「うお!?」
トウヤの半歩前を歩いていたトウコは胃袋がひっくり返ったような奇妙な悲鳴をあげると、トウヤの背中をすり抜けて後ずさった。
不自然な視線の動きにハチク……ではなく、バンブーブルーが立ち止まる。
「どうしたの、トウコちゃん?」
「あ、あれ……」
そう言ってトウコは細い指を建物の先の雪原へと向けた。
雪原といっても、元は駐車場だったのであろう広場が降り続けた雪に埋まって正体がよくわからなくなっている程度のものなのだが。
中央には誰かが作ったのか、可愛らしい雪だるまが1つ。
何の変哲もない光景にトウヤは首をかしげると、もう1度トウコの方を振り返って怪訝な顔を向ける。
「別に何もないじゃない、トウコちゃん。」
「……うほぁ!?」
漫画でも聞いたことのないような奇妙な叫び声をあげて、バンブーブルーが腰を抜かす。
視線の先に何かあるのかと振り返ってはみるが、相変わらず雪原には雪だるまがぽつんと1つ佇んでいるだけだ。
この緊急時に、訳が分からない。
「トウコちゃん。 これから特訓しなきゃならないんだから、変な冗談はやめて……」
「後ろ、うしろォ!!」
「うしろ?」
トウヤが振り返ると、わずかばかりの明かりを残し、視界は雪だるまで塞がれていた。
「ワー、オーキナ、ユキダルマ……」
いやいや、そんなはずはない。 こんな人間離れした芸当をするのはポケモンに決まっている。
冷静に思い直し、トウヤは雪だるまにポケモン図鑑を突き出した。
ゴーレムポケモン、ゴビット。 山のように積もっていた雪がボロボロと崩れると、トウヤは「あっ」と声をあげた。
リュウラセンの塔で倒れていた、あのポケモンだ。
「トレバ、『グラスミキサー』!」
相手の動きも見ずに技の指示を出すと、周囲を取り囲むプラズマ団たちはチェレンから距離を取った。
反撃しようとするプラズマ団員を別のプラズマ団が制す。 横に伸ばされた腕を掴みながら、チョロネコを抱えたプラズマ団員はキイキイと耳障りな声をあげた。
「まあ! 憎々しい!! ポケモンをこき使うトレーナーの分際で!!
愚かなトレーナーどもがすばらしいポケモンを使いこなすなんてムリなのよ!」
「……その割には、あなたのチョロネコ、戦う気失ってるみたいだけど?」
チェレンがメガネを持ち上げると、体を持ち上げて睨みつけたジャローダの視線にチョロネコは逃げ出そうと腕の中でジタバタと暴れまわる。
プラズマ団の中からもクスクスと笑い声が聞こえ、チョロネコを抱えたプラズマ団は真っ赤になってチェレンを睨みつけた。
「なによ! 誰も世界を変えないからあたしたちが奮闘してるのに!
あなたにNさまの気持ち理解できるの!? この砂まみれでがんばってるあたしに負けなさい!」
「トレバ!!」
飛び込まされたチョロネコの真ん中をジャローダの『リーフブレード』が切り裂く。
攻撃はかすっただけだったが、チョロネコはギャッと鳴き声をあげると自分のトレーナーの指示も聞かず、まっすぐにその場から逃げ出した。
呆れたような視線で彼女たちを見送るチェレンに、彼を取り囲むプラズマ団たちは憎しみのこもった視線を向ける。
「お前……ポケモンが可哀想だとは思わないのか?」
「まったくだよ。 誰かさんたちが穴の中に落っことしてくれたせいで、僕のジャローダが砂だらけだ。」
向けられたチェレンの視線に合わせるように、ジャローダはペッペ!と砂を吐く動作をしてみせた。
距離を詰めることも出来ず、周囲でジリジリと様子を伺っているプラズマ団を一瞥すると、チェレンはため息の混じったような声で彼らへと話しかけた。
「……あのさ、ポケモンのカイホウがどうとかムズカシイこと言っているみたいだけど、それと、子供1人相手にいい大人が大勢でよってたかってカツアゲみたいな真似するのと何の関係があるわけ?
カワイソウカワイソウって言ってるけど、さっきからトレバはそっちから攻撃してきたのを跳ね返してるだけだよね?
キミたちの理屈で言うなら、キミたちのポケモンこそカワイソウな感じがするんだけど?」
「ふざけんな! オマエのせいでオレのポケモン負けたんだぞ! 可哀想だと思うだろ!!
