「……確かに、この石からはリュウラセンの塔と同じ、古代イッシュ時代の成分が見つかっているわ。」
研究用の手袋を外すと、アララギ博士は息すらも詰めて見守るベルや他の研究者たちに、小さな声でそう告げた。
スキャナーの無機質な光を浴びる白い石に視線を向けると、ベルは服の端を握り締めてアララギ博士へと顔を向ける。
「じゃあ、やっぱり……」
「えぇ、この石がライトストーン……そう見て間違いないでしょうね。」
慣れた手つきで機械を操作すると、アララギ博士はスキャナーにセットされていた白い石を取り出した。
ずっと様子を見守っていたアロエとキダチが、驚いたようにそっと息を呑む。

「……驚いたね。 リゾートデザートで埋もれてたこの石が……伝説のポケモンだって?」
エプロンのスソで手を拭うと、アロエはベルに渡された白い石をまじまじと覗き込んだ。
大きな肩に押され、キダチは少し苦しそうな表情をしている。
それはどこにでもあるような、少し大きな丸くて白い石だった。
シッポウ博物館の片隅に飾られたまま時が来るのを待っていたその石を、一体どれだけの人が目に留めたのだろうか。



「それにしても、前に博物館が襲われたときプラズマ団がこの古い石に気づかなくてよかったですねえ。」
ずっしりと重い石を両手に抱え、ベルは少し遠い目をしてため息をついた。
アロエはエプロンを外すと駆け寄ってきたムーランドに手のひらを向ける。
おとなしくその場に腰を下ろして尻尾を振るムーランドにちぎったエサを与えると、ポケットから出したボールを握り締めて少し強めに握り締めた。
「……そうだね。
 今、考えるとあいつら、伝説のドラゴンポケモンを復活させるつもりでドラゴンの骨を奪おうとしたんだね。」
「では、早くこの石をトウヤ君に渡さないと……」
「ちょっ、ちょ……ちょっと待って!」
声をひっくり返しながら叫んだベルに、アララギパパの太い眉が持ち上がった。
ライトストーンを抱いたまま、ベルはパクパクと口を動かすと、1度息を大きく吸い込んで大人たちに目を向ける。
「それって、あの……えと、トウヤはあたしよりも年下で、ライトストーンを渡したらトウヤがゼクロムと戦わなくちゃいけなくて……
 確かに、トウヤはあたしなんかよりずっとずっと強いけど……だけど……!」
「言いたいことは分かるよ、ベル。」
視線を右へ左へと移しながら叫ぶベルの頭に、アロエは大きな手を乗せた。
目の端に涙を溜めて見つめる彼女の肩を引き寄せると、少し困ったような顔をするアララギ親子に眉を寄せて口を開く。
「アララギ、あたしも反対だよ。 あんたがこの子らにお使いを頼んだことは知ってるさ。
 でも、それとこれとは話が別だよ。 世界の運命なんて子供の肩にかけていいもんじゃない、ここはあたしら大人がなんとかするところだろう?」
「えぇ、そうね。 けれど、そのプラズマ団の王の言葉を信じる限り、もう1匹の伝説のドラゴンポケモンを従えて戦うことが出来るのはトウヤだけ……そうなんじゃないかしら?」
「その話を信じる根拠がどこにあるっていうんだい!」
アロエが声を荒げると、アララギ博士は少し悲しい顔をした。

