細い1本橋の上を、シキジカは器用に細いひづめで駆け抜けていった。
「コアルヒー! 『バブルこうせん』で翻弄だよん!」
「アー!」とラッパのような鳴き声をあげると、水色の鳥は大きくクチバシを広げ白い泡を吐き出した。
「シキジカ、止まれ!」
トウヤが叫ぶと、シキジカは思い切り前足を踏ん張り、1本橋の真ん中で立ち止まった。
目の前でバチバチと泡がはじけていく。 一面泡だらけになってしまった橋の先を見てシキジカは青筋を立てる。
そのまま突っ込んだら、間違いなく足を滑らせて落ちていただろう。 オロオロしているシキジカを見上げると、トウヤはパタパタと羽ばたくコアルヒーを指差し、腹の底から声を張り上げた。
「『とっしん』攻撃!!」
パッと表情を明るくすると、シキジカは細い橋を思い切り蹴り飛ばし、コアルヒーへと突っ込んだ。
頭の上に星が回るコアルヒーを見て、トウヤは軽く拳を握る。
細い1本橋の上に再び着地すると、シキジカは長く伸びた枯れ草の中に埋まるトウヤを見て、嬉しそうに「きょん!」と鳴いた。
「キミ、すっごく強いねー! 負けちゃったよん!」
橋の上でゆらゆらとバランスを取りながら、クラウンのショウヘイは足の下のトウヤに声をかけた。
コツコツとひづめを鳴らすシキジカは、降りるべきかどうか迷っている。
結局、ショウヘイの視線に耐え切れずに降りてきてしまったシキジカの首をなでると、トウヤは橋の上のピエロに視線を向けた。
「急なバトルだったから、びっくりしましたよー!」
「アハハ、ゴメンゴメン! けど、トレーナー同士は目が合ったらバトル! これが鉄則だよん!」
賞金のやりとりを交わすと、サーカスの練習中だったというショウヘイはそのままフラフラと1本橋の上を歩いて遠ざかっていった。
景気よくリズムを鳴らす木靴を見送っていると、上からイシシッという笑い声が降ってくる。
見上げると、トウコとゾロアが心底バカにした表情でトウヤのことを見下ろしていた。
「だっせーな、バトル中に橋から落っこちるなんてよー。」
「……勝ったんだからいいじゃん。」
なんだか納得がいかなくて、トウヤはトウコを睨み返す。
イシシッと意地悪な笑い声をあげると、ゾロアは変身しようとしたのか、ぴょんとその場で飛び上がった。
ところが、先ほどのバトルで泡だらけになった橋に、ゾロアも足を滑らせたのか、変身前に落っこちてくる。
枯れ草の中に埋まるゾロアをトウヤが見つめていると、ため息ついたトウコも橋の上から飛び降りてきた。
舞い散る草の切れ端に、鼻の中がくすぐられる。
トウヤがくしゃみすると、シキジカが驚いたのかちょっと跳ねる。
鼻の下をこすりながらトウヤがシキジカに目を向けると、オレンジ色だった毛並みの端っこが、少しだけ欠けていた。
「うぇ!?」
トウヤが慌ててシキジカの身体をこすると、少しゴワゴワした毛がポロポロと抜けていく。
シキジカがプルプルと身体を振ると、張り付いていた毛が吹き飛んで、オレンジ色だった身体は枯れ草のような茶色い色へと変わってしまった。
のんきにトウコが「おー」と声をあげるが、トウヤはそれどころではない。
慌ててポケモン図鑑を出したりきずぐすりを引っ張り出したりでバッグの中身をぶちまける。
対処法がわからず、トウコに泣きそうな顔を向ける。
「……どうしよう、トウコちゃん!
