「……わかりあうためと言い、トレーナーは勝負で争い、ポケモンを傷つけあう。
 ボクだけなのかな、それがとても苦しいのは。」
つぶやくように話すNの言葉を、トウヤは心臓を握られるような気持ちで聞いていた。
トウヤに化けていたゾロアが元の小さなキツネの姿へと戻り、Nの足元で黒い尻尾を振り回す。
その首もとを青白い手でくすぐると、Nは立ち上がってトウヤのことを見下ろした。
「……まあいい、キミのポケモンと話をさせてもらうよ。」
言っていることの意味が分からず、トウヤが目をパチパチさせていると、どこからともなくポケモンの鳴き声が響いてきた。
警戒してか、ダイケンキがボールの中から飛び出してくる。
しかし、楽しそうに尻尾を振るゾロア以外のポケモンが見当たらず、怪訝な顔をしてダイケンキが首をかしげていると、その首もとにNの冷たい手が触れた。


ダイケンキは驚いていたが、トウヤはもっと驚いた。
暗い瞳をしたままNが口走っているそれは、紛れもなくダイケンキの鳴き声だ。
雨が身体を冷やすのも気にせずNとダイケンキから放たれる低い声に聞き入っていると、Nはやがて、ゆっくりと立ち上がってその視線をトウヤの方へと向けてきた。
「……なるほどね。ダイケンキが教えてくれたよ。
 キミが旅をする理由、そして……キミの夢。」
「え、あ……」
うろたえるトウヤに薄く笑うと、Nはポケモンセンターの方角に顔を向け、軽く肩をすくめてみせた。
「『トウコチャン』はいないよ。
 彼女には、ポケモンセンターに行ってもらっている。
 今、この場にいる人間は、ボクとキミだけだ。」
Nの言葉を聞くと、トウヤは恥ずかしそうに顔をうつむかせた。
モジモジしている彼を見て口元だけで笑うと、Nは手の甲で小突かれるダイケンキに視線を向ける。

「それにしても、このダイケンキ……なぜだかキミを信じている……
 いいね……!
 すべての人とポケモンがキミたちのように向き合うなら、人に利用されるだけのポケモンを解き放たずに、ポケモンたちと人の行く末を見守ることができるのに……」
少しだけ語気の変わったNにトウヤは顔を上げ、彼の傷だらけの唇に目を向けた。
「ゲーチスはプラズマ団を使い、特別な石を探している
 その名も、ライトストーンとダークストーン……
 伝説のポケモンは、その肉体が滅ぶとストーンとなって眠りながら英雄の誕生を待つ……
 そのストーンから伝説のドラゴンポケモンをよみがえらせ、トモダチになり、ボクが英雄であることを世界に認めさせ従わせる……」
Nは遠くを見るようにすると、先を続ける。
「……ボクの夢は、争うことなく世界を変えること。
 力で世界を変えようとすれば、反発する人もでるだろう。
 そのとき傷つくのは、愚かなトレーナーに利用されてしまう無関係のポケモンたちだから。
 そう……ポケモンは、人に使われるような小さな存在じゃないんだよ!」
帽子をすり抜けて顔へとかかってきた雨粒が、トウヤの頬を濡らす。
トウヤは何か言おうとしたが、言葉にならず、唇だけをかすかに動かした。
不思議そうな顔をしてトウヤに目を向けるダイケンキを見ると、Nは悲しそうな顔で、トウヤとダイケンキに視線を合わせる。
「その結果……キミたちのように、お互い向き合っているポケモンとトレーナーを引き裂くことになるのは、すこし胸が痛むけどね。」
体をふるわせるゾロアに横目を向けると、Nは雨に濡れたまま、ゆっくりとした足取りで街の外へと向かって歩いて行った。
トウヤは目を見開いたまま固まる。
雨の音だけが、耳の中を渦巻いていた。

やがて、静寂を打ち消すかのようにダイケンキが低い鳴き声を上げると、トウヤは自分のポケモンに顔を向け、そして、走り出した。
足はまっすぐにポケモンセンターへと向かう。
開きかけの自動ドアに体を滑り込ませ、転がり込むように建物の中へと飛び込むと、ロビーの中を見回してトウヤは「あ」と小さく声をあげた。