「根拠は……アロエさん、あなたが1番よく知っているはずよ。」
そう言われるとアロエは黙り、拳を強く握り締める。
何か言おうとした口をもう1度閉じると、少し怒ったような様子で部屋を出て行った。
口も挟めずにポカンと見守るベルに、キダチが遠慮がちに話しかけてくる。
「あ、あの……とりあえずこの話は保留にしておいて、化石の復元やるんで……ベルちゃん、見に来ないかい?」
「……化石の、復元?」
唐突な話の路線変更にきょとんと目を瞬かせたベルに、キダチは少し胃の弱ったような笑みを向けた。
「そう、大昔の遺跡や古代の地層から発見されたポケモンの化石からデータを割り出して、現代に再生させるんだ。
 ちょうど昼間、化石を持ち込んできた人たちがいてね、マシンにかけていたところだったんだよ。
 きっと、ベルちゃんが見たことのない古代のポケモンだよ。 見てみたいだろう?」
「ふわあ……はい、はい! 見たいです!」
ベルの表情が明るくなったのを見て、ひとまずアララギパパ、それにアララギ博士はホッと一息ついた。
ライトストーンをアララギ博士に預け、ベルはポケモン図鑑を片手にいそいそとポケモン見物に行く。
ホコリっぽい書籍だらけのジムエリアを抜けると、博物館へと続く階段の中ほどでどこかで見たことのある人たちと視線が合った。
一瞬誰だか分からなかったが、先に向こうが発してきた「あっ!」という声でベルも思い出した。
お互いにお互いを指差し、ソフトボールでも入るのではないかというほどの大きな口を開く。


アロエは奥から出てきたベルに気付くと、先ほどの怒鳴り声などなかったかのような笑みで自分の後ろにいる人たちを差した。
「ベルか。 今ね、この人たちが持ち込んだ化石を復元して古代のポケモンを……」
「あ、あたしのメニティ盗ってった人!!」
「ヒウンの小娘……くそっ!!」
「ッ!?」
後ろから突き飛ばされたアロエの額がショーケースの角にぶつかるのを見て、ベルは悲鳴をあげた。
キダチが何かを叫び、ベルを追い越してアロエへと駆け寄る。
「ママに何を!!」
「うるせえ! オレだってアスラ様にいいトコ見せなきゃプラズマ団での立場がねーんだよ!!」
「関係あるか!! よくもママにケガさせたな!!」
キダチが飛び掛かり、取っ組み合いのケンカは決着がつきそうにない。
殴り合いを止めることも倒れているアロエに駆け寄ることも出来ず、ベルは階段の真ん中で固まっていた。
けたたましいアラーム音が鳴り響く。 突然、身体が持ち上がったかと思うと、アララギパパの険しい顔が博物館の入り口へと向いていた。
「ベルちゃんは早く奥へ! 娘と一緒にライトストーンを守っていてくれ!」
「でも……でも!」
「見たところやつら、まだストーンの存在には気付いていないようだ。 プラズマ団に気付かれる前に、早く!」
「こっちよ、ベル!」
アララギ博士に腕を引かれ、建物の奥へと連れ込まれる。
喧騒が聞こえ、ベルは何度も振り返った。
今にも掴みかからんばかりの勢いで、後ろから人の気配が追いかけてくる。







靴の中でザラザラと音を立てる砂も気にならなくなってきた頃、チェレンはようやくアデクと合流することが出来た。
リゾートデザートの中心というと暑いイメージがあったが、遺跡の底は冷たく、空気も重々しい。
チェレンの足が砂の音を鳴らすと、アデクは視線を向けぬまま手の動きでチェレンを呼ぶ。
広い背中に隠れるような形でアデクのもとへと近づくと、目の前に音もなく人が現れ、チェレンは思わず肩を跳ね上げた。
セッカシティジムの前に現れた黒服のプラズマ団だ。 警戒するアデクに色のない瞳を向けながら、プラズマ団たちは人の拳ほどの小さな機械を取り出した。
目の前に薄ぼんやりした光が現れる。
「……立体映像か。」
人影はいつかカラクサタウンで演説をしていた大男の姿に像を結んだ。
こちらにもカメラは向けられている。 睨むように眉を潜めるチェレンとアデクの姿を見ると、プラズマ団の幹部は片方の口角をゆっくりと持ち上げた。

