「迷子……かなあ?」
「家出?」
「まさか、捨てられた……とかじゃないよね。」
ブルンゲルから出てきた小さな子供を取り囲んで、トウコ、チェレン、ベルの3人はそれぞれ、好き勝手に自分の考えたことを口にしていた。
どう見ても『普通』ではないのだ。
元は白かったであろうぶかぶかのシャツはネズミ色に汚れ、ボサボサ髪と小さな身体の回りでは羽虫が飛び回っている。
隣町の異臭騒ぎの原因が彼だろうということに関しては、3人の意見は一致した。
時間が経って鼻こそ慣れてきたが、彼からただよってくるニオイはとても子供が発するものではない。
「……やっぱり、警察の人に言った方がいいよ。 みんなこいつを探して騒いでたんだよね?」
「でも、でも、なんか隠れてるみたいだったし、ママのところに返してあげなきゃ……」
「ベル、この子のお母さんを探すのも警察の仕事だよ。」
やはり警察に……と言おうとしたところで、チェレンは妙に静かなトウコが気になって、そちらへと視線を向けた。
難しい顔をして考え込むと、トウコはいつもはベルの手を引く左手で子供の手を握り、カノコタウンの方へ向かってずんずん歩き出す。

「ト、トウコちゃん? どこ行くの?」
「帰る。」
チェレンが横目で引っ張られる子供を見ると、彼はすごく驚いた顔をして彼女の茶色い髪を見つめていた。
ベルの足がいつもよりも少し早くなる。
「この子、連れて帰っちゃうの?」
「だってクッセーんだもん、こいつ。」
引きずられるように歩いていた子供の肩が、ビクリと跳ねる。
振りほどこうとする手を無理矢理握り締めると、トウコは時々小走りになりながらベルとチェレンと別れて家路を急いだ。
こっそりと家の中に入ろうとするが、異臭騒ぎにまでなった子供を連れて、そんな行動が出来るはずもない。
早々に待ち構えていた母親に捕まると、トウコは連れ帰ってきた子供の手をしっかりと握り締めながら、自分の母親を睨みつけた。


「……トウコちゃん? いっつも5時までには帰ってくるように、ママ言ってるわよね?」
「5時だもん。」
玄関の時計を見ると7時を回っていたが、彼女の時計はいつも壊れていた。
「……そう。 それじゃ、その子はなあに?」
「友達……」
「こんなに遅い時間に、そんなちっちゃい子連れてきて……その子のお母さんに連絡してあるの?」
「してない。」
さすがに後ろ暗いのかトウコは母親から視線をそらしたが、握り締める手はずっと力を込めたままだった。
母親はしゃがみこんで彼女の視線の高さに合わせると、両手でトウコの顔を持ち上げ、強制的に視線を合わせる。
「前も言ったわよね? 親御さんにひとこと言ってからじゃなきゃ、お友達を連れてきちゃいけないって。
 今頃、その子のパパとママも心配してるわよ。 早くその子のおうちに連絡……」

「……んー!」

ずっと無言だった子供が突然頭を振って、トウコも母親も驚いて一瞬言葉を失った。
ベタベタした髪に張り付いた小さな虫が、一斉に飛び上がる。
悲鳴を上げて受話器を取り落とした母親に目を向けると、トウコはもう1度おなかに力を込めて母親を睨んだ。
「おふく……ママ! コイツ、風呂に入れてやってよ。
 コイツ、なんか変なんだって! オレが助けてやんなきゃいけないヤツなんだって!」





少しの沈黙の後、彼を風呂に入れるというトウコの案は意外にあっさりと許可が下りた。
ボロ布のような服を脱がせ、泡立てたスポンジで身体をこすると面白いほどに垢がボロボロと落ちる。
時々しかめっつらする彼を不思議に思い、トウコがバスタブから身を乗り出すと、彼の身体の至るところに、すり傷とあざがついていた。
トウコなら悲鳴をあげるし、ベルなら泣き出すレベルだ。
「それ、すっげーケガだな。」
何気なくトウコが言うと、途端、彼は不自然に前髪を引っ張りだす。
「……ボクが、自分で転びました。」
「オマエ、しゃべれたの!?」
トウコがすっとんきょうな声を上げると、彼はびっくりした顔をしてようやくトウコへと視線を向けた。
勿忘草色の瞳が、好奇心に満ちた目で彼のことをじっと見つめている。
おびえたように自分の唇を噛む彼の方に身を乗り出すと、トウコは泡だらけのスポンジを振り回し、自分から質問を相手にぶつけてきた。
「なぁ、名前は?」
「トウヤ・ブラック……3歳です。」
「オレはトウコ・ホワイト、6歳! よろしくな!」
前歯の抜けた笑みを向けトウコが手を差し出すと、トウヤと名乗った彼は恐る恐る彼女の手を握り返す。
「トウヤ、なんでブルンゲルの中にいたんだ?」
「……隠れてた。」
「ケーサツから?」
「……見つかったら、帰らなきゃいけない。」
「帰んのヤなのか? トウヤの親は?」
「いない。」
そう言った瞬間だけ、トウヤは泣きそうな顔をした。
トウコも口をつぐみ、出しっぱなしのシャワーヘッドからざあざあとぬるいお湯が音をあげる。
しばらく考えるようにすると、トウコは握ったままの手に力を込めてトウヤの茶色い瞳に真っ直ぐな目を向けた。

