モンスターボールを持つ手から血の気が引いていくのをトウヤは感じていた。
ずっと探していたトウコが。 プラズマ団の手で。 このシリンダーブリッジで。
よろめきかけたところを腕に鋭い痛みを感じ、トウヤは持ち直す。
見ると、腕にゾロアークの歯形が出来ていた。 凍りつきそうな思考に炎を吹き込み、目いっぱい腹に力を入れるとトウヤはゲーチスを睨みつけ、出来る限りの大声を張り上げた。
「だったらなんだ!! 今、お前たちがやってるのはポケモンを使ってトレーナーじゃない人に無理矢理言うことを聞かせる……弱いものいじめと変わらないじゃないか!!
 ボクの知ってるNはそんなことしない。 ゲーチス、お前はプラズマ団の名前を盾に、好き勝手やってるだけなんじゃないのか!?」
「おやおや……ずいぶんと嫌われてしまったようで。 無理もありません。
 ワタクシのことを許してくれとは申しません。 ですが、我らが王、N様は心優しいお方……そこにつけこもうと考える悪しきものが現れぬとも限りませんので。」
怒りで頭が真っ白になるトウヤに、ゲーチスは悲しそうな笑みを向ける。
「Nさまのお考え……それは、伝説のポケモンを従えたもの同士が信念を懸けて闘い、自分が本物の英雄なのか確かめたい……とのことです。
 そんなことをなさらずとも、英雄になるための教育を幼いころより施され、結果、伝説のポケモンに認められたというのに……本当に純粋なお方です。」

段々とその顔から優しさの仮面がはがれていくのを、トウヤは見た。
もはや待っていられないとばかりに、ボールからズルズキンとゴビットが飛び出す。
「ワタクシ……プラズマ団がうたうポケモンの解放とは、愚かな人々からポケモンを切り離すこと!
 そう! 世のトレーナーどもがワタクシどもに逆らえぬよう、無力にすることなのです。 ワタクシたちだけがポケモンを使えばいいのです!」
ヒデアキのそばで彼を守っていたダイケンキが、信じられないといった表情でゲーチスのことを見ていた。
「その準備は整いました。
 ワタクシの完全な計画が実行されれば……プラズマ団に逆らえない愚かなポケモントレーナーどもが、1人、2人とポケモンを手放していくでしょう。
 その人数は100人となり1000人となっていく……
 チャンピオンもジムリーダーも、その流れには逆らえぬようになります。
 ポケモンを持つことが悪となるのです! ヒウンでポケモンを奪われたベルとやらも、世間に流され、自らポケモンを手放すのです。
 そんな世界に変わるのですよ。」
「……ッ!!」
トウヤが何か言うよりも先に、足元でうなり声をあげていたゾロアがゲーチスへと飛び出し、黒い風のような衝撃波を放つ。
しかし、その風はダークトリニティの操る2本足のポケモンに止められると、反撃としてそのポケモンの鋭い刃がゾロアの黒い毛並みを切り裂いた。
イリュージョンが解け、背中に傷を負ったゾロアークは橋の欄干へと吹き飛ばされる。
「どうあっても、主人と同じ道を辿りたいようですね。
 手伝ってさしあげなさい。
 アナタの主人はここではない。 この深い谷底の……どこかにいらっしゃいますよ、恐らくね。」
「ダメ!!」
ズルズキンが飛び出すのよりも早く、ゾロアークの体が空に飛んだ。
欄干から身を乗り出したトウヤの目の前で、底も見えないほどの深い谷に黒いポケモンの身体は吸い込まれていく。
「ゾロアークッ!!」
耳の周りに渦巻くような低い笑い声にトウヤは目の前が真っ暗になる。
そのままバランスを崩して落ちてしまいそうなトウヤの背中をズルズキンは引っ張って橋の内側に座らせた。
「まあ、アナタがストーンを持っていても伝説のポケモンに認められ英雄になれるとは思えません。
 ですが、愛しのポケモンと別れたくなければ、せいぜいがんばりなさい……」


