綿帽子を被った木々に囲まれた森の真ん中まで来て、トウコはようやく足を止めた。
「ダメか……ちっくしょー、逃げ足の早い……」
足元にいるゾロアがグルル、と低いうなり声をあげる。
こちらも完全にプラズマ団を見失ってしまったらしい。
飛び出そうとするゾロアを呼び止めると、トウコは森の中を見渡し、遠くに見える街に視線を向けた。
「1度、街の方に向かおう。
 こっからだったら、どこに行くにしてもその方が近いはずだ。」
不機嫌そうにトウコを睨むと、ゾロアは小さく炎を吐いて街の方へと走り出した。
降り積もった雪の上に、大地を蹴り飛ばしたような爪の痕が残る。


「おどれ! おどれ! 2ひきのドラゴン!」
「あさもよるもまざり すべてがゆるされる♪」
「ぐるぐるわかれて ぐるぐるまざって」
「まわる♪ まわる♪ まわってねじれて♪」


口から白い雲を吐き出して、トウヤは街の入り口からセッカシティを見渡した。
降り続ける雪に家々はすっかり埋まり、暖かそうな綿を詰め込んだ服の子供たちが走り回って転げ回って無邪気に遊んでいる。
「これじゃあ、トウコちゃんもプラズマ団追うの難しそうだね。」
あっという間に埋まってしまった自分の足跡を振り返りながらトウヤが言うと、ちょこちょこと追いかけてきていたシキジカがキョン、と鳴き声をあげた。
トウヤたちもトウコを追いかけていたが、この雪に匂いも足跡も見失って追跡を断念したわけで。
はぁっと白い息を吐くと、トウヤは服のエリを詰めて街の中へと歩き出した。
幸い、真っ赤なポケモンセンターの屋根はこの雪の中でもよく目立つ。


トウヤがポケモンセンターの扉を潜ると、モップを床にこすりつけているセンターの職員と目が合った。
「あ、こんにちは……」
「いらっしゃい、ポケモンの回復ですか?
 足元に気をつけてくださいね。 なんだかいつの間にか濡れちゃってて、今、とっても滑るから。」
小さな声で返事して、トウヤは足元をフラフラさせているシキジカを抱えてセンターの中へと入っていく。
それほど大きな施設ではなかったが、ポケモンセンターの中はとても丁寧に掃除されていて清潔感に溢れていた。
顔の映りそうな床に少しおびえながら奥へと進んでいくと、電話の前で大笑いしている人を見つけ、トウヤの眉が上がる。
見覚えのある顔だった。 少しウェーブのかかった白髪混じりのブロンドに、口元にくっきりと残っているシワ。
「アララギパパ。」
電話を切ると、アララギパパもトウヤのことに気付いたようで少し低めの「おぉ!」という声があがる。
「トウヤ君じゃないか! 娘からキミがフキヨセシティを出たようだという話を聞いてたが、もうセッカシティまで着いてたのか。 いや、実にたくましいな!
 このシキジカもキミにずいぶん懐いているようだな。
 ポケモン図鑑も大事だが、こうして一緒に過ごす時間がなによりだもんな。」
叩かれた肩が痛み、トウヤはシキジカを床へ降ろした。
膝の裏に隠れようとするシキジカに足を取られながら、なかなか定まらない視線をアララギパパへと向ける。

「えっと、アララギパパはどうしてセッカシティに?」
「そうだな……トウヤ君、リュウラセンの塔は知っているかね?」
トウヤが首を横に振ると、アララギパパは手招きしてトウヤを窓の近くに呼び寄せた。
指差す先に視線を向けてみれば、雪と雲でだいぶかすんではいるが、森の向こうに細くて高くてまっすぐな棒のようなものが1本、空の上へと突き抜けている。
「リュウラセンの塔とは、このイッシュ地方でもっとも古い建物と言われている。
 なにより、伝説のポケモンが生まれた場所とも眠る場所とも伝わっているな。
 このセッカシティを抜けた先にあるのだが、詳しいことは何一つわかっておらん。
 なにしろ、塔の中に入った人間がいないのでな。
 私の娘も中を調べたがっているが……なあに、分からないことがある、そういうのもロマンというものだ。」
吐息で曇ったガラスを指でこすると、トウヤはポケモンセンターの中に視線を戻す。
ロビーの片隅にトウコの姿を見つけた。
つまらなそうに手を上げる彼女に手を振り返すと、再び肩を叩かれたトウヤは視線をアララギパパに戻す。
「と、いうわけで、ジジイはリュウラセンの塔を見物に行くのであった!
 じゃあな、トウヤ君。 セッカシティは伝説の多い街だ。 楽しんで行ってくれよ!!」
「は、はい……」
寂しいようなホッとしたような複雑な笑みを浮かべて、トウヤはアララギパパを手を振って送り出す。
その背中が見えなくなると、トウヤはトウコの元へと駆け寄った。



