ、出来上がりだぞ!」
「わぁ! ありがとうございます!」
きゃあきゃあはしゃぎながら図鑑を受け取るベルをよそに、チェレンはメガネのツルに指を触れると、眉間のシワをアララギパパに向ける。
「……博士、今までの図鑑は?」
「えー?」
「これ、取り替えただけですよね?」
「いいじゃないかいいじゃないか、ワクワク感を味わえただろう?」
あからさまにため息を吐きながら、チェレンは新しくなったポケモン図鑑を受け取った。
トウヤも受け取ると、淡く光る画面を覗き込む。
ちょっとクラクラしたが、以前の図鑑では模様のように見えていたミジュマルのホタチの凹凸まで立体画面では見つけられた。
どこまで役に立つかはわからないが、確かに調べられることは多そうだ。
ぽちぽちとタッチスクリーンに触りながらトウヤが画面を確認していると、急に冷たい風が吹き込んでポケモンセンターの扉が開けられた。
「ねぇねぇねぇねぇねぇ! 救護キットってどこにあったっけ?
すぐ貸して欲しいんだけど。」
ガラス戸をぶち破るようにして入ってきたフウロは、受付の机にしがみつくようにすると早口でまくしたてる。
「戸棚の1番上よ、また怪我したポケモン見つけたの?」
「そーなの! さっき貨物機を操縦していたとき、タワーオブヘブンの天辺になにか見えたのね。
きっと弱ったポケモンだと思うの! だとしたら、放っておけないでしょ?」
バタバタと慌ただしく出て行ったフウロの背中を見送ると、トウヤは画面に向けて顔をしかめているチェレンに向けて、割と小さい声を出す。
「行った方がいいの……かなぁ?」
「……さぁ?」
興味なさげに返事すると、チェレンは新しくなったポケモン図鑑を片手にポケモンセンターの奥へと引っ込んで行く。
外は雨だ。 ジムリーダーがジムにいない今、トウヤたちは自主トレーニングすることもままならない。
けだるそうな顔をしてベルが自分の部屋に戻って行くのを見送ると、トウヤはポケモンセンターの扉を1歩だけ潜り、しっとりと濡れた外の空気を肌で感じた。
「ダイケンキ!」
霧のように降り注ぐ雨の中にモンスターボールを放ると、ダイケンキは地面の泥を目いっぱい跳ね上げてトウヤの前に降り立った。
カブトから落ちる滴に少しだけ目を細めると、ダイケンキはそわそわとトウヤに目配せする。
「遊んでていいよ、ボクはここで見てるから。」
「うぅー!?」
トレーナーからの許可が下りると、ダイケンキは楽しそうにはしゃぎながら街の中へと繰り出した。
まだ4足歩行に慣れていないのか時々転ぶが、体を泥だらけにしながらダイケンキは誰もいないフキヨセの街並みを走り回る。
トウヤはその場でしゃがみこむと、自動ドアのセンサーに引っかからないよう体の位置をずらしてから新しくなったポケモン図鑑をいじりだした。
少し冷えてきたが上着を羽織るというほどでもない。
パーカーの袖を少し引いてトウヤが再びポケモン図鑑へと視線を落とすと、ばしゃばしゃという足音がこちらへと近づいてきてトウヤは顔を上げた。
「少年! この近くでケガをしたポケモンがいるという情報を聞かなかったかね!?」
顔を上げてトウヤはぎょっとした。 なんでニンジン? 右手にニンジン。
口を開けたまま見つめられた相手は、はっと気付いたような顔をして右手のそれをトウヤの顔に近づける。
「あぁ、これか? なに、腹が減ったのだが先立つものがなかったのでね。 そこの畑から失敬したのだ。
それで少年、怪我したポケモンというのは……」
「ポケモンって、さっきフウロさんが大騒ぎしながらタワーなんとかってとこに行った話?」
自動ドアが開き、ベルのまあるい声がトウヤの耳に触れる。
トウヤが振り返るのと同時に、ニンジンを持ったコートの男はニンジンを握りつぶす勢いで立ち上がり北の方角に向かって走り出した。
「タワーオブヘブンだな! 待ってろよプラズマ団め!!」
呼び止める間もなく行ってしまった男を見送ると、ベルはしゃがんだままのトウヤを見下ろし、腰の後ろで手を組んだ。
「トウヤ、いないと思ったら外にいたんだね。 寒くない?」
「大丈夫だよ。 ホドモエシティでずっと寒いところにいたせいか、寒いの慣れちゃったし。
それに……」
「うぉーんっ!」
びっしょびしょのダイケンキに抱きつかれ、トウヤは「わっ」と声をあげた。
ダイケンキは押しつぶしてしまったトウヤを見てハッと口を開く。 重いし、痛いし、乾かしたばかりの服がドロドロだ。
「……まぁ、こんな状態だから。」
申し訳なさそうな顔をするダイケンキを押しのけて、トウヤは上半身を起こす。
アハハ、と笑って手を振ったベルがセンターの中へ戻るのを見送ったとき、トウヤは肩を掴まれ、足が地面から離れそうなほど強い力で引き上げられた。
「トウヤ!」
雨音を突き抜けて耳を打った声に、トウヤはハッと目を見開く。
体をひっくり返される。 トウヤの茶色い目には、ずぶ濡れのまま息を切らせるトウコの姿が映った。
トウヤがふわふわと口を動かすと、トウコはトウヤが何か言うのよりも早く一気にまくし立ててくる。
「大変なんだ! プラズマ団のヤロー、あたしのポケモンと間違ってNのゾロアを攻撃しやがった!
ゾロアは間一髪逃げれたんだけど、ひっでーケガしてて……あぁ! もう、なんつえばいいんだ!
とにかく救急車!!」
「ト、トウコちゃん、落ち着いて……」
早口でまくしたてるトウコにうわずった声をかけると、トウヤはダイケンキの首を叩き、靴のかかとを地面につける。
「それで、ゾロアはどっちに?」
「北だ! タワーオブヘブンの中に逃げ込んだ!」
さっきフウロが言っていた場所だ。 小さくうなずくとトウヤは雲にかすむ高い塔へと視線を向ける。
「わかった、ボクも追いかけてみるよ。」
部屋に戻ってありったけの薬をバッグに詰め込むと、トウヤは傘もささずに雨の中に飛び出した。
廊下ですれ違ったベルが、何事かと追いかけてくる。
慌てて持ってきたような帽子を頭に被せながら、ベルはしとしととまとわりつく雨粒に目を瞬かせる。
「トウヤ、どうしたの? なんか、すっごい慌ててない?」
「さっきフウロさんが言ってた怪我したポケモンが、トウコちゃんの知り合いだったみたいなんだ。」
トウヤの足元を走るゾロアをチラチラと見ながら、ベルは少しだけ眉を潜める。
「だったら、あたしも行く! タワーオブヘブンって7番道路だよね!」
ロングスカートから飛び出た足をパタパタと動かして、ベルは走る速度を上げた。
タワーオブヘブンに近づくにつれ、ただでさえ冷え込んでいた空気がじっとりと重みを帯びてくる。
石造りの塔を見上げると、トウヤは水の中に飛び込むように、大きく息を吸って塔の中へと飛び込んだ。
続きを読む
戻る