メガネの上から目隠しされ、チェレンは少し不機嫌そうに眉を潜めた。
「だーれ」
「……ベル、前にあるガラスに映って丸見えなんだけど。」
ふくれ面したベルが手を離して1歩さがると、チェレンは指紋だらけのレンズを拭きながらぼんやりとした視線を彼女へと向ける。
「ベルもセッカシティに来てたんだね。」
「えへへ、さっき到着したところなの! チェレンはこれからジム戦?」
「そう思ったんだけど、トウヤに先を越されたみたいだ。
 ……まあ、いいんだけどね。 ちょうど考えごとをしたいと思っていたところだし。」
メガネをかけ直しながら、チェレンはほんの少しだけ口をとがらせた。
あまりよく分かっていないような顔をしながら、ベルはまぶしそうに雪に覆われたセッカの街を眺める。
「……ただ、強くなればいいと思っていたんだ。 実際、僕も、僕のポケモンたちも強くなったと思う。
 だけど、どれだけ強さを求めても、トウヤのポケモンたちに勝つことが出来ない。
 トウヤと僕の目的は違う。 トウヤは……強さを求めて旅をしているというわけではないのに。」
長いまつげを動かすと、ベルは難しい顔をしているチェレンを見て、少し考える素振りを見せる。
「あたし、あんまり難しいことはわかんないけど……
 きっとね、今あたしが考えてることと、チェレンが悩んでることって同じなんじゃないかなあ?」
「……同じ?」
チェレンが眉を上げると、ベルは細い指を立てて、白い歯を見せてはにかんでみせた。
「ほら、あたし、ティーンエイジも半分来たところだし、どんな大人になりたいか、自分に何が出来るか考えてるとこなんだ。
 トウコちゃんだって、自分の生き方を見つけるために家を出てったわけだし……」
「トウコの話は止めてくれ! あいつは……トウヤは、まだ、彼女が生きていると信じてるんだから……」
「……チェレン? 今、ボクの話してた?」



チェレンとベルが振り返ると、ジムの入り口でトウヤが長く立派なツノを持ったポケモンを従えて、不思議そうな顔をして2人のことを見つめていた。
自分の背よりもはるかに大きなポケモンを連れてやってきたトウヤは、ひづめを鳴らすそのポケモンの首筋をなでてから、チェレンとベルに視線を向ける。
「えっと、チェレン。 今バトル終わって、次回は正午からだって。
 ベル、この子メブキジカ。 さっきシキジカが進化したんだ、すっごくふわふわだよ。 触る?」
「えっ、いいの? やったあ!!」
無遠慮に抱きついてくるベルを嫌がる様子もなく、大きなシカのようなポケモンは長いツノを気にしながら少し困ったような視線をトウヤに向ける。
首元の真っ白な毛をもみくちゃにされる元シキジカに苦笑いすると、トウヤは何か言いたげなチェレンの方に視線を向けた。
「チェレン。」
「……トウヤ。 ベルと話していたけれど、カノコタウンを旅だってから、僕は……なにが変わった?」
「へ?」
唐突なチェレンの質問に、トウヤは長いまつげを瞬かせ、1文字をもってチェレンへと聞き返した。
「なにをしたいのか、なにをすべきか考えようと自分と向き合ったら、なにもないように思えて……
 僕は本当に強くなったのか、ポケモンが強くなっただけなのか、よくわからなくなった……」
「はいはい、チェレンたら……3人そろったのに、ね!」
抱きついたポケモンの首から離れながら、ベルはトウヤに白い歯を向けて見せた。
「トウヤ! あたしはね、今度はだいすきクラブに行ってね、あたしのやりたいこと、あたしにできそうなこと探すの!」
「そっか、ポケモンだいすきクラブの会長さんなら、この間会ったよ。
 少し変わってるけど、面白くて……」
ふと言葉を止めると、トウヤは自分が今出てきたばかりのジムの入り口へと目を向ける。
白い吐息を浮かべながらこちらへと走ってくるのは、たった今戦ったばかりのジムリーダー、ハチクだ。