……しかもその強さ、ポケモンに頼っているだけだろ!」
集団の中から別のプラズマ団が叫ぶと、ジャローダは呆れたような顔をして地面の砂の中へと潜った。
1人になったチェレンに、先ほど女性のプラズマ団を制した男が歩み寄る。
「オマエのことは聞いている、ポケモンをこきつかうヤツとな。
そして、強いヤツとも聞いていたが、その通りだぜ。」
チェレンは返事の代わりに片眉を上げた。
どうも『誰か』と間違えられているようだが、今話している相手を含め、プラズマ団たちはチェレンの違和感には気付いていないようだ。
砂が降る。 プラズマ団の男は肩に積もった砂を払うと、仰々しく両腕を広げながら語る。
「リョクシ様は言われた。 今日ここにやってくる奴は、我らプラズマ団にとって非常に危険な、今のうちに存在を消した方がいい人物であると。
我らは若い王様のために戦う……ただそれだけだ!」
「……わかった。」
プラズマ団の口元が緩んだ瞬間、パチン、とチェレンの指が鳴った。
地鳴りが聞こえ、プラズマ団たちの頭の上から砂と崩れたブロックが雪崩れてくる。
「キミたちとじゃ、話し合いにならないことがわかった。 話は、キミたちの上司と直接つけさせてもらうよ。」
「オマエッ! 天井を崩したのか!?
こんなことをしたら、自分がどうなるのか!?」
「キミに心配されなくても。」
叫び声をあげるプラズマ団の前にジャローダは降り立つと、その大きな体でチェレンをぐるりと取り囲んだ。
指示が出ると、『グラスミキサー』を使い、真上から降り注ぐ砂たちを払いのける。
音も止み、散り散りに逃げ出したプラズマ団の背中を見送りながら、チェレンは砂にまみれたメガネを上げた。
「……キミたちが流砂の中に落としてくれたおかげで、僕の頭上には天井はなかったんだよ。
ありがとう、トレバ。 おかげでメンドーな連中との話し合いが終わったよ。
アデクさんは……いないか、さすがに。」
周囲を見渡すと、チェレンはすっかり静かになった遺跡の中を、瓦礫を踏み越えながら歩き出す。
砂の払われた跡のある階段を見つけると、チェレンは足を止めた。
「……あそこ、かな?」
トウヤは後ろを振り返る。
なんだか知らないが、ゴビットはトウヤたちについてきてしまった。
バンブーブルーに別れを告げ、ハチクと合流するという、なんだかよくわからない茶番に付き合わされたあと、トウヤたちはタイヤの跡も真新しい森の中へ通される。
回復の終わったモンスターボールをゾロアークから受け取ると、トウヤは服の前をきゅっと握り締めた。
うなるような風の音に、ハチクの低い声が混じる。
「話はバンブーブルーから聞いた。 さらなる高みを目指す……と。」
「はい。」
「アイシクルバッジを持つキミに今さら教えるというのもおこがましいが、私とてポケモントレーナーだ。
人とポケモンとが離れ離れになる世界を受け入れることは出来ん。
出来る限り、力になろう。」
張り詰めた顔をしてトウヤはポケモン図鑑を握る。
無言のまま背中を見守る姉から少し離れ、トウヤは伝説のポケモン……ゼクロムの映像が残された画面をハチクへと向けた。
「Nとトモダチになったのは、真っ黒なドラゴンポケモンでした。
戦ったんですけど、ボクのポケモンじゃ、全く歯が立たなくて……ハチクさんなら、何か方法が思いつかないかと思って……」
「……確かに、私の専門『こおり』は『ドラゴン』に対して強くダメージを与えられる。」
ハチクはトウヤからポケモン図鑑を受け取り、画面を見つめ考え込んだ。
「だが、それだけか? この映像を見る限り、キミのポケモンたちは全てこの光の攻撃に当てられ、倒れているようだが?」
トウヤは言葉に詰まり、帽子を深く引き下げた。
トウコの視線が刺さる。 分かりすぎていた自分のメンバーの弱点を、こんな形で突きつけられるとは思っていなかった。