シキジカ、何かの病気かな? ポケモンセンター遠いのに……」
「あぁ、トウヤ知らなかったのか? これって……」
「冬毛に生え変わったんだよ。」
頭の上から声が降ってきて、トウヤとトウコは同時に顔を上げた。
それほど高くない日差しに黒い影が落ちる。 トウコがあげた「あぁ」という声には反応せず、チェレンは1本橋から飛び降りると自分のポケモン図鑑をトウヤに見せた。
「チェレン。」
「シキジカは季節ごとに毛が生え変わるポケモンなんだ。
ここのところ冷えてきたからね。 冬毛に生え変わったんだろう。」
チェレンのポケモン図鑑と見比べながら、トウヤは新しく生えた茶色い毛に指を差し込んでみた。
まるで綿毛のように、ふわふわしていて、そして温かい。
パッとトウヤが顔を赤らめると、シキジカは嬉しそうに「きょん」と鳴き声をあげた。
パタパタと短い尻尾を振るシキジカの背中を撫で回すと、トウヤは隣でふくれっつらしているトウコに気がつく。
「……も、ちょっとで踏まれるとこだったぞ。」
「まぁまぁ……」
苦笑いしながらトウヤがなだめる声を出すと、チェレンは不思議そうな顔をして首をかしげた。
「ところで、チェレンはどうしてここまで?」
トウヤは立ち上がると、抜け切らない苦笑いのままチェレンへと尋ねる。
「……あぁ、ボクも今日フキヨセから出発してね。
少し急いで追いかけてきたんだよ。」
「あー……、つまり、トウヤに話があるってことね。」
つまらなさそうにに言ったトウコに、トウヤは意外そうな表情を向けた。
ようやくチェレンもトウコの存在に気付いたらしく、視線をゾロアの方へと向ける。
「……なんだ、いたのかゾロア。」
怒ったようにケンケンと鳴き声をあげるゾロアに横目を向けて、チェレンはため息のようなものをつきながら長い草をかきわける。
はっきりとしない灰色の空に目を向けると、チェレンは視線だけをトウヤに向けてから、小さく口を開いて切り出した。
「……あれからずっと考えていたんだ。 キミの強さ……そしてぼくの強さ……
負けないことが強さなのか? 勝つことがすべてなのか。」
呆れたような顔をするゾロアを横目に見ながら、トウヤはチェレンが踏み固めた後の草地を歩く。
長い草地を抜けると、道は山へとつながっていた。
てっぺんが雲にかすむ大きな山にトウヤとシキジカが目を奪われていると、不意にチェレンが振り返り、メガネの下の視線をトウヤへと向けてくる。
「……フキヨセのジムで戦っていて思ったよ。
ポケモン勝負は楽しい、だけど強いってなんだよ!? ……ってね。」
「えっと……」
うまい答えも見つからず、トウヤはふらふらと視線を動かしながらシキジカに助けを求める。
困った顔をしているトウヤに気付くと、チェレンは少しだけ笑い、メガネのツルを持ち上げる。
「……悩まなくても、キミに答えを求めているわけじゃないさ。
というか、聞いてもらいたかっただけだよ。 忘れてくれ。
ゾロアも。 もし、トウコに聞かれたりしたら色々とメンドーだからね。」
唇に指を触れさせて、チェレンは他言無用のポーズをとった。
トウヤは苦笑いする。 すぐ後ろに、じと目をしたトウコがいるというのに。
イシシッと笑い声をあげるゾロアに何気なくポケモン図鑑を向けたとき、ふと空気の乱れを感じ、トウヤは立ち止まった。
直後、トウヤは突き飛ばされる。 冷え切っていた空気を、細い炎が横切っていった。
枯れ草を焦がしたそれをトウヤが見つめていると、チェレンは呼び出したヒヤッキーに視線を向け、ネジ山から続く登山道に人差し指を向けた。
「ヴォダ、『しおみず』!!」
チェレンの声に素早く反応したヒヤッキーは大きく息を吸い込むと、チェレンが指差した方に向かって強烈な水の攻撃を吐き出した。
登山道までは距離があったが、チェレンの繰り出した攻撃は不審者の足元に命中し、大きな水しぶきをあげる。
トウヤは「あっ」と声を上げた。
不審者が飛び降りてきたのだ。 高い山道から降りてきた男は大きな音を立てて着地すると、豪快に笑いながらこちらへと近づいてきた。
アデクだ。 イッシュ地方ポケモンリーグ、現チャンピオンのアデク。
赤い獅子のような髪を振り回すと、アデクは連れていた小さな虫ポケモンをボールへと戻し、チェレンにやや黄色がかった歯をニッと向けた。