「セッカシティからイッシュ半分ほどの距離がある古代の城まで……
 もう1匹のドラゴン……レシラムを復活させるため苦労なされていますね。
 ですが、ここにはお探しのライトストーンはないようです。」
「……ならば、わざわざここまでやってきたお前さんたちの部下も無駄足だったということだな。 ご苦労なことだ。」
すすけた映像の裏で、何かが笑う音が聞こえた。
プラズマ団の幹部が羽織る目玉のようにも見える幾何学模様のマントの下から、骨のようなやせ細った手がこちらへと向けられる。
「ご心配ありがとうございます。
 しかしながら、多くの方が我らプラズマ団に賛同してくださいましてね。 このような調査に向かっていただく人材には困っていないのですよ。」
「……調査だって? 戦う手段も持たない人から化石を取り上げて、子供相手に大勢でよってたかってカツアゲまがいのことをするのが調査だって?」
「よせ、チェレン。 こいつと言い合っていても始まらん。」
今にも噛み付かんばかりのチェレンをアデクは右手で制す。
クク、と押し殺した笑みを向けるとプラズマ団は片眼鏡で覆われた右目の下から、チェレン、そしてアデクへと視線を向けた。


「おやおや、誤解があるようで。 自らを傷つけるポケモンバトルなどという行為を、果たして本当にポケモンが望むでしょうか?
 さて……帽子の彼……トウヤといいましたか? ここにはいないようですね。
 では、伝言でも頼みましょうか。」
色ガラスの下の目が、チェレンへと向けられる。
「おめでとう、トウヤ! アナタは我らが王に選ばれました。
 アナタがこのままポケモンと共存する世界を望むのなら、伝説に記されたもう1匹のドラゴンポケモンを従え我らの王と戦いなさい。
 でないなら、プラズマ団がすべてのポケモンを人から奪い、逃がし、解き放ちましょう!」
「……解き放つ、だと? トレーナーとともにあるポケモンがそれを望んだのか?
 人々からポケモンを奪うことが、お前たちプラズマ団のうたうポケモンの解放なのか?」
「おやおや、これはチャンピオンのアデク殿?
 長年のパートナーだったポケモンを病で失った数年前より真剣勝負をせず、四天王にポケモンリーグを守るよう命じたあと自分はイッシュ地方をふらふらしている……
 ……そのようなチャンピオンでも、人々とポケモンが共に暮らす今の世界を守りたいと?」
チェレンの視線は、アデクへと動いた。
ひそやかだった殺気が強まる。 機械越しであるはずのゲーチスの声は、狭い遺跡の中によく響いた。
「我らがプラズマ団の王はポケモンをしばりつけるチャンピオンより強いことをイッシュの人間に示します!
 そして、イッシュを建国した英雄と同じように伝説のポケモンを従え、号令を発布するのです!
 すべてのトレーナーに、ポケモンを解き放て……と!
 そのため、伝説のゼクロムや王にふさわしい城も既に用意しているのですよ。」
「……わしは負けぬ! 
 ポケモンを愛するトレーナーのために! トレーナーを信じるポケモンのためにも!」
「……王はアナタに興味などない。 勝利するのが当然の相手だと判断なさっておるのですよ。」
「……それを言うためここで待っていたのか? わしもバカにされたものだな。」
「まさか。 親切ですよ、親切……
 チャンピオンのアナタが無駄なケガなどなさらぬようにね。」


「確かに、ワタクシは人々が絶望する……」

「その瞬間をみるのが、大好きですがね。」



警戒という名の鎧で固めていたはずのチェレンの背筋に、冷たいものが走る。
チェレンたちを囲っていた黒服のプラズマ団たちは、来たときと同じように音もなく消えていった。
「では、ごきげんよう。」
ゲーチスがそう言った瞬間、辺りを包んでいた殺気が消える。
瞬きすらしない間に、プラズマ団たちは消えていた。
ゲーチスの言葉を、チェレンは反芻する。 やはり、Nの狙いはトウヤだった。
「……くそっ!」
イッシュを荒廃させるほどの力を。 人とポケモンの世界の命運を。
爪が食い込むほどに拳を握ると、チェレンは乾いた唾を飲み込み気を落ち着かせる。
なのに、アデクが触れた肩にチェレンは身を跳ね上げた。 見上げると太い眉を潜めたアデクが口元のシワも深く、チェレンに視線を向けている。

