さながら、昼過ぎのくたびれたサラリーマンのように壁に寄りかかって眠っていたトウヤは、頬に当てられた冷たい感触に悲鳴をあげてベンチから転げ落ちた。
顔を上げるとベルが、しずくのついたサイコソーダの缶をトウヤに向けて笑っている。
「えへへ、お待たせトウヤ! これ、トウヤの分ね。」
「あ、ありがとう。 ……ベル、炭酸苦手じゃなかったっけ?」
「うん。 でもトウヤは好きでしょ?」
にっこりと笑ってそう言ったベルに心底驚いた表情を向けると、トウヤはもう1度ベルに礼を言ってプルトップを引き抜いた。
数年ぶりの感覚に少し頬がゆるむ。 ベンチを揺らして隣に腰掛けたベルを横目で見ると、彼女はわざとらしく咳払いをしてトウヤの方へと顔を向けた。

「トウヤって、いっつも遠慮してるよね。」
「そう?」
「うん。 あ、そうだ! あたしアールナインに来たらチャオ☆チラーミィのグッズ買おうと思ってたんだった!
 一緒に行こ、トウヤ! おねーさんがビクティニくんグッズ買ったげちゃうよ!」
「ちょっと、ベル……!?」
中身の半分残った缶を揺さぶりながらトウヤはベルに引きずられ、横に広いエスカレーターを駆け上がる。
案の定、道に迷った。 現在地はB館の2階なのに、目当ての店は真反対のC館1階だ。
フロアマップに眉を寄せるトウヤをニコニコしながら見ていたベルは、吹き抜けの向こうの空を眺めながらつま先だけで伸びをした。
「すっかり晴れたねー。 昨日まであんなに曇ってたのに。」
「ベル。 チャオ☆チラーミィのお店、反対側みたい。」
「いーのいーの、そんなの後で! それよりトウヤ、あっち! バトルフィールドがあるよ!!」
またしても引きずられながら、トウヤはだだっ広いバトルフィールドがある広場へと連れて行かれる。
朝早いせいかまだイベントなどは行われていないようだが、その準備を進めている大荷物を持ったスタッフらしき人たちとすれ違う。
考えてみれば、まだ8時だ。 これから向かおうと思っていたチャオ☆チラーミィのグッズがある店自体、開いていないはずだ。
そのことを告げるとベルは「そっか」と手を打ち合わせ、レストランフロアに指を泳がせだした。
それはいいのだが、なぜ、その後の選択が未知にも程があるナパージ料理なのだろう。
皿の上に置かれた魚に見つめられながら、トウヤは頭を抱え込む。
恐る恐る口をつけた料理は、意外にも美味しかった。





「ミーはハートフルウエーターのテルミ!!」
「私はラブリーウエートレスレディー、ミサト!!」
「花の土曜に仕事をサボってバトル大会出場!!」
「しかも、1回戦が決勝戦!! 相手は子供!! 楽勝ね、テルミ!!」
「おうともミサト!!」

「なんで、こんなに参加者少ないんだろう……」
「がんばろうね、トウヤ!!」
やけにガラの悪い応援団が観客席の一角を占めていることから、その理由はなんとなく想像はつくのだが。
よりにもよってマルチバトル大会を設定した主催者に、トウヤは頭を抱える。
受付で渡されたルールブックを持たされたまま、いきなり決勝戦だ。
うきうきとボールを構えるベルの横で、トウヤはポケモン図鑑を確認しながら最初のポケモンを繰り出した。
「ボンジュール、ランプラー!!」
「コマンタレブー! ドレディーア!」
「フィレくん、がんばって!!」
「……ダイケンキ。」
ルールブックを読む。 バトルはトレーナー1人につき出せるポケモン1匹の短期決戦だ。
ひとまず相手が出したランプラーとドレディーアとやらを見比べると、トウヤはランプラーを指差し、ポテトの匂いが混じった空気を吸い込んだ。
「ダイケンキ、『みずのはどう』!!」
うぉん、と犬のような低い鳴き声をあげるとダイケンキは大きく息を吸い込んでふわふわと宙に浮くランプラーを水の膜で包み込んだ。
その膜を飛んできた木の葉が切り裂いて割る。 紅色の花を咲かせたドレディーアなる草ポケモンはくるくると回転すると、足でも滑らせたのかよろけながら奇妙な踊りのようなものを踊ってみせた。
チャンスとばかりにベルがドレディーアに指先を向ける。 ベルの出したエンブオーが鼻先から炎を噴き出した瞬間、ウエートレスの赤すぎる口紅がにやりと歪んだ。
「フィレくん、『ニトロチャー」
「『フラフラダンス』ッ、シルブプレ!!」
ウエートレスのミサトが叫ぶと、ドレディーアは花びらを散らし、身体で歪んだ8の字を描く。
クラクラする動きにトウヤは酔い、口元を押さえる。
「フィレくん、『ニトロチャージ』!!」
「ちょっと、ま……!」
ドレディーアがパチンとウインクした瞬間、ベルのエンブオーが自分の頭を思い切りバトルフィールドへと叩きつけた。
画面の中のHPゲージがみるみる減っていく。 オロオロするベルをよそに、鬼の首でもとったかのように高笑いするとウエーターのテルミはランプラーに手のひらを向けた。
「ナイスだミサト!! よおし、ランプラー『おに……!」
指示を出そうとしたテルミの前で、ランプラーは自分によく似た街灯へとぶつかって自滅した。
『フラフラダンス』は敵も味方も自分も全て『こんらん』状態にする技。 ポケモン図鑑にはそう書いてある。
困った顔をしてポケモン図鑑を畳むと、トウヤはやはり混乱しているダイケンキへと向かってとりあえず声をかけた。