「チェレン、なかなかの反応であったぞ! ポケモントレーナーとして成長しているようで何よりだ!!」
「……どなたかと思えば。 チャンピオンのアデクさんですか。
いきなり襲い掛かってくるなんて、趣味の悪い。
トウヤに当たったらどうするつもりだったんですか?」
敵意を向けてアデクを睨みつけるチェレンを、トウヤは草の上に座り込んだままきょとんとした顔で見つめていた。
何かの走り去る音が聞こえてくる。 ほんのわずか、向けられた気配にトウヤは眉を潜めた。
「いや、悪い悪い! キミたちのポケモンがレベルアップしていると思ったら、つい、な!」
「「つい」じゃありませんよ。 不意打ちなんて、チャンピオンのやることじゃないですよ。」
嘘だ。 つぶやいたトウヤの口の形をトウコが横目で見ていた。
この寒いのにサンダル履きのまま砂を蹴飛ばして歩いてくると、アデクは少し遠くを見てから肩の上をもぞもぞと歩き回る虫ポケモンに視線を向けた。
トウヤも同じポケモンに視線を向けると、草の上で体勢を直した。
朝にかかった霜はとっくに消えてはいたが、地面の上はひんやりと冷たい。
「それ、アデクさんのポケモンですか?」
「そうだ。 ほれ、メラルバ! 挨拶!」
小さな虫ポケモンはアデクの肩から飛び降りると、曲がりくねった5本のツノの先から小さな炎を噴き出した。
物珍しそうにポケモン図鑑を向けるトウヤの隣で、チェレンがため息をつく。
「ところで、チェレン?
前にも尋ねたが、強くなってどうするのかね?」
世間話をするようにアデクが尋ねると、チェレンはうっとおしそうな目をして相手を睨んだ。
「……強くなれば……チャンピオンになれば、それがボクの存在理由になる。
ボクは、生きている証が欲しい。」
「ふむう……キミはレンブに似ておるな。 なるほど、確かに、なにになりたいかは大事だ。」
トウヤが触ろうとすると、メラルバはちょっと怒ったような顔をして炎を噴き出す。
おびえたシキジカに苦笑いするトウヤに目を向けると、アデクはメラルバを呼び寄せ、再び肩の上に乗せてトウヤとチェレンから少し遠ざかった。
「だが、それ以上に大事なのは、強くなり、得た力でなにをするのか! ではないかな?
まあ、若いうちはたくさん悩め! その思いはいつか、お前さんたちの力になるだろう。
じゃあな、若きトレーナーたち。 ともに歩むポケモンがなにを望むか、忘れるなよ!!」
一方的に喋って一方的に大笑いすると、アデクはメラルバを連れ、どこかへと去っていく。
トウヤはチラリとチェレンを見る。
チェレンは、何かを考えている様子だった。
「なにをしたいか……それが分からないから、トレーナーとして強くなることで自分という存在をみんなに認めてもらうんだよ!」
トウコが唇を尖らせて腕を組む。
「あいっかわらずだなー、チェレンは。」
はぁっと熱い息を吐くと、チェレンはヒヤッキーをボールへと戻し、まだ怒りの抜け切れていない目をトウヤへと向けた。
「……先に行くよ、トウヤ。 この間は不覚を取ったけど、次はボクが勝つ!」
「う、うん……じゃあ、またね。」
特に言葉も見つからず、トウヤはひらひらと手を振る。
「またね」とは言ったが、行き先は同じだ。 すぐに追いついてしまうだろう。
曲がりくねった坂道を見つめると、トウヤはのろのろと起き上がる。
ゾロアがイシシッと笑い声をあげる。
トウコは長いポニーテールの中に指を潜らせると、早足で先を行くチェレンの背中を見つめていた。
「なんつーか、チェレンにも色々あんだなー。」
「トウコちゃんは考えなさすぎだと思う……」
「あ、言ったな!!」
頭の上からゲンコツが降ってきて、トウヤは目の端に涙を浮かべる。
ケラケラと笑うゾロアに、トウヤは潜めた眉を向けてみせた。
「あーもう! なんかムカつく!!
トウヤ、姉貴命令だ! チェレンより先にバッジ8個集めるんだ!! ホラ、ダッシュ!!」
「ええぇー!?」
訳も分からないうちにゾロアにお尻を小突かれ、トウヤは無理矢理走らされる。
山に近づくと、チラチラと降ってくる白いものが頬に当たり、小さな痛みを残していった。
口から吐く息が白く濁る。
寒さにふるえるシキジカをモンスターボールへと戻すと、トウヤは上着の前を少し強めに締めて駆け続けた。
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