小さな部屋の隅っこに、その少女はいた。
身体を丸めたゾロアをイスの横に、つまらなそうな顔をしてトウヤのことを見つめている。
「よお、トウヤ。」
長いポニーテールを揺らしながら、トウコはいつもよりも少し低い声で話し掛けた。
「……なーんかさ、えらいことに巻き込まれちまったな。」
他人事のように話すトウコに駆け寄ると、トウヤは乱れた息を直そうと大きく息を吐いた。
「トウコちゃん……Nのところに行ってたの?」
「あー、息が詰まるかと思ったぜ。」
心底つまらなそうな顔をして、トウコは遠くの方に視線を向けた。
長いまつげの先が光っている。
ため息を吐くようにすると、トウコは足を組み直してトウヤへと目を向けた。

「Nに会ったろ。」
「うん、ゾロアは返してきたよ。」
トウヤが答えると、トウコは少し時間をもたせてから重そうにしていた口を開く。
「……アイツ、自分の夢にトウヤのこと巻き込む気だぞ。」
不思議そうな、困ったような顔をしてトウヤは目を見開く。
向けられた視線に視線を交差させると、トウコは丸まったゾロアを親指で差し、ふぅと小さなため息を吐いた。
「戦わなきゃなんねーかもってこと。
 んで、Nと戦うってことはプラズマ団と戦うってことだ。 トウヤ……」
名前を呼んで、トウコは頬杖をついた。
「……一応、聞いておくよ。」
低いトーンで放たれた声に、しばらくの間返事はなかった。
トウコの瞳が瞬く。
うつむきがちなトウヤの答えが放たれるのを、トウコは忘れな草色をした瞳を向け、じっと聞いていた。


「ボクは……」
一呼吸置き、トウヤは1度唇を固く結ぶ。
「ボクは、Nがボクと戦うと言うのなら、受けようと思う。」
「いいのか?」
うなずくトウヤの視線は、まっすぐトウコへと向いている。
「ヘタすりゃ、イッシュ全土を巻き込んでの大戦争だぞ。」
「ボクの……ボクの夢に、Nが関わってると思うんだ。
 だから、Nから逃げない。 逃げたくないんだ。」
驚きもせず、トウコはトウヤの言葉を聞いていた。
小さく2度、3度とうなずくと、トウコは長いポニーテールの中に手を突っ込み、くしゃくしゃと髪をかき混ぜる。

「……分かった。 止めない。
 んじゃアタシ、しばらくアンタについてくよ。 少し気になることもあるしね。」
「気になること?」
立ち上がって大きく伸びをしたトウコに、トウヤは聞き返す。
少し遠くを見るような目をすると、トウコは腰の後ろで手を組んでふぅと小さくため息を吐いた。
「……フキヨセを出てからの記憶がねーんだよ。」
ポツリとつぶやいた言葉に、トウヤは眉を上げる。
「言ったまんまだよ。 フキヨセジムで何か見つけて、それを追いかけて……
 街を出てからどうしたのか、さっぱり思い出せねー。
 セッカシティの方に向かったのは間違いないんだけどなー……」
ぽかんと口を開けたままトウコの話を聞くと、トウヤは1度ゾロアの方に視線を向けてから小さくうなずいた。
もう1度、今度は大きくうなずく。
両手の先でズボンのポケットを強く握り締めると、トウヤは泣きそうな顔をしてトウコに笑いかけた。



「うん。」
「よっしゃ! じゃあ決まりだ!!
 早速明日出発しようぜ! くーっ! なんかワクワクしてきた!!」
小さく体をふるわせると、トウコはゾロアを叩き起こしポケモンセンターの奥へと駆け出していった。
トウヤは鼻を1度すすってから、受付へと向かう。
ガラス扉を見ると、冷え込んだ外の空気はガラスの内側に白い模様を作り出している。
季節は、秋から冬へと移り変わろうとしていた。


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