「……たぶん、『でんき』技です。
そこのゴビットが守ってくれなかったら、ボクもどうなってたか……」
そう言ってトウヤはゴビットに積もった雪を払う。 粉のような雪は音もなく丸い体を滑り落ちると、白い大地へと降り注いで見えなくなった。
唇を噛んだトウヤにハチクは「ふむ……」と考えるような姿勢をとると、白い指先をゴビットへと向けた。
「トウヤ。 そのゴビット、ゲットしといたら?」
「えっ?」
「む……」
トウヤの視線はハチクではなく、トウコの伸ばした指の先へと向いていた。
どちらにせよ、行き先は灰色の土人形。 感情があるのかないのかはっきりしない作り物のような目を見ると、トウコは長いポニーテールをかきあげた。
「ゴビットは『じめん』『ゴースト』タイプ。 手持ちにいりゃ、少なくとも『でんき』タイプの技からは身を守ることが出来んだろ。
なんかソイツ、トウヤになついてるっぽいしさ。」
口をつぐんだハチクの前で、トウヤはひざまずくゴビットへと手を差し向けた。
温度の感じられない肌に触れると、角のすり切れてきたバッグからモンスターボールを取り出し、ゴビットへと差し出す。
「……『でんき』への対策は、決まったようだな。」
「はい。」
ゴビットの入ったボールを強く握ると、トウヤはハチクの方へと向き直った。
「次は、自分の持つポケモンたちの見直しだ。
今捕まえたゴビットを含め、自分の手持ちには誰がいるのか? 何を得意とし、どんな技を覚えているのか?」
「はい…… ダイケンキ! ズルズキン! イワパレス! メブキジカ!」
呼び出されたポケモンたちは皆一斉に、少し沈んだ足元へと目を向ける。
不安げな表情をするダイケンキの口元に手を伸ばすと、トウヤはダイケンキの顔をハチクの方へと向けさせた。
「ミジュマルの進化形、ダイケンキは『みず』タイプ。
得意なのは『みず』タイプの物理攻撃で、覚えているのは『みずのはどう』『アクアジェット』『かたきうち』『あなをほる』の4つ。」
くすぐられたヒゲをくすぐったそうにするダイケンキから手を離し、トウヤは不機嫌そうなズルズキンへと目を向ける。
「砂漠で捕まえたズルズキンは『あく』『かくとう』タイプ。
ほとんど物理攻撃専門で、覚えているのは『ずつき』『かわらわり』『しっぺがえし』に『とびひざげり』。
同じく砂漠で捕まえたイワパレスは、『むし』タイプと『いわ』タイプ。
こっちはハチクさんとの戦いのときみたいに、長期戦では補助に回ってもらうことが多いです。
技は『むしのていこう』『ステルスロック』『シザークロス』『いわなだれ』。」
「ふむ……」
岩の間から覗きこむようにするイワパレスから手を離すと、トウヤは首をすくめるメブキジカへと視線を移した。
「シキジカが進化してメブキジカになったのは、ハチクさんも知ってますよね。
メブキジカは『ノーマル』『くさ』タイプで、どちらかというと物理攻撃が得意みたいです。
技は『とびげり』『アロマセラピー』『かたきうち』それと、進化したときに『ウッドホーン』という技を覚えましたが、まだ使ってはいません。」
「それに、ゴビットを加えた5匹か。」
「はい……」
一瞬オタマロさんのことが頭をよぎったが、エリザベスと一緒にいるときの満ち足りた表情を思い出し口をつぐんだ。
持てるポケモンは6匹。 手持ちの数としては心許ないが、ひとまずはこの5匹を調整しなくては始まらない。
視線を向けると、ハチクは胸元から扇子を取り出し、イワパレスとズルズキンを軽く叩いた。
「まずは、この2匹だ。 どうして同タイプ技が2つもある?」
さっそく痛いところを突かれ、トウヤは軽く下唇を噛む。
「それと、ズルズキンの『ずつき』。 『ノーマル』技と『かくとう』技の攻撃範囲はほぼ同じだ。
『あく』タイプで補助が出来ている今、弱点を突けずひるませる効果にも期待出来ない『ずつき』を覚えさせる意味は?