「じゃ、今日からオレが、オマエの家族になる!」
「え」
「だからトウヤ、今から言いたいこと言わないの禁止な!」
そう言うとトウコは泡立ったトウヤの頭にシャワーの水を吹きかけた。
身構えることも出来なかった目に石鹸の泡が入り、痛みでトウヤは顔をゆがませる。
「ほら、そーやってガマンしないで。 痛かったら痛いって、ちゃんと自分の口で言うんだよ。」
「目が……痛いよ、トウコちゃん。」
「そう。 ほら、手、出しな。」
両手で作った盆の中にシャワーの水が流し込まれると、トウヤはそれを使って目に入った石鹸を洗い落とした。
脱衣所に感じた人の気配に、トウコは流しっぱなしのシャワーを掴んだまま風呂場のドアを開ける。
「おふく……ママ! コイツ、トウヤっていうんだって!」
「そう。 トウコちゃん、この間着られなくなったあなたの服、トウヤ君にあげるけどいいわよね?」
「うん!」
オロオロするトウヤをよそにトウコは大きくうなずくと、シャワーの栓を閉めて引っ掛けてあるバスタオルへと飛びついた。
自分の体を乾かすよりも先にトウヤを包み込むと、ワシャワシャと音が鳴りそうなほど思い切りこすり付ける。
目を回したトウヤは洗い場の隅で尻餅をついた。 少し大きめのTシャツとズボンを着せられながら、少し困ったような顔をしてトウコへと視線を向ける。

「さっき、警察の人に連絡して来てもらうことになったから。
 2時間後ね。 トウヤ君、晩ごはんくらいは食べていきなさいな。」
洗濯機の洗い物を畳みながらトウコの母親がそう言うと、トウヤの表情が凍りつく。
トウコは自分を乾かすのもそこそこにバスルームから飛び出した。
「なんだよ、それ! ケーサツ呼んだらトウヤ捕まっちゃうだろ!!
 トウヤはオレの弟なんだ、絶対にケーサツになんか連れてかせないからな!」





「それで……?」
アデクが促すと、チェレンは軽く肩をすくめた。
「泥沼でしたよ。 トウコの母さんが根負けしてトウヤを養子に迎えるまで。
 トウヤを迎えに来た警察にトウコが襲い掛かるし、トウヤはトウヤでうちまで聞こえてくるような声で大泣きするし……」
「孤児院まで乗り込みそうになったけど、結局トウヤの方が抜け出してきて途中でばったり会ったりしたよね!」
唖然とする大人たちをよそに、ベルは普通の思い出を語るような口調でチェレンへと話しかける。
難しい顔をするとチェレンは頭をガリガリとかいて、黙って聞いていたアララギパパたちへと視線を戻した。
「……そういった経緯があるから、トウヤにとって何よりも大切なのは、一緒に笑って過ごせる自分の家族がいることなんです。
 彼女の幻影を見るという矛盾に陥りながら、行方不明になったトウコを探しているのもそのため。
 それが今、プラズマ団の手によって崩れかけようとしている……」
「だから、Nが「自分に挑め」と言ったのならば、命をかけてそれに応えかねない……か。 確かに、考えられない話ではないな。」
アデクがポケモンのような低いうなり声をあげる。
ずっと無言で腕を組んでいたハチクが、着物のスソを翻して白い部屋を後にする。
その背中を見送ると、アデクはイスの上でかいていたあぐらをポンと叩き、おもむろに足の裏を床につけた。