背中の方でゲーチスの声が聞こえ、車の扉が閉められるバタンという音とともにわずかな風が吹いた。
足の下をパイプを繋げたような大きな機械が音を立てて通り過ぎていくと、辺りは風のうなり声だけの静かな場所へと変わる。
「そんな……」
トウヤは橋の上を這うようにして、谷底をもう1度覗き込んだ。
底が見えない。 目も眩むような景色に呆然としていると、不意に耳元でイシシッと聞き覚えのある笑い声が響いてきた。
宙に浮かんだゾロアがデフォルメされたトウコの姿に変わり、トウヤに向けてVサインを向ける。
トウコの姿はそのまま風の中に掻き消えた。 一瞬、何のことかわからないまま谷底を見つめていたが、意味が分かった瞬間、トウヤは「あっ!」と大きな声をあげる。







少しずつ持ち上がっていく身体を引き剥がすことが出来ず、トウコはジタバタと足をばたつかせていた。
ようやく起き上がったゾロアークがギャンギャンと鳴き声をあげる。
首を絞める指に爪をかけても傷1つつけることもかなわず、ぼやける視界の奥にいるゲーチスを睨む。
「ずいぶんとかき回してくれましたね……アナタがここまで追いかけてきたのは、ワタクシとしても誤算でしたよ。
 ですが、遊びの時間はもう終わりです。 あのポケモンの力は、ワタクシが手にしてこそ発揮されるのです!」
「……けッ……! な……!」
飛び掛かったゾロアークが吹き飛ばされ、橋の下へと落下する。
驚きと怒りで口をパクパクさせているトウコに向けられた笑みに、指1本動かせず転がったままのヒデアキは戦慄した。
彼女の細い体が宙を飛ぶ。
それはすぐに、彼の目から見えなくなった。



ヒデアキが目を覚ましたとき、薄ぼんやりとした視界の中ではトウコによく似た目をした少年がちょこまかと動き回って傷ついた自分の仲間たちの看病をしていた。
うろたえるように視線をさ迷わせていたモーガンがヒデアキに気がつくと、駆け寄ってきて脂肪で丸くなった背中を持ち上げる。
「気がついたっスか、アニキ!」
「モーガンか……他の連中は……?」
「切り傷とヤケドはあるけど全員無事っス! ていうか、起きたのアニキが最後っス!」
他にもっと言い方があるだろうとヒデアキはモーガンを殴ろうとしたが、腕が持ち上がらない。
うめき声をあげると、少し離れたところで救急箱をひっくり返していたトウヤがこちらへと目を向けた。
乱雑に物を詰め直すと、小さな箱をその場に置いてヒデアキのもとへとやってくる。
「大丈夫ですか? 他の人に話聞いたけど、『ほうでん』の直撃受けたのはヒデアキさんだけみたいだったから……」
「オマエ……無事だったのか……」
「ボクはなんとか…… でも、ダークトリニティとやりあったゾロアークが、谷に落ちて……」

青ざめたヒデアキに、トウヤは少し慌てたように、しかし落ち着いた声で続きを付け足した。
「……っていうのが、当面の建前です。 誰かに話を聞かれたら、相手が誰だろうと、そう伝えてください。
 実際は、たぶん……車にはり付くか何かして、プラズマ団の本拠地に乗り込んでったんだと思います。 ボクよりもゾロアークの方が冷静でした。」
恥ずかしそうに頬をかくトウヤを見て、ヒデアキはようやく安堵の息を吐いた。
まだ身体のところどころ動かないが、痛みとともに感覚は戻りつつある。
壁やイスにもたれかかり、時折うめき声をあげている仲間たちを確認すると、ヒデアキは再び救急箱の中を引っ掻き回しているトウヤへと声をかけた。
「トウヤ、オマエが……あいつらを追い払ったのか?」
「いや、違います。 言いたいことを言って……向こうが帰っていきました。
 むしろ、プラズマ団はボクを待つためにシリンダーブリッジに入り込んだって言ってたので、申し訳ないくらいです。」
「ビビんな。 ……誰も、オマエのこと恨んじゃいねーよ。」
ふるえた手でガーゼの空箱を持つトウヤに、ヒデアキが言うと部屋中の男たちがパラパラとうなずいた。
「……オレたちのポケモンは、みんな、あの胡散臭いヤローどもに取り上げられた。 今回のことも、なんとかやり返してやろうっつった結果だろ。」
「で、返り討ちに遭ったんスね。 前と同じように、鉄橋越しの『ほうでん』でビリッ!と。」
モーガンに向けられた殺気が、脳天に直撃したヒデアキのゲンコツでかき消される。
頭を抱えるモーガンをよそに、深くため息をつくとヒデアキは床を見つめ、低い声で先を続けた。
「元気なのは、前も今もその場にいなかったモーガンくらいなもんだ。
 トウコ姐さんのこともある。 トウヤ、オマエがプラズマ団とやりあうっつーんなら、ブラックエンペルトは全力で応援させてもらうぜ!」