「ダイケンキ!」
聞こえていない。 ダイケンキは見えない敵と戦っているらしく、ヨロイから引き抜いたアシガタナをメチャクチャな方向に振り回している。
高笑いをあげるミサトがダイケンキに指を向ける。
『はっぱカッター』だ。 オロオロしているベルに1度視線を向けると、トウヤはダメ元でダイケンキへと向かって叫び声をあげる。
「諦めるな、ダイケンキ!! 『アクアジェット』!!」
「オーッホッホッホ!! 遅い、遅いわァ!! ドレディーア、『はっぱカッター』!!」
テンションの上がりきっているミサトの指示に、ドレディアは心なしか複雑そうな顔をしながらダイケンキへと向かって『はっぱカッター』を放つ。
攻撃が当たった瞬間、ダイケンキが消えた。 一瞬後、少し離れたフィールドの上に背中から突っ込んでいくダイケンキを見てトウヤは目を丸くする。
混乱状態が解けたわけではなさそうだ。 頭を振るダイケンキに声をかけようとした瞬間、横から伸びてきた細い腕が、トウヤの顔の横をかすめエンブオーへと向けられた。
「フィレくんっ!! 『ヒートスタンプ』ッ!!」
トレーナーと一緒になって高笑いをしているドレディアの顔に、大きな影が降った。
高笑いが止まり、上を見上げたドレディアを炎の尻が押しつぶす。
それほど広くはないバトルフィールドに、気絶したポケモンが2体転がった。
会場は静まりかえる。 旗を振らなければいけないはずの審判すら、ぽかんと口を開けている。
真っ先にその状況に気付いたトウヤは、ひとまずベルに向かってサムズアップを向けた。




「バ……バトル・オフ!!
 ドレディアの『フラフラダンス』でテルミ・ミサトペア5度目の正直となるかと思われましたが、ベル選手のエンブオーで逆転!
 優勝は飛び込み参加のトウヤ・ベルペアです!!」

「あの、なんか……すみません。」
「キー!! ありえないわ、何よ、そのミラクル!!」
「そうだそうだ、ありえない!!」
1戦準優勝と無血優勝。 どちらが良かったのだろうと、多少のモヤモヤが残る。
恐らく今まではブラック・エンペルトの面々と戦っていたのだろう。 試合そっちのけで観客席で大騒ぎするガラの悪い集団を横目で見ると、ウエーターのテルミがまっすぐに突き出した指をふるわせてトウヤに叫んだ。
「本当ッに、ありえない!! なんだ、キミのダイケンキのナイフは!! シェフとして見過ごせなーい!!」
「ナイフじゃなくて、アシガタナなんですけど……というか、テルミさん、ウエーターですよね?」
「ふんっ、40年後には世界に名をとどろかすシェフになってみせるさ! それより、すぐについてきたまーえ!
 9番道路名物、コマタナの研ぎ場へと案内するざんす!!」