ハチクが現れたのを見ると、チェレンの眉が少しだけ上がった。
そういえば、昔ハチクがやっていたアクション映画をチェレンが熱心に見ていたような気がする。
「誰だ?」
低い声が響くと、トウヤの背中に視線が突き刺さる。
メブキジカが警戒した。 ぴったりとトウヤに寄り添うように構えると、口から白い息を吐いて見えない敵を睨む。
「だれ……って? あたしはベルで、こちらはチェレン……」
「いるのは分かっている。 姿をみせたらどうだ?」
「ベル!!」
チェレンがベルの腕を引くと、それまでベルがいた場所に薄暗い影のようなものが落ちる。
いつの間にか、囲まれていた。 ヤグルマの森、6番道路とトウヤの命を狙ってきた黒づくめのプラズマ団だ。
「……………………さすがは、セッカのジムリーダー。
 影の存在である、我らダークトリニティに気付くとはな。」
トウヤが振り返ると、同じ顔をした黒尽くめのプラズマ団がもう1人、トウヤたちへと薄暗い視線を向けている。
「……帽子の子供だけに伝えるつもりだったが、まあいい。
 ゲーチス様からの伝言だ。 リュウラセンの塔に来い。」
別の場所にも現れたらしく、ベルが「ひゃあ」と変な声をあげた。
「……そこで、N様がおまえを待っておられる。 しかと伝えたぞ。」
「リュウラセンの塔!? どういうことだ……
 おい! きちんと……ッ!!」
ハチクが言い切るよりも前に、プラズマ団たちは来たときと同じように、影のように音もなく消え去っていく。
メブキジカの耳が動いたのを見て、トウヤはもう安全だと判断する。
「Nが……」
「そちらの少年、ジム挑戦だとしたら、しばし待ってくれ。
 私は今からリュウラセンの塔に向かう!」
「僕も行く! 北に見えるあの塔のことですよね! トウヤは……」
チェレンは言いかけた口をつぐんだ。 旅の間、幾度となく見たあの顔だ。
「ポケモンたちの回復が終わったら、すぐに。
 大丈夫。 呼ばれてるのはボクだし、すぐ追いつくよ。」
ヒュッと高い音が鳴ると、メブキジカは姿勢を低くし、トウヤをそのしなやかな背中の上に乗せる。
高い声とともにひづめの音が鳴り、トウヤとメブキジカはあっという間にチェレンたちの視界から消えていった。
チェレンとハチクはうなずきあうと、歩調を揃えて北の方向へと走り出した。
残されたベルが、目を白黒させながら辺りをクルクルと確認する。

「わわわ! あ、あたしは……どうしたら?
 と、とりあえず、そのリュウラセンの塔に行かないと……
 えーっと、ここから北だっけ?」





小鳥のようにエサに集うイタチのようなポケモンたちを見下ろしながら、アララギパパは冷えて固まってきた腰に自分の手を当てた。
リュウラセンの塔を見物するつもりが、近くにいた野生のポケモンたちに心を奪われて、ここ数日、自分の仕事もほったらかしてすっかり通い詰めてしまっている。
「おー、よしよしよし、コジョフーたちはいつ見てもかわいいなー。」
水分のないポケモンフードをモソモソと食べていたコジョフーはふと顔を上げると、まるでクモの子を散らすようにアララギパパのもとから離れていく。
何か気に障ることでもしてしまったのかと、アララギパパは自分の身なりを改めて確認した。
香水の匂いもしないし、今日は特にポケモンが逃げていく要因が見つからない。
不思議に思っていると、背後から地響きのような、低い音とピリピリとした殺気が近づいてくるのを感じた。
今度はさすがのアララギパパも異常事態に気付く。
ミシミシと音をあげる木々から距離を置くと、時間を置かずなぎ倒された木々の間から派手な銀色をしたブルドーザーと、銀色のフードを被った集団が現れた。
「な……! なんだなんだ……!?」
腰を抜かしそうになるアララギパパの横を通り過ぎると、集団はまっすぐにリュウラセンの塔の方向へと向かって突き進んでいく。
爪を振り上げるブルドーザーを見て、アララギパパはハッと息を呑んだ。
「お、おい……お前たち、何を……!」
「しっ!」
突如物陰から伸びてきた手に引かれ、アララギパパは太い木の裏に隠される。
地面を揺さぶるような打撃音が響き渡った。 寒気から逃げるようにのんびりと木の上で身を寄せ合っていた鳥ポケモンたちが一斉に羽ばたいて逃げていく。

「な、なんなんだね、キミは? この事態はいったい……!?」
「名乗るほどのものではないが、私は国際警察のメンバー、コードネームはハンサム!
 奴らはプラズマ団だ。 街の北に怪しい集団が集まっていると聞いて来てみれば……奴ら、リュウラセンの塔に何を……!?」
話をする間にも打撃音が聞こえ、かろうじて灰色の枝にしがみついていた木の葉がはらはらと落ちてくる。
「と、とにかくプラズマ団とやらを止めんと……!」
「待て! 今行っても多勢に無勢だ。
 本部に連絡を取るから、少し待って……む、おかしい、無線が使えんぞ? プラズマ団の妨害か?」
「それ……電池切れ……」


アララギパパがあっけにとられている間に、塔の壁に大きな穴が開けられる。
驚いてあげた小さな声は、石造りの壁が崩れるガラガラという音にかき消された。
ブルドーザーの席から茶色のマントを羽織った老人が降りてくる。
「我らが王、N様のために道を!」
「はっ!」
「は!」
波が引くように人の列が割れ、リュウラセンの塔に続く橋に1本の道が出来る。
直後、ハンサムはアララギパパを抱え、その場から飛び退いた。
ジャリジャリとしたチェーンの音をあげ、ハンサムとアララギパパがいたところを黒い巨大な車が通り過ぎて行く。
車はブルドーザーの隣まで来ると、ブレーキを軋ませ停止した。
うやうやしく扉の開かれた車から降りてきた人物を見て、アララギパパは目を見開いた。
プラズマ団の中心をゆっくりと歩くその男は、トウヤたちとそう年頃の変わらない、まだ若い青年ではないか。