「……わかった! トウヤのことは1度置いておこう。
 だが、ストーンは探す。 在り処なら、イッシュの各地を旅していたわしに心当たりがある。 古代の城に向かおう!」
「僕も行きます! トウヤにばかり頼ってもいられません。」
チェレンが拳を握ると、アデクは獅子のたてがみのような髪を揺らし、大きくうなずいた。
アララギパパはサイドボードに置いていた本を、1度自分の膝の上に乗せてから立ち上がる。
「では、そちらは任せた。
 こちらはリュウラセン塔を調べよう。 なにかわかるといいのだが……」
「あの、あの! あたし、お手伝いします! 役に立てるかどうかわからないけど……」
ベルが声を張り上げると、チェレンが右手を持ち上げ人差し指を1本だけ立てる。
また静かにしろ、という意味かとベルは口に力を入れる。 チェレンは口元に薄く笑みを浮かべると、左手のライブキャスターを伸ばした指の先で軽く叩いた。
「じゃあ、何かあったらライブキャスターで。 今度はちゃんと出てくれよ。」
「あ、うん……」
拍子抜けしたベルをよそに、チェレンはアデクと話しながらさっさと行ってしまった。
ベルはトウヤを振り返ると、少しだけうつむいて胸元で手を握る。
うん、と1度うなずくとベルはアララギパパに向き直ってとびきりの笑顔を作った。
「それじゃ、あたしたちも行きましょー!」
「よおし! それじゃあ、塔の内部を探険としゃれこみますか!」





部屋の中からトウヤ以外の人の姿がなくなると、トウコはつまらなそうな顔をして小さなゾロアの姿へと化け直した。
冬の陽はとうに落ち、窓の外では銀色の月がチラチラと降り始めた雪に照らされ輝いている。
ほんの数秒だけ耳の裏をかくカリカリという音が鳴ると、あとは静かで、ゾロアはつまらなそうにベッドを支えるパイプの柱へと飛び乗った。
規則正しいトウヤの寝息だけが部屋の中をこだまする。
ため息をつくと、月明かりを模して隠した自分の影が、うっすらと床の上をゆらいだ。
「……トウ……コ、ちゃん……」
ぱたり、と、床に映った長い耳が動く。
ゼクロムに攻撃されたと聞いてはいたが、どういうわけか無傷。 そろそろ起きてもいい頃だ。
ベッドを揺らして飛び降りると、ずっと眠っていたトウヤのまぶたがゆっくりと動く。
「あれ……」
ぼんやりと白い天井を見つめると、トウヤは自分の身に起きたことが分かっていない様子でのそのそと起き上がった。
あまり焦点の合わない瞳で見慣れぬ部屋を見渡すと、いつも起きるときのクセでベッドの左端に帽子を探す。

「ここ、どこ……?」
部屋の隅にかけられた自分の帽子に気付くと、トウヤは靴下のまま飛び降りて薄汚れた帽子を胸に抱えた。
この帽子だって、昔、トウコからもらったものだ。 軽く唇を噛むとトウヤは小さく首を振り、もっと最近の記憶を引き出そうとシーツの乱れたベッドの上に腰を下ろす。
「……そうだ、ボク……Nと戦って……」
伝説のポケモンに触れることも出来ないまま倒れていくポケモンたちが目の前に浮かぶ。
圧倒的だった。 完全な力量差には特性すら意味を持たず、全てのポケモンがトウヤの目の前で光に包まれて倒れていった。
記憶は最後にNが、その攻撃の矛先を自分に向けたところで途切れている。
なぜ自分がここにいるのかは分からないが、Nはきっと攻撃したのだろう。
少し仲良くなれて、自分なら大丈夫だとトウヤは心のどこかで思っていた。
甘かった。 Nの覚悟は、理想のために友達を傷つけることすらも可能としていたのだ。


そこまで辿り着いたトウヤの思考が、一緒にリュウラセンの塔に突入したチェレンやハチクに辿り着くのは当然の流れだった。
なぜ、みんないないのか。 なぜ、自分だけがベッドの上にいるのか?
「ダイケンキたちは……? オタマロさんに、エリザベスも……!」
いよいよ焦ってきたトウヤを見て、トウコはいい加減姿を現そうかとゾロアークの爪で扉に手をかけた。
「だれ!?」
だが、先にトウヤが人の気配に気付き、警戒した瞳で扉の向こうへと視線を向ける。
状況を把握するまで待つつもりだったが、仕方ないとトウコが部屋に入ろうとしたとき、横から伸びてきた手が先に引き戸を開き、トウヤのいる部屋へと飛び込んだ。
トウヤの目が点になる。 テカテカしたボーダーの全身タイツに、ツノの生えたフルフェイス。
本当に、「だれ?」だ。

「空に向かうは正義の心! 強くしなるは鋼の雄志!
 人を支えて悪をくじく! 青い正義の一本竹! バンブーブルー参上!」


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