表彰式もそこそこに、すっかりキャラの変わったテルミにトウヤはR9(アールナイン)の外へと引きずられる。
ちょこちょこついてくるベルの姿を横目で確認しながらついていくと、程なくしてなんだか見覚えのある景色の川原へと出てきた。
川の向こうにある薄暗い森の中、松明代わりにドクロを置いた、看板に黒い星が並ぶ店が1件。
「あれが、僕の職場さ。」
「あれって……レストラン5つ黒星?」
「よければ今度、ごちそうするよ。」
「いえ、遠慮します。 全力で。」
「テルミさんって、キャラ作ろうとして失敗しちゃった感じですねえ。」
余計な一言を添えるベルに本気で寒い思いをしながら川原を歩くと、赤い小さなポケモンがトウヤたちを追い越していった。
同じような赤いポケモンが、川のほとり……流れの少しゆるい池のような場所に集まっている。
どこかで見たことがあると思ったら、プラズマ団のゲーチス直属の部下、ダークトリニティの1人が持っていたのと同じポケモンだ。
全身が刃物で出来ているようで、集まったポケモンたちは頭や胴、足や腕から飛び出した白い刃先を丁寧に石で研いでいる。
「あれがコマタナさ。
 この川原には、ああして野生のコマタナたちが自分の刃を手入れしにやってくるざんす。
 そして、そのコマタナや、進化形のキリキザンと仲良くなり刃物の手入れを教われば、研がれたナイフは岩をも切り裂く。
 ここは料理人たちの聖地でもあるのさ。 アンダスタン?」
「いえす、あんだすたーん!」
物分りのいいベルに関心しつつ、トウヤは来た道を振り返る。
肝心のダイケンキとエンブオーをモンスターボールに戻す暇もなく置いてきてしまった。
やっと追いついてきたと思ったら、案の定アシガタナを忘れているし。
ハッと気付いてトウヤに『どうしよう』と言わんばかりの視線を向けるダイケンキに既視感を覚える。
トウヤはアシガタナを抱えて後ろからドタドタと追いかけてくるエンブオーを指差した。
やはり進化しても『うっかりや』だ。 申し訳なさそうにアシガタナを受け取るダイケンキを横目で見ると、トウヤは一心不乱に刃を研いでいるコマタナたちの方へと足を進めていく。


「こんにちは。」
「ねえねえ、刃物研ぎってどうやるの? あたしもやってみたい!!」
トウヤたちが声をかけると、コマタナたちは一斉にこちらを振り返った。
なにか様子が変だ。 図鑑を見る限り『はがね』『あく』タイプで、全身が刃物で出来ているというのに、襲い掛かってくるでもなく、近づいてくるでもなく、ジリジリと距離を開けられる。
「テルミさん、コマタナたち……なんか変な気がするんですけど?」
「んー……そういえば、いつもは群れ全体を見渡せるところにいるキリキザンが、今日はいないざんすね。」
「キリキザン?」
トウヤがポケモン図鑑を開くと、コマタナよりひと回り大きなポケモンの姿が画面の上に映し出される。
その姿を見て、心当たりが1つ。
「もしかして、昨日ダークトリニティが持ってたポケモン……ここのリーダーだったのかな。」
「ふえ? ダークトリニティって、プラズマ団の?」
「なんざます、それは?」

トウヤが説明すると、ウエーターのテルミは低い声でうなって小さくうなずいた。
「確かに、考えられなくはない。 リーダー不在の群れ……指示を出すものがいないと、行動が鈍くなるのは人間もポケモンも一緒ということざんすね。」
いまだにコマタナの群れはトウヤたちと微妙な距離を保ったまま動かない。
トウヤは考える。 こんな状態では刃の研ぎ方を聞くのなんて到底できそうにないし、放っておいたら別の群れやポケモンたちに襲われて居場所からなくなってしまいそうだ。
ズルズキンに頼めば群れごと制圧して、新たなリーダーに成り代わることも出来なくはなさそうだが、その後「はい、じゃあさようなら」というのは、あまりにも無責任すぎる。
頭を抱えていると、ベルの細い腕がまっすぐ空へと伸びた。
「はいはーい! あたし、いいこと考えた!!
 今ここで、新しいリーダー決めればいいんじゃないかなあ?
 さっきのバトル大会すぐ終わっちゃったし、その続きってことで! あたしたち審判とお客さん!」
「おぉ、それはナイスアイディア! どうざんすか、コマタナたち?」
朗々としたテルミの声を聞くと、コマタナたちは一斉に爪のような腕の刃物の先で川原の石を引っかきだす。
トウヤとダイケンキとエンブオーは耳を塞いでうずくまった。 10匹近い群れから一斉に放たれる『きんぞくおん』は、人間だってキツイ。
「わあ、満場一致!!」
「オーイエ! やる気満々ざんすね! コマタナたち!!」
「マジですか!?」
想像だにしなかったベルとテルミの反応にトウヤが驚いている間に、即席のバトル大会は始まっていた。
仕事柄か、テルミはテキパキとコマタナたちをさばき、ベルが小石で作ったトーナメント表に従い上位を決めていく。
川べりによく研がれた刃物の打ち合う音が響いた。
他の仕事もすっかり取られてしまい、やることのなくなったベルは試合の終わったポケモンたちの手当てをするトウヤの横にちょこんと腰掛ける。