「……アデクさん、これからどうするのですか?」
「……ふむう、わしがポケモンリーグに戻り、Nと戦うしかないな。
 だが、ゲーチスの言うとおり……というのもシャクだし、なによりライトストーンをどうすればいいものか?」
吐いた息が白く濁る。 自分の肩を抱えることこそしなかったが、冷え込みはチェレンの思考能力を奪った。
「……アデクさん、とにかく外にでませんか?」
「……うむ、そうするか。 なんだかここは息苦しいわ!」
アデクの返事に、チェレンは胸を撫で下ろした。
靴の中で砂が音をたてる。 ふわりと浮かび上がった白い吐息に、チェレンはふとベルのことを思い出した。





本棚の隙間に隠れた用具入れの中にベルを閉じ込めると、アララギ博士は背後から近づいてくる叫び声を睨みつけた。
「いい、ベル? 何があってもプラズマ団にライトストーンを渡さないこと。
 私はこれから助けを呼びに行くけど……何かあったら、ポケモンと一緒に迷わず逃げるのよ、いいわね?」
渡されたライトストーンの重みにベルの細い腕がふるえる。
答えを聞かないうちにアララギ博士は扉を閉め、ローファーを鳴らして遠ざかっていった。
少し遠くなった喧騒に、ベルはその場で座り込む。 ……いや、彼女は腰を抜かしていた。
酸素の吸えない荒い呼吸を静めようと深呼吸を試みるが、何度やっても指先がしびれるばかりだ。
足音が聞こえ、ベルは肩に力を入れる。
ガラスが割れたようだ。 無遠慮に床を踏む耳障りな音にふるえながら、ベルは祈る。
誰に祈ればいいのかもわからないが。
「……英雄が」
もし、本当にいれば。 助けてくれるのだろうか。 彼女1人には大きすぎる、この状況を。
一際大きな音が聞こえ、ベルは身を固くする。 アロエたちのプライベートルームへと続くドアだ。
全身から血が引いていくのがわかった。 ライトストーンこそ自分が持っているものの、あそこにはアロエが研究中の資料や、キダチとの思い出の品だってたくさんあるはず。
いつの間にかモンスターボールへと伸びていた手が、耳の中で響いたアララギ博士の声に止まる。
勝てない。 きっと。

けど。 だけど。


白い指がモンスターボールを弾いた瞬間、部屋を割るほどの大きな音がベルの全身を揺さぶった。
立てかけられていたモップが倒れ、ベルの頭に当たる。
いよいよ危険だと判断しベルは立ち上がろうとするが、感覚のない両足は細い体を支えるのを拒み、ベルは不恰好に用具入れの中で転がった。
「ふえ? ふええ!?」
なんということだろう。 置いてあったバケツに尻がすっぽりとはまってしまい、体を持ち上げることが出来ない。
ジタバタともがいていると目の前にあった扉が動き、ベルは激しい後悔とともに体の動きを止めた。



「あ、ベル。」
「トウヤ……」
暗闇に慣れた瞳を白い光が刺す。 目の前にいる幼なじみはぼやけていた。
何か言っている様子だったが、うまく聞き取れない。
泣きじゃくるベルにトウヤは困ったような、遠慮がちないつもの笑みを向けていた。
何か悪口のようなものを叫び続ける人間を取り押さえたポケモンにひとつふたつ言葉を向けると、トウヤはベルに右手を差し出してくる。
差し出された手は、いつもよりも大きく見えた。


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