加え、ダイケンキとシキジカの『かたきうち』だ。 それ自体は強力な技ではあるが、得意タイプでないダイケンキにまで覚えさせる理由はなんだ?」
まさか『たいあたり』の代わりとも言えず、トウヤの口に力がこもる。
バトルでの『嫌な相手』に当たった気分だ。 薄々感付いていても目をそらしてきたことを、遠慮なしに突きつけてくる。
トウヤはポケモン図鑑に目を落とすと、タッチパネルに指を滑らせ内容を再確認し始めた。
「……確かに、『ステルスロック』があるから、イワパレスは『むしのていこう』はほとんど使ってない。
だったら、弱点対策に何か別の技を覚えさせた方が……」
「必ずしも、相性を補う技を覚えさせておく必要はない。
得意でない技は、それだけ威力も弱まる。
逆もまた然り。 得意タイプにこだわり威力のない技を覚えさせておくくらいなら、わざマシンを使って別の技を覚えさせた方が戦いやすいときもある。」
目から鱗が落ちたような顔でトウヤはハチクに顔を向けた。
バンブーブルーになってから、妙にハチクは饒舌だ。 こんな事態なのに、トウヤにものを教えるのを楽しんでいるようにも見える。
ホドモエでトウヤが学んだことが、一瞬にして意味が変わってしまった。
「じゃあ、どうすれば……?
『いわなだれ』や『とびひざげり』を超える威力の技なんて……」
「トウヤ。 ライモンで会ったバトルマニアが言ってたんだけどさ、「相手が交換しなきゃならないレベルのトラップを仕掛けるんダヨ」って。」
「『交換しなきゃならないレベル』?」
「『どくどく』、『メロメロ』、『アンコール』、『ちょうはつ』、『みちづれ』、『ほろびのうた』……」
歌うようにすらすらと言うと、トウコは退屈そうにあくびするゾロアークへと視線を動かす。
「「だってスピード勝負メンドクサイし、1発分オトクだもん」っつーのが、そいつの言い分。」
トウヤはイワパレスへと目を向ける。 確かに、必ずではなかったが『ステルスロック』を撃ったとき、相手のトレーナーはそのトラップをかなり嫌がった。
だが、もう1つ補助技を覚えさせるというのは無理があるし、ズルズキンに至っては攻撃技以外を覚えさせるという発想がなかった。
もう1度、ポケモン図鑑を。
トウヤの真剣な横顔に遠い眼差しを向けると、トウコは自分の細い手首に視線を落とす。
ゾロアークに合わせてあくびを1つすると、トウコはトウヤに背を向けてフラフラを歩き出した。
足跡がつかない生活にも段々慣れてきた。
見覚えのない白い世界をもう少しよく見ようと木の上に登ると、風でも吹いたのか、枝に積もった雪がパラパラと地面へと落ちていく。
細い枝の上に座り込むと、トウコは今度はため息を吐いた。
もうすぐ、トウヤが旅を始めて1年になる。 自分が『行方不明』になったのも、同じくらいのはずだ。
自分が幽霊になって、すぐに引き返して、なつかしい人や、自分の噂話も聞いた。
なのに、肝心の自分の体も、かつての仲間たちもいまだ見つからない。
少し、諦めたくなってきた。 頭を抱えるトウヤを意地悪そうに笑っているゾロアークに視線を向けていると、妙にはっきりした雪を踏む足音でトウコは顔を上げる。
「……私の声が、聞こえるか?」
ハチクだ。 しかし、ハチクの視線の先には誰もおらず、またプラズマ団でも襲来したのかとトウコは周囲を警戒する。
「私にはお前の声も姿も見えん。 しかし、気配はずっと感じられる。」
そう言われてトウコは初めて自分が話しかけられていることに気付いた。
枝の上から飛び降りると、鼻の上をこすりながらゆっくりとハチクへと近づいていく。
「んで、なんのよ」
「かつて、この世界を支えていた2人の英雄の片割れは、偽を真にする者だったと言われている。
万人が笑う話を、否定され、後ろ指を差されようと、信じ、信じ、信じ続け、真実としたのだ。
彼は真実の英雄と呼ばれた。 伝説のポケモン、レシラムを従えたその雄姿に初めは彼を笑っていた者もいつしか心を奪われ、彼に付き従うようになったという。」
意味がつかめず、トウコは眉を潜める。
ハチクは考える事に没頭するトウヤを振り返ると、口を結び、一息置いてから切り出した。
「私はトウヤと、トウヤの信じるキミのことを信じようと思う。」
トウコは顔をゆがめると、必死でにらめっこを続けるトウヤへと勿忘草色をした瞳を向ける。
「……ゾロアークッ!」
彼女の呼びかけに顔を上げると、ゾロアークは飛び上がって彼女の姿に化け、イシシッと陽気な笑い声をあげた。
ハチクは驚いた顔をする。 トウコは軽く唇を噛むと、キラキラした目を向けるゾロアークへと声をかけ、森の向こう側へと歩き出した。
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