「……森が荒らされているな。」
低いモーター音を響かせながら、ハチクはスノーモービルの隣を走る茶色く濁った雪を見て眉を曇らせた。
「……奴ら、どこまでもメンドーなことを……!」
「喋るな、舌を噛むぞ。」
ハチクが喋った直後、スノーモービルが木の根を踏み、飛び上がる。
アゴにきた衝撃にチェレンは顔をしかめた。 確かにハチクの言うとおり、あまりムダ話などしていられなさそうだ。
チェレンがハチクへと視線を向けると、ハチクの目の端に涙が浮かんでいた。
「……噛んだな。」
ハチクに聞こえないよう、チェレンは小さくつぶやく。
雪道を転がるようにしてスノーモービルは停止した。
ホコリの匂いがただようリュウラセンの塔の入り口は、明らかに今壊されたという体で大きな穴が開けられている。

「チェレン!」
「アララギ博士!?」
森の中から飛び出してきたアララギパパにチェレンの表情が変わる。
「無事ですか?」
「あぁ、私は大丈夫だ。 しかし、のんびり話すのは後だ。
 さっきの連中……プラズマ団といったか?
 大挙したプラズマ団が塔の壁を突き破り、中に入っていったんだよ。」
チッと舌打ちすると、チェレンは塔の入り口を睨む。
ハチクの行動もほぼ同じタイミングだった。 ホルダーからモンスターボールを引きちぎり、塔の中へと駆け込んでいく。
「お、おい!?」
アララギパパが止める間もなく、あっという間に2人の姿は塔の奥へと消えていった。
嫌な胸騒ぎをかき消そうと、アララギパパは頭を振った。





白い世界に溶け込みそうな冬毛をまとったメブキジカが目の前に現れ、ベルは大きな瞳を瞬いていた。
「ベル、乗って!」
長いツノをしっかりと握り、トウヤは雪に吸い込まれないよう声を張り上げた。
まさか引き返してくるなんて思わなかったベルはアワアワと両手を宙にさ迷わせる。
「で、でも、あたしが行っても足手まといになっちゃうよ?
 チェレンたちはもう行っちゃったし、それに……ほら、重くなった分だけメブキちゃんの足も遅くなるし……」
「いいから、乗って!」
強い口調でトウヤが言うと、膝の間に乗せていたゾロアがくるりと回転し、トウコの姿へと化ける。
そのまま悲鳴をあげるベルの腰を持ち上げると、強引にメブキジカの背中に置いた。
低い声をあげるとメブキジカは足元を立て直し、雪の大地を蹴ってリュウラセンの塔へと走り出す。



空が薄暗くなる。 雪雲でも来たのかと見上げると、ドスンという重いものが落ちる音がすぐ横に響いた。
「アララギパパ!」
「ベルちゃん、トウヤ君!?」
白い雲のような息を漏らしながら、ベルが乗っていたメブキジカの背中から降りてくる。


「アララギパパ、これってやっぱりプラズマ団が?」
「そうだ。 さっき、ハチクとチェレンがプラズマ団を追いかけていったが……」
「トウヤ……!」
「わかってる、ベルはここで待ってて。」
メブキジカの鼻先をリュウラセンの塔に向けるトウヤを見て、アララギパパはさすがに焦った。
チェレンも似たようなものではあるが、彼はカノコから出発した4人の中では1番の年下だ。
「お、おい……お前さんたちもチェレンのようにプラズマ団を追いかけるのかね?
 いくらポケモンがいるとはいえ、お前さんたちのような子供がプラズマ団相手に事を構えるのは、あまり関心できんが……」
「大丈夫!」
一際高く上がったベルの声にアララギパパの視線が動く。
「トウヤもチェレンもすっごく強くて、プラズマ団を倒したこともあるんだから!」
そう言いながらも、ベルの手はふるえていた。
複雑そうな表情をするアララギパパを茶色い瞳に映すと、トウヤはベルの方を向いて少し強めに唇を噛む。
「じゃあ、ベル。」
「トウヤ……絶対にムリしちゃダメだよ。」
「……うん。」
アララギパパが何か言おうとするのを待たず、トウヤはメブキジカに指示を出してリュウラセンの塔へと飛び込んで行った。
背中を見送るベルの指先から、血の気が消えて白くなる。
ベルは不安そうな顔をするアララギパパの視線に気付くと、少し引きつった笑みを浮かべ、アララギパパの方へと向き直った。
「……えーっと、あたしはそんなに……というか、ぜんぜん強くないから……
 ここで、博士のボディーガードを出来たら……いいなあ……なんて。」
「そうかい、ありがとうよ! そいつは心強い!」
冷え切ったベルの肩をアララギパパは強く叩いた。
高くそびえたリュウラセンの塔。 白い雲に覆われ、てっぺんは見えない。
空気がふるえた。 戦うトレーナーたちの雄叫びは、厚い壁を伝ってアララギパパとベルのところまで届いてくる。

「それにしても……プラズマ団め、なにを目論む……?」


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