「はい。」
救急箱の蓋をしめながら、トウヤは強面の面々に小さく笑みを向けた。
窓の外を見ると、夜明けが近づいているのか、薄赤く空が照らされている。
眠い目をこすって大きく伸びをすると、トウヤは部屋の隅に転がった自分のバッグを持ち、手伝ってくれていたゴビットを呼び寄せた。
「……行くのか?」
「はい。 ゾロアークたちが乗り込んでったのに、ボクたちがのんびりしてるわけにもいかないから。」
「そうか。 ……そうだよな。」
ヒデアキは重そうな尻を持ち上げると、トウヤの手を握らせ、自分の拳と突き合わせた。
「いつかバトルしような。 オマエも好きだろ、トウコ姐さんと同じにさ。」
「はい!」





チーム・ブラックエンペルトの男たちと別れると、トウヤはゴビットとともに凍りつきそうなほど冷え込んだ道を歩き出した。
セッカから来たときは歩くのも難しいほどの雪道だったが、シリンダーブリッジを越えた9番道路にはほとんど雪は積もっていない。
白い雲となって消えていくあくびを目で追うと、バッグから地図を取り出し、行き先を指でなぞる。
「……とはいえ、どこに行ったんだろう。 トウコちゃんとゾロアーク……」
時計を見れば思いのほか時間は進んでいて、もう街では新聞も配り終わっている頃だ。
朝1番のテレビでは、いつものキャスターが笑顔を振りまいているのだろうか。 ベーカリーのマリおばさんはそろそろ最初のパンを焼き上げている頃か。
サンヨウのジムリーダーたちはジムの傍ら、レストランもやっていた。 もしかしたら今頃、朝の仕込みで大忙しかもしれない。
「なんか……おなか空いてきたな。 ゴビットは、何かやりたいことってあるの?」
トウヤが尋ねると、ゴビットは歩く速度を早め、肩から提げられた膨れたバッグを引っ張った。
なんのことだかよく分からないままトウヤがバッグを肩から外すと、ゴビットはトウヤのバッグを預かり、どこか満足そうな足取りでそのまま歩き出す。
「ありがとう。 ゴビットは優しいんだね。」
礼を言うと、ゴビットは太い指を丸めたり伸ばしたりしてトウヤに不恰好なサムズアップのポーズを向けて見せた。
教えた覚えなどないのに、一体どこで覚えてきたのか。 トウヤもゴビットにサムズアップを向けると、広げた地図に指先で円を描いて白い息を吐いた。

昇り始めた朝陽が目に刺さり、トウヤが顔をしかめているとライブキャスターが音を鳴らした。
受信ボタンを押すが、電波の状態が悪いのか、相手の顔がなかなか出てこない。
「……ヒデアキさん? もしかして、なにかあったん」
「トウヤーッ!! おっはよおー!!!」
明らかに音量調整を間違ったキンキン声に、ゴビットが振り向き、トウヤはうずくまった。
急いでボリュームを絞る。 無音寸前の1目盛までスピーカーの音量を下げてから、トウヤは帽子を被り直し、電波のいい場所を探し、歩き出した。
「ベルか……おはよう。 どうしたの?」
「あのね、トウヤは今、セッカシティの近くにいるんでしょ?
 あたし今、ヒウンシティで会ったアイリスちゃんと一緒に、隣町のソウリュウシティにいるの!
 それで、すぐ近くの9番道路にR9(アールナイン)っていう、おっきなショッピングモールがあって……」
ようやく電波の目盛が3つになる場所を見つけて立ち止まる。
正直、ギリギリまで音量を下げても、まだかなりうるさい。 ベルにも協力をあおごうと口を開いた瞬間、彼女の口から飛び出した言葉にトウヤは耳を疑った。
「トウヤ、あたしとデートしよっ!!」


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