「トウヤ、最近ね、あたしいろいろ考えるんだ。
 旅をして、自分がなにができるか、なにをやりたいかなんだけどお……」
まるで友達にせかされて告白でもするかのように、そわそわした様子で切り出したベルにトウヤは横目を向ける。
ベルのエンブオーはトウヤを睨んでいたが、トウヤが苦笑いすると視線をそらして「ぶっ」と鼻から小さな炎を噴き出した。
「カミツレさんのようなステキなモデルもあこがれるし、アララギ博士のようにポケモン研究もしてみたいなって思うし……でも、それにはやっぱりポケモンに詳しくないとね。」
「うん。 ボクもポケモン図鑑には助けられっぱなしだよ。」
手垢も落ちなくなってきたポケモン図鑑に視線を落としながらトウヤは答える。
ポケモンバトルのときも、こうして野生のポケモンと触れ合うときも。 いつもトウヤの手の中にはポケモン図鑑があった。
視線をベルへと向けると、落ち着かない様子で膝の上で手をもじもじさせている。
何かを決心したように顔を向けてきたベルとトウヤの視線が合うと、彼女は顔を真っ赤にして自分の大きなベレー帽を顔の方に引き寄せた。
「……トウヤは、すごいよね。」
「そう、かな?」
「うん! トウヤはすごい!
 今日だってフィレくんもダイケンキも混乱しちゃって、あたし頭の中真っ白だったのにトウヤは諦めないで、ちゃんとダイケンキに指示を出してたじゃない!
 何が起きても諦めないで、ちゃんと自分の頭で考えて、自分から行動するのって……誰でも出来るけど、すっごく難しいことなんだよ。」

ベルは顔を隠していた帽子を胸元へともってきて抱きしめた。
「……あたし、ヒウンシティでだいじなポケモンをプラズマ団に奪われたことがあるでしょ。
 だから、すごくわかるの!! プラズマ団がムリヤリポケモンを解放したら悲しむ人ばっかりだよ!
 トウヤ! プラズマ団をとめて!! ポケモンが大好きな人から、ポケモンを奪われないようにして!」
搾り出すように叫んだベルにトウヤは驚いて目を丸くした。
さっきまであんなに無邪気に笑っていたベルが、今にも泣きそうだ。 小さく鼻をすするとベルは帽子の縁を指で引っかきながら、少しふるえた声で先を続ける。
「ごめんね……大変なのに、わざわざこんなこと言いにきて。 本当はトウヤのこと、リラックスさせるつもりだったのに。
 ……でも、トウヤなら大丈夫だよ。 うん! 絶対に大丈夫! あたしが保証してあげる!
 だから、うん…… うまくいえないけど……」
「おーい、おふたりさーん!! 大会の優勝者が決まったざーんす!
 このコマタナが今日から群れのリーダー! 今から表彰式やるんで、トロフィー授与の役をそこのレディーにお願いするざんす!!」
「あ、はーい!」
パタパタと走り出したベルの横顔からは、先ほどの悲愴とも思える表情は消えていた。
見間違いかとも思ってゴシゴシと目をこすった手のひらには、汗がじっとりとにじんでいる。
トウヤは冷え切った自分の手を見つめると、笑顔を作ってテルミとベルの方へと走り出した。


「大会終わったんだったら、刃物の研ぎ方教えてもらえますか?」
「いいざんすー! なんだか大会をやっているうち、すっかりコマタナたちと仲良くなったみたいだしー!」
「あ、あたしも! あたしも研ぐー!!」
連続バトルで傷ついた刃を再び研ぎ始めたコマタナたちに混じって、トウヤたちもそれぞれ自分の道具やアシガタナを川べりの石を使って研ぎ始める。
流れる水は、冷え切ったトウヤの指を凍らせた。


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