「トウコちゃん、大丈夫だった?」
トウヤが駆け寄ると、トウコはブスッとした表情のまま、イスの上であぐらを組みなおす。
「……逃げられた。 この雪ン中じゃ、臭いでの追跡も難しくてさ。」
不機嫌そうなゾロアの背中を叩くと、トウコは火のついていない暖炉へと視線を向けてため息をついた。
隣にトウヤが座る。
「でも、トウコちゃんもゾロアも無事でよかったよ。」
「無事……ね。」
何か言いたそうなトウコに目を見開いたとき、急に冷たい風が吹いてきてトウヤはそちらへと顔を向けた。
モップがけしていた職員のもとに、扉を開け放して少年たちが駆け込んでくる。


「お姉さん、雪合戦してたらケーシィが雪玉飲んじゃった!!
 大丈夫かな、チッソクしたりしない!?」
「あら、大変。 一応診察しておきましょうか。」
モップがけする手を止めると、職員は少年が抱えた黄色いポケモンを両手で受け取った。
トウヤの腰が上がる。 見たことのないポケモンだ。
好奇心を抑えきれずキラキラした目をして自分よりも小さな少年に駆け寄ると、トウヤは雪まみれのポケモンをチラチラ見ながら弾んだ声で彼へと話しかける。
「ねえ、あのポケモンなに? ボク、見たことないよ。 すっごく珍しいね!」
「エンデのとーちゃん、昔、外国行ってたんだぜー!!
 こいつんち、珍しいものいっぱいあるんだー!」
恥ずかしそうにしている少年の横で、友達らしき男の子がまるで自分のことのように声をはりあげて自慢する。
横目で何度も自分のポケモンのことを気にしながら、エンデと呼ばれた少年は口元をゆるませてトウヤに声を返した。
「とーちゃん……昔、外国でかっこいい仕事してたんだ!」
「じゃあ、あのポケモンって外国のポケモンなんだ。
 すごいなー、初めて見たよ。」
「ケーシィっていうんだ。」
「へぇ、」と関心した声を出すと、ポケモンセンターの職員が少年のポケモンを連れて奥から戻ってくる。

「はい、終わりました。 どこも異常ありませんでしたよ。」
「ありがとう! よかったね、ケーシィ!」
赤い頬をこすりつけると、少年のポケモンはゆらゆらと長い尻尾を揺らして少年に目を向ける。
「それじゃ、雪合戦の続きしよーぜ!」
「あ、ボク、パパたちと約束が……」
「オー! ここにいましたか、エンデ!!」
再び冷たい風が吹き、扉につけられたベルがカラカラと音を鳴らす。
肩からずりおちた雪を見た職員が、再び使い込まれたモップを手に取った。
少年に「とーちゃん」と呼ばれた男は、エンデの頭をぐりぐりとなでると小さな少年をひょいと抱え上げる。
「今日はこれから吹雪になるらしいから、ディナーは中止デース!
 代わりにママのあったかいスープを飲みまショウ。 フランク、今日はキミも早めに帰りなサイ。」
「はーい……」
ちぇ、と舌打ちすると、エンデの友人はポケットをゴソゴソと探りながらセンターを出て行った。
男はトウヤにも目を向ける。
一瞬、殺気にも似た気配を感じ、トウヤは身をすくませた。
駆け寄ってきたシキジカの頭を抱えるトウヤのことを見ると、男は子供を抱えたまま、にっこりと笑って白い歯を見せる。
「旅のトレーナーですカ? セッカは寒いデスガ、いいところですヨ!
 ワタシ、メンバー・オブ・ロケット団ネ!
 ロングアゴー、ロケット団消えてなくなったよ。
 なのでワタシ、リターンマイカントリー、アンド、メイクロケット団! そう誓いましたー!
 でも、ゴーホームして結婚したら、それどころじゃないでーす!
 オー! しあわせファミリーばんざーい!」
「ばんざーい!」
ケラケラと笑いながら去っていく親子を見送りながら、トウヤは軽く唇を噛んだ。
トウコのところに駆け戻ると、彼女は眠そうにあくびして、おもむろに立ち上がる。





「ト……」
話しかけようとしたトウヤの額に、細い指が突き刺さる。
何も感じない。 揺れる視線を下の方に向けながら、トウヤはふるえる唇で言葉を発する。
「……痛いよ、トウコちゃん。」
「帽子。」
ハッと気付いたように、トウヤは帽子のツバから手を離す。
行き処のない指先が胸元をさまよっていた。 声も出せずにいるトウヤに冷めた目を向けると、トウコは長い髪に指を入れてボリボリと頭をかいた。
「トウヤ、どこまで調べた?」
「えと、何のこと……」
「気ィ使ってんのは知ってるけど、そろそろ隠し事ナシにしよーぜ。
 ジムリーダーたちにアタシのこと聞いて回ってたろ。 アタシもアタシがどこにいんのか知らねーんだ。 そろそろトウヤが持ってる情報が欲しい。」
指先で呼ばれると、トウヤは吸い寄せられるようにベンチに腰掛けた。
腕を組み、足を組み、トウコは横目でトウヤを見る。
節の白くなった指を握り締めたまま、彼は小刻みにふるえていた。
心配してシキジカが駆け寄ってきているが、それすらも目に入っていないようだ。

青い顔をして言葉も出せずにいるトウヤを見ると、トウコは足を組みなおして小さく息を吐いた。
「フキヨセに着く頃には、アタシのポケモンたちもたくましくなって、そろそろポケモンリーグへの扉が見え始めてた。
 けど、ジムに入って、バトルして……その後のことがどーにも思い出せないんだ。
 気がついたら幽霊になってホドモエの海岸に打ち上げられてて、ポケモンもコイツ以外いなくなってた。
 何度もアタシに化けてもらって知り合いにコンタクト取ろうとしたんだけど、だーれもコイツのこと信じねーんだぜ? ひっでー話だよな!」
「カミツレさんも?」
「アイツは留守だった。 元々モデルの仕事が忙しくて世界中飛び回ってるから、顔を合わせられたのはジムバトルした1回だけだよ。
 ライブキャスターで話した回数は1番多かったけどな。」
そっか、と、小さくつぶやくと、トウヤは右足で見えない何かを蹴飛ばした。
まだ青い顔をしているが、多少の緊張は和らいだようだ。
どこかからただよってくるココアの甘い匂いをかぎながら、トウヤは薄い唇をそっと動かす。
「フキヨセのフウロさんに聞いたんだけど、ジムバトルのあと、トウコちゃん……何かすっごく急いだ様子でどこかに走っていったって。
 飛行機に乗せるか聞いたけど、断ったって……」
「んー……覚えてねーなー……
 でも、まぁ、何かを探してたような気はする。 起きてすぐ、何が何かもわからないまま、そこら辺探しまくってたし。」
頬杖ついたままのトウコに茶色い瞳を向けていると、トウヤの鼻先に何か暖かくて甘い匂いのするものが突きつけられた。
驚いて顔を上げると、ミルク色したカップを片手に覆面の男が、じっとトウヤのことを見下ろしている。


意味がわからず、トウヤは覆面の男を見上げたまま目をパチパチと瞬いた。
「えと……」
「冬のセッカは寒いだろう。 飲むといい、それとも、甘いものは嫌いか?」
よくわからないままコーヒーカップを受け取ると、トウヤはココアを口に含む。
甘い。 なぜだか涙が出そうになって、トウヤは服の袖で顔をこすった。
覆面の男に視線を向けてみれば、どこかで見たことがあるような気がする。
いぶかしんでトウヤがほんの少し眉を潜めると、覆面男は慌ててそっぽを向いて自分の分のコーヒーに口をつける。
そして、思いっきりむせこんだ。
氷色をした着流しに茶色い染みをつけた覆面男の背中をさすると、男はその手を断って残りのコーヒーを一気飲みする。
相当熱かったのか、今度は口に入れたものの半分くらいをカップの中に戻すと、男はトウヤから逃げるように遠ざかった。
何が何だかわからない。
咳き込みながら給湯室から出てきた男に、トウコは「はー」と呆れたようなため息をついていた。
もしかしたら彼女の知り合いかもと、トウヤは暖められたカップを握り締める。
中身がこぼれないよう、急ぎつつもそっと近づくと、覆面の男はなぜか動揺した。
少し不思議に思いながらも、トウヤは頬を紅潮させて相手に尋ねる。 わずかな希望を胸に浮かべ。

「あの、すいません、もしかして……」
「否! いやいやいや、私は違うぞ。 断じて私はバンブーブルーなどではない!」
聞いてもいないことをまくし立てる覆面男に、トウヤは「あぁ」と変な声をあげた。
言われてみれば、オモチャ売り場の片隅に似たような人の写真が飾られた特撮グッズが並べられていたような気がする。
本人が否定していることを突っ込むのもかわいそうだと思い、それには触れずに自分の質問をしようとしたが、覆面男はトウヤから逃げるように遠ざかると、濡れたフローリングに滑って転んでうずくまった。
「あの……大丈夫ですか……?」
「問題ない、私はジムの仕事があるので、これで失礼する!」
ややガニ股ぎみに扉を抜けると、覆面の男は急ぎ足でポケモンセンターから遠ざかっていく。
ガラス扉から男の行く先を見ていると、雪の中に人の形が点々と続いている。

イスの上で足を組んだまま、トウコがつまらなそうな声を出す。
「……あれが、セッカシティジムリーダーのハチクだよ。」
「……